花につつまれた 日々

2016年04月26日 | 出来事 -
若い頃は、頻繁に花束を頂いていたと思う。
それには 歴然とした理由があった。

今は、もっぱら毎週のように花屋に通い、
自分で 「 季節の花 」 を買っている。


今日は、久しぶりに花束をプレゼントしてもらった。
かかえきれないほどの大きさ・・・。


だから、帰宅してから、いろいろな場所に
いろいろな花を飾った。




仏壇の前には、自分が飾っていた菊にまぎれて、
バラやかすみ草などが加えられて、
華やかな景色になった。



花がある生活は、気持ちがいい・・・。

九州・熊本が 震源地

2016年04月16日 | 社会 -
九州全域での地震(4/14)は、余震がすごくて、
どんどん現実が押し寄せてきているようだ。
死亡者、負傷者、停電、家屋倒壊、避難、
孤立もすすんでいる。

ニュース映像からの現実には、言葉を失う。

文化財も大きな損害を被ってしまった。


 熊本城


熊本には阿蘇山があって、二年ほど前から活動が
聞こえてきていたし・・・
良い温泉がある場所というのは、それなりに
リスクがないわけではない。

今回の熊本地震は、活断層のひずみのようだが、
とにかく余震の頻度が ものすごい。



 阿蘇神社



「3・11」を経験した時に、強く感じたのは、
現代生活に慣れすぎた自分の感覚 だった。

トイレの便座は あったかくて、
水洗トイレは当たり前。
台所の蛇口をひねれば 水が出て、
スイッチを入れれば テレビがつく・・・的な
現代生活の便利さ
そんなことが当然だと思い込んでいた “ 愚かさ ”。

これらは、普通の生活基準ではない。
それなのに、摩耗した常識観念は 「 当然だ 」 と
思えるぐらいになっていた。



停電して初めて気づくこと。
ありがたく感じる日々の生活環境。

スマホに依存している多くの人々にも、弊害をもたらし、
日々の快適性は失われていることだろう。
スマホもケータイも、電気がなければ意味をもたず、
通信手段としても電波を使うことができない。


地震が多い国だからこそ、防災にも気を遣いつつ、
日頃からの自覚と準備が必要なのだろうと感じる。



「3・11」で出会った東北の人々が、
「 命あるだけでも もうけもの 」 とおっしゃられ、
“ 一生懸命に、皆で生きていこうとしていたこと ” が、
今も心に残っている。
あの姿勢には、頭が下がった。
たくましく、元気に、前向きでいられるのは、
元気だからではないだろうか と ( 当時は ) 思えた。

健康こそが、第一のスタートラインかもしれない。


避難所生活になられた方々が、少しでも楽な気持ちで過ごし、
できるだけ早く生活の基盤をつくられることを願います。


今年の「4月14日」

2016年04月14日 | 雑感 -
時間 」 というものは 知らず知らずに流れていって、
気がつくと、かなりの 「 とき 」 が過ぎているものだ。




今日、私が訪ねたのは・・・
「 時代 」 や 「 時間 」 という概念が湧いてくる 城跡
不思議と そういう気分になる。

昔の人が造り上げた石の積み方を眺め、「スゴイ!」 と
感嘆しては、また再び じっと 眺めた。

いろいろなことを感じた。



季節が変われば “ 美しい色 ” に変わるであろう の葉に、
心が惹きつけられ、
自宅の玄関に飾っている鉢を思い出した。
父がこよなく好んだ真っ赤な葉っぱを思い出し、
私が数日前に購入したものだ。
大事に育てたいと思っている。





父の命日だから、
その気持ちのまま、今日一日を過ごす・・・。
それが何よりの供養だと思っている。

帰宅したら、仏壇に供えていた花のつぼみが
開いていた。
          





  ※熊本が震源地で、大きな地震があった。< 21:26 震度7
   不意打ち的な “ 大地震 ” には、心が揺れる。

やめられないトマトソース

2016年04月11日 | 食事 -
イタリアンの香りは、芳しい。


通勤途中に香りを嗅いで、仕事終了後に飛び込む!

どうしても選んでしまう トマトソース系



昔から、トマト好きは変わらない。

浮気をしないのが、私の良いところであり、
面白くないところでもある。


花が見ていた・・・。

2016年04月05日 | 出来事 -

季節 は めぐり、 また今年も咲いた



今日は、私にとって、
キーになるような出来事が続いた日となり、
生活に変換をもたらした日 」 となった。

私は、小さな世界ではあるが、
これから 新しいスタートを切ることになった。



こうして、日常は過ぎていく。

桜の花びらの命のように、短い時間だからこそ、
精一杯に 力を尽くして生きていきたいものだ。


見なくてはいけないことや、
我慢しなければいけないことが多い俗世にあって、
常に「 自分 」 という存在を浮き立たせ、
尊重しつつ・・・
我が身と 我が心を 鼓舞しながら、
頑張って生きていきたいと思う。

   やはり、私は、
   ある程度、
   頑張る人なのかもしれないなぁ。