「こんな幸福な時間がこの世にあるのか……」
剛くんが溝口から森田剛に戻った瞬間、客席で泣きそうになりながら
まさにそう思いました。
前回、足を運んだ公演に引き続き、千秋楽も神様はロバみみにご褒美席をくれました。
こんなとこから千秋楽観たら、泣いちゃうよ…。
剛くんを大きく育てたこの「金閣寺」という作品と出会えたことは
なんて幸せなことだったんだろう。
たくさんの素敵なセリフを聞けたことも、本当に幸せだったなぁ。
今、生活の中で、いかに言葉をサラッと使っているかがよくわかる。
「誰の目にも見える僕の誇りはないんか」
16歳の男子が、こんな風に自分を突き詰めて言葉を発したりすることが
今、平成の世にあるだろうか。
「君みたいに透きとおった考えでは生きていかれへんのや」
「透き通った」。
「きれいな」でも、「純粋」でもなく「透き通った」。
なんて素敵な表現なんだろう。
言葉フェチのロバみみは本当にうっとりと切ない心で、
溝口の頼りなく心細く、それでいて熱を帯びた言葉の数々を浴びていました。
まさに「最後の1日や」の千秋楽。
剛くんはいつも通り、神がかってた。
ストンと森田剛を削ぎ落として、溝口を受け止めたのだろうな…と思いました。
「俺としてはこう見せたい」みたいな役者としてのエゴとか欲とか、
剛くんって、そういう匂いを感じさせない人。
と、いうか、ないのかも。
そういう剛くんの役への取り組み方とか思い入れみたいなのって、
もしやパンフとかになら書いてあんのかな。
ロバみみはプログラム買わない派なんで、ああいうのって何が書かれてるのか
いまいちよくわからないないんですが……。
舞台も映画も、伝わってきたものだけをお持ち帰りすればいいと思ってるんで、
まあ、勝手なこと書きますが、
「よくわかんねーから」と、とりあえず「こうやって欲しい」という要求を
サラリと飲み込める人のような気がするんですよね。剛くん。
飲み込んで消化したものを、血や肉として身にまといながら、
役としての生を少しずつ自分に宿していく人。
そして、消化できないものは、元来の正直さで吐き出せる人。
それを何回も繰り返して、いつの間にか役の人生を背負ってそこに立てる人。
理屈で呑んで、感性で吐き出す。
そんな印象をいつも強く受けます。
いや、本当のところはわからないですよ。相手はなんせ森田剛ですから(笑)
でもね、ロバみみの中に見える剛くんは、そんな感じの役者さんなんです。
剛くんを好きでよかったな。
こんないい作品を観るきっかけをくれた剛くんに、本当に感謝です。
カーテンコールもひときわ大きな拍手を浴びていました。
ロバみみは恍惚状態だったので、いったい何回出てきてくれたのか覚えてませんが、
高岡くんと大東くんに担がれて、両腕でガッツポーズをぐいぐいしてた剛くん。
笑顔が最高に眩しかったです。
「降ろしてくれ(笑)」
って、小声で高岡くんたちに言ってましたけど(笑)
そしてさすが千秋楽。
金銀テープが噴射されました。
なんか思わず条件反射的に掴んじゃいました。ライブでもないのに。
習慣って怖い(笑)
そしてこれも感極まっててあまりちゃんとした記憶ではないんですが、
セットの後ろに「祝・千穐楽」みたいなのも出て、
何回かカーテンコールがあるうちに「皆様ありがとうございました」みたいなのが
追加されたりしてた気がします。
あとは紙ふぶきもキラキラ降ってきてましたね。
鳴り止まない拍手に何度も出て来てくれた役者さんたち。
「皆さんのおかげで、無事に千秋楽を迎えることができました。ありがとうございました!」
と、座長として頭を下げた剛くん。
ロバみみは惜しみない拍手を贈りました。
これで終りなんですね。
もう、あの濃厚な空間にもういられないのかと思うと淋しいです。
でも、だからいいのかもしれないですね。
「形ある芸術が俺はキライなんでね」と柏木も言ってましたね。確か。
その場限り、一瞬ずつがもう過去へと流れて消えて行くものの
刹那的な美しさってありますもんね。
こんな風におセンチになってるロバみみをよそに、
もうすでに剛くんは軽い身のこなしで、次の仕事に向かっているんだろうな。
置いていかれないようにしなくては!
また新たな感動を、剛くんはきっとくれるから。
それまでにロバみみも負けないくらい感度バツグンに心を磨き上げておくことにします。
コンプレックスの中で絶望の淵を眺めながら、
それでも生きることを渇望していた若者たち。
悩みも苦しみも「生きたい」と思えばこそのもの。
切なくて苦しくて、でも、静かに消えない若い生命力を
物語の中の彼らに見せてもらいました。
剛くん、本当にどうもありがとう。
そしてお疲れ様でした。
剛くんが溝口から森田剛に戻った瞬間、客席で泣きそうになりながら
まさにそう思いました。
前回、足を運んだ公演に引き続き、千秋楽も神様はロバみみにご褒美席をくれました。
こんなとこから千秋楽観たら、泣いちゃうよ…。
剛くんを大きく育てたこの「金閣寺」という作品と出会えたことは
なんて幸せなことだったんだろう。
たくさんの素敵なセリフを聞けたことも、本当に幸せだったなぁ。
今、生活の中で、いかに言葉をサラッと使っているかがよくわかる。
「誰の目にも見える僕の誇りはないんか」
16歳の男子が、こんな風に自分を突き詰めて言葉を発したりすることが
今、平成の世にあるだろうか。
「君みたいに透きとおった考えでは生きていかれへんのや」
「透き通った」。
「きれいな」でも、「純粋」でもなく「透き通った」。
なんて素敵な表現なんだろう。
言葉フェチのロバみみは本当にうっとりと切ない心で、
溝口の頼りなく心細く、それでいて熱を帯びた言葉の数々を浴びていました。
まさに「最後の1日や」の千秋楽。
剛くんはいつも通り、神がかってた。
ストンと森田剛を削ぎ落として、溝口を受け止めたのだろうな…と思いました。
「俺としてはこう見せたい」みたいな役者としてのエゴとか欲とか、
剛くんって、そういう匂いを感じさせない人。
と、いうか、ないのかも。
そういう剛くんの役への取り組み方とか思い入れみたいなのって、
もしやパンフとかになら書いてあんのかな。
ロバみみはプログラム買わない派なんで、ああいうのって何が書かれてるのか
いまいちよくわからないないんですが……。
舞台も映画も、伝わってきたものだけをお持ち帰りすればいいと思ってるんで、
まあ、勝手なこと書きますが、
「よくわかんねーから」と、とりあえず「こうやって欲しい」という要求を
サラリと飲み込める人のような気がするんですよね。剛くん。
飲み込んで消化したものを、血や肉として身にまといながら、
役としての生を少しずつ自分に宿していく人。
そして、消化できないものは、元来の正直さで吐き出せる人。
それを何回も繰り返して、いつの間にか役の人生を背負ってそこに立てる人。
理屈で呑んで、感性で吐き出す。
そんな印象をいつも強く受けます。
いや、本当のところはわからないですよ。相手はなんせ森田剛ですから(笑)
でもね、ロバみみの中に見える剛くんは、そんな感じの役者さんなんです。
剛くんを好きでよかったな。
こんないい作品を観るきっかけをくれた剛くんに、本当に感謝です。
カーテンコールもひときわ大きな拍手を浴びていました。
ロバみみは恍惚状態だったので、いったい何回出てきてくれたのか覚えてませんが、
高岡くんと大東くんに担がれて、両腕でガッツポーズをぐいぐいしてた剛くん。
笑顔が最高に眩しかったです。
「降ろしてくれ(笑)」
って、小声で高岡くんたちに言ってましたけど(笑)
そしてさすが千秋楽。
金銀テープが噴射されました。
なんか思わず条件反射的に掴んじゃいました。ライブでもないのに。
習慣って怖い(笑)
そしてこれも感極まっててあまりちゃんとした記憶ではないんですが、
セットの後ろに「祝・千穐楽」みたいなのも出て、
何回かカーテンコールがあるうちに「皆様ありがとうございました」みたいなのが
追加されたりしてた気がします。
あとは紙ふぶきもキラキラ降ってきてましたね。
鳴り止まない拍手に何度も出て来てくれた役者さんたち。
「皆さんのおかげで、無事に千秋楽を迎えることができました。ありがとうございました!」
と、座長として頭を下げた剛くん。
ロバみみは惜しみない拍手を贈りました。
これで終りなんですね。
もう、あの濃厚な空間にもういられないのかと思うと淋しいです。
でも、だからいいのかもしれないですね。
「形ある芸術が俺はキライなんでね」と柏木も言ってましたね。確か。
その場限り、一瞬ずつがもう過去へと流れて消えて行くものの
刹那的な美しさってありますもんね。
こんな風におセンチになってるロバみみをよそに、
もうすでに剛くんは軽い身のこなしで、次の仕事に向かっているんだろうな。
置いていかれないようにしなくては!
また新たな感動を、剛くんはきっとくれるから。
それまでにロバみみも負けないくらい感度バツグンに心を磨き上げておくことにします。
コンプレックスの中で絶望の淵を眺めながら、
それでも生きることを渇望していた若者たち。
悩みも苦しみも「生きたい」と思えばこそのもの。
切なくて苦しくて、でも、静かに消えない若い生命力を
物語の中の彼らに見せてもらいました。
剛くん、本当にどうもありがとう。
そしてお疲れ様でした。