「ご褒美のようなもの」

2011年05月31日 | 出来事 -

仕事関係の懸案事項の結果がでる予定だった今日。
その知らせを密かに待ちながら、気持ちだけは落ち着かず・・・
転居荷物の整理にも疲れ果てていながら、手を止めることができず・・・
ちまちまと・・・夕食後から(ファイル整理を)始めていた時だった。

そんな今日。

私にとって、有り難いことが続いた。
懸案だった仕事の結果が、やっと まとまって前に進めたこと。
荷物の整理をしていたら、思わぬところから お金が出てきたこと。
電話の調子が悪く、ずっと使えなかったのだけれど、やっと開通し、
田舎の叔母などと話せたこと・・・などなど。
いろいろな有難いことが、同時に 押し寄せてきた感じだ。



これまでの私は、過去の仕事のプロジェクトごとに整理をして、
クリアファイルに大事な書類をまとめて保存してきた。
その数は、ものすごい量となっていた。
びっしりと、あらゆる事案のモノが、まとめられている。
仕事がほとんどだが、それ以外のものも、時々あったりもした。


仕事関係で言うなれば・・・
過去の仕事のやり方と、現在とは随分と変わってしまったので、
あまり参考になる資料はない・・・。
現在は、そのファイル一つ一つをチェックして、書類の殆どを
捨てる作業に入っている。
ふくれあがったクリアファイルから、抜き出すのは「連絡先」と、
「収支表」ぐらいで、あとは全部の紙(書類)を捨てることにした。
過程の作業は、もう私の身体と頭の中に「経験」として残っている。


今夜・・・
そのチェックしていたクリアファイルの中から「タイマイ金」が
見つかったのだ。
過去に二度ほど、そういうことはあったが、今日のは「17万円」。
自分で吃驚してしまい、目の前の“ピン札”に、胸がドキドキした。
そのクリアファイルにまとめられていたのは、父の葬儀関係の書類。
当時の担当医から、治療の詳細、請求書、葬儀関係の書類全般を、
ひとまとめにしていたファイルだった。
その中には、田舎から当地にお呼びした父の兄弟・姉妹の航空券から、
思い出したくない(見たくなかった)書類まで、きっちりとあって、
時間がタイムスリップしたような感じだった。
今だから見られる書類ばかりだった。
その中に、諸費用の残金が、手つかずのまま封筒に入って残っていた。
1万円のピン札が、17枚。

一つ一つをチェックしていなければ、この17万円はゴミ箱に入り、
(知らない内に)焼却炉で焼かれていたことだろう。
不思議なものだ。


貧乏性のような、私の慎重な性格からの行為が、一つ一つを確認させ、
こうして吃驚するような「ご褒美のようなもの」を与えてもらった。
結局は、自分のお金だけれど・・・ “忘れ去られていたお金”なので、
何故か「突然ふってわいた予想外のご褒美のようなもの」みたいな感覚だ。




今日は、公私・共に、夕方から・・・ 嬉しい出来事に出合い ・・・
なんとなく気分が良い感じだ。

身体は疲れているのに、気持ちは “ゆらゆらと揺らいでいる状態” だ。

最近、思い切り大声で笑ったり、やりたいことをやったりしていないので、
久しぶりにジェットコースターのような一日だったように思う。

気持ちの浮き沈みは、単純なことに作用され、多様な事に影響を受ける。
それでも、私の生活は、日々、少しずつでも 「前進している」と 思いたい。



集合住宅の「生活音」

2011年05月30日 | 雑感 -

昨日は、ずっと雨が降り続いて・・・肌寒く・・・
洗濯モノが乾かなかった。
部屋の整理も、あまりはかどらなかった。

台風が上陸していたのだ。

台風2号は、昨日の午後に、本州の南海上を通過して、
四国沖で温帯低気圧に変わったみたいだ。
今朝は、どんよりとしたお天気ながら、雨はあがっている。



集合住宅に越してきた私は、上階や隣の家の気配を感じながら、
日々、生きているようなものだ。
マンション暮らしは何度も経験しているが、思い起こせば・・・
上階に「人が住んでいる環境で暮らしたことがない」ために、
つい意識をしてしまうようだ。
まだ、こういう集合住宅の環境に、慣れていないのだ。
同様に、引っ越し前に住んでいた一軒家のお隣さんが問題のある
家族だったので、なんとなく過剰に意識するようにもなって、
現在の私自身が過敏になっているのかもしれない・・・とも思う。

それに、あらんことか・・・気になる上階には・・・
30代後半のご夫婦2人と、小さなお子様を含めた3人が、
一緒に(合計5人で)暮らしているようで・・・・
私の部屋と同じ広さに、5人とは「狭いかも」と思ったりする。
しかし、子供が小さい頃は「何をしているのか」が手に取るように
分かるので、それはそれで教育上、良いのかもしれない。
昔の高度成長期の日本人の暮らしのようで、和めるのは事実。
しかし、小さな子供の活動時間は、非常に気になるのも事実である。


過日、上階に“引っ越しのご挨拶”に伺った際には、家族全員が
玄関に押し寄せてきて、それは それで 「壮観な家族像」だった。
全員が風呂上がりでパジャマ姿だったのも、好感を増した要因だ。
奥様が「ウチは、小さな子供が多くて、うるさいと思いますけど、
すみません。よろしくお願いします」と、満面の笑みで・・・
ご主人は、真後ろで、ニコニコと笑っていた。
子供たちは、折り重なるようにして、ご両親の周りを取り囲み、
誰に教わったか・・・声を発して、私に頭を下げる(笑)。
あんなにかわいい家族像を見せられたら、「うるさ~い~!」と
思っていた気持ちが、やわらいでいった・・・。

「なんて、きゃわいいんだぁ、バカヤロウーゥ!」
羨ましさや、微笑ましさが、一緒になって、幸せを分けてもらえた
・・・そんな感覚だった。



しかし、昨日・・・
日曜日の“雨の日”は、家(部屋)が遊び場になることを痛感!
自分も部屋にいたので、存分に体感できた。
台風2号も何のその・・・・子供たちの元気さは、ある意味で
心地の良い「生活音」になりつつある。
朝と夜の活動時間が、だんだんとわかるようになり、子供たちが
あばれる時間帯と、その光景が・・・音から想像できるようになった。
一人っ子の私は、兄弟・姉妹が、ずっとほしかったけれど、
少子化の昨今、3人の出産は大変だっただろうと思うし、
これからも大変だろうと思う。
ただ、それに劣らぬ「シアワセを手にしている」とも感じるので、
「伸びやかに育ててほしい」と、心から願う。
良い人そうなご両親だからこそ、私は「うるさい音」がしたら、
あの笑顔を思い浮かべるようにしようと思っている。



貴重な「過去の記録」

2011年05月29日 | 自分 -


過去の荷物の整理をしていると、懐かしい「写真」に出くわす。
そこには、若かりし頃の私が、笑顔で写っている。
あるいは、この目に刻んだ風景や、一瞬の一コマが記録されている。

中には、旅行した写真をアルバムにして、自分でひとことコメントを
手書きで記していたり、一緒に行った人の自筆コメントも (頼んで)
時々書きこんであったりして、マメな「懐かしい手作りアルバム」がある。

一人旅のものは特に、印象に残った光景や、風景の一部を切り取って、
写真だけの構成になっているが、そこに自分独自の感想コメントが残っている。
日程ごとに、訪れたごとに、撮影した写真は折り重なるように貼られていて、
“この教会では、こういう人に会って、こういう想いになった”・・・とか、
“裏道の路地が風情があった”・・・とか、その時々の「旅」が記されている。

「良いなぁ・・・」 と、思う。


久しぶりに、これらの写真を通して、当時の光景が思い出される。
あの日、あの宿で食べた食事のメニュー・・・・忘れていた“雰囲気”さえも、
たった一枚の写真が「あの日 & あの夜」に戻してくれるようだ。
それぞれに、書き込まれたコメントには、その時に感じた感情が・・・。

「とても、貴重なものだ」 と・・・今だからこそ感じた。




今回、多くのVHSテープを変換することなく、消却してしまった。
ほんの数本のみを残して、すべて捨ててしまったのだ。
そうすることによって、私の過去や記録は、無くなってしまう・・・。
当時、心が揺さぶられていた動画の数々が、・・・である。

なんとなく、考えさせられた。


写真も、動画も、現在は“データ”で管理しているが・・・、
たとえば写真だとしたら、プリントしないで、データのまま保存したまま、
いつか(今回のように)全てを捨ててしまったら・・・それまでである。
「ゴミ箱に捨てる」だけで、貴重な思い出のデータは、消失してしまうのだ。
あるいは、データが電気機器の何らかのトラブルで、(自分の操作以外で)
無くなってしまう場合もなくはない。 
そうすると、データは、同じく、消失してしまうことになる。


写真をプリントして残しておくことや、それらを自分の中でアルバムにして
保存しておくこととでは、大きな違いがあるように思う。

データであれば、いろいろな利用の仕方があるだけで・・・
やはり写真は、数多く撮影しても、選んだ数枚はプリントして、
自分の形あるものとして「アルバムの中に残しておく」ことの大切さ――。



たとえ規格体系が変わったとしても、写真を「紙で残しておく」ことは、
“永遠に、自分の手元に残される” ことになる。
「見たい時に、見ることができる気楽さ」を、手にすることができるのだ。



昔の私のマメな行動は、私の過去を懐かしく思い起こさせてくれた。
写真は、若く、生き生きとした笑顔や変顔と一緒に、時間を戻してくれる。
一瞬にして、“当時”を思い出させてくれた。
こういうアルバムは、きっと、もっともっと私が年を重ねて、
両手に余りある時間ができた時、初めて より貴重な財産となるのだろう。
今でさえ、つい見入ってしまうほどの「懐かしさ」があったのだから、
もっと時間が過ぎたら、すごい感覚と感慨と憧憬を与えてくれそうだ。
まるで「タイムマシンのように・・・」。

撮影した写真をプリントして、ファイルしておくことの大切さを、改めて
感じることになった今回・・・・
少しずつ、「アルバム化していこう」と思ってしまった。
記憶から遠くなってしまう細やかなことさえ、写真は記録してくれている。
撮影して、安心してしまわないで・・・やはり、「プリントするところまで、
ちゃんとやり遂げて、残しておこう」 と、しみじみと感じた次第である。


「枕の高さ」に微妙な違い

2011年05月27日 | 雑感 -

体調が回復しない。

昨日は、打ち合わせがあったので、前日まで書類作りにいそしみ、
それも急な依頼にも対処しなければならなかったので、無理をした。
そして、精力をつけようと、豚肉を久しぶりに摂取したが、
返って(過剰労働に)内臓がびっくりしたのだろうか・・・。


昨日の場所は、浜松町界隈。

停泊した「屋形船」の風情に気をとられつつも、なんとなく肌寒く、
また蒸したような“すっきりとしない天気”に、一日まどわされた。
薄着すぎたかもしれない。
なんでもない気温の変化が、今の私には敏感にわかるようになり、
やはり東京の空気の悪さは(こういう時こそ)快適性が感じられない。


今朝は、5時前に目覚めて(いつもより1時間早い)・・・
「鼻炎」や「せき」、「呼吸困難(鼻づまり)」に苦しめられた。
ずっと風邪薬を飲んでいなかったのは、この状態が「風邪」なのかも
わからなかったからだが・・・
今日は、さすがに・・・連日の「くしゃみ」と「鼻水」に追加して、
「せき」「悪寒」が自覚されたので、「葛根湯ドリンク剤」を服用した。
のどのイガイガや、口中の“のどちんこ”の上の辺りがざらざらとして、
モノを飲み込む際の不快感がある。

今は、「風邪だぁ」・・・という確信のようなもの・・・がある。



疲れがとれない要因を分析したところ・・・
「枕の高さ」に到達してしまい、これが・・・かなり現実感がある。
これまでの羽毛(やわらか系)から、そばがら(かため系)に変えて、
最初は「良い感じだ」と、身が引き締まる感覚だったのだが・・・
日毎に、目覚めた時に「首の後ろにコリを感じる」ようになってきた。
枕が硬すぎて、高すぎるのかもしれない。
それで、快適な睡眠がとれず、疲れもとれず、不快感や違和感が
残ったまま目覚めてしまうのだ。

枕の高さと硬さは、睡眠に影響を与える。
自分にあった快適な状態を、探さなければ・・・と、思ってしまった。

とりあえず「枕」を前のやわらか系に戻し、これからの数日は可能な限り、
身体を休めたいと思う。
悪くなる前に、とにかく、内臓と肉体を休ませてあげよう。
かわいい我が身体は、誰も守ってくれない。
私しか、いないのだから・・・。


古い電気回線に注意を!

2011年05月26日 | 出来事 -

このご時世では、多くの家でパソコンを利用しているのではないかと
勝手に予想しているけれど、「タコあし回線から出火して、大火事」と
なってしまった事件が勃発して・・・
数年前の「旧宅での出来事」を、ふいに思い出した。

在宅時で、不幸中の幸いだったけれど・・・
電気回線(コンセント)が、いきなり火をふいたのだ。
まるで、花火のようだった・・・。

すぐに電気専門業者を呼んで、修復してもらったが、
古くなった電気回線は「こういうことがあるんですよ」と言われ、
びっくりしてしまった。
家をつくって20年以上、電気回線を同じように使っているのは、
危険性が高いことになるようだ。
定期的にメンテナンスをする必要があるらしい。
摩耗した電気回線は、突然、コンセント部分から出火するそうだ。
「火事にならなくて、よかったですね」
業者さんからは、そう言われた。
引っ越しをして、1年後ぐらいのことだった。


私が、勝手に想像するに・・・
「ずっと長時間使い続けている状態は、さらに危険だ」と思う。
パソコン、電気毛布、エアコン、冷蔵庫・・・・
こういう電気機器は、季節的なものもあるが、稼働を長時間にわたって
することが多い。
酷使された電気回線や、コンセント、接続機器、などは、ある時に突然、
パンクしてしまうのだろう。

また、「多量の電力量で、長時間使い続けている状態も危険だ」と思う。
たとえば、オーブン&レンジ、エアコン、など・・・。


我が旧宅は、建設してから28年が経過していた。
その間、何も補修工事をしていなかったそうで、
コンセント部分を見るだけで、業者さんにはそれが分かったようだった。
火をふいたのは、父が24時間近く電源を入れていた電気毛布部分の回線。
ベッドわきに隠れていなくて、火がすぐに確認することができた。
私も一緒にいたので、父と一緒に「あれ~」「何、これ~~」と、
二人でビックリしてしまい、雄叫びをあげたものだった。

使い続けているタコあし回線コンセントも、常時電源を入れているのなら、
5年ぐらいで買い替えたり、電気回線の状態をチェックするなどの注意が
必要だと思った。

人がいれば、多少の出火も問題なく対処できるが・・・
気がつかないところで、何かがあったら、本当にどうしようもない。

パソコンも、使っていないものは、こまめに電源を落とすことや、
コンセントからジャックをはずすことも、節電を考えると良いことだと思う。
今夏は、このことにも、努めて気をつけてトライしたい。



季節はずれの「風邪」

2011年05月25日 | 出来事 -

今日は、美しい朝陽とお目にかかったが・・・
しばらく寒い日が続き、天からは雨がそぼ降る毎日だった。
昨夜は寝付くのに時間がかかるほど、身体が冷えていた。
その前の友人との電話では、ずるずるとハナミズをすする声で、
電話回線を超えて、友人が(私の風邪を)心配をしてくれた程だった。

このところの不安定な天候と、スケジュールで、
完全に「免疫力が低下している」ようで、なかなか元気がでない。
部屋のかたずけも、まだまだ時間がかかりそうだ。


岩手県陸前高田市の避難所(480人)では、インフルエンザが確認され、
患者とその家族が避難所内の隔離室に移されたというニュースを聴いた。
気力&体力が、低下している被災者の皆さんが多いのだろう。
それは当然のことで、私ごときでも、数日間にわたって万全な体調に
もどることがないのに、プライバシーのない避難所生活だ。
たとえコミュニティとして成立していても、疲労が蓄積していくような・・・
環境かもしれないとは、容易に想像できる。

インフルエンザは、通常12月頃のイメージだが・・・
こんな季節に発病するなんて、どう考えても「免疫力が低下している」。

最近、自分の身体をもって、長引く「体調回復の難しさ」を感じていたので、
とても理解できる現象だ。

マスク着用&消毒液利用、頻繁なる手洗いに、充分なる睡眠・・・
そして、バランスの良い食事に・・・
何と言っても、「安心できる生活環境の確保」である。


このところ、「原発」の相次く「メルトダウン」情報が続き、
不安をかきたてられている。
収束は本当に可能なのか・・・と、綱渡りの状態の「原発」に
日本国内の脅威は、とどまるところを知らない。
“危険な状態が、いつまで続くのか” と、情報を頭にいれるたびに
安心感と信頼感が薄れていくようだ。



私も、新生活スタートの仕組み構築に、まだ時間がかかりそうだ。
毎日の中で、優先順位をつけながら、ゆったりと物事に取り組むように!
頑張りすぎず、時間を厳守しすぎず、気持ちだけが先走らないように、
日々の生活に「潤い」と「余裕」を精神的に持つように努力しよう・・・
と、思っている。


「朝陽」の神々しさ

2011年05月22日 | 自分 -

私が、この部屋(新居)を快適に思う要因の一つに、
朝のリフレッシュタイムがある。

世田谷区でありながら、自然が豊かなこの場所には、
多くの鳥たちの鳴き声が、こだましている。

早朝の4時半ごろに目覚めたら、5時半ごろまでには、
まるで絵画のような素敵な位置に「朝陽」がのぼり・・・
その光景を、清浄な空気と共に、眺めることができる。



朝陽から受けるエネルギーは、はかりしれない。
地球が呼吸をはじめ、その光を浴びた植物たちが反応して、
光合成をはじめる時間帯だ。
まさに、この星の息吹と、一日のはじまりを感じる。


人は、「太陽」~特に「朝陽を浴びると健康になる」と
言われている。
様々なエネルギーを享受できるからだ。
そのために、午前中の太陽は、本当に特別なのだ。



目の前には、大きな緑のこずえが風にたなびき、
その少し上に「朝陽」がゆっくりと のぼっていく。
あったかい飲み物を手にして、ベランダで過ごす時間は、
至極の“我がリフレッシュタイム”となった。

  ただし、6時半頃には家から追い出されたホタル族が
  朝にも出没して、煙草の匂いが蔓延してくる。
  また、7時以降には、朝ごはんのおかずの匂いが・・・
  特に煮物系の醤油の香りが立ち込める(笑)。


あせることなく、夜型人間から、朝型人間に変えて、
少しずつ運動をして、精神衛生上に考慮した生活設計を
構築していきたいと思うようになった。

今朝の太陽にも、「ありがとう」と言いたい。



旧宅への感謝の気持ち

2011年05月21日 | 出来事 -

旧宅の一軒家の掃除を、やっとの思いで終えた。

家庭用洗剤を使って、家中の汚れを(歯ブラシで)落として、
使わないであろう家具や小物類、衣類、靴、雑貨などを処分した。

もう壊れてしまっていた旧式のプリンターなども見つかり、
大きな家には収納スペースがあることが、このような怠慢を
引き起こしていたのだろうと感じた。
「後で捨てよう」と思い、捨てられていなかった。

本の量は莫大で、分別するのも大変なぐらいの数時間を要した。
最初はかなり残すものを選んでいたが、結局は全ての貴重な本を
再利用のゴミとして出すことを決心。
絵画の図録や、海外の舞台パンフレットは、最後まで悩んだが・・・
潔く、本当に、全てを、捨てた・・・。


使っていなかった旧式のパソコンや、携帯ラジオ、ラジカセ、
CDラジカセデッキなどは、いくつか大型から小型まであったので、
新宅の段ボールからカセットテープ(ナツメロ)を持参して、
旧宅から(ラジカセ等と一緒に)東北地方へ宅配便で送った。
近くの市役所では、すでに救援物資は受け付けていなかったが、
ツイッターでチェックすると、現地ではまだまだ物資を受け付けて
いるようだったので、今回は岩手県一関市に送った。
保存用に置いていた水や米、乾麺、海苔、缶ズメなどの食品類、
野外キャンプで残った紙コップやプラスチックコップ、懐中電灯等が、
たくさん見つかったことで、かなりの量になってしまった。
また、新宅からは、使用していない小物やカバンや衣類なども運んで、
詰め込んで来た大型バックもそのまま「支援物資」として一緒に送った。
気がつかないうちに、本当に似たような物品がたまっていたから。
私自身は、一つだけあれば、生活に支障はない。

これからは、新宅の段ボールの整理が残っているが・・・
夏物の衣類などは再度、どっさりと東北地方に送ろうと思っている。
父が使うために残していた夏物浴衣や靴下、自分の夏物衣類・浴衣も、
これからの暑い夏を乗り切るためには必要だと思う。
タンクトップや下着類など、買っておきながら手を通していない・・・
そんなものもたくさんあるので、そういう生活意識はもう変えたい。
できるだけシンプルにしたいし、身の周りのモノも、できる限り、
少なくしたいので、東北地方の方に使っていただければ何より有り難い。

  以前に(火事で)身一つで焼け出された時に、私も多くの支援物資を頂き、
  非常に有り難かったが・・・・、白シャツに昔風にペンで書かれた名字を
  見ると、今も(当時)「物資」を頂いた“その人”を思い出してしまう。
  そういうものは、結局、使わないのだけれど捨てられなかった。
  なんというか「使う&使わない」という価値基準での選別ではないのだ。
  私にとっては、“思い出の品”ということになる。



旧宅の整理を終えてみて・・・
今、この胸にあるのは、「名残惜しさ」と、「解放感」である。
旧宅での近隣の皆さんには、非常にお世話になった。
本当に「私は、この場所で、多くの人に仲良くして頂いていた」と
痛感する日々が続き、少しばかり感傷的になってしまった。
思い出が、たくさんある。
父と暮らした日々を、ともに過ごした人々だ。
一人で、荷物の整理をしていると、誰彼となくあがりこんできて、
勝手に「換気扇のべたべた汚れだけだから」「ちょっとだけ」と
言い訳のように話して、掃除していってくれた。
ある人は、冷たいシャーベットを持参してくれ、「休んだら?」と
声をかけてくれる。
「大変そうな顔をしているよ。疲れているように見えるわ」と、
身体を気遣ってくれる。
ある人は、「また飲みたいから、家に遊びにきて」と誘われた。
「パーティをしようよ」「一緒に、ゆっくりと飲みたいんだけど」と、
私がはじめた習慣が すっかりと根付いたようだった。
新しく引っ越ししてきた人は、「今後は我家のリビングで休んで
いってくださいなぁ」と、優しく声をかけてくださる。
「なんなら、一部屋空いているから、泊ってくれても・・・」とは、
なんとビックリする言葉だろう。
交流できなかったことが残念だったし、お仕事が介護ヘルパーなので、
いろいろな雑談を踏まえて、私と話したいそうだ。
近隣情報や、過去情報も、密かに知りたいのかもしれないが・・・
気さくで、明るい、新住人さんだ。



私は「この場所で、こんなに濃密に暮らしていたのか」と嬉しくなり・・・
最後に、一階の床をぞうきんで拭いている時に、少しばかり・・・
こみあげてくるものがあった。
これまでの数年間がよみがえって、まさに「この場所に父のベッドが
あったのだ・・・」とか、本当に走馬灯のように思い出されて・・・
なつかしさと一緒に「名残惜しい気持ちも芽生えてきた」。

しかし、「今・・・私は、こうして当地を離れることがベターなのだ」と
あらためて感じることもあり、これからの生活をつくりあげていくために
必要な行程だと思えば、「希望」・「解放感」・「新生活」・「期待」という
前向きな文字が浮かんでくる。
引っ越しを思いとどまらせていたのは、いろいろなことに対する・・・
私の執着心かもしれないとも感じたし・・・、やはりこれで良かったのだ。



身体は、いたるところが筋肉痛で、数日間にわたって、時間を割いて
完璧を目指した「この家への感謝の気持ち」を、行動で示し尽くした。
そういう意味では、満足感でいっぱいだ。

あとは、粗大ごみや分別ゴミを捨てるため、二度ぐらい出かけたら、
全てが完了となる。

本当の「おつかれ~さ~~ん!」は、その時だろう。



湯舟に入る「気持ちよさ」

2011年05月16日 | 自分 -

こんな大好きだったことを、私はすっかりと忘れていた。
だから、「疲れ」がたまって、「ストレス」もたまって、
日々の生活にも、多少なりとも影響しているのではないかと、
感じた・・・。

父の介護をはじめて、お風呂が大好きだった私たち親子は、
銭湯や健康ランドに頻繁に出かけ、また温泉にもよく出かけた。
昔、両親を家族旅行に誘ったのも、温泉めぐりばかりだった。


父と暮らすようになって、最初の頃は、まだよかった。
オートロックの開閉に苦慮したけれど、父はまだ元気な頃で、
お風呂の用意をして、帰宅する私を待っていてくれた。
自分はさっさと入った後で、「早く入れ、ぬるくなるぞ」と、
良くせかされたものだ。
それが、心地よく思い出される。



しかし、次に引っ越しをした一軒家は広かったけれど、
お風呂は狭かったし、浴槽が四角くて深いので、
足の悪い父は、そこで転んでからというもの・・・
洗髪はシャンプー台でしても、入浴して浴槽につからなくなった。
あんなに大好きなお風呂なのに・・・。
父は、とても正直だった。
時々、出かけるデイケアサービスで、足を延ばして、
ゆっくりとお風呂に入り、介助してくれるので安心だから、
本人は、余計に家のお風呂から遠ざかっていった。

時には、強く誘って、お風呂に入ってもらったけれど、
なかなかプロのようにはいかないし・・・
身体の大きい父を、抱えるのはひと仕事だった。


その頃からだったと思う。
お風呂やサウナ好きの私が、浴槽に入らなくなった。
気分が乗らなくて、いつもシャワーで済ませて、
父のいない時も、何故か入らなかった。
車があったから、健康ランドにもいけたのに・・・
決して、一人では行けなかった。
そうしている内に、湯船からは遠ざかっていったのだった。


あの浴槽には、父を転ばせたり、後頭部を殴打したりさせた
経験があって、それが潜在意識の中に残っていたのだと思う。



このたび、家を変わって、新しくて、広いお風呂を見て、
正直、私は嬉しかった。
洗い場も広いし、浴槽は浅くて、足を延ばせるほど大きいから、
きっと父が入っても、快適だっただろう。


久しぶりに、浴槽にゆっくりを、この身を沈めたら、
数日続いていた頭痛がなくなっていくような気がした・・・。
やっぱり、「疲れ」か、「ストレス」か・・・。
どちらにしても、新品だし、とても快適な湯船だったから、
本当にシアワセだった。

おそらく、私自身は・・・・
6年ぶりぐらいに経験する気持ちよさだったと思う。
やっぱり、浴槽につかるのは、最高だ。



東北の被災している方々にも、足を延ばして、ゆっくりと
浴槽につかってほしいと思ってしまったし・・・
父にも(新居のお風呂に)入ってほしかったなぁ~と、
願いのような気持ちが、心に浮かんできた。
きっと、めいっぱいの笑顔で喜んだだろう・・・と、思う。


切羽詰まった「今日」

2011年05月15日 | 出来事 -

家の中が、段ボールに包まれてきた。

12日は、雨の中、仕事にでかけ、立ちっぱなしで疲れて、
その後「打ち上げ会」で夜中まで騒ぎ・・・
13日は、近所の皆さんとの「お別れ会」が続き・・・
飲めないお酒を飲んで、私の肝臓がびっくりしたようだ。

翌日の14日は、疲れがとれず、動けなかった。
もうやらなくちゃ・・・「いよいよだ」と思いつつも、
心と身体が、折り合いがつかず、荷づくりの成果がでない。

たとえば・・・
荷物を減らすために「新しい服」などを差し上げると、
お礼にと言われ、また別のモノを贈られる。
「えぇ~」という驚きと一緒に、「どうしよう」と
また(捨てられない)荷物が増えていく。

冷蔵庫を早めに空けようと考えて食事を組んでいたのに、
パーティのつながりや、お土産が続き、冷蔵庫に料理が増えて、
私自身は食べ過ぎのため、体調が万全でなくなってしまった。
人の心遣いだからこそ・・・どうしても、むげにはできず、
しかし、そのために、段ボールが増えていかない。
その繰り返しだ。

持っているモノを選別して、荷物を捨てながら、
同時に、段ボールに詰めていくには、限界がありそうだ。
「どうしよう」と悩んでいるうちに、時間が過ぎて、
おそらく引っ越しの当日がきそうな感じだ。

GW中に少しずつ整理はしていたが、やはり
休みが終わると、あっという間に仕事が続けて入り、
精神的に落ち着きがなく、困ってしまった。
そして、ついに、余裕がなくなってきた。

私は、一つや二つの別のことを同時にやり遂げるには、
相当無理があるのかもしれない。
若い頃とは違う負荷が、自分にかかっているのを感じる。


今日一日だけが、勝負日になった。
ある程度までやって、あとは限界があるので、
とにかく「詰め込む」ことにしようと思う。
しかし、体調がしばらくの間、ずっと万全ではなく、
なんとなく前向きさがなくて、力が入らない・・・。
頭も痛くて、なんだか身体がずっとだるいのだ。

凄い数の貴重なVHSテープは、二箱捨て去ったが、
もう一箱残っている。
どうしても残しておきたいテープが2本だけあるので、
ばっさりとできないのが、もどかしい。


「粗大ごみ」も、「小物金属」も、同じ日に収集される。
一人では運び出せない大型家具がたくさんあって、
また人のお力を借りなければならない。
仲が良くても、何度も何度も頼みごとばかりで
申し訳なくもあり、いろいろと大変だ。

どんどんと、目に見えないプレッシャーが押し寄せてくる。


エアコンもお引っ越し!

2011年05月11日 | 出来事 -

今日、我が家のエアコンが、近隣のTさん宅にもらわれていく。
私が、広い部屋用に買ったリビングダイニングのエアコンだ。
しとしと細い雨が降っているが、移転工事には支障がないのだろうか。
 
最近、Tさん宅とは、お付き合いが深まった。
いろいろと立ち話をする機会も増え、お互いの家を行き来したりして、
当地を離れることが残念に思えるぐらいである。
先日も、Tさんの故郷新潟土産の「笹餅」や「山菜を似た煮物」を、
もってきてくださったりした。
一人っこの娘さんが中学生になり、「子供の話をきいてほしい」と
個人的に頼まれたり・・・・いろいろだ。
ひとえに、このご時世で、派遣社員として働いていた奥さんが、
契約解除されたようで・・・・時間が増えたことにも起因する。
また、彼らの両親にも環境の変化があり、世話や介護ということが
身近にもなってきたらしく、これからがいろいろと大変みたいだ。
私が経験してきたことについての話を聞きたいようで、何かと気軽に
我が家にも来訪するようになってきていた。

以前に一緒に遊んでいた高齢者の皆さんとは違って、Tさん夫婦は若く、
働き盛りだったので、本当に「自宅でのパーティ」を主催した時だけ
ワインを飲んでは盛り上がるぐらいの付き合い度合いだった。
時間が経過すると、家族の姿も、人間関係も変わってきて、本当に
私自身も一緒に成長してきたような気分だ。
最初の自宅パーティでは、階段を登ったり下がったりしながら遊び、
こたつ布団を汚した三人の子供たちが、今は本当に大きく成長した。
たった6年という年月は、子供にとっては長い時間だろう。


過日は、以前近隣に住んでいた90歳過ぎのおばあちゃんにも会った。
私が車を出して、ご飯を食べに行っていたメンバーの一人だ。
おばあちゃんが引っ越しをしてから、一度転居先に遊びに行ったが、
それ以来か、道端で何度か会ったか・・・とにかく、久しぶりだ。
お医者さんは変えられないようで、時々駅前まで来る機会を利用して、
今回はお顔だけを見に行って、「転居報告」をしてきた。
彼女は、少しだけ老けたようだが、それでも「若い」。
びっくりするような若さだ。
しっかりとした足取りと、ちゃんとした言葉使い。 耳も遠くない。
「私の103歳の義理の姉が、最近調子が悪いんですよ~」とは、
また、驚くようなお話である。


仕事も、ほどほどにしながら、「お引っ越し準備」も進んでいる。
もう一週間を切ってしまったから、そろそろ本腰を入れる時期だ。
家中のモノが散乱している「この状態」を、整理しなければ・・・。
リサイクルしたり、手続きに時間がかかったり、処分を依頼したり、
仕事はたくさ~んある。
簡素で「身の丈にあった生活を!」ということは、必要のない荷物を
手放すということにも当てはまるので、細かい悩みが尽きない。
なんとなく、身の引き締まる気分である。


「愛」と「幸福」の関係

2011年05月07日 | 言葉 -

愛されることは幸福ではない。

愛することこそ幸福だ。

                < by  ヘルマン・ヘッセ (作家) >



「愛」のカタチにも、いろいろなケースがありますし、
「幸福」にも、いろいろな定義があると思います。

そして、人々の価値観も、様々だと感じます。

ヘルマン・ヘッセの“これ”は、あまりにも有名です。
解釈も、いろいろとありそうですが・・・
今、あらためて心に刻みたい言葉の一つとなっています。



震災ボランティア活動

2011年05月06日 | 社会 -
今回の連休中に、たくさんの人々が、自発的に東北の被災地へ出向き、
各地で「災害ボランティア活動」に参加している。
実際、そのことにより、思わぬ食い違いや、トラブルもあったようだが、
それ以上に、ボランティアに関わった人々の貢献度が注目されている。

災害ボランティアは、教育的な “特別な研修” などが必要ないために、
その活動はボランティアの初心者向けとして身近であり、貢献度も高い。
たった1日や2日の短期間でも、その活動は役に立てることが多いから、
現地でのコーディネート機関と出会えれば、必ず役割は果たせるのだ。



そもそも思い返してみると、ボランティア活動が日本に根付いたのは、
阪神・淡路大震災や日本海重油流出事故ぐらいからだったと思う。
そして、いまや、常識となりつつあるのではないかとも感じている。

ボランティア活動では、自分が経験する出会いや気づき、思いつきや、
自己のこだわりなどから、活動が始まることが多いと聞く。
最初は、単なる「好奇心」でも、仲間ができ、自己存在意義が確認でき、
意外とやってみると楽しいので、深く入り込んでいくものだったりする。

もちろん、活動そのものに自分自身があわなくて、モチベーションを
落していく人もいないわけではないが・・・
元来、ボランティア活動は、「自分でやりたくて、やるもの」だから、
どうしても「しなくてはならない」というスタンスのものではない。

しかも、この活動は、他人の意見に従う必要はなく、自己の意思により
(公序良俗に違反しない限り) “何をしてもよい”のである。
活動の責任や、活動の結果もまた、自分が負わなければならないが・・・
職場や年齢、居住地域や国籍を超え、“夢や希望を共有できる仲間”と
出会える確率が高いのも事実である。

そして、現場では、感動、怒り、連帯感、充実感・・・そういう感情が、
複雑に入り組んだ状態で、作業が進んでいく。
日頃、経験できない感覚との出会いが、自分に“気づき”を与えてくれる。
災害ボランティア活動は、人としての学びの要素が、非常に多い現場だ。



今回の東日本大震災のように、災害が起こった時に、とても重要なことは、
フットワークのよさではないかと思う。
とにかく、「頼まれたわけではないが、出かけてみる」「役にたてなかったら、
帰ればよい」という柔軟な姿勢で、即効的に行動を起こしてくれた人が、実は・・・
大きな役割を果たしてくれたようである。



一般的に、ボランティア活動に参加すると・・・・
人々は “他人を感動させる行動” に接して、自分の心が洗われるため、
自分と自分を取り巻く環境に対する意識にも変化をもたらすことが多い。
それは、清浄な心から発した行動だからこそ、経験できることなのだ。
要するに、心が洗われる経験を数多く出来た人が、他人を信頼できたり、
物事を肯定的にとらえることができるようになるのだろうと思う。

とにかく、フットワーク良く、被災地に向かって、活動をした人は、
自分の周りの状況を、鮮烈に、より躍動的に、受け止められた人で、
そういう姿勢の持ち主だということだ。
社会の問題を、より切実に自分の問題として対峙できるということは、
その人の「心」や「想い」が“外側に開いている”ということだろう。
だから、行動を起こせるのだと、私は思う。



どんな人でも、行動を起こせば・・・・自分が変われる可能性があり、
同時に、社会も変わる!
義援金をおくることもそうだし、ボランティア活動に参加することも
そうだと思う。 社会支援を呼び掛けることも、そうだと思う。
すべて、一つの「行動」なのだ。
その人のボランティア活動は、たとえささやかでも、前進することが
できるから、とても素晴らしいことだ。
それは、美しく、貴重な行動であり、大きな社会貢献と言えるだろう。


1日でも2日でも、結果はその人次第の態度によって残すことができ、
被災地では今後も継続的にボランティア活動をしてくれる人を求めて
いることだろう。
連休中の皆さんだけでなく、これからもまた、可能な時に、身軽に
現地に出向けられるように、前向きに考えられると、より素晴らしい。
出かけられた多くの方々に敬意を表しながら、得たものが多いことを
願わずにいられない。
日本国民の一人として、本当に有り難く思う。



免疫力を備えた身体

2011年05月05日 | 食事 -

ずいぶん前のことだが、「なめらかプリン」がブームだった頃、
プレゼントに頂いた「なめらかプリン」を食べた日の深夜・・・・
突然・・・私は、ものすごい激痛と、吐き気、腹下しに襲われて、
数時間は我慢していたものの、夜中に意識が遠のきそうになって、
結局・・・朝の4時ごろに救急車で運ばれて、5日間の入院をした。


原因は、賞味期限がきれていたプリンを、「もったいない」からと
持ってきて下さった方を信じて、食べてしまったこと――。

某社の「なめらかプリン」は、その日に食べるようになっているが、
持参してくれた人は「一日の賞味期限」とは想像しなかったようで、
すでに2~3日経過しており、私はその被害にあってしまったのだ。
その人も貰ったそうで、何日経過していたのかは定かではないが・・・
その日、私が食べた時の味は、気持ち悪い感じはなかったので、
最悪の事態になってしまった。
卵は、本当に、こういうときは怖い食べ物になる。

食品に明記されていなくても、どうにかして・・・
食べる前に、賞味期限か製造日を確認しなければいけなかった と
後になって後悔したが、「後の祭り」だった。


しかし、同じ日に、同じものを食べた「もう一人の女性」は無事で、
私だけがシリアスな状態に陥った。
同じ条件で、同じ時間だったからこそ、私としてはショックだった。
周囲の人も、不思議がっていた。
それは、ひとえに、私の身体が「免疫力がなかった」ということ―。
当時、無理な生活をして、多忙な日々を過ごしていた私の身体の中には、
いざという時(異物が入ってきた時)、闘うパワーがなかったのだ。

菌も、ウイルスも・・・、私に免疫力があれば、体内で闘ってくれ、
それらの異物を抹殺してくれるものだが・・・
免疫力が落ちてしまっていた身体は、顕著な変調をきたした。


あの夜、一人で吐きながら、痛みと苦しみに耐えていたことは、
本当に辛かった。 
今も、決して忘れない。
すぐに病院に行っていれば、まだよかったのだろうが・・・
頑張ってしまう私は、吐くことでリカバリーするかもしれないと、
徐々にお湯を飲みながら、何度も吐き続けていた。
すると、酸の強い胃液がたまって、胃壁を傷つけていたようで、
突然に激痛が襲ってくるようになって、どうにもならなくなった。



今回の生肉の食中毒でも、シリアスな状態に陥っている人は、
子供や高齢者や、体力のない人、持病を持っている人が多いようだ。
みんな、抵抗力がなく、免疫力も弱い「身体的に弱い人」かもしれない。
こういうことがあると、私は「なめらかプリン事件」を思い出す。
私だって、疲れがたまっていなくて、もう少し体力があった時期なら、
あんなにシリアスにならなかったのではないかと・・・思うからだ。

もちろん、今回の生肉「ユッケの食中毒事件」とは、全く違う状況だし、
被害者が日ごと増えてきて、大腸菌による食中毒が広範囲で報告されている。
事実確認もできていない現段階では、何も言えないし・・・
食品提供業者の不手際と、認識の甘さからの現実が見えてきているので、
非常に切実な状態である。

しかし、だからこそ・・・
何時どのようなことがあるか分からないからこそ、自分の身体の状況は
把握しておくほうが良いと思ったりする。
やはり、免疫力や基礎体力がある人ほど、生死の境界線を越えられたり、
奇跡的に回復する力もあると思うからだ。



免疫力をつける方法は、いくつかあるし・・・
まずは、いろいろなことに、自分で出来る予防法もあるだろう。
弱い人が被害にあう可能性が高いことは、当然のことだろうから、
自分の日頃の体調やスケジュールなどのコントロールをして、
忙しいときは食するものにも、少しばかり気をつけるようにすると
まだ予防できることも多いと思う。

私が、多忙で身体が疲れているときは、油ものを食べないことや、
食べすぎないことなど、基本的なことに気をつけるように・・・・
誰もがみんな可能な「自分流の予防方法」があるのではないだろうか。
現代人は、特に、ストレス過多の環境で暮らしているので、
それだけで免疫力は落ちている状態なのだから・・・。



自分の身を、自分で守れるように、気をつけられることから
注意していくようにしてはいかがかと思う。

私は、「なめらかプリン事件」のことがあってからというもの・・・
賞味期限を超えたものは、決して食べないようにしている。
慎重すぎると言われようとも、あの苦痛は二度と経験したくない。



ガンジーの「非暴力運動」

2011年05月04日 | 社会 -
世界には、まだまだ血なまぐさく、想像したくないような出来事が、
絶え間なく続いているようだ。

人々は、現実を生きているがために、「国益」や「個人の理想」のため、
やらなければいけないことがあるのだろう。
また、同様に、その描いた世界と、実現可能な世界が、微妙にずれたり、
他の人々からの共感を得られない時、大切な命さえもが犠牲になる。

人間は、何故、相手を傷つけてしまうのだろう。
暴力という手段で、相手を封じ込めてしまうことを選んでしまうのだろう。
命を奪ったり、殺し合ったりすることが、果たして「どのくらいの利益を
産むのだろう」と、素朴な疑問に陥ることがある。
そして、その疑問の答えがみつからない私・・・。

きっと“計り知れない長き歴史や思想があるのだろう”けれど・・・
それを変えることはできないのかと、切ない想いにかられる。
違った方法論を用いて、課題を解決することはできないのだろうか。

思い起こせば、いつの時代もそうだったが・・・
世界中で殺戮は繰り返され、報復という形で、無情な出来事が起こり続ける。



  


ガンジーの「非暴力運動」で自由を勝ちえて、独立したインド。

ガンジーの理想と、その魂は、亡くなった後も、世界各地の平和運動や
人権運動などに大きな影響を与え続けた。
しかし、ガンジーの力によって独立を勝ち取った故国インドにとって、
「偉大なる魂」の影響力は(残念ながら)どれぐらいの大きさだったのか。

インドは、独立後すぐに軍隊を持ち、カシミールの領有問題をめぐって、
パキスタンとの戦闘を行った。
チベットの独立問題では中国と対立してしまい、戦争を行った。
さらには、対パキスタン向けとして、開発された核兵器の保有によって、
世界中を危機に巻き込んでしまったりもした。
これらのインドの行動は、「非暴力」でも何でもない。
平和主義とは、まるでほど遠い国になってしまった・・・と私は思う。

さらに、経済的には急速な発展があり、IT業界でも躍進をしたが・・・
裕福なエリート層が「富を独占する」という構図は変わらなかったため、
現在は“世界で最も貧富の差がある国”の一つになってしまっている。
なんとも皮肉なことに、ガンジーが目指していた“インドの伝統に基づいた
質素で自然な社会”とは、正反対の方向へと向かいつつあるのだ。
糸巻き機を見ると、ガンジーを思い出すぐらい象徴的なものだが・・・
現実は、そうではない。
インドでは、まだまだガンジーは、尊敬されている偉人の一人だと思う。
しかし、その魂を、そのまま実現しようとする意識はないのかもしれない。

理由は、変わりゆく価値観と、「時代」だろうか。
人々が、個人の利益を追求したためだろうか。
あるいは、すでに、ガンジーの哲学や理想は、色あせてしまったのか。


   

哀しいかな・・・ 繰り返される人類の「殺戮」と「武力行使」の歴史!

似たような現象が、世界中に起こって、便利な生活と、自国のプライドのため、
時として「暴力」が刃となっているようだ。

人は“自分を中心とした目線で、常に判断するのが普通なのだろう”けれども、
世界中の人々や、地球全部に想像力を移してみても、同じ判断となるのだろうか。

求心力のある人が果たさざるべきものを想像してみると、国の利益や、
自国のプライドも大切だと思うが・・・・
もう一歩、もう二歩、三歩と、歩みを進めて、対応してほしいと感じる私は、
おそらく「マイナーな人間の枠に入ってしまうのだろう」と思う。
しかし、武力だけにたより、一方的な暴力によって(たとえどんな人であろうと)
貴重な「命」を奪い合うような現状は、心が痛くなる。
私にとっては、心地の良い感情を維持することが厳しい「現実」だ。



絶え間なく、繰り返される世界情勢の変化は確認しておかなければならないし、
否が応でも耳に入ってくる。
見たくもない惨状を見せられるのが、現代の情報化社会だ。


しかし、本当にしみじみと感じる。
悩ましい問題が続く「我が星」よ。
どうか、「人々の平和と安全と、幸せを与えたまえ!」・・・と。
せめて、この連休だけでも、精神的な休息を与えてほしいものだ。