部屋の掃除をしながら・・・

2012年11月25日 | 出来事 -

今日は天気が良いので、また、明日から不在になるので、
部屋を隅々まで綺麗にして、洗濯機を二度まわして、納得したところで・・・
嘆息と共に テーブルの上に マグカップのコーヒーを こぼす。

「うあぁ~、EXを観て、リラックスしたかったのに 」



結局、コーヒーだけではなくて、テーブルクロスには、
書道の墨が飛び散っているから (これまで無視していたけれど)、
三度目の洗濯機を まわすことにした。

通常の書道墨であれば問題ないが、手をぬいて筆ペンなどの
顔料インクを使ったりすると、これには手を焼くことになる。
天然素材だけではなく、渇きを早くさせるため、何らかの油分が
入っているように思う・・・。 だからだろう。
結局、三度目の洗濯機(洗濯)で、わかったことは・・・・
顔料インク墨は 「やっぱり、落ちなかった 」 ということだ。

まぁ、そのためのテーブルクロスとは言いながら、ベッドクロスと
お揃いの布でつくった私のオリジナル・クロスなので、凄く残念!
また、墨が飛んだ部分には、何かを上に置いて、使用することに
したいと思う。  決して、捨てたりはしない。


書道をする時には、お座布団に座って、「写経」 をする時と、
洋式テーブルで(簡単に)筆ペンで 和紙の便箋に手紙を書く。
両方とも、姿勢がよくなって、気分があらわれる感じがする。
気分転換をするときには、時々、意図的に そんな時間を持つ。


昔、中国で購入した太さの違う筆セットを使って、今後は・・・
「山水画」もトライしたいと思っている。
色墨も何色か購入しているので、とても楽しみだ。
いつか、「いつか」 ・・・だけれど・・・ネ。

「落ち葉拾い機」 の音

2012年11月25日 | 出来事 -

カラカラ・・・カラカラ・・・ 
朝も早くから・・・「何だろう?」 と思った。

人が買い物押し車に、たくさん載せてしまった音?

そうだ! 
運搬用の手押し車(台車)の音にそっくりだ。




なんの音だろうと、広場を見下ろすと・・・
「落ち葉拾い機」 だった。

手押し車の前に、箱があって、手押し車を押して歩くと、
落ち葉が拾われていくというしくみになっているようで、
カラカラと、広場を押しまわっている。


秋になれば、落ち葉はおちる・・・。
当然のことなのに・・・
それを許さないのが、都会の集合住宅なのだろう。
大地が土であれば、このうえない栄養分となるのに、
都会では単なるゴミ扱いというのが切ない・・・。





管理会社の人が、カラカラと、寒さ対策をして、
早朝から押してまわっている。

有り難いとは思うけれど、何も週末にしなくても・・・
なんて・・・(すみません)。

仙台で開催されたNHK杯

2012年11月24日 | マイブーム -

今日は、フィギュアS:男子フリーの生放送を観戦。
宮城大会のNHK杯男子の結果を 見届けました。

昨年の三月の震災から、初めての公式国際大会のため、
東北の皆さんには、有意義な大会になったのだろうと
思いますし、また、海外のスケーターにとっても、
日本の会場で滑ることは 素晴らしい経験だと思います。
日本は、今や「フィギュアスケート大国」です。
観戦してくださる会場の方々の応援と、演技に対する声援は、
他の国と少しばかり違うのではないかと思います。
空席も少ないですし、お客さんの目が肥えています。
演劇の舞台も、他のスポーツ競技も、空席が目立つ会場では、
モチベーションが違ってきます。


今回の最終戦となるNHK杯まで、
今年のグランプリシリーズも、全てをチェックして、
参加スケーターの演技を観てきました。





今年のNHK杯優勝をした羽生結弦選手は、前回大会よりも
かなり安定した状態で、演技を終えられたと思います。
昨年と比べると、とても驚くべき、素晴らしい成長でした。
羽生選手は、たった一年で、これだけレベルがあがったのは、
非常に素晴らしいことだと感じます。
もともと そういうスケーターだと感じてはいたものの・・・
確実に “結果を出していく” ところは、かなり信頼が抱けます。
あとは、FPのスタミナコントロールが課題でしょうか。

環境を変えたことは、彼には良かったのではないでしょうか。
日本にいると、どうしても注目され続けることがありますが、
おそらく のびのびと カナダで 練習に没頭できているのだと
勝手に想像しています。
「震災地で被災したスケーター」という肩書に縛られることなく、
自分の意思で “充実な時間” が 過ごせているのでしょう。
マスコミは時として、都合のよい解釈で影響を与えますが、
うまく付き合っていかなくてはいけないのも事実です。
それに、何よりも応援してくれて、自分が穏やかでいられるのが、
羽生選手にとっては、震災地であるホーム:仙台なのだと思います。
それに、被災したことは、彼にとって重要な経験になっていると
私は思います。

強固な意志と、あどけない部分が共存している「未来の覇者」で、
それが今や、トップスケーターと肩をならべるまでになりました。
短時間での成長は、驚くばかりです。
周囲のサポート体制についても、かなり恵まれていると思います。






NHK杯準優勝の高橋大輔選手は、前回の中国大会が、あまりにも
不調すぎて、「何があったのか?」 と心配するぐらいでした。
「靴の問題だ」と言われていますが、おそらくそれだけではない と
私個人は 想像していました。
今大会は、SP、FPともに、中国大会よりも非常に良くなりました。
プログラムも、やっと緩急ある振付の安定感が感じられましたので、
前回よりも、「全てにおいて失敗が減った」と思いますし、何よりも
結果として、露のソチで開催の「ファイナル出場が決定した」 のは、
とても喜ばしいことです。 
個人的には、また楽しみが増えて、嬉しかったです。

素晴らしいスケーティングスキルを持っているのに、たった一つ、
四回転だけが課題だったはずなのに・・・今年は 何かと話題を
ふりまいて、私たちも「どうなっているんでしょう?シリーズ」です。

そして、様々な準備が遅れたことによって、(特にプログラム)
彼自身の本来の能力が、まだ発揮されずにいます。
鬼が笑っても何でも、来シーズンは・・・(今シーズンみたいに)、
プログラムの仕上がり・振付師の決定が 遅れることがないように
ただ祈るばかりです。
そのための余波を受けていることは事実ですし、彼の精神状態にも
影響を与えているかもしれないのも事実です。
プログラムの中で 四回転を練習していかないと・・・身体に、
それを覚えさせていかないといけない・・・と、切に感じます。
頭で滑るのではなく、身体に自然と馴染んで滑れるように・・・!

ちょっとしたこと(会場の環境次第)で、集中力は、すぐ途切れて
しまうのが現実ですから、なんとか、ベターな計画設計のもとで、
さらなるステップアップをしてほしいと 心から思います。

今日は、まだ、本領発揮まではいかない状態でしたから・・・。
「心」が 全開状態ではなく、まだまだ彼の爪は 隠れたままです。
年齢に関係なく、彼の演技は高みにあがっていっていますから、
演技を観るたびに、印象が変わります。 (振付も変えていますけど・・・)
今シーズンも、彼にとっては、「これから」なのでしょう。


しかし、高橋選手は 本当に 「ドラマチック・スケーター」 なので、
全ての事実には意味があって、いつも彼にとって良い方向へいくように
流れていくように感じます。
だから、心配せず、安心せず、「その日」まで、見守っていきたい と
思っています。
たとえ、結果が芳しくなくても、それは “意味あること” で、彼が
そのことを 「どのように昇華していくのか?」 に かかっています。


繊細な精神性を持っているからこそ、あれだけの表現ができるのです。
音楽の解釈もしかりです。
そんな長所を、可能な限り、活かしながら・・・・成長していって、
これからの全日本とワールドでは、後悔のないような演技をして、
未来の自分のために、足跡をしっかりと残してほしいものです。

それにしても、ホームの羽生選手と同じぐらい、もしかしたらそれ以上に、
凄い声援があって、彼は 本当に “人気があるスケーターだ” と思います。
だから、注目されている国際大会には呼ばれてしまうのでしょう。
私も、超:超:大好きです(笑)。



 ※追記
    現地にゆかりのある鈴木明子選手が良い演技をしました。
    女子は、浅田真央選手が優勝で、上位ニ人が日本人!
    すごいです。 (鈴木選手もファイナル決定です)
    今年のファイナルは、日本人だらけ~~デス。

悠久の時を旅した写真家

2012年11月22日 | 自分 -

今日、「星野道夫 悠久の時を旅する」 写真展に 行った。

わざわざ・・・ということではなくて、たまたま六本木で仕事を終えて、
道すがらで 看板を見つけたのだった。

この写真展の開催のことは、知っていたが、(忙しさにかまけて)
日程をチェックしていなかった。


今日は、短時間だったから、自分の感性で、心が魅せられた写真の前に、
かなり長くいたので、ゆっくりと鑑賞は できなかった。
来月の頭に、同所に打合せ予定が入っているので、その時には、
意図的に 時間を充分とった状態で、もう一度、行きたいと思っている。

  
       撮影 : 星 野 道 夫

         厳しい自然の中で、息をひそめるようにして、
         ムースの大移動を待っていた星野道夫。
         群れで移動するムースを、あえて違うカタチで写真に
         納めているところが特別であり、ある意味では、
         このムースが、(私には)星野道夫に見えた。


彼の写真を観ていると、いつも 理由なき “ 怒涛のような感情の波 ” が、
知らずに 押し寄せてくる。 
いつものことだ。
今日も、数度、涙があふれてきたので、まるで 風邪をひいたかのような
ふりをして、隣の人の雑談に耳を傾けながらも、頭は “からっぽ” だった。



これまで未公開の写真も含めて、また最後の旅となったカムチャッカでの
写真を含む 「星野道夫の写真家としての作品史」 のような・・・あるいは、
彼の「人生史」 的な要素を含む・・・企画(まとめ方)をしていたので、
内容は かなりインパクトがあったと思う。

これまで、ずっと写真集ばかりを目にしてきたが、写真展は初めてで、
やはり大きく引き延ばされた解像度の高い写真は、まるで絵画のようで、
印象的な作品がたくさんあった。



彼の作品に、何度勇気づけられ、感動を与えられ、価値観を変えられたかと
思うと・・・興奮気味で、まだ私の心が 落ち着いてこない。

彼には、本当に、多くの影響を受けた・・・。



今日は、数枚の写真の前に、ずっと強い波動を感じて、彼が感じた風景を
イメージしながら、写真を鑑賞した。
どの写真にもキャプションが付けられていて、彼の言葉が添えられていた。
その文章が、やはり素晴らしい。

壮大なアラスカの自然、様々なアラスカの命、グリズリーの劇的な写真、
中でも、ドールシープの数枚は良かった。
キャプションも、具体的すぎて、いろいろなことを想像できた。
星野道夫が体験したことをイメージしていたら、心が躍るような感覚に・・・。

「 わけのわからぬ元気がわいてくる。
  それは、とにかく、やってみようという説明のつかないものだ。 」



この写真展では、星野道夫の感性や生き方が、微妙に変遷していくのが
時代と共に 感じられて、興味深いものだった。
個人的には、やはり“ 研ぎ澄まされた自然の中に同化している瞬間 ” の
写真が大好きで、オーロラ、ホッキョクグマや、ムースやカリブーの姿など、
アラスカの“ ありのまま ”を捉えた“壮大な自然” が、私の胸をつく。
それまで、あんな過酷な自然環境下で、それもあんなに不便な自然人としての
生活をしてまで、・・・あのような衝撃的な写真を撮影する人はいなかった。


43歳の急逝は、衝撃的すぎて、今も辛すぎる事実だが・・・
来月に、もう一度、写真展によって、今日感じたことを咀嚼した状態で、
新たな感覚も味わった上で、満喫しておきたい。




2012年11月16日(金)~12月5日(水)
10:00~19:00
期間中無休 入場無料
場所:FUJI FILM SQUARE




    ※ちなみに、もう一つの企画展も、素晴らしかった。
     MAGNUM を創った写真家たち
     9月1日~11月30日(金)
      入場無料 FUJI FILM SQUARE 
     キャパ/カルティエ=ブレッソン/ロジャー/シーモア

自分を甘やかす 「寝床」

2012年11月21日 | 雑感 -

寒くなりましたぁ。 今日は、ずっと寒かった。
朝も早く出かけたし、天気の芳しくない中、
会社から 六本木 ・ 新宿 と 移動も何度かあって・・・
本当に、寒かったぁ。


床暖房をして、空気を清浄しながら、水分をまく――
そんな生活の日々だったが・・・やはり、寒い。

一晩中、床暖房を弱にして、朝を迎えても、寒い。



そうだぁ・・・「寝床が寒いんだぁ」。

とてもすごい 「冷え症」 の私は、ついに決心。
毛布を出して、敷きシーツをボアから薄いものに変えて、
その下に「 電気毛布 」 をセッティング。
これで、もう、カイテキ!

うわぁ~最高の “あったかさ” デス。
こんな単純なことで、極上の快適を感じられる。



冬は、乾燥して、肌・喉・身体・部屋に弊害をもたらす。

痩せ我慢をする年齢ではなくなったから、今後は、極力、
自分の快適性を追求しつつ、バランスの良い生活を目指す。
それが何よりのシアワセ!

懐かしい老舗の蕎麦屋

2012年11月19日 | 食事 -
午前中は、赤坂にて、早くから仕事。
11時に終了して、てくてくウォーク。
今日のランチ場所を探す。

今日は、ひと際、寒かったので、「おかめ蕎麦」 が、
食べたくなった・・・。
赤坂で蕎麦屋を探して歩いている内に、「砂場」 に
着いてしまった。


とても、とても、昔のこと・・・。
ここの蕎麦屋(赤坂の「砂場」) には、
私自身が 「麺類は、やっぱり “うどん” さね!」 という頃から、
月に2、3回の割合で、“ある人” に(強制的に) 連れて行かれ、
お付き合いとして、「ざる」 と 「卵焼き」 を食べて・・・・
そういうことを 何年も何年も 繰り返している内に、
いつしか私は 「蕎麦大好き人間」 になってしまった。

そのころと、何も変わらない。
味も、値段も、器も、丁寧な仕事も、店構えも・・・。

「こんなに値段が高いのに、これだけ??」

そんな量しか盛られていない蕎麦に、いつしか魅せられ・・・
「大ざるで!」 と、言えるようになった。

   
    ※この店の「ざる」には、海苔とかはない。
     「もり」と「ざる」の違いは、打ち粉の配分である。



  ※今日の注文は「大もり」、そして、「卵焼き」


久しぶりに、もう本当に久しぶりに、2年ほど前に出向いたら、
あまりにも変わっていないので、ビックリした。
卵焼きの器も、そのままだから・・・
「これ、もう15年以上変わりませんよね?」 と、
お店の方にお聞きしたら、「もっとそれ以上ですねぇ」 という
答えが返ってきた。

さすが、蕎麦の老舗だけのことはある。

この店の汁は、ちょうど良いお味で、とても美味しい。




今日も、かなり久しぶりだったけれど・・・懐かしかった。

午後の会社での仕事も、この寒さも、気にならないくらいの・・・
懐かしさを味わった。


しかし・・・「やっぱり、ここの卵焼きは、美味しいデス!」

「悪平等」 が もたらすモノ

2012年11月18日 | 社会 -

人間の「体力」 には強弱があり、もちろん「限界」もある。
また、その「知力」 も、同様で、強弱が存在するものだ。

正当なことを言っていても、成果がついていかなかったり、
個人の対価や所得に、必ずしも反映されるとは思わない。


だけれども、これだけは、自信をもって言える。

「悪い循環」 が、社会を退化させる。

そして、「悪い平等」 は、人を退化させる。


つまらない泥試合で、時間を ついばんではいけないし、
つまらない泥試合で、精神を 消耗してもならない・・・
・・・と、私は思う。






自分の幸せは、自分で勝ち取るものだ。

同時に、自分たちの権利も、自分たちで勝ち取るのだ。

家の模様替えで 気分転換

2012年11月17日 | 自分 -

今日は、気分転換のために、模様替えをした。

今年の諸々を洗い流したい気分もあって、新しい家具の配置と、
心地よい雰囲気をつくった。


若い頃から好きで買いそろえた英国の古家具(オ―ク)ばかりなので、
それなりに “思い入れ” がある。

          

    円高の効果で安価で手に入るようになったけれど、
    当時は現在の3倍以上の値段がしたものだ。

          

    自分で、定期的に濃い茶色のワックスを塗りこんで、
    磨きこむようにしている。


自分の部屋は、多くの時間を過ごす場所だから、できる限り・・・
快適性を感じられるのがベターで、そして、気分が和むことが何より
大切だと思う。
ふっと目にした所に、雑然と仕事の紙(書類)が積み重なっていると、
ちょっと重く感じる時がある。
破棄しても大丈夫なものは、できる限り・・・・失くしたいものだ。


部屋の模様替えをして、家具の置き場所を変えたりすると、
新しい気分になるような錯覚があり、それが何より良い。


この家具も、配置換えをして、使い方を変えたり、テキスタイルで
遊んだりして、いつもなかなか楽しい。


 これを折りたたむと・・・



人間の動線は、非常に単純なものだ。
すごくよくなったと思うし、少しだけれど満足はしている。

ヤブ医者の書いた「診断書」

2012年11月17日 | 出来事 -

今年の春から夏まで苦しまされた 「咳」。
実は、いろいろなことがあった・・・。


そのため、不安をかきたれられ、きちんとした専門
「呼吸器科」の受診を決心。
今週は、大学病院付属病院に行った。
待った、待った、待たされたぁ。 びっくりするぐらい・・・。



まぁ、そういうことで・・・・
ものすごく待たされたが、セカンドオピニオンならず、
サードオピニオンも確認した。

呼吸機器を設置している「街の呼吸器科」にも行ったのだ。


それで、明確になったのは、驚愕の事実!
以前書いてもらった「紹介書(診断書)」 の中身がわかり・・・
「気管支喘息」が完全に治癒していないというのに加えて、
私は「逆流性食道炎」らしき診断が(勝手に)されていて、
「胃腸科にも精密検査の必要性がある」 とのことだった。

私の主治医曰く「そんなんじゃぁ、ないよ。大丈夫!」とのこと。

全く、以前の呼吸器科内科の医師の “酷さ” が判明した。



その問題の医師は・・・
「だって、喘息だもん(医者の発言とは思えない語尾)」 と言われ、
“あなたは何歳?”と思って、かなり驚かされたが・・・
診断内容も、まったくのデマであることも分かった。
私は、「咳喘息」であり、「気管支喘息」でも、「喘息」でもない。

もちろん、咳喘息の患者も、放置していると、30%の確率で
本当の喘息患者になるということらしい。



今週、呆れる診断が、はじめて明らかになって、
「何故もっと早くに、別の医院にいかなかったのか 」 と、
後悔と一緒に、医師の質を思い知らされる。


人間だから、また、体調が悪い時は尚更、
自分の身体の具合が心配になるものだけれど・・・
そういう心情に輪をかけて、おどかして、医療点数をあげる医者!
まるで、どこかの心を操る新興宗教や 押し売り&モノ売りと
それほど変わらない。
この事実は、ショックであり、その反対に、安心した事実だった。



「病院」と「医者」というモノは、本当に、慎重に慎重を期して
ちょうどよいぐらいなのかもしれない。
私の場合は、不安が先走る傾向があり、それもまたよくない。
冷静に、判断すべきは、自分の体調と、選ぶべき病院(医師)だ。

日本の「おかあさん」 逝去!

2012年11月14日 | 人物 -

ザックジャパンのアウェ―試合を観戦している時、
衝撃的なニュースを、ネットで見つけた。

森光子さん、92歳で逝去。 <11月10日>

森光子(92)さんと、八千草薫(81)さんは・・・
お子さんがいないのに、「おかあさん」 的なイメージが、
とても強い方で、それも優しいイメージがあって、
昔から大好きだった。
特別な存在だ。

優しさと厳しさがあっても、その厳しさは 常に 「おおらかな
包容力」が伴うイメージで、人として、尊敬する人だ。


その対極にあるイメージの「おかあさん」 としては、
市原悦子(76)さんがいる・・・。
この人も、何故か、実生活では子供はいない。
個性的で、自由で独特な“強さ”がある。
私が、女性として、カッコイイという印象を持つ。



「おかあさん」 って、呼びたくなる存在は、特別な人だ。

その人の性質や、与えるイメージ、優しさが・・・
たとえようもなく、愛しい。

長く脇役をしてきて、40歳代になってから主役を務めた
苦労の人が、後の大スターとなった森光子さんだ。
だからこその人間的な包容力を感じるのだろうか・・・。


体調の悪いことは、伝え聞いていた。
2010年、「放浪記」 の公演がキャンセルになったときに、
いつか「こんな日がくるだろう」 ということは、誰もが・・・
多少は感じていたのではないかと思う。


晩年、彼女の長寿の秘訣として、「よく食べる」 ということを
きいて、それも「肉」 をよく噛んで、口の中に肉がなくなるまで
咀嚼するのだと笑いながら言っていたのを思い出した。

高齢になっても、精力的に活動をこなしていたし・・・
あの時代に、正統的な芝居のほかに、コメディエンヌ的な要素を
入れることができたのが、女優としては 特別な魅力だったと思う。



私の憧れの「おかあさん」二人の共演作:「晩秋」 が・・・
最後の舞台(作・演出/マキノノゾミ) 観劇となった。
森光子さん、八千草薫さん、坂東三津五郎さんが共演した舞台で、
森さんは、歌って、踊って、華やかな衣装に身を包んで、
とても輝いていた。 

 <2009年11月>   



向こうへ行っても、多くの方が 迎えてくれるだろう。
素敵な性格だったから、誰からも愛された「おかあさん」 だった。

合掌。


捨て身の交渉が功を奏す!

2012年11月13日 | 仕事 -

今日の 「真剣勝負の打合せ」 に関しては、最初から挨拶もなく、
笑顔もなく、ただ淡々と、事務的に、私が進行をつとめた。
雰囲気は、ずっと冷たく、凍ったままの状態だった。

前半戦の打合せを終えてから 二人が退席し、それからは
“正面衝突も避けられない” と覚悟していたので、私は・・・・
言いたいことを言い続けた打合せとなった。


相手に対して 「言い方は悪いが、横暴な・・・一方的な要求」とか、
かなり過激な表現をあえて(何度も) 使った。

彼の隣には、助手の人がいたけれど、私は 臆することなく、
最後のおつとめのごとく、 はっきりとした表現方法で伝えた。

相手は、怒りを抑えていたのかもしれない。
一度だけ反論し、「そんなことは言っていません」 と返したが、
「それなら、御社の○○さんにお聞きください。私と一緒に、
 あなたの言葉を聞いていますから・・・。あの時、私は、
健全な交渉術ではないということを言い続けていましたから。
 きっと覚えていらっしゃいますよ。それだけ、過去にはなかった、
 私にとっては 稀なケースだったと言えるでしょう 」。

彼は、「反論はありますが、受け止めておきます」 と、一言
語って、後は黙ってしまった・・・・。
以前、8月の口論では、「現実を受け止めて下さい!」 と、
私が言い放ったことが 効いていたのだと思った。
相手が感じたことが、全てではないにしても、セクハラと一緒で、
感じさせたことは現実として 受け止めるべきだ・・・という持論を
私が彼に伝えたことがある。 
そのことを引き出してきたのだ。
そうしないと 「私が納得しない」 と思い込んでいたのかもしれない。


彼は、自分の興奮した時の発言や 横暴な態度などに関しては、
何の悪気もなく、疑問も感じていなかったようだ。
悪意がないから ガンであり・・・他人に 限界なく押し付けてくる。



今日・・・私は、これで 「決裂してもいい」 と 思っていた。
実は、その方が楽だとさえ思っていたし、交渉に応じてもらえないと
いう現実があれば、それを理由に、私は仕事から手を引くつもりだった。
そのために、私の所属会社の社長さえも 引き合いに出して、いつもは
使わない手法を使って 突き詰めていったのが・・・今日の交渉だった。

何度も 不快になりながら、数十分の時間を過ごした。

いつもエレベーターまで送ってくれる彼は、玄関で踵を返した。

時間は、無情で・・・現実を、ありのまま、私に感じさせてくれた・・・。




しかし、この「確固たる気持ち」 というか、ある「覚悟の強さ」が、
結局は・・・道をひらくことになった。



不快な想いで終えた打合せだったが・・・夕方から何度も電話をもらい、
最初の電話では、「今日は、雰囲気のわるい感じになってしまって、
申し訳ありませんでした・・・」と、まず、彼の謝罪から はじまった。
めずらしく自分の非を認め、当方の要求も 全て のんでくれた。
驚くべきことだ。

彼の攻撃的な、どこかで隙あれば・・・という雰囲気は なくなって、
すっかりと まるくなり、こちらがびっくりするぐらいだった。
おそらくは、上司か 親会社の決済担当者から意見が出たのだと思う。
私は、ずるいといえば ずるく、・・・その上司に、これまでのメールや
仕事の不備を、随所で報告していたが、彼はそんなことは知りもしない。
大企業は、法律違反や 非常識な流れ、過剰なトラブル等に神経質になり、
小さなもめごとを 大きくしないように対応を怠らない。
彼が実践していた行動は、確実に違法行為の範疇になっていたから、
私は「担当者Vs担当者」という関係性から、「会社Vs会社」という
関係性に、すり替えて 交渉をすすめていたのだ。
そういう意味では、かなり正直に反応が返ってくるものである。
結局は、正統性が大事なポイントになったのだと思う。


結論から言うと、交渉が成功して、追加金額が認められたが・・・
私の後味 (感情) は、善いとは言えない。
私は、当初からそれはなくても良いと思っていたし、まず心にあったのは、
「泣き寝入りをしない!」 ということが、一番の目的だった。
たとえ、どんな状態であろうと、“不備や不遜な現状は正すべきだ” という
曲がった自己流の正義感から、“喧嘩腰になってもかまわない” と思って、
今朝から覚悟していたので、その点においては、言いたいことは言えたと思う。


クソ真面目なようだが・・・
この私の長きキャリアからの経験値で、利害のために目を曇らせず、まずは、
「健全な交渉の仕方」について、「議論をしたい」 と思っていた。

相手が受け容れてくれたから良いようなものの・・・反感を買うことだってある。
しかし、私にとっては、とてもシンプルなことだった。
善いことは善いし、悪いことは悪いから、公平な気持ちで、対応したかった。




正直に言うと・・・、(心の底では) 私は、彼が疎ましかった。
憎らしいとも思っていた。
ずっとストレスの元凶だった。

このように、相手への気持ちを前提にした “対処の仕方” によっては・・・
最終的には 今日のような結果をもたらすことがある。
不思議なものだ。

ただ、一つ、確実なのは、利害を求めず、自分が感じた憎しみや不条理を、
「真の心」でふつけたのが、よかったのかもしれない・・・。

憎むべきものを憎み、信念を曲げず、ただ正直に主張しただけなのだ・・・。

人間の汚い気持ちを否定せず、憎しみをも受容(肯定)して相手にぶつけた結果、
このような結果を産み、経済的な効果も 手に入れた。


捨て身の行動が、よかったのだろう。
私には、もう失うものなんて、ないとさえ思っていたし、失ったとしても、
何の執着心もなかったから、捨て身にもなれたのだろうと、今は思っている。


しかし、何よりも、できるだけ早く仕事を終え、このプロジェクトから
開放されたいというのが、一番の希望である。




「苦言」 の活かし方

2012年11月13日 | 仕事 -

特に もめているわけではないが・・・
何も もめていないわけでもない。

今日、責任者同士、双方で話し合うことになっている。

私としては、ある立場の中で、これまでの経験値からくる
確固とした主張があり、それをひきたくはないがために・・・
過日に “すべての仕事をストップする” と 宣言した。
そこに体調が悪くなって、ほどの良い時間が 過ぎた。
荒療治だけれど、相手にとっては、少なからず堪えたと思う。

そして、時間が過ぎたことで、双方、頭も心も 冷えたことだろう。


意見の違いがあるのは、当然だけれど・・・
お互いの主張が、かけ離れている場合は、
「どこで、どのように、折り合いをつけていくのか 」 と
いうことがキ―ポイントになる。

私は、こういう時、自分の意見を 曲げないことが多い。
主張するべきだと感じた部分は、どんな権者に対しても、
ちゃんと主張することにしている。



ただ、時々やることは・・・
「もし、自分が逆の立場だったら??」
「相手の立ち位置にいたとしたら、どうだろう??」
ということを、よく考える。
そして、うまく、折り合いをつけるようにしていくことが多い。


また、もし・・・お互いに向けられた「苦言」が あったとしたら、
その苦言をどのようにして受け入れて、活かしていけるか・・・。
その「受け取り方」 と「活かし方」 によって、人の器は決まる と、
思っている。

だから、常に “他人に対して恥ずかしくない自分自身” で、
交渉の場には立ちたいと、いつも気をつけるようにしている。

さぁ、今日は、果たして、どうだろう。
何を得ることができるだろうか・・・。

ジャンボ宝くじが あたる確率

2012年11月11日 | ナンセンス -

生涯で、二度目の「宝くじ」 を買った。
というか・・・買ったことを、すっかり忘れていた。

この週末の大掃除で、ひきだしから出てきた。
「オータム・ジャンボ宝くじ」。

「39」というゴロが好きで、車のナンバーから、
電話番号から、可能な限り「39」を使っている私。
「39」と言われると、心が動くんだなぁ。

それで、CMの「サンキュウ―、サンキュー」と歌う曲で、
つい道端で、足を止めてしまったのだ。
オータムジャンボの売出日の初日のこと・・・。
私が購入したのは、10枚入りパッケージー3000円也。


    「おやおや」 「これは・・・」
    「忘れていました。私としたことが・・・」

    当選するとは思っていなかったけれど、
    ちょっとは、期待した・・・・けれど、
    やっぱり「はずれ」だった。
    でも、300円が一枚だけ当たっていたよ。



宝くじの当選確率は、とても厳しい確率だ。
当選枚数/発売枚数 が、当選確率。

ちなみに・・・
これから発売予定の(毎年恒例の)年末ジャンボの場合、
1ユニットで1000万枚発売されているそうで、
1等は1ユニットあたり1本だから、
単純に・・・1000万分の1ということになる。
「あれまぁ、これりゃ~、だめだぁ~なぁ~!」

石川遼の二年ぶりの勝利

2012年11月11日 | 人物 -

石川遼選手が、ちょうど二年ぶりに勝利を おさめた。
優勝だ!
それも、ちょうど二年前と同じタイトルで・・・。 
<三井住友VISA太平洋マスターズ>

この二年間は、怪我で療養・休養していたわけではなく、
試合をちゃんと続けながらも、「 勝てなかった 」。

二年前には、周囲の人々が温かく見守り、才能ある若者に、
大きな期待を寄せたものだった。


しかし、私は、恐縮だけれど・・・
「勝てないのには、勝てない理由がちゃんとある」 と、
あらためて感じる。

この二年間・・・彼を見ていて、誰よりも、それを感じた。
それには、あらゆる複雑な意味が含まれているけれども、
すべて個人的な見解にすぎない。
ただ、その勝てない理由は、しっかりと存在すると感じている。

かつて言われた 「才能豊かなプロゴルファー、石川遼さん」 だからこそ、
余計に、そう思った。
若くして注目され、人格形成に影響を与える10代の後半期に、周囲から
“ 大いなる期待 ”と共に “ 過大な待遇 ” を手にしていた彼にとって、
何かを微妙に勘違いしたり、安易にとらえる癖がついたりした可能性が・・・
全くないわけではない―と思う。



彼は、「特別な存在」。
とても人気があり、誰からも勝敗に対する期待がかかり、人々の目は、
常に 彼のプレーに注がれる。 
ギャラリーに、集中力をそがれることだってある。

スポンサー契約の金額だって、一般人の一生かけて稼ぐ金額を、
たった数年、あるいは、一年で、手にしているはずだ。



まだまだプロゴルファーとしては、不足している何かがあるのでは
ないかと思う。
どんなに強いプレッシャーでも、それに打ち勝つ「何か」がなければ・・・
いつまで経っても 結果はついてこないだろう。

彼は、まだスタートラインに立ったばかり!
これからのプロ選手としての時間の方が、はるかに長い。

この二年間は、いい経験になったのではないかと思う。

小さな、小さな 「 紅葉風景 」

2012年11月11日 | 環境 -

2012年、秋・・・
我が家のベランダから見える風景です。

もちろん、色づいているけれど、本当はあまり綺麗じゃない。
不安定な気候からくる温度差が、原因だろうか・・・。

昨日も、散歩していて、まじまじと眺めてみると、
色づく前に、先の方から枯れていってしまっている・・・。

でも、この風景には、いつも助けられているから、有り難い。
昨日、撮影すべきだったなぁ・・・青空だったのに。