モヴィエ日記

映画の感想とか、いろいろです。

公開されるのを待ぺっつ

2012-05-31 00:48:19 | Weblog
というわけで「ザ・マペッツ」を見てきました。
しかしこのマペッツ、これまでテレビで放送された映画を何本か見てたけど、
実はよく知らなかったんですよねえ、その全貌は。
なんか「セサミストリート」と同じ人が作った人形劇、ぐらいの認識しかなくって、
もともとは「マペットショー」という人気テレビ番組やったってことも今回初めて知ったぐらいで、
それで本作は、かつて人気を博したマペットの面々が再結集して……というお話なんですけど、
なんか前に見たことあるような……って、
たしか「マペットのめざせブロードウェイ」ってのがそんな感じやったかなあ。
とはいえ、時の流れがもたらすうらぶれ感とでもいうのか、
人気があったのは遠い過去の話やなあってのが全編に強調されてて、
見た目には楽しそうなマペットの世界の、底に流れるペーソス味みたいなのがなかなかよかったですねえ。
それをさらに強調するのがもうひとつ、人間のキャラクターのほうのドラマでして、
主人公の青年は子供の頃からずーっとマペットのウォルターと兄弟のように育ってきてて、
大人になったいまでも同じ部屋で寝起きを共にする仲のよさ。
そんな彼にも素敵な恋人がいるんですけど、
これが交際10周年の記念旅行にウォルターを同行させおるんですわ。
彼女のほうは半ば呆れながらも、そんな彼のことを一応は受け入れてるみたいですけど、
憧れの地・ハリウッドで、記念ディナーも放ったらかして、
ウォルターとマペットたちのために奔走する彼にはさすがに愛想を尽かし……と、
まあねえ、最初からそんな男相手にするなよって言いたくなったりもしますけども、
でもこの青年の人のよさそうなルックス、
マペットたちのことを親身に思う気持ちと、
彼女の気持ちに気づいて自分を見つめなおす様などなど、
なんか許せてしまうんですよねえ。
とくに、大人になってもマペットと付き合ってていいのか?みたいな辺りは、
「トイ・ストーリー3」の主題を連想させたりもするけど、
しかしあちらほど深く掘り下げることはなく、
まあなんとなく丸く収まって……ってのは物足りなくもあるけど、
まあこれはこれでいいかなあって感じで、
そう、主役はマペットたちなんやから。
というわけでクライマックスは久々に復活した「マペットショー」のテレビ生中継、
これが楽しいんですわ。
歌やらコントやらといった芸の数々、
まあマペットが演じてることもあって他愛ないっちゃあ他愛ないとも言えるけど、
こういうのをのんびりと楽しめるのって幸せやなあって思えますよ。
でもってそこにジャック・ブラックまで加わってくれて、
彼は最初のシーンではお馴染みの過激さ丸出しで笑わせてくれるけど、
その後はずーっとマペットたちに酷い目に合わされっぱなしという役どころで、
いつもは周りを巻き込んで笑いをとる彼が、珍しく巻き込まれて笑いをとってくれて、
しかも髪型が七三分けという、これもまた見ものやったりして、
いや人間のキャストで言うと主人公の彼女役のエイミー・アダムス、
彼女は「魔法にかけられて」でなかなかのヒロインっぷりを発揮してたけど、
同じディズニー製作ということもあってか、その延長線上にあるようなキャラクターを好演してて、
それはそれで本作の世界観に合っててよかったけど、
でも僕としては「ザ・ファイター」のような役にももっともっと挑んで欲しいなあって、
あのお肉の付き具合のムチムチっぷりが……って、
いや、それはまああれですけども、
まあそんなわけで、マペットといってもカーミットとミス・ピギーぐらいしかよくわからない僕でも、
存分に楽しめる愛すべき作品なのでした……と、
でもって、ここから先は蛇足なんですけども、
そもそもなんでマペットたちが危機に陥ったのかというと、
彼らの所有してた土地に石油が埋蔵されてることがわかって、
それを強欲な石油王に狙われたために、期日までに1000万ドルやったかを集めなければならなくなって、
そんなわけでショーのなかで募金するわけなんですけども、
いまこういうのを見せられるとねえ、
自然エネルギーでもって対抗して危機を乗り切るとかいう展開に出来へんもんかいなって、
勝手に考えてしまうわけなんですけども、
しかし先日の国会事故調査委員会での菅直人への聴取で、
野村修也……この人はついこの前、大阪市の顧問やったかなんやったかの職にあって、
職員への調査で失態を演じた人やけど、
その彼が管に対して、
「現場で作業していた方は、
 今まさに飛行機が墜落しそうになってコックピットで精いっぱい、
 墜落を防ごうとしているところに、
 普通は電話がかかってこなかったんじゃないかと言っている」
と訊ねてるけど、
でもその操縦士たちは、墜落しそうな飛行機を捨てて、
自分たちだけパラシュートで逃げようとしてたんでしょうが。
それを留めたのが管とちゃうのん?
もちろん避難指示の不手際などなど、管には弁明できない点がたくさんあるけど、
東電の人間に非難する資格はないと思いますけどねえ。
たとえ、どうしても、やむを得ず、仕方なく、最後の手段として、
原発を再稼働させることが必要やとしても、
こういう連中にその運用を任せてええもんでしょうかねえ。
再稼働はちょっと待ぺっつ……ですよ、ホンマに。
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怖いのは呪いの動画よりトロイの木馬

2012-05-15 23:38:21 | Weblog
というわけで「貞子3D」を見てきました。
少し前に、もう3D版は見るつもりないって書いたところやのに、
なんでまたのこのこと出かけて行ったかといいますと、
まずは石原さとみの怖がりっぷり、
これが予告編で見ててむっちゃ堂に入っててよかったんですよねえ。
ぜひとも見たいなあって思わされて、
それと、少し前の朝日新聞の記事で、
日本映画の場合は3D版の上映よりも2D版のほうを選んで見る客が多いって書いてあって、
そのせいか、どうやらこの春以降では、3D上映されるのは本作ぐらいらしいんですね。
で、いままで邦画の3D版は見たことなかったけど、
それなら最後に1本ぐらい見ておこうかなあなんて思ったもんで、
ところが僕はそもそもホラーは苦手なもんで、
「リング」に始まるシリーズはまったく見てなかったんですよね。
それでいきなり本作を見ても面白くないかもなあなんて心配になって、
と、ちょうど本作公開にあわせてBSで過去のシリーズを一挙放送されてたけど、
ところが困ったことに、僕の嫌いな女優が一挙出演してるんですねえ。
よくまあこれだけ不細工で演技の下手な連中を揃えたもんやなあって感心してしまうくらい、
とにかく女優陣の顔ぶれを眺めただけで見る気が失せてしまって、
唯一「リング0 バースデイ」だけは、仲間由紀恵に麻生久美子と、
わりと好きな女優が出てるんで、とりあえず見てみたけど、
ところがこれは前日譚なわけで、
だからシリーズを見てきた人には、ああなるほどと思えるものやったかも知れんけど、
いきなりこれだけを見ても屁みたいなもんで、
貞子に対する集団ヒステリー的な描写が実にしょぼくて、怖くもなければ同情もできないし、
なんじゃこりゃ……と呆れながらもとりあえず劇場へ。
でもねえ、これでも3D映画って言えますのん?
ドラマ部分、ほとんどの場面で3Dに見えることなんかなくって、
大半が平面でしたよ。
立体的に見えるのは、怖がらせようとして何かが飛び出してくる部分くらいで、
それだけのために追加料金払って暗い画面に我慢しないといけないのかと思うと、
そりゃ2Dを選ぶ人が多いのももっともなこって。
で、お話のほうはと言うと、
「呪いの動画」をめぐる怪事件なわけですけども、
これもおかしな話で、
前はビデオやったのが動画になって、ネットでどんどん広まっていく……となるはずが、
ずーっと首都圏だけでお話が展開されていくんですよ。
せっかく全世界にまでスケールを広げられる設定やのに、なんと貧乏くさいこって。
何でもかんでも東京だけで済ませてしまおうって了見は、
まるで何でもかんでも東京に集中させたいファシス都知事と同レベルですがな。
そうやって一極集中させたいくせに、原発だけは地方に押し付けたいようで、
反原発論を「センチメンタルな錯覚」などと否定しておきながら、
その原発を東京都内に造る気はさらさらないようで、
先日は「東京湾岸でも造れる」と発言したかと思ったら、
例に挙げたのが千葉県の鋸山というところだそうで、
まあとにかく原発を支持するような愚かな者はどこまでも無責任やなあってことの証しのようなもんで、
無責任と言えばこのファシス都知事の唱える尖閣諸島購入もまさに無責任、
外国との間の問題は交渉で解決を図らないとならないもんやのに、
その立場にないのをいい事に好き勝手し放題。
交渉をしようとしない者が威嚇や恫喝で騒ぎを起こす様はまるでどこかの世襲制の国のようで、
じゃあ国政に打って出たらどうなるか、
居丈高な態度で相手を平伏させて解決できるのかと言うとそれも怪しいもんで、
現にこいつは3月に首都大学東京という違和感たっぷりの名前の大学の卒業式で、
「中国のことはシナって呼ばなきゃダメ」と講演したらしいけど、
ところが先月、尖閣購入をなぜかアメリカで表明した際のスピーチ、
これはYouTubeで見てみたけど、一貫して「中国」と呼んでいて、
「シナ」とはひと言も言ってませんでしたよ。
己の勝手な暴論が通用するのは国内の偏狭な国粋主義者にだけやってことをよく承知しておられるようで、
まあ口先だけ達者な臆病者に出来ることなんてたかが知れてるわけで、
しかし臆病と言えば映画館にも臆病な観客がたくさんいて、
キャーキャーキャーキャーうるさいのうるさくないの、
うるさいんですけどね。
あの程度の驚かせっぷりでよくそこまで怖がれるなあって不思議になりますわ。
貞子の群れが井戸から這い出てきて、これがなぜかバッタみたいな格好で迫って来るのなんか、
失笑こそすれどこが怖いんじゃ?ってなもんでしたけどねえ。
それで石原さとみがその群れを全部退治したと思って、
ホッと油断してたら後ろから……と、
ここで振り返ることもなく背後の貞子を仕留めるって、
あんた座頭市かいな?って感じで、
いや、彼女の怖がりっぷりは期待通り画になってて、
それはとても見応えはありましたけども、
でも叫ぶとガラスが割れるって、あんた「ブリキの太鼓」かいな?って感じで、
で、最終的には「呪いの動画」を撮影したiPhoneらしき端末を壊してメデタシメデタシ……って、
だからネット上に拡散してるんやから意味ないんちゃうのん?
って言うかさあ、呪いのなんちゃらかんちゃらって、
そんな不幸の手紙やらこっくりさんやら、
その程度のレベルのことでいつまでも映画撮ってんじゃねーよって言いたくなりますわ。
ホンマ、これで石原さとみが出てなかったらまったく見るに耐えないゴミクズに終わってしまうところですよ。
よかったわあ、冬ちゃん。
「てるてる家族」の3D映画版なんて作られたら狂喜乱舞してしまうやろなあ〜。
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保守派もいた

2012-05-13 21:12:43 | Weblog
というわけで「僕等がいた 後篇」ですけど、
前篇でも示されていたようになかなかドラマティックな展開を見せてくれまして、
その大きな要因となっているのが我らがユイカ様でありまして、
最初のうちは生田斗真につきまとうストーカーっぽい感じで、
おお怖ぁ〜って感じでしたけども、
やがて身を引こうとするんですよね。
前篇で、吉高由里子に向かって「お姉ちゃんの代用品だよ」なんてセリフを吐いていたけど、
そう言う自分こそが本当の代用品に過ぎなかったと思い知らされるという、
まあ生田の見る目のなさがあからさまになる場面で、
潔く身を引こうとするユイカ様が別れ際におっしゃるのが、
「バイバイ」
……ああ、胸をかきむしられるようなこの「バイバイ」。
ジョンコとの別れが思い出され、目頭が熱くならずにはいられない「バイバイ」。
あれ以来、芦毛の、とくに牝馬を応援し続けるようになって、
そのおかげでこの春のGIは大当たり、
今日もホエールキャプチャ様サマで……って、そんなことはどうでもよくって、
やはりユイカ様の「バイバイ」には心を揺さぶられずにはいられなかった生田、
同棲生活を始めることになって、ちょっとした若奥様状態のユイカ様。
この辺は物語的には望まれない展開なわけで、
いや現実にもユイカ様があんな生田ごときとそんなことになるなどということがあってはならないわけですけども、
しかしこの2人のつながりというのがとても心に沁みるようになってるんですよねえ。
前篇で描かれてたように、生田は母親から「産むつもりじゃなかった」と言われるなど、
心のなかに傷をいくつも抱えもっているわけですけども、
ユイカ様も同じような傷を抱え、そのことに苦しみ続けていることが明かされるんですよねえ。
そんな同じ境遇の2人が、しかし「親のせいでこうなったのよ」などと甘えることはなく、
それをぐっと心の底に押し隠してひっそりと暮らしていくという、
その光景には涙が出そうになりますわ。
で、後にユイカ様は母親の最期を看取ることになって、
ようやくすべてを許せるようになったユイカ様が母親の手を握ると、
意識のないはずの母親が握り返してくるという場面があって、
それはいかにもな見せ場なわけですけども、
その直後に「あれは単なる筋肉の収縮だってお医者さんが言ってた」と、
せっかく生んだ感動を自らぶち壊すかのような場面があるわけですけど、
これはいくらドラマやからって非科学的な描写は避けなければならないという誠実さが感じられますけども、
ユイカ様と生田が、親や周囲の愛情に飢えていたからといって、
それを大上段に掲げないところにも同じような抑制が窺え、
そして最後には誤解を解いて和解へと到って心に平穏をもたらすという、
この温かさがとてつもなく嬉しかったですねえ。
だいたい親の愛情についてはまだまだ非科学的な認識がはびこっているようで、
現に先日も、大阪威信の下位の馬鹿どもが「家庭教育支援条例案」というのを提出しようとしていて、
しかしそのなかに、
「乳幼児期の愛着形成の不足が軽度発達障害またはそれに似た症状を誘発する大きな要因」
との記述があって、
で、批判を受けてこの条例案は撤回されたわけですけども、
それだけなら威信の下位はゴミクズやなあというわかり切ったことを再確認するだけではありますが、
しかし報道によりますと、この条例案の文案は、
「親学」とやらを提唱する高橋史朗明星大学教授から提供されたものだそうで、
そしてこの条例案と同趣旨の「家庭教育支援法案」というのが、
ヘナチョコな理由で首相を辞任した安倍晋三を会長とする「親学推進議員連盟」とやらによって制定を目指されているんやそうな。
まあなんともわかりやすいこって、
子供には親の愛情が必要だ、だから女は子育てに専念しろ、夫婦別姓なんてとんでもない……と、
保守派の論法が偏見に基づくムチャクチャなものであるってことの代表例のようなもんですなあ。
まあなんか最近はこの、威信の下位の代表は本当の保守ではないとかいう意見をよく見かけてて、
見かけるといっても見出しを見てるだけなんでどういう理由でそう言ってるのかは知らんのですけど、
誰がどう見ても保守以外の何物でもないファシス都知事、
こいつも最近ますます馬鹿さに磨きがかかってきてますなあ。
だいたいこいつは東京中心でしか物事を考えられず、
何でもかんでも東京に集中させて、そこの知事でいたいだけのガキ大将並みの知性しか持ち合わせておらず、
だから首都機能移転には猛反対。
東京以外の地方のことなど見下しっぱなしで、
有名なところではこいつが運輸大臣時代、リニアモーターカーの実験線が宮崎県にあったことについて、
「ブタ小屋の間を走らせても仕方ない」とぬかしたり、
あれは確か奄美のほうのどこかの島の山間部に道を造ることについて、
「誰も通らない道のために税金の無駄遣い」ってぬかしたけどその後、
テレビ送信所のメンテナンスのために必要な道やって知らされて謝罪したり、
まあ地方のこと、そこに住む人の気持ちなんかまったく眼中にない愚か者で、
しかし尖閣諸島にだけは猛烈に関心を示してるのは、
そこが己の愛国心を誇示する格好の舞台となるからというだけのこと。
中国が関心を示さない宮崎はブタ小屋扱いでも、
尖閣だけは、地元・石垣市の共同購入の提案も蹴って手柄を独り占め。
ほんでまたそんな幼稚なアジテーションに乗って寄付が4億円も集まってるとか。
そんなもん、島の所有者はもう高齢やねんから、
亡くなったら相続人に、相続税の代わりに物納させたらタダで国の所有になるものを、
その4億円は先の震災の被災地に寄付したほうがどれだけ役立てられるかってもんやけど、
しかし被災地はオリンピック誘致のセンチメンタルな材料としか見ていないファシス都知事。
前回の誘致の際には北京オリンピック開会式にのこのこと出かけて、
立派ですなあとかなんとかおべんちゃら使わざるを得なかった屈辱を晴らすためだけの島購入に喝采を送る無知蒙昧の輩の何と多いことよ……って、
ああ、なんか最近こういうことあまり書いてなかったんで、
久しぶりについ。
いやでも、地方と東京の関係というと、
せっかく釧路が舞台やのに、北海道弁って言うんですか、
地元の言葉がぜんぜん出てこないのはもったいないですねえ。
ユイカ様の北海道弁、聴きたかったなあ〜。
でも大切な人に東京を案内してあげる、釧路を案内してあげたいって、
あの感覚はわかりますわ。
しかも、生田と吉高が東京のあちこちを回る件は、
その時点では、もう昔のようには戻れないとお互いが思ってる、
失われたものはもう取り戻せないという切なさでいっぱいになっているなかでの、
あの束の間の楽しい時間ってのがねえ、
泣かせますよねえ。
まあそんな風に登場人物たちに共感できるようになってるから、
だからハッピーエンディングになるのもいいんですけどね。
でもそうするならエピローグ部分はもうちょっと簡潔にして欲しかったかなあ。
あれではちょっとしつこすぎかも。
それと、かなりモノローグが多用されてきたけど、
どれも身の丈に合った言葉で綴られてるというか、
心情を素直に、ヘンに飾らずに語っていて、それなりに納得できたけど、
あのクライマックスで「お前は俺の方位磁石だ」って、
何を突然キザな比喩使ぉとんねんって感じでねえ。
コンパスこの世にとどまれり、ってかいな。
まあそんなこんなでケチを付けようと思ったらなんぼでも付けられるけど、
これはこれでまあいっかってところでしょうか。
……あ、そうそう、
それで結局、8点では上智には行けなかったみたいやけど、
しかし進学したのが白百合女子大やて。
で、白百合って実在の女子大なんですねえ。
って言うか、そもそもなんで実名出してるんやろ?
普通こういうところでは「帝都大学」とか架空の名前を使うもんちゃうん?
って言うか、白百合から抗議くるんちゃいますん、
8点でも行ける大学のように描かれてイメージダウンやっちゅーて……?
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海は荒ぶるル・アーヴル

2012-05-09 23:50:38 | Weblog
というわけで「ル・アーヴルの靴みがき」。
アキ・カウリスマキの「街のあかり」以来5年ぶりの新作ですよ。
今回の舞台はフィンランドを離れてフランスの港町ル・アーヴル。
主人公は靴磨きのおじいちゃん。
このおじいちゃんのうらぶれっぷりと言うのか、しがなさ加減と言うのか、
とにかくそのたたずまいがもうとにかくカウリスマキならではでして、
駅で仕事する分にはまだいいけど、
なぜか高級そうな靴店の真ん前で仕事しようとしたりして、
そのたびに店員から追い払われたりしたりして、
しかも、仲のいい同業者というのがなんか胡散臭そうな東洋系のおっさんでして、
仕事帰りにはパン屋からフランスパンを頂戴して来たりなんかして、
で、帰宅するとその日の稼ぎのお札と小銭をテーブルに乗せまして、
すると奥さんがそれを空き缶にしまったりなんかして、
もうそんな淡々とした日々を過ごすこの靴磨き。
と、話変わって、
港にはコンテナがたくさん野積みになってまして、
そのなかに、微かに子供の声が聞こえてくるのがありまして、
武装警官が取り囲むなか、開けてみると不法移民の黒人たち。
そのなかからひとりの少年が飛び出して、これが行方不明に。
……となると、後の展開はだいたい予想がつきますよねえ。
そう、この少年と靴磨きが知り合うんですね。
そんな風に、ストーリーの骨格はよくあるパターン、
ありきたりっちゃあありきたりな物なんですけども、
しかし、もしも物語の細部まで詳しく書いていくとすると……
なんじゃそれ?ってことになりそうなんですよね。
少年のために一肌脱ごうとする靴磨き、
不法滞在者を収容する施設まではるばる出かけて行って、
少年の父親と会おうとするんですけどね、
そこで、兄に会いたいって言うんですよ。
黒人の弟が白人?って訝られると、
自分は白子(アルビノ)だって答えたりなんかして、
それでちゃんと会えるって、なーんじゃそりゃ。
で、その父親から話を聞いて、
少年を、母親のいるロンドンまで行かせようとするんですけど、
そのお金を稼ぐためにコンサートを開こうとするんですよ。
で、リトル・ボブという人に頼みに行くんですよ、
コンサートに出てくれって。
ちなみにこのリトル・ボブってのは実際にミュージシャンなんですかねえ?
なんか、いかにもカウリスマキ好みって感じのお方なんですけど、
ところがこのリトル・ボブ、妻が去っていったからもう歌わないっていうんですよね。
ところがところが、なんとその場に突然、
「あなた、帰ってきたわ」と妻が現れて、抱き合うふたり、
そっと立ち去る靴磨き……って、なーんじゃそりゃ。
とまあ、そんな調子なんですけども、
ところがそういういい加減さがとっても楽しめるんですよねえ。
思うに、例えばハリウッド映画なんかで、
黒人問題とか、女性問題とか、そういうのを扱う映画がありますけども、
しかし現在でも製作側はまだまだ白人男性が主流なわけで、
そうするとどうしても、白人が黒人問題に理解を示すとか、
男性が女性問題に寛容さを表すとか、そういうパターンになりがちなんですよね。
いやそもそも「○○問題」などという言い方自体が上から目線かもしれなかったりして、
まあそういう構図というのがどうしても付きまとったりしがちやと思うけど、
しかし本作にはそういったのがまったくないんですよ。
これは別に、フィンランド人のカウリスマキにとってフランスの問題が他人事やから……って、
そんなことじゃあないですよ。
一応、テレビの番組のなかで、不法移民取締りのニュースが出てきたり、
主人公の同業者が、本当はヴェトナム人やのに、
中国人のIDが入手できたので中国人として生活してると告白したり、
まあそういった現状を端的に示す描写はいくつかありますけどね。
でも、ここではそういう移民や密入国といった問題を、
問題として扱うような大それたことはしてません。
してない代わりに、キャラクターがとても愛おしく描かれている、
人と人とのつながりがとても温かく描かれてるんですよね。
先に書いたように、少年のためにあれこれと世話を焼く靴磨き、
彼を出国させるために漁船に頼むんですけど、
その漁師に払うお金は、コンサートで稼いだ札束に、
さらに自宅の、空き缶のなかのお札をすべて足して調達するんですよ。
たまたま、偶然出会っただけでなぜそこまで……?と思うくらい、
とにかく親身になってやるんですよね。
少年もそれにこたえて、自分も靴磨きでお金を稼ごうとしたり、
また近所の人たちも助けてやったり、
そういった描写がとにかく嬉しいんですよね。
そんなうれしさがギュッと凝縮されたのが、病院の場面。
靴磨きの妻、これはお馴染みカティ・オウティネンが演じてまして、
彼女は最初のほうで入院するんですよね。
その後に少年が転がり込んでくるので、
妻と少年は面識がなかったんですけど、
それが、靴磨きから用事を頼まれて、少年が病院へ行くんですよ。
これもね、見つかるかもしれないからって、ずっと外へ出るなって言い続けてて、
それがいよいよ明日、漁船で出国するって日になって、
バスに乗って行かなければならないような遠くの病院までひとりで行かせるってのもね、
なーんじゃそりゃってなもんでもあるんですけども、
まあそれはともかく、病室で妻が目を覚ますと、
まったく知らない黒人の少年が立ってるわけですよ。
そりゃビックリしますわねえ、普通。
でも少年が事情を説明して、用事を済ませて、
それから「早くよくなってください」とか言うと、
妻のほうも「ありがとう」って言って、そして握手するんですよ。
この握手がね、なんかいいんですよねえ。
さらに、いよいよ出国というときにも、
漁船の上で握手を交わすんですよ、靴磨きと少年が。
握手という習慣は、日本人の感覚ではちょっとピンとこなかったりするけど、
ここでの握手には何か人間と人間の対等な関係性が感じられるようで、
本当に上から目線なんて無縁な映画である、
移民問題を扱うといった社会派ではないかもしれないけども、
その社会を構成するひとりひとりの人間が丁寧に描かれている、
そんな素晴らしい映画なんですよねえ。
で、さらにその後に靴磨きと刑事も握手するんですよ。
この刑事は、見るからにしつこく追い詰めそうなタイプやけど、
これが最後に「カサブランカ」のクロード・レインズのような役割を果たして、
少年を見逃してやって、そして靴磨きと握手……
考えてみればこの刑事は、最初にコンテナを開ける場面で、
機関銃を構える警官たちに「そんなものが要るのか?」って疑問を呈してましたっけ、
それに対して警官は「内務大臣の指示です」って返事してたけど、
まあこういう辺りはごくごくさりげない社会派的な描写って感じで、
でもこれらのおかげでサルコジは敗退することになった……のかどうかは知らんけど、
それに、少年がコンテナから逃げる際にも、
撃とうとする警官を制して、みすみす逃亡させてましたっけ。
なんか、最初からそういう人やったんですねえ。
それに比べると、靴磨きの近所に住んでる密告者、
これは出番は少ないけど、最後までずーっとケチな密告者のまんまで、
しかも演じてるのがジャン=ピエール・レオーですよ。
あの「大人は判ってくれない」のドワネル少年が、なんとチンケなチクリ屋のまんまですよ。
なんか物悲しいなあ……って、まあ、
彼の場合は何を演じても、ドワネル少年と比べると悲しくなってしまうでしょうか、
でもカウリスマキの「コントラクト・キラー」では結構よかったのになあ……とか何とか、
まあいろいろと想いを馳せさせてくれるこの映画、
しかし最後の最後には、ここまで長いことゴチャゴチャ書いてきたようなことが、
ぜーんぶ吹っ飛んでしまうような、
最上級のなーんじゃそりゃ!が待ち受けておりまして、
これはもう何と言うか、観客としてはただ受け入れるしかないですねえ、
カウリスマキがそうしたいんやったらそれでええやん、みたいな。
そしてラストシーンで見上げる桜の樹。
セリフでは満開って言ってたけど、
あれは日本人の感覚からするとまだ五分咲きか七分咲きでしょうか、
いやそもそも日本で見慣れてるのとまた品種が違うんですかねえ?
とにかくあの桜の樹のショットがとても豊かなものを感じさせてくれて、
だからもうなんでもいいんです……って、そういう言い方はちょっと投げやりすぎかも知れんけど、
まあとにかく嬉しくなってしまう映画やからなんでも許せますわ。
カウリスマキにありがとうって言って握手したくなる、そんな作品でした。
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5月5日の全停止〜♪

2012-05-04 22:08:39 | Weblog
さてさて、明日には我が国の原発がすべて停止するそうで、
それは喜ばしいことではありますがしかし、
何とか再稼働させようと企んでいる愚か者どもがおるというのが嘆かわしいことでして、
その最たるものが政府による大飯原発再稼働に向けての「政治判断」とやらで、
しかしこれが「判断」の名に値しないものやってことはもう皆さんご承知やと思いますんで、
その中身についてゴチャゴチャ書く必要はないとは思いますが、
しかし気になって仕方ないことがありまして、
それはこの「判断」が、短期間で拙速になされたものやないかっていう、
至極当然の指摘について、
「いや、実はこの1年かけて判断してきた結果なんですよ」
みたいなことを、あれは誰やったかなあ、
確か前原か誰か、その辺のクラスの奴がテレビで答えてたのを見た覚えがありまして、
まあその発言の正確な文言も覚えてないんですけども、
でも、それがずーっと引っかかってたんですよねえ。
1年かけて判断してたって言うけど、
じゃあ震災直後、原発の損傷の実体もよくわからない頃から、
ずーっと判断してたってことなんでしょうか?
去年の6月ごろには当時の首相が唐突にストレステスト実施を表明して、
それについて当時の経産大臣が反発して泣きべそかいとったけど、
内閣でそんなドタバタが繰り広げられてる最中に、
いったい政府の誰が判断してたっていうんでしょうか?
その辺りをちょっと調べてみようと思って、
この連休、あっちゃこっちゃ検索しまくってたんですけど一向にわからないんですわ。
で、ようやくたどり着いたのは、

原発の再稼働問題 日テレNEWS24

ああ、やっぱり頼りになるのは日テレさんですなあ。
で、ここでの記者さんの解説によると、
決して10日間、計6回の会合だけで判断したわけではない、
1年かけて実施した安全対策やストレステストなどの結果を整理したものだ……と、
こういうことになるわけですけども、
しかしこれは、1年かけて判断したってことにはならんですよねえ。
判断に要したのはあくまでも10日間、計6回の会合だけで、
決して1年間、熟慮を重ねて判断に至ったってわけではないですもんねえ。
例えばですよ、
僕がラーメン屋さんに行ってラーメンを注文したとしますよね。
すると10分経ってラーメンが運ばれてきました。
ということは、調理に要した時間は10分間ってことになりますよねえ。
ところが店主は「いや、1年間かけて調理しました」って言い張りおる。
どういうこっちゃ?と訊いてみると、
そのチャーシューの材料は、1年間かけて飼育した豚の肉だ、
だから10分間で拙速に調理したものではない……って、
そんな理屈が通用しますかいな?
調理したのはあくまで10分間ですよねえ。
まあラーメンの場合は下ごしらえってのがあるわけで、
チャーシューを煮込んだりとかスープを煮込んだりとか、
それらが安全対策やストレステストに相当するってことになるんでしょうか、
でも大飯原発の「安全対策」とやらは未実施の項目がたくさんあるんですよね。
だから、薬味のネギはまだ刻んでません、たまごも茹でてません、メンマは買ってきてません……と、
メニューの写真には写ってるはずの具がほとんど載ってない、そんなラーメンを商品として客に提供できますか?
そんな「判断」をする店主のいる店は閉店に追い込まれるのが必至でしょうが。
でもそんな稚拙な「政治判断」で国土をさらに汚そうとする奴がおるんですよねえ。
その筆頭が仙谷のようで、
こいつの「集団自殺」発言は大きく報道されてたけど、
さてさて、もし原発が稼働しなければ我が国は集団自殺状態になってしまうのでしょうか?

よくある質問とその回答_電力・ガス関係

これは資源エネルギー庁のサイトですけど、
ここに2つのグラフが載ってますよね。
「発電設備容量の推移」と「発電電力量の推移」。
たぶん前者は、これだけ発電できますよというのの割合で、
後者は、実際に発電した分の割合ってことになるんでしょうかねえ、
まあとにかく、これらのグラフを見て、
この2009年度の棒から原子力の部分を取り除いてみると、
総量は何年前の水準になるでしょうか……?
だいたい1990年ごろにさかのぼることになりますよねえ。
世間には、原発を稼働させないとまるで原始時代や石器時代になってしまうとか喧伝してる輩がおるけど、
何のことはない、たった20年前に戻るだけですやんか。
いくら電気が不足するったって、それぐらい何とかなりませんかねえ?
20年前に戻ることはそんなに難しいですかねえ?
ちなみに20年前と言うと……僕は戻りたいですねえ。
なんせ初めて女の子と……えーと、いやいや、
まあとにかく、20年前に戻ることが集団自殺的な状況と言えるのでしょうかねえ?
ちなみに統計によると1990年ごろの自殺者数はだいたい毎年2万人あまりってところですわ。
それがここ10年間は毎年3万人以上ですよ。
20年前と現在と、どちらがより「集団」自殺に近いと言えるでしょうかねえ?
まあとにかく、明日にはめでたく原発がすべて停止するわけで、
もちろんそれですべて解決というわけではなく、
これから長い長い廃炉作業、そして核のゴミの10万年もの長きにわたる管理という難題が待ち受けているわけですが、
それでもとりあえず明日には祝杯を挙げましょう、
そして再稼働させようとするようなアンポンタンどもには出来る限りの社会的制裁を加えましょう。
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映画は娯楽か芸術か

2012-04-30 18:35:40 | Weblog
芸術か……芸術家……というわけで「アーティスト」。
しかし娯楽か芸術かなんて定義づけの前に、
そもそものサイレント映画の定義について疑問がありまして、
まあ一般的にはセリフのない映画……と言うか、
サイレントの場合、セリフは字幕タイトルで表示されてるわけで、
つまり音声によるセリフのない映画を普通、サイレントと呼ぶようで、
例えばチャップリンはトーキーの時代になってもサイレント映画を撮り続けた、なんて、
よく言われてますけどでもね、
1931年の「街の灯」には音楽や効果音は最初から録音されてるし、
1936年の「モダン・タイムス」ではそれに加えて、
ラジオや蓄音機、工場で労働者を監視するモニターなどといった、
機械から流れてくるセリフはちゃんと入ってるんですよね。
これは機械文明の風刺として評価の高い同作らしい趣向で、
さらに唯一聴こえる肉声はチャップリンによるデタラメな外国語という、
これだけ音声によるセリフが入っててもサイレントと言えるんでしょうかねえ?
1976年のメル・ブルックスの「サイレント・ムービー」や、
1999年のアキ・カウリスマキの「白い花びら」でもやはり音楽等は収録されてるし、
とくに「サイレント・ムービー」ではひと言だけ音声によるセリフがあって、
それを発するのはなんと……いや、それはここでは伏せておきましょうか、
とにかくセリフさえ聴こえてこなけりゃ、どれだけ音楽が派手に鳴ろうがサイレントってことでしょうか、
でも「サイレント」の語源は「silence」やと思うんで、それはおかしいんちゃうの?って、
そう思うけどしかし「トーキー」の語源は「talk」から来てると思うんで、
そうなるとトークがなければサイレントってことで構わないってことになるんだかどうなんだか、
まあそんなことをいつまでも考えてても仕方ないんで本題に入りまして、
冒頭、男が椅子に縛り付けられておりまして、
頭の両サイドから電流がビリビリビリと流されてたりなんかして、
まるで「メトロポリス」の人造人間誕生のシーンのようですけど、
そこへ字幕タイトルが「I don't talk!」……って、
やっぱりトークしたくないからサイレント映画と定義づけられるんでしょうか、
しかし何やらキリル文字の書かれた機械を操作する男たち、
椅子の男にさらに強い電流を流して「Speak!」……と、
やがてこれは劇中劇、「ロシアの陰謀」やったか、
そんなタイトルの映画の拷問シーンであることがわかりまして、
21世紀に製作される無声映画の幕開けとしてはシャレた趣向なわけですけども、
しかしこの場面のパロディを今年のアカデミー賞授賞式の冒頭でやってまして、
ビリー・クリスタルが拷問されて「ホストをやりたくない!」とか叫んでるという、
オリジナルより先にパロディを見てしまったのでちょっとネタバレされてしまった感があって、
こういうのは何とかならんもんかと、今度ビリーに会う機会があったらひとこと苦言を呈したいところですけども、
まあそんなこんなで拷問されてた男、
これが本作の主人公・ジョージ・ヴァレンティンでありまして、
外に出るとファンやらマスコミやらが殺到してくる人気スターでありまして、
するとそんな取り巻きの輪のなかから押し出されてきた女性と知り合いまして、
彼女がヒロイン・ペピー・ミラーでありまして、
そのときはすぐに別れた2人はやがてオーディション会場で再会しまして、
スターを目指すペピーに、ジョージは「顔に特徴があるといいよ」とかアドバイスしてやりまして、
ちょこちょこっと付けぼくろを書いてやりまして、
すると彼女は着実にスターへの階段を上り始めまして、
一方、時代はトーキーへの移行期に差し掛かりまして、
しかしジョージはサイレントにこだわり続けまして……と、
そんな感じで展開されていくお話でして、
これがいかにも「スタア誕生」のような類型的なものでして、
それで僕の文体も単調になってしまいまして、
いや、あまりしつこくなるのもアレなんでこの辺にしときまして、
スターになる女と没落していく男というお決まりのパターンですけど、
しかしこの2人の間にドラマはほとんどないんですよね。
ペピーのほうはジョージにかなりの好意を抱いてるようで、
ジョージのほうもペピーのことをそれなりに気になる存在とは意識してるようですけど、
別にそういう仲になるとか、具体的になんぞするとか、
そういう描写はまったくないんですよね。
実際のサイレント時代は、そういう描写は規制されたりしてて、
でもその規制をかいくぐって表現しようという創意工夫があったもんですけど、
しかし本作はそういう工夫の必要がないと考えてるかのようで、
従ってドラマ的には非常にあっさりとしたものになってるんですよね。
この辺がちと物足りないですかねえ、やっぱり。
それでも、立場が逆転してしまってもペピーはジョージのことを気にかけるわけで、
それがやがて悲劇を生むことになるという、まあこの辺は見応えがあるんですけど、
しかしもっとも盛り上がる場面で流れる音楽がなんと、
ヒッチコックの「めまい」の、バーナード・ハーマンのあの名曲なんですよね。
あれがそのまんま鳴り響いてくるという……
なんで? どうして? 如何なる理由で?
このセンスがまったく理解できませんわ。
もっとも大事な場面でなんで借り物の音楽を使う?
全編、それこそチャップリンが自作につけたような、
いかにもサイレント映画の伴奏っぽい音楽が流れてて、
これがいい雰囲気を醸し出してるところへ、なんでいきなり既製曲が?
ホンマにわかりませんわ。
で、後にエンド・クレジットを見てたら最後のところで、
「素晴らしい音楽を作り続けた誰々に捧ぐ」みたいなのが出てきて、
没年が2011年ってなってて、
これは本作の音楽を担当した人が途中で亡くなってしまって、
それで部分的に既製曲を用いることになってしまったんかなあって、
そう思って帰宅して調べてみたら、
音楽のルドヴィック・ブールスはまだご健在ですがな。
日本公開に際して、来日してキャンペーンしてはりましたがな。
そう言えばアカデミー賞も受賞してスピーチしてはりましたがな。
じゃあ、なんで……?
なんで「めまい」……?
エンド・クレジットで弔意を表してたのは誰やったん……?
と、いちばんの見せ所で大いに疑問を抱かされるわけですけども、
それでもこの場面はやはりとっても印象的やったんですよねえ。
自殺を考えるジョージ、
それを止めようとするペピー、
拳銃を口にくわえるジョージ、
彼の元へ車を飛ばすペピー、
字幕タイトル「BANG!」
……いいですねえ〜。
「アパートの鍵貸します」のラストみたいでいいですねえ〜。
そう、本作では過去の名作を連想させるところが随所に見られて、
そもそもこのスタイル自体がサイレント映画のパターンの踏襲であって、
それらを丁寧に丁寧に再現して見せるという、
そのことに嬉しくなってしまうんですよねえ、やっぱり。
あの時代のファッションやら、デザインやら。
字幕のアルファベットの字体そのものがなんか嬉しい、
新聞の輪転機がガーッて回ってるところに記事のタイトルがバーンって出てくるような、
そういう定番の演出がなんか嬉しい、
セリフがない分、身振り手振りや表情を駆使する役者の演技がなんか嬉しい、
そして画面サイズがスタンダードなことまでもが嬉しい、
徹底的にサイレント映画にこだわり通してるところがとにかく嬉しい、
そんな嬉しい映画のラストではしかし……と、
実はこの趣向も、アカデミー賞の授賞式で、
主演男優賞のプレゼンテイターのナタリー・ポートマンのスピーチによってネタバレされてたんですよねえ。
これも何とかならんかったんかって、今度ナタリーに会う機会があったら苦言を呈したいところやけど、
でもどうせなら、もうちょっと何か印象的なことを喋ってもよかったんやないの?ってねえ。
別にここでトーキーにする必要ないんちゃうの?って思ってしまいますわ。
それよりも、ジョージの見る悪夢のシーン、
あの音声の趣向のほうがずっと印象的やったですからねえ。
それに比べるとなんとも物足りなかったのは残念ではありますけども、
でも考えてみると、サイレントからトーキーへの移行期のドラマと言うと、
「雨に唄えば」などいろいろあるけど、
それらはすべてトーキー映画なんですよね、当たり前のことながら。
しかし本作はそれをサイレントで描いて見せたという、
そのことがすごいですよねえ。
音声のセリフがなくても大概のことは描けるもんなんでしょうねえ。
そういう意味では単なるノスタルジーではなく、
映画表現の可能性の奥深さ、幅広さに想いを馳せさせてくれる、
そういう極めて芸術的な映画と言えましょうかねえ。
そう、ジョージがトーキー全盛の世にあえてサイレントで発表した大作、
これが興行的に大失敗してしまうわけですけども、
それは時代に乗り遅れたということももちろんあるでしょうけど、
それよりも結末がなんとも悲劇的やったってことも大きいんやないでしょうかねえ。
あのズボズボなラストは、現実のジョージの立場をとても皮肉に表してるわけですけど、
あの時代の、ああいう感じの映画はハッピーエンディングにするのが常識やったようで、
そうでないと一般大衆には受け入れられなかったみたいですからねえ。
まあ現在でもハリウッドではそういう傾向はあるみたいですけども、
ジョージの失敗はいわば娯楽性よりも芸術性を優先させたがためのようなもんで、
そういう意味では彼は正しく「アーティスト」ってことなんでしょうか、
いやまあ、アフリカ探検?的な映画がそうそう芸術的ってこともなかったかもしれなくって、
まあ娯楽を真剣に追及していくことは芸術的やろうし、
才能豊かな芸術には自ずと娯楽性も生じてこようってなもんで、
まあそういう定義づけはそもそも無意味なもんやったってことになりましょうかねえ。
いやしかし定義づけといえばもうひとつ気になることがあって、
本作はフランス映画として初めてアカデミー作品賞を受賞したそうで、
言われてみれば同賞は英語の作品が対象で、
それ以外のフランス語などの映画は外国語映画賞の対象となるわけで、
だからその歴史がほぼトーキーの歴史と重なるアカデミー賞で、
フランス映画が作品賞を受賞できなかったのも当然と言えば当然なわけですけども、
でも本作はサイレントといっても字幕によるセリフはあるわけで、
それらが、ちょこっと触れてきたように英語の表記なんですよね。
そしてラストで聴かれるセリフもやはり英語で……
でも本作はフランス映画なんですよ。
あの程度の英語はフランス人ならわかるやろってなもんで、英語表記なんでしょうか?
それともひょっとして、オリジナルはフランス語表記やけど、
しかし英語版でアカデミー作品賞の対象になったりしたんでしょうか?
とまあ、何かと謎の多いこの作品、
ハッピーエンディングがとってつけたようではあるけれども、
それはそれでよし、
娯楽に徹することが、
往年のサイレント映画を再現して見せることが、
それ自体極めて芸術的であるということがなんとも素晴らしく感じられて、
いい気分を味わわせてくれる作品でございました。
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ポップコーンをばら撒いた

2012-04-19 23:30:33 | Weblog
いやしかし情けないことに、
歳をとってくると映画館に行くのが億劫になってきたりするんですよねえ、
映画が好きやのに。
まだ普通の大人向けの映画ならいいけど、
若いもん向けのヒット作なんか、客席が若いもんやバカップルどもで埋め尽くされるかと思うと、
それだけでゲンナリしてしまったりしてねえ。
いや歳はとりたくないもんやなあとつくづく感じつつ、
それでも重い腰をよっこいしょういちと上げて劇場に行ってみると、
案の定、後ろのほうの席は若いもんだらけ。
しかしいつも思うけど、なんでみんな後ろのほうに座りたがるんでしょうねえ。
大学の授業やないんやから、もっと前のほうの席で大画面の迫力を堪能したらええのにって、
つくづくそう思うけど、でも前のほうの席が好きな僕にとってはそのほうがありがたいわけで、
そばでバカップルどもにペチャクチャペチャクチャ喋られるようなこともなく、ゆったりと鑑賞できるなあって、
そう思いながら551の蓬莱のCMとか眺めてると、近くでアーッ!と叫び声が。
何事かと見ると、階段状の通路のところで若い女性客がポップコーンとドリンクを落としてやがんの。
キャハハー!って笑いながら後戻りして外へ出て行って、床にぶちまけられたのはそのまんま。
放ったらかしにしてまた買いに行ったんかいなこの馬鹿女どもめが、
やっぱり若いもん向けの映画は客層がこれやから……などと思ってると、
実は彼女たちは劇場の人を呼びに行ったようで、
やがてバケツやらを持った係員が掃除を始めまして、
そうか、いくら若いもんやからって自分たちが汚したものをそのまんまに放っておくわけやないんや、
自分で片付けるのがいちばんやけど、この場合は手馴れた係員に任せるほうがいいでしょうかねえ、
いや、早とちりで馬鹿女呼ばわりして申し訳ない。
でもこの係員さんの掃除が、薄暗いなかでのことやからあまり手際よく行かないようで、
しかもインターカムで「ポップコーンのラージ、ドリンクの…」とか何とか通話しながらやってるみたいで、
そんなことを伝えて何になるのかようわからんけど、
そんなこんなで予告編が終わって本編が始まろうかという、
場内が暗闇と静寂に包まれる際になっても、雑巾を絞って水がじょぼじょぼ垂れる音が響いたりして、
そのせいで映画の冒頭、吉高由里子がモノローグで何か喋ってたけど、
気が散ってよく頭に入らず……はい、見てきたのは、
ポップコーンをばら撒いた……
ポップコーンばらまいた……
ぽっこーんばらいた……
ぽっこばらいた……
ぼっくらがいた……
「僕等がいた 前篇」。
掃除を終えて係員が立ち去ると、スクリーンには吉高由里子。
学校の屋上で数学の答案用紙を見つめ、ううううう〜と身悶えしとりまして、
それもそのはず、8点やて。
どんだけアホやねんなと思ってると、どこからか紙飛行機が飛んできて、
チラッと見るとこちらは0点やて。
で、それを飛ばした生田斗真と吉高がくっつくという、
8点と0点の、これぞまさにバカップルのお話かいな……と思ってたら、
生田の答案は広げてみるとなんと、0点やなくって100点やて。
いや、早とちりでバカップル呼ばわりして申し訳ない。
で、やがて生田とバカがイチャイチャしおるという、
ひとことで言うとそういうお話なわけですけども、
いや、それだけじゃなんなんでもうひとこと付け加えると、
女絡みで心に傷を持つ男にコロッと惚れてしまうもんやでって、
そういうお話なわけですわ。
まあそれはいいけど、そんな理由でバカが生田に惹かれるのはわかるけど、
なぜ生田がバカに惚れてしまうのか、それがまったくわからん。
だってバカですよ……って、いや、バカバカ言って悪いけど、
だって8点ですよ。
しかも後の場面では、8点のくせに上智大学に行くとか言って、
赤本まで買ったりしとるんですよ。
いや、生田の場合は印象的な出会いをしてるからまだわかりますよ。
学校の屋上でパンツ見せてもらえたら、そりゃ高校男子なら惚れてしまうでしょうよ。
でもパンツを見られるのは生田だけで、観客は見せてもらえないんですよ。
こっちは金払って映画館に行ってるのに見られなくって、生田はタダで見られるんですよ。
これやから映画館に行くのが億劫に……って、いやそうじゃなくって、
生田が惚れるのはわかるけどもうひとり、
彼の親友の高岡蒼甫も吉高に惚れてしまう、この理由がさっぱりわからん。
他の女子生徒がロクに描かれてなくって、吉高しか出てきてないようなもんやから、
誰も他に居らんから彼女に惚れてしまったって、そんな風にしか見えませんがな。
いやホンマに、吉高の同級生の女子生徒といったら、
吉高に男の情報を伝えるためと、吉高が男とくっついたらキャーって騒ぐためと、
ホンマに画に描いたようなヒロインの取り巻きでしかないから、
そら消去法で吉高に惚れてしまうのも仕方ないか……と、
いや、いやいやいやいやいや、
他にも女子生徒はいるんです!
そう、我らがユイカ様!
ユイカ様が出ておられるからこそ映画館に足を運ぶ価値があるわけでして、
しかし本作でのユイカ様はとぉ〜〜〜っても暗い役柄でして、
ホームルームで、合唱コンクールで何を歌うかを決める場面で、
黒板に候補が5曲書かれてて、そのなかに「believe」があったけど、
でも別のを歌うことになって、
そのせいでずーっと暗いキャラクターになってしまった……などという懐かしい楽屋オチではなくって、
ユイカ様が演じてらっしゃるのは、生田の元カノの妹という役どころで、
まあいろいろと複雑なモノがあるわけですわ、はい。
その複雑さを反映させた暗さなわけですけども、
いやあ、しかし見ててちょっと辛かったですかねえ。
なんかこの、無理して押さえつけ続けてるような、
バーンとはじけさせたくってたまらないような……
やっぱり見てて欲求不満が高じてしまうようなところがあるんですわ。
指折り数えてて、ユイカ様ご出演シーンはたぶん17あったと思うけど、
どのシーンでも暗い、嫌な奴ってな感じで、
でも最後のシーンでは、彼女の心情を思い遣れるような印象的な部分もあったりして、
そしてエンドクレジット後の後篇の予告では、
暗さ、嫌さが単にヒロインの邪魔をするためだけに描かれるのではないような様子で、
まあなんやかんや言うて後篇に期待を持たせる作りにはなっていて、
いったいどういう展開を見せてくれるのか、
8点でも上智に行けるのかどうか、
何かと気になりつつ、
席を立って帰ろうとするとまだ通路のところにポップコーンが散らばったままで、
掃除し切れないんやったら本編の上映が始まる前に立ち去ってくれたらええのに、
それぐらい気を利かせてくれへんと「ぼんくらがいた」とか言いたくなってしまうがな。
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2012-04-09 20:29:19 | Weblog
おおい原発よ
粛々と
馬鹿に再稼働を急ぐじゃないか
どこまでが周辺自治体なんだ
ずっと大阪の方まで含むんか
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不甲斐ない「FLY!」

2012-03-23 00:55:55 | Weblog
というわけで「FLY!〜平凡なキセキ〜」を見てきました。
と言ってもこれはものすごく小規模な公開となった映画で、
タイトルも聞いたことないという方も多いでしょうけど、
ストーリーを簡単に紹介しますと、
下町の工場に勤める平凡な男がある日、宇宙人と知り合いまして、
宇宙船のエンジンを修理してやって帰してやれるようになると、
その頃には友情が育まれていて、涙ナミダのお別れ……って、
そう、まんま「E.T.」なんですね。
「E.T.」の真似と言う他ない映画です。
もちろん似た設定の映画と言えば、
例えばジョン・カーペンターの「スターマン」とかいくつかあるけど、
しかしちゃんとした監督がちゃんとした俳優を起用して撮るのならまだしも、
本作は全然ちゃんとしてないんですよ。
主演は吉本新喜劇の小籔千豊で、確かに見るからにパッとしない平凡な男やけど、
そのルックス以外に見所はなし。
宇宙人が言葉が喋れないという設定なので、彼との交流の場面は延々と小籔がひとりで喋り続けますが、
これが間の悪いコント並みで、聞くに堪えないんですわ。
そして監督は近藤真広という人。
なんでも大阪の朝日放送のディレクターさんだそうで、
そもそも本作は吉本興業と朝日放送の共同製作で、
去年の第3回沖縄国際映画祭に出品されたそうで、
つまり出品作の数をそろえるために吉本と各放送局が作った映画の1本、
もともとちゃんとした映画を撮ろうなんてつもりはなかったのかも知れませんけど、
しかし脚本はヨーロッパ企画の人が手掛けてるんですよね。
ヨーロッパ企画と言えば、僕は演劇の公演は見たことないけど、
映画化された「サマータイムマシン・ブルース」や「曲がれ!スプーン」は見ていて、
決して僕の好みというわけではないけど、それなりにユニークなお話やなあとは思ってました。
それが本作のオリジナリティのなさといったら、
映画祭に間に合わせるために急ごしらえでもしたんでしょうかねえ。
監督の近藤真広は「探偵!ナイトスクープ」の演出も担当してるそうで、
同番組で少し前に、小学生が監督する「スター・ウォーズ」というネタがあって、
確か6年生ぐらいのガキがホームビデオでSWの真似事の映画を撮ってて、
それを見栄えする立派なものにしたいとかいう依頼で、
それで本職の人にCG効果を加えてもらって、
爆発したりやらなんやらを派手にしてもらって、依頼者のガキは喜んどったけど、
でもそんなもん、手を加えれば加えるほど素朴な味わいが薄れていくもんですよね。
例えばフォースの力で物が動くところを、キャスター付きの椅子を走らせたりして表現しとったりしたけど、
そういう創意工夫の跡こそが微笑ましかったのに、
それをCG処理で、しかも自分の手でやるのならまだしも他人任せにして、
それで少々見栄えがよくなったからって喜んでる、
あのガキ将来ロクな大人になりおらんなあって呆れて見てたけど、
ちょうど本作もあのナイトスクープと同じようなもんですわ。
技術的な面でハリウッド超大作なんかと張り合えるわけもないところで、
個性を出せるのは独創的なストーリー、これしかないでしょうが。
ところが肝心のその部分まで借り物って、そんな映画撮って何が面白いんでしょうか?
温水洋一が顔を緑色に塗りたくって、銀色のボディスーツ着て、
それで宇宙人でございって、今時そんなので笑いが取れるとでも本気で考えてるんでしょうか?
……とまあ、褒めるところのない凡作なんですけど、
それでも「E.T.」と唯一異なる、オリジナリティを発揮してるところと言えば、
主人公の恋愛話でしょうか。
もちろん「E.T.」にも、テレビでジョン・ウェインの映画見てたおかげで、
エリオット少年が学校で女の子にキスするという名場面があったけど、
本作は主人公が同僚に抱く恋心がずーっとストーリーの底に流れてて、
まあそれ自体はなんてことないっちゃあなんてことないモノではあるけど、
そこへ突然、冴えない主人公に好感を抱いてそうな美女が現れて……と、
ここで俄然、面白くなってくるんですよねえ。
それまでくすんでたスクリーンが急にぱあっと輝きを放つかのような、
思わず身を乗り出して画面に食い入らずにはいられなくなるこの魅力、
それもそのはず、なんせこの美女を演じてるのが我らがユイカ様なんやから……って、
いやいや、まあねえ。
でもホンマによかったですよ〜。
なんでダメ男の主人公に接近してくるんやろ?って不思議に思わずにいられないけど、
気を抜くとちょこっと訛りが出たりして、
東北弁?また山形か?と思ったら福島出身とのことで、
なるほど、原発事故のせいで苦しんでる人たちのことを想ってそういう設定にしたんやろなあ、
なんて優しいそのお心……と思ったけど、
しかし先にも書いたように、本作は昨年3月の映画祭で既に上映済みなんで、
これは単なる偶然ではありますけども、
しかし先にも書いたように、本作の監督さんはナイトスクープのスタッフで、
それで劇中、楽屋オチとして同番組の場面が出てきて、西田敏行も探偵局長として出演してて、
彼も福島出身で、しかもユイカ様とはかつて父娘役で共演したこともあるし……って、
いや、これも単なる偶然にすぎないわけですけども、
しかし映画館のスクリーンに映し出されるキダ・タローの顔のアップは迫力あったなあ、
思わず目を凝らして……って、いや、それはさておき、
えー、それで主人公は同僚とユイカ様との間で揺れ動くという、
まあありがちな展開ではあるけど、かろうじて「E.T.」との差異は出してるわけですね。
ところがこのユイカ様が演じておられるのは実はなんと驚くべきことに、
「E.T.」におけるピーター・コヨーテの役割なんですね。
そう言えば彼は前半ではずーっと、下半身とかばっかり映ってて顔を見せなかったけど、
本作におけるユイカ様が初登場の場面では後ろ姿しか見せなかったのは、
本家本元の演出を意識してのことなんだかどうなんだか、
そんなわけで、やがて正体を現すユイカ様によって連行される温水エイリアン、
「アメリカの研究機関に送る」って言ってましたっけ、
それぐらい自国の機関でする設定にしたらええのに、どこまでアメリカ頼りの映画やねんなって、
そんなことを考えてると、主人公たちが宇宙人を奪還するため、自転車ならぬバイクで走り回り、
やがて温水エイリアンを乗せて旅立つ宇宙船、
それを見てユイカ様、
「あの反重力エンジンを研究すれば日本のエネルギー問題は解決するのに…」って、
ふむふむ、
宇宙人の生体はアメリカで研究するけど、宇宙船の構造は日本で研究するんですかいな、
原発事故以前からエネルギー問題に関心を寄せてらっしゃったとはさすがユイカ様。
しかも、宇宙船を間近で観察したわけでもないのに、
あれが反重力エンジンで動いてるって見抜くとはなんと恐るべき慧眼……って、
まあそれはとにかく、ストーリー上は敵役となる「特殊公安」だかなんだかのキャラクターを、
見事に演じてらっしゃったユイカ様。
それだけで見る価値はある……と言い切るにはかなりの勇気を要するけど、
しかし打ち明けると、ユイカ様の役割は予告編を見た時点でバレバレやったんですよね〜。
これがもし何の予備知識もなければ、主人公ともどもまんまと騙されてたかも……って、
でも大杉漣については知らなかったけど、ボールの話に食いついた時点でバレバレやったですからねえ。
まあ所詮はその程度の、テレビ屋さんが片手間に撮った映画ってところですわ。
でもね、でもね、
朝日放送製作だけあって、舞台は大阪なんですよね。
だからユイカ様が天保山界隈とか、関空や淀川の辺りでロケされてるんですよね。
これってやっぱり……
そう、これまでは群馬やら山形やら、
ユイカ様がロケしてはったところを後から僕が訪ねてたりしてたけど、
今回は僕の身近なところにわざわざユイカ様が来てくださってロケされてたんですよね。
これってやっぱり……
それだけ関係が近くなってきてるってことなんでしょうかねえ、やっぱり……って、
そんなことを考えてニヤニヤしながら映画館を出てウロウロしてると、
南海電鉄のフリーペーパーの表紙をユイカ様が飾ってらっしゃるのを発見。
これもまたユイカ様が僕に近づいてきてくれてるってことなんでしょうかねえ、やっぱり……
いやあ、南海もいいことしてくれますねえ〜。
でも南海の社長やったか会長やったかが、原発の再稼働に賛成してたから、
僕のなかでは悪徳企業のレッテル貼られてるんですけどもね。
ユイカ様を起用するならもっとエネルギー問題を真剣に考えて、
反重力エネルギーで電車動かせや。

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戦火が続くの、なんとかせんか

2012-03-15 01:03:45 | Weblog
というわけで「戦火の馬」を見てきました。
舞台はイギリスのとある村。
物語は子馬が産まれる場面から幕を開けます。
生まれたばかりの子馬はやがて立ち上がり、お母さん馬と愛情を育む、
この描写がまず素晴らしいんですよね、冒頭から。
ほとんどセリフなしで馬の母子の姿が愛おしく綴られていく、
なんともウマい演出です。
しかし、この母子にやがて別れのときが。
競りにかけられた子馬は、なんや見るからに胡散臭い呑んだくれの親父に落札されます。
実は農耕馬を手に入れようとしていたこの親父、
しかしこの子馬の身体つきのよさに惚れたのと、
やはりこの子馬を落札したがってる地主への意地もあって、
競り合った結果、なんとか落札できたのでした。
ところが子馬を連れて帰宅すると案の定、奥さんは怖い顔。
こんなサラブレッド役に立たないでしょ、引き取ってもらいなさい……と奥さん。
しかし彼ら夫婦の息子もまたこの子馬に惚れこみ、
結局この青年に育てられることになる子馬……って、
実は冒頭の、子馬の出産シーンで、
その様子を眺めながらリンゴを齧ってた少年がいてて、
彼が主人公なんやろなって思ってたら、このガキの出番はあの場面だけで、
本当の主人公はこの青年・アルバートなのでした。
アルバートによってこの子馬はジョーイと名付けられ、
名付けられたついでに手なずけられ、
ある日、地主の息子が、当時は珍しかった車に女の子を乗せて悦に入ってると、
その横をジョーイを駆って軽やかに走り抜けるアルバート。
女の子はぼんくら息子よりもアルバートのほうに興味を抱き、
やがてジョーイのおかげでキジョーイを体験するアルバート……って、
スイマセン、これはウソです。
そんな艶っぽい場面とは無縁のこの映画、
待ち受けてるのは試練の連続です。
まずは地主から追い立てを迫られるアルバートの家族。
お金を返すあてと言えば、荒れた土地をジョーイで耕してカブを育てること。
しかしもともと農耕馬には向かないサラブレッド、
そもそも鋤を引かせるところからしてひと苦労。
それでもアルバートがなんとか農耕用の馬具を装着し、
やがて見事に耕されていく土地。
土がおこされる映像があれほど感動できるとは、なんてウマい演出なんでしょうか。
ジョーイが耕運機の役割を果たしたおかげで、
この家族にも幸運期が訪れたか……と思ったのも束の間。
カブは見事に実ったものの、大雨のせいですべておじゃん。
やがて第一次世界大戦が勃発、
アルバートの父親は、わずかなお金のためにジョーイを軍用馬として売り渡してしまいます。
別れを惜しむアルバートの姿に、大いに同情する徴用係の兵士、
ジョーイを大事にする、そして君の元に返すよと約束するのですが……
ところ変わってフランス戦線。
その徴用係の兵士の愛馬となったジョーイはついに出陣。
早朝、麦畑のなかを駆けていくイギリス軍の騎馬隊、
向かうはドイツ軍の野営地。
まだ髭を剃ったり朝食の支度したりしてるところを急襲されて慌てふためくドイツ兵たち。
寝込みを襲うようなもんで、イギリス軍も結構えげつないことやりますなあ。
やがて森に逃げ込むドイツ兵、そこには機関砲の群れがあり……と、
ここでわからないのがですねえ、
ドイツ兵はその大量の機関砲で、馬で迫ってくるイギリス兵を撃つわけですが、
撃たれずに森に達したイギリス兵は、みんな機関砲の横を素通りしていくんですよ。
あれはなんでなんでしょう?
みんな銃剣を持ってるんやから、通り過ぎざまにそれで、
機関砲を撃つドイツ兵を切りつけるとかしたらええのに……って、
まあ僕は軍事面には素人のシビリアンコントロールなのでよくわからんのですけど、
そんなわけで、やがて画面にアップで映し出される徴用係の兵士、
次には機関砲の銃口のアップ。
そして……主を乗せずに駆けていくジョーイの姿が。
残虐な場面を見せないという配慮の効いた、スピルバーグのウマい演出。
ところが、やがて草原に累々と横たわる軍馬の死体の群れが……
ああ、なんと惨たらしい軍馬大虐殺……おっと、
「大虐殺」なんて表現を用いるとどこぞから苦情が来るかもしれないんで、
なんと惨たらしい、いわゆる軍馬事件。
さて、ドイツ兵の手に渡ったジョーイは、負傷兵を乗せた馬車を引くことに。
ところがまだ若いドイツ兵の兄弟がジョーイと、もう一頭の黒馬の軍馬とを駆って脱走。
人里離れた風車小屋に隠れているところを、しかしドイツ軍に見つかり、
哀れ銃殺刑に。
しかし銃殺されるその瞬間は回る風車の羽根で隠れるという、
残虐な場面を見せないという配慮の効いた、スピルバーグのウマい演出。
そんないわゆる銃殺事件の後、風車小屋に残されたジョーイと黒馬。
そんな彼らを見つけたのはフランス人の少女……と、
さっき、本当の主人公はアルバートって書きましたけど、
実は真の主人公はジョーイその人、じゃなくてその馬なんですよね。
馬の目を通して描かれていく、様々な人々の姿。
さて、このフランス人の少女・エミリーは2頭の馬にクロードとフランソワと名前をつけます。
黒馬のほうがクロードというのは別に日本の観客に向けたダジャレではないでしょうけど、
そんなわけでフランソワと改名した主人公はエミリーに跳躍の調教を受けますが、
何度やってもまったく跳ぼうという素振りを見せないフランソワ。
ここで跳躍をマスターしておけば後に有刺鉄線まみれにならずにすんだろうに……って、
おっと、それはまだまだ先の話で、
そうやって馬と少女の交流が丁寧に描かれていき、
思わず由紀さおりの歌が聴こえてくるんやないかと思い始めたころ、
エミリーの家にやってくるドイツ兵たち。
彼女は、ジャム作りを生業とする祖父と2人暮らしなんですが、
そのつましい家を襲って、食料やらなんやらを根こそぎ奪っていくという、
なんと惨たらしい、いわゆるジャム盗み事件。
それでもクロードとフランソワは隠しおおせて、その場は難を逃れるのですが、
後に見つかってしまい、苦労ドも水の泡。
馬たちを奪われて哀しむエミリーは涙だけでなく鼻水まで流し、
しかしその鼻水が上唇を越えて、開いた口のなかに達しようかというところで画面は暗転するという、
しょっぱい場面を見せないという配慮の効いた、スピルバーグのウマい演出。
そんないわゆる鼻水事件の後、今度はドイツ軍の大砲を引かされることになるんですが、
これがまた巨大な大砲で、確か8頭かそこらでうんしょ、うんしょと引っ張ってて、
そのうちの1頭がダウンして動けなくなると情け容赦なく銃殺され……しかし、
この辺になってくると戦況も厳しくなってるからか、
さほどの配慮もなくバッタリ倒れる軍馬。
で、クロードとフランソワは……って、今度はなんて呼んだらいいんでしょうか、
この後ドイツ兵によってまた別の名前をつけられるフランソワですけど、
その名前は1回しか出てこなかったので、残念ながら覚えてませんわ。
ついでに言うと黒馬も、ちゃんとした名前があったんですけど、
なんや長い名前やったんで覚えられませんでした。
えー、まあジョーイと黒馬に戻しときましょうか。
あ、どうでもいいけど軍馬の世話をする係の兵士が、
イギリス兵もドイツ兵もみんな背が低くてぽっちゃり体型やったのは何か意味があるんでしょうか、
それはわからんけど、とにかくジョーイと黒馬、
この2頭は交代要員として、大砲の後ろをついていってたんですが、
1頭が銃殺されたため、まずは黒馬が呼ばれたんですけど、
これがだいぶ弱ってしまってて、とても重労働に耐えられそうにない状態。
するとそこへ颯爽と駆けてくるジョーイ、
黒馬の身代わりを買って出るんですね。
で、黒馬はまた後方に戻されるわけですが、
そのとき、背後を振り返って見遣るジョーイの目。
普通、馬の目って黒目がちの印象が強いですよねえ。
ところがこの場面、ぐいっと後ろを向くんで、
黒目が端のほうに寄って、白目が大きく見えるんですよね。
滅多に見ることのないだろう馬の白目、
しかもその端のほうは充血してたりして、
あのジョーイの目……まさかCGで描いたりしてないでしょうねえ?
いやとにかく理屈を越えて強烈に印象に残るあのジョーイの目、
スピルバーグのウマい演出……というより馬のウマい演技。
いや、その演技を引き出したやはりウマい演出なのか、
とにかく彼が引いて高台に上げられた大砲は砲撃を開始、
その砲弾が狙う先には兵役年齢に達したアルバートが……と、
いや、この後、兵士アルバートが塹壕にいるシーンが出てくるけど、
そこで「1918年」と字幕が出るんですよね。
だからこれは、ジョーイが大砲を引っ張ってから4年後の場面ということなのか、
それともジョーイが大砲を引っ張るまでに4年が経過していたのか、
その辺は僕が見落としてしまったせいか、よくわからんのですけど、
まあとにかくそんな風に展開していくこのお話、
先にも書いたように主人公は馬なんですよね。
で、戦争物というと、
犠牲になるのは庶民だ、市井の人々が酷い目に遭うんだ、みたいなのがよくあるけど、
これはまさにその馬版、
何の罪もない馬が、人間の争いとは何の関係もない馬が、
なんでこんな目に遭うんだ……と思わされて、
そんな目に遭わせる人間の愚かさに心を痛めさせられると同時に、
しかし人間の優しい面もまた描かれているんですよね。
ジョーイに温かく接する人々の姿のなんと美しいことか。
それは国籍に関係なく、敵味方といった区別なく、その双方が渾然一体となって描かれてるから、
余計複雑に感じられると言うか……
こんなに馬に愛情を持って接しられる人たちがどうして殺し合いをしてしまうんだろう……
そして、その思いは普遍的に広がっていくんですよね、
こんなに愛国心、愛国心って叫んでる人がどうして他国の愛国心に対しては偏狭なんだろう……
こんなに絆、絆って叫んでる人がどうしていわれのない差別をするんだろう……
こんなに素晴らしい映画を撮れる監督がどうしてタンタンみたいなヘボ映画を撮ってしまうんだろう……って、
いや、最後のはさておき、
しかしそういうトーンはこの映画の最初からずっと貫かれてるんですよね。
最初のほうのアルバートと母親の会話の場面で、
呑んだくれの父親が、実はかつては歴戦の勇士で、
勲章もいっぱいもらってたと、
しかし戦争とは言え、人を殺したことを恥じた父親はそんな過去を捨て去ってると、
そんな父親のことを評して母親の言うセリフ、
「誇りを持たないことも勇気の要ることよ」
……なるほど、確かに現在の大阪で国旗や国歌に誇りを持たないことはとても勇気の要ることになってしまってるけど、
いやそんな矮小な話じゃなくって、
誇りを表に出さないことは一見、美徳のように思えたりするけど、
でも人間、表に出さなくっても腹の中では誇りに思いまくりなもんですよねえ、どうしても。
そんな人間どもに比べてジョーイをはじめとする馬たちのなんと気高いことか。
戦場で英雄的行為も見せるアルバート、
しかし彼にとっての何よりの誇りはジョーイと心を通い合わせられたこと、
そんな姿に皆が心を打たれるのなら、安物の勇気など必要ない社会が築けるだろうに……などなど、
まあいろいろと楽しめて考えさせられるとてもいい映画でした……って、
しかしなんか、スピルバーグの術中にウマウマとはまってしまったような気もしないでもないんですけども。
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