幸せについての考察 【桐棺三寸】

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「意志・哲学」を感じる体型

2005-04-12 | 日記 Ⅰ

私自身、以前は「人工的に鍛え上げられた美しい体型」というものに大変魅力を感じていました。
しかし最近どうも、「単に外見を意識しただけ」のそうした体型について、以前ほどあまり興味や魅力を感じなくなってきたように思います。
それよりもむしろ、「意志・哲学を感じる」ような体つきに魅力を感じるようになってきました。

例えば、映画「ダイハード」のブルース・ウィリス。
たくましい体型ではありますが、シルベスター・スタローンやアーノルド・シュワルツェネッガーのような鍛え込まれたそれではないように見えます。

しかし、ダイハードでのブルース・ウィリスの体型からは、「長年体を駆使して働き続けてきた男」という、それまでのその人の「生きざま」みたいなものが強く感じ取ることができるように思います。

またスポーツなどでも、単なる「見てくれ」だけではない、その競技に専念し上達を目指した結果自然と形成された、または上達するために意識して鍛錬した結果築き上げられた体型などに、魅力・興味を感じます。

例えばイチロー選手など、一見痩身ですが裸になると恐らく、そこまで到達するに至った強い意志、及び自分の目指す方向性といったものが感じられる肉体があるのではないかと思います。
或いは、大相撲の横綱・朝青龍関などでも、仮にパッと見、肥満体型に見えたとしても、その肉体の「底」に、鍛え込まれた「筋肉の鉱脈」が隆々と脈打っているのが感じ取れます。

昨日話題とした清原選手も、私個人としては、今のマッチョな体格ではなくむしろ西武時代の体型のほうが、特にバットを構えた後姿の肩から背中のあたりにかけて、「セクシーさ」を感じたものでした。

もちろん、「こういう体型になりたい」という明確な「意志」を持って鍛えられた肉体も、魅力的ではあると思います。
そういったものも含め、その人の体型というのは、大袈裟に言えばその人の「意志」や「人生哲学」が表れてくるものではないでしょうか。

いわゆる「デスクワーク」をされている方々も、その体型から、「自己管理能力」や「その人の価値観」みたいなものが垣間見えてくるような気がします。

追記:
事情があって、「ご自身の意志を体型として表現できない方」もいらっしゃることと思います。
今回の話は、「体型という外見」のみに限定した内容であり、決してそれ以外の部分についての善し悪しに関わるものではありません。 



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コメント (2)
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