心理セラピストのひとりごと

『象徴的イメージ統合療法』という心理療法を行っています。日々の中で感じたことを書いていこうと思います。

ひとついのち~「光の柱」に至る~

2021年05月21日 | 自分の体験からの気づき



「ワンネス(すべては一つ)」という考え方があります。命は根源ですべてつながっているという捉え方です。事実、臨死体験などの特殊な体験をした人たちの多くがこの「ワンネス」と感じる体験をしています。



例えば、脳神経学者のジル・ボルト・テイラーさんは自身が脳卒中を起こし左脳の活動が停止して、右脳の活動が主体になった時の体験を次のように話しています。



『(左脳の活動が停止して)左の脳の「やる」意識から右の脳の「いる」意識へと変わっていったのです。小さく孤立した感じから、大きく拡がる感じのものへとわたしの意識は変身しました。(中略)


「自分であること」は変化しました。周囲と自分を隔てる境界を持つ固体のような存在としては、自己を認識できません。(中略)


左脳は自分自身を、他から分離された固体として認知するように訓練されています。今ではその堅苦しい回路から解放され、わたしの右脳は永遠の流れへの結びつきを楽しんでいました。


もう孤独ではなく、淋しくもない。魂は宇宙と同じように大きく、そして無限の海のなかで歓喜に心を躍らせていました。』




また、全身の末期癌で強烈な臨死体験後に蘇生してから、末期の全身癌が1ヶ月ほどで瞬く間に消えてなくなってしまったという体験をしたアニータ・ムアジャーニさんはその体験を次のように話しています。



『(臨死体験中に)私たち全員がつながっているということにも気づきました。その織り込まれた総合体は、人間や生物の範囲を超えて、もっと外へと拡大していき、すべての人間、動物、植物、昆虫、山、海、生命のないもの、そして宇宙全体まで含んでいるように感じられました。


宇宙は生きていて、意識で満たされており、すべての生命や自然を包み込んでいるのだと悟ったのです。あらゆるものが、無限の“全体”に属していました。


私も、すべての生命と複雑に絡まり合っていました。私たちはみんな、その統合体の一つの側面なのです。すなわち、私たちは一つであり、一人一人が集合的“全体”に影響を与えているのです。』




日本の神道でも、『人間は神の分霊(わけみたま)である』と、神(ひとつのもの)から分かれてきたのであると言っています。私たちの大本はゆらぎのないただ一つのエネルギーだったのだと思います。



心理学では、ユング心理学のカール・G・ユングさんが言われている人類全体がつながっている意識領域があるという集合的無意識(集合意識)の概念が(この場合、人類の意識領域と限定していますが)ワンネスにそのまま当てはまります。



このワンネスをもう少し違った表現をすると「ひとついのち」と言い表せます。私はこの表現が好きです。



私たちは、すべてのものの源である「ひとついのち」から、すべての命と共に枝分かれして、派生しています。ですから、元々はすべてがひとつのものでしたので、本来自他の区別などなくて、人間でいえば『「他人=自分」である』ということになると感じています。



人間は多くの人が、自分と違った身なり(外見、肌の色、人種)や雰囲気、考え方、主義・主張の人を否定し、排斥しようとします。



トラウマということでいえば、他の人の中に自分が好きではない部分と同じものを持っていると感じた時には、投影により、その人を自分に対してと同じように嫌います。(この投影が自分の子どもに出る場合が非常に多いです。母と娘の関係性はこれが顕著に出ます。特に、第一子長女には非常に強く出ます)



「自分はすごい」と思っている(思いたい)実は劣等感を持っている人は、「すごくない、ダメな人」と感じる相手を軽蔑して、嫌います。激しい場合には、攻撃もします。



でもそれは、「ひとついのち」の視点から観ると、自分が自分を嫌い、攻撃していることに他なりません。



相手を嫌い、否定すればするほど、エネルギー的にも自分を激しく否定していることになりますから、自分の周波数(波動)がどんどんと落ちていき、運も悪くなり、心と身体も重たく苦しくなっていってしまいます。



ある意味、自分が自分自身を否定している時よりも、相手を否定している時の方がネガティブな影響は強いのではないかと思える部分もあります。人は自分より外側の人や物や事は自分とは関係のないものと思っているので、そこに原因を作って責任転嫁した方が遠慮がなく楽ですし、またストレスを解放する場合の、対象物に向ける否定するエネルギーは容赦なく強くなりますから、返ってくるエネルギーも当然強くなります。「与えたものが受け取るもの(出した量と同じ量が返ってくる)」という法則の通りです。



また、「良くない人からだまされたり、人からの大変な目に遭ってきたので、付き合う人にはとても気をつけている」という表現を近年プライベートで何人かの方から聞きました。そうおっしゃる方には申し訳ないのですが、ここには「同じ周波数は共鳴する」という法則が作用しています。



それは、自分が出しているもの(周波数)が最初にあり、それに共鳴(同調)した人と出会う、寄って来るということです。ですから、だまされたり、大変な目に遭って、問題(と見えるもの)が起こっているということは、自分が出している周波数(波動)が元々何かが違っていたということです。それを相手が悪いのだと否定し、相手のせいにすると、本末転倒で逆にややこしくなるばかりなのです。



そして、これもまた法則の通り「何かに過剰に反応するところにはトラウマがある」ので、イヤだと感じる人、否定したくなる人、嫌いな人、と共鳴して出くわした時には、自分の内側にある自分自身に対してのネガティブな自己イメージや思い込み・観念に気づくチャンスをいただいたということになります。



これは、誰が良いわけでも、悪いわけでもなく、ただそういう法則に合致して、事象が発生しているというだけの話です。



このせっかくのチャンスを生かすには、自分のその部分(側面)を否定せずに受け入れていけばいいのです。



そして、「他人は自分」なので、それを意識の深いところに落として、否定が出て来た時には特にそのことを意識して、「ひとついのち」の自分である相手を受け入れていく練習をしていけばいいのだと感じています。私も恥ずかしながら、自分自身の人体実験経験やセラピー現場からも、他の人よりもたくさん色んな体験をいただいてきたのに、ここが腑に落ちるまでずいぶん回り道をしてきました。



このことに多くの人、人類が気づいていけば、私たちの中に元々あった「無条件の愛」は自然に発露して、その愛を周りのすべてのものにも自然に分け与えられるようになることだと感じています。



そのためには、この順番がとても大切です。まず最初に、自分自身に「無条件の愛」を与えることです。それができれば、自然に周りに「無条件の愛」を与えられるようになります。私もこの順番も間違っていたので、ずいぶんと遠回りをしてしまったのでした。



そうすれば、これも自然に世界は争いのない、人と人が調和して共存し、人と自然が共生したよりよいものへと変容していくことだと感じています。



これが、私がセラピー(ほんとうの自分に還るためのセラピー)をさせていただく究極の目的でもあります。



私たちが「無条件の愛」を体現できると、体の周波数(波動)が上がって光に満ちた存在となります。それはほんとうにエネルギーとしての光が出るということです。天と地をつなぐ「光の柱」の真ん中に佇む感じです。



私もかつて「無条件の愛」を体現した時に、それを強烈に経験した時期がありました。その時には、自分を大切にせずに、良くない意味で自分を捨てた状態ではあっても、純粋に人のために生きていましたので、どうも光が強く出ていたようで周りの人たちからは大変によろこばれ、どこに行っても驚くような特別扱いをされました。



しかし、それによりうれしさや楽しさは普通に感じていましたが、それでは、私の心が本質的に埋まることはまったくなく、ほんとうの「光の柱」には至れませんでした。



意味合いはちょっと違いますが、「柱」ということで連想されるのは、最近流行っている「鬼滅の刃」ですね。それに例えると、鬼滅の刃に出てくる柱は鬼(悪)をたくさん殺せる強いリーダーですが、「光の柱」(光柱)は、鬼さえも一人も殺さない、それさえも本質的に愛する「柱」です。なぜなら、鬼のような存在だとしても「ひとついのち」から派生した自分の分身(側面)なのですから。



このような「光の柱」があちこちに立ち上がると、その光が自然に周りの人へ伝播して広がっていきます。このエネルギーの伝播こそが究極のセラピーなのだと思います。



やはり私は、心からそのようなほんとうの「光の柱」に至れることを願います。


ホリスティック・セラピー研究所 https://holistic-ti.com



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