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法政総合6位!・青学4連覇!

2018年01月05日 | サーキットダイエット
星野仙一氏死去 がん闘病…「燃える男」「闘将」突然すぎる70歳
70歳・・・私の父も70歳で他界。父は、がん・余命2か月と宣告されちょうど
2か月後でした。過信は、禁物です。ご冥福をお祈りいたします


今年、第94回箱根駅伝は青山学院大学の4連覇
2位の東洋大学に5分近い差をつけてのフィニッシュでした

優勝候補東海は、5位に沈みました
両角監督を慕って、高校のスペシャリストが、近年続々入学し、
東海は、スピードでは、青学に負けないチームです。
しかし結果は、大差。「速いけれどまだ弱いチーム」です

シューズは、東海大も東洋大と同じ「ナイキ社」でしたが・・・

今年の箱根駅伝は、青学と東洋大でadidasVSナイキのシューズ対決がありました

東洋大は「ヴェイパーフライ4%」このシューズはナイキのフルマラソンで2時間を破るための
「ブレイキング2」で開発されたシューズです。
ソールがすごく厚く、まっすぐ立つと前かがみになり勝手に走らされるシューズです

今までのスピードシューズの概念は、ソールが薄くて軽いシューズという真逆です

青学は2013年からadidasとパートナー契約をしています。
adidasはドラマ「陸王」に登場したカリスマシューフィッターのモデルとも言われている
三村さんが選手に合わせてカスタマイズ・・・
三村さんはadidasとの契約が終了しましたが、青学は引き続きadidasを採用しています。

三村さんはオニツカ(現アシックス)で選手ファーストのシューズ作りで、
野口みづきさんや高橋尚子さんといった有名アスリートのシューズも作った方です。
アシックスを定年退職後、独立してアディダスジャパンと専属契約を
した時、アスリート達もadidasを履きだしました・・・

三村氏はかねてからアディダスが独自開発し大ブームとなっているクッション材「ブースト」について「着地の際にブレを生じさせ、選手の疲労につながる」と疑義を唱えてきた。方針の違いが決定的になり、契約終了しました。

※「最強の靴職人」三村氏は1966年、オニツカ(現・アシックス)に入社。1974年から40年以上にわたり、競技者向けのオーダーメイドシューズを製作してきた。独立した10年に靴工房「ミムラボ」を設立してアディダス専属になり、2012年にアディダスが青学大とパートナー契約を結ぶと部員の靴も担当。三村氏は選手の足型をとってフォームの癖などを見抜き、それを補う靴を作る“名工”だ。三村氏の靴が使われるようになってから、青学大では故障が減り、選手層に厚みが増した。

2018年から三村さんはニューバランスと契約しました

東洋大は、イノベーションのリスクを克服し2位
東海は、まだ新しい靴に対応した走法になれていません
青学の陸王は・・・ガラシュー(ガラパゴスシューズ)になるかも?

両角監督の高校時代の教え子大迫は、福岡マラソンで日本人トップ。
ナイキプロジェクトで、すでにフロント着地で成功している。


う~nnn・・・
本当の闘いは、これからですね!
来年の箱根駅伝は、さらに楽しみです!
私も箱根にかかわろうかな?







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箱根駅伝・法政大学往路5位!

2018年01月02日 | サーキットダイエット
箱根駅伝の往路、母校の法政大学の青木が9人抜きし区間新記録
往路5位

ゴール間近、追い上げを見せる青木の前を4位拓殖大学の付き添いをする
監督車が走行、フラフラと蛇行運転する様子が見られました

1秒を縮めるのに猛練習をしている選手を知っている
関係者が、ゴール直前にセンターラインを越えてまた戻るなんて・・・

拓大の選手は、よく走りましたが・・・
監督車は、スポーツ精神にかけていましたね!


う~nnn・・・
拓大は、伝統や名誉より、勝つために手段を選ばずか・・
いつしか、花の2区は、助っ人の外人・・・

あ~ぁ・・
母校の名誉をかけ、伝統をつなぐ箱根駅伝は、もうすぐ100年なのに・・・






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2018あけましておめでとうございます!

2018年01月01日 | サーキットダイエット
今年もよろしくお願いいたします

今年もNEW YEAR EKIDEN で幕を開けました!

明日は、故郷の群馬です(私の主催している家庭菜園を利用して整備などでお世話になっている方達への健康講演あり。
老後の楽しみな場所です)


現役のころ同級生の走り高跳びの八木たまみさん(走高跳の選手としては小柄(164cm)であったが、1m90を跳躍、当時空間征服抜き(記録と身長の差)女子世界最高)坂本孝男さん(2m30㎝)日本記録保持者をはじめ群馬県は、陸上王国でした。
中曽根元首相は、元陸協の会長で、国体の強化合宿などの際には、よく酒まんじゅうなど差し入れをいただきました


全日本実業団駅伝は86年までは年末開催でした

1957年(昭和32年)に第1回が三重県の伊勢神宮外宮(豊受大神宮)前をスタートし、賢島を折り返す7区間83.5kmで開催された[2][3]。コースの設定にはベルリンオリンピックに出場し、後に毎日新聞社に入社した村社講平が提案、起伏がある五知峠を通るコースと10マイル(約16km)の区間を設けたことが特徴であった[4]。当初は早春に開催されたが、第5回大会より12月の開催となった[5]。1970年の第15回大会より伊勢神宮内宮(皇大神宮)を循環するコースを加えた99kmに延長、以降第30回(1985年)まで三重県で開催された[5]。第31回(1986年)は滋賀県で開催され、距離も84.4kmとなり約15km短縮された[6]。第32回(1988年)から実施日が1月1日になり、群馬県で開催されるようになった[1]。群馬県の主要都市を巡る7区間、全長100kmのコースに変更されたのは第45回大会(2001年)からである     (ウィキペディアより)


当時「12月の福岡国際マラソンから日程が近く調整が厳しい」との声が多くありました。
また箱根駅伝テレビ生中継(日テレ)に対し、今年陸王を放送したTBSの熱意により、
群馬県の開催に奔走されたのが、故・平方和喜治群馬陸協会長
(88年の初の群馬開催の大会直前に突然、群馬開催を見ずに亡くなられました)、群馬県陸上関係者の肝煎りで、
88年から群馬・元日開催になって今回で30回目になります!

平方先生からは、高校時代のインターハイ(長野)や国体(佐賀)など現地でも、
「この記録ならいける!」と直接勇気と元気になれるお言葉をいただきました
強い組織になるには、人徳のあるリーダーが不可欠ですね。

駅伝は、一人が頑張っても勝てません。風物詩もいろいろな人の熱意・情熱
尽力などそれまで語られていない歴史があります


群馬県で1年後輩の金井豊君(高校時代は800mで私の2勝1敗、私は大学では短距離、金井君は長距離)
金井 豊(1959年10月26日 - 1990年8月23日)
1977年 インターハイ800mで優勝(高校記録)日本の陸上競技(長距離走・マラソン)選手。
ロサンゼルスオリンピック男子10000mで7位に入賞したが、現役中に交通事故で死去
群馬県立沼田高等学校、早稲田大学卒業。30000mの日本学生記録保持者。
1977年 インターハイ800mで優勝
1979年 一浪し、早稲田大学に入学。早稲田大学競走部のエースとして箱根駅伝などで活躍。
1981年 クライストチャーチで30000m1時間33分52秒9の日本学生新記録を樹立。この記録は25年経った2006年現在も破られていない
1983年 ヱスビー食品に入社
1984年 ロサンゼルスオリンピック男子10000mに出場。7位入賞の快挙を成し遂げる
1986年 ロンドンマラソンに出場。2時間13分42秒で6位入賞
1990年8月22日 北海道での合宿中、大学生が運転する車に同乗の際、チームメートの谷口伴之と共に交通事故に遭い、30歳で死去(エスビー食品陸上競技部員交通死亡事故)。
金井君はロス五輪の男子10000mで入賞を果たしたが、これは1964年東京オリンピック男子10000mの円谷幸吉(6位)以来20年ぶりの好成績だった。
(ウィキペディアより)

30年前初の群馬開催・第32回 全日本実業団対抗駅伝競走大会で笑顔で4連勝のテープを切るのは、
私の高校時代のライバル・エスビー食品エースでアンカーの金井豊君
でした
=前橋・群馬県庁前1988年
(現在・SB食品陸上部解散、瀬古氏ら選手もDENAへ選手移籍)


ヒトでは速筋繊維⇔遅筋繊維のシフトは確認されていませんが、速筋繊維のタイプには変化が起こることが確認されています。つまり「Ⅱx(白筋)⇔Ⅱa(ピンク筋)」の間でのシフトが起こるということです。
速筋繊維タイプは持久性の高い方向へとシフトする、つまり「Ⅱx(白筋)→Ⅱa(ピンク筋)」へとシフト
※いくら練習で、50㎞以上走っても42.195kmは、速く走れないんです

マラソンには、スピード(筋力)が不可欠です。金井君も瀬古さんも800mインターハイチャンピオン!10,000m五輪7位入賞から、マラソンへシフトした金井君が事故にあわなかったら・・・

う~nnn・・・
金井君が・・・きっとマラソン五輪日本男子の悲願の金メダルだったかな?
毎年
元日には、優しいちょっとぼそぼそ話す、全力で戦った後輩の姿が思い出されます


私は今年、年男
36歳の気持ちで頑張ります‼
今年もよろしくお願いいたします‼


今年の豊富
年男・・・そろそろ冬眠から目覚めます・・・
ブログ頑張ります‼




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