梅雨と紫陽花

2017年06月30日 | ナンセンス -
六月の雨。


梅雨の雨だ。

紫陽花は、梅雨に似合う花。





今年も さりげなく咲いていた。



顔がほころぶアイテム

2017年06月29日 | ナンセンス -



かわいい文具。

マグネットです。





ブタ好きの私は、友達や知人から
多くのブタグッズをいただきます。

これも そのひとつ。


暑い日に食べたい西瓜

2017年06月18日 | 出来事 -
夏の風物詩、「 スイカ 」。

叔母の家から毎年いただく西瓜。
聞くところによると、昨年は不作だったが、
今年は期待できるそうだ。

すでに大玉がたくさん収穫できたらしい。


だから、こうしていただくことができた。



美味しい。

熱中症になってから、
「 スイカに塩 」が定番になった。

先人の知恵はすごいと思う。
西瓜に塩をかけると、
より甘さが活きる気がする。


冷やして良しのお茶

2017年06月18日 | マイブーム -
寝起きのお茶は、温かいものをいただく。

この数週間は、ルイボスティーを好んで選び、
癖のある味が 習慣化している。

抗酸化力により 活性酸素を対処する効果や、
腸内環境を整える作用があるなど、
多様な効能があると宣伝しているが・・・
私は 単純に クセのある味がやめられなくなったと
いうだけだ。





思い返せば、「 杜仲茶 」のときもそうで、
しばらく続けていた。


クセがあるということは、個性的だということ。

飽きた頃に、効能とやらが きいてくると良いのに
と 感じている。



ちなみに、就寝前のホットミルクは、きなこと
黒糖を加えた 「 きなこラテ 」 にしている。



サツキの鉢植え

2017年06月11日 | ナンセンス -

思い出した!

母の趣味は、サツキの鉢植えを
松の盆栽のように
見事に 作り込むことだった。



サツキの枝が美しく造形され、
花が咲く季節は
それは それは 綺麗だった。

私が 中学生の頃は、
母が愛でたサツキの鉢が たくさん
玄関先に ずらっと並んでおり、
それは 本当に 目を見張るものだった。





このことを 思い出したのは、
ホームセンターで 、この光景を見たから・・・




希望ある 「 雑感 」

2017年06月10日 | 自分 -

縛るのは常に自分自身で、誰かに縛られているのではない。

人それぞれが前提としても・・・
おそらく、「 辛くない人生なんてない 」。
辛いから、“ 何か ” が 生まれるのだ。


また、若いうちは、「自分一人でやってきた」と思いがちだけれど、
決してそうではない。
誰も皆、誰一人として、「 一人ではない 」 。


己の中で、結論に近い “ 何か ” を持つことにより、
人は安定する。



何もしないで文句を言われたり、後悔するよりも、
“ 何か ” をした方がよい。

  

 
穏やかな音楽を聴きながら・・・
“ ひと味違う雰囲気の自分 ” を想像する時、
ある世界が広がる。

いろいろな価値観が生まれ、現実と共に消えていく・・・。

イメージングして、「もしかしたら?」と思える何かには、
きっと、本当に “ 何か ” が あるような気がする。








心の迷いがもたらすもの

2017年06月08日 | 出来事 -

「発進しようか、どうしようか?」
一般ドライバーさんの “心の迷い” が、
直進していた私に急ブレーキを踏ませた。

ヒヤッとした瞬間突然の急ブレーキで、
助手席に置いてあったバッグは ずり落ちた。




どんなケースでも、迷うことはある。
「夕飯のメニュー」から「人生の重要な選択」まで、
それはそれは・・・たくさんの迷いがあるはずだ。

迷っているときは、もやもやしている。
自分に自信がないときや、判断できないときに、
そういう混乱状態に陥る。


仕事関係の “ある人” は、苦笑がでるぐらい迷い続け、
同意が欲しいがために意図的な独り言を繰り返す。
ひとこと声をかけてあげると、安心するそうだ。
「大丈夫じゃないですか」
「私は、それでいいと思いますよ」

何をするときも、
心の迷いは取り除いて、しっかりと
自分を確立して対処することが望ましい。

志や意思を堅く持って行動することができたら、
最良で最善の道に進むことができるように感じる。


私は未来のことを深く思い悩むのも良いとは思えず、
いつも「現在・今」に焦点をあてている。

大切なのは、
過剰に心配せず、前向きなイメージを抱き、
ゆっくりと進むことだと思う。



安易に物事を決定せず、迷いながらも納得して
真剣に選択することなのかもしれない。




かぐわしき 花菖蒲

2017年06月06日 | 雑感 -
季節の花に注目し、その花を 部屋や
仏壇の前に飾るようになり、
より一層 花への興味は湧いてきた。



一晩で 見事に開いた花菖蒲は、
美しく、芳しい。



花弁の紫色が 綺麗だ。

かきつばたのような優雅さはないが、
子供の頃から 惹かれていた花だから、
やはり 見とれてしまう。


随分前に、紫は 高尚な色と聞いてから、
「 紫が好き 」と言えなくなったことを
最近のことのように 思い出す。
ありのままに 好きと言えばいいのに、
いろいろと 思い巡らしてしまうのが
若さゆえの反応だったのだろう・・・。


今の私は、すべて 「 ありのまま 」 だ。


紫陽花の存在感

2017年06月01日 | 出来事 -
衣替えの日、六月一日。

気候も 気分も 体調も不安定だけれど、
暦は 変わった。

だから、
これまで毎日のように頭に浮かんでいたことは、
もう考えないようにしている。
未だ継続案件もあるが、それも暫し お休み中だ。



それに、
気分転換と 六月ということで、
気持ち良い紫陽花を 仕事場に持ち込んだ。



見るだけで 心地がいい。
植物の生命力や、快適な存在感に、
救われている。



昨夜は、250gのサーロインステーキを
ペロリとたいらげた。

徐々に 元気になっている自分が嬉しい。