大晦日の想い

2009年12月31日 | 雑感 -

今年は、慌しい “起伏にとんだ一年” だった。
仕事収めも終わっているというのに、メールというものがあるために、
昨日も資料(A4で6枚:書類)を作成して、スポンサーと関係者に送付した。
年明けすぐの打ち合わせのための準備に、オオワラワ!
早めに大掃除に取り掛かっていて、本当に良かったと思った。

2009年は、12月のぎりぎりまで、何かに “追われている感じ” が、
どうしても拭えない一年だったように思う。
一生懸命にやらないといけない―というような潜在的意識(元々の性格)が、
私自身を駆り立て、常に抱き続ける不安や焦燥感と共に、生きてきた気がする。
ちょうど年齢的にも、過渡的な時期にさしかかっていると感じているし、
何よりもまだ、私の精神性が進化していない結果だろう。


でも、母を亡くし、父を亡くしてすぐのあたりは・・・率直に言うと、
「私は、哀しく、孤独な日々を過ごしていた」。
人との折衝にも疲れ、「ひきこもり」したような落胆の日々から、少しずつ、
この心が癒されていき・・・・・
自分から身体を休めるようになり・・・・・
より人間らしい生活になってきたような気がする。


しかし、2009年6月――三沢光晴とマイケル・ジャクソンの訃報には、
大きな衝撃を受けて、たくさんの涙を流した。
私の生きてきた証の“区切り”のような出来事だったようにも思う。
とても楽しい話題も多かったけれど、経済的にも厳しい現在の日本は、本当に
たくさんの課題を残したままである。今も尚・・・。
すべては、来年に繰り越されていく。
それが、同時に、私自身の課題とリンクしている印象もするし、
自発的に変えることもできる課題もあったりもする。
今年、まいた種に水を与え、育てていくのが来年なのかもしれない。



昼頃、最後の買出しに出向いた時には、真っ青な空を見た。
とても綺麗な「青」で、澄み切った清清しい「青」だった。
我が家は、山のてっぺんに位置するので、たった1~2分でも山登りと
山くだりをしなければならない。
そのおかげで、見晴らしの良い景色を、おがむことができる。
そして、外出時には、その日の天候を予見することができるのである。



    今、私が、おぼろげに考えていること!
    来年に実現したい項目列挙!!
    ちゃんと具体的に決めて、実現できても出来なくても、まずは・・・
    全身全霊、「目標」に “まい進する年”としたい。
    そして、一つ一つ、クリアにしていこう。
    私の人生なのだから・・・。


大掃除

2009年12月27日 | 出来事 -

今年が、終わろうとしている。
たくさんの課題を残したまま、ぶらりんこ状態のまま・・・
日本経済も、社会構造も、人々の心の問題も、
具体的な仕組みも、意識改革もできないままで、今年が終わろうとしている。
正直に吐露すれば、私自身そのものも、同様で・・・
(あまり言いたくはないが)―「中途半端な2009年」だったと言える。

「来年からは・・・」という想いを毎年抱いても、終わってみないとわからない。
でも、「確実に、去年よりは前進した一年だった」と、自分を誉めてあげたい。


とにかく、また「リセットをしよう~~!」。
「気持ちよく、新しい環境で、新しい気分の状態で、リセットしよう」。

そのために、“準備をはじめる”のが、「今、やるべきこと」である。

まずは、一つの仕事を年越しさせてでも、家内のゴミを整理するのを優先させ、
年内の大掃除に時間を費やすことにした。
その結果、今朝から洗濯機は、まわりっぱなしだ。
今、一番求めていることは・・・とにかく綺麗な部屋で2010年を創めたい。

簡単な「お掃除」が、なかなかできなかった今年を振り返り、やはり綺麗で
清清しい雰囲気の空間で過ごしたいから・・・(多少)反省している私。
まぁ、自分でプレッシャーをかけない程度に、のんびりと今日から始めよう。

しかし、実際、始めてみると、どんどん綺麗になって、嬉しくなるから・・・
このまま最後のゴミ収集日まで、一期に頑張れそうだ。 短期決戦だ!!
それに、綺麗になってくると、改めて「模様替え」もしたくなったりして、
ウキウキ感が出てきた。 不思議なものである。
洗濯機の音を聞きながら・・・なんとなく、そんな気がしている。



恋しい人を想うとき

2009年12月24日 | 人物 -



  ☆ 「 Fall Again 」 ☆

なんとなく人恋しくなるときは、
“しっとりと”バラードなどを聴いてみるとよいかも・・・。

ちょっぴりセクシーな曲よりも、重厚なメッセージソングよりも、
繊細で、ラブリーな、マイケル・ジャクソンが歌うバラードを!
やさしく“包まれているような心持ち”になってくる。


でも、この曲は、あらゆるパーツが、マイケルの人生と重なっているようで、
聴くたびに “しょっぱい気分” になってくる。

人によっては、“忘れられない過去”というものが、あるかもしれないし・・・
まだ、その人が「心」に残っていたら、“やるせない日々”を過ごすしかない。
感情は、切り捨てたくても・・・自分自身では、操作ができないものである。
だから、思い出したりすると、切なくて・・・哀しくて・・・
(この曲を聴いていると)私の胸に迫ってくるのだろうと、なんとなく思う。
実際、私には、“忘れられない人”が、この心の奥にいるから。
ある意味では、マイケルの人生と重なっているというよりも、自分の人生と
重なっているから、歌詞が「ズシン!」と響いてくるのかもしれない。



There's something about you, I stare in your eyes
And everything I’m looking for I seem to find
All this time away is killing me inside
I need your love in my life  

   I wanna spend time till it ends
   I wanna fall with you again
   Like we did when we first met
   I wanna fall with you again


You’ll try everything you never thought would work before
When you live, when you love, and you give them your all
You can always give up some more
Baby nothing means anything unless you’re here to share with me
I can breathe, I can bleed, I can die in my sleep
Cause you’re always there in my dreams

   I wanna spend time till it ends
   I wanna fall with you again
   Like we did when we first met
   I wanna fall with you again     

    (これは、MJのデモテープで、リリースはされていないものです)

 「マイコー! 私も人生の最期まで、後悔なく、しっかと生きていきたいよ!」


疲労の源

2009年12月22日 | 出来事 -
今日は、また大学病院で、久しぶりの滞在日(4~5時間)。
病院と相性が悪い私は、どうしても「緊張を強いられる日」となる。
感情が「いやぁだぁ~」「いきたぁくなぁいぞ~~」と、つぶやいている。
だけれど、一応“大人”だから、ちゃんと行ったけれどネ。
しかし、感情に反する行為は、少なからずストレスを与えているのだろうなぁ。


昨日も、あれこれと、様々な人間関係の中に埋没し、いつの間にか・・・
気を遣わなければならないコトが多く、ストレスがたまっていそうだョ。
物事を調整したり、確認したりすることは、仕事の基本中の基本だが、
相手の意向と希望を、(たとえ、かなえられなくとも)尊重して聴くことが
非常に大切なことで、信頼関係を築く礎ともなる。
しかし、率直に言うと・・・・・
これが「疲れる行為」だったり、「ストレスフル」だったりする。
今も、ためいきのような深呼吸を繰り返している・・・。
うまくいかなかったり、期待に応えられない事が続いているからだろう。
また、バラバラの意見をまとめるのも、意外と骨の折れる仕事である。


ちょうど午前中は、食事をとってはいけないので、ゆっくりと寝てから、
病院へ入ることにした。(要は、お寝坊したということだ)
食べられないのを我慢するのは、何よりも辛いからネ(笑)。



――「人事を尽くして天命を待つ」――

仕事も、病院も・・・・・無理のない時間を過ごしつつ、
一日、一日を、自分なりに、精一杯生きることにしよう。

今年中(行けるかなぁ)に、初体験の子宮検査もするつもりである。ファイト!


COP15

2009年12月20日 | 環境 -
 
          キリマンジャロにかすかに残る氷河を見ながら・・・・・


タンザニアにあるアフリカ最高峰「キリマンジャロ」の氷河が、地球温暖化などの
影響で消えゆく運命にある。(気候変動の影響も受けているらしい)
また今年は、キリマンジャロの麓では、異常気象の影響で、唯一の特産品である
珈琲豆が産出できず、農家は困り果てているようである。
変化を遂げているのは、キリマンだけではない。
ヨーロッパの氷河も溶け始めている。
また、北極の氷の溶解は、確実に、海面上昇に影響を与えているし、
“世界の平均気温は、過去100年の間に、およそ摂氏0.7度上昇している”。
この気温上昇は、人為的活動に伴う温室効果ガス排出によって、もたらされた
可能性が90%以上だという。
主な排出源には、発電時や自動車からの化石燃料の消費、森林伐採などがある。


12月7日から、世界の注目は、デンマーク(コペンハーゲン)に集中した。
世界のCO2の40%以上の排出国であるアメリカと中国が、やっと初参加した
今回の「COP15(国連気候変動枠組条約第15回締約国会議)」。
しかし、各国の思惑が交差し、ぶつかりあう現実に、開催後すぐに抱いた不安!
まさに、その予想が(不幸にも)あたってしまった結果となった。
もちろん、アメリカと中国が、この席に着いたことは、大変意味のあることで、
一つの前進と、とらえることもできる。
だから、何らかの変化が期待されたわけであるが、まだまだ世界の現状よりも、
自分達の国の事情を優先するのが重要だったようだ。


「どうすれば、途上国と先進国は合意に達することができるのだろうか?」
地球温暖化対策をめぐっては、先進国と途上国の間では根強い対立が存在する。


とにかく、首脳陣の意識は、まだ現実的なところまで来ていないのだろうか。
これだけ多くの気候変動の現象が続き、各地で天災が続いているというのに!
陸続き、海続きで、繋がっている世界中の国々は、其々に影響を受けなければ
ならないのに、その切実感が身に迫ってくるまでは理解できないのだろうか。
世界規模の人類の問題として、この問題には立ち向かう必要があるのに・・・。


このままでは、海中のサンゴは死に絶え、グレートバリアリーフも無くなる。

ツバルをはじめ、人々が生まれ育った場所が、海中に沈む。
20年後は、日本も影響をかなり受けるだろう。


日本は、恐れ多い(?)目標と、途上国に対する支援を発表したが、それは単に
世界中の首脳陣を発奮させる“きっかけ”にしかならず、終盤のまとめ役として
リーダーシップを発揮することはできなかったようである。

このままの現状を放置すれば、あっという間に、大きな被害を被る環境となり、
重大なツケを、次世代を担う子供たちに背負わせることになってしまう・・・。



地に落ちつつあるTV

2009年12月17日 | 社会 -

日本のテレビ業界も、地に落ちつつあるような気がする。

昨今の年末特別番組を観ていると、本当に「げんなり」してしまう。


今の番組は、何を伝えようとしているのか・・・
何が大切だと考え、何を素材として、どのような意図で構成しているのか・・・
全くみえない(理解できない)番組が増えた。

「時代がかわった」という一言ではすまされない。
「制作費が削減された」という理由では、納得できない。
最近は、放送倫理に反することも多くなったし、それが頻繁に起こっている。
まるで、かつての食料偽装事件のようだ。

人類に備わった「知恵」を使うこともなく、斬新なアイデアもなく、
ただ丁寧に作ればよいものにさえ、演出でごちゃごちゃにしてしまうのが「今」の
傾向のようである。 
(特に、民放局には、その傾向が強い!)

流行なのだろうか。出演者も内容も代わり映えはしない。 

結局は、お笑い番組や、今までは義務教育の範疇だった一般常識クイズ番組、
そして、食べ放題や美味しい料理などの食番組が、ほとんどになってしまった。
出演者の内輪受けで笑いをとる(低俗な)暴露番組も多い。

「ジャーナリスト」という自負や、「マスコミニケーション」というプライドが、
全く感じられない、安易で、唐突で、中身のない番組ばかりである。
そういうものを見せられる側のことを慮ってほしい。
時には、不快な印象を抱いたり、不愉快で、貴重な時間を無駄にしてしまう。
要するに、国民に悪影響を及ぼし、心不快な想いをさせて、その果てには・・・
国民自体を短絡的な思考におとしめ、精神的に低俗化させることに加担している。
徐々に(マインドコントロールのように)おバカな番組を観ても、何も感じない
人々が増えて、国民のほとんどが“テレビとはそういうものだ”と認識している。

ひと昔前は、骨太の番組が多かったし、観ていると感動することが多かった。
単なる情報だけではなく、自分にとって大切な何かを得られたし、
琴線に触れるモノにさえ出会えることもあった。
娯楽番組は、娯楽として徹底していたし、その中でも必ず柱が徹っていた。

「映画」と違って、テレビ番組にはプライドが欠けてきたように思う。
要は、制作の過程が、非常に安易になってしまったのだ。
そのため、単なる時間をつぶすだけのシロモノに成り下がっているものが多く、
制作者からは“メッセージ”が聞えてこない。
耳をそばだてても、聞えてこない。
無神経で、俗悪で、軽薄なコメントは、聞きたくないのに、良く聞こえてくる。


テレビ局にくだらない番組の問合せの電話をしても、担当者はいないし、
電話口にも出てこない。
視聴者センターのおねえさんが「担当者に伝えます」と、マニュアルどおりの
受け答えをするだけである。
責任は、誰がとってくれるのだろう。
どのようにすれば、この思いを伝えることができるのだろう。
どのようにすれば、テレビ局は、ちゃんと真面目に受け取ってくれるのだろう。

正直なことを言ってしまえば・・・ひどい感想にみまわれたときに感じるのは、
くだらない番組にスポンサーした企業にも、罰を与えるべきだと思うほどだ。


愛を携えた人

2009年12月16日 | 言葉 -
 愛さえあれば、すべてのものに立ち向かえる。
         

 誰もが誰一人として傷つけなくて、皆が皆を愛することができれば、
 この世は楽園になる。

                   <by マイケル・ジャクソン>

 
 これらは、1987年にBADツアーで来日した時に、彼が残した言葉である。
 当時、誘拐された「よしあきちゃん事件」に涙して、コンサートでは
 その事件に触れ、哀悼の気持ちを日本中のファンに伝えた。



今夜は、マイケルの特別番組を放送するそうである。<NTV>
児童虐待裁判にマイケルに非がなかったことは、すでに周知の事実である。
要は、なぜそのような事態に陥ったのか・・・その背景にまで迫ってほしい。
あまりに低俗な内容で、ワイドショー的な(上っ面だけの)構成だった場合は、
私は放送局に「一視聴者として、自分の感想」の電話をするつもりである。
番組担当者は、本来、自分の担当番組の放送時間にはテレビ局に滞在して、
視聴者の問い合わせに対応するべきである。


心のシンフォニー

2009年12月12日 | 言葉 -

私は、Oxfordのマイケルが歩いた場所をたどるように歩いたのを覚えています。
      ホールには行っていませんが・・・。
歴史的な建物である大学の入り口には、薄嫌い光しかなく、記念のカードが浮いていて、
不可思議な感覚と、この伝統的な素晴しい壮言な雰囲気は“どこからやってくるのか”と
感じたのを、はっきりと覚えています。
著名な有志に混じって、マイケル・ジャクソンが、Oxford大学で講演をしていたこと自体、
まぎれもない事実であり、彼の業績(世界と子供たちに対するチャリティーの数々)が、
そうさせたのだと素直に思います。
講演内容は長文のため、抜粋して、記念にアップしておきます。


    

<by マイケル・ジャクソン>  (2001年オックスフォード大学講演議事録より)


みなさんの熱烈な歓迎に心から感謝します。オックスフォード大学の学長殿、本日はお招きいただき光栄に思います。そして、ここオックスフォード大学で11年間ラビとして従事しているシュムリー師に特別に感謝の意を表します。「ヒール・ザ・キッズ」をともに苦労して設立した彼とは、子どもらしさとは何か、という内容の本の共同執筆もしました。すべての活動を通じ、わたしを支えてくれているかけがえのない友人です。そして、「ヒール・ザ・キッズ」のディレクター、トバ・フリードマンにも感謝の意を表します。彼女はここオックスフォードの卒業生で、マーシャルの研究をしていたそうです。そして、もう一人の中心のメンバー、マリリン・ピールスにも感謝を表します。

以前、マザー・テレサ、アルバート・アインシュタイン、ロナルド・レーガン、ロバート・ケネディー、マルコムXといった著名な方々が講義されたこの会場で、これからお話できることを喜ばしく思います。セサミストリートのマペット、カエルのカーミットもこの場に立ったと聞いています。「ここに立つのに青いっていうのは大変なことさ(まだ青二才、未熟者なので)」というカーミットの気持ちがよくわかります。カーミットもわたしと同様、この場に上がるのに緊張したことでしょう。オックスフォード大学は偉大な哲学者や科学者だけでなく、JRR トールキン (「指輪物語」の作者)からCS ルイス (「ナルニア物語」の作者)に至る、才能に満ちあふれた著名な児童文学作家たちも送り出してきました。


今日、わたしはクライスト・チャーチ (Christ Church) のダイニングホールの中を歩き、ステンドグラスの窓に描かれたルイス・キャロルの不朽の名作「不思議の国のアリス」を鑑賞しました。子どもたちの大好きなアメリカの児童文学者ドクター・スースの絵もありました。彼は世界中の多くの子どもたちの想像力を養うすばらしい作品を生み続けています。まずわたしが、今夜みなさんの前でお話させていただけるようになったわけからはじめましょう。

わたしにはこのホールで講演してきた有名な方々のように、専門知識があるとは言えません。彼が、ムーンウォークの名手とは呼べないのと同じです。――中でもアインシュタインはとても下手だったと聞いています。しかし、わたしは人よりも、多くの場所へ赴き、いろいろな文化に触れてきました。人の知識は書物から得られたものだけでなく、心に描かれ、魂に彫り込まれ、精神に刻み込まれたものからつくられます。わたしは比較的短い間に、多くの体験をしてきたため自分がまだ42歳であるのが信じられません。時々シュムリーにも言うのですが、精神年齢は80歳には達していると思います――。今夜は80歳のように歩くことさえできます。ですから、今晩はわたしの話におつきあいください。今日ここでお話することが、人々の心、そして地球をもいやせるかもしれません。神の恵みによって、幸運にも、わたしは人生の早い時期にアーティストとして、プロとしてのたくさんの夢をかなえることができました、しかし皆さん、このような実績だけで、自分自身を語ることはできません。5歳の少年は観客の前で『ロッキン・ロビン』や『ベンのテーマ』を元気に歌っていましたが、実際、笑顔の裏側にある少年の本当の心を表してはいなかったのです。

(略)

今日、子どもたちは早く大人になることを求められます。子ども時代と言われるこの期間がつらい段階であるかのように我慢し、できるだけ速やかに通過することを求められます。この点に関しては、わたしも専門家と名乗れるくらいの経験があります。わたしたちは、親子関係の断絶を目の当たりに見てきた世代です。心理学者は、無償の愛を与えられない子どもたちがどうなるのかを扱った多数の本を出しています。無償の愛を注がれず、放っておかれるために、実に多くの子どもたちが、自らの力だけで成長していかなくてはならないのです。

(略)

みなさん、愛は家族にとって、最も貴重な財産であり、豊かな遺産であり、黄金の贈り物です。世代から世代へと受け継がれていく宝です。昔の人たちには、今わたしたちが手にしているような豊かさはなかったかもしれません。家には電気も通らず、セントラルヒーティングのない小さな家にたくさんの子どもたちがひしめきあって暮らしていたことでしょう。しかし、家は暗くも寒くもありませんでした。愛の輝きで部屋をともし、温かい心で部屋を暖めました。富や地位という欲に毒されていない大人たちは、生活の中で子どもたちのことを最優先に考えたのです。

みなさんご存じのように、イギリスとアメリカは、第3代大統領トーマス・ジェファーソンの起草した独立宣言の「譲渡され得ない権利」――生命・自由・幸福の追求――をめぐり争っていました。2カ国がジェファーソン大統領の主張をめぐり争う中、子どもたちにも「譲渡され得ない権利」があるということは論議されなかったのです。これらの権利が徐々にむしばまれていけば、世界中の子どもたちの多くが、幸福や安全を享受できなくなります。そこで、すべての家庭に児童権利法案が取り入れられることを強く望みます。
条項を挙げると、

愛される権利。自ら求めずとも。   
守られる権利。どんなことがあっても。   
かけがえのない存在だと感じられる権利。何も持たずにこの世に生を受けようとも。   
話を聞いてもらえる権利。大人にはおもしろくない話でも。   
寝る前に読み聞かせをしてもらえる権利。夕方のニュースや、『イースト・エンダー』(イギリスの家族ドラマ)に時間を取られることなく。   
教育を受ける権利。学校で銃弾におびえることなく。   
かわいがられる対象となる権利 (たとえ平凡な外見だとしても)。
どの人も、自分が愛される対象であると実感することが、認識の土台、つまり意識のはじまりなのです。髪の色が赤か茶色かを知る以前に、肌の色が黒か白かを知る以前に、どんな宗教に属しているかを知る以前に、自分が愛されていることを実感できなくてはならないのです。

(略)

インド建国の父マハトマ・ガンジーが言いました。 「弱者は人を許すことができない。許すことは強さの裏返しである」 さあ、強くなりましょう。そして、壊れた関係を修復するために、立ち上がりましょう。子ども時代に受けた傷が人生にどんな影響を与えようとも、乗り越えなければなりません。ジェシー・ジャクソン(民主党候補として大統領選に出馬した黒人牧師)の言葉にあるよう、互いに許し合い、互いに助け合い、そして前へ進みましょう。許し合うことだけでは、涙に暮れる世の中は終わらないかもしれません。しかし、多くの子どもたちが親との関係を修復することが、少なくとも新たな出発点となるのです。結果として、わたしたちみんな、もっと幸せになるでしょう。みなさん、信仰、喜び、興奮をもって、わたしの話を締めくくりたいと思います。

今日から、新しい歌が聞こえてきますように。
その歌を子どもたちの笑い声に。
その歌を子どもたちの遊ぶ声に。
その歌を子どもたちの歌声にしよう。
そして、大人たちは耳を傾けよう。

子どもたちのもつ力に驚き、愛の美しさに浸り、ともに、心のシンフォニーを創りだそう。

世界をいやし、痛みを取り去ろう。
そして、ともにみんなで美しいメロディーを奏でられますように。

神の恵みがありますように。“I love you”。



浮気の代償

2009年12月09日 | 雑感 -

かの国「アメリカ」では、タイガー・ウッズ氏が窮地に追い込まれている。

タイガー・ウッズのモノは、あまりにも大きくなりすぎているようだ。
単なる事故から、愛人問題へ・・・そして、嫁と姑問題へ・・・・
新しい豪邸に自分の親を呼び寄せて同居すると言い出した旦那様の言動が
問題だったらしい。
現在は、タイガー・ウッズ氏の過剰薬物服用や飲酒運転疑惑、
妻の母親の自殺未遂騒動まで・・・・
年間100億円はかせぐというスポンサーも、徐々に離れつつあるらしい。


また、愛人騒動の人数は、現在は10人に迫る勢い・・・・
確証のないもの(人)を入れると、10人をはるかに超えるそうだ。

タイガー・ウッズ氏は、女性問題では、本当に「別れ下手」だなぁ。
マイケル・ジャクソンのように、事前に誓約書にサインさせるとか、何か確実に
口外されないようにしておかないと、こういうことになってしまうョ・・・。

そういや、韓流スターと言われている「イ・ビョンホン氏」も、このたび、
元恋人(詳しくは不明)と言われる22歳の女性から訴えられている。
“私は遊戯相手だった!”と思っている女性とは、おそらく泥沼事態になる。
本当に、恋人関係は「心」の問題だけれど、別れる時は相手を尊重してあげて、
(恨みを残さず)上手に別れないと、こういう事態を招いてしまう。
著名人からすると、相当のイメージダウンを招いてしまうことになる。


(一部の)男性は、とにかく「浮名」が好き。それは事実だろう。
そして、一部の妻帯者は「浮気」が大好き。そのスリルも大好き。
奥様以外の方に目がいってしまうのは、オスとしては仕方がないとしても、
後処理をしっかりとして、きちんと奥様にわからないようにしないと・・・。
あとで支払うべき代償は、大きくなってしまうことを肝に銘じるべきだろう。



今こそ・・・

2009年12月09日 | 仕事 -

自分にも、相手にも、仕事にも、
あらゆるものの結果を、最初から過大に期待してはいけない。

今日は、そのことを、あらためて思い知らされた。

今日は、有名ホテルの会議室を予約してまでのプレゼンテーション!
根回しもしていたし、気合と共に、期待もかなりあったのだと、今・・・思う。
しかし、現実は、思うようには、いかないものだね。
現況での経済的な厳しさは、あらゆるところに影響をおよぼしている。

「臨機応変」に対応することと、時世にあった状況に変革していくことが、
今の社会人には求められる。

ある意味では、自分の企画力や対応力、判断力をためされることとなり、
交渉力とともに、あらゆる違った要素が必要になってきた。

そういう厳しさと、面白さを感じつつ、その状況に呼応するかのように、
まず感じたのは、「自分の立ち位置を確認しよう」ということだった。

簡単なことだけれど、大事なことが、いつも欠落したまま、
事柄が進行していくことも頻繁にあるので・・・・
今日は、非常に大切なことだと思った次第である。


最年少の賞金王

2009年12月06日 | 人物 -

史上最年少の賞金王獲得!     「石川遼」クン!
世界でも19歳が最高だったらしいが・・・今日、彼は最年少記録を更新した。

久しぶりに出てきた将来性のある逸材が、着々と・・・・この3年の時間を経て、
日本のプロのトップに躍り出てきた!

すごいことだなぁ、ホント!


私は、「ゴルフ」と「スキー」に関しては、好感度が [かなり:低」である。
それは、およそ30~20年ぐらい前だろうか、某会社が山林を切り刻んで、
スキー場やゴルフ場を “ばったばった”と建設していた頃に始まった。
スキーやゴルフには、全く罪はないのだが・・・当時、若かりし私が受け取った
イメージが(あまりにも)悪すぎた!

自然が大好きな私としては、はげ山になった山間部を見るのが嫌いで、実際、
痛々しく感じて、友達に何度誘われても、スキーに行くことは一度もなかった。
ゴルフも同様である。当時は、農薬を異常に散布され、“環境が犯されていた”
現状を考えると、一人でも抵抗をしたかったのだと思う・・・。
どんな人からゴルフに誘われても、一度も行くことはなかった。
しかし、好感度「低」だからといって、悪口は決して言うことはなかったョ。
行かない理由も言わなかったし・・・。
単に娯楽の一つとして、スキーやゴルフに“はまっている人”は、それでよし。
ただ、私が違うだけ・・・。そういう感じだったからだ。

その後、密かに抵抗していたスキーもゴルフも、仕事がらみで一度ずつ経験した。
もちろん、好感度「低」だから、面白いとは思わなかった。
スキー場に2週間近くカンズメになったときは、立場的にも断われなくて・・・
ただ、単に、仕事上の「おつきあい」である。好きでやったことではない。


そんな“ゴルフ好感度「低」”を、青木さんも、尾崎さんも、丸山さんも、
片山さんも、み~んな払拭してくれるまでには至らなかったが・・・・
石川遼くんだけは、別格である。
なぜか応援したくなる魅力を持っている。
それは、ゴルフがどうのこうのではなく、「石川遼」という人物に好感度が
「上」になっただけである。
注目されはじめた頃からチェックはしているが、やはり「逸材」だと感じた。
そして、イチローのように、出演番組(スポーツ系)を追いかけている自分を
意外だと思いながらも、「今日はどんなコメントをしてくれるのだろう」とか、
「今日はどんなウエア(ファッション)で登場してくるんだろう」という期待で
いっぱいになってくるようになった。
こうなったら、もう遼クンに“つかまれちゃっている”っていうことだ。
深夜に放送された全英オープン(with タイガー・ウッズ)だって、
最後までテレビ観戦するなんて、今までありえなかったことである。


考えられない若さで、あのコメント対応と、その裏側にある“奥の深さ”――。
すでに、日本人が忘れ去ってしまった真摯さや、品格、潔さ、覚悟がある。
あの笑顔の裏側にあるプロ意識もまた想像できるし、なんとなくではあるが、
いろいろな関係性を把握しているのではないかと思わせる度量の大きささえ
感じ取ってしまうのは・・・不思議な魅力だと思う。
これから、どんな人生を歩んでいくのか、注目していきたい一人となった。
彼は、まだ18歳だ。
私にとっては、考えられない若さである。
日本のスポーツ界を牽引していくスーパースターになってほしい。
彼は、偽りない“真の存在”になれる要素と可能性を秘めた18歳だと思う。

しかし、すべては、これから次第である。
人生もゴルフも、まさに「遼クン次第!」
だからこそ、密かに応援したくなってくる。
後悔のないように、日々を過ごしてほしい。


ひとりごと

2009年12月04日 | 自分 -

私の「ひとりごと」。

身体の「痛み」に耐える自信はないが・・・
心の「辛さ」や「苦しみ」を受け容れる余裕は、少しずつ備わってきた・・・
・・・・ように思う。

無理に逃げることなく、安易に解決することなく・・・
「辛い時期もまた、私にとっては大事な時間なのだ!」と、
(少しずつだが)思えてくるようになったのは、私が齢を重ね、経験を重ね、
自分を知り、その上で「自分を大切に感じられるようになった」からだ。

結果は、あとからついてくるだろう。

今は、「哀しみ」や「辛さ」に向き合う勇気とともに、
“一日一日を大事に過ごしていきたい”と思っている。


耐えられなくなったら・・・・
隣にいる人に、助けを求めればよい。
どうにかしてくれる。
世の中、そんなに冷徹な人ばかりではないはずだ。
隣に誰もいなかったり、助けを求めても どうにもならない場合は・・・
それが私の宿命であり、人生である。
なんのことはない。
それでいい。


歯科のレベル

2009年12月03日 | 社会 -

現在、歯医者は、「コンビニ」よりも数が多い。

驚異的な数である。

そして、その歯科医院のレベルの格差は、他の医療機関に比べて、
顕著に患者にでも判別できる。



我が自宅の近くの歯科医は、              (経験談です)
「歯が痛いんです」と訴えていったのに・・・
デジカメで、口あけた状態で写真を撮影して、
「歯並びの問題ですね。こわいですからねぇ~」と力説した。
レントゲンを一枚も撮影することなく、
「歯をかみしめないようにしてくださいね~」

近所でも評判の低レベル歯科医である。
本当に、「こわいですね~~」。



歯科医こそ、セカンドオピニオンが必要な顕著な医療機関だと思う。

日本の歯科治療は欧米などの歯科治療先進国に比べて、10年ほど遅れていると
言われている。
もちろん、それには虫歯治療やかみ合わせ治療なども含まれているのだが・・・
なんだか複雑な医療機関だと、いつも感じている。

自分がどこで治療するか(どの歯科医院を選択するのか)で、
その先の数年間の全てが変わってしまうことがあるからだ。
 (実は、そういう経験を私はしている)
だから余計に、歯科医院を選ぶ時は、慎重にならざるをえない。



食欲

2009年12月02日 | 自分 -

食べ物がなければ、人は生きていけない。

食欲は、愛よりも、純粋である。
  
                 ・・・・単純であると言い換えるべきか?!





20代の私に多大な影響を与えた人が、頻繁に言っていた言葉がある。
「食文化は、人間の個をつくっている“基本的な文化”である!」・・・と。


今、私は「今日何を食べるか」をすごく意識している。
しかし、それは非常に単純で、毎日「食べたいものを食べる」だけである。

ところが、これが何よりも精神的に快適なのである。
美味しいと思えることが何よりも大切で、脳に与える影響も大である。
“食べたいもの”は、“おいしい”と感じる確立が高いのも事実!

だから、当然ながら、食べたくない時は・・・何も食べない。
身体が食物を欲していない時は、無理に食べる必要がないのだと思っている。
すべては、身体が欲するまま・・・・食欲のままに従っているだけだ。



Why?

2009年12月01日 | 社会 -

なぜ入ってはいけないのだろう。


「芝生に入らないで下さい」という看板を見た途端、淋しくなってしまう。

ロンドンなどでは、徒歩15分圏内に大きな公園が幾つも幾つもあって、
大木の下・・・季節によっては、華やかな色とりどりの花が咲く空間で・・・
ビジネスマン達が、芝生に寝っころがって、ランチを食べたりしている。
とても、リラックスしていて、昼食時間を自由に過ごしているように見えた。
東京には、至る場所に公園があるわけないし、全くありえない光景である。



日本には、「・・・しないで下さい」っていうのが多いよね。

どうして?

素朴な疑問として、いつも思う。
国民性の違いなのだろうか。
考え方の違いなのだろうか。

おかあさんは、子供たちの自由を制限するし、
学校の先生は、子供たちの自由を管理するし、
それが、「しつけ」とか「社会的道理を教える」とかであれば納得できるけれど、
どう考えても周囲の目を気にしているように感じるのは、私だけ・・・?
本当に、わからない。
教科書からして違うし、教え方からして違う。
海外では「正解」「間違い」が分かれていないものも多い。

決められた規定内の中でしか、自由を手に出来ない子供たち――。
その子の“伸ばせられる可能性の芽”を摘んでいるようさえ感じる。


もちろん、電車の中で、尋常なく騒ぐ子供を見たとき、正直にいうと
いらっとするときがある。
しかし、そのお母さんの怒り方を聞いたとき、もっとイラッとする。
「ほら、だめでしょ!」
「(周りの人に)怒られるでしょ!」
「もう、いや!やめなさい~!」
子供には、もっとわかりやすく説明してあげないと、わかるはずはない。
自分の“怒り”や“いらただしさ”を子供にぶつけても、状況は変わらない。
現在の多くのお母さんたちは、子供のためを思って「叱る行為」(諭す行為)と、
反射的に沸き起こってくる自分の感情である「怒る行為」の違いを、根本的に
理解していないように感じる。
本当に、「この親にして、この子あり」だと感じることが多い。