幸せについての考察 【桐棺三寸】

桐鳳柳雨が贈る、幸せについての考察。
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大型スクーターに乗るヤツは、カッコ悪い

2007-10-31 | 日記 Ⅰ
大型スクーター。
相変わらず流行っているようですね。

しかし、これに乗っている人で、マナーのいい人というのをあまり見かけることがないような気がします。

こうしたスクーターに、止むに止まれず乗っている人というのは、あまりいないものと思います。
自分の趣味嗜好により、自分で進んで選び乗っているという人が大半なのでしょう。

にも関わらず、周囲に対して「ジャマだな、どけよ」というような運転をしている人が多いように思えてなりません。
実に「カッコ悪い」です。

今日も、小型スクーター用の駐輪場にムリに停めようとして、他のスクーターを突き飛ばしているドライバーを見かけました。

「自分の趣味でこんな大きいのに乗ってごめんなさいね。ちょっと通してね」くらいの心情でいてもいいんじゃないかなどと思ってしまいます。

我を押し通すために、不快な思いをさせられたらたまりません。

メーカーも「儲かってよかったね」だけではなく、もっとマナーの向上を訴えるなどしてもいいのではないでしょうか。


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日本の巡視艇が衝突して「尖閣航海」は終わる

2007-10-29 | 日記 Ⅰ
右の写真をクリックすると、拡大します。


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亀田父子問題、一番悪いのは?

2007-10-19 | 日記 Ⅰ
1992年6月23日、両国国技館で、あるボクシングの試合が行われた。

ダブルメインイベントと銘打たれてはいたが、事実上のセミファイナルが、ユーリ・アルバチャコフ(当時:ユーリ海老原)対ムアンチャイ・キティカセムのWBC世界フライ級タイトルマッチ。

そして「結びの一番」はなんと、米国俳優の「6回戦」であった。

この興行は、「日本ボクシングコミッション公認」だったはずである。

言うまでもなく、「世界チャンピオン」はボクシング界の最高峰だ。
そのチャンピオンの座をかけたタイトルマッチが、米国俳優の試合の前座扱いである。

この試合が、芸能プロダクションか何かの主催によるものだとしたならば、まだいい。
しかし、そうではない。
少なくとも、日本ボクシングコミッションやプロボクシング協会は、あの試合を認めるなり知っているなりしていたわけだ。

つまり、「自分たちの最高権威を自分たちの手で引き摺り下ろしている」或いは「引き摺り下ろされていることを認めている」ことになる。
しかも「国技館」で、米国俳優を使って。

その、日本ボクシングコミッションが、亀田父子及びその関係者を処分するにあたって、「崇高な世界タイトルマッチを…」とか、「世界のボクシングを冒涜」だとか言っている。

よく言えたものだと思う。

過去に自分たちの手で「錦の御旗」を汚すような行為をし、人気を集めているからと亀田父子を放任し続け、批判が高まると見るや否や冒涜云々吐(ぬ)かし出す。

米国俳優の一件から日本のボクシング界に嫌気がさしていたのだが、今回の件で更に嫌になった。

ちなみに、この試合を仕組んだのも「協栄ジム」だった。

亀田父子の処分の軽重や、各メディアの手のひらを返したような豹変振りについては、いろいろなところで言われているので、ここではあえて触れない。

各紙の社説から。

毎日社説の
『これまで多くの世界チャンピオンを取材してきたが、共通していたのはハングリーな精神と、ストイックな生き方だった。そうしたボクサーのイメージを亀田父子は一変させた』との一節。

そうだろうか。
キャラクター的には辰吉丈`一郎だって似たようなものだし、渡辺二郎は「『飢えた狼』はもう古い。今は『洗練された猟犬』だ」という意味のことを主張していた。
また、ハングリーさなど微塵も感じさせないボクサーだって、多数いる。
いい加減、こういうステレオタイプな見方は変わらないものだろうか。

また、産経社説の一節、
『JBCにも混乱を招いた責任がある。大毅選手は実力不足にもかかわらず、派手な演出で注目を集めて世界戦を実現させる手法を黙認し、結果的に支援してきた。また、WBCのルールでは、セコンド(選手に付き添い、アドバイスをおくる役)に親族がなることを禁止しているにもかかわらず、「JBCでは過去に例がある」として認めてしまった。試合後、多くのファンから抗議を受けると一転して、事情聴取さえ行わずに処分を下すちぐはぐさだった』
は、正にその通りだと思う。

東京新聞の社説には、
『スポーツはスポーツらしくあってほしい。まずフェアプレー。それから、おのずと定まっているマナー。無理やりショーにしようとすると、そうした大事なものが崩れていく。そんなことをしなくても、スポーツには自然な感動がたくさん詰まっているのだ。スポーツに関係するすべての者たちは、無理に何かをつけ加えようとすればするほど、中身そのものもゆがんでいくことを肝に銘ずべきだろう』
とあるが、ボクシング界については、むしろ朝日社説の
『処分が出て、問題が解決するわけではない。選手育成や収益構造の見直しなどにボクシング界全体で取り組まなければ、ゆがみはまた別の形で現れる』
のほうが、的を射ているように思う。

…長くなってしまった。
キリがないので、このくらいにしておこう。

最後に1つだけ。

試合前まで「いじめられっ子キャラ」だった内藤チャンピオンが、試合後、マスコミが亀田父子へのバッシングを始めだしたとたん、イメージが変わったように見え出したのは私だけだろうか。
「この人、ホントはこうだったの?」という感じだ。

今度は彼が、マスコミに踊らされることにならないよう祈るばかりだ。


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