今日の 「真剣勝負の打合せ」 に関しては、最初から挨拶もなく、
笑顔もなく、ただ淡々と、事務的に、私が進行をつとめた。
雰囲気は、ずっと冷たく、凍ったままの状態だった。
前半戦の打合せを終えてから 二人が退席し、それからは
“正面衝突も避けられない” と覚悟していたので、私は・・・・
言いたいことを言い続けた打合せとなった。
相手に対して 「言い方は悪いが、横暴な・・・一方的な要求」とか、
かなり過激な表現をあえて(何度も) 使った。
彼の隣には、助手の人がいたけれど、私は 臆することなく、
最後のおつとめのごとく、 はっきりとした表現方法で伝えた。
相手は、怒りを抑えていたのかもしれない。
一度だけ反論し、「そんなことは言っていません」 と返したが、
「それなら、御社の○○さんにお聞きください。私と一緒に、
あなたの言葉を聞いていますから・・・。あの時、私は、
健全な交渉術ではないということを言い続けていましたから。
きっと覚えていらっしゃいますよ。それだけ、過去にはなかった、
私にとっては 稀なケースだったと言えるでしょう 」。
彼は、「反論はありますが、受け止めておきます」 と、一言
語って、後は黙ってしまった・・・・。
以前、8月の口論では、「現実を受け止めて下さい!」 と、
私が言い放ったことが 効いていたのだと思った。
相手が感じたことが、全てではないにしても、セクハラと一緒で、
感じさせたことは現実として 受け止めるべきだ・・・という持論を
私が彼に伝えたことがある。
そのことを引き出してきたのだ。
そうしないと 「私が納得しない」 と思い込んでいたのかもしれない。
彼は、自分の興奮した時の発言や 横暴な態度などに関しては、
何の悪気もなく、疑問も感じていなかったようだ。
悪意がないから ガンであり・・・他人に 限界なく押し付けてくる。
今日・・・私は、これで 「決裂してもいい」 と 思っていた。
実は、その方が楽だとさえ思っていたし、交渉に応じてもらえないと
いう現実があれば、それを理由に、私は仕事から手を引くつもりだった。
そのために、私の所属会社の社長さえも 引き合いに出して、いつもは
使わない手法を使って 突き詰めていったのが・・・今日の交渉だった。
何度も 不快になりながら、数十分の時間を過ごした。
いつもエレベーターまで送ってくれる彼は、玄関で踵を返した。
時間は、無情で・・・現実を、ありのまま、私に感じさせてくれた・・・。
しかし、この「確固たる気持ち」 というか、ある「覚悟の強さ」が、
結局は・・・道をひらくことになった。
不快な想いで終えた打合せだったが・・・夕方から何度も電話をもらい、
最初の電話では、「今日は、雰囲気のわるい感じになってしまって、
申し訳ありませんでした・・・」と、まず、彼の謝罪から はじまった。
めずらしく自分の非を認め、当方の要求も 全て のんでくれた。
驚くべきことだ。
彼の攻撃的な、どこかで隙あれば・・・という雰囲気は なくなって、
すっかりと まるくなり、こちらがびっくりするぐらいだった。
おそらくは、上司か 親会社の決済担当者から意見が出たのだと思う。
私は、ずるいといえば ずるく、・・・その上司に、これまでのメールや
仕事の不備を、随所で報告していたが、彼はそんなことは知りもしない。
大企業は、法律違反や 非常識な流れ、過剰なトラブル等に神経質になり、
小さなもめごとを 大きくしないように対応を怠らない。
彼が実践していた行動は、確実に違法行為の範疇になっていたから、
私は「担当者Vs担当者」という関係性から、「会社Vs会社」という
関係性に、すり替えて 交渉をすすめていたのだ。
そういう意味では、かなり正直に反応が返ってくるものである。
結局は、正統性が大事なポイントになったのだと思う。
結論から言うと、交渉が成功して、追加金額が認められたが・・・
私の後味 (感情) は、善いとは言えない。
私は、当初からそれはなくても良いと思っていたし、まず心にあったのは、
「泣き寝入りをしない!」 ということが、一番の目的だった。
たとえ、どんな状態であろうと、“不備や不遜な現状は正すべきだ” という
曲がった自己流の正義感から、“喧嘩腰になってもかまわない” と思って、
今朝から覚悟していたので、その点においては、言いたいことは言えたと思う。
クソ真面目なようだが・・・
この私の長きキャリアからの経験値で、利害のために目を曇らせず、まずは、
「健全な交渉の仕方」について、「議論をしたい」 と思っていた。
相手が受け容れてくれたから良いようなものの・・・反感を買うことだってある。
しかし、私にとっては、とてもシンプルなことだった。
善いことは善いし、悪いことは悪いから、公平な気持ちで、対応したかった。
正直に言うと・・・、(心の底では) 私は、彼が疎ましかった。
憎らしいとも思っていた。
ずっとストレスの元凶だった。
このように、相手への気持ちを前提にした “対処の仕方” によっては・・・
最終的には 今日のような結果をもたらすことがある。
不思議なものだ。
ただ、一つ、確実なのは、利害を求めず、自分が感じた憎しみや不条理を、
「真の心」でふつけたのが、よかったのかもしれない・・・。
憎むべきものを憎み、信念を曲げず、ただ正直に主張しただけなのだ・・・。
人間の汚い気持ちを否定せず、憎しみをも受容(肯定)して相手にぶつけた結果、
このような結果を産み、経済的な効果も 手に入れた。
捨て身の行動が、よかったのだろう。
私には、もう失うものなんて、ないとさえ思っていたし、失ったとしても、
何の執着心もなかったから、捨て身にもなれたのだろうと、今は思っている。
しかし、何よりも、できるだけ早く仕事を終え、このプロジェクトから
開放されたいというのが、一番の希望である。