リーメンシュナイダーを歩く 

ドイツ後期ゴシックの彫刻家リーメンシュナイダーたちの作品を訪ねて歩いた記録をドイツの友人との交流を交えて書いていく。

344. 「リーメンシュナイダーを歩く旅」の思い出(4)我ながら驚く強行日程!

2024年04月30日 | 旅行

▶またまたご無沙汰していました。

 


2018年の旅で走ったバスの窓から

 

2018年の旅でのことでした。

 この年は、いろいろな人と会う予定が錯綜してあっちへ行ったりこっちへ行ったりと複雑な旅程だったのですが、中でもここでご紹介する旅の記録を読み直していたときに、自分で驚いたのです。よくこんなに忙しい旅程を組んだものだと…! 皆さんはどう思われるでしょうか? 今から6年前のことでしたが、今の私ならもっとゆとりを持って組むことしかできなかっただろうと思います。勇気があったというか無謀というか…。

 チロルへ向かう旅の最後はバスですが、もしこの便を逃したら一体どうするつもりだったのでしょうね? 以下に旅程を紹介しておきますが、詳しくは本文を覗いてみてください。


169. 15回目のドイツ旅行(17)チロルへ出発!

*9月23日(日曜日)

 この日は旅の一番の目的地、チロル地方へ向かう日です。とても気ぜわしい乗り換えの一日、経路はこんな感じです。

  ①ニュルンベルク中央駅 9:02の準急列車で出発→10:52頃ミュンヘン中央駅
  ②ミュンヘン中央駅 オーストリア鉄道特急11:34発ベネチア・サンタルチア行き
   →12:44ヴェルグル駅(既にオーストリア)
  ③ヴェルグル駅 13:00発特急グラーツ行き→キッツビューエル駅13:29下車
  ④キッツビューエル駅13:35発(実際は45分に出発)リーエンツ東チロル駅行きのバスに乗車
   →
終点リーエンツ東チロル駅15:20頃下車


173. 15回目のドイツ旅行(21)オーストリアからブッフ・アム・ヴァルトへ

 9月26日(水)この日は何度も寿命が縮まった感じがした一日でした。

  ①リーエンツ東チロル駅 6:29発 → シュピタルーミルシュテッター・ゼー駅 7:27着
  ②シュピタルーミルシュテッター・ゼー駅 7:40発 → ザルツブルク中央駅 9:48着
  ③
ザルツブルク中央駅 10:00発 → アウクスブルク中央駅 12:15着
  ④
アウクスブルク中央駅 12:30発 →シュタイナハ 14:02着
  ⑤
シュタイナハ 14:36発 → ローテンブルク 14:50着


▶今ならもっと寿命が縮まったと思うに違いない旅でした。

 以上2回の旅程は自分で読んでいてもハラハラします。最近はもっともっと列車の遅れが頻繁になったような気もしますし、用心深さが増しているのでこんな旅程は最初から組まないと確信します。若かったんだなぁと振り返ったひとときでした。

※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015-2024  Midori FUKUDA

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343. 「リーメンシュナイダーを歩く旅」の思い出(3)地方紙のインタビューとボーデ博物館

2024年04月05日 | 旅行

▶留学地のシュヴェービッシュ・ハルでインタビューを受けました。


2016年 マリアンヌが用意してくれたご馳走です。

 

▶留学地はシュヴェービッシュ・ハル

 早期退職後、留学の準備をして一人ドイツへ旅立ち、シュトゥットガルトとニュルンベルクの間にある小さな町シュヴェービッシュ・ハルに留学したのは2006年のことでした。まだ木組みの家が多く残り、ミヒャエル教会を中心とした歩いて回れるほどのこぢんまりした町では中世から続くお祭りもあり、そんな日には地元の人たちが民族衣装を着て、まるで中世の町にいるような雰囲気になります。水曜日と土曜日には教会前のマルクト広場に市が立ちます。
 私はこの町に6か月滞在し、必死でドイツ語の授業を受けました。その時にタンデム家族として私の面倒を見てくれたのがマリアンヌとホールスト夫妻でした。宿題のわからないところも先生のようなマリアンヌに教えてもらったものです。

 その後、連れ合いや娘と一緒に何度も彼らを訪問して、2016年の旅では地元紙のインタビューを受けました。そんな体験もマリアンヌの計らいがあってのこと。ありがたく思い出します。このときの記事は送ってもらっていたので写真で載せてあります。ご覧になってみてください。

60. シュヴェービッシュ・ハルでインタビューを受ける

 

▶こちらはベルリンでの得がたい体験を綴った記事です。

 ボーデ博物館の館長ジュリアン・シャピュイ博士とは2010年に撮影許可のメールを出して知り合いました。最初は緊張してなかなかお話を交わす感じではありませんでしたが、2012年にシャピュイさんたちが「ベルリン国立博物館店」の開催のために来日したあとはグッと距離が近づき、伺う度にカフェでしばらくお喋りを交わすようになりました。そして展示されていない作品についていつ展示されるのかお尋ねした際に「収蔵庫にあるので案内しますよ」とお返事をいただいたのです。天にも昇る心地でした。ゲーテ・インスティテュートでお世話になった松本晃一さんが、ちょうどこのときベルリンにいらしたので一緒に伺うことになりました。実際の案内はお忙しい館長さんに替わって収蔵庫の管理をされている方にバトンタッチ。その時の様子を書いた記事です。

70. ベルリンのエキサイティングな一日


 その後シャピュイさんは体調を崩されてお仕事を離れられ、お目にかかることができなくなったのが残念です。

 ボーデ博物館を訪ねた後は、晃一さんのドイツ語の先生、レー先生のお宅を訪問しました。こちらでもご馳走をいただき、リーメンシュナイダーのファンだというアメリカ人のお友だちも訪ねてきて話が弾みました。とても充実したベルリンの1日でした。

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342. 閑話休題 ヴェニガーさんの記事

2024年03月25日 | 旅行

▶ヴェニガーさんの記事が朝日新聞Globeに掲載されました!




2024年3月24日(日)朝日新聞Globeに掲載されたマティアス・ヴェニガーさんの記事



▶マティアス・ヴェニガー博士

 マティアス・ヴェニガー博士は、今まで何度もこのブログにご登場いただいたミュンヘンのバイエルン国立博物館(中世彫刻及び絵画、写真を担当)の博士です。リーメンシュナイダーの取材にも快く応じてくださり、写真の掲載許可だけでなく、今まで氏ご自身が写した貴重な彫刻写真も提供してくださった方です。私の写真集『完・祈りの彫刻 リーメンシュナイダーと同時代の作家たち』にも巻頭言を書いてくださいました。

 以下のブログナンバー320にも毎日新聞で取り上げられた際の内容を掲載しましたが、今回は朝日新聞の記事を上にご紹介しました。あまりにも見開き全面に書かれた多くの記事で読み応えがあります。その全てが上の写真のタイトルに書かれているようにナチを追いかけた執念の記録です。
 その中の一つとして、ヴェニガーさんが戦時中にユダヤ人家族からナチが奪った銀製品を返還するお仕事が紹介されているのです。記事の内容は毎日新聞の方がヴェニガーさんのお仕事ぶりに集中して書かれていますが、朝日新聞はいろいろな立場の人々を記事にして幅広くドイツという国の姿勢を伝えています。

320. マティアス・ヴェニガーさんのお仕事

 以前も書きましたが、このようなお仕事に邁進するヴェニガーさんを誇りに思います。
 

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341. 「リーメンシュナイダーを歩く旅」の思い出(2)素敵なご縁

2024年03月23日 | 旅行

▶初期のブログを辿っていると色々な体験が思い出されます…



三日月の上の聖母子像 ティルマン・リーメンシュナイダー 1505~1510頃 
 ウィーン、美術史美術館


31. 続編出版のために

 今回の2010年の旅では、遠いウィーンまで行こうかどうしようかと悩み、無駄足を踏まないためにメールで問い合わせをしたことが大きな幸運を導いてくれました。
 皆さんは美術史美術館の奥まで入ったことはおありでしょうか。美術関係の専門家や学者さんならあり得ても、私のようなずぶの素人で、ただただリーメンシュナイダーの作品を愛して止まない人間が、こんなに著名な美術館の奥深くにある収蔵庫まで案内していただけたというのは希有な幸運だったと今でも思い出します。是非その成り行きをお読みになってみてください。

32. ゲーテ校がつないでくれたご縁

 この回は「旅の中では図々しいことも大切」と思えた思い出の一つです。
 たまたま誰も日本語の通訳がいない日にゲーテインスティテュートに通訳の依頼が来て、たまたま日本人生徒で私が最高齢だったことから声がかかり、古城での通訳体験をしてその報酬などについて書いたものです。どんな幸運が来てくれたのか、どうぞお楽しみください。

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340. 「リーメンシュナイダーを歩く旅」の思い出(1)博物館独り占め

2024年03月21日 | 旅行

▶私が一番好きなマリア像



マリア祭壇中央 ティルマン・リーメンシュナイダー 1505~1508 
 クレークリンゲン、ヘルゴット教会 2023年8月15日撮影


▶初めての体験

 この340号の記事をアップしてあったのに、どういうわけかうっかり削除してしまったようで、なくなっているのに気が付きました。こんなことは永年ブログを書いていて初めてのことでとてもショックです。残念ですが、思い出しながらもう一度書いて入れておくことにします。多少以前と文章が変わるかもしれませんが、お許しください。

 

▶旅の振り返り

 今年はゆっくり腰を据えて日本にいるので、以前の旅を少し振り返ってみようと思い立ち、ブログの一番最初の頁から読み直しています。ドイツ語も初歩なのに案外図々しく一人旅、また娘や夫との二人旅を計画してはドイツ、ヨーロッパ、アメリカ旅行を繰り返してきました。その頃の苦労とハラハラドキドキや親切な方との出会いを思い出して涙ぐんでしまうこともあります。せっかくなのでその時の感動を今まで私のブログを読んでこられなかった方々にもちょっと覗いていただきたくて以下にリンクをかけておきました。是非覗いてみてください。

 

▶親切だった博物館

 この2回分の記事では、真冬で閉館中の美術館を訪ねた折に親切にしてくださった方々のことを記しています。

26. 親切なクロナハの博物館

 この博物館はミュンヘンのバイエルン国立博物館の分館のような存在で、時々収蔵品が入れ替わっているようでしたが、リーメンシュナイダー作品も数がありましたので是非見たいと思っていた博物館でした。
 2009年当時の私はまだインターネット検索にそれほど慣れていなくて、地図を調べて印刷し、出かけていったのでした。しかし行ってみたら何と閉館中。そんな時の思い出です。

27.ゲロルツホーフェン

 こちらはバスで行って教会内に入ることはできたのですが、どうしてもリーメンシュナイダーの作品が見つからず困ったときの人々の助けです。

 これらの記事に書いたようなドイツの方々の親切は今でも忘れません。日本で同じように迷ったり困っている人を見かけたら私も親切をお返ししたいと思いながら過ごしています。

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338. 18回目のドイツ旅行(18) 2人旅 バーデン・バーデンからフランクフルトへ

2024年01月28日 | 旅行

▶旅の〆(しめ)は大体フランクフルトです


トーマスとルース夫妻と知り合ったのは1998年でした。それから25年を超えるおつきあい。

 

▶バーデン・バーデンを発ち、フランクフルトへ

 2023年9月15日。今日はバーデン・バーデン駅からこの旅の最終宿泊地、フランクフルトへ向かいます。いつもならフランクフルト中央駅にあるコインロッカーにトランクをいれてからリービークハウスに寄ったりするのですが、ここ数回は展示替えであまりリーメンシュナイダーや中世後期の作家による作品にお目にかかれないので今回はパスすることにしました。

 バーデン・バーデンの宿を10時にチェックアウトして道路に出ると、たくさんの親子連れが歩いて学校に集まってきています。私たちが泊まった宿のすぐ近くに学校があるのです。これが、話に聞いたことがある入学式のようで、ちょっとおめかしした親子連れがあちらからもこちらからも…。子どもたちは大きな花束やプレゼントらしきものを腕に抱えています。これから先生たちと楽しい学校生活を送れますようにと思いながら駅に向かいました。
 はじめは空いていたバーデン・バーデン駅は次第に混んできて、ベルリン・ゲズントブルンネン行きの列車に乗車すると満席。民族衣装の男性が大勢大きな声で笑ったり喋ったりしながらビールを飲んでいました。こちらではほとんど瓶ビールで缶ビールを車内で飲む姿はあまり見かけません。そういえばオクトーバーフェストなのですね。私たちは車両のつなぎ目にトランクを置いて1時間20分を過ごす覚悟でしたが、マンハイムで空いてきたので、最後に少しだけ座ることができました。


▶フランクフルトの2泊3日

 フランクフルト中央駅に着いてから駅の簡易食堂で昼食をとり、地下のSバーンに乗ってからルースにSMSを送るも届かないようなので、最寄り駅に着いてから電話しました。ルースが車で迎えに来てくれます。15分ぐらいかかるとのことでした。でもルースを待つ間にも周りでひっきりなしにタバコを吸う人がいて、とても辛く感じました。今では日本の方がタバコの煙に悩まされることはずっと少なくなりました。

 ルースは運転が得意で、トーマスと出かけるときももっぱらルースが運転するのだそうです。遠くへ避暑に行くときも旅行に出るときも運転手はルースです。他の友だち家族とは反対です。 
 何度も泊まらせてもらった2人の家に再びやって来ました。去年は来られなかったので4年ぶりになります。外観は変わりませんが、いつもの半地下室は絨毯がなくなり、サッパリしたような寂しくなったような感じがしました。昨日買ったリンツのチョコレートとカメラを持って1階に上がるとトーマスも出てきて1か月ぶりの挨拶を交わします。8月は元気に歩いていたのに、今日はゆっくりと歩いています。自転車で倒れたなんて、もうすぐ80歳というトーマスの体には衝撃が大きかったことでしょう。何とか年内にまた元気で歩けると良いなと願いながら挨拶。一緒にルース手作りのコーンスープをいただきました。
 食後は定番の「スーパーでのお土産購入」です。ルースに近くのREWEに連れて行ってもらって身近な人たちへのお土産を買いました。

 その後、旅の報告をしながらおしゃべりしていると、トーマスが嬉しそうに7月21日付けのフランクフルター・アルゲマイン新聞の記事を見せてくれたのです。何とリーメンシュナイダーの彫刻「復活のキリスト、または昇天のキリスト」が発見され、ただいまニュルンベルクで修復中という内容です。ゲルマン国立博物館に「近々展示」と書かれていたので9月ならもう展示しているはずだと。「あら~、それなら明日ニュルンベルクまで行ってこようかしら?」と急遽三津夫と盛り上がったのでした。というのも、旅行前には明日はマリア・ラーハまで車で連れて行ってくれることになっていたのですが、トーマスがこういう状態では難しく、次回来たときにゆっくり泊まりがけで行こうと話しているところでした。では、明日一日何をしようかな…と思っていたので、まさに渡りに船。まだグローバルユーレイルパスが使えますから。2人は私たちの素早い決断に驚きながらも嬉しそうで、「それなら明日帰ってきたら一緒にレストランに行こう」と言っていました。もしそのリーメンシュナイダー彫刻まで見られたら、今年はリーメンシュナイダーの新発見2体の拝観で、素晴らしい結婚50周年記念となります。

 夕食まで50日間近く旅行で回ってきた内容を写真で見せたりお喋りで紹介したり。夕食にはブルスト入りのリンゼンスープが出て、乾杯!(写真・下)お二人は基本ベジタリアンなのですが、私たちが行くと肉類も入れてくれて一緒に食べます。


私はこの丸いテーブルが大好きです。ルース、いつも美味しい食事をありがとう!


 夕食後は夜道の住宅街を40分ほど歩きました。トーマスは杖をついてゆっくりと歩いてきます。私たちはお喋りしながらところどころ立ち止まって彼が来るまで待ったりして、ルースから自転車事故の直後の様子など聞きました。近くにいた人がトーマスの転倒に気が付いて医者に連れて行ってくれたようです。大怪我でも、今はこうしてなんとか歩ける程度で本当に良かった。
 星はよく見えましたが、月は見えない夜でした。日本なら満月の夜だったでしょうか。


▶ニュルンベルク往復

 9月16日(土曜日)。ルースは私たちのために早めの朝食を支度してくれました。1階に上がるといつものように生姜湯を出してくれます。生姜湯は彼女の健康の秘訣のようです。その後トーマスも2階から下りてきて一緒に朝食をいただき、10時頃出発。ルースが土曜日は道路も混んでいないからとフランクフルト中央駅まで車で送ってくれました。10時53分発のミュンヘン行きに乗車。後ろの方は空いていたのでゆっくり座っていくことができました。

 ニュルンベルク中央駅も約1年ぶりです。まっすぐゲルマン国立博物館まで歩き、受付で胸を弾ませながら「新聞記事で読みました。リーメンシュナイダーの彫刻はどこの部屋で見られますか?」と聞くと「25」と言うので、「それはどこですか?」とマップを見ながら更に聞くと不思議そうな顔をして「展示は25年からです。それまでは見られません」と言うではないですか。狐につままれたような気分。大事に持って来ていた新聞記事を引っ張り出してよくよく見ると一番最後の方の文章に小さな文字で2025年と確かに書いてありました! 私はトーマスのことばを信じて記事は帰国してからゆっくり読もうと、まだ前半少ししか読んでいませんでした。うかつでした。でもせっかく来たのだからもう一度中を見て回ろうと気持ちを切り換えて、ファイト・シュトース、ペーター・デル、ペーター・フィッシャー、ハンス・バルドゥング・グリーンやリーメンシュナイダーの現在展示されている作品などをゆっくり見学しました。2時間ほど見て回り、午後4時の列車で帰りました。

 フランクフルト中央駅には午後6時過ぎに着きました。途中でメールを送っておいたのでルースが迎えに来てくれているはずです。今朝送ってもらった場所に立つと、彼女が車から降りて合図を送ってくれました。もちろんトーマスも一緒です。家の近くのレストランに戻るのかと思っていたら、案外中央駅の近くから小道に入り、木組みの家に到着。そこは以前から親しくしているという知り合いのレストラン兼本屋さんでした。私たちは初めて行きました。この日の朝刊にも取り上げられたというレストランで、私は女性の店主から「美味しい魚が手に入った」と聞いてそのスープを頼んでみたところ、本当に美味しくてゆっくり最後まで食べられました。トーマスはポテト料理、ルースと三津夫は野菜を牛肉で巻いた料理で、三津夫は「ドイツで一番美味しいレストランだった」とご機嫌。おまけにデザートと珈琲までいただいてしまいました。本当にご馳走様でした。


この本屋さん兼レストランの名前を覚えていないのが残念です。

 このレストランに着いたときに、「ゲルマン国立博物館はどうだったかな?」と私たちの報告をゆっくり聞こうと待ち構えていたトーマスに「2025年にならないと見られなかったの」と伝えるとすごく怒った顔で「そんなはずはない!」と言うのです。でも新聞記事を見せると渋い顔になりました。「この書き方だとはっきりわからないじゃないか」と今度は記事の書き方に怒っていましたが、「2025年にまた来るから大丈夫。」と伝えるとようやく安心したようです。

 

▶ヨーロッパ旅行最後の一日

 9月17日(日曜日)。以前は教会にまめに通っていたお二人も今の体調では行かれないようで、最後の贅沢なブランチ(写真・下)をゆっくりいただきました。その後は再度写真の説明をするのですが、あまりにたくさんありすぎてお互いに疲れてきました。大きな画面で見られないかと色々試してみましたが、これもなかなかうまくいかず、小さなカメラで見ているので余計疲れます。何とか良い方法はないものかと思うのですが。


 午後はドイツで最後の散歩に出かけました(写真・トップ)。まだ日差しは暑く、普段帽子が嫌いな連れ合いも帽子を被っています。こんな森が家を出てすぐ近くにあるというのは羨ましい環境です。この森の中に以前飼っていた犬のミリーのお墓もあります。夕方、お二人に空港まで送っていただき、2025年の再会を期して挨拶。予定通りの飛行機で帰国の途につきました。

 お二人が日本に来られたら精一杯おもてなししたいのですが、ルースは飛行機が苦手でトーマスは体調が今一つ安定しないために実現していません。トーマスは来年80歳になります。せめて彼が素晴らしいと絶賛してくれている富士山ぐらいお見せしたいものです。

▶終わりに。

 今回の旅行は50日間で550,345歩。よく歩いたものです。昨年のように足を痛めることもなく、無事に歩けたのは幸いでした。 

 ここで18回目のドイツ旅行は終わりです。長い日記にお付き合いいただいた皆さま、ありがとうございました。そして本当にお疲れさまでした。書き始めの頃は数回でまとめるつもりでしたが、結局何だかんだと書き込んで18回分にもなってしまいました。性分なのですね。なかなかまとめられません。ごめんなさい。

 今年2024年は旅の予定はなく、できれば第3回目の写真展を開きたいと思っています。実現できればお知らせをここに書きます。それまでごきげんよう。皆さま、どうかつつがなくお過ごしください。

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337. 18回目のドイツ旅行(17) 2人旅 ランツフートからバーデン・バーデンへ

2024年01月27日 | 旅行

▶バーデン・バーデンの磔刑像


磔刑像 ニコラウス・ゲルハールト・フォン・ライデンと工房作 1467年 バーデンバーデン、聖母マリア聖堂参事会教会

 

▶バーデン・バーデンは初めて訪問する町です。

 バーデン・バーデンは以前から有名な温泉町として名前だけは知っていましたが、あまり外国の温泉に行ってみたいという気持ちはなかったので行ったことがありませんでした。でも、私が写真集『完・祈りの彫刻 リーメンシュナイダーからシュトース』(丸善プラネット2020年発行)を書いたときにニコラウス・ゲルハールト・フォン・ライデンの仕事の中でまだ見ていない磔刑像(写真・トップ)があることを知って以来、やはり見ておきたいなと思うようになった町です。この磔刑像は当時としては大変大きなものだったそうです。  

 9月13日。バーデン・バーデンでは2泊することにして、駅の近くの宿を取りました。ランツフートからミュンヘンとカールスルーエでそれぞれ乗り換えて4時間半ほどかかります。宿泊先は最近の宿で時々見かけるスタイルで、受付場所は無く、建物の裏側などにキーボックスがあってコードを入れるとキーが取り出せるという宿です。前の日までにメールでコードが送られてくるので、スマホを見ながらの操作。連れ合いはトランクと一緒に道路側で待ってくれています。無事にキーが取り出せたので裏側からドアを開け、廊下を通って表のドアを開きました。2階では掃除機をかけている音がしました。私たちの部屋は1階でしたが、部屋に入ってガッカリしたのは大変たばこ臭かったことです。この宿は禁煙のはずなのにこれでは快適に過ごせません。2階まで上がって掃除をしていた女性にその旨伝えたところ、電話で言ってくれとのこと。主らしき女性に電話を入れると「あとで強力な消臭スプレーを撒いておくから大丈夫」と言われました。するとすぐにさっきの女性がスプレーを持って吹きつけに来ました。あとでもう一度撒いておきますとのこと。それでもあの匂いは簡単には取れないはず。念のためにいつもトランクに入れてある無臭の消臭剤を出して私も部屋に置いて出かけました。

 フライジングでヴェニガーさんにお会いしたときに、「バーデン・バーデンに行くなら近くにきれいな聖母子像があるので行って見てはどうですか?」と薦められた教会がありました。それがリヒテンタール修道院です。調べてみるとバーデン・バーデン駅からバス1本で行けそうです。そこで、今日はこちらの修道院を訪ね、あとは買いものをしたり駅の回りの様子やバス便を見るなど下調べをすることにしました。
 バーデン・バーデン駅まで戻ってバス201番に乗り、賑やかな町の中心を通りぬけて修道院に到着。中に入って見ると確かに美しい聖母子像がありました。作風はグレゴール・エーアハルトに少し似た感じです。


リヒテンタール修道院の聖母子像 作者名は書かれていません。 1489年以前 

 修道院の庭には子どもたちが安心して遊べるようなスペース(写真・下)があり、隣のカフェで親たちがくつろいでいました。



 夕方宿に戻ってきたときには部屋の匂いはマシになっていましたが、案の定、閉めてあったトランク内の衣類にはしっかりタバコの臭いが染みこんでいました。そして更にひどいのはテレビを付けても訳のわからないことばが出てくるだけで、どうやっても内容には入れないのでした。こんなテレビは初めてです。幸先の良くないスタートでちょっとめげました。


▶いよいよゲルハールトの磔刑像を見にいきます

 9月14日。昨日、バスの窓から見えた大きな教会が聖母マリア聖堂参事会教会だと思い込んだ私。バス停を下りて近づいていくと何やら不穏な空気が漂っていました。ホームレスの荷物が置かれ、血が付いたようなゴミまでも落ちていたのです。ぐるっと周りを歩いてみてもどこのドアも開きません。こんなはずはないと思ってスマホで地図を確かめると、目的地はここではなく、もっと駅側に戻った場所でした。それにしてもこんな町の中心地にある大きな教会がこのような状態にあることに胸が痛みました。

 相当歩いて戻っていくと、ようやく通りからも見える大きな教会が現れました。なかなか直接上がれる道はなく、脇の狭い道や階段を上がっていくとようやく教会に着きました。それでもこの教会は、またしてもどこのドアも開かないのです。ただ、入口にはゲルハールトの磔刑像があることが書かれた札が立っていたのでホットはしたのですが。


ゲルハールトの磔刑像が置かれている聖母マリア聖堂参事会教会

 それにしてもこのままではせっかく来たのに念願の磔刑像は見られないことになってしまいます。どこかに事務所でもないかとよく見ると、すぐ近くに市庁舎があるのでした。ここまで行ってまずはお手洗いを借り、ちょうどそこにやってきた職員らしき人に教会のことを尋ねてみました。すると「いつも開いてるはずなんだけど」と言いながらどこかに電話をしてくれたのですが、一度ではわからず、他の人にも電話をしてくれて、やっと今日は午後12時~13時までミサがあり、終わったら拝観できることがわかったのです。彼女に心からお礼を言って町に下りました。

 今日は他にもフリーダ・ブルダ美術館と市立美術館にも行く予定にしていたので、そちらを先に見てくることにしました。フリーダ・ブルダ美術館(写真・下)はモダンアート、そこから渡り廊下で繋がった市立美術館はあまり印象が残っていません。




 市立美術館で一休みして軽食をとり、いよいよ
聖母マリア聖堂参事会会です。無事にミサを終えた教会内を拝観することができました。でも参観者は私たち2人だけです。静かに待ってくれた教会の方に感謝しつつ写真を撮らせていただきました。ゲルハールトの磔刑像はモノクロ写真を見ていたのであまり感銘を受けていなかったのですが、ここではカラフルなステンドグラスの光を受け、厳かに立つキリストの姿に気品と威厳を感じました。実際に見に来られて本当に良かったと思いました。

 この日の目的は全て達成。朝、教会を間違えて行ったり来たりした苦労もすっかり忘れて、帰りがけに見かけたチョコレートやさん、リンツに入って見ました。まぁ、ここも何とカラフルなこと! 全て一粒ずつ買いたくなってしまいますね。中ではコックさんが立っていてお客さんに美味しいチョコレートを試食させてくれるのです。明日訪ねるフランクフルトのトーマスたちへのお土産として一袋買いました。



※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015-2024  Midori FUKUDA

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336. 18回目のドイツ旅行(16) 2人旅 フィラハからランツフートへ

2024年01月25日 | 旅行

▶ランツフート、聖マルティン教会の聖母子像

 




ラインベルガーの聖母子像は本当に逞しく、力強い。裾から顔を出している天使たちもラインベルガーマドンナの特徴です。
 ハンス・ラインベルガー 1518年

 

▶フィラハから再びドイツ、ランツフートに戻ります。

 2023年9月10日。今日は朝7時16分発ウィーン行きという早めの列車でフィラハを出てザルツブルクまで行き、そこからミュールドルフ(ドイツ)という駅に出てランツフートに向かうという、2回乗り換えの旅です。しかもランツフートでトランクを預けてから再び列車でフライジングまで行き、マティアス・ヴェニガー博士(バイエルン国立博物館の中世担当博士)とお連れ合いのルースさんと会う約束。なかなかに忙しい1日でもあるのです。共働きのヴェニガー夫妻はこの日なら午後時間が取れるということで、約1年ぶりの再会です。

 市内ツアーのガイドも務めているルースさんはこの日、普段は縄を張ってあって中には入れないフライジング大聖堂の内陣席を見せてくださるというので楽しみにしていました。通常は位の高い人々しか真正面から彫刻を見ることができないので、見せていただけるのは貴重な体験です。ヴェニガーさんでも自由には入れない場所らしく、嬉々として写真を撮っていらっしゃいました。
 この内陣席には初代からの司教像がズラッと並んでいて、これだけの彫刻が記録として残っているのはあまり見たことがありません。いえ、もしかしたらちゃんと知らないだけで他の教会でもそうなっているのかもしれないと今、思い始めていますが。胸像も温かみのある表情で、その下の飾り模様も一つ一つ微妙に違っている感じがしました。


この一番左の方が初代の司教さんで、あとは順に並んでいるそうです。


 内陣の撮影後は大聖堂内のあちらこちらを回り、また回廊の墓碑を見て回りました。ルースさんが優しい英語で説明を始めると途中からヴェニガーさんが来てドイツ語で熱心に解説し始めるのでルースさんは見守るというパターンが多く見られました。レリーフの墓標にも奥行きのある彫刻があり、一目見ただけでお二人は作者名がわかるのです。私たちはまだまだその名前が覚えられませんが、共通の特徴は少しずつわかるようにはなりました。その後、昨年再開した大聖堂博物館にも再度入館してゆっくり拝観しました。昨年見たエラスムス・グラッサーの「嘆きの天使像」は、今年はガラスケースに収められていました。昨年はケースはなかったのでじっくり写すことができて良かったと思いました。

 その後は一休みと市内のカフェに入ると、三津夫がハンス・ムルチャーのカタログなど何点かヴェニガーさんに質問したいことがあると話し始めました。すると彼は自転車で家までカタログを取りに行ってくるとサッと出かけていきました。思い付いたら行動しないと気のすまない方のようです。しばらくしたら3冊のカタログを重たそうに持って戻っていらっしゃいました。その時の写真を以下に載せておきます。本当にあふれるほどエネルギッシュで親切な方です。


このカタログの中で右側の2冊を帰国後早速注文しました。

 しばらくお喋りを楽しんでフライジング駅でお別れしました。ヴェニガー夫妻に感謝です。下の写真はフライジング駅まで見送ってくださったお二人と。

 

▶ランツフート市内2日間

 ここランツフートはハンス・ラインベルガーが工房を構えていたという町。2019年に初めて来たときにも聖マルティン教会(最近は聖マルティン・カストゥール教会と出てきますが、こう書かせていただきます)の力強い聖母子像(写真・トップ)を拝観してその強い眼差しに身のすくむ思いをしながら撮影したのでしたが、まだ見残した作品があるということと、ホテルの予約をした時点ではヴェニガー夫妻とはいつ会えるかわからなかったため、ゆとりを見て3泊4日の宿を取っていました。

 9月11日。今日の第一目的は聖マルティン教会とハイリッヒ・ガイスト教会(美術館)を訪ねることでした。
 駅に近いホテルを出て、旧市街までは少し距離があるからバスで往復してはどうかと思ったのですが、連れ合いは歩いて行けるだろうと言います。日差しがきついので日陰を選びながらイーザル川を越えて旧市街まで歩きました。
 
教会に着いて中を見てみると、月曜日なのにミサの最中でした。これでは撮影はできません。後でまた来ることにして私は葉書を出したくて郵便局へ切手を買いに。教会まで戻ってくると、回りの写真を撮りながら待っていた三津夫が「ミサは終わったよ」と言います。でもドアまで行くと、なんと鍵がかかっているのです。横を見たら「毎週月曜日と金曜日は10時半から15時までの間に清掃をするため閉館します」という札がかかっていました。ガックリです。
 仕方がないので明日もう一度来ることにして、町の西側にあるハイリッヒ・ガイスト教会にまわることにしました。途中喉も渇いたしトイレも行きたくなったのでカフェかレストランに入ろうと見ながら歩きましたが、タバコの煙が苦手な私は室内に入りたいのでなかなかここならというところが見当たりません。そんなとき、ようやく見つけた日本食レストラン(写真・下)。若い青年が経営していて中の雰囲気もなかなか良くて気に入りました。味も良かったのでお薦めしたいのですが、残念ながら店名を日記に書き忘れていて思い出せません。私たちは一番早い客だったのですけれども、このあとどんどん地元の家族がやって来て店内のテーブルが埋まるほどでした。



 この後ようやく着いたハイリッヒ・ガイスト教会は何と展示替えで閉館中。ここにはラインベルガーとその周辺作家の作品が3点あり、以前も見ているのですが、もう一度よく見ておきたかったのです。今日は何ともツイていない日でした。ガッカリして疲れがドッと出たのと、あまりにも暑いのとでイーザル川のほとりで一休み。ここの美しい景色で少し元気が戻ってきました。


イーザル川のほとりは涼しく、心安まりました。

 ランツフート駅までの帰り道で、通りがかったキリスト教会と、ホテル近くにある聖ニコラ教会に寄りました。後者にはラインベルガーの「休むキリスト」があります。前回は館内修復中で工事の人に聞きながらやっと中に入れたのですが、今日は三津夫が入り方をよく覚えていてくれたおかげで、回り込んだドアの奥にあるキリスト像を静かに拝観することができました。ベルリンのボーデ博物館にある同じ彫刻とよく似ていますが、ランツフートの方がキリスト全身からの憔悴感が伝わってくるような気がします。

 今日は炎天下を18,741歩歩き、9月のトップ記録となりました。ホテルに帰ってベッドに倒れ込みました。


▶ランツフート市内見学2日目

 9月12日。今日もランツフート旧市街まで徒歩で往復です。
 まず最初は小高い丘の上にあるブルク・トラウスニッツというお城に登りました。細い階段を何段も上がってようやく到着。ここは小さな博物館になっています。城内はツアーでしか入れないので少し待って小柄な女性ガイドさんの案内で入りました。私たちだけだったので「すみませんが少しゆっくりお話ししてください」とお願いして話を聞いていると、後から地元の夫婦が一組駆け込んできたこともあり、残念ながら解説のスピードはアップしてしまいました。城主の所有する祭壇の彫刻がとても面白く、一体誰が作ったものなのかと思って聞いたところ、ストラスブールの作家ということしかわからないとのことでした。
 ツアーを終えて、庭の奥の展望台から見下ろした景色は爽やかでした。


ブルク・トラウスニッツから見たランツフートの旧市街(右側の高い尖塔は聖マルティン教会ではありません。)


▶聖マルティン教会

 お城からの階段を下るのはあっという間でした。昨日見られなかった聖マルティン教会に行って今日こそは堂内をゆっくり拝観しました。前回は工事中のパイプの合間に立っていたハンス・ラインベルガーの聖母子像(写真・トップ)は堂内のパイプもなくなっていて、ゆっくり好きな角度から撮影できました。失礼ながらスカートの下からも撮影。マドンナは花の上に立っていて、スカートの裾の襞の中から小さな天使が顔を覗かせています。この天使の姿が可愛らしいのです。
 また中央に大きなキリスト磔刑像(写真・下)があったのですが、この作品は誰のものかと気になって教会のパンフレットを見てみると、何とミヒェル・エーアハルト作で、「ヨーロッパ最大級の後期ゴシック様式の十字架。大きさは、5.50 m x 5.45 m(胴体)、7.53 m x 6.08 m(十字架)。下から見ると、シェーンブルン家の紋章が見える。この彫刻を寄贈したのはシェーンブルン家である。」と書かれていました。なんでこんな目を惹く作品に気が付かなかったんだろうと考えていたら、そういえば、前回は工事のパイプが屹立していて堂内をゆっくり見ることができなかったのだと思い出しました。
 その後、昨日は休館日だったランツフート彫刻美術館と裏側にある王宮彫刻美術館を訪ねました。ここにはラインベルガーに関する作品はないことはわかっていたのですが、前者にはほとんど彫刻自体が展示されていなくて残念。後者にはモダン彫刻が静かに展示されていました。


聖マルティン教会 磔刑像 ミヒェル・エーアハルト 1495年


 明日はバーデンバーデンに移動です。夜になって最後の宿泊先、フランクフルトのトーマスから「Eバイク(モーター着き自転車)でころんで怪我をしたので、予定していたマリア・ラーハには行けなくなった」と連絡が入りました。昨年は帯状疱疹で動けなくなり、ようやく歩けるまでに回復したというのに何と不運なことでしょう。それでも宿泊はOKとのことですので、ゆっくりお喋りを楽しもうと思っています。

※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015-2024  Midori FUKUDA

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335. 18回目のドイツ旅行(15) 2人旅 インスブルックからフィラハへ

2024年01月22日 | 旅行

▶フィラハ(オーストリア)のホテル前には多くのバイクが駐車していました。


ここ
は多くのライダーが宿泊するホテルのようです。

 

▶インスブルックからフィラハへ

 2023年9月8日。今日はオーストリア国内の移動です。今まで聞いたこともなかったフィラハという町に行くことにしたのは、これも植田重雄先生が遺された『DER SCHNITZALTAR』(Herbert Schindler著 Verlag Friedrich Pustet)の影響でした。2022年にはこの本に出ていたチェコのアダモフ、オーストリアのマウアーにある迫力ある木彫祭壇を訪ねたのでしたが、今回は表紙に掲載されているマリア・ガイルの「マリアの戴冠」祭壇を見ておきたかったのです。

 インスブルックからグラーツ行きに乗り、途中のシュヴァルツアッハ-聖ファイト駅で乗り換え、お昼過ぎにフィラハに到着しました。チェックインは午後4時からなのでトランクだけ預け、町の地図を頼りに市内に出てみました。明日はこの町からマリア・ガイルまでバスが出ているのかどうか調べたくて途中のインフォメーションセンターに寄ると、若いお兄さんが親切にバス時刻表をプリントして印を付けてくれました。これで安心。バスは駅前から出るそうです。
 市内にある教会を見て回り、最後に郷土博物館へ。あまりこれといった展示物はないなぁと思いながら回っていたら、上階に明日拝観に行くマリア・ガイル祭壇の両翼裏側の祭壇画が展示されていました。明日行っても祭壇の両翼裏側までは見られないかもしれません。来て良かったと思いました。

 ホテルまで戻り、午後4時にチェックイン。部屋にはキッチンも付いていてスペースは広々としていました。でも食器が少なく、部屋の照明も暗いのが残念。駅前のスーパーで買いものをして昼食兼夕食をとりましたが、お米が売られていなかったのでパンを買ったため、パンに飽きた連れ合いは渋い顔でした。あまり喉に通りにくい食事でも美味しい葡萄が助けてくれました。

 この日、困ったことが起きました。毎日の連絡や情報を得るのに大切なスマホのためのモバイルWi-Fi用充電器がうまくコンセントに繋がらなくなってしまったのです。元々緩めだったのですが、何とかセロテープで留めたりして辛うじて充電できていたのでした。でも今日はすぐ外れてしまうのです。いくつか持って来ているコンセント口を取り替えても同様で、やっとある瞬間繋がって何とか充電することができましたが、明日からが心配です。


上の川はドラバ川。ここを越えて旧市街に入ります。


▶マリア・ガイルは遠かった…

 9月9日。この日は土曜日でしたがインフォメーションセンターのお兄さんが教えてくれたように5194番のバスは8時55分に出る予定です。ところが駅前のバス乗り場に行っても5194番というバス表示が見当たりません。4回ぐらい聞き直してやっとその表示を見つけました。それはホテルの前の停留所でした。でも時刻表には8時55分は載っていません。デジタル表示で9時30分と10時25分にこのバスが出発すると出たのですが、地元の人が「それはマリアガイルまで行かないから10時25分なら大丈夫ですよ」と言います。仕方なく部屋に戻って一休みし、再びバス停に出向くとさっきの赤いシャツのおば様がバスを待っていました。同じ方面に行くようです。このおば様がおしゃべり好きで早口で色々と話しかけてくるのです。あまり聞き取れないのですが、全然お構いなく話し続ける不思議な方でした。バスが来たら違う座席に座ったのでちょっとホッとしました。
 運転手さんにマリア・ガイルと伝えておいたので、「ここです」と合図してくれたので下車したものの、近くに全く教会は見えません。回りには大きなショッピングセンターがいくつかあったので、いざとなれば食事もトイレも何とかなると少し安心しました。
 スマホで教会の位置を出してみると、まだこの先大分歩くようです。暑い日差しが今日も照りつけています。しばらく歩いてもなかなか越えるべき川が出てこないので不安になってきました。20分以上は歩いた頃でしょうか、ようやく川が見えてきたので、これを越えると教会がありそうだとホッとしました。こちらの川はガイル川という名前だとあとで知りました。やっと標識(写真・下)が出てきて、胸をなで下ろしました。小さな教会も尖塔も見えてきました。

 中に入ると可愛らしい「マリアの戴冠祭壇」がありました。こぢんまりとまとまった祭壇で、聖母マリアが少女のようで何とも初々しいのです。堂内にあった「水をかけている聖人像」は聖フロリアンで、建物が燃えないように水をかけている様子だそうです。今までずいぶん多くの教会を訪ねてきましたが、こういう聖人彫刻は初めて見ました。

 やっと見に来られました。植田先生もここまで来られたのかなぁ、どうだろう…と思いながらバス停まで戻りました。




写真・上:翼付き祭壇 1515年頃 作者名は書かれていませんでした。


写真・上:聖フロリアン:消防隊の組織を責務とする聖人だそうです。

 

▶赤シャツのおば様

 バス停まで戻ったら、何とあの赤シャツのおば様がまた停留所にいるではありませんか。彼女は近くで買いものをして町まで戻るのだそうですが、「バスが来ない」と心配そうです。バス停の時刻表を一緒に見てみると平日の時刻表を指さすので「今日は土曜日ですよ」と言って「まだ1時間ぐらい来ませんね」と珈琲を誘ったら「もう飲んだから良いの」と言いながらマックの中には一緒に入ってきました。せめて屋内の方が暑さが凌げて良いだろうと思いながら私たちは軽食をとり、1時間後にまたバス停に行くと、バスはまた来ないのです。一体どうなっているのでしょう。朝のバスも帰りのバスも予定していた時間には来ないので、あの時刻表はあてにならないとガッカリしました。彼女はもう待ちきれないから歩いて町まで帰るといいます。以前も歩いたことがあるそうな。それなら私たちもバスは諦めて歩こうと、一緒に行くことにしました。彼女は早足でさっさと歩いて行きます。時々会話をしながらも早口なので半分ぐらいしか聞き取れません。それにしても暑い!! 三津夫は通りの反対側の日蔭のある方を歩きたかったと文句を言っていましたが、彼女は日差しを苦ともせずさっさと歩いて行きます。駅までは地元の人と一緒に行った方が安心なので何とか彼女の歩きに付いていきました。小一時間歩いたでしょうか。ようやく町の教会が見えてきました。駅の近くまで来て「ではここで」と彼女は去って行きました。不思議なおば様でした。そのおば様の写真、三津夫がマックの前で写していたのでここに載せておきます。お世話になりました。

 明日はドイツのランツフートに戻ります。


お一人住まいだというフィラハのおば様と。

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334. 18回目のドイツ旅行(14) 2人旅 バーゼルからインスブルックへ

2024年01月21日 | 旅行

▶アンブラス城(インスブルック、オーストリア)


「Tödlein」(死の形象?)ハンス・ラインベルガー  1520年頃 アンブラス城

 

▶オーストリアのインスブルックまで来た理由

 以前からハンス・ラインベルガーの「死の形象」(?)を見たいと願っていたのですが、2022年はウィーンの美術史美術館にあると思い込んでいて探しても見つけられず、帰国後によくよくカタログを見直したら、インスブルックのアンブラス城にあると書かれていたことに気が付きました。そこで、今年こそはもう一度インスブルックに行ってこの彫刻を見たいと計画したのでした。
 
※彫刻名の正しい訳がわからないのでGoogle Arts & Culture のサイトに出ていた英語名を翻訳し、「死の形象?」としておきましたが、私の思いとして(?)を付けてあります。


 2023年9月6日。バーゼルからチューリッヒまで行き、乗り換え。ここチューリッヒには以前友人だったイルマとロルフ夫妻が住んでいて4回は訪れていたのですが、ロルフが交通事故で亡くなってからイルマと連絡が取れなくなり、その後初めて来たので懐かしい思い出が蘇ります。
 インスブルックまでは予定通りの運行で無事に12時半頃到着。駅前のホテルのはずなのになかなか見つけられず、ようやく見つけて入ったらとても大きくて便利なホテルでした。荷物を預けて出かけるときに中からはガラスのドアに書かれたホテル名がくっきり見えたので「何で気が付かなかったかなぁ」と不思議でした。光線の加減でしょうか。でもあとで駅のホームから見ると建物の情報にホテルの名前が大きく書かれているのがよく見えました。

 バスの乗り場を周りの人に尋ねてもどうもよくわからず、結局駅のインフォメーションに行って安いチケットを買い、504番のバスでKの乗り場から乗ることをしっかり教えてもらってアンブラス城に出発しました。
 この日はすごく暑い日で、バスを降りてからお城までの小道も強い日差しの中でしばらく歩きました。最初に入ったお城の建物の中は武器などが中心で私の目を惹くものは無く、次に向かった建物(トップ写真・上)にようやく気になっていた「死の形象?」があったのです。しかもまだかまだかと見て行って最上階でやっと登場。思っていたよりずっと小さな彫刻でガラスケースに入っていました。写真撮影も禁止で残念でしたが、さすがラインベルガーらしい個性的な形の表現だとじっくり見入りました。帰りがけにこの彫刻が載った看板が立っていたので写してきました(トップ写真・下)。
 その時に、展示内容の動画もあったので見てみると、館内にはニコラウス・ゲルハールト・フォン・ライデンの聖母子像もあることがわかりました。今までこの情報はまったく知らなかったのでびっくりして「どこで見られるのですか?」と係員に尋ねたところ、今日はあまりの暑さで作品が傷むので既に閉館したとのこと。あら~、残念! また機会があったら是非見たい聖母子像でした。

 再びバスで駅まで戻り、駅地下で夕食を買ってホテルに正式にチェックイン。今日の目的を無事達成できてビールとお茶で乾杯しました。でも暑い中での歩きは本当に疲れました。


▶昨年行けなかったシュテアツィング(イタリア)にやっと行ってきました。

 9月7日。昨年はインスブルックに着いた日に三津夫が発熱、翌日私も発熱したため、日帰りで行くことができずにあきらめたシュテアツィング。今年こそはハンス・ムルチャーの傑作のひとつをきちんと見たいと、今日はリベンジ旅行です。今まで乗ってきたオーストリア列車は正直あまりきれいなものではなかったのですが、ここからBrenneroまで南下する地域列車は赤いシートの目立つきれいな列車でした。途中の景色もまさにチロル。なだらかな山の麓の美しい家々を楽しみながら撮影に挑戦。景色がサッと流れてしまうのでなかなかうまく捉えられませんでしたが、こんな感じ(写真・下)です。見ているだけで爽やかな風が心の中を吹き抜けるようです。


駅からの曲がり角。右上の立て札には STERZING(ドイツ語名のシュテアツィング) と VIPITENO(イタリア語名のヴィピテーノ)
と併記されています。
 下は湿原の聖母マリア教会。



シュテアツィング祭壇 ハンス・ムルチャー 1456~1458年


教会の隣にあるハンス・ムルチャー博物館

 湿原の聖母マリア教会という名前から、もっとジメジメした場所なのかと思っていたのですが、今はそんなことはなく、昔は沼のほとりだったのかもしれないと思いました。シュテアツィング祭壇の中央に建つ聖母子像と、左隣の聖ウルスラ像はバクサンドールのカタログでハンス・ムルチャー作と紹介されていたのですが、他の3人の女性像はどうなのかしらと思っていました。あとでマティアス・ヴェニガー博士に聞いたところ、これは全部ムルチャーの作品だとのことでした。帰国後にゆっくり教会のパンフレットを読んだところ、左からバルバラ、ウルスラ、聖母子像、アポローニア、カタリーナと並んでいる女性像は全てハンス・ムルチャー作と書かれていました。念のため書いておくと、上の3体の男性像は別の作家だそうです。できればもっと近くから撮影したかったのですが、前方には縄が張ってあって入ることはできませんでした。残念です。

 教会の隣の建物にハンス・ムルチャー博物館の表示があり、期待に胸躍らせて中に入って見ました。若い女性が一人受付にいて、入館料は一人2.5ユーロと格安で驚きました。これで採算が取れるのかしら? でも一歩展示室に入るとそこはムルチャー作品の宝庫。「受胎告知のマリアから三王礼拝」までの4枚の祭壇画、また「キリストの捕縛からゲッセマネの群像」までの4枚の祭壇画、今まで見たことのない「布を持つ4人の天使像」や騎士像などに三津夫も大喜びで撮影に没頭しています。さらに「聖櫃箱の裏側の壁(?)」という展示もありました。どう数えたら良いものかわからないのですが、確実に十数点は展示されていたと思います。現在まで重ねてきた修復の記録もあり、「もしかしたらムルチャー直筆の手紙?」と思われるような流麗な文字の文書も何枚か貼られていて大変貴重な博物館だと感じ入りました。

 帰りには満足感一杯で地元のレストランに入り、パスタを食べましたがとても美味しく感じました。


▶インスブルックでもう一度宮廷教会へ

 インスブルックに戻ったのが予定より早かったので、まだ見ていないインスブルック大聖堂と2度目の宮廷教会へ足を運びました。大聖堂は2022年には修復中で中に入れなかったのですが、ルーカス・クラナッハ(父)の聖母子がはめ込まれた大変きらびやかな祭壇画(写真・下)がありました。


インスブルック大聖堂の祭壇とパイプオルガン


▶宮廷教会のラインベルガー

 昨年は発熱後の撮影で十分写せなかったラインベルガーの彫刻を写してきました。やはり姿勢が独特で、今もそこに生きているような「かっこよさ」を感じます。ここでゆっくりと見て、写真を撮って、インスブルックの2日目は終わりました。明日はフィラハに移動です。


当時の最先端モードではないかと思われる鎧をまとったラインベルガー彫刻
 ハプスブルク家アルブレヒト4世伯 1517~1518作

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333. 18回目のドイツ旅行(13) 2人旅 トゥールーズからバーゼルへ

2024年01月19日 | 旅行

▶バーゼルで新発見!

 


このバーゼル歴史博物館で嬉しい新発見がありました!

 

▶モンパルナス駅での大失敗

 2023年9月4日。トゥールーズで最後の朝食。でも何度もトイレに駆け込む状態で食欲が湧きません。私は薄いパンケーキを3枚と珈琲で済ませました。昨夜、持っていた最後の梅干しを食べるとお腹が落ち着いてきたので愛さんにLINEで緊急要請。「お腹の調子が良くなくて、梅干しをいくつか持って来ていただけると助かります」と書くと、すぐに「わかりました」と返信があってホッとしました。彼女が7月に来日した際、数年前に作っておいた梅干しをプレゼントしていたのですが、図々しくそれをちょっと拝借したかったのです。私のお腹や乗り物酔いには梅干しがとてもよく効きます。50日間の旅にしてはちょっと持って来た量が少なめだったのを反省。

 朝8時28分発のTGVでモンパルナスに向かいます。発車番線は直前にならないと表示が出ないため、皆ロビーで待機。早めにホテルを出てきたのにあまり意味がありませんでした。
 列車内で懸案事項を一つ解決。以前フランクフルトでうまくスマホが働かず、息子に見てもらった時に直ったのですが、何かいじった関係で「通信サービスはありません」という表示が出るようになっていたのです。愛さんとはLINEもメールもやりとりできるので今までは大丈夫でしたが、緊急の場合は電話しなければならないこともあるので携帯電話番号を教えてもらい、電話できるかどうかを確かめてみたかったのです。どうやったのか忘れましたが(これがいけない!)「通信サービスはありません」という表示が消えたのでホッとしました。

 モンパルナス駅に着いて下車した時に愛さんと一度電話でやりとりしてみました。無事に通じて安心して歩き出すと、一番後ろの車両だったため、もう皆出ていった後でした。何とかなるだろうと前方に行くとエスカレーターがあります。そこを上がっていく男性が見えたのでそちらなのかと思って上がったところ、出てもだだっ広いところで愛さんも誰も居ません。焦りました。間違えたと思って戻ろうにも改札があって入れません。取りあえず愛さんに電話で報告。電話が通じるようになっていて本当に良かった! あのエスカレーターを上がらずにまっすぐ行けば出られたはず。どうやったら一階分下りられるのか試そうと思ってもわからずおろおろしていると愛さんから電話。「とにかくそこで動かずに待っていてください!」と。でも後ろは完全に出口がないので、少し前方に歩くぐらいは良いだろうと恐る恐る歩いていると、向こうから愛さんが息せき切って走ってきました。もう申し訳なくて申し訳なくて…。「思ったよりは近かった」と言ってくれましたが、きっと「何やってるんだ、この人たちは~!」と思ったに違いありません。このあとの時間はそれほど余裕があるわけではないので、愛さんにはどんなに気を揉ませてしまったか。一生彼女に足を向けて寝られません。

 愛さんはパリ・リヨン駅に戻るのに、比較的階段の少ないという地下鉄M6(緑色)に向かいました。ここから Nation 行きに乗ってBercyで乗り換えると一駅でパリ・リヨン駅に戻れるらしいのです(あれ? 最後は何線に乗ったのか忘れました。もしかしたらうろ覚えで間違っているかもしれません)。何にせよ、あの北駅のような長い階段がないのには助かりました。おかげで順調にパリ・リヨン駅に戻り、あとは以前ディジョンに行く際に乗ったことのあるTGV乗車口へ私がリードする番です。これも大勢の人がいて回りがよく見えず、全く初めてだったらおろおろ探したことでしょう。
 愛さんは、この日わざわざ梅干し入りのお握りと梅干しを持ってきてくれたのでした。愛さんの家にはちょうど今日弟さん夫妻も泊まりに来ることになっているので、ユウゴ君がそちらを迎えに行き、愛さんは私たちを迎えて、ここまで送りに来てくれたのです。家族揃って本当に親切です。いよいよ今日でお別れ。嬉しく、楽しかった思い出がたくさんできました。冷や汗ものの恥ずかしい思い出もできてしまいましたが、「今度は来年会いましょうね」と手を振ってTGVに乗車。乗車してからいただいたお握りのなんと美味しかったこと…。梅干しも2~3個とお願いしたのに5個も入っていて、これで帰国までは大丈夫と安心することができました。愛さん、お手間をかけました。TGVは3時間ほどでバーゼルに着きました。


▶バーゼルでの2泊3日

 バーゼルの ibis ホテルは予約したときの写真と外観が違うので最初わかりにくく、ずいぶん探し回りました。わかってみればさして駅から遠くはなく、チェックインしたときに「公共交通機関は無料、市内のリストに載っている美術館は半額になる」というカードをくれたのには感激でした。以前はそんなカードをもらえたこともありましたが最近はほとんどこうしたサービスを受けた記憶がありません。
 ここはスイスなのでまたまた通貨が変わります。これも持ち越したスイスフランが少しありましたが、取りあえず夕食は駅の生協でカード払いができたので、それで賄いました。

 9月5日。今日はできる範囲でバーゼルの美術館と教会を訪ねます。朝、9時開店の銀行が駅前にあったので、そこで古いお札の両替。イギリスとは違って支店でも簡単に替えてくれました。その後、川向こうに行こうとバス停で待っていると、なかなかその番線のバスが来ません。近くに居た老婦人に聞いて見たら、「今バーゼルでは橋を修復していて、あちらに渡って行くバスがないんですよ。向こう側に行くなら駅の通路で歩いて行けますよ」と教えてくれました。聞いて良かった。このまま待っていたら時間が無駄になってしまうところでした。駅の反対側に出ると、こちらが旧市街。以前ドイツ側のホテルに泊まって行ったことのあるバーゼル美術館も歩きで行けそうです。爽やかな秋の晴天。美しい公園や川縁を通りぬけてまずはバーゼル大聖堂へ。




上:バーゼル大聖堂外観 中:入り口前の聖ゲオルク 下:内部の椅子


 大聖堂の屋根はウィーンのシュテファン大聖堂とよく似た感じの格子柄でした。入口そばの聖ゲオルク像は長い槍で遠くの竜を退治している造りが珍しいと思いました。でも聖ゲオルクさんの姿は何だか素朴です。堂内に入ってみると、ズラッと並んでいる椅子の背に透かし彫りが入っていました。ここにも彫り師のこだわりがあるようです。一体何種類の透かし模様が彫られているのか数えてみたくなりました。
 トゥールーズのサン・セルナン大聖堂やモワサックのサン・ピエール修道院を訪ねてからは、外観の柱頭彫刻も気になります。でもあまりたくさんあると写しきれません。もっとゆっくり時間がないと無理ですね。

 

▶次に向かったのはバーゼル美術館でした。

 大聖堂からバーゼル美術館に行き、チケット売り場で半額カードを呈示すると本当に半額になりました。元々一人26スイスフラン(当時のレートで約4,400円)という入場料は結構高額ですから、これは有り難いです。それを十分補うほど、この大きな美術館には名画がたくさんありました。ホドラー、ゴッホ、シャガール、ピカソやルソーなどに加えてションガウアー、グリューネヴァルトにハンス・バルドゥング・グリーンまで、次から次へと出てくるのです。見きれないほどの量でした。途中ビストロで食事をし、またまた通りの向こうの新館まで行って午後3時頃外に出ました。


バーゼル美術館


▶最後のバーゼル歴史博物館で新発見

 地図を見ながら大分歩いてようやく歴史博物館(トップ写真)に到着。多少は中世の作品が見られるのではないかと期待してはいましたが、ある部屋に先に入った三津夫が興奮して出てきました。小さい声で「あったよ!!」と言います。続いて入ってみるとまぁ、リーメンシュナイダーのレリ-フが壁に掛かっていたのでした。正真正銘、彼の手になる「大ヤコブ」です。1510年頃の作と書かれています。ただ、私はリーメンシュナイダーの追いかけ人になってから20年以上の身。ネットでもたくさんの画像を検索してきましたが、この作品は一度も見たことがありません。ドイツのリーメンシュナイダー関係の本も20冊以上ありますが、そのどれにもこの作品は紹介されていません。初めてみる作品なのです。この大ヤコブさんは今回の旅の輝かしい新発見となりました。この作品に出会えて本当に良かった。ここに写真を載せたいほどですが館の許可をいただいていないのでやめておきます。でも写真展を開催したときには是非紹介したいと思っています。

 地下にもハンス・ヴィジツの「アダムとエヴァ」やミヒェル・エーアハルトの「聖セバスチアン」などが展示されていて、閉館時間ギリギリまでしつこく見ていたのでスタッフからはなんと思われたことか。受付に戻ってリーメンシュナイダーの資料はないかと探してもらいましたが何も見つからなかったのが残念です。それでも今日は滅多にない充実した幸せな1日でした。

 明日はバーゼルを発ってインスブルックに向かいます。

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332. 18回目のドイツ旅行(12) 2人旅 トゥールーズ3泊4日

2024年01月17日 | 旅行

▶ロンドンからパリ経由でトゥールーズへ


トゥールーズ駅 この手前にホテルがありました。


▶パリでの乗り換えは大変です。

 2023年9月1日。ロンドンのセント・パンクラス・インターナショナル駅までは宿から5分ぐらいです。わずかに残ったポンドコインで買えるジュースなどを買い、パスポートコントロールを済ませて待合室へ。ただロンドンでのパス・コントロールがどんなだったのかほとんど記憶がありません。おぼろげながら、パリよりずっと広い待合室で楽に座れたようなイメージだけが残っています。

 TGVがパリ北駅に着くと、降車口の向こうでスマホを私たちに向けている愛さんの姿がありました。ホームと列車の間が広く開いていたため、トランクを下ろしたときに三津夫のリュックのポケットに入れておいたジュースのペットボトルが車両の下に転がり落ちてしまったのが残念でした。下を覗いたら同じように転がり落ちたいくつものペットボトルが見えました。でも愛さんに無事会えたことでホッとして、今度は地下鉄M4でモンパルナス駅に向かいます。

 モンパルナス駅で乗り換えるときは大変でした。ここは古い駅のようで、エレベーターもエスカレーターもなく、長い長い下り階段が続くのです。覚悟を決めてトランクを持ち上げようとすると若い男性2人が通りかかって「お持ちしますよ」と運んでくれました。階段下で「ありがとうございます!」とトランクを受け取ると、2人は笑顔で去って行きました。しばらく歩いて、愛さんが「出口がどこだか確かめてくるから、ここでちょっと待っていてください」と言うので待っていると、また2人が戻ってきたのです。「この先に長い階段があるから」と(多分)言いながらトランクを運んでくれに来たのでした。何と親切なジェントルマンだこと! 愛さんも戻ってきて、階段を上がりきったところで2人の男性に心からお礼を言いました。本当に助かりました。

 この先はエレベーターもあって無事にTGVの乗車口に到着。幸い座って待てるスペースもあったので、しばし愛さんとお喋り。愛さんは先日と同じようにフランスパンのサンドイッチと、苺ゼリーのデザートまで持って来てくれました。今日は親切をいただくばかり。「トゥールーズからバーゼルに行くときにはまたモンパルナスからパリ・リヨン駅まで行くのが大変だから、お迎えに来ます」と帰っていきました。愛さんは拝みたいほど有り難い助っ人です。


モンパルナス駅のTGV乗車口にやっと到着しました。愛さん、ありがとう!!

▶トゥールーズに到着しました。

 夕方6時頃、無事トゥールーズに到着しました。愛さんが大学院時代に留学していたので「懐かしい。一緒に行きたいぐらいです」という町。ホテルは駅のすぐ前です。案外古い建物で、エレベーターがとても小さいのが印象的でした。2人とトランクが大小3個入るとキッツキツです。部屋は広くて食事も並んで取れるようなテーブルと椅子があるのは良いのですが、何故かベッドは3つもあり、窓側は違うルートの通路となっているため、カーテンは閉めていないと落ち着きません。照明が少ないのでいつも薄暗いのが残念です。浴室とトイレが分かれているのはありがたいのですが、トイレが小さくて足がぶつかるほどでした。一長一短ですね。

 荷をほどいてから駅まで戻って簡単な食事を買ってきて食べると9時頃。ロンドンでは浴室が狭くて溜め込んでしまった洗濯をしたりして11時頃就寝。やはり長旅は疲れがあとから出ます。


▶急遽日程を大変更

 9月2日。今日はモワサックまで行ってサン・ピエール修道院でゆっくり見たいロマネスク時代の彫刻があったのですが、昨日の愛さんとのお喋りで「世界遺産のカルカッソンヌも良いですよ」という話を聞いた連れ合いから「両方行けないかな」と欲張った要請が出ました。どちらも見られれば見たいのはやまやまですが、切符が取れるかどうか鉄道窓口で相談してからでないと決められません。

 この宿は朝食付きのプランなので、1階のレストランに下りてみました。品数はまぁまぁでしたが野菜類は見当たらず、自分で茹でるゆで卵器がありました。面白そうなのでトライしてみたらうまくできず、近くに座っていた泊まり客が助けてくれました。

 朝食後に駅の窓口に行って2つの町に一日で行けるものかどうか相談してみました。担当者は親切な男性で、カルカッソンヌまでは IC で行かなければならず、今の時期は座席予約が必要とのこと。そして2つのルートを呈示してくれました。  
 ・
一つ目はモワサックからカルカッソンヌへ。これだと途中の乗り換え時間が5分しかないと言います。
 ・二つ目はカルカッソンヌからモワサックへ。こちらだとモワサックに着くのが夕方5時頃になりそうです。
午後6時で閉まってしまうサン・ピエール修道院の見学時間は1時間に満たないことになりますが、でも一つ目のルートで5分という乗り換えを逃すと一番行きたかったモワサックに行けなくなってしまうので、二つ目のルートで出発することにしました。

 
▶カルカッソンヌ

 カルカッソンヌは予定になかった場所のため『地球の歩き方』の小さな地図しかなく、出だしで方向を間違えてしまいました。大分大回りしてしまって暑いし、疲れるし、喉も渇くし…。城壁内に入ると結構な人出です。でもお城の中は予約していた人が列を作っているのと時間も無いので諦め、城跡の雰囲気だけ味わって簡単なお昼を食べ、駅まで歩いて帰りました。


上:カルカッソンヌ外観 中:城壁内の様子(この奥はもっと混んでいました)
 下:カルカッソンヌの町。こんな変わった雰囲気の建物もあります。帽子屋さんのようですが。


▶そしてモワサックへ

 カルカッソンヌ駅からトゥールーズ駅にまず戻り、そこからモンタルバン駅まで乗って更にアジャン駅行きに乗り換えてモワサックで下りるという乗り換えが大変複雑なルート。その都度列車が遅れるので途中どれだけハラハラしたことか…。
 モワサック駅についてからサン・ピエール修道院までほとんど走るようにして5時45分頃到着。開館している間に何とか堂内を見学することができました。その後やっと落ち着いて門の外のタンパンと柱の彫刻を撮影しました。この彫刻を知ったのは、植田重雄先生の遺された『Die Skulpturen von Moissac』(Torsten Droste Albert und Irmgard Hirmer著  Hirmer Verlag München)というドイツ語の
本からでした。その166頁に全体像が掲載され、およそ制作年は1135年以降だろうと書かれていましたが、制作者名はありませんでした。リーメンシュナイダーより400年ほど前の時代に、こんなに繊細で奥深い表現の彫刻が彫られていたのだなと感嘆しました。それにしても、ゆっくり回廊まで回れなかったのは本当に残念でした。 

 

 
左:預言者エレミア 右:聖パウロ (おそらく1135年以降) 

人が立っている丸い入口の柱にあるのが上の2体の彫刻です。


 なお、この彫刻について良い資料はないかと調べていたらマダムユキさんという方の大変詳しいウェブサイトを見つけました。こちらに紹介しておきます。

 帰りのモワサック駅はとても簡素でほとんど乗客がいませんでした。あのような修道院ができていた昔の発展した町を想像すると、とても不思議な気がしました。

フランス最古のロマネスク回廊を訪ねてモワサックへ

フランス最古のロマネスク回廊を訪ねてモワサックへ

ロマネスク建築の傑作『モワサック修道院教会』を歩く

エクランドゥフランス - ECRINS DE FRANCE - フランス現地旅行会社

 

 

▶トゥールーズ市内観光

 9月3日は日曜日です。ということはお店があまり開いていない可能性があります。それでもトゥールーズの町は大変賑やかでした。今日は昨日に引き続き世界遺産の教会や施設をできるだけたくさん回ろうと意気込んで、地図を片手に宿を出ました。

 まず最初はサン・セルナン・バジリカ聖堂(写真・下)です。ここもサン・ピエール修道院と同様にタンパンの彫刻が有名な聖堂です。ただ、ちょうどミサの時間に重なり、内部は拝観できませんでした。その後、ジャコバン教会も入りましたが、こちらはいわゆる美術館になっていました。サングラスの係員にコロコロはここに置いていくようにと入口近くに置かされ、警備はしっかりしていましたが、目を惹かれる彫刻はありませんでした。


上:サン・セルナン・バジリカ聖堂 下:オーギュスタン美術館

 そろそろお昼なので、どこで食べようかと回るのですがほとんど空席がありません。それもそのはず、午後になるとどんどんレストランは閉まってしまうのでした。ガロング川から大きな歓声が聞こえるので回ってみるとトライアスロンのレースの真っ最中。次から次へと自転車が通り過ぎていきます。
 その後にオーギュスタン美術館へ。ここは修復中でしたが一部開館しているのです。ところが、コロコロのような荷物がある人は置き場所がないので入館できないと言われ、仕方がないので最初に私が中に入り、三津夫は外で荷物番。サッと見て外に出て交替するということで取りあえず凌ぎました。あまり彫刻も多くは展示されていなくて少々残念でした。

 再びレストランを探しながら川まで戻り、結局橋を渡ったところにあった小さなギリシャレストランが辛うじて開いていたので中に入りました。何とかありついた昼食は余りお腹に合わなかったようで、2人とも腹痛に悩まされました。川の対岸にあった聖ジャクス博物館、オテル・デュー臨床研究開発センターと、合計4つの世界遺産を回ったことになります。

 回れる範囲は回ったし、暑くて疲れたのでゆっくり歩いて宿に戻りました。こんなときは入口の冷たい水と珈琲が本当に有り難かったことを思い出します。

 明日はスイスのバーゼルに向かいます。

※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015-2023  Midori FUKUDA

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331. 18回目のドイツ旅行(11) 2人旅 パリからロンドンへ

2024年01月11日 | 旅行

▶ロンドンでの4泊5日間


ロンドンのセント・パンクラス駅

 

▶ブレグジット下で初めてロンドンまでユーロスターで往復しました。

 2012年にもパリからロンドンまで列車で行ったことがありましたが、まだイギリスがEUに属していた時で、それほどの緊張感はありませんでした。でも今回はEUから離れたために行きも帰りもパスポートチェックが入りますし、出発1時間前には駅に行っていないといけないようで、何だか落ち着かない気持ちでした。

 8月28日。12時13分パリ北駅発のユーロスターに乗るために、ゆとりを持って9時25分にはホテルをチェックアウトしました。
 でもこの日の朝、私は出発前にパニックになっていたのです。それは荷物整理をしたときに折りたたみ傘が見つからなかったからです。特にロンドンではいざというときのために傘がないと困るのに一体どこに置いてしまったのでしょう。トランクの中はもちろんのこと、ベッドの下も洗面所も探しましたが見つかりません。必死になって片っ端からもう一度確認し、「こんなところにあるはずないよね~」と思いながら念のため金庫を開けたときに、傘ではなく三津夫の財布がまだ残っていることに気が付いたのです。私がパスポートなどを取り出したのに。「あ~、お財布が残ってた!」と、あわてて三津夫に渡しました。彼の黒い財布が黒い生地の金庫の中でよく見えなかったのでした。免許証も鍵も入っている大事な財布。「よくぞ気が付かせてくださった!!」と一転して心から神様に感謝でした。その後、気を落ち着かせてもう一度トランクを調べたところ、コロコロの奥にすっぽりはまり込んでいる傘が見つかりました。本当に良かった…。

 北駅までは下見の通り順調に行くことができました。M1の北駅を出てからユーロスター乗降口まではずっと平坦なのですが、最後が階段で何故かエレベーターがないのです。仕方なくトランクを引き上げようと構えたところで通りかかった男性が運び上げてくれました。感謝! 
 受付に早めに到着したので出発時刻の札の前で並びました。まだそれほど並ぶ人は多くなく、1本前の列車に乗る人たちがあわてて駆け込んできます。その後15分ぐらいした頃でしょうか、私たちが乗る列車の列が動き、奥の改札口でまたまたQRコード。しかしうまく読み取ってもらえずに窓口へ。何とかチェックを受けて中に入るとパスポートコントロール。いくつかのブースがあり、私たちが呼ばれたのは黒人の係員さんのブースでした。彼が笑顔で「ありがとうございます」と言いながらささっとスタンプを押してくれました。トランクもベルトコンベアーに載せ、ようやくベンチのある待合室に着きましたが、どんどん混んできて座席は不足気味。私たちは早めに入ったので座って待つことができましたけれど、もう少しゆとりがあれば良いのにと思いました。ユーロスターに乗った後は何だかあっという間にロンドンに着いたような気がします。1時間の時差があり、実際は2時間半近くかかったのですが。

 

▶11年ぶりのロンドン

 写真集の第Ⅱ巻『続・祈りの彫刻 リーメンシュナイダーを歩く』(福田緑著、丸善プラネット)を出してすぐ、2012年3月にヨーロッパに来たときに、リーメンシュナイダー作品を見たくてイギリス南部も回りました。その時は確かヴィクトリア駅近くに宿を取ったように思いますが、今回はユーロスターでフランスまで往復することを考え、セント・パンクラス駅の近くに宿を取りました。その宿が大きな看板を出していなかったため、行ったり来たりして探すのに大分手間取りましたが、わかってみると案外駅に近くて便利です。でもとっても狭い部屋です。何より驚いたのは部屋の隅にある洗面所がA4の紙1枚ぐらいの大きさしかなく、顔を洗うにも床に水がこぼれてしまうことでした。トランクを二つ広げるスペースもなく、私のトランクは玄関でまず半分広げ、ベッドの下にずらしながら入れこんでようやく残りも広げるという苦労をしての5日間。私たちが泊まれる中級クラスのホテルでは、ロンドンもアムステルダム同様にゆったりした部屋はなかなか難しいのでしょう。ベッドも幅が狭いものでした。

 この日はもう午後も遅いので宿周辺の探索をし、買い物をしました。駅構内にスーパーもあり、以前の旅で残っていたポンド硬貨で何とか買い物ができました。旧札はイングランド銀行に行って両替しないと使えないとネットで読んでいたのでホテルのフロントで確認してみると「すぐそこの両替所でできますよ」と言うのです。しかし実際に行ってみたら「イングランド銀行に行かないとだめです」とやはり断られてしまい、明日の朝一番に銀行に行くことにしました。その後、近くにあった竹家荘で中華を食べたところ、珍しく美味しいチャーハンが食べられたので、4日間の夕食はいざとなったらここで良いねと言いながら部屋に戻りました。

▶V&A美術館

 8月29日。昨夜ネットで調べた結果、オイスターカード(日本のスイカとかパスモのようなチャージ式カード)というものを使うと地下鉄がずいぶん安く乗れることがわかり、まずそれを2人分買いました。そして地下鉄ノーザンラインに乗り、バンク駅で下車。しばらく歩いて石造りの大きな銀行に到着すると、入口で警官に用件を聞かれます。両替をしに来たというと入館を許されて、両替部屋の手前に2列の石のベンチがあり、そこに座らされました。更に係員が出て来て一人ひとり用件を詳しくチェック。古いお札を見せて両替したいと言うと「OK」と次の人へ。部屋の中から用事が済んだ人が出てくると、ベンチで待つ人が少しずつ中に入れてもらえるというシステムです。やっと部屋の中に案内されても窓口は3カ所ぐらいあったのですが、用件がなかなか終わらない人が多いのでずいぶん並んで待ちました。私たちの両替はササッと終了、結局イングランド銀行にいたのは約1時間でした。まぁ、こんな大きな銀行の中に入って並ばされて待たされて…というのも面白い体験ではありましたが。

 その後、地下鉄ヴィクトリアラインでV&A美術館駅まで行きました。そこでリーメンシュナイダー作品に再会するのが今日の第一目的です。そして前回来たときには美術館の外観を写し忘れたので今日は必ず外に出て写そうと決めていました(写真・下)。ルーヴル美術館と同じように地下鉄駅からの通路で直接美術館に入れるため、案外正式な出入口に出ないで終わってしまうのです。実際、外から見てもなかなか大きくて立派な建物です。
 でも残念ながらリーメンシュナイダーの工房作1点「彫刻(騎士の姿をしています)」
しか拝観できませんでした。これは前回と同じ場所に立っているところを見られたのですが、以前は他にリーメンシュナイダーの手になる「サロメとゼベダイ」「跪く天使(2体)」の3作品があり、撮影することができました。その写真を私の写真集『続・祈りの彫刻 リーメンシュナイダーを歩く』に使用させていただきたいと連絡したところ、「美術館の画像なら無料で掲載できますよ」と画像の提供をいただいたのでしたが。美術館のコレクション検索では2024年1月現在でも、まだそれらの画像が全部出てきますので所蔵しているはずなのに再会できず、とても残念です。

 一方、この美術館にはレプリカを集めた大きな広間「CAST COURTS(鋳造の間?)」がありました。そこには大小のレプリカが集められているのです。レプリカではあっても5体のリーメンシュナイダー彫刻が展示されていました。リーメンシュナイダー以外にもアダム・クラフト、ペーター・フィッシャー(父)のレプリカ作品もありましたし、まだ見たことのない精緻な彫刻群も置かれていて、また次の旅でオリジナル作品を訪ねる目標ができました。



V&A美術館 ようやく永年の宿題を終えた気分でした。
 

 館内のレストランで昼食をとり(あまり味はいただけませんでした)、3時前に「あとどうしようか」となったときに、オイスターカードは1日8.1ポンド以上の地下鉄料金は無料となることを思い出しました。この辺りで今から行けるのはテート・ブリテンです。そこで3つめの目的地をテート・ブリテン(写真・下)に決めて大急ぎで出発しました。V&A美術館駅からサウスケンジントンへ、そこからヴィクトリア駅乗り換えでヴィクトリアラインのピムリコ駅まで乗り、歩いて到着。ここは小さな美術館ですが、一番見たかったジョン・エヴァレット・ミレーの「オフィーリア」を見た後はターナー作品などを見て回り、何とか見終えた頃に閉館時間となりました。今日はイングランド銀行と2つの美術館を回ったことになります。


テート・ブリテン 奥に立つのが連れ合いです。

 

▶今日は徒歩で3つの美術館巡り

 8月30日。今日は徒歩圏内を歩き回り、3つの美術館を訪ねます。

 ホテルから歩き始めてまずは一番近い大英博物館へ。10時前に着いたときには既に長い列ができていました。イギリスもまた美術館や博物館は無料なのがありがたいです。


大英博物館 並んでいる途中です。少々疲れた顔?


 大英博物館は広いので2ポンドで館内マップを購入。ここでの私の目的はリーメンシュナイダーの「東方三博士の礼拝を表した木製祭壇彫(1505~1510)」を見ることです。この浮き彫りは2003年に日本で開催された「大英博物館至宝展」でも展示されました。私も東京都美術館まで見に行き、2012年にも大英博物館に来て見ているので今回が3度目。それでもこのレリーフは部屋の入口に展示され、相変わらず深い気品と輝きを感じさせてくれました。
 他には主に中世彫刻やアジア美術、日本美術を訪ね、途中でもちろんロゼッタストーンも見て、午後2時半頃に博物館を出ました。

 次に向かうのはナショナル・ギャラリー(写真・下)です。 ここも名作が多いのでどんどん見て回ります。以前来たときに一度じっくり見ているので、今日は復習という感じです。それにしてもゴッホやフェルメールやホルバインなどの有名画家の作品がこんなに多いとは、ナショナル・ギャラリーってすごい美術館ですね。しかも無料ですから頭が下がります。ただ、この日の二つの美術館、博物館はクロークに多少の料金がかかりました。


ナショナル・ギャラリー

 そして最後は初めてのコートールド美術館。ここに耳を切ったゴッホの自画像とマネの「フォリー=ベルジェールのバー」があるというので回ることにしました。ここでは私立の美術館なので10ポンドの料金を払います。昨日同様、残り時間は30分ほど。何とも忙しい旅です。小さな美術館ですがとても充実していました。地形の関係で美術館の全体像が写せなかったので、館内の素敵な階段の写真を載せておきます。


コートールド美術館の中の階段

 帰り道で「wasabi」というチェーン寿司店を見つけて入ってみたところ、リーズナブルで味もなかなかでした。ただトイレがないのはガッカリでしたが。今日は宿まで歩いて戻って19796歩、この旅での最高記録となりました。


▶ロンドン最後の日

 8月31日。今日の目的はクィーンズ・ギャラリーでフェルメールの「音楽の稽古」を見ることです。ロイヤルコレクション、セントジェームズ宮殿にあるらしいとはわかっていたのですが、具体的にどの建物なのかわからないので、ホテルの受付でフェルメールのこの絵はどこにあるのかと所蔵館を聞いたところ、クィーンズ・ギャラリーだと教えてくれたのです。クィーンズ・ギャラリーなら地図で特定できるので、地元の人が言うのだからと疑いもせずヴィクトリアラインで向かいました。ヴィクトリア駅を下りてしばらく歩き、クィーンズ・ギャラリーに着いたらもう多くの人が並んでいました。ここは予約をしていないと入れないと言われ、あわてて予約手続きを開始。結局午後2時半の予約しか取れないと分かったものの、スマホではうまく支払い手続きができず、館内でヘルプしてもらいなさいと言われ、中国人らしき若い女性のサポートで現金払いで予約を終了することができました。三津夫に何も言わずに館内に入ってしまって時間がかかったので、予約を終了してから説明すると「それならやめても良かったのに」と言われてガッカリ。そうとわかっていたら払わなかったのに。

 仕方がないのでウェストミンスター寺院とウェストミンスター大聖堂のある川縁まで歩き始めると雨が降り出しました。段々強くなります。せっかくだから雨宿りも兼ねて中に入ろうと思って表示を見ると大人一人で27ポンド! この頃の為替では1ポンドが約190円でしたから1人当たり5130円ほどとなります。いくら何でも高いので諦めて、もう少し歩いたウェストミンスター大聖堂に行くことにしました。こちらは2011年に訪問された前ローマ法王・ベネディクト16世によるミサも行われた場所だそうです。19世紀後半になってローマ教皇庁との関係が修復されてから建てられた(1895年~1903年)ために新しく、モザイク画が輝いていました。




ウェストミンスター寺院(上)とウェストミンスター大聖堂内のモザイク画(下)

 お腹も空いたしトイレも行きたくなってあれこれ喫茶店を探しましたが全然見つからず、ヴィクトリア駅も近いマクドナルドに入りました。ここでお腹も満たし、トイレも済ませ、喉も潤ったのですが、すごく混んでいたため、あまりゆっくりもできずに一旦店を出たのですけれど、まだ時間がタップリあります。そこでもう一軒見つけたスターバックスに入ったのですが、ここにはトイレはないのです。喉だけは潤っていて次第にトイレが待ったなしの状況となり、隣のヴィクトリア駅に行ってみました。すると何と数多くのトイレがあり、しかも無料だったのです。ヴィクトリア駅、太っ腹です。拍手👏 もっとも日本の駅も無料ですけれど。

 少し早めに再度クイーンズ・ギャラリーに行きました。予約時間になって中に入り、ようやく待ち焦がれたフェルメールが見られると思っていたのに、この日の展示は衣装に関する絵画が集められているばかりで、いくら回って見てもフェルメールがないのです。以前来たときは他の美術館に貸し出し中と言われて見られず、今回は地元ホテルの受付のことばを信じて来たのに、まるで違う展示に入ってしまったのでした。「どこの建物に行けば良かったのですか?」と出口で聞くと、それはパレスにあるとのこと。まだ間に合うかと思ったら「もう今日の予約チケットはありません」と言われて心底ガッカリしました。明日はもうロンドンにいないのですから。 

 ※旅行前にパソコンで検索したときにはうまく見つけられなかったのですが、今日、ブログを書くに当たって改めて「本当にどこだったのだろう」と検索してみたところ、「ロンドンのセントジェームズ宮殿のイギリス王室ロイヤル・コレクション」と書かれているサイトがありました。もし次回があれば、ここに予約しますが、そのチャンスは来るのかどうかわかりません。

 ヴィクトリア駅から地下鉄に乗り、まだわずかにオイスターカードの残額がある状態でロンドンの旅は終了。このカードは日本と同じで買うだけでもお金がかかりますから、ホテルの受付で誰か使ってもらえるならと渡してきました。
 残ったポンド硬貨で明日の車中の食べものを買い、竹家荘にもう一度寄って最後のチャーハンを食べました。

 明日はフランスへ戻り、パリを通り過ぎてトゥールーズまで一気に南下します。途中パリ北駅からモンパルナス駅への乗り換えが複雑だから愛さんが迎え&送りに来てくれるというので本当に心強いです。ありがとうございます🙏

※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015-2024  Midori FUKUDA

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330. 18回目のドイツ旅行(10) 2人旅 パリ後半 ルーヴル&愛さん一家

2024年01月10日 | 旅行

▶コルベイユ=エソンヌ


AUX ENFANTS DE LARROND DE CORBEIL MORTS POR LA PATRIE
 「祖国のために亡くなったコルベイユ地区の市民(子ども)のために」という意味だそうです。

 

▶まずはルーヴル美術館へ

 2023年8月26日。今日は久しぶりにゆっくりの出発。ルーヴル美術館の入館予約は11時半です。旅行に来てからこんなにゆっくり宿を出たのはアイゼナハに次いで2回目でしょうか。日本に出したい絵はがきを3枚書いて、近くの郵便局へ。受付で郵便局の場所を聞いてもどこなのかよく理解できず、その近辺をウロウロしてようやく小さな黄色い郵便局のマークを見つけてホッとしました。フランスでも郵便局は黄色いマークなのですね。日本への絵ハガキは1枚1.8ユーロもかかりました。1ユーロ160円としても288円です。日本の2倍以上です。ずいぶん高いなと驚きました。

 今日もM1でルーヴル美術館駅まで乗車。地下通路を出るともうガラスのピラミッドの下です。まずはリュックを預け、貴重品とカメラだけ持って受付へ。スマホで予約チケットを見せるとまだ11時頃なのに入館することができました。私は「まだ早い」と追い返されるかと思っていましたが、三津夫が「大丈夫だよ。ここで時間まで待つことないよ」と言うとおり、問題なくは入れたのです。案外予約時間については見ていないのですね。
 真っ先に向かったのは後期ゴシック彫刻のある展示室です。私も以前来たときに見たはずなのですが、全く記憶に残っていなかったグレゴール・エーアハルトの「マグダラのマリア」(『結(ゆい)・祈りの彫刻 リーメンシュナイダーからシュトース』 97頁にカタログの写真を載せてあります)をしっかり見ることが第一目的でした。写真集を作る際にカタログで何度も見ていたとおりに、マグダラのマリアが本当に美しいことを実感しました。後ろ側に回ると、長いふさふさした髪の毛が波打って彫られていました。ただ、背中の部分に大きめの切れ目が四角く入っていて、やや髪の毛のウェーブが揃わないところがあります。丸彫りのひび割れを防ぐために、ここから内部をくりぬいたのでしょうか。やはり彼女はこの展示室の看板スターです。
 ここから少し離れたショーケースの中にはリーメンシュナイダーの「受胎告知のマリア」があります。天使像はどこかに紛失したのでしょうか、今まで見ている限りの
情報では記録がありません。アムステルダムの「受胎告知」はあどけないほどのマリアと美しい天使とのコラボが素晴らしい作品ですが、リーメンシュナイダーの初期に相次いで彫られたこちらのマリア像は、今一つ緊張した表情で目が少し怖いのです。しっかりもう一度記憶に刻みました。この展示室には何体もの聖母子像が並び、私は聖母子像があると写真を撮っているので大忙しでした。

 「サモトラケのニケ」を見てからレストランで昼食をとりました。その後は三津夫の見たい作品のある展示室を順番に見て回りました。「モナ・リザ」は黒山の人だかりで、なかなか前に進めません。以前じっくり見たからいいねとサッと見るだけで出ました。ダヴィンチ作品を何点か見て、ミロのヴィーナスまで見たところで疲れて終わりにしました。

 ホテルに帰ったら疲れがドッと出て2人とも爆睡。その後、郵便局探しの時に見つけた小さな中華料理店で夕食をとり、明日訪ねる愛さんと連絡を取り合いました。自分たちだけで何とか行けると思っていましたが、長男のユウゴ君を迎えに出してくれるというのです。愛さん一家も申し訳ないほど親切です。

▶コルベイユ=エソンヌへ

 8月27日。朝はパリ北駅まで行き、明日、ロンドンに行くときに乗るユーロスターへの歩き方を下見することにしていました。重いトランクを持ってウロウロしたくなかったからです。
 リヨン駅から地下鉄Dラインで北駅まで行けるので、比較的順調に下見を終了。ところがユウゴ君の乗る電車がちょうど良いのがなくて約束より早めにホテルに着くと連絡が入ったので、時間までに戻れるか心配になってきました。愛さんに「遅れるかもしれない」と連絡すると「ロビーで待つから大丈夫です。ゆっくり来てください」との返事。幸いリヨン駅までは順調に戻れたものの、地上階に上がってからどの方向が私たちのホテルだったかわからなくなって迷ってしまい、ようやく見慣れた出口を見つけてホテルに駆け込みました。ちょっと遅刻。ユウゴ君にお詫びを言い、愛さん一家へのお土産を持ってホテルを出発しました。

 ユウゴ君たちの家はコルベイユ=エソンヌという、リヨン駅から1時間ほど南下した郊外の町にあります。車中は家族の様子や2月にユウゴ君が来日したときの話などを楽しみ、終点に到着。駅を出て歩き始めると、途中の公園にトップ写真の彫刻があり、花束が置かれていました。何かの追悼記念なのだろうと思いましたが、翻訳機が訳してくれませんので、フランス語のタイトルだけ書いておきました。
 後日、愛さんに教えてもらって正しい意味がわかったので書き足しました。「祖国のために亡くなったコルベイユ地区の市民(子ども)のために」という意味だそうです。
ENFANTSは「子ども」という意味ですが、例えば北海道の人を「道産子」、東京都民を「江戸っ子」というような意味で「子ども」ということばが使われているのではないかということでした。

 愛さんはフランスのトゥールーズに留学して大学院を卒業。フランス語もペラペラです。お肉のマイスター、ティエリさんと知り合って結婚。この町でお肉屋さんを経営しています。今日は午後2時までで営業が終わるので、その後バーベキューをしてくれるそうです。お店の写真を撮った後、「閉店までもう少し時間があるから川縁を散歩してきたら」と勧められてユウゴ君と次女(末っ子)のノエちゃんと車で出かけました。セーヌ川はところによってゴーゴーと音を立てて流れていましたが、ユウゴ君はボートの漕ぎ手としてこの川で練習を重ね、レースでも優勝しているのです。その体格の良さがわかる写真を載せておきます。

 


愛さん夫妻のお肉屋さん。このお店のカラフルなこと。日本ではなかなか見かけませんね。


このセーヌ川でボートを漕いできたユウゴ君は、大学を辞めてボートのコーチの見習いになる勉強を始めるとか。
  ノエちゃんはチェロをずっと弾いてきて、来週から音楽学院の寄宿舎で勉強だそうです。


▶美味しいバーベキュー、ご馳走様でした。

 お店に戻ると既に閉店していて、裏庭にはバーベキューの準備ができていました。出かけていた長女のエマちゃんも帰宅して、皆で美味しいソーセージやパテ、サラダをいただきました。お肉類は全部ティエリさんの手作りです。なんと贅沢なことでしょう。専門家の作るソーセージやパテの味は保証付きです。ただ、ソーセージは1本が大きくて種類も多いので、三津夫と半分ずつ分けていただきました。夕食用にサンドイッチのお土産までいただきました。どうもご馳走さまでした!!
 






この中庭のバーベキューは家族の集まりや友人の集まりで大活躍のようです。


 帰りは愛さんが駅まで送ってくれてお別れ。また来年、今度は帰省の折に我が家にも遊びに来てください。
 明日からロンドンへの旅が始まります。

※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015-2024  Midori FUKUDA

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329. 18回目のドイツ旅行(9) 2人旅 シュトゥットガルトからパリへ

2024年01月09日 | 旅行

▶パリでのビッグ・サプライズ!!

 


ここはパリ・リヨン駅前です。一体何でここにシルヴィアがいるの?? 

 

▶パリ・リヨン駅に着くと…

 私たちは本来ならシュトゥットガルトからパリまで直行で行ける列車を予約するつもりだったのですが、いわゆるユーレイル・グローバルパスの保持者用座席数は限られているようなのです。そのためTGVがうまく予約できず、カールスルーエからまずはバ-ゼル・スイス駅まで行き、そこからパリ・リヨン駅(以下リヨン駅)までのTGVを予約せざるを得ませんでした。万が一ドイツ鉄道が遅れても大丈夫なように乗り換え時間をそれぞれ30分以上見ておいての予約です。予定通りでも夜10時42分着のため、ホテルには予めチェックインが遅くなると伝えてありました。

 リヨン駅には数分遅れで到着。既に11時に近く、外はまっ暗です。パリではスリに気をつけなさいとシルヴィアたちに何度も言われているので緊張していました。持ち物に注意をしながら「こちらかな?」と見当を付けて駅の外に出ると、後ろから低目の男性の声で「奥様、何かお困りですか?(多分)」と言われました。思わずトランクの取っ手を握りしめ、後ろを振り向くと、なんとクラウスがそこいるのです!! その後ろにはシルヴィアが、そして目を丸くした三津夫が立っていました。あまりにもびっくりして2人揃って「え~、何であなたたちがここに居るの?」と思わず叫んでしまいました。シュトゥットガルト中央駅で窓の外からさようならした2人がここに居るはずは無いではありませんか。私たちが叫ぶと同時に真面目な顔をしていたクラウスとシルヴィアが弾けるように笑い出しました。驚きすぎて涙を流すほど大笑いする私たちの様子に「やったね!」と2人はガッツポーズ。取りあえずチェックインが遅くなっているので急いでホテルに向かうことにして、彼らがトランク運びも手伝ってくれて歩き出しました。地図ではこの道を通ったらすぐだと思う道に行くと、その先は縄が張られていて警官が「ここは今日爆発があった(爆弾が見つかった?)ので迂回してください」と反対回りの道を指示します。はじめからずいぶんと物騒な…。これがパリなのでしょうか。

 でも駅から直近のホテルなので数分で到着。クラウスがチェックインを手伝ってくれる傍らシルヴィアは三津夫に事の次第を説明。シルヴィアは結構日本語も話せるのです。2人は私たちをシュトゥットガルト中央駅で送り出してからすぐ次に出るTGVに乗り、早めにリヨン駅に着いていたのだとか。彼らも地下鉄で2駅だったかのところに1泊するので明日は一緒に美術館巡りをするというのです。いや~、驚きました。でも一番難しそうで心配だった地下鉄のチケットを買うのも一緒に行ってくれるそうなので、心から安堵したのでした。

 それにしても何というビッグサプライズでしょう。そして何と親切な2人でしょう! 思い出すだけで、今でも笑い出してしまいます。結局フランス語混じりのホテルのチェックインをクラウスのアドヴァイスで乗り切り、2人は部屋まで来て見届けてから帰っていきました(写真・下)。このときシルヴィアがいったことばが忘れられません。
 
「ミドリがパリの5日間をとても心配していましたから、私たちが大好きなパリをあなたたちにも好きになってもらいたくてこのサプライズを計画しました。明日は一緒にチケットを買いましょうね」
本当に親切で素敵な友だちに Her
zlichen Dank


2人は駅で私たちを待ち伏せして、この部屋まで一緒に来てくれました。この計画をアンゲリカもヴィリーも知っていて皆で楽しんだとか。

 

▶パリの5泊6日が始まりました。その前半です。

 私たちのホテルは早期予約で安くなっていたので朝食付き。でもベッドは大きいものの部屋は狭く、小さなミニバーとテーブルがついていましたが、そのテーブルも小さくてきつきつでした。やはり安いだけのことはあるのですね。ただ駅まで出ずに朝食が食べられるのは私たちの旅としては贅沢です。ミニバーには水・炭酸水、コーラとジュースが入っていて、隣には珈琲メーカーとカプセルが3個置かれていました。これは助かります。嬉しいサービスです。ただ、トイレのドアがすごく重たくて苦労しました。

 8月24日の朝
、早速食堂に向かいました。品揃えも良く、しっかり食べられました。昨夜1時半に寝たわりには元気。
 9時半にロビーに下りてシルヴィアとクラウスに合流。受付で地下鉄路線図をもらい、美術館までどう行くのかを教えてもらいます。リヨン駅からメトロ1番(以下M1)でオランジュリー美術館とオルセー美術館に行くにはコンコルド駅で下車とのこと。
 まずはホテルのすぐ隣のリヨン駅に行き、中央階段を下りると地下鉄の窓口があります。そこで5日分の回数券を買いました。そこからM1までの行き方、番線の見方、帰り方をシルヴィアが丁寧に教えてくれました。明日からは自分たちで動かなければなりませんので私は必死です。おそらくシルヴィアがいなければ相当苦労したはずです。このあとでもまだ1人で回数券を買う自信はありません。

 一緒にメトロに乗るとドアを閉める時に、フランス語、英語に続いて日本語のアナウンスもあると三津夫が気づき、驚きました。コンコルド駅で下りればオランジュリー美術館はすぐ近く。三津夫は以前にも来たことがありましたが私は初めてです。こちらに先に入ってモネの水蓮の絵をゆっくり堪能しました。まだそれほど混んでいないうちに入ったので良かったのです。帰りがけに見たときには入館待ちの列が長くなっていましたから。
 その後、橋を渡ってオルセーに向かいます。その橋の手前にあったライオン像は珍しく口を大きく開けているので何をしているのか不思議でしたが、口の中をのぞき込むと舌も見えます。気になってタイトルを翻訳機で見てみたら「蛇とライオン」だそうです。多分右足で押さえている塊が蛇なのでしょうね。作者は BARYE ANTOINE-LOUIS と書かれていました。




この橋向こうがオルセー美術館です。

 オルセーにやっと入館すると本当にすごい人波! メジャーな作品のある部屋はどこも満員で、私が一番写したかったドガの踊り子(孫がバレーを習っているのです)を写すにもチャンスを待たなければなりませんでした。時々皆を見失うのですが、180cm近くあって赤茶色の髪のシルヴィアが目印になり、とても助かりました。迷子にならないように気をつけながら三津夫が見たい作品を中心に(彼の頭の中には大体の著名な作者名がインプットされていますが私にはとても覚えきれません)ついて歩きました。

 ようやく満足するまで見て回ると既に午後2時過ぎ。オルセーを出る頃には小雨が降りだしました。濡れるほどではなかったので、近くであまり混んではいないレストランを探して入りました。ここでシルヴィアとクラウスが今回パリに来た理由を教えてくれました。2人ともパリが大好きだったので、5年前にパリに旅行に来たのだそうです。その時にクラウスがあるレストランを予約し、プロポーズすることを計画したのでした。すると最後のデザートの時に持って来てくれるように頼んだ指輪を渡す段階になって、シルヴィアがそんなこととはつゆ知らず、「もうお腹いっぱいだからデザートは要らないわ」と断るのでクラウスがすごく困ったそうな。美味しいから食べようと何回か誘ってようやく説得し、デザートに。そして指輪を手渡し、プロポーズが成功したのだそうです。従って今回の小旅行は彼らのプロポーズ5周年記念の旅行でもあったのでした。ここでも皆大笑いでした。
 このレストランでフライドポテトを頼んだクラウス。持って来たお皿はポテトが山盛りでとても食べきれませんでした。私の頼んだお料理も結構なボリューム。結局残りは私たちの夕飯と相成りました。

 ホテルに戻り、ロビーで今後の旅に利用するモンパルナス駅とノルト駅の行き方を確認し、シルヴィアとクラウスとはお別れ。本当にありがとう! ちょっと心細くなりましたが、明日からは2人で必死に回ります。


▶ここで触れておきたいのは、愛さんのことです。
 TGVのユーレイルパスホルダー用座席がことごとくなくなってしまったため、私はパリに住む愛さんに何とか希望の日時の列車が予約できないかとお願いをしてみました。彼女は我が家の近くに住む友人夫妻の娘さんで、パリに住んでお連れ合いとお肉屋さんを経営しています。こちらに帰省すると何回か会って一緒に食事をしたりする関係で、今回の旅では彼女の家にも訪ねて行くことになっていました。この愛さん、何でもテキパキとこなしていく人なので、彼女のパワーを見込んでお願いしてみたのでした。すると翌日には全ての列車を希望の時間で予約してくれたのです。ただ、その間のユーレイルパスは使えないのでフランスのシルバーパスを代理で購入、予約するという手際の良さ。旅行の神様のような愛さんの采配でディジョン往復もフランス国内のTGVでの移動もできることになったのです。いくら感謝してもしきれません。


▶TGVでディジョン往復

 ディジョンに憧れていたのは、元ボーデ博物館館長だったジュリアン・シャピュイ氏が2013年に送ってくださったカタログ『Pleurants(哀しむ人)』(写真・下)を見てからです。顔はほとんど見えないこうした小さな彫刻が墓碑の下に何十体か置かれている本でした。リーメンシュナイダーにも共通する静かな深い哀しみを痛いほど感じるのです。「これはフランスに行くことがあったら是非見たい」とずっと願っていたのでした。ようやくこの10年越しの願いが叶ってリヨン駅からディジョンまで往復することできました。


嘆きの深さを感じる彫刻群のひとつ。

 
 8月25日。TGVに乗るのは2回目で少し慣れてはきたものの、ホームには出発の少し前にしか入れず、ドイツのように乗る車両のそばまで行って待てないので落ち着きません。改札口で予約書類にあるQRコードを読み込んでもらうと通ることができ、その後で自分たちの座席を探すのですから。バーゼルから乗ったときは重たいトランクを持ってうろうろしたので大変でしたが、今日はカメラの入った小さなトランク(以下コロコロ)だけなので身軽です。
 ディジョンに着くと出口の案内がよくわかりません。フランス語はまるっきりダメなので人間を見つけてジェスチャーで「ブルゴーニュ博物館に行きたいのですが」とメモで訴え、方向を確認して歩き出しました。運悪く結構な雨が降っていました。びしょ濡れになってついた博物館らしき建物は、「本日は行事があり休館」という札が貼ってあります。「え~~~?」と泣きそうになったところで三津夫が「いや、もっと先にちゃんとあるはずだよ」と言うので、地図をよくよく見てみると確かにもう少し奥に入口がありそう。もうワンブロック歩いてみると、ようやく博物館の立て札が見つかりました。良かった!

 館内はまだ参観者も少なく、濡れた雨具をロッカーにしまって「嘆く人」を目当てに回りました。最後の方でやっとこの彫刻群を従えた大きな墓碑が2台ある部屋に到着。相当じっくりと時間をかけ拝観しました。でも、撮影は途中で諦めてしまったのです。何故かというと手前の彫刻しか見えませんし、奥に何体入ってるのかも見えないからです。これは帰宅してからシャピュイさんにいただいたカタログをしっかり見ようと思ったのでした。ここの墓碑は Philipp der Kühne(翻訳機によるとフィリップ・ボールド[1342-1404]、ブルゴーニュ公、ブルゴーニュ家の創始者、フィリップ2世)と 、その息子の Johann Ohnefurcht夫妻(ヨハン・オーネフルヒト[1371-1419] ブルゴーニュ公 妻マルガレーテ・フォン・バイエルン[1363–1423])のものです。上にはそれぞれの人物彫刻1体に付きライオンが1頭と天使のペアが置かれています。息子の足下のライオンは赤い舌を出して座っています。「オーネフルヒト」はドイツ語で訳すと「恐れを知らぬ人」となるのですが、何で赤い舌? それにしても天使の羽が長く美しいのにも感嘆します。
 ※帰宅して見たカタログには、父王の墓碑下と息子夫婦の墓碑下にある彫刻はどちらも40体だと書かれていました。表紙の写真を見て長い間女性だと思っていた彫刻も、男性の修道僧だとわかりました。手の表情などとても優しいので勘違いしていました。
 ※[2024年1月20日追記] 昨日購入して届いたばかりの『ゴシック1 世界美術大全集 西洋編9
』(飯田喜四郎 小学館)によると、ジャン・サン・プール夫妻の彫刻はジャン・ド・ラ・ユエルタとアントワーヌ・ル・モワテュリェによるもので、1439頃~1469年作とのことです。なお、上記の名前はドイツ語で書かれているので、ドイツ語読みで書きました。


 このブルゴーニュ博物館を堪能してからは雨も上がり、町中の小さな美術館、博物館、教会を見まくりました。全部無料で開館しているのには文化度の高さを感じます。
 駅の反対側にあるという「モーゼの井戸」は時間もきつく、歩き疲れもあってあきらめたのですが、連れ合いは帰国後ロマネスク彫刻の勉強を始めたところ、この「モーゼの井戸」が大変素晴らしい彫刻だとわかったそうで、今になって「この井戸の彫刻が素晴らしかったのに見ないで帰ってきたのは残念無念。何で行かなかったかなぁ」と嘆いています。まぁ、機会があればもう一度ゆっくり行きましょう。

※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015-2024  Midori FUKUDA

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