あるきメデス

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中欧5か国8日間の旅⑤ ブラスチラバ観光後 列車でブダペストへ(前半)

2016-06-29 22:18:49 | 中欧5か国旅行
 第5日 2016年6月1日(水)
 
 == スロバキアのブラチスラバ観光後ハンガリーのブダペストへ ==

 連泊したチェコ首都のホテル、デュオプラハで5時30分に起床、6時30分から朝食
をして、7時30分にバスはホテルを出た。

     
 今日は、今回の旅で最長の移動日。午前中はプラハから南東に約337㎞のスロバキア
の首都ブラスチラバに行き、観光後、さらに東南東に約200㎞の最後の宿泊地であるハ
ンガリーの首都ブダペストまでの予定である。


 朝のラッシュで混雑するプラハ市街地を抜けて、木々の多い高速道を進む。




 道路工事中のために一時渋滞した所を過ぎ、9時50分から10時10分までガソリン
スタンド兼店舗の店でトイレ休憩する。



 10時52分頃、チェコ南東部の主要都市らしいブルノ(Brno)で、南に延びる国道2
号線に入る。緩やかな丘陵地帯に広がる町並みや草原地帯、大豆や麦畑などの広がる沿道
をさらに進む。


 11時30分にチェコとスロバキアとの国境に着き、次のトイレ休憩。ドライバーさん
は、何らかの手続きでかなりの時間をとる。国境の検問所は廃止されていて、ガランとし
ていた。



 11時49分に出発してスロバキア国内に入り、遠望の利く草原地帯を南下する。豊富
な水量を見せるドナウ(Dunaj)川を越えて、首都ブラスチラバ(Bratislava)市街に入った。
 


 ドナウ川沿いを少し進み、12時35分にブラスチラバ城↓下の新しい吊り橋、SNP
橋のそばで下車する。道路際の気温表示は28度で、暑さを感じる。



 ちなみに、SNP橋は車道の下に歩道があり、歩いて渡ることも出来るとか。南側の主
塔は展望塔にもなっていて、プラスチラバでは最高の地上95mの建築物で、展望台から
は市街全景が眺められるという。

 スロバキアの首都ブラスチラバは、ドナウ川の両岸に広がりオーストリア・ハンガリー
国境に接し、ウィーンまでは60㎞程の距離。近郊には農地も多くブドウ栽培が盛んで、
ワインの産地としても名高いとか。人口は約41万人という。

 なお、スロバキアの面積は、北海道の5分の3ほどの4万9千㎢余り、人口は約540
万人余りのよう。

 ブラスチラバは、9世紀頃から長くハンガリー王国の一部で、1541年に当時のハン
ガリー王国の首都ブダがオスマン帝国に攻め落とされ、王位がハンガリー貴族からハプス
ブルク家に継がれるようになった。

 のち首都がここに移され、1563~1830年の間は当地の聖マルティン大聖堂でハ
ンガリー王11人の戴冠式が行われ、マリア・テレジアもその一人。マリア・テレジアは
ブラスチラバ城に好んで居住し、町は18世紀頃大きく発展したという。

 だが私はこのツアーに参加するまで、スロバキアの首都がブラスチラバという名の都市
であることは全く知らなかった。

 スロバキアがチェコスロバキアから分離独立してスロバキア共和国になったのは
1993年1月で、EUに加盟したのは2004年5月だという。


 SNS橋際から北に向かうと、その聖マルティン大聖堂が見えてきた。14世紀初頭に
建てられ、ブラスチラバで最古の教会である。

           
 近くの広場には鉄製の前衛的な彫刻があり、細い通りを抜けた緑地には「BERNOLAK
1762-1813」と記された胸像がある。
     

        
 ANTON BERNOLAKというスロバキアの言語学者でカトリック聖職者でもあり、最初の
スロバキアの標準言語を作った人らしい。

 さらに少し進んで昼食をするレストランに入り、12時45分から13時35分まで魚
料理の昼食を味わう。


 昼食後、若い男性ガイド、マイケルさんの案内で旧市街を回る。カフェテラスの並ぶ通
りを進むと、「モーツアルト」のプレートの掛かった建物がある。

         
 6歳のモーツアルトがこの家の前で演奏したことがあることから「モーツアルトの家」
と呼ばれいるとか。建物は近年までオーストリア大使館だったようだが、現在は移転した
のかオーストリア国旗は掲揚されてなかった。

     
 すぐ近くにはフランツ・リストが幼少の頃過ごしたという建物があり、やはり銅板のプ
レートが掲示されていた。
    

     
 正面に見えるミハエル門に向かって進む。門といっても塔の方が目に付く建物は、旧市
街の城壁に幾つか設けられていた門のうちでただ一つ残る門で、16世紀に現在のような
ルネサンス様式に改築されたらしい。塔の部分は現在、武器博物館になっているという。



 ミハエル門の近くまで進んで右折して、旧市街の中心のフラヴネー(Hlavné)広場に
出た。

 広場の東北側、塔のある建物は旧市庁舎で、現在は市歴史博物館になっているようだ。

     
 広場の中央部には大きな噴水があり、3階建ての建物はフランス大使館だろうか…。


 東側の4階建ての建物には日本大使館があり、日本国旗が掲揚されていた。


 13時55分から14時20分までフリータイムになったので、広場周辺を回る。ブラ
スチラバの町中には、ユニークな像や看板など、ストリートアートが多いのが魅力の一つ
とか。椅子にもたれかかるこの像もその一つ。
    




 広場の片隅には観光用のミニバスが待機していた。建物を囲む中庭が見えたので入って
みた。何の建物か分からないが、小学生くらいの子どもたちが催しを終えたところだった。



 広場の北側には、観光客目当てのテント張りの露店が並んでいる。小さな飾りや民芸品、
絵皿、人形などなどカラフルで、見て回るだけで楽しい。
  

       

     
 東側の日本大使館の建物前にも衛兵のような彫刻がある。大使館の1階のウィンドウに
は、日本語のポスターも掲示されていた。
               

         
 さらに回ると町並みをデザインした椅子や、騎士の彫刻なども見られた。
       

 14時20分に集合して、東南へのリバールスカ・ブラーナ(Rybärsja Bräna)通りに向
かう。Panskä通りとの交差点際には、「下水道の掃除人」と呼ぶブラスチラバで最も人気
のオブジェがある。
    

                 

 西南に真っ直ぐ延びる、フヴィエズドラヴォヴォ(Hviezdoslavovo)広場に出た。通りの
東北端辺りに、スロヴァキア国立劇場(オペラ座)がある。

 ウィーンの建築家の設計により1886年に建設された劇場で、フランツ・リストはこ
の劇場で15回オペラを指揮したという。

 午後は気温が上がり暑いが、この長く延びる公園には広葉樹の街路樹が続くので、その
緑陰を進む。

 ここにも幾つかの彫刻があり、中心部にはこの公園の名のもとになったスロバキアの詩
人 Országh Hviezdoslavの座像がある。
         



         
 アメリカ大使館前を通過した辺りには、動物を抱く少女の像とクリスチャン・アンデル
セン(Christian Andersen)の立像があった。
      

          
 アンデルセンはブラスチラバを訪問したことがあるようで、像にはアンデルセン物語の
主人公も掘られていた。

     
 フヴィエズドラヴォヴォ広場の西南端まで進むと、三位一体像↑が立っている。像は、
伝染病ペスト終息の記念碑らしい。(続く)




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コメント (2)
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