今日、1月17日。
阪神淡路大震災から17年が経ちました。昨年はさらに大きな被害を及ぼした東日本大震災が起こり、多くの方の命と大切な故郷や思い出が失われました。
まさかわずか十数年の間にこのような災害が繰り返されるとは思いませんでした。
阪神大震災の時に感じた気持ちが、薄れつつあったのかもしれません。今一度、今日という日を機会にその当時のことを振り返ってみました。
その日、実家で寝ていた私は、震度7の揺れにベッドの上から動けませんでした。揺れの長さは数十秒だったのですが上下前後に激しく揺さぶられ家中に響くガラスの音を聞いているだけでした。
揺れが治まると、暗闇にボーっと光る携帯電話を見つけ、兄に電話を入れました。地震直後は繋がったのですが、その後はまともに通話できず、そのうち電池が切れました。
メガネが見つからず、崩れた机の中から予備のメガネを探し出し、裸足のまま階下へ降りました。
地震直後の寝室です。
両親が寝ていたベッドや布団、足元にあったタンスが転倒しました。幸い、早朝にもかかわらず既に二人とも起きていた為、骨折するようなことはありませんでした。
重量がある戸棚や本棚の下に寝てはいけません。目が悪い人は予備のメガネを確実に分かる場所へ、そして自室内にスニーカーを用意しておいたほうがいいです。家中に割れたガラスや食器が散乱しますので部屋の中から靴を履く必要があります。
ちょっとした怪我でも、その後の避難生活で大変不便なことになります。
一歩、家を出てみると、道には倒壊した壁が見えました。
左奥に人が写っています。倒れた壁は2メートルほどの高さがあります。もし、新聞配達や散歩など、この下に人が居れば命が危なかったでしょう。
幸い、近所では倒壊した家で圧死した人は居ませんでしたが、身近な場所でも危険は多く存在します。揺れを感じたら壁から離れるべきです。
コンクリート住宅でも大きな被害が出ました。
冒頭の写真は、5階建てですがその1階は駐車場になっています。都会ではよく見かける下駄履きマンションというやつですが、揺れとその体積に耐えられず1階部分が落下しました。
このような構造物は1階が先に崩れ落ちます。
基礎がしっかりしたもっと高層の建築物は、しなりが大きくなるとひずみに耐え切れず中層階で座滅が起こります。
これは三宮にあった震災前の神戸市役所です。真ん中で折れました。この他にも神戸市内の高層ビルが中央付近で折れたケースが多くありました。
一般のマンションでも、外観的には耐えたように見えたものが、実はその内部では大きな被害を出していました。
上下に圧縮され、鉄の扉が開かなくなりました。バールでこじ開けないと部屋から脱出すらできません。もし火が出たら・・・と考えると怖くなります。
マンションでは、玄関付近にバールや鉄パイプを置いておく必要があります。
阪神大震災の時には津波や原発事故は無かったので、揺れと火災が被害の主な原因になりました。
自分は津波の恐怖を知りません。地震そのものに対して備えておくならば、まず揺れたらタンスや壁から離れ自分の身を守ること。そして、メガネや靴など必要なものを身の回りに確保しておく必要があると思います。
水や食料は2、3日ならなんとかなります。その後は救援活動も始まりますから、まず初期の安全確保が大切だと思います。
地震も活動期に入り、またいつ新たな災害が起こってもおかしくありません。
阪神大震災を経験したにもかかわらず、いつの間にか防災意識が低くなっている自分を反省しなければいけません。
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