幸せについての考察 【桐棺三寸】

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親愛なる「清原選手」へ

2005-04-11 | 日記 Ⅰ
(以下、4月11日に書いたものです)

以前、「プロ選手は観客とも勝負する」と書いたことがあります。
その点においては、巨人軍の清原選手なども「観客を喜ばせることができる」プロ選手なのかもしれません。

しかし、ファンの方には申し訳ないのですが、個人的にはどうも「物足りなさ」を感じてしまいます。
それは、「彼が貰っている年俸と実績の乖離」ということにも由来していることは否めないのですが、単にそれだけではないようです。

これは、「あの球団」独特のことと感じているのですが、チャンスにさんざん凡打を繰り返したり、与えられている年俸に実績がそぐわなかったりしたとしても、どこか「見出し」となるような場面で1本快打を放てば、それで全て「禊(みそぎ)」が済んでしまう…。

かつての原選手にも感じたことなのですが、それは、ファンを引き付けておくべく某TV局や新聞社が努力している賜物なのかもしれません。
もし仮に、某TV局の実況なく、球場で彼らのプレイを見るのみにとどまっていたとしたら…。
果たして、ここまで人気が維持できていたのでしょうか。
某TV局や新聞社は、「長嶋・王」の存在が忘れられず、原選手や清原選手を、第2第3の「長嶋・王」にしたかったのではないでしょうか。
(これは一企業のみではなく、業界全体の願いなのでしょうが)

西武時代の清原選手は本当に魅力的で、彼が打席に立つと思わず手を止めてTVに見入ったものでした。
そして、それがたとえどのような結果になったとしても、作業の手を止めたことを全く無駄に感じない…。
というよりも、たいていは快打を放ち、思わず「仕事してるなぁ」と唸ったものでしたが…。

個人的に、今の清原選手には、そういったものが感じられません。
そしてそれは、単に「加齢」が原因ということだけではないものと考えます。

私は、その根本的な成因が、彼の「目標設定」にあるのではないか、と推測しています。

清原選手は類稀(たぐいまれ)なる才能に恵まれ、そして、目標を実現するための努力もできる人だと思います。

しかし、どうも最近の彼を見ていると、
「望みの体格にしたい」
「バリー・ボンズみたいに見られたい」
「あと何本で2000本安打」
とかいうような目標設定にとどまっているような気がしてなりません。

そういう意味では今年など、「開幕4番という目標」を既に達したわけですから、彼の今期シーズンはもう終了した… と言ってしまっては皮肉に過ぎるでしょうか。
(…いや、まだ本塁打500本があるか…?)

西武時代の清原選手の目標は、もっと違う所にあったように思います。
「日本一を勝ち取る」
「そのために自分は何をすべきか」
こういった所に視点があったのではないでしょうか。
だから、タイトルなどには縁がなくとも、「仕事のできる魅力的な選手」に映ったのかもしれません。

しかし、もしかしたらその「モチベーションの源」は、実は更にもっと別のところにあったのかもしれない…。

それは…。
彼の小さい時からの願望・目標は、
「巨人軍に自分を認めてもらいたい」
ということだったのではないのだろうか… ということ…。

高校時代の活躍も、西武時代の活躍も、全て「巨人軍を意識したもの」だったとしたならば…。
彼の夢の実現は「巨人軍入団」で完結してしまった…。
そんな気もします。

私の邪推が当たっているかどうかはともかく、少なくともイチロー選手や松井選手とは、その望む目標が違う所にあるということには間違いないと感じます。
(「良し悪し」「高低」ということではなく、「方向性」という意味において)

個人的には清原選手に、長嶋茂雄選手の選手としての最晩年の時のような、「色気のある選手」になってほしいと思っているのですが…。



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コメント (2)
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