幸せについての考察 【桐棺三寸】

桐鳳柳雨が贈る、幸せについての考察。
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無期限休止宣言

2006-02-19 | 日記 Ⅰ
いつもご覧いただき、ありがとうございます。

以前にも少し触れたことがありますが、どうも自分が「幸せ」について語るということに違和感が生じてきました。
そして、それは日を追うごとに強くなってきています。

決して不幸な人生とは思いませんが、「こういう考え方で生きていれば、オレみたいになれるよ」と、胸を張って言えるようなものではない…。

また、日々更新している内容も、メルマガによって新しくこの存在を知った人に対する目的のためとはいえ、二番煎じのものになっています。

記事を更新し続けてゆく意味が見出せない…というよりも、その意欲がなくなってきました。

人は変わってゆくものかもしれません。
自分で名づけた「戯言(ぎげん)」とか、当ブログのタイトルとか…。
何だか、気恥ずかしいような、そぐわないような…。
私自身も、このブログを立ち上げた当初と変わったのかもしれません。

今は、自己嫌悪と自分の存在意義に対する疑問を感じております。


今までご覧いただき、ありがとうございました。
これまでの1年4ヶ月あまり、面倒臭がりの私が続けてこられたのも、ひとえにこうして当ブログに訪れて下さっている「あなた」がいたからこそです。

発行しているメルマガについては、今後も継続してゆきます。
自分の伝えたいことは今後、「主要5紙 本日の社説」などを通じてアピールしてゆきます。

これからもずっと、あなたに良いことがいっぱいありますよう…
幸せな人生となりますよう…
心からお祈り致します。

桐鳳柳雨


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私流、健康管理

2006-02-18 | 日記 Ⅰ

現在、何らかの病気に罹患されている方がいらっしゃいましたら、1日も早いご回復をお祈り申し上げます。

とにかく、まず健康でなければ何も始まりませんからね。
おカネを稼ぐことも、それを使うことも、遊ぶことも…。
楽しむこと、幸せになること、全ての土台になるものと考えます。

忙しく、またストレスにも晒(さら)される毎日を送っている方も多いと思います。
健康によいとされるような理想的な生活を送ることはなかなか難しいかもしれませんが、でき得る限りでの体調管理を、まず考えるようにしたいものです。

健康の維持・増進については他の詳しい情報を参照願えればと思いますが、私自身は一般的に言われている健康に対する留意点の他、「緩やかな傾斜」を敏感に察知するよう心がけています。

個人的には、「左鼻奥から咽頭部にかけての違和感」と「体のこわばり」が、そのポイントとなっています。
「体のこわばり」については、ほぼ毎日行っているストレッチの際に気付きます。
「体が硬いな」と感じるときは、カゼの前段階ということが多いように思います。
「咽頭部の違和感」も同様。カゼの前段階のようです。

こんな時は充分に栄養素を補い、保温・保湿を心がけ、極力睡眠をとるようにして、それ以上進行しないよう努めるようにします。

自分の「ウィークポイント」が、「体調の緩やかな傾斜」のサインともなっているようです。。


今日も最後までお目通しいただき、ありがとうございます。
あなたに、良いことがいっぱいありますよう…。

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私流、プロ選手の定義

2006-02-17 | 日記 Ⅰ

「アマチュア選手は目の前にいる相手に勝利するのみでよいが、プロ選手は目の前の相手以外に、観客・聴衆にも勝利しなくてはならない。」
…これは私の、「プロ選手とアマ選手の違い」についての定義です。

アマ選手は、対戦相手に勝つだけでよい。
しかしプロ選手は、その対戦を見ている客にも勝つ必要がある。
対戦を見ている客は、「お金」や「時間」という大切なものをそれを見ることに費やしている。
そして、客がそれを見ることに割いた「お金」や「時間」に見合う以上のものを見せることができればプロ選手の勝ち。
それができなければ、たとえその対戦に勝利したとしても、客には負けたことになる…。
…それが、私個人の勝手な定義です。

例えば「沢村忠」引退以降、一時期低迷ぎみだった、というか、一般受けしなかったキック・空手等の打撃系格闘技が「K-1」として脚光を浴びることとなったのも、「観客との戦い」を意識し、そして少なくとも現状においてはそれに勝利している、ということに他ならないと思います。

単に「強さ」ということのみで言えば、「魔裟斗」よりも、往年の「藤原敏男」や「ベニー・ユキーデ」のほうが強いと、個人的には思う。
しかし、一部の熱狂的なマニアを除いて、「観客との戦い」に勝利するのは「魔裟斗」のほうではないでしょうか。
(「沢村忠」は、自らのダウンシーンにさえも「観客の目」を意識していたような印象を受けましたが…)

「プライド」等のいわゆる「総合格闘技」系が、「純粋な強さの追求」や「街のケンカの延長」から、「カネになるプロ興行」へと脱却(堕落?)したのも、このような理由によるのではないでしょうか。

因みに過去、「対・観客」との勝負において最強だったのが「長嶋茂雄さん」ということになるかと思います。


今日も最後までお目通しいただき、ありがとうございます。
あなたに、良いことがいっぱいありますよう…。

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踏みとどまる障壁

2006-02-16 | 日記 Ⅰ

この頃、「思わない」ことと「思う」ことの差と、「思う」ことと「実行する」ことの差が小さくなってきたように思います。

例えば、魅力的な女性を見て「良からぬ妄想」を抱くことと、実際に「良からぬ行動」に移してしまうことの差…。

「思う」ということは、本能や潜在意識に根差した部分も大きいのである意味仕方ないことですが、それを「実行」に移すまでには、本来であれば自我や世間体、或いは恐怖感などの大きな「障壁・隔たり」が存在していたと思うのです。

「アイツをブッ殺してやりたい!」
「もう死んでしまいたい…」
例えばこんな感情に駆られることも、その程度の差こそあれ、凡人なら少なからずあるかもしれません。
しかし、実際に行動に移してしまう前に踏みとどまる障壁となる「何か」がある…。

しかし今では、この「障壁」が極めて小さくなってきたように感じます。

そこには、
「自我が形成・熟成される過程における、その生育を妨げる『異物』の混入過多、或いは逆に、あまりに純粋培養に過ぎる状態。」
「世間との隔絶を増長させるような、『個』を必要以上に重要視する風潮」
という原因が考えられるかもしれません。

そして、そのために、
「周囲の人たちの悪感情が自分に向けられるかもしれないこと」
「自分の将来も含め、自分にとって大切なものを失ってしまう可能性のあること」
「自分に何らかの危害やマイナス要素が及ぶ可能性のあること」
といった「恐怖」を感じない、或いは想像できない、といったことになっているような気がします。

しかしながら、自らの感情・思考を、実際に一般的な意味における「異常」な行動に移してしまうということは、やはりどこか「異状」であるものと考えます。

これはもう、安易に精神論や道徳論では片付けるべきものではない、「治療」を必要とするような「専門家」の領域なのかもしれません。


今日も最後までお目通しいただき、ありがとうございます。
あなたに、良いことがいっぱいありますよう…。

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苦痛の生じる背景

2006-02-15 | 日記 Ⅰ

他の人を殺す「殺人」も、自ら命を絶つ「自殺」も、その元となる部分は同じだという話を聞いたことがあります。

つまり、自分が現在感じている耐え難い苦痛から逃れるために、
「その苦痛の原因となっている人の命を絶とうとする」のか、
「その苦痛を感じている自分自身の命を絶とうとする」のか、
という違いだということです。

昨今、凶悪犯罪や自殺者が増えているとの話もあります。
それだけ「苦痛から逃れたい人」が増えている、そして「耐え難い苦痛」が増えている、ということなのでしょうか。

苦痛の伴わない仕事、或いは何もしないで高い年収を得ることが「幸せな状態」だとする価値観…。
及び、本能・欲望を過剰に刺激するような「情報・商品」を提供することにより、自らが裕福になろうとしている人たち…。
そして、それらに代表されるような、「平凡な幸せ」ということのみでは「満足させない」ような今の世の中…。

以前にも書きましたが、自分の理想・願望が高くなり過ぎると、その高い理想とそれを実現できないでいる実際の自分との間のギャップが広がりすぎて、それを大きな「苦痛」として感じてしまう人も増えてくることと思います。

そして、本当に望むものを手にするためにはそれ相応の「代償」が必要であるということに気付かず、早々に挫折してしまったり、或いはその「代償」を、才能や、自ら考えること、または汗を流すといったことではなく、安易に「カネを支払う」ことでのみ賄おうとしたり…。

更には、良くも悪くも「個」を重要視する風潮であるがために、
「不条理に対する耐性」の乏しい、世間知らずな、自分自身に対して少し「過保護」になってしまっている人たちが増えた、ということもあるのかもしれません。


今日も最後までお目通しいただき、ありがとうございます。
あなたに、良いことがいっぱいありますよう…。

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義理チョコ廃止論

2006-02-14 | 日記 Ⅰ

義理チョコという「制度」について、女性の方々はどのように感じているのでしょうか。
一種のイベントとして楽しんでいるのか、または面倒だと思っているのか…。

「義理チョコ制度」が始まったのは、今から20年くらい前からでしょうか。
それまでは、バレンタインデーにチョコレートをもらうということは、「チョコをもらえる男」というある種の「ステータス」のような所があったように思います。

私個人は「義理チョコ制度」を、かなり面倒くさく感じています。
「くれる」という気持ち自体は嬉しいのですが、ホワイトデーに「どんなものを、どこで買って返そうか」などと考え、実際に買うということがどうも…。

本当に親しい人であれば「面倒だから、やめようよ」とも言えますが、「会社の同僚」程度の距離の人に「チョコはいらないからね」とは、「ウヌボレんなよ」とか思われそうで言いにくいし…。

それでもこの制度が「日本の景気回復の一助」となっているというのなら、まあ、いいんでしょうが、お菓子メーカーその他の「一部のエラい方々の懐を潤す行為」に過ぎないのであるとするならば、「廃止してほしい」というのが本音です。


今日も最後までお目通しいただき、ありがとうございます。
あなたに、良いことがいっぱいありますよう…。

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日々、どこを見て生きてゆくべきかということについて

2006-02-13 | 日記 Ⅰ

今、この瞬間だけを見つめて生きてゆくということではなく、

未来に夢を馳せてばかりいて、将来の自分の姿ばかり見ているということでもなく、

もちろん、過去ばかり振り返って見ているということでもなく、

夢を叶えた未来の自分が、過去のこととして今現在を思い起こしているところを想像してみる…
そして、そのために今何をすべきかということを考えてみるという視点はどうだろうか。


今日も最後までお目通しいただき、ありがとうございます。
あなたに、良いことがいっぱいありますよう…。

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女は家事をしているべきか

2006-02-12 | 日記 Ⅰ

「夫は外で働き、妻は家庭を守るべきである」
このような価値観、以前読んだ新聞記事によると反対派が初めて賛成派を上回ったそうですが、逆を言えば今でも約半数の人がこのように考えているということになるわけです。

これについて個人的には、男の側において、「善し悪し」と「好き嫌い」というものが混同してしまっている部分も少なくないように思えます。

例えば、女性にも結婚相手に「好み」があるように、上記のようなタイプを「好み」とする男が、古くから多数存在している…。
そして男が、「これは好き嫌いによる判断」と理解していればよいのですが、「善し悪し」という価値基準と混同してしまっている、という面もあるかもしれない…。
(もちろん、「女は家に居るべき」という価値観を持つ女性もいるのでしょうが)

「いや、善し悪しという基準においても、女はそうあるべきだ。」
そういう人もいるでしょう。

確かに、女性が世の中に進出し始めてからまだ歴史が浅いため、長年続いてきた「男社会」と善し悪しを比較する材料がないのも事実です。
男中心による社会の「結果」は、良くも悪くも数百~数千年という歴史によって既に存在している。
それに対し、女性も参画した社会というものの「結果」はまだそれほどない…。

これから先、これまでの「男社会の結果」と比べ得る「女も参画した社会の結果」を提示できるのは、これからの女性方の活躍によるところが大きいと思います。

果たして数百年後、どのような「結果」となっていることでしょうか。
その時には存命していませんが、楽しみでもあります。

因みに私個人の価値観で言うと、「収入や勤務時間」の比率が私と私の同居するパートナーとの間で例えば「2:1」であるならば、家事負担は「1:2」ぐらいがよいのでは、というところでしょうか。
言うまでもなく、収入の比率が逆なら家事負担も逆、という意味です。

もちろん、このようなことははっきりと数字で分けられるものではありませんので、あくまで「そういう気持ちで」ということですが。


今日も最後までお目通しいただき、ありがとうございます。
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恋が成就する曲

2006-02-11 | 日記 Ⅰ

「クイーン」をご存知でしょうか。
彼らの「ジャズ」というタイトルのCDに、「セブン・デイズ」「ドリーマーズ・ボール」という曲が収録されています。

そして、これはあくまで私個人レベルでの話なのですが、これらの曲には、ある「ジンクス」があるのです。

それは、
「恋が成就する」ということ…。

例えば、意中の人を目の前にしている時や、その人のことを考えている時など。
これらの曲のメロディが自然に浮かんでくると、不思議とかなりの確率で、その人との恋が成就するのです。

また、「自然に」ではなく「意識して」メロディを思い浮かべても、そこそこ効果があるようです。

因みにこの時、「シカゴ」のラヴ・バラードだとか、「ベイ・シティ・ローラーズ」だとかのメロディが浮かんできてしまうと、なぜかたいていダメです…。

どうしてなのかは分かりませんが、勝手な自己分析では、
「セブン・デイズなどのメロディが思い浮かぶような精神状態でいるということ」
が、プラスに作用するのではないかと推測しています。
ただ、それが「どんな精神状態」なのかは分かりませんが…。

もしかしたら、甘いバラードなどが浮かんできてしまう時は、恋によって自分を少し見失ってしまっているのかもしれません。
或いは、意識過剰に過ぎる状態であるとか…。

ただし、お断りしておきますが、これらの曲の「効果」のほどにつきましては保証致しかねますので、念のため…。

(もちろん、ジンクスとかいう話を抜きにしても、このアルバムはとてもいいです。)


今日も最後までお目通しいただき、ありがとうございます。
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野良ネコにエサをやらないで!

2006-02-10 | 日記 Ⅰ

最初に断っておきますが、私はネコが大好きです。
現在も自宅でネコを飼っております。

野良ネコにエサをやっている人も、きっとネコ好きなのだと思います。
或いは、「こんなに可愛いネコがイヤだなんて、その人がおかしい。」
くらいに思っているのかもしれません。

しかし世の中には、ネコが苦手、或いは嫌いという人も間違いなくいます。
また、本来はネコ好きなんだけれども、所有物を汚される、糞尿をされて悪臭に悩まされる、ネコノミやネコそのものに対するアレルギーがある等、迷惑を被っている人もいることでしょう。

野良ネコにエサをやる行為は、ネコのためを思ってというよりも、むしろ、
「エサをやる人の、エサをやる行為そのものに対する自己満足」
と言ってしまっては言い過ぎでしょうか。
或いは、「玩具として扱っているのと同じ」とか…。

野良ネコにエサをやることにより周囲の人々が迷惑し、結果、そのネコ自身が悪者として扱われることとなってしまったら…。
更には、それが発端となって「駆除」されてしまったら…。
そのほうが、かわいそうだと思いませんか?

私自身、公共の駐輪場に停めることがあるバイクに、ネコの被害を受けることがあります。
やはり野良ネコにエサをやる人がいるようで、たむろしているネコにバイクをドロ足で汚されたり、尿をかけられたり…。

とは言うものの、特に今のような寒い時期、たまたま野良ネコを見かけてしまってエサを与えたくなるという気持ちはよく分かります。
そこで、本来はよくないことではありますが、以下のようなルールの下に与えるよう提案しますが、いかがでしょうか?

・公共の場所や私有地付近ではエサを与えない。道路端であるとか、極力ネコがいることによって他者に迷惑とならないような場所で与える。
・その場で食べきれる量を与える。エサをやっている痕跡があるとネコが駆除されてしまう可能性があるので、エサを与えている痕跡を残さないようにする。
・エサを与えている所を人に見られないようにする。
・本当にかわいそうに思うのなら、エサをやるより、捕まえて不妊手術を受けさせる。

以上


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他者は、自分に対してプラスには作用しない

2006-02-09 | 日記 Ⅰ

他の人に対する不満や悪口ばかり言う人がいます。
「アイツにこんなことされた」とか、
「あの人って、何でああなんだろう」とか…。

つまり、「自分に対して何らかのマイナスとなるようなことを及ぼす人」に対して不満や怒りを感じている、ということなのでしょう。

そのような人は、根底に、
「他の人は自分にとって、プラスに作用するべきものとの価値観」を持っている、
ということなのだと思います。
「他者は、自分に対して何かしらのプラスを与えてくれるべきもの」というような、「無意識のうちの価値観」…。

だから、
「プラス」を与えてくれる人のことを「あたりまえ」と思い、
「マイナス」を及ぼしてくる人に対して「ハラが立つ」のでしょう。

私は、元々の発想を、
「他者は、自分に対してプラスには作用しない」
くらいに思っていたほうがちょうどいいのではないかと思います。

そうすれば、
「自分に対してマイナスに作用する人」については、それが普通と感じ、
「自分に対してプラスに作用する人」については、感謝することができる、
ようになるかも…。


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羨ましく見えるポジション

2006-02-08 | 日記 Ⅰ

昔は野球で人気のあるポジションというと、ピッチャーやサード、或いはファースト等が挙げられたかと思います。
しかし今では、ライトなどの外野手が人気だとのことです。
昔は「ライパチ」などといって、ライトなどは失礼ながら「ヘタクソの守備位置」というイメージだったのですが…。

これは言うまでもなく、イチロー選手や松井選手の活躍によるところが大きいのだと思います。
(「ピッチャーなどの責任の重いポジションは回避したい」という、現代の子供の心理もあるのかもしれませんが)

結局、素晴らしい能力や魅力を持った人が現れると、その場所が魅力的に映るようになるということなのでしょう。

現在のあなたから見て、羨ましく見える「地位」があるかと思います。
しかしそこは、他の所に魅力ある人が現れたとたんに一気に魅力が失せてしまう場所かもしれません。
そして何より、もしかしたらあなたはその「地位」に不向きであるかもしれません。

他の誰かが提示している「羨ましそうに見えるポジション」を追い求めるのではなく、あなたが今居るその場所で、或いは得意とする所で幸せになるという発想…。
更にできれば、他の人から見ても魅力あるような、そんなポジションにしてみようという発想も面白いかもしれません。


今日も最後までお目通しいただき、ありがとうございます。
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未来とは

2006-02-07 | 戯言 Ⅱ

未来とは
今 あなたが居る場所

一年前のあなたにとって
一月(ひとつき)前のあなたにとって
一日前のあなたにとって

今のあなたの姿こそ
実は未来のあなたの姿


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心か肉体か

2006-02-06 | 日記 Ⅰ

次のうち、あなたがされるとしたら、どちらのほうがイヤですか?
或いはするとしたら、どちらのほうが罪悪感がないですか?

・その1
あなたの恋人・配偶者は、あなたのことを世界中で一番愛している。しかし、あなた以外に、恋愛感情を伴わない肉体的な関係を持つ人がいる。

・その2
あなたの恋人・配偶者は、あなた以外の異性とは一切接触しない。しかし、あなた以外の誰か一人を一途に愛している。


今日も最後までお目通しいただき、ありがとうございます。
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頼りがいのある人になるということ

2006-02-05 | 日記 Ⅰ

周りの人たちから見て、「頼りにされるような存在」「頼りがいのある人」になりたいと思いますか?

そういう存在になると、たぶん周りの人たちは、あなたにいろいろな相談事や悩み事、或いは問題を持ちかけてきたり、甘えてきたりするようになるかと思います。

そうすれば当然、あなたの肉体的・精神的負担も増してくる…。

それならいっそ、あまり頼りにならないくらいの存在であるほうがラクなんじゃないか…?

あなたは、どう思いますか?


今日も最後までお目通しいただき、ありがとうございます。
あなたに、良いことがいっぱいありますよう…。

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