心理セラピストのひとりごと

『象徴的イメージ統合療法』という心理療法を行っています。日々の中で感じたことを書いていこうと思います。

地球をよりよくする究極の方法

2022年09月30日 | こころのこと



今回の記事のタイトルは、たかが心理セラピストが「なんて大きなテーマを語ろうとしているんだ」と思われるかも知れません。



でも、心理セラピストだからこそ、このテーマを語ることができると今思っています。



この仕事を始めて25年と半年ほどになろうとしています。この期間にほんとうにたくさんのクライアントさんが心地よく自分を生きられるようになっていかれました。



その楽になられた方々の心の癒しのパターンには、一定の法則がありました。これは私自身も含めて全員が同じパターンでした。大変厳しい環境で強いトラウマを負ってしまったクライアントさんも同じでした。



できるだけわかりやすく書いていきたいと思いますが、まずは人が自分を生きられなくなるパターン、そこから説明していきましょう。それは簡単にいうと以下のような流れになります。



①人間は子供の頃の家庭環境の中で親や家族からの言動、扱われ方で傷つき、その傷ついた時の「感覚」をまるで刻印するように「脳」に残す。また、その時に感じた「感情」は感じると辛くなるばかりなので感じないように「心」に押さえ込んで抑圧してしまう。

その過去の「感覚」は脳に残っているだけなので、意識して出来るだけ焦点を当てないようにしたり、「感覚」を脳科学的手法によって書き換えることで影響を軽くすることは出来る。しかし、過去の「感情」は、誰しも経験があるように「感情」というものは心を大きく波立てざわつかせ、場合によっては人生を大きく翻弄するほど、そのエネルギーは非常に強いものなので、いくら頭で焦点が当たらないようにしても心の奥に抑圧しても、そのエネルギーの影響を隠し切ることは出来ない。

ただ、その影響を受けていても、それは子供の頃(生まれた時、あるいは物心ついて)からの「感覚」や「感情」でそれにもう慣れ親しんでしまっていて、その人の中では普通のことになっているので自分では気づかない(気づけない)ようになっている。




②特に、そういった過去からの「感情」を抑圧することで、それにより「不安と怖れ」(や「悲しみ」)という「感情」が心の奥底に巣食い、それが脳の生存本能を過剰に活発化させてしまいスイッチが入りっぱなしになって、無意識の内に生きるということが「いかに自分の身を守るか」ということに終始するようになってしまう。



③そのために、自己価値観を下げたまま、『とにかく心が不安定にならないようにするために生きる』、『(お金は現代ではないと生きていけない大切なものであるが)どこかでお金さえあればしあわせになれると思いお金を中心に物事を考える』などのように過剰に「不安や怖れ」を避けるためだけの思考形態にはまってしまう。

そうすると、安心を土台とした、生まれ持った自分独自の個性を発揮したありのままの自分を生きるということもできなくなってしまう。




この③の流れは、多かれ少なかれ、気づいても気づかなくても現代人はみんなここにはまっていると思います。こういった「不安と怖れ」に誘発された防衛本能を基にした考え方が強くなることで、本来のありのままの自然な状態ではなくなります。また、広い視野で物事を見ることや自分の深い思いを感じることができなくなって洗脳も受けやすくなってしまいます。



そして、この防衛本能の思考が過剰になっていくと、バランスを失った状態で「今だけが楽しければいい」、「自分の身だけ守れて安心できればいい」、「とにかくお金だけがあればいい」などという思いが出てきます。さらにそれが激しくなってしまうと、人心を陥れたり、犯罪を犯したり、争ったり、しいては戦争を起こしたりするようになります。これが社会や国及び世界が乱れる根本的な原因です。



今の世界は、それが高じて『自然環境や自然の摂理などを考慮することがなく、利己的な利便性やお金だけを重視したやりたい放題で地球環境を破壊する』という地球にまで影響を与える現状に陥っています。



しかしながら、私はなぜか最近よく思うのです。本来人間というものはそのような存在なのだろうか?と…。



いえ………、私たちは元々はもっと精神性の高い存在であったはずだと感じるのです。



セラピーで②までのパターンを深く癒した人は、ほんとうに同じ人なのかと思うぐらいそれまでとは違う心地のよい自分らしい生き方をされるようになります。それは本来の精神性を取り戻した生き方に近づいていくと表現できると感じています。



私たち人間本来の精神性とは、必ずしも、清く正しく美しくあらなければならないというのではなく、自分の個性のまま、ありのままの自分を認め受け入れ愛し、心の奥に深い安心を感じながらその個性をしっかりと発揮できるような精神状態であると思っています。



性格がハッキリして強いという個性を持っている人が、子供の頃からの扱われ方で「怒り」の「感情」を抑圧していると、その本来のハッキリした強い精神エネルギーを建設的に使わない(使えない)まま、「怒り」を自分や周りにぶつけて発散することに使ってしまうようになります。せっかくの持って生まれた「長所」が望まない形で使われるようになってしまいます。



しかし、深い安心感を感じて自分自身を生きている人の心からは、一般にいうネガティブなものは出てきません。変な例えですが、どれほど意地が悪い人でも、その人が機嫌がいい時には優しいものです。それは元々ある良心、自然な心が発動した状態ともいえると思います。



この精神性が隠されて、やりたい放題の行為が増えることで、社会や世界、地球が汚染され壊されていったのであれば、人間がこういった行為を減らしていくことが地球をよりよくすることに直結していると感じるのです。



AIに自然の摂理(自然の活動)と人間の活動、そして今の地球の状況をデータにしてインプットして、「地球をよりよくするにはどうしたらいいか?」と質問すると、「人間がいなくなればいい」と答えます。



地球にとっては人間がすべての破壊の原因ですから、人間が本来の精神性を取り戻せば地球のバランスも取り戻されていきます。そうしなければ、私たち人類は地球にとっての邪魔者でしかなく、人類には滅亡の道しか残されないことになってしまいます。



だから今、『人間の本来の精神性をいかに取り戻すか』が重要な鍵になっていると感じています。私は人間が本来の精神性をなくしてしまった根本の原因は、長年のセラピー現場での実体験から先程の①②にあると実感しています。



それを取り戻すためには、『抑圧した過去からのネガティブな「感情(エネルギー)」を解放し、癒す』ということが重要になります。これが人間の心に深い癒しが起こる誰をも共通するパターンです。



しかしそれは、単に「感情」を発散(解放)するということではありません。(有効な方法ではあるのですが深い癒しにおいては)誰かに話を聞いてもらって発散(解放)するということでもありません。それは、自分で自分の心の中にある「感情」に具体的に気づいて、その存在を否定することなくありのまま認め、受け入れるということです。



自分とまったく同じ性格で同じ感覚を持ち、まったく同じ環境を過ごしてきた人間は、自分以外に他に誰もいません。また、いつどんな時も何があっても、離れずにずっとそばにいる存在は自分以外に他に誰もいません。



ですから、『自分に向き合い、自分の「感情」(内面)を知り、理解し、それをありのまま受け入れて認める』ことは、人間にとって基本として必要なことなのではないかと思うのです。



そして実は、このやり方こそ、子供の頃にほんとうは(かつておなかの中で一体だった)母親からしてもらいたかったやり方だったのです!



人間は誰もが、母親からこういった自分の心が満たされるやり方を適切な時期にしてもらえないことからトラウマ(心の傷)を負っています。ただこれは、親を悪者にしようとするために言っている訳ではなく、(セラピーの仕事をするまで、こんな風に思ったことはありませんでしたが)私たち人間とは生物的反応として、そういう性質、そういうパターンを持った存在であるということが、私自身の体験とたくさんの方のセラピー現場での経験からわかりました。
(ここから抑圧せざるを得なかった「感情」を受け入れ解放した人は、逆に、本来の心からの「親への愛」を感じられるようになります。そうすると、子供の頃のままの承認的、愛着的つながり、つながろうとする思いからではなく、自立した心の状態で親とつなかれるようになります)


※よろしければ、この辺りのことをもう少し詳しく書いている私のホームページの最近改訂した「しあわせの法則」をお読み下さいませ。https://holistic-ti.com/housoku.htm



心の深いところにある「感情」は、自分を離れたところから客観的にイメージしていくことで、そこにずっと隠され抑圧してきたものが観えてきて気づいていきます。客観視しない限りこの部分(領域)は観えてきません。これが一番効果的な方法なのですが、なにぶん人は気づかない内にはまり込んで(はめ込んで)いるものがたくさんありますので、一人で行うのが難しいところが欠点です。



かといって、セラピーを受けるというのは敷居が高いと感じられる人も多いと思います。ですから、ここでは自分一人でできることを思いつくままに少し書いてみますね。



「感情」の処理を一人で行う時にはタイミングというものが大切になります。そのタイミングは、感情が浮いてきている時や何かモヤモヤしてスッキリしない時や不整脈が起きたりする時などです。私の実体験とセラピー現場での経験では、不整脈は強い「感情」が浮いてきているのに気づかなかったり、うまく気づけない時に起こることがわかっています。
(ということは、強い「感情」は心臓辺りに溜まるということがわかりますし、心臓辺りに心があるということがわかります)



ほんとうはこういう時は解放することができる大チャンスなのですが、この時に多くの人は他の人と会ったり、にぎやかな場所に身を置こうとして、無意識の内にも自分に向き合うことを避けてしまいます。でも、自分の心の奥のことは自分自身にしかわかりませんので、逆に一人になり自分の空間を保つことが好ましいです。



植物に触れたり、裸足になって土の上に立ったり、自然が多いところに身を置いたり、空を見たりしながら、あまり一生懸命にならず深刻にならず自分を一歩引いて見るような感じで、静かに自分に意識を向ける機会を増やすのがいいでしょう。



そうしながら、「感情」が浮いてきている時には、その「感情」がどのようなものか具体的に言葉にしてみます。モヤモヤスッキリしない時や不整脈の時には、その部分を積極的に感じて、そこにどのような思いや「感情」があるのかを感じてみます。これは何も難しいことではなく、抑圧することで逆にその影響が強くなっているだけなので、感じたり、具体的な言葉として表に出す(光を当てる)方がそれは解放されて、その影響下から外れるという理にかなった仕組みです。



例えば、「苦しい」「さみしい」「悲しい」「腹が立つ」などの「感情」、それがわからない場合には「ザワザワ」「ズキズキ」「モヤモヤ」「ピリピリ」などの擬音的感覚として言葉にできるとしたら、その「感情」、擬音的感覚の単純な表現だけで終わらせず、そこにあるのはどういう「苦しさ」「さみしさ」「悲しさ」「怒り」か、あるいはどういう「ザワザワ」「ズキズキ」「モヤモヤ」「ピリピリ」かを具体的にさらに言葉にします。



それは「感情」としては、例えば「人から大切にされないのが(苦しい)」「あの人から無視されるのが(さみしい)」「誰も認めてくれなくて(悲しい)」「自分の話は全然聞いてくれなくて(腹が立つ)」などという感じです。あるいは擬音的感覚としては、「何かよくないことが起こりそうな(ザワザワ)する感じ」「何に反応したかわからないが何かで傷ついたような(ズキズキ)する感じ」「自分の中がぐちゃぐちゃしている感じの(モヤモヤ)」「何かゆったりできない、気が立っているような(ピリピリ)する感じ」などという感じです。



おもしろいことに、「感情」や感覚はこうやって「~の感情」「~の感覚」と具体化され、気づいて焦点が明確になるだけでなんだか感じ方が最初よりも軽くなります。結局、私たちはこういった明確化、整理ができ難いのは幼少期に親(特に母親)に何でも話して、聞いて受け取ってもらうという経験がなかったから、やり方がわからなくなっているだけです。



子供の頃にしてもらえていたら、誰もが今頃は自分の「感情」や感覚を自然に自分で感じて理解して処理することがとても上手になっています。そして、ありのままの本来の自分を生きられるようになっています。



でも、だからといって親を責めないでくださいね。親も自分の親からそれをしてもらっていないのでできなかっただけですから。また、そうやって具体化して出てくる思いや言葉も、結局根本は幼少期からの親や家族との関係の中で感じた「感情」や思いなのですが、それもやはり親自身がそれに気づいてもらえなかったり、受けとめてもらえなくて抑圧したので、子供の思いや「感情」に気づかないし、ありのまま受けとめてあげるということができなかっただけです。



それでも、そうやって言葉として具体化している時に、親から受けとめてもらえなかったという事実に改めて気づき、その頃の様々な思いや「感情」が出てくるようでしたら、それはその思いや「感情」がもう表に出て消えようとしているタイミングだということです。



ですから、その思いや「感情」も具体的な言葉として明確化することができたら、『自分の中には~の感情(~の感覚)があったんだな。こんな風に思っても仕方がない環境だったんだなあ』とあまり入り込まずに一歩引きながら、それを客観的にただ受けとめてあげてください。



そうしている時に、もし、「それでも自分が悪かったんだ」などという自分を否定する思いが出てきたとしたら、今度はその思いをわかってあげて寄り添うだけでいいです。『~の感情(~の感覚)があるけれども、それでも私は「自分が悪かったから」と思っているんだなあ』という感じです。



感じていってみて、その奥にある思いが出て来たなら、次に出てきたその思いをまた、できるだけただ認め受けとめるだけでいいのです。



先ほどもいいましたが、そうやって理解し、明確化するだけでも心は軽くなっていきます。感じて浮いてきたものは消えるために浮いてきているだけです。それを押さえ込み、抑圧したので出所がどこにもなくなって、心の奥にず~っと残ってしまっただけです。



「感情」も他のこととまったく同じで、「手放さないと(捨てないと)無くならない」のです。さらに表現してみますと、「暗い部屋は明るくすれば、そこに何があったかがわかる。そうすれば、整理されないままそこに溜め込まれたたくさんの物の中でどれが手放したい物か、持っていたい物かがわかり、手放したいものは簡単に手放して、部屋を整理することができる」ということです。



「感情」ということでは、ほとんどの人がこうやって部屋を暗くすることで、たくさん溜め込んでいるものを見ないようにして、「自分の中には溜めているものなどないし、もし溜めていたとしても、そんなものは過去の終わった話なのでなんの影響もない」と思い込んでいます。しかし、現実社会の中でも、例えばゴミ屋敷であったり、廃棄物投棄などの問題をみてもわかるように、溜め込んだものは必ずどこかに影響しています。



また、人がよりよく前向きに生きられる時は、終わった過去もまだ来ぬ未来も気にせずに、今を生きている時だと思いますが、自分の内側に溜め込まれたものが多いと、どうしてもその滞ったものに影響されて、ニュートラルに今を生きることもできなくなります。



なのに、人は体のこと(体の滞りや痛みなど)には、ちゃんと目を向けますが、なぜか心のこと(心の滞りや痛みなど)には、目を向けず整理、処理、対処しようとせずに放置してしまいます。また、精神医学(心療内科・精神科)では、頭(脳内ホルモンや神経伝達物質)を薬で調整するだけで対処しようとしています。



意外に思われたかも知れませんが、このような『「感情」の解放と癒し』が人間本来の精神性を取り戻すことにつながっています。こうやって、日本人がありのままの自分を生き本来の状態にどんどん近づいていけばいくほど、日本はよりよい国へと変わっていきます。そしてそれは、地球全体にとってもよりよい影響をもたらすことと感じています。



読んでいて何となく興味を持たれた方は、よろしければちょっと行ってみてくださいませ。



あなたが本来のご自分を生きられますように。

世界が平安でありますように。


ホリスティック・セラピー研究所 https://holistic-ti.com



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