「桃」の香りに癒される。

2013年09月29日 | 食事 -

今、私のPCの卓上には、多くのくだものが盛られている。

りんご、バナナ、みかん、桃、梨、そして・・・
どら焼き3個と、黒ゴマデニッシュパン。
冷蔵庫には、いちじくもあるけれど、
口に含まずインパクトがあるのは 「 もも 」 だ。
この優しい香りに、とても心地よい感覚を覚えていて、
ずっと意識しながら、楽しんでいる。

4日前の空気清浄機に入れた柑橘系のアロマがすっかり消えて、
今は傍にある 「 」 の香りに包まれている。
桃も素晴らしいアロマの一種だと感じる。



柔らかな匂いと、脳が記憶している甘さが想像されて、
本当に すべてが 心地よい。

  桃は、水溶性の食物繊維が多いので、便秘にきくらしい。
  また、カリウム豊富なので、高血圧やがん予防にも良い。
  女性にとって、冷え症などにも効果的で、いいことだらけ・・・。




昨夜も一昨夜も来客があって、夜中の12時や 1時まで話が続き、
日曜日だけオフスケジュールだから、のんびりとしている。
そして、明日もまた・・・夜中まで慌ただしい予定。

昨日の昼間の訪問者には、「 美味しいお茶だった 」 と褒められ、
こだわって 「お・も・て・な・し」 した甲斐があったというもの!




人との交流は、心の交流でもある。
感じたことを伝え合うことも大事だけれど、
感じたことを胸に秘めて、一人で楽しむのもまた、
自分にとっては、有り難い時間だーと思う。

今は、そんな “まったり感” で、“桃の香り” を 楽しんでいる。


リスクに関する経営管理

2013年09月25日 | 仕事 -

私は、基本的にはフリーランス(フリーランサー)である。
この立場でいることには、一長一短があり、個々の判断によって、
いろいろな結果を招くことになる。

私の場合もそうで、忙しい時は 二つ三つのプロジェクトを掛持ちして、
徹夜も珍しくない日々を過ごす。
所属会社も、プロジェクトごとに 会社が違うがために、
名刺を幾つか持ち分けたり、長きにわたって一つの会社に所属して
働くこと(年棒制契約) などがあったり、本当に様々である。




この一週間、数年前の仕事に関する重要素材についての問い合わせに
メールで (何度となく) 対応していた。
最終的結果としては 「 見当たらない 」 という会社側の報告があった。
当時の担当者である私としては、気持ちが落ち着かない。
まるで、素材紛失の要因が、こちらサイドにあるように取れるような・・・
対応をされると、非常に遺憾である。

私からすると、大事な書類や素材、資料を保管するロッカーには、
“ 鍵をかけるべきだ ” という基本的な結論になる。
入館が容易な状態であるがために、日中夜中と誰が会社に入っても不明で
どうしようもなく、防犯カメラもないような環境下なので、私としては
「 大事な物を守り通すのは難しい会社だ 」 と思う。

会社の仲間を信頼しないというわけではないが・・・
最近の悪ふざけと同じように、派遣要員や安月給の契約社員などには、
責任というような自覚にかけるメンバーもいると感じるがゆえに、
会社としては正社員として雇用しないのであれば、きちんとした対策を
こうじておく必要があるのではないかと、ずっと感じていた。
( 雇用形態に不満を抱いている人も多く、会社愛がないからだ )

実際、資料DVDを 同社内で紛失した経験がある私としては・・・
完璧に全社雇用人を信頼している状態ではなかった。
事実、社内100人以上にまわる総務部連絡メールには、自覚のない
紛失や故障に関する・・・メールが多くて、呆れることも多かった。



私が、後味が悪いのは、会社の管理不足が、大きな要因なのに、
私の方に、「 会社のメンバーが盗ることはない・・・。不思議だ・・・。
他に保管しなかったか 」という再三の問い合わせ内容についてだ。



やりとりの果ての最終結果としては、不透明になってしまった。
「 大事な素材を紛失して、困っている 」 ということであり、会社としては
「 大きな損害を被っている 」 ということになるのだろう。



私としては、会社の管理経営方法に対する異論を唱えたい。
数年前のことについて、(一歩も足を踏み入れていない会社の状況など)
把握しきれないし、当然 コントロールもできる状態ではなかった・・・。
大事な資料をロッカーに保管する際に、鍵をかけない会社に対して、
私の仕事中は 「鍵を要請して、私に管理させてもらった 」 から安心だったが、
終わってすぐに総務部に鍵を返却したのだから、本来は会社が重要書類などは
きちんと管理するべきなのに、・・・それらを放置してあったのに・・・
その事実を棚にあげて 「 管理不足的な対応を受けるのは、遺憾である 」。

鍵がはずれた過去の私のロッカーには、私のメモがしっかりと残っていて、
実際の素材だけが紛失しているのだという。
もし、私がその素材を持ちだしていたのなら、メモなど残さないだろう。
引き継いだ対応者の管理と、元来の“意識の低さ”を指摘したいものだ。


  実際、HDDだって数万円もするものであるし、再利用も可能なものだ。
  契約内容に不満のある若い雇用人からすると・・・個人的に利用したり、
  売りとばしたりすることだって、ないとは限らないゆえに、リスクに対する
  意識の高さは必要だと思う。
 

不測の損害を、( 最小の費用で ) 効果的に処理するための経営管理手法が、
いかに大切か・・・ 「 リスクマネジメント 」 の意識を持っていただきたい。
特に、問い合わせがあったような “ 人材を大切にしない会社 ” にとっては、
しっぺ返しをする雇用人がいないわけでもないーと思う。
実際、私も、すぐに会社の体質について感じるところがあり、仕事の継続を
断ったこと事体、当然の流れだと感じている。



自分のかかえているスケジュール以外に、このような 遺憾なやりとりを 毎晩、
毎朝にすることは、精神衛生上、よくないことだ と、切に感じた。

「自分が信頼していない人には、信頼されなくてもいいや! 」 的な感想が・・・
ふつふつと芽生えてきたことは、私自身としては、ちょっとした驚きだったが、
それも自然な感情だと受け容れた。
誠実な人や会社と付き合って、質のよい仕事をすることは自分のためになるし、
何よりも得るモノが多いと思う。
自分の眼で判断する能力は、大切な要素だ。

今夜は 「中秋の名月」

2013年09月19日 | 出来事 -

今日は、お天気もよく・・・今月今夜の月は、
とても美しく、まんまると 輝いています。

暁色が残る夕方から、とても大きくて、印象的な月を
みることができました。

最初は、月と同じ形の 「お団子」 の盛られたイメージが、
頭に浮かんできましたが、実際には まんまる月の
複雑な絵柄に興味を抱いただけ・・・でした。

背景が整っていれば、絵画的な印象を抱いたかも・・・。


 


季節を感じられる言葉や、俳句の季語などは、
耳だけで季節を感じられるものです。
もちろん、鑑賞あってのイメージですが、
日本人だからこそ、もともと植えつけられた季節感が
あるのでしょう・・・。

ぼぉ~と眺めた 「 まんまるお月さん 」 に、
ずっと止めていた 俳句 を 思い出して、また再び
はじめてみようかと、なんとなく感じた次第です。

いいっすねぇ~、
        そういう “ 自然と向き合った生活 ”!
憧れます。


大型台風18号 上陸!

2013年09月16日 | 出来事 -

昨日からの24時間の最高雨量が、記録的な数字で・・・
日本列島が大型台風に振り回されている。
昨日よりも、被害は大きく、避難をしている方々が多く、
これから本土を縦断しそうな勢いだ。

せっかくの連休だが・・・
まずは、家と自分自身&家族の生命を守ることが一番。

ゴルフを予約していたお父さん、
残念ですが、出かけないようにネ。


とにかく、雨もスゴイが、風もスゴイ。

気を抜かず、勢いがおさまるのを待つこととしよう。


連休にあたっての雑感

2013年09月15日 | 雑感 -

大型台風が、この連休を襲って、すごい被害だ。
竜巻は、人々の暮らしを根底から壊してしまうほどの状況を、
たった短い時間で、もたらしてしまった・・・。
もし、自分の身に起こったらと、自然の脅威を感じる。

この雨の状態を考えると、「敬老感謝の日」も、
自宅で膝を抱えて過ごすことになりそうだ。

目につく様々な景色に、自然と 気持ちが動くので、
それはそれで・・・複雑な時がある。
また、 一人で 課題になっていることを処理していると、
時間が経つのを忘れることがあって、それはそれで・・・
自分にとっては楽な気分になる。
ただ、 何をしていても、貴重な時間が過ぎていくことは
同じなのだ―と思うと・・・後悔のない日々を目指したいと
思ってしまうが、(これは “ 力みすぎだ ” と感じるので)
最近は 過剰に 考えないようにしている。

すべて、ありのままに・・・。
なすがままに・・・。


「 誕生 」 と 「 死 」 は、
人生に 一度きりしか 起こらない。


それ以外のことは全て・・・俗化するという意見の人もいる。

「死」は、敵にも 味方にも、平等に起こるものだ。

だからというわけではないが・・・
時間が限られている ご高齢の人々には、できる限り
親切な気持ちで接したいものだ。

宗教法人の “不透明な印象”

2013年09月15日 | 雑感 -

我が故郷、四国は、八十八ヶ所の巡礼が 有名である。
たくさんある寺院の中で、八十八ヶ所の中に入っていない寺は、
それなりに歴史があっても、現在は区別された “ 何か ” がある。

何もしなくても、観光客が押し寄せる八十八ヶ所の寺院は、
それ相当のお賽銭や、露出があって、基本的なところから、
差異はでてくるのだと思う。



宗教法人は、納税が免除されているために、非公開の現実が
背景に隠されているお寺も多いだろう。
実際、引き継がれた土地や、宝物などが たくさんあるはずで、
それらは 全て 納税の義務がない。

昔ながらの 繋がり と 固定観念により、社務所の建て替えや
瓦葺き替えなども 全部、檀家に寄付を募る。
そして、ご住職は教諭として働いた年金を手にして、家族も同様に
教諭が多く、なぜか遠く離れた東京に高額マンションを幾つも所有し、
賃貸に出していたりする。

これらは、批判ではなくて、ただお寺のご住職の心持ちによって
違うことなので、全ての寺院を さしているわけではない。




大阪の叔母の家のご住職は、インドまで修行に行った人で、
葬儀の際には、火葬場にまで同行し、お経を唱えてくれたらしい。
もちろん、法要の際にも、毎回、祭壇だけではなく、お墓にまで
同行して、お経を唱えてくれるそうだ。

我家の菩提寺のご住職は、ただ祭壇でお経を唱える30分だけで、
お墓にも同行してはくれない。 その上、法要後のご説法もなく、
すぐ着替えをはじめて、お茶を一口飲んで、すぐに帰ってしまう。
まさに、あっという間だ。
そこそこの雑談さえもできない空気感を漂わせていることもあった。
お偉い方かもしれないが、檀家の間では、「 自分の家に、すべてを
( お金を ) とりこむことしか考えていない 」 と、もっぱらの評判!

まさに、「 お寺次第、ご住職の意識次第だ 」 と言わざるをえない。



【 高野山真言宗 】
今年の報道で、宗教法人・高野山真言宗(総本山・金剛峯寺、和歌山県高野町)が、
資産運用の損失額が 約18億円だったことを明らかにした。
今年2月、お布施を含む資産を外国債の購入などに充てて損失が生じたことが発覚。
その後、弁護士や公認会計士らでつくる外部調査委が全容を調査したらしい。
02~13年3月の損失額を 3億5400万円としたが、集計が間違っていた。
そのため、総長が宗派の議会にあたる「宗会」の一部の議員が集まる会議で説明して、
「厳正に対処したい」と話したというニュースがあった。




庶民には理解できない寺の仕組みがあるのかもしれないし・・・
単なる強欲の極みが、現実として はびこっている寺院があるーとも思う・・・。
住職とて人間だし、寺院の人々が 全て 健全な人だとは 言い切れないだろう。
人間は “ 欲望と理性の間で せめぎ合い続ける生き者 ” だから――。



すごく昔のような、学校がなかった頃の「 寺の役割 」とは違うのに、
その威厳だけが残っているように感じられるケースがある。
市井の人々と一緒になって 共同体を形成していた頃の寺、あるいは ご住職は、
“ 地域のかなめ ” となる存在だった。
ご説法もまた、庶民 ( 檀家 ) にとっては、有り難いものだったはずである。
それは、現在も変わらない。
残された人の心を癒し、繋がりを密にできる 「 有り難い話 」 なのに・・・
それさえも拒否して、お布施だけに執着しているように感じとられる寺院は、
陰で いろいろなことをしているのでは・・・ という不遜な想いが芽生える。
申し訳ないが、そういう切ない印象に成り下がってしまった菩提寺との関係は、
新しい展開が必要なのではないだろうか・・・と、心の奥では思っている。



今は亡き先祖を弔うのも、その魂を癒していくのも、残された側の 「心」 が
重要なことだと思うからこそ、大切なことを見失わないようにしたい・・・と
心からそう思う。
世俗の基準は、お金というものがあるとしても、それが第一にくるものではない。
お寺は、お寺で・・・経営をしていかなければいけないのは理解できるが・・・
程度の問題があって、「 宗教法人である 」 ということを 忘れずにいてほしい。
利益を追求する姿勢が強いのならば、株式会社を設立すれば、誰も何も言わない。
根幹にある基本理念と、意図が・・・社会常識範囲の中で、納得できる範疇で
執り行われることを 願うのみだ。

厳守していくべき 「 慣習 」

2013年09月14日 | 出来事 -

「熱中症」以来、繰り返してきた血液検査の結果が悪くなかったので、
秋頃に、父の七回忌の法要を、お寺に依頼した。

法要を準備するというのは、本当にいろいろと大変だ。
祭壇をつくり、お供えものやお花を飾り、法要用の仏具を寺から借り、
掛け軸・ろうそく・線香など・・・すべてを祭壇に備える。
お膳を二膳用意して、お団子もつくるのが、私の地方のならわしだ。
今回、体調が完璧ではないと思っている私は、負担を軽減しようと思った。

だから、私自身がお寺に赴き、細かいお飾り準備を全てお寺にお願いして、
依託金を支払うことにした。
その費用が、5万円ということらしい。
     お寺の部屋と祭壇を借りる金額だそうだ。
     お供え物や花などは、自分で持参する。
     この費用は、拝んでいただく「お布施」とは別ものらしい。




とにかく、お寺関係の費用は、高額なものとなっている。

いつも、いつも、呆れながら、言われるままに従って支払っているが、
全国的に「このような事実が多いのだろうか」 という素朴な疑問がわく。


昔からの慣習や風習と言っても、そこには精神論が残っていなくて、
ただ 「様式」 や 「決め事」 のみが、横行していると感じるがために、
私は違和感を感じるのだろう。
せめて、「 こころ 」 が伴っていれば・・・
こんな切ないことは感じないと思う。



それでも、父のため、母のため、
かつて生をうけて、この世で生活をしてきた両親の名前を汚さないように、
ただ、そのことだけのために、すべて従っている。

私が、何も背負うものがなければ、納得できないことには 異論を唱え、
安易に甘受したりはしないだろう。

しかし、両親がつくってきた関係性や、お付き合いを前提として、
私は・・・ 「 ことにあたらなければいけない 」。
そこが、重要で、はずせないポイントだ。



お金ですむことなら それでいい。
しかし、あまりにも、あからさまな現実に触れた時・・・
私の気持ちは、大きく振れ切って、落ち着きのない状態になるときもある。

それでも、この時期を乗り切って、
私なりの価値観で 物事を決めていける日までは、耐え忍ばなければならない。

親戚からも、隣家からも、そして、両親の知人達からも、
注目して見られていることだけは忘れてはいけないーと思っている。


サムライブルーの踏ん張り

2013年09月10日 | マイブーム -

今日現在のベターチームが、スターティングメンバーとして
ガ―ナと闘った。

そぼ降る雨の中、前半は 「いつもの展開で、決定力不足 」 が・・・
後半は逆転で、香川・本田・遠藤選手のゴールで、快勝





依然と違ったのは、メンバーが りりしく 運動量を増やして、
走りまわってくれたことだ。
FWも、早めに戻って、ディフェンスをしたり、
ボールも果敢にカットしていこうとする姿勢が見えたり、
受け身ではない 精神的な変遷 が 感じられた。



代表メンバーが、一緒に、試合に 臨めるのは 少ない。
数えるしかないのだ。

来年の6月は、待ってくれないから、ブラジルに行くしかない。
その時に、其々が、どんな状況かは 分からないけれど、
意志の疎通をはかり、相手を信頼して、経験を積んだ自分を
心から信じて トライするしか・・・ないのだろう。

充分な練習時間がない中で、ザックジャパンは 挑戦して、
日本の存在感を誇示していかなくてはいけない。



今日のように、個々の意識が、運動量や攻守のプレーに
反映されるだけに、とにかく、共有感を忘れず・・・
これからの数か月を 過ごしてほしい。

スポーツは、本当に 「 嘘のないドラマ 」 だ !

It is pleasant to see a sport.

競り勝つための 「 要素 」

2013年09月10日 | マイブーム -
全米オープンテニス:男子シングルス ファイナル!
面白い試合になった。

東京五輪の招致プレゼンのように、勝者には 「 勝てる要素 」 が
あって、それは誰の目にも 伝わるものだーと感じた。


 ウインブルドンもそうだが、ロイヤルシートが華やかだ。
 多くのハリウッドスターが顔を並べていた。 私としては、
 久しぶりにショーン・コネリーを見られたのは良かった。

 ナダルはスペイン出身だから、スペインの王妃も観戦していた。



試合は、新聞や業界紙記者も、ナダルが優勢だという予想。
しかし、ジョコビッチは 自分が得意のハードコートだから、
ハードコートが不得意なナダルに 果敢に挑んで行く・・・。
56ショットのラリーがあったり、気迫のこもったボレーも
たくさんあって、先が見えない 「 せりあい方 」 だった。




しかし、最後に勝ったのは・・・ ラファエル・ナダル。

相手より、「 勝とう 」 「 勝ちたい 」 という意欲が見えたこと。
エラーが少なかったこと。 確実に決めていったこと。
また、落したポイントの後に、自分がとり返すメンタリティー!

そして、何よりも、攻め続けることで、最大の防御になり、
結局は それらの要素が 全て備わったナダルが 競り勝った。

ナダルは、昨年は ( 怪我で ) 全米には出場していない。
3年ぶりの2度目の優勝。 特別の感慨だろう。

勝利が決まった途端、コートに倒れ込んで、歓喜にむせぶナダル。
彼にとっては、苦難のツアー休息の時間があってこそ・・・・・
さらに「 勝ちたい気持ちの強さ 」 が、備わってきたのだと思う。



     
世界ランク1位と2位の対戦だから、現在の総合レベルでは
順当であるのだけれど、来年はわからない。
テニスは、あらゆる要素が かみ合ってこその勝利なので、
私からしたら 面白いのだ。

未だ 「生涯グランススラム」 をジョコビッチは 成し遂げていない。

とにもかくにも、テニスの奥の深さを堪能した全米オープンだった。

現実を受け留めつつも、私はやはり 「 ロジャー・フェデラ― 」 を
心から応援する。
完全無欠の勝者として復活したナダルのように、
ロジャー・フェデラ―の復活 を 心から祈り、強く信じている!


   
   国枝選手が、五連覇達成ならず。
   残念でした・・・。
   

定期性貯金 の 自動継続

2013年09月09日 | 社会 -

「 ああぁ・・・ あぁあぁ・・・ ぁぁ・・ ふぅ・・・ 」

1年据え置きの定期預金が、また1年 自動継続になったーと、
今日、文書で連絡がきた。
こんなものは、イザという時のために、マイナスになることを
考慮して、定期貯金をあえて置いているようなものだから・・・
利息などチェックしたことなど、一度もなかった。
いつも無視していた書類である。


今日、東京五輪で、株価上昇・・・なんてニュースを目にして、
つい 「 お利息 」 の項目に目を注いでみると・・・

100万円 を一年据え置きで、利息は 250円。
1000万円なら、たった 2500円だ。
利率は、0.025% とある。


驚きの利率だ。
世の中は、こんなにも、切ない利息なのだ・・・と、改めて
びっくり仰天してしまった。
税金が 40円 だから、実質は、一年に増える金額は 210円。


笑ってしまった・・・。 苦笑いだ・・・。

これが、今の日本社会の常識 なのか。




100万円を据え置いて、総額が2千円以上になっているので、
数年間は、このような状態で自動継続をしていたのだろう・・・と
思い知った。

「あぁ・・・あああぁ・・・、世知辛い世の中よ!」

アイスクリーム1個しか、買えない金額が、1年間の利息!

もう少し、周囲を見渡して、考えを改める必要を感じた。

おバカな世間知らずの私は、お金に無頓着でいけない・・・。

明暗分ける 「 タイブレーク 」

2013年09月09日 | マイブーム -
全米オープンテニス、女子シングルは、
セレナ・ウイルアムズが優勝。

「二連覇か、やっぱり!」 ・・・というのが、ダイレクトな感想だ。
アサレンカとの決勝だったが、また 米国のセレナが制した。

タイブレークの際どさ を 感じる試合だったが、
フルセットマッチで、熾烈を極める結果となった・・・。

セレナは、31歳か32歳だったと思うけれど、
相変わらず、パワフルで個性的なプレイヤーだ。
今日も、男子顔負けの203キロのサービスエース!
怪我・病気からの復活後、彼女はさらに強くなった。



明日の早朝は、男子の決勝となる。
ナダルとジョコビッチだ。
予想 (というより、個人的な希望かな) では、ナダル。
彼は、膝のテーピングがなくなって、凄く調子がいい。
全盛時代と同じ動きをしているし、“ 勝つ力 ” を感じる。

私個人は、正午から打合せがあるので、
なんとか順当に結果が でてほしいものだ。



全米オープンのために、早起きが癖になって、時々徹夜もした。
グランドスラムが 毎日 観戦できるなんて、稀なことなので、
今回は日々堪能しまくった。
疲労感はあるものの、ライブの臨場感には勝てないし、
プレイヤーの体調と試合内容を追っていくのは、なんとも
面白くてたまらなかった。
マレ―の敗退他、予想したものは、かなりあたったし、
長年の観戦から過去の姿を思い描いたりしたりして・・・
非常に楽しい二週間だったと思う。

男子の決勝、明日までは、とにかく熱気を送りたい。

2020年 五輪開催決定

2013年09月08日 | 出来事 -
生放送を観ている。

オリンピック開催地発表は、午前五時予定だったが、少し
遅れて、20分後には発表された。

IOC: ブエノスアイレスでの投票状況を、ライブで、
生中継をしている。

私は、全米オープンテニスの生放送を観戦中に、同時に、
この生放送も、チェックしているところだが・・・
ジョコビッチとバブリンカとの第5セットの3ゲームが
20分以上の死闘で、とにかく鳥肌モノだった。
凄かった! 
決勝進出を決める準決勝戦だ。 



両方が、わくわく、どきどき・・・。

まず、東京は一次投票を通過して、マドリッドが落選して、
イスタンブールと東京が、決戦投票となったのが、午前4時。
しかし、前評判ではマドリッドも高評価だったので、かなり
驚きの結果が待っていた。

午前5時には、セレモニーと共に、会長からの開催地発表だ。

東京開催決定
        

「ひゃぁ~~!」 「やった~!」 って、言う感じ!
これまで、盛り上げてきた東京招致委員会の努力が報われた。
応援団は、抱き合って喜び、涙を流している選手もたくさんいる。
感動的なシーン・・・。


テニス観戦と、五輪開催地投票中継、・・・ともに、すごく熱い。
このあとは、全米テニスは、ナダル戦も待っている。

興奮 冷めやらず!
今日は、夜明けまで寝られそうもなさそうだ・・・。


 しかし、わたすは、夜中に何をしておりまするんじゃろ ?

宮崎駿監督 長編引退宣言

2013年09月07日 | 人物 -

日本らしいモチーフや、世界共通の題材を通して、
希望あるファンタジー長編アニメ映画作品を製作し続けてきた。

そぎ落とされた其々の作品のテーマやメッセージは、簡潔で、
ストレートなものだったと思う。

子どもたちに、「 この世は生きるに値する世界だ 」 と
伝えたかった ― という 宮崎監督の言葉が 耳から離れない。



 
今回の宮崎駿監督の長編アニメ作品に関する引退宣言 (9/6) は、
残念だけれど・・・ 「 本気らしい 」。
けれど、ご本人曰く 「 自由だ 」 という解放感の果てに、
時間が経つにつれて “ 具体的なもの ” と出会っていくだろう。
あれだけのクリエイタ―が、今後 何もしないわけがない。

また、作品を製作しなくても、あるいは 文化人にならなくても、
何らかのメッセージを発信して下されば有り難いとは思うが・・・
ご本人の 「気骨ある性質」 と、「繊細で頑固な芸術家資質」 が、
あらゆる可能性があることを想像させてくれる。
それだけ、アニメ界に与えた影響は計り知れなく、 また・・・
存在の大きさを 感じずにはいられない。

    


宮崎駿監督のマスコミ対応 : 質疑応答の言葉を、遅ればせながら
観たところ・・・ものすごく直截的な表現が 小気味よかった。
「やりません」
「言いません」
「○○ していません。
 だから、○○ とは言いません」 などなど・・・・・。

現在は、過剰な尊敬語が幅をきかして、テレビのアナウンサーさえ
「 これから 放送させていただきます 」
という表現を使って、番組の進行をつとめる。
放送するのは分かりきっているのだから、「これから放送します」 で
(かつては)良かった表現が、今や「・・・させていただきます」 だ。
へりくだりすぎて、内容を まどろっこしくしている ― と 私は思う。

異質な謙譲語は 理解しづらく、間違った尊敬語が まかり通っている。

その点、宮崎監督の言葉の表現は、なんと簡潔で、自己責任に満ち、
現実に即したものだろう ー と、私は とても気持ちがよかった。
これは、年代の違いだ とは 決して思わない。
生きてきた己の人生が背景にあっての姿勢から 発生した表現だ。
だから、その人の生きた言葉だと思うし、表現はその人自身を表している。

自分の中に、柱があって、“ 自信がなければできない表現 ” だし、
心に めりめりと沁み入ってくる “ 説得力のある表現 ” だと思う。
強いパワーがある・・・。



宮崎監督の 「産みの苦しみ」 は、いかばかりだったかと想像するが・・・
それよりも 興味ある 「宮崎駿監督のこれから」 に、エールを送りたい。
10年・・・と言わず、後進にアドバイスできる限り、あるいは、
製作意欲がある限り、ご本人の心中に やりたいことがある限り・・・
宮崎駿さんは 活きつづけることだろう。
非常に楽しみなことだ。

活かされた世界で、「やりたいこと」 をやるだけで、良いのだ。
私たちに メッセージを伝えてほしい。
地球規模の環境破壊や、忘れかけられた“生きる力”の根幹にあるものは、
これからも宮崎駿さんの発進源となるかもしれない。

たとえ偏屈であったとしても、その価値観は 現代社会では貴重なものだ。



何はともあれ、日本のアニメーション界を、長く牽引して下さった活動に
心から御礼を申し上げたい気持ちでいっぱいだ。

全米テニス 四回戦観戦中!

2013年09月03日 | マイブーム -

ロジャー・フェデラ―の全米が終わった・・・。

第四回戦、敗退。

 


予定ではメインコートの第三試合が、雨の中止で何時間も待たされ、
結局は・・・コートも変わり、読めない状況の中、気がついたら
(今朝起きたら) 1セット目をとられていた。
私も、ずっと徹夜をして待っているわけにもいかなかったので、
仕方がなかったが・・・・・1セット目を観られなかったことが
とても残念だ。
この1セット目が、最後まで影響を与えたと思う。
ほんのちょっとしたことで、試合の流れが決まってしまう。
何度も何度もチャンスを手にしながら、決定力に欠けてしまった・・・。

彼は、いつも平常心のような姿勢で、顔色を変えないが・・・
第一試合の時に、勝ちを急ぐかのような動揺したフェデラ―を
ほんの少し観たけれど、今日は 全体的に そういう印象を持った。
今まではあまり感じなかった、焦りが出ていたプレー。
相手のリターンを読んで、頭脳戦のように 想定していないところに
打ち込んで行くことが多かったフェデラ―だけに、今日は・・・
そういう場面が少なくなったのが痛いところだ。 
相手の攻めの気持ちが強かったとはいえ、彼のミスも多かった。
今まで負けたことのない選手でありながら、不本意な結果となった。
次の試合は、順当に勝てば、ナダルだったかもしれないのに・・・。

フェデラ―の試合が終わった途端、ちょうどメインコートでは、
ナダルが同じように1セット目を落とした。


私も、どっぷりと疲れてしまった。

このところ、自分の心が かき乱されることが多く、いつもどおり
対応して、平常心で過ごしていくことの難しさを感じている。
昨日も、落ち込むことがあって、なんとなく元気がない感じ・・・。


    

マスコミの言いたいホ―ダイ報道は、フェデラ―の精神性に
何も影響を与えていないはずがない。
特に、「フィジカル面の低下」 を指摘されると、それは当然のこと。
けれども、31歳目前の時も、全英で優勝している。
今年の全米も、32歳のヒューイットが、24歳の長身:デルポトロを
フルセットで闘って、競り勝っている。 スゴイ試合だった。
何よりも、強い 「勝ちたい気持ち」 が、勝敗を分けることが多い。
是非とも 怪我を治して、今は絶好調のナダルのように、復活してほしい。


フェデラ―の焦ったようなプレー、ミスの多い単調なプレーは、
可能な限り、観たくはないが・・・・
それでも、王者が敗退していく時の 「潔さ」 や、 「ねばり」 は、
私にとって 学ぶべきものがたくさんある。
私は、彼の “人としての素晴らしさ” に魅了されているから・・・。

今回は、深夜であろうが、昼であろうが、ライブで全ての試合を
観戦して、フェデラ―を追いかけてきた。
余裕のある往年のプレーも観戦できたが、やはり早めの敗退だ。

   

フェデラ―が敗退したことで、全米をイレギュラーのスケジュールで
観戦することが、私には なくなった。
来年、彼がまた、どのような試合を こなしていくのか・・・
そちらに注目したい。

マッケンローが、「もう二度と、フェデラ―はグランドスラムでは
勝てないだろう 」 と断言したが、その言葉を くつがえしてほしい。
今年は、怪我で苦しんだからこその(周囲の)様々な反応だったが、
身体と心は連動しているから、心身のリカバリーが必要になる。

試合後、彼は、「この数カ月、体調が 安定しなかったのが 要因だ。
自分でもショックだが、練習するしかない 」 とコメントしている。

私も、同じような状況なので、ここで、踏ん張りたい!


   
それにしても、やっぱり全米は、屋根をつけてほしいなぁ。
いまかいまかと・・・何時間も、待たされるのは・・・
プレイヤーにとってもファンにとっても、キツイ。
フェデラ―は、第一試合も、雨で順延になった・・・。


「思慮ある人々」 の 心情

2013年09月01日 | 言葉 -

Caged birds accept each other but
flight is what they long for.



   籠の中の鳥たちは、お互いを受け容れて 仲良くしているが、
   本当は 飛び立っていきたいのだ。

     < テネシー・ウイリアムズ : 米国 劇作家 >




自分を取り巻く 環境や しがらみから 脱却したい と 考えている人は、
多いのではないか と 思う。
社会の秩序や、常識観念から・・・あるいは、己の仕事の責任から・・・
ぞれぞれの人が ( 日常的に ) 手にしているものは測り知れない。


いつかは、自分のカゴの中に戻らなくてはいけないと解っていても、
拘束や 束縛を 感じる “ 何か ” から 「 解き放たれたい 」 と
強く願うこともある。

しかし、飛び立ったとしても、どこへいけるのだろうか・・・ と、
思慮深い人は 考えてしまうのではないだろうか。
実際、慎重であるということは、自分を守るという観点では長所だ。


          


しかし、たとえ、つかの間の開放であったとしても、 それは・・・
活力や覇気を取り戻す “ きっかけ ” になる。

心情的に 自由を楽しむ “ うしろめたさ ” があったとしても、
決して悪いことではないと考えて、 一歩踏み出す勇気があって
よいのではないかと思う。
それが、私の意見だ。


また、現実では “ 自由のない籠の中 ” でも、
“ 戻る場所がある ” というのは、個々の状況によっては・・・
安心で 幸運なことかもしれない。