リーメンシュナイダーを歩く 

ドイツ後期ゴシックの彫刻家リーメンシュナイダーたちの作品を訪ねて歩いた記録をドイツの友人との交流を交えて書いていく。

233. リーメンシュナイダー写真集 第四巻 目次のご紹介

2020年09月25日 | 自己紹介

▶第四巻『完・祈りの彫刻 リーメンシュナイダーと同時代の作家たち』に載せなかった画像から。



ブログ232に載せた天使はこの写真の中にいます。
 司教ルドルフ・フォン・シェーレンベルク碑銘彫刻  
     ティルマン・リーメンシュナイダー 1496~1499
     ヴュルツブルク大聖堂

 

▶写真集第四巻『完・祈りの彫刻 リーメンシュナイダーと同時代の作家たち』の目次です。

 

 目 次
       
刊行に寄せて  バイエルン国立博物館、博士マティアス・ヴェニガー
Zum Geleit     Dr. Matthias Weniger, Bayerisches Nationalmuseum

まえがき
                                                                            
中世ドイツの作家作品を紹介するにあたって
                                                                              
〔年表〕 中世ドイツの主な作家たちとその作品

〔地図〕 中世ドイツの作家作品所在地


第Ⅰ部 リーメンシュナイダーを歩く 祈りの彫刻19点
 *各テーマタイトル内の作品名は、制作年の古い順

聖母の手  Die Hände der Muttergottes
  ハスフルト、聖キリアン カトリック教区教会 Katholische Pfarrkirche St. Kilian, Haßfurt
     1.  聖母子像 Muttergottes
  ケルン、ケルン応用工芸博物館 Museum für Angewandte Kunst Köln, Köln
     2.  聖母子像 Maria mit dem Kind
  フランクフルト・アム・マイン、リービークハウス Liebieghaus, Frankfurt am Main 
     3.  聖母子像 Muttergottes
  ヴュルツブルク、フランケン ヴュルツブルク美術・文化史州立博物館
  Museum für Franken - Staatliches Museum für Kunst- und Kulturgeschichte in Würzburg, Würzburg
     4.  聖母子像 Maria mit Kind

息づく手  Lebensechte Hände
  ヴュルツブルク、マリア礼拝堂 Marienkapelle, Würzburg 
     5.   騎士コンラート・フォン・シャウムベルク碑銘彫刻(1499没)
      Grabmal des Ritters Konrad von Schaumberg
  クリーヴランド(アメリカ合衆国)、クリーヴランド美術館
 The Cleveland Museum of Art, Cleveland, United States of America
    6.   聖ラウレンティウス Saint Lawrence
  クリーヴランド(アメリカ合衆国)、クリーヴランド美術館
 The Cleveland Museum of Art, Cleveland, United States of America
    7.   聖ステファヌス Saint Stephen
  ヴュルツブルク、フランケン ヴュルツブルク美術・文化史州立博物館
 Museum für Franken - Staatliches Museum für Kunst- und Kulturgeschichte in Würzburg, Würzburg
    8.   聖セバスチアン Heiliger Sebastian
                                                                            
祈り Gebet
  ローテンブルク・オプ・デア・タウバー、聖ヤコブ ルター派教区教会
  Die evangelisch-lutherische Stadtpfarrkirche St.-Jakobs-Kirche, Rothenburg ob der Tauber
    9.  聖血の祭壇より ゲッセマネのキリスト
        Christus am Ölberg aus dem Heilig-Blut-Altar
  クレークリンゲン、ヘルゴット教会 Herrgottskirche, Creglingen
    10.  マリア祭壇 Marienretabel
  ハイディングスフェルト地区(ヴュルツブルク)、聖ラウレンティウス カトリック教区教会
  Katholische Pfarrkirchenstiftung St. Laurentius, Heidingsfeld, Würzburg
    11.  ゲッセマネの群像より キリスト
       Christus am Ölberg aus einer Ölberggruppe

眠り   Schlaf
  デトヴァング、聖ペテロ聖パウロ ルター派教区教会 
  Evangelisch-lutherische Pfarrkirche St.-Peter-und-Pauls-Kirche, Detwang
    12.  十字架祭壇より 眠る見張りたち
         Die schlafenden Wächter, Teil des Heilig-Kreuz-Altars
  ヴュルツブルク、フランケン ヴュルツブルク美術・文化史州立博物館
 Museum für Franken - Staatliches Museum für Kunst- und Kulturgeschichte in Würzburg, Würzburg
    13.  ゲッセマネの眠れる使徒ペテロ、ヤコブ、ヨハネ
       Die schlafenden Apostel Petrus, Jakobus und Johannes am Ölberg

磔刑  Kruzifixus
  ヨーロッパ、X修道院 X-Kloster, Europa
    14.  磔刑像 Kruzifixus
  インズィンゲン、聖ウルリッヒ聖セバスチアン ルター派教区教会
 Evang.-luth. Pfarrkirche St. Ulrich und Sabastian Kirche, Insingen
    15.  磔刑像 Kruzifixus
  シュタイナハ・アン・デア・ザーレ、聖ニコラウス聖カタリナ カトリック教区教会
  Römisch-katholische Pfarrkirche St. Nikolaus und Katharina, Steinach an der Saale
    16.  磔刑像 Kruzifixus

哀しみ  Traurigkeit
  ヴュルツブルク、フランケン ヴュルツブルク美術・文化史州立博物館
 Museum für Franken - Staatliches Museum für Kunst- und Kulturgeschichte in Würzburg, Würzburg
    17.  悲しむマリア Trauernde Maria
  グロースオストハイム、聖ペテロ聖パウロ カトリック教区教会
 Katholische Pfarrkirche St. Peter und Paul, Großostheim
    18.  嘆きの群像 Beweinung Christi
  マイトブロン、聖アフラ教区準教会 Kuratiekirche St. Afra, Maidbronn
    19.  嘆きの群像 Beweinung


第Ⅱ部 中世ドイツを歩く 祈りの彫刻 24点
 *作者名はおよその生誕年順  作品名は制作年の古い順

Hans Multscher ハンス・ムルチャー
  ウルム、ウルム大聖堂 Ulmer Münster, Ulm
    20.  キリスト受難像 Schmerzensmann
  フランクフルト・アム・マイン、リービークハウス Liebieghaus, Frankfurt am Main
    21.  聖マリア・マグダレーナ像 Heilige Maria Magdalena

Niclaus Gerhaert von Leyden ニコラウス・ゲルハールト・フォン・ライデン 
  ネルトリンゲン、聖ゲオルク ルター派教区教会 Evang.-Luth. Pfarrkirche St. Georg, Nördlingen
    22.  主祭壇 Hochaltar
  ストラスブール(フランス)、ルーヴル・ノートルダム美術館
 Musée de l’oeuvre Notre-Dame, Strasbourg, France
    23.  ある預言者の頭部 Kopffragment einer Prophetenbüste
    24.  ある男の胸像 Büste eines Mannes
    25.  ある顔面麻痺の男の頭部 Kopf eines Mannes mit Gesichtslähmung

Michael Pacher  ミヒャエル・パッハー
  ザンクト・ローレンツェン(イタリア)、聖ラウレンティウス教区教会 
  Pfarrkirche zum Hl. Laurentius, St. Lorenzen, Italien
    26.  王座に就く聖母子像 Thronende Madonna mit Kind
  ボーツェン(イタリア)、聖母マリア旧教区教会
   Alte Pfarrkirche unsere liebe Frau, Bozen, Italien
    27.  グリース祭壇 Grieser Altar

Michel Erhart  ミヒェル・エーアハルト
  ウルム、ウルム大聖堂 Ulmermünster, Ulm                                       
    28.  ウルム大聖堂の聖堂内陣席 Chorgestühl des Ulmer Münsters
  フランクフルト(マイン)、リービークハウス Liebieghaus, Frankfurt am Main
    29.  幼きキリスト Christ Kind
  ミュンヘン、バイエルン国立博物館 Bayerisches Nationalmuseum
    30.  聖母子像 Maria mit Kind                                  

Veit Stoss ファイト・シュトース
  ニュルンベルク、聖ゼバルドゥス教会 St. Sebalduskirche, Nürnberg      
    31.  フォルカマーの記念碑 Volckamersche Gedächtnisstiftung
    32.  聖アンデレ Heiliger Andreas
    33.  ヴィッケルの磔刑像 Wickelscher Kruzifixus

Erasmus Grasser   エラスムス・グラッサー
  ミュンヘン、ミュンヘン市立博物館  Münchner Stadtmuseum, München 
    34.  モーリス・ダンスの踊り手 Moriskentänzer

Adam Kraft   アダム・クラフト
  ニュルンベルク、聖ゼバルドゥス教会 St. Sebalduskirche, Nürnberg
    35. シュライアー・ランダウアー墓碑 Das Schreyer-Landauer-Grabmal
    36.  十字架の道行き Kreuztragung

Peter Vischer der Ältere  ペーター・フィッシャー(父)
  ミュンヘン、バイエルン国立博物館 Bayerisches Nationalmuseum
    37. いわゆる「枝を折る人」 Sog. Astbrecher
  ニュルンベルク、聖ゼバルドゥス教会 St. Sebalduskirche, Nürnberg
    38.  ゼバルドゥス墓碑 Sebaldusgrab

Gregor Erhart  グレゴール・エーアハルト
  アウクスブルク、聖ウルリッヒ聖アフラ教会 St. Ulrich und Afra, Augsburg
    39.  聖母子像 Madonna

Hans Leinberger ハンス・ラインベルガー
  モースブルク、聖カストゥールス司教座聖堂 Kastulusmünster, Moosburg
    40.  聖カストゥールス伝説の(4枚の)浮き彫り 
      Relieftafeln der Kastuluslegende
  ランツフート、聖マルティン教会 St. Martin, Landshut
    41.  聖母子像 Maria mit Kind
  レーゲンスブルク、聖カシアン参事会教区教会 Stiftspfarrkirche St. Kassian, Regensburg
    42.  美しい聖母子像 Schöne Maria

Hans Daucher  ハンス・ダウハー
  アウクスブルク、聖アンナ教会 Sankt Anna, Augsburg
    43.  フッガー礼拝堂 Fuggerkapelle



第Ⅲ部 資料編


中世ドイツの作家たち 作品一覧について

 ティルマン・リーメンシュナイダー 掲載作品一覧

 同時代の作家たち 主な作品一覧

掲載写真の提供者および撮影者

参考資料 5

主な参考文献


あとがき

**********************************************************************************

以上、ティルマン・リーメンシュナイダー作品19点 他の中世作家の作品24点 合計43点を載せます。

皆さんはこの中で何作品ぐらいご覧になったことがありますか?

※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015 Midori FUKUDA

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232. リーメンシュナイダー写真集 第四巻「まえがき」の続きです。

2020年09月23日 | 自己紹介

▶「まえがき」の2回目、後半を紹介します。

 


写真集第四巻『完・祈りの彫刻 リーメンシュナイダーと同時代の作家たち』(本は白黒写真)
「まえがき」に載せた天使 司教ルドルフ・フォン・シェーレンベルク碑銘彫刻より  
     ティルマン・リーメンシュナイダー 1496~1499
     ヴュルツブルク大聖堂
 

まえがき(2)

 2019年は私にとって特別な年であった。
 今まで連続して自費出版してきた写真集を「祈りの彫刻 リーメンシュナイダー三部作」としてまとめ、第22回日本自費出版文化賞に応募した。10月にグラフィック部門特別賞として「富士フイルムグローバルグラフィックシステムズ株式会社賞」を受賞。その後、11月から12月にかけてギャラリー古藤(ふるとう)(東京都練馬区)に於いて、恐らく日本で初めてのリーメンシュナイダー写真展となる「福田緑写真展 祈りの彫刻リーメンシュナイダーを歩く」を開催した。受賞直後だったことも追い風となり、東京新聞、日経新聞から丁寧な取材を受け、しんぶん赤旗、朝日新聞にも写真展の記事が掲載された。それとともに日に日に来場者が増え、2週間で500名を超える方が見に来てくださった。その中にはすでに30~40年前からリーメンシュナイダーの作品を大切に思い続けてきた方々がいらした。たったの20年間で「追いかけ人」と称していた自分はまだまだ若輩者なのだと思い知った。ある方は遠く広島から新幹線で駆けつけてくださった。日本にこれほど多くのリーメンシュナイダーファンがいることを知り、深く感動している。こうした方々との語らいは尽きることなく、心輝く時間だった。私はリーメンシュナイダーの導きによって人生の大きな贈り物をいただいた。

 2019年に、あいちトリエンナーレ「表現の不自由展・その後」が途中で一旦中止に追い込まれたことは記憶に新しい。私が初めての写真展を開催したギャラリー古藤は、その先駆けとなる「表現の不自由展~消されたものたち」を2015年に開催したギャラリーである。毎年2~3月には福島原発事故を忘れてはいけないと、何本もの映画の上映やギャラリートークを行う「江古田映画祭」を実行委員会の中心となって開催している。催し物の定員は40名という小さなギャラリーではあるが、確かな社会的ポリシーを持ちながら運営するオーナーご夫妻は大変親切で温かい。私の友人の一人、木村まきさん(横浜事件国家賠償訴訟原告)は、このギャラリー古藤で2018年に「横浜事件と言論の不自由展」を開催した。そして同年12月に、永田浩三氏(社会的な問題について幅広く発言し続けている武蔵大学教授で、橫浜事件の裁判傍聴を続けていらっしゃる)と、ギャラリー古藤のオーナー、田島和夫さん、大﨑文子さんご夫妻に私を引き合わせてくれたのだった。このギャラリーは1年も前から予約ができ、しかもほぼ毎月1回、このメンバーが集まって準備会議を持つ。このサポートは、初心者の私には大変ありがたいことだった。それまで写真展を開くなどと考えたこともなかったが、このギャラリー古藤で第一回目の写真展を行うことができたのもまた大変な幸運であった。

                                     
 現在、世界中が新型コロナの感染で疲弊しきっている。各地で緊急事態宣言が発令され、今まで国内はもとより海外の広範囲な地域へ自由に旅することができた世界はどこかに消えてしまったようだ。こうした問題が起きるたびに自由に息のできる世界が狭くなり、人々は互いの違いを元に心の壁を作り、憎しみ合ったり拒否し合ったりする傾向が強くなる。目の前の恐怖に縮こまるのは自分も含めて悲しい人間の姿だ。福島原発事故の際に出された緊急事態宣言がまだ撤回されていない日本は、現在二重の緊急事態を抱えているのだ。

 この息の詰まりそうな外出自粛要請の下、それでも通勤して働かなければならない世代の方々には申し訳ないという気持ちを抱えつつ、私も家の中に縮こまって毎日パソコンに向かっている。医療機関で働く方々に心の中で手を合わせながら、本書が完成する頃には、もう少し息のつける日本、世界になっていて欲しい、友だちと自由に会い、お喋りを楽しむことができ、行きたい集まりに参加し、ドイツにもまた安心して旅ができ、海外の人々を日本に迎えることができますようにと祈っている。リーメンシュナイダーや中世作家の作品と向き合う中で優しいマリア様のお顔を見るとやはり心癒やされ、かわいい幼子キリストや天使たちの姿を見ると心がなごむ。美術や文学、音楽、演劇といった芸術の力は大きい。こうした危機の時代、芸術は何百年もの時を一気に越えて心に染みてくる。

  今年の秋、東京・国分寺市で第二回目のリーメンシュナイダー写真展を開く予定でいたが、現状ではどうなることか先が見えない。今年は難しくてもいつか必ず実現したい。身体が動く間は写真展を続け、最後にギャラリー古藤で締めくくりたいと思う。その中で皆さまとどこかでお目にかかれる日があれば、リーメンシュナイダーや中世の彫刻家について心ゆくまで語り合いたいと願っている。

*****************************************************************************

次回は目次を紹介する予定です。

※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015 Midori FUKUDA

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231. リーメンシュナイダー写真集 第四巻の裏表紙を紹介します。

2020年09月21日 | 自己紹介

▶本の「顔」がこれでできあがりました。

 


写真集第四巻『完・祈りの彫刻 リーメンシュナイダーと同時代の作家たち』の裏表紙
   モーリス・ダンスの踊り手「新郎」
 エラスムス・グラッサー  1480  ミュンヘン、ミュンヘン市立博物館
 撮影:マティアス・ヴェニガー博士(バイエルン国立博物館)
  

▶今日は本の裏表紙を紹介します。

 本というのは表紙がとても大事です。いつも出版するときにはどの写真を表紙にするのか連れ合いの三津夫とあれこれ相談をします。私の載せたい写真と三津夫が載せたい写真はくい違うことも多いのですが、自費出版そのものは夫婦の共同プロジェクト。あれこれ話し合い、譲り合って最後は一致したもので決めてきました。そして、最初はここに載せた「新郎」を表に、三津夫の大のお気に入り、「ある男の胸像」を裏表紙にと考えたのでした。
 この「新郎」の写真はバイエルン国立博物館マティアス・ヴェニガーさんが撮影したシリーズの1枚です。私は中世ドイツの静かな彫刻の中で、こんなに動きのある楽しげな彫刻が彫られていたことに深く感銘を受けたものですから、是非第四巻では紹介したいと思い、ヴェニガーさんと所属するミュンヘン市立博物館の承諾を得て、シリーズの写真を掲載することにしました。そして本の顔となる表の表紙にも選んだのでした。

 ただデザインを進めている途中で、昨年の日本自費出版文化賞 特別賞受賞の際、受賞記録の冊子に「写真はドイツのカメラマンによるものだが」と書かれているのを見て忙しくて『祈りの彫刻 リーメンシュナイダーを歩く』しか読まれていないのかなと感じたこと、知り合いの方からも「この表紙では撮影が緑さんとわからないですよ」といわれたこともあったことを思い出し、今回は表紙に「福田 緑  著・撮影」と明記していただくことにしたのでした。そうでないと2冊目からはほぼ私が自分で写した写真を集め、一部撮影禁止だった作品と私がうまく写せなかったけど是非載せたい写真については提供された写真を掲載したということがわかっていただけないのだと感じていたのでした。

 ところが、いざできあがったデザインを見てみると、ヴェニガーさんが写した「新郎」に「福田 緑  著・撮影」の文字が重なった場合、彼の写真なのに私が写したと勘違いされることも出てくると改めて気が付きました。そのため、表の表紙はブログ230に載せた静かな雰囲気の「ある男の胸像」、裏の表紙はマティアス・ヴェニガー博士撮影の「新郎」としたのでした。私は現在のコロナ禍を元気に飛び出すようなこの「新郎」の写真が気に入っているのですが、裏表紙で皆さんが本を閉じたときに、目にしていただければその思いも伝わるかと考え直した次第です。

 

▶ここで「まえがき」を2回に分けて紹介しておきます。

 
まえがき(1)

 1999年8月。ミュンヘンのバイエルン国立博物館のほの暗い小さな部屋で、初めてティルマン・リーメンシュナイダーの彫刻「天使に支えられる聖マグダレーナ」を見た。その瞬間、心に光の矢が刺さったような気がした。この作品が放つ敬虔な祈りの力に深く感動し、彫刻を見て初めて涙した日からはや20年が過ぎた。

 2005年4月1日。33年間勤めた教師としての衣を脱ぎ捨てた私は、「リーメンシュナイダーの追いかけ人(びと)」として彼の作品をまっしぐらに追いかける日々をスタートした。翌年、ドイツ南部の静かな町、シュヴェービッシュ・ハルのゲーテ・インスティテュートで半年間ドイツ語を学ぶ。リーメンシュナイダーの写真集が日本には一冊もなかったので、この素晴らしい彫刻家の作品を写真集として日本で紹介したいという気持ちが徐々に膨らみ、退職後の大きな目標となっていたのだ。そのためにはある程度資料を読み取ることのできるドイツ語力が必要だった。
 留学中に出会った今は亡きアマチュア写真家、ヨハネス・ペッチュ氏から素晴らしい写真の提供を受け、「リーメンシュナイダーの写真集を作りたい」という私の背中を押していただいた。さらに、娘の福田奈々子が、私が本に載せたいと思う作品を一眼レフで撮影してくれた。ヨハネスのカラー写真と奈々子の白黒写真のおかげで、カメラをろくにいじったことのない私が写真集を作るという夢が実現へと近づく。そして、ドイツ語が不十分だった私を助けてくれたのは大学でドイツ語を専攻した平野泉さんだった。彼女はふしぎなご縁から彗星のように私の目の前に現れたのだが、それについてはここでは省略する。

 2008年12月。日本ではほとんど話題にものぼらないリーメンシュナイダーという中世ドイツの彫刻家の写真集『祈りの彫刻 リーメンシュナイダーを歩く』を丸善プラネット株式会社(以下、丸善プラネット)から自費出版。その後、やはり自分自身の手でリーメンシュナイダーの作品を撮影したいと一眼レフを買い、一眼レフカメラ初心者講習に通う。そして、「この村にまだ日本人は来たことがありません」と牧師さんから言われたドイツの小さな村や、往復できるバス便が1日1本しかない小さな町までカメラと三脚を担いで訪ね歩く。

 2013年1月。第二巻目の写真集『続・祈りの彫刻 リーメンシュナイダーを歩く』を丸善プラネットから自費出版。幸運に恵まれて3月には朝日新聞の書評欄に取り上げられ、何とかリーメンシュナイダーの彫刻を広く日本人に知ってもらいたいという夢が叶う。これで私の務めは終わったと思ったが、連れ合いの福田三津夫に「小さな教会で特別に鍵を開けて見せていただいた聖母子像や、一般人が入れない修道院で写させてもらった磔刑像を、このまま世に出さないでいいのかな。同時代の作家たちの魅力も日本の人たちにもっと知らせたいんだよ」と強く勧められ、さらに写真集作りに励むこととなる。

 2018年8月。第三巻目の『新・祈りの彫刻 リーメンシュナイダーと同時代の作家たち』を出版。三津夫が願っていた同時代の作家たちの紹介もできて、ようやく肩の荷が下りたと思った瞬間だった。

 2019年7月。オーストラリアのエアーズロック空港で出会ってから22年のお付き合いとなるシルヴィアがドイツで結婚式を挙げることになり、招待を受けたのがきっかけで16回目のドイツへの旅に出る。この旅でさらに同時代の作家たちの魅力ある作品に触れ、とうとうもう一冊だけ写真集を出版することを決意。

 2020年1月。こうした経過を辿ってようやく第四巻目のリーメンシュナイダー写真集『完・祈りの彫刻 リーメンシュナイダーと同時代の作家たち』の編集に取りかかった。
                                     

 リーメンシュナイダーと同時代に活躍していた彫刻家たちについては三津夫の方がはるかに詳しく、熱い思いを長年持ち続けて研究してきた。ここ数年に亘るドイツ、およびチロル地方への旅行で撮りためた写真を、第三巻目に引き続き本書にまとめることにした。

 本書第4巻の第Ⅰ部には、リーメンシュナイダー作品の細部を追いかけた写真をテーマ別に編集した。ほとんどが既刊の写真集に載せた作品ではあるが、初出の写真、または同じ写真であってもカラーや切り口を変えた写真で構成した。
 そして第Ⅱ部には同時代の作家たちによる作品の個性的な面白さ、楽しさ、美しさを追求した写真を掲載した。特筆すべきは、バイエルン国立博物館で1550年以前の絵画・彫刻を担当されているマティアス・ヴェニガー博士(Dr. Matthias Weniger)が「刊行に寄せて」を書いてくださったことだ。さらに「モーリス・ダンスの踊り手」(エラスムス・グラッサーErasmus Grasser作)の写真を提供していただけたことである。長年の研究生活の中で数冊の分厚いカタログを出版し、写真家としても名をはせておられるヴェニガー博士からこのような魅力あふれる写真の掲載を許されたことを大変光栄に思っている。また、このグラッサー彫刻の所有者、ミュンヘン市立博物館からも快く掲載許可をいただけたことに深く感謝している。
 ニコラウス・ゲルハールト・フォン・ライデンの彫刻は三津夫の大のお気に入りだが、フランスのストラスブールにあるルーヴル・ノートルダム博物館に掲載許可をいただく手続きをするというのは気が重かった。それでも撮影した写真の掲載許可をドイツ語で申請したのだったが、コロナ禍と重なり、なかなかお返事がいただけずにいた。そこで、リービークハウスで中世彫刻を担当していらっしゃるシュテファン・ロラー博士(Dr. Stefan Roller)に仲介をお願いしたところ、快く引き受けてくださった。ロラー博士はヴェニガー博士のご友人で2019年の旅で初めてお目にかかったのだが、その際ゲルハールトの分厚いカタログをいただいた。博士はルーヴル・ノートルダム博物館と共同でこのカタログを作った方だったのだ。ロラー博士のおかげで念願叶って男性の頭部彫刻3点を本書に掲載することができ、大変嬉しく思っている。(2に続く)

※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015 Midori FUKUDA

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230. リーメンシュナイダー写真集 第四巻の表紙が決まりました。

2020年09月18日 | 自己紹介

▶コロナ禍での出版準備

 


写真集第四巻『完・祈りの彫刻 リーメンシュナイダーと同時代の作家たち』の表紙が決まりました。
 ただし、今後、多少の変更はあるかもしれませんが。
  「ある男の胸像」ニコラウス・ゲルハルト・フォン・ライデン 1463年頃 
   ストラスブール、ルーヴル・ノートルダム博物館

 

▶第四巻出版までの苦労

 毎回、出版前に一番大変なのが美術館、博物館への掲載許可申請です。
 今年はコロナの感染が徐々に増えてきた頃、必死で仮頁の画像をプリントアウトし、写真掲載許可へのお願い文書を書いて3月9日に郵便局から海外へ発送しました。そして初めての許可メールがケルンから届いたのが3月18日でした。これで海外にちゃんと手紙が届いたのだなとホッとしたのをよく覚えています。ところがその後はなかなか反応が届きません。このブログの210で途中経過を報告していますが、あれこれ手を尽くして何とか7館中7館ともが許可を出してくださいました。本当にホッとしました。今までの経験では断られることも多く、その際は他の教会等の画像に変えていたのですが、その作業が終わる前に原稿を出さなければならなかったこともあって編集スタッフの皆さんには迷惑をかけ通しでした。

 2番目に大変だったのは、第Ⅲ部の作品一覧です。 
 リーメンシュナイダーに関しては今回掲載した19作品だけなので比較的情報もまとまっていたのですが、中世の作家たちは19人について主な作品をリストアップしましたので、膨大な量になり、この作品一覧だけで43頁にもなってしまいました。これだけ日本語だけでなくドイツ語や英語などを書き込むと、表内の文章表現を一致させ、誤字脱字のチェックも大変な作業でした。私も必死で取り組みましたが校正の公文さんのチェックはさらに細かく、丁寧で何度も見直す必要に迫られ、苦しい作業でした。ただ、この苦しさは「いや」というのではなく必要で大変ありがたいものです。彼女のおかげで見直せば見直すほど内容が確かになってきたからです。

 さらにドイツ語に関してはちょっとしたフレーズでも文法的に合っているのかどうか、最後まで自信が持てなかったので、現在週に一度通っているドイツ語クラスのルートヴィッヒ・バールケ先生に最終チェックをお願いしました。おかげで自分の目では見つけられなかったミスを18箇所も見つけていただきました。さらに定冠詞はここにはつけない方が良いだろうというアドヴァイスもあり、ちょうど三校校正紙を送り返さなければならない日に間に合ったので、後から修正箇所を追加するよりも一度で校正の方に回すことができたのは大変ありがたいことでした。バールケ先生には本当に助けていただきました。

 現在は写真頁の色の検討に入ろうとしています。
 これが私にとっては順序としては3番目だけれど、写真集としては一番大切な仕事。色というのは記憶の中ではどうしてもあやふやですし、パソコン画面ではパソコンによって写り方が変わってきます。またその画像を見るときの天気や、部屋の照明によっても変わってきます。とても繊細だけれど、極力天気のよい日に同じ部屋の照明の元で見較べて、メモを作りました。富士美術印刷さんでは他の作業がほぼ終わった段階で初めて本番と同じ用紙に試しの印刷(プルーフ)を出してくれるのです。その段階になったら富士美術印刷さんまで行って担当の加藤陽子さん、大塚欣一さんとプルーフを見ながらよく相談してきます。ここまで行けばあとほんのわずかで仕上がりです。丸善プラネットの予定では10月末には刊行となっていますので、もし書店で見かけるようになったらどうぞお手にとってご覧ください。

 次回は裏表紙と「はじめに」をアップする予定です。

※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015 Midori FUKUDA

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213. 閑話休題 📖本屋さん開店のお知らせ

2020年04月26日 | 自己紹介

▶今日はちょっと旅の話はお休みして、お知らせをさせていただきます。

 
第三巻『新・祈りの彫刻 リーメンシュナイダーと同時代の作家たち』2018年8月発行 丸善プラネット

 

 
第二巻『続・祈りの彫刻 リーメンシュナイダーを歩く』2013年1月発行 丸善プラネット

 

 
第一巻『祈りの彫刻 リーメンシュナイダーを歩く』2008年12月発行 丸善プラネット


◆私が夫と共に自費出版してきた写真集

 もう何度もお知らせしていますが、もう一度だけリーメンシュナイダー三部作の表紙と裏表紙をまとめて載せておきました。
 といいますのは、こうしたマイナーな彫刻家の写真集というものはどこの出版社も相手にしてくれず、大変な苦労をして丸善プラネット株式会社からようやく自費出版してきた📖本ですから、人間の我が子は二人いてもう成人していますが、第二の我が子のようなものです。少しでも多くの方に手にとってリーメンシュナイダーの魅力を味わっていただけたら今までの苦労も吹き飛ぶというものです。

 連れ合いの福田三津夫も数冊の教育書を出版していて、わが家には買い取った本が山と積まれているのです。この重さのためにかどうか、最近は家に歪みが生じ、雨戸が閉まらない、玄関の鍵がかからない、雨漏りがするといった不具合が次から次へと出てきています。新型コロナウィルスで家に籠もらなければならないこの日々、三津夫はずっと気になっていたこれらの本を少しでも減らしたいと、ネット書店に取りかかったのでした。以下、福田三津夫のブログからコピーして宣伝させていただきます。リーメンシュナイダー三部作はAmazonを見ても販売していないシリーズがあり、このネット書店「猫家族」からですと新本が書店よりお安く手に入ります。一度のぞいてみてくださいませ。

 次回は、また旅の続きに戻ります。

〔263〕個人本屋【猫家族】開業-コロナ禍からの反転、ついにネット販売に踏み出しました。

   コロナ禍で右往左往する私たち人間、その原因理由は様々なことが謂われています。人類が招いた地球温暖化により氷土が溶け出し、そこに眠っていたウイルスが出現再生したとか、人間が獣の住処まで開発、進入したために野生の動物との接触が増しウイルスに感染することが増えたとか。いずれにしてもペストから数えて何回目かのパンデミックに遭遇していることは間違いありません。
 そんななか70歳を過ぎた私にやれることは限られています。外に出られないことを逆手にとって、むしろやれることをやろうということで、懸案だった本のネット販売に踏み切ることにしました。アマゾンでの小口出品です。
  以前からネット販売の希望を持ってはいたのですが、忙しさに紛れて、なかなかその1歩を踏み出すことができませんでした。パートナーの力を借りながら、ようやく1週間かかってスタートしたのは2日前でした。
  アマゾンの販売には品物をアマゾンに預けて注文から発送まですべてをやってもらう方法と、個人で行う小口出品があります。私が採用した小口出品の条件と手数料は以下の通りです。

【配送条件】
■小口出品では、すべての商品についてAmazonが指定する配送料が適用されます。配送料について詳しくはこちらをご覧ください。
■リードタイム(出荷作業日数)が自由に変更できません。注文された商品は、予約販売を除き、2営業日以内に出荷してください。
■配送のサービスレベルおよび配送予定などの条件もAmazonが指定する条件に従う必要があります。
〔手数料〕
■小口出品が完了すると、取引が完了した商品1点ごとに100円の基本成約料、販売手数料とカテゴリー成約料が請求されます。


  わたしが本のネット販売を考えたのは、拙著の在庫がかなりあるからです。パートナーと合わせて10冊近くの自費出版的な本を世に出しました。出版社との関係でそれ相当の数買い取りをしているのです。講演会やワークショップなどで本を売らせていただいたのですが、それにも限りがあります。
 アマゾンのサイトにあげた本は、私たちの拙著と手持ちの本、先輩諸氏からいただいた本(自分ですでに持っている本のみ)などです。皆さんに手にとっていただけるように、ほとんど最安値で価格をつけてあります。下掲の本がノミネートしたものです。
 私どもの「本屋」は【猫家族】です。どうぞよろしくお願いします。

■販売する本

『いちねんせい-ドラマの教室』福田三津夫、晩成書房
『ぎゃんぐえいじ-ドラマの教室』福田三津夫、晩成書房
『実践的演劇教育論-ことばと心の受け渡し』福田三津夫、晩成書房
『地域演劇教育論-ラボ教育センターのテーマ活動』福田三津夫、晩成書房

『ことばで遊ぼう 表現しよう!』日本演劇教育連盟編、晩成書房

『劇遊びの基本』小池タミ子、晩成書房
『劇あそびを遊ぶ』小池タミ子、平井まどか編、晩成書房

『子どもっておもしろい』福田緑、晩成書房    

『祈りの彫刻-リーメンシュナイダーを歩く』福田緑、丸善プラネット 
『続・祈りの彫刻-リーメンシュナイダーを歩く』福田緑、丸善プラネット          
『新・祈りの彫刻-リーメンシュナイダーと同時代の作家たち』福田緑、丸善プラネット  

『演技者へ!』マイケル・チェーホフ著、ゼン・ヒラノ訳、晩成書房
『パニックの子、閉じこもる子達の居場所づくり』山﨑隆夫、学陽書房

『げき(高学年)』日本演劇教育連盟編、晩成書房
『新・演劇教育入門』日本演劇教育連盟編、晩成書房
『赤い鳥童話劇集』冨田博之編、東京書籍
『日本児童演劇史』冨田博之、東京書籍
『人形劇とはどういうものか』オブラスツォーフ他、大井数雄訳
『劇のある教室を求めて』大隅真一、晩成書房
『劇へ-からだのバイエル』竹内敏晴、星雲書房

『小学校たのしい劇の本・低学年』日本演劇教育連盟編、国土社
『小学校たのしい劇の本・中学年』日本演劇教育連盟編、国土社
『小学校たのしい劇の本・高学年』日本演劇教育連盟編、国土社

『中学校演劇脚本集1』日本演劇教育連盟編、晩成書房
『中学校演劇脚本集2』日本演劇教育連盟編、晩成書房
『中学校演劇脚本集3』日本演劇教育連盟編、晩成書房

『きまぐれ月報上』相川忠亮、社会評論社
『きまぐれ月報下』相川忠亮、社会評論社

『学級通信生きる』川津晧二、社会評論社
『「日の丸・君が代」が人を殺す!』北村小夜・天野恵一、社会評論社

『不可視のコミューン』野本三吉、社会評論社
『裸足の原始人たち』野本三吉、社会評論社

『もうひとつの学校へ向けて』村田栄一・里見実、筑摩書房
『じゃんけん党教育論』村田栄一、社会評論社

『教師の声を聴く』浅井幸子、黒田友紀他、学文社
『リーメンシュナイダーの世界』植田重雄、恒文社
『ひとりで操体法』小崎順子、濃文協

『鏡像と懸仏』 (日本の美術 No.284) 難波田徹、至文堂

ご覧いただき、ありがとうございました。

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200. ありがとうございました。

2019年12月31日 | 自己紹介

▶今年一年、ありがとうございました。

この花は写真展の前日に教え子が送ってくれたものです。彼女とは46年のおつきあい。カツベー、ありがとう!

 

 写真展を終えて早くも大晦日となりました。この間、部屋のカオスはすさまじく、足の踏み場もないほどでしたが、何とか大掃除をしながら少しずつ片づけて、ようやく落ち着いて来ました。まだまだ名簿の整理やまとめが残っていますが、来年は4冊目の写真集に向けて新たなスタートを切ります。その前に16回目の旅行編を何とか書き進めて本の編集に集中できるようがんばりたいと思っています。

 

 今年出逢った多くのリーメンシュナイダーの追いかけ人の皆さまと、新たな世界に一歩踏み出した感じがしています。今後ともどうぞよろしくお付き合いくださいますようお願いいたします。

 今年、義母が98歳で亡くなりましたので新年のご挨拶は控えますが、皆さまにはどうぞよいお年をお迎えくださいますよう、ちょうどブログの200回目の区切りで一言ご挨拶をさせていただきました。

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198. リーメンシュナイダー写真展は無事終了しました。

2019年12月09日 | 自己紹介

▶リーメンシュナイダー写真展は無事終了しました。


全部ではありませんが、およその雰囲気をお伝えします。


◆12月7日、無事写真展を終えることができました。
 この2週間で、ギャラリー古藤(ふるとう)に足を運んでくださった方々は、はっきりわかっているところで496名となりました。忙しすぎて受付で確認できなかった方もいたので500人を越えたのは確かです。個人主催の写真展でこれだけ多くの方が見に来てくださるというのは予想できませんでした。私は、もっともっと閑古鳥が啼くだろうと正直思っていました。

 これも新聞記事の後押しや、ギャラリーオーナーの大﨑文子さん、田島和夫さんご夫妻、武蔵大学の永田浩三先生、写真展開催をリードしてくれた木村まきさんが、あちらこちらのメディア関係に連絡を取ってくださったり、可能な限りの美術館や諸施設でビラを置いてくださったことなどのおかげなのです。私は地元の公共施設にビラを置きましたけれども、もっぱらどの写真を選定するかに頭を悩ませ、どんな資料を作るかに精力を傾けていたので、ただただ皆さまのご努力にお任せでした。この場を借りて感謝申しあげます。


もう一つの要素、リーメンシュナイダーの魅力
 多くの方から話しかけられたことは、「ずっとリーメンシュナイダーのことが気になっていた」「是非一度見たいと思っていた」「以前見て、その魅力が忘れられない」「自分もずいぶん見て回りましたよ」といった、リーメンシュナイダー作品に魅力を感じ続けてきた人々のことばでした。今まではリーメンシュナイダーの追いかけ人は少ないだろうと思っていたのですが、実は私より何年も長いこと追いかけ続けてきた先輩が多くいるということがわかったのでした。こうした方々の思いがこの写真展を成功に導いてくれたと思っています。
 ある方は、植田重雄先生と、フランケン博物館の「悲しむマリア」像が一緒に写った古い新聞を大切に持っていらっしゃいました。昔使った本を寄贈しますという方も2人おいでになりました。そして植田重雄先生が解説した番組のビデオをコピーして届けてくださった方もいらっしゃいました。私が見たくて見られずにいた番組です。家の中はまだ写真展グッズでカオスですが、合間を見て是非連れ合いと一緒に拝見したいと思っています。

 皆さま、ようこそ私の拙い写真展に来てくださいました。落ち着きましたら、メールアドレスやご住所を書いてくださった方々に少しずつお礼のご挨拶をお送りしたいと思っています。ありがとうございました。       


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197. リーメンシュナイダー写真展、最終日

2019年12月07日 | 自己紹介

▶リーメンシュナイダー写真展は最終日を迎えました。


12月6日のギャラリートーク。福田三津夫+私。写真は木村まきさん撮影。


◆12月6日は3回目のギャラリートークでした。

 福田三津夫は私の連れ合いです。約20年間、リーメンシュナイダーを追いかける旅の80%ほどを同行してくれました。二人とも何故か中世の彫刻に惹かれ、目的地については相談しながら決めています。ただ、リーメンシュナイダー作品については私、中世の同時代の作家については三津夫が主導権を握るという違いはありますが。そんな旅の中で築いてきたドイツの友人や博物館の関係者との友情も大いに旅を助けてくれています。そんな内実をざっくばらんに語りました。あまり学術的とは言えないかもしれませんが、お互いがどんな作品に惹かれながらこの写真展にたどり着いたのか、背中を押してくれた木村まきさんも写真を撮影しながらではありましたが皆さんにご紹介して約1時間。時間がもう少しあったら良かったねと言いながら締めくくりました。

 

◆男性だと思っていました。

 会期中、何人かの方から、「福田 緑さんって男性だと思っていました」と驚かれました。そのため、「お名前は何て読むのですか?」と聞かれたことも。そういえば日経新聞の私の写真はショートヘアーで男性と思われても無理がないものですが、恐らく世間の常識として「写真展を開くのは男性だろう」という思い込みがあるのかと感じさせられました。リーメンシュナイダー作品や中世作家の面白い作品を目の前にするとスイッチが入ったように時間も場所も忘れて撮りまくる私に、夫は呆れながら待つしかありません。それでも我慢強く待ち、時間が迫ってくると知らせてくれる大切な役割を担ってくれる人です。さすがに一人の時は戻ってくるバスの時間を気にしながらの撮影で、気が気ではありませんでしたから。夫婦二人三脚でここまで来られたのだなと感謝しながらの写真展でした。


◆今日で写真展は終わりです。

 この14日間で写真展をのぞきに来てくださった方は、わかっている限りで451名となりました。12月2日に掲載された日経新聞の全国版記事が大きく後押ししてくれて、遠い広島からも初めてお目にかかる方が駆けつけてくださったのには感激しました。今日は手が冷たくなるほど冷え込んでいますが、あと何人のお客様と語り合えるのか、終わってしまうのが寂しいような気がしています。午後4時までの開催ですので、ご都合の付く方はどうぞおいでください。今までおいでいただいた方に感謝の気持ちを込めて閉じたいと思っています。ありがとうございました。

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196. 写真展、賑わっています!

2019年12月04日 | 自己紹介

▶リーメンシュナイダー写真展は大賑わいです。


ギャラリー古藤(ふるとう)の入口。迷子になる方が多いのでこちらを目印にお越しください。


◆リーメンシュナイダーの追い風

 昨日12月3日、ブログをアップして大急ぎでギャラリーに駆けつけると、まだ開館前なのに既に2人のお客様が座って本を見ていらっしゃいました。急ぎ開館準備をすると、次から次へとお客様が見えます。それは、2日の朝に日経新聞の全国紙朝刊で、そして同日、朝日新聞の東京版では夕刊で私の写真展について紹介されていたからです。今回は11月22日に東京新聞の山手版、都心版でまず大きく取り上げられ、29日に赤旗新聞で写真はないものの紹介記事が出て、12月2日には2社からの紹介。何ででしょう? 自分でも訳がわかりません。武蔵大学の永田先生からのご紹介やギャラリー古籐の資料送付などの効果が出たということはありますが、2週間のちょうど良い時期にそれぞれバランス良く出た新聞記事は、リーメンシュナイダーが吹かせた追い風としか考えられません。それほど多くのリーメンシュナイダー・ファンの方が日本にもいらっしゃったということですね。今のところ、早い方は1980年代からリーメンシュナイダーを見て回っていらしたそうです。まだまだ私は新参者なのだと感動しました。また、同じシュヴェービッシュ・ハルのゲーテ・インスティテュートでドイツ語を学んだという方もお見えになり、故郷談義のようにお話がはずみました。写真集も3冊まとめてお買い上げいただく方が多く、驚いています。値段は高いし、重たいのに、雨の中を大きな袋を持ってお帰りになる姿に手を合わせています。ありがとうございます。


今日は、今まで掲載された新聞記事をご紹介しておきます。

トップは東京新聞でした。


こちらは赤旗 11月29日の記事です。


こちらは日経新聞。少々文字が小さくて申し訳ありません。


こちらが朝日新聞夕刊の小さな記事。


 新聞記事を書いてくださった記者の方々に、そしてリーメンシュナイダーの名前を読んで駆けつけてくださった方々に心よりお礼を申しあげます。

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195. 写真展、残り5日間

2019年12月01日 | 自己紹介

▶リーメンシュナイダー写真展はサロンになっています。

❤ご来場いただいた方の了承を得て掲載しました。


◆毎日リーメンシュナイダー談義

 とにかく写真やキャプションをじっくりご覧になる方が多くてつい話しかけたくなる私。すると心にある疑問や感想を語り始める方がほとんどです。入口のドアを開けると大きなマリア祭壇が正面に見えるように構成しているのですが、「お金を貯めてこのマリア祭壇を見に行きます」と、2晩続いてご覧になった方もいましたし、私が追いかけ人となったきっかけのマグダラのマリアを絵に描いてみたいと仰って、祈りの彫刻シリーズを3冊ともお買い上げになった方もいらっしゃいました。リーメンシュナイダーの追いかけ人としては本当に嬉しい反応です。テーブルの上に載せた資料を静かにゆっくりご覧になる方も。お茶とお菓子でサロンのような雰囲気に、毎日何人かはゆっくり腰を据えてお喋りをしていきます。我ながらとても良い雰囲気の写真展になったと嬉しく思っています。

 ただ、『祈りの彫刻 リーメンシュナイダーを歩く』シリーズの写真集を各15冊ずつ用意したのですが、ギャラリーの残部は現在3冊のみ。丸善プラネットの倉庫にもあと74冊のみとなりました。今日の様子を見て急ぎ取り寄せる予定ですが、増刷はしませんので、この在庫が終わると1冊目は完売となります。現在写真展特別価格でお分けしていますので、もしいずれと思っている方がいらっしゃいましたら早めにおいでくださいませ。


◆彫刻家の棚田康司さんもリーメンシュナイダーの追いかけ人でした。

 11月30日は若手の彫刻家、棚田康司さんがギャラリートークのゲストとして来てくださいました。棚田さんは2001年から2002年にかけて文化庁芸術家在外研究員としてドイツのベルリンに行っていらっしゃいますが、その申請時にティルマン・リーメンシュナイダーの作品を見ると書き込んでいらしたそうです。そして研究機関中にフッセンからレンタカーで北上し、クレークリンゲンのマリア祭壇も見に行ったのだそうです。その祭壇のビデオを撮っているときに我知らず涙が流れていたと話されたのを聞いて、「私のマグダレーナと同じだ!」と感動しました。「ここにも私と同じようにリーメンシュナイダーの作品を大切に思っている方がいた、しかもご自身が彫刻家として活躍している方が!」とわかってとても嬉しく思いました。リーメンシュナイダーの作品には見る人々の視線を促すためのありとあらゆる工夫がほどこされていること、重力にあらがう彫り(例えばピエタなど)というのは大変難しいこと、群像などは土台がどっしり、上に行くにしたがって細くなる三角形の構図をとっていて安定感があること、聖人などの立ち姿はS字型で軟らかく表現されていることなどのお話を伺いました。特に視線を促す工夫のあたりは私には無い観点でしたので、とても新鮮に響きました。


ギャラリートークの棚田康司さんと私。写真は木村まきさん撮影。

 棚田康司さんの作品は、独得の透明感が漂う現代彫刻ですが、静かに考えさせられる作品で、どこかリーメンシュナイダーの内面性に通じるところがあると思います。現在「鎮守の森の入口で」という作品展を常陸国出雲大社境内で開催していらっしゃいます。2020年1月13日までだそうです。少し遠いですが、私もできれば一度行ってみたいと思っています。

 〒309-1634 茨城県笠間市福原2081 電話&FAX 0296-71-6700 常陸国出雲大社境内桜林館1F



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194. 写真展が始まりました。

2019年11月26日 | 自己紹介

▶リーメンシュナイダー写真展


この写真は写真展のメインテーマになっているヘルゴット教会(クレークリンゲン)のマリア祭壇です。2007年8月15日の夕刻、西の薔薇窓から夕日が射して薄暗かった祭壇が明るくなり、くっきりと聖母マリアが浮かび上がった瞬間です。この感動は忘れられません。今は亡きヨハネス・ペッチュが連れて行ってくれて撮影できたのでした。


2019年11月23日(土曜日)に、練馬区のギャラリー古藤(ふるとう)にて福田 緑写真展「祈りの彫刻 リーメンシュナイダーを歩く」がスタートしました。その前日に東京新聞山手版、都心版でこの写真展が紹介されたこともあり、記事を読んで訪ねてくださった方も多かったようです。何より、冷たい雨の中を朝からお客様が見えたのに感激しました。そしてじっくりじっくりキャプションを読み、写真を眺め、最後にチャリティー絵はがきや写真集を買ってくださる方も多く、心の中で手を合わせていました。

 夕方5時から開かれた永田浩三氏(武蔵大学教授・下の写真で乾杯の音頭をとってくださっている方です)とのギャラリート-クには40席が一杯になり、熱気あふれるトークとなりました。幅広い中世彫刻の時代背景と共に語られて、リーメンシュナイダーの人物像がよりクリアになったと思います。私は好きなようにリーメンシュナイダーの魅力や作品について語ることができ、充実感あふれるギャラリートークとなりました。その後のオープニングパーティーにもほとんどの方が残ってそれぞれの熱い思いを語ってくださいました。皆さまに感謝です。


写真は、ブラジルからお見えになっている岡村淳さんが写して送ってくださいました。ありがとうございます。


 以下のアドレスに、11月22日の東京新聞の記事が出ています。お時間のある方はご覧ください。

https://www.tokyo-np.co.jp/article/tokyo/list/201911/CK2019112202000123.html


 ◆なお、遅れ遅れになっていますが、旅行の続きは写真展が終わってから書くことにします。

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188. 第22回自費出版文化賞 特別賞受賞

2019年09月08日 | 自己紹介

▶まずはご挨拶から。

フランクフルトにあるお店のワゴン


◇ご無沙汰していました

 7月13日の記事をアップした後、長いご無沙汰をしてしまいました。7月16日からドイツへ16回目の旅をしてきて、8月14日に帰国しました。その間の様々なできごとや思い出は次号から徐々にアップしていきたいと思います。この間の写真は旅の写真を入れていきますので、よろしくお願いいたします。今日は嬉しいニュースを書いておきます。


◆2019年9月5日のことでした。

 9月5日の朝、メールを開くと丸善プラネットの白石好男さんから「自費出版文化賞 特別賞」 受賞のお祝い というメールが届いていました。慌てて夫の元に駆けつけ、彼の見ている朝日新聞朝刊をのぞき込むと、確かに特別賞の最後に、


▽「祈りの彫刻リーメンシュナイダー3部作」福田 緑


と書かれていました。夫が悔しがることといったら。彼はいつも朝ゆっくりと新聞を読みます。1面から順番に見ていってあと少しでこの記事が載っていた29面にたどりつくところだったのです。自分が第一発見者になることが大好きな彼は、「先を越された」と大変残念がっていましたが、それと同時に大変驚き、二人して喜び合いました。というのも、『祈りの彫刻 リーメンシュナイダーを歩く』は入選、『続・祈りの彫刻 リーメンシュナイダーを歩く』も再度トライしましたがやはり入選、「それなら3部作で今年は出してしまおう。これでもダメならあきらめよう」と、3冊揃えて3度目のトライをしたのですが、夫はまず入選止まりだろうと言っていたのでした。3冊そろったことで、やっと何とか20年かけてリーメンシュナイダーを追いかけてきた私の仕事が認めていただけたということなのでしょう。

 そもそも、自費出版にせざるを得なかったのは、2008年に『祈りの彫刻 リーメンシュナイダーを歩く』を出版しようと、あちらこちらの出版社に掛け合ったときに、ある方から言われた「リーメンシュナイダーなんていうマイナーな作家の本を誰が買うと思いますか?」という言葉がきっかけでした。「そう言われてしまうのなら、少しでもリーメンシュナイダーの名前を世間に知らせるしかない」と自費出版を決意し、写真集でも大丈夫と誠実な価格で応じてくれたのが丸善プラネット株式会社だったというわけです。この本は「とても自費出版とは思えない」と言われながらも内容的には反省の多い本でした。その後、自分で撮りためた写真を中心に掲載した同じ体裁の続編、続々編とリーメンシュナイダー・シリーズの出版を丸善プラネットにお世話になる中でチームとしてのまとまりができてきて、昨年は出版を記念する会まで設けてくださったのでした。
 そのチームリーダーの白石さんが、こうしていち早くメールを書いてくださったことにも深く感謝しています。その後、続々とお世話になった方々からメールが届き、大変幸せな一日でした。もっとも、特別賞と言っても賞金はなく、賞状と記念品をいただけるだけですが、チラリとでも朝日新聞のこの小さな記事を目にした方々に、「リーメンシュナイダーって誰だろう?」と思っていただければこんなに嬉しいことはありません。このブログに書こうと思いながら既に3日たってしまいましたが、ここでご報告しておきます。
 

このお店の長い歴史に驚きました。

※このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015 Midori FUKUDA

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44. やっと追いつきました

2016年09月21日 | 自己紹介

帰国してから No.2

 主立った旅の記録を終えて

 以前のホームページから新しいブログへと引っ越してからもう1年4カ月が経ちました。画像の位置指定が難しいこのブログで、それでも欲張ってあれこれ写真を詰め込んで、何とか親切にしてくれた友だちの紹介も入れながら『祈りの彫刻 リーメンシュナイダーを歩く』、『続・祈りの彫刻 リーメンシュナイダーを歩く』を手渡す旅について書いてきました。主立った記録にとどめたので、アメリカへの2回の旅、2014年に再び残りの作品を見に行ったドイツの旅にも触れていませんが、距離にしたらどのくらい追いかけて旅したのでしょう。アメリカでは特に東海岸から西海岸へ飛んだり、中央部のシカゴを中心に歩いたりと大がかりな旅となりました。いずれの地でも親切な町の人々、バスの運転手さんに助けられ、危険な目にあうこともなく日本にもどってくることができました。

 作品の数え方については悩み、ベルリンにあるボーデ博物館のユリエン・シャピエさんに相談したところ、「あなたなりの数え方をすればいいのですよ」と言われて目から鱗の落ちる思いがしました。それで、『続・祈りの彫刻 リーメンシュナイダーを歩く』では自分なりの数え方のルールを決めてカウントしたところ、リーメンシュナイダー、工房、弟子や周辺の作家の作品はドイツ国内に345点、アメリカ国内に22点、それ以外の国に22点を数え、合計389点となりました。

 その後、更に新しく発見された作品や新しい情報を得てわかった作品を入れた私の手元資料では、ドイツ国内が384点となり、合計は428点となっています(もっとも数え方一つで、この数は大きく動きますので、その点はお断りしておきます)。恐らく今年の12月に帰国した後でまた作品数は変わることでしょう。結局全ての作品を訪ねることは不可能ですし、私の旅は終わりそうもありません。でも親しい友だちのうち、すでにスイスのロルフ、アマチュア写真家のヨハネスが亡くなりましたし、連絡の取れなくなった方も何人かいます。残念ながら大好きなドイツ国内でも今年テロが起きました。日本もいつテロリストに狙われるかわかりません。まだ平和な旅ができる間に、こうした友だちやお世話になった方々に心の中でさようならと言ってくるために、もう一度だけドイツで2カ月ほど生活してきます。


 やっと「今」に追いつきました

 今年の旅では、Wi-Fiが利用できる宿を取りました。まだ使い慣れていませんが、タブレットを持っていきます。もしゆとりがあれば、今度の旅についてはできるだけ日々の日記をつけていきたいと思っています。もしそれが難しいようなら、帰国してから少しずつまとめたいと思いますが、ようやく何年も前の話ではなく、「今」に追いつくことができてホッとしています。タブレットからの画像の取り込みがどれだけできるのかわからず、もしかしたらあまり写真も載せられないかもしれませんが、お時間がありましたら覗いてみてください。

 最後に、アイゼナハにあるヴァルトブルク城の鳩の写真を載せておきます。世界の平和を心から祈りつつ。


                          

※ このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015 Midori FUKUDA                  

 

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32. ゲーテ校がつないでくれたご縁

2016年09月11日 | 自己紹介

続編への旅 No.2 2010年初夏の旅

 人脈を使わせていただきました

 私は早期退職をして、2006年の5月から10月までシュヴェービッシュ・ハルにあるゲーテ・インスティテュートでドイツ語を学びました。そのときにも様々な人と人との繋がりから先生のお宅に住まわせていただくことになったり、上の階に住む認知症の女性に宿題を見ていただけたりというラッキーな展開がありました。その中の一つのお話しです。当時書いていた留学日記からコピーします。情況をわかりやすいように多少加筆してあります。


    ***   ***   ***   ***   ***   ***   ***      

  2006年9月22日(金)

  
突然の仕事

 水曜日の中休みにゲーテ・インスティテュート受付のレギーナさんがやってきて、「今夜通訳をやって欲しいという依頼が来ているのだけれどできませんか。日本人のお客さんが来て食事を一緒にとるのだけれど、ドイツ語も英語も話せないということで日本語とドイツ語の通訳ができる人を探している」というのです。「あまり専門的なことは無理ですが、もし日常会話の程度なら何とか手助けできると思います」といって引き受けました。夕食はごちそうになれるということでしたし。
 夕方6時半に家のブザーが鳴り、ヴァンケさんという方が迎えに来てくださいました。この辺では大きなヴュルツという会社のアシスタントです。車の中で色々伺ったところでは、この辺一帯の通訳紹介所をあたったけれど、たまたま日本語ができる人が出張していて見つからず、ゲーテに頼んだということでした。 報酬も用意したというので「まだ学生だし、どの程度お手伝いできるかわからないのでお金は受け取れません。」と断りました。すると、ヴュルツが持っている美術館に入場していいこと、自分の好きな本をもらって行っていいということ、何か気に入ったおみやげがあったらくださるということでした。名詞を持って行って見せれば大丈夫なようにしておくからというのでありがたくこの特典はお受けすることにしました。
 こじんまりした古城ホテルに若い日本人男性が二人いて、ヴァンケさんと名詞を交換。どうも企業の関係者のようです。もう一人ヴュルツから人が来るというのでしばらく古城の中を見学させてもらいました。その間にヴァンケさんも私がどの程度のドイツ語ならわかるのかつかんだようです。
 食事が始まるとヴュルツの副社長というバウアーさんが見え、難しい顔でいきなり質問が始まりました。若い日本人に今日1日何をしたか、同行したドイツ人の仕事ぶりはどうだったか、何に感銘を受けたか、日本での業績はどうか、トレーニングはどのようにしているのか、毎月の売上高はいくらか…。何のことやらわけがわからず途中で少しずつ聞いてみたところ、ビュルツは自動車の部品(ネジなど)を扱っていて、日本でも売り出しているそうなのです。その販売員が彼らで、日本の業績が思わしくない、もっと意識を高め、売り上げを上げなさいという指導だったようでした。こんなはずではなかったのに。若者たちは「え? 売り上げ? こんなことまで言っちゃって大丈夫なの?」と目を白黒。でも嘘をついてもいずればれるから正直に言った方がいいわよ…なんて。私、何をしに来たんだろう? 

 まぁ、この年だから何とか間を取り持ちながら彼らの伝えたいメッセージも伝えられたし、若者たちにも意見を言わせられたかなと思います。美味しいステーキをごちそうになり、帰りの車の中でヴァンケさんから「あなたの通訳はとってもよかった。雰囲気をほぐしてもらえたので満足している。」というようなほめかたをされました。まぁ、お役に立てたようなのでいいことにしましょう。 

    ***   ***   ***   ***   ***   ***   ***                   

 このときのヴァンケさんの名刺が役立ちました。ヴュルツというのは当時ドイツでもトップ10に入るお金持ちの会社だそうです。そして帰国してからわかってきたのですが、シュヴェービッシュ・ハルにあるヨハニターハレという教会跡を美術館にしたのはこのヴュルツでした。その中にリーメンシュナイダーの素晴らしい作品が3点あることはすでに見て知っていたのですが、撮影禁止となっています。このとき私はヴァンケさんのことを思いだしたのでした。それまでにも『祈りの彫刻 リーメンシュナイダーを歩く』を贈っていますし、季節の挨拶を交わす程度の繋がりを保っていたので、旅を計画した折に、このヨハニターハレでの撮影を許可していただけないだろうかというお願いをしてみました。すると幸運なことにヴァンケさんを通じて美術館の方に連絡が回り、撮影許可が下りたのです。あの通訳の話があったとき、私には荷が重いなんて遠慮して断っていたらこんな展開にはなり得ませんでした。図々しいことも大事なんだなぁと痛感しました。

 さらに、撮影した写真が素晴らしいできで(自分でいうのもなんですが)、是非この写真を続編に載せたいと思うようになりました。再度ヴァンケさんへのお願いで、ドイツではだめだけれど日本での出版なら認めるとのこと、リストには地名は載せないことという条件で許可をいただきました。従って続編のリストのシュヴェービッシュ・ハルの頁にはその作品は入れずに個人蔵の項目にヴュルツ財団という名前で入れました。この本はヴュルツ財団にもヴァンケさんにもお送りしてあります。


 <ヨハニターハレの前で 私の鞄を持ってくれているのはマリアンヌ>

※ このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015 Midori FUKUDA

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1. あなたはリーメンシュナイダーをご存じですか?

2015年05月27日 | 自己紹介

 

                                         

                                           『祈りの彫刻 リーメンシュナイダーを歩く』
                                        (著者 福田 緑 丸善プラネット株式会社 2012年発行) 
                                         表紙の写真 ヨハネス・ペッチュ Johannes Pötzsch

はじめに

 私は今まで別のサイトでホームページを公開していましたが、この度こちらに引っ越すことに決めました。本来ならホームページとして継続したいところでしたけれど、たくさんの画像を入れ込んだサイトの引っ越しはなかなか難しく、こちらのブログなら少しずつ引っ越しができそうだとわかり、移すことにしました。  


では自己紹介から

 私の名前は 福田 緑といいます。木の緑、葉っぱの緑にちなんで母がつけてくれました。私はこの名前がとても気に入っています。  
 私は団塊の世代に生まれ、教師を長いこと続けてきましたが、2005年3月に早期退職しました。これからは今までできなかったことにチャレンジしたり、時間がなくてなかなか行けなかったところに行ったりしようと考えてのことでした。     


あなたはリーメンシュナイダーの彫刻をごらんになったことがありますか?

 リーメンシュナイダー(1460年頃~1531年)は、中世ドイツの彫刻家で、ヴュルツブルクを中心とした都市にたくさんの彫刻を残しています。私は彼の彫刻に1999年の夏、ミュンヘンで初めて出会いました。そのときの感動は思いがけず深いものでした。それから私は機会あるごとに彼の彫刻を訪ねて回っています。今では「リーメンシュナイダーの追いかけ人」(「おいかけびと」と読んでください。)と自称しています。
 1999年から始めた旅は2008年12月に一度区切りを付け、この頁の最初に紹介した『祈りの彫刻 リーメンシュナイダーを歩く』という写真集にまとめて自費出版しました。この本につけた作品一覧は、リーメンシュナイダーの作品を見てみたいという方々へのインフォメーションです。参考にしていただければ幸いです。何かご意見、ご相談などありましたら、以下のメールアドレスを半角に直してご連絡ください。できる範囲でお答えしたいと思います。
   midfk4915@yahoo.co.jp 
 
 次回から、リーメンシュナイダーとの出会いについて書いていきます。
 
 追記:このブログのアドレスは、「リーメンシュナイダーの追いかけびと」というつもりでドイツ語でつけたのでしたが、ドイツの友だちに「これでは緑が彫刻家で、彼のあとを継いで彫っていくという意味あいになってしまう。」と注意されました。ただ、そう教えてもらったのは2016年の旅の途中で、ブログを相当書いた後でした。帰国してから問い合わせてみると、今からアドレスを変更することはできないということがわかりました。ドイツ語でブログを書いて欲しいという要望もあるため、そちらは正しいドイツ語でアドレスをとりたいと思います。この日本語ブログを読む方は、ご了承の上、お読みくださいますよう、よろしくお願いいたします。

※ このブログに掲載したすべての写真のコピーをお断りします。© 2015 Midori FUKUDA     
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