あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

続カタツムリ歩行でJR武蔵野線 三郷駅南部周辺を歩く(埼玉)

2016-06-20 11:10:34 | カタツムリ歩行
 2016年6月19日(日)

 JR武蔵野線沿線を中心に歩いている、「続カタツムリ歩行」の第35回例会に参加し
た。集合は、JR武蔵野線の三郷駅。武蔵野線の埼玉県内の駅では最東端にあり、すぐ東
を江戸川が流れ、対岸は千葉県流山市である。

 近くにお住まいのIさんも参加されたので、一緒に10時01分にスタートした。

 南口から線路沿いに西へ、早稲田小の北側で線路の跨道橋下を抜けて北側の早稲田二丁
目に入る。白壁が新しい日本家屋に「アトリエ風の詩」の看板が掛かる。市の広報などに
も絵が掲載されている地元画家のアトリエらしい。


 その先のマンションの小さな遊び場に、こんな動物が。


 周辺は戸建て住宅地が多いが、近くの高応寺には緑がいっぱい。門前に2種の赤い花が
咲いていた。


         

 高応寺は400年ほど前に建てられ、多くの学者が活躍してきた由緒ある日蓮宗の学門
寺で、ここにあった寺子屋から、近くの早稲田小や前問小へと続いていったという。

 ご住職の酒井菜法(さかいなほう)さんは、がん患者とその家族など、様々な悩みを抱
える地域の方々とお茶を飲みながら語りあう活動をされているようで、毎日新聞などに紹
介された記事のコピーが拝殿前に置かれていた。


 境内の中心、緑に覆われた池にコイが泳ぎ、西側の新しい墓地には、自然葬の為のエリ
アもある。


 県道21号・三郷松伏線を南へ、JR武蔵野線の南に出て、県道29号との交差点の東
にある香取神社へ。社殿は小さいが、壁面を塗り直したのか新しい感じ。


 境内には、お地蔵さんなど10体を越える石像が並び、大広戸公民館が併設されていた。



 県道21号の西側にある桜の古木の多い公園を抜けて、大場川の左岸沿いに出る。対岸
の小さな森に神社があるようで、鳥居が見える。
       


 満々と水をたたえた流れを見ながら進み、次の橋を渡って右岸に回る。早稲田橋に近い
旧道の三差路際に大きな記念碑が立っていた。
     
 昭和10年(1935)3月建立の「二郷半領治水碑」で、事業功労者名には当時の飯
沼県知事など県幹部などの名もあり、県の大規模事業として二郷半領(にごうはんりょう)
の治水事業が行われたことが伺える。

 ちなみに、江戸川と中川に挟まれた三郷市・吉川市の地域を古くは「二郷半領」と呼び、
早場米(はやばまい)の産地だったが、中川低地に位置していたのでたびたび水害に悩ま
された。そのため、戦前・戦後を通じて幾多の灌漑(かんがい)排水事業を行った結果、
良質な穀倉地帯になったという。

 南側、近くの墓地に小さい社が祭られていたので回ってみた。

 阿弥陀堂で、社殿には「早稲田太子講」の木札が掛かり、墓地の隅には7体のお地蔵さ
んを祭る小さい祠(ほこら)もある。真ん中のお地蔵さんは、貞享2年(1685)造立
と刻まれていた。
       

 一帯は茂田井(もたい)集落で、その中心に熊野神社がある。

 創建は、二郷半領の新田開発がかなり進展した万治年間(1592~6)のようで、
『風土記稿』には「熊野社 小名中組の鎮守にして、第六天稲荷の二座を相殿とす」と記
されているという。


 鳥居の近くに日露戦争頃のものだろうか砲弾が二つ立ち、南側は農地で、枝豆畑の向こ
うにビニールハウスが並んでいた。
        

 西北側近くには、小さな社殿の稲荷神社が祭られているが、由緒などは分からない。

 ただ、隣のりっぱな民家と地続きのような感じもあり、その家で氏神として祭ったのか
もしれない。

 神社の前を西進して三郷市第二配水場の南側に回り、更に西進する。道路のマンホール
や排水タンク、南側の三郷北浄水場の建物などには、三郷市のマスコットキャラクターの
「かいちゃん」と「つぶちゃん」が描かれている。
    
 市の鳥・カイツブリをモチーフにしてデザインしたらしい。


 配水場の植え込みにカイヅカイブキがあり、実が付いていた。
  

 地図上、第二配水場の西北西、笹塚バス停近くの三差路際に、同じ2・7mの三角点と
水準点マークがあるので行ってみた。
    
 水準点はマンホールに覆われ、ふたに日本地図が描かれていて分かったが、三角点は見
つからなかった。

 11時40分になったのでゴールに向かうことにして、つくばEXPの三郷中央駅に向
かって延びる広い市道を南進する。



 緑濃くなった水田の向こう、番匠免(ばんしょうめん)運動公園沿いの用水沿いに広葉
樹の長い帯が続く。

 幸房(こうぼう)小の西北端で市道に分かれ、小学校の北側沿いを東進する。戸建て住
宅の間に、田んぼがまだかなり残っていた。



 大場川沿いに走る県道21号に出ると、川向こうにゴールの富足(とみたる)神社の木
々が近づく。神社には12時ちょうどに入った。

 富足神社は、明治43年(1910)3月、早稲田村岩野木と同村幸房の各社を合祀し
て成立したと伝えられるとか。社名は、幸房の福富神社の「富」と岩野木の面足(おもた
る)神社の「足」を組み合わせて富足神社としたようだ。


 拝殿の西側には、水神宮や庚申塔、青面金剛など10数基の石塔や石祠が並んでいる。

        
 江戸後期の1800年代のものが多いが、石祠の左の「申田彦大神」と刻まれた石塔は、
江戸前期の寛文9年(1669)造立のよう。

     
 境内西北端に、市の保存樹木ムクノキが高く枝を広げている。境内東側には水田が広が
り、その向こうに江戸川堤防が望まれる。


  
 手洗い場と社殿右手の水道の蛇口の造りは、他では見られぬもの。
       

 食事を終え記念撮影後のミーティングでは、事務局のDYさんから、上旬に訪れた南フ
ランスの村に7泊して周辺を巡り、出会った人達との交流や、標高1,911mの山に登っ
たことなどが紹介され、13時15分頃散会となる。



 帰路は、東側の江戸川右岸堤防沿いに駅に向かうことにする。近くの水田にサギが立っ
ていた。ダリアの咲く畑もある。



 江戸川堤防に上がると、すぐ下流につくばEXPの鉄橋が望まれ、河川敷には幾つかの
野球グランドが続く。



 大場川が江戸川に流入するところには、大場川上流樋管(ひかん)があった。



 長い管橋は、東京ガスのガス導管専用橋。JR武蔵野線の鉄橋近くには「ふるさと風の
ひろば」と呼ぶサイクリストの休憩所があり、トイレも設けられていた。


 そばの河川敷は「三郷緊急用船着場」。大地震で破損した河川施設や被災した市街地を
復旧するための資機材を運び込んだり、救援物資を運ぶ際の船着場のよう。


 13時43分にJR三郷駅に戻り、13時56分発武蔵野線上り電車で帰路につく。

 ホームのすぐ東側は、江戸川に架かる橋である。

(天気 晴後曇、距離 7㎞、地図(1/2.5万) 流山、歩行地 三郷市、歩数
 12,700)




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