モヴィエ日記

映画の感想とか、いろいろです。

セックスの最中に、愛をさけぶ

2006-02-28 00:12:39 | Weblog
……などと近所迷惑なことはやめましょう。
というわけで「世界の中心で、愛をさけぶ」DVD-BOXを買ってしまいましたよ。
再放送されなかった特別編を見るためなんですけどね、
早速見てみたところ……
な~んや、ほとんどドラマ本編のダイジェストですやん。
まあいくつか新たに付け加えられた場面もあるんですけど、
それはほとんど松下由樹の出てるもので、
そもそもこれは彼女がナレーションを担当してて……と、
松下由樹のファンにとっては嬉しい特別編やったことでしょうねえ。
彼女のファンが今、我が国にどれほどいるのかは知りませんけども。
いやしかし、これは本編の最終回の、
その翌週に放送されたものだそうですけど、
あれでちゃんと完結してるドラマに、
その直後にこんなのを付け加えるってのはねえ。
まあヒットしたから……ってところなんでしょうけども。
でも改めて思うのは、
難病物とか闘病物とか、映画ではいろいろと見てるんですけど、
やっぱり2時間ぐらいの作品だと、辛い場面が目立ってしまうんですよねえ、
どうしても。
でも本作のようにTVシリーズで、たっぷりと時間があって、
平穏だった、何の疑いもなく幸せを感じてた日々までじっくりと描く、
そのことの効果ってのを痛感させられましたねえ。
うん、なかなかいい作品でした。
ただ、わざわざDVDを買うほどかと言うと……
優ちゃんの出番もやはり少なかったし……まあそれはおいといて、と。

そうそう、それでこれの特典ディスクには他にもいろいろ入ってて、
NG集なんかもあったんですけど、そのなかで面白かったのが……
堤防のところで亜紀が朔太郎にウォークマンを投げる場面。
万が一、山田孝之がキャッチし損ねた場合に備えて、
フレームの外では大勢のスタッフが大きなシートを広げて待ち受けてたんですけど、
綾瀬はるかが予想を上回る大暴投で、
スタッフたちの頭上も遥かに越えて、海にポチャン。
寄ってたかって探すスタッフ、
頭を抱える綾瀬はるか……
と、まあ笑える光景やったんですけど、
あれ、ウォークマンは大丈夫やったんでしょうかねえ?
予備のがあったんでしょうか?
だいぶ古い型やと思うんですけど。
しかしウォークマンと言えば……と、
えー、このあと僕のポータブルオーディオ遍歴なんぞ書こうかと思いましたけど、
長くなるのでやめときます。


では、これまでの「Ns’あおい」についても。
第6話では八嶋智人の研修医の、
第7話では長期入院の患者たちの、
それぞれ意外な面が垣間見えて、なかなかいいエピソードでしたねえ。
いいんですけど、ただねえ、
冬ちゃんが八嶋智人を励ます場面とか、
看護士たちが院長に、杉田かおるに残って欲しいと訴える場面とか、
なんか、わりと平凡な作りになってきたかなあって、
そう感じられてしまいますかねえ。
やっぱり冬ちゃんの過去の件が一段落してしまうと、
何か全体を貫くピリッとしたものが欠けてしまったような気が……
あと、杉田かおるが全部摘出するか、部分摘出するか……の辺りは、
これは同じ経験のある人も多いことやと思うし、
もう少しじっくりと描いてくれたほうがよかったかなあ、って。
それでも各キャラクターの魅力は健在やし、
エピソードも、多少の不満はあってもやはり面白いし、
まあ最終回まで楽しめそうなドラマではあります。


で、それでね、
実は先日、新しいMDウォークマンを買いまして。
それもただのMDではない、
Hi-MDというやつなんですよ……って、
まあ長くなるんでやめときますけど。
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僕の大阪ライフ

2006-02-26 00:39:16 | Weblog
……には誰も興味がないでしょうから、
ウディ・アレンの「僕のニューヨークライフ」について。
まずスクリーン・サイズがスコープなのが、おっ、と思いましたねえ。
いや、彼の作品でスコープはこれが初めてではないとは思うけど、
やっぱり超横長のスコープ画面を選ぶからには、
いつもとはまた違った面白さが味わえるのではないかなあって、
期待して見てみたところ……
冒頭からいつものように滔滔とまくし立てるアレン、
神経質そうなその喋りは……いつもと同じやん!
ところが彼の尽きることのない喋りを聞くのは、若手のジェイソン・ビッグス。
最近のアレンは、かつてなら自分が演じただろうキャラクターを、
やはり年齢を考慮してか若手の俳優に譲るパターンが多いけど、
ここではそのビッグスが物語の主役、語り手となりまして、
そして大きなウェイトを占めるのは彼の恋愛話。
彼をとりこにするのがクリスティーナ・リッチ、
この彼女が実にいいんですよねえ。
ポチャッとした身体がそそられるし、
気ままな行動、悪戯っぽい表情、
どこをとってもチャーミングでねえ。
初めてのキスの場面なんかこっちまでドキドキさせられましたよ。
ホンマ、彼女はいいオンナになりましたねえ。
以前、ちょうど「アダムス・ファミリー」が公開されたころ、
僕の知り合いに、あの作品での彼女にソックリな子がいて、
アダムス、アダムスとか呼んでからかったりしてたけど、
そう言えばあの子も男ができると、なんやえらい可愛くなったりしたっけなあ。
今は音信不通やけど、ええオンナになってるんやろか……
あ、僕の大阪ライフはおいといて、
そんなクリスティーナ・リッチにあれこれ振り回される主人公、
これがとにかく面白いんですよねえ。
彼の気持ちもよくわかるし。
こういうお話が書けるなんて、アレンもまだまだお若いですなあ。
そのアレンは時おり現れては主人公にいらんことしたり、
なんやかんやと吹き込んだりして、ドタバタをもたらしてくれるけど、
こういうちょっと迷惑な、でも憎めないキャラクターを、
脇役としてちょこまかと演じてくれて楽しめます。
ピアノを移動させようとする場面とか笑えたけど……
あ、スコープの効果は、ここでの画面分割ぐらいしかなかったかなあ?
まあそれはいいけど、
しかしアレンのもたらす迷惑の最たるものがライフルってのがねえ!
彼にそそのかされてライフルを持つことになった主人公が、
そのせいで周囲から疎外されるってのは、
やっぱリベラル派のアレンとしては、あっちのほうへの皮肉として描いてるんやろうけど、
しかし劇中でライフルの必要性を説く彼の背景にあるのが、
ユダヤ人としての出自という辺りがねえ、
なんか考えさせられてしまいますねえ。
いや、本作のアメリカ公開は2003年ですから、
と言うことはひょっとしたら、あの事件が何か影響をもたらしてるんでしょうか……
まあそんな深読みは別にして、
ニューヨークを舞台にした若者の恋の顛末、そして旅立ち。
周りには賑やかなキャラクターがいっぱいで、
アレンならではの魅力がたっぷりの「僕のニューヨークライフ」、
原題は「ANYTHING ELSE」と申しますが、
アレン作品にはもう、何か他のものなんか要らんがな、
いつまでもいつまでもこういう作品を撮り続けてくれって、
そう思えてしまう嬉しい作品でした。
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有頂天で顔も火照る

2006-02-22 23:12:10 | Weblog
……ぐらいに面白けりゃよかったんですけどねえ、
「THE 有頂天ホテル」。
三谷幸喜作品はわりと見てるほうやと思いますけど、
なんか、見終わったあとに不満が残ることが多いんですよねえ。
例を挙げると3年ほど前、テレビで「HR」を放送していたとき、
学園祭の出し物の演劇公演に向けてのドタバタ劇と言うエピソードがあったけど、
その同じころ、NHKのテレビ放送60年記念ドラマでしたか、
あれのなかで三谷が担当したエピソードでも、
会社でお芝居をする、それに向けてのドタバタ劇が描かれてたり……
他に題材はないんかいな?
だいたい演劇の裏話なんて我々一般人には関係ないねん、
なんて思ってしまったり。
それで言うと本作でも、新年に向けてのホテルのイベントがあるとのことで、
またそんなものがメインになるんかなあ……と危惧してたけど、
幸いバックステージ物の要素は薄かったので、その点ではひと安心でしょうか。
いや、むしろ薄すぎると言うべきでしょうか、
パーティの準備は慌しいけど、時間が迫るという緊迫感があまりにも乏しすぎで、
いやそもそも、大晦日らしさがまったく画面から伝わってこないのもどうかなあ、って。
それに、その他の要素……誤解や行き違いから来るドタバタ劇と言う、
これも三谷作品お馴染みのパターンですけど、
そっちの印象もなんか薄いと言うか、
いろいろエピソードは詰め込まれてるけど、
ちょっと拡げすぎて散漫になってしまってますねえ。
そのせいか、演劇でなら効果的に響くだろうセリフもいくつかあるけど、
場面が転々とする映画だと、なんか唐突に感じられたりもして。
いや、本作最大の問題点はそのセリフにあるかもしれません。
カッコよく悪事を暴露するよりも、カッコ悪くても議員を続けたほうが……って、
あれだけマスコミが騒いでて、彼自身も金を受け取ったらしいのに、
もうそんなこと言ってる段階やないと思うんですけど。
あと、開くと言った会見を中止するとホテルの信用にかかわるってのも、
そんなもん、マスコミは議員のほうを叩くやろうし、
それよりも、あんな名門ホテルが悪事を働いた(とされる)議員を匿っていたという、
そっちのほうの体面を気にするべきでしょうが……
と、そんなことを考えながら見てるもんやから、
議員が会見を打ち切ったあと演歌歌手に出てこられても、
そんなことでマスコミが撒けるやなんて、
良識があればそんなこと誰一人思わないでしょうが、
なんてつまらない展開なんでしょう、とウンザリさせられたり……
この、あまりの常識のなさ。
こうなるともう作品に対してではなく、三谷幸喜の人間性に対する文句になってしまうけど、
彼の作品についつい不満を抱いてしまう、見る目が厳しくなってしまうのも、
ひょっとしたらその辺に原因があるのかも知れませんねえ。
エッセイなんかを読んでると、彼は往年のハリウッド映画にとても愛着があるらしく、
本作でも「グランド・ホテル」への言及があるけど、
なんか、そういった作品を目指そうという姿勢は窺えるけど、
出来上がった作品は……ねえ、という。
やっぱ、グランド・ホテル形式の作品を作るなら、
恋愛ドラマの要素もキチンと盛り込んでもらわないと、ねえ。
三谷にはその辺は不得手なのかも知れんけど、
あんな従業員同士のちょこちょこっとしたカップルでお茶を濁してもらっては……
しかしそこんところは、原田美枝子がカバーしてくれてますねえ。
かつての夫への複雑な想いを抱えて、
しかし冷静さを失わず、温かさを保ち続ける大人の女性。
なんて素敵なんでしょうねえ。
他のキャラクターがどいつもこいつも子供じみてるもんやから、
彼女の魅力だけが際立って光ってますわ。
まあ、なんやかんや言うてもそれなりに楽しめる三谷作品ではあるので、
今後はもっとキャラクターの肉付けに力を注いでもらいたいもんです。

……などとエラソーなこと書きましたけど、
以下は雑談。
「てるてる家族」の米原さんこと近藤芳正ですけど、
彼と松たか子の対話の場面、あれ、なんかねえ。
松たか子は、顔の骨格がほんこんに似てるって、
これは彼女自身も認めてるらしいけど(まあ本心はどうなのか知らんけど)、
米原さんもどっちかと言うと、タコハラさんことほんこんの顔立ちに近いものがあるような……
だからこの2人の場面、なんかねえ、笑えてきて笑えてきて……
あ、ひょっとして、
2人の顔の相似に気付かせないように、それで米原さんにわざとあんな耳を……?
それはどうか知らんけど、
しかし「てるてる」の話題で言うと、
本作上映前の予告編で流れた「県庁の星」。
春ちゃんが出てるってのは知ってたけど、なんとキスケも出てますやん!
しかも予告編では春ちゃんより大きく映ってた!
キスケ~!
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お題バトンをちょおだいしました

2006-02-21 22:59:56 | 「ファイト」倶楽部
mymt804さんからいただきましたよ。
お題は「ファイト」とのことで。


Q1.本棚やPCに入っている『ファイト』は?

本棚にはノベライズ本が3冊あるだけですねえ。
これは実はまだ読んでおりません。
好きなおかずは最後までとっておく性質なもんで。
あと「ステラ」などで紹介記事が載ってるやつが、
衣類整理用のボックスにどっさりと入ってますわ。
PCには、NHKの公式サイトやらYahooの特設サイトやら、
スポーツ新聞のサイトで取り上げられた記事やらが保存してありますわ。
でもいちばん大事なのはやっぱりサントラCD、
そして全162回を録画したDVDでしょうか。

Q2.今、妄想している『ファイト』は?

妄想はしたことないですけどねえ。
前に一度、夢に出てきたことはありますわ。
あれは去年の7月ごろ、
まだ優ちゃんが仲居の仕事をしてたころに見た夢なんですけどね。
どんなのかと言うと……
高校に復学することにした優。
しかし出席日数も足りないので、
特例としてテストを受け、それに合格すれば2年になれることに。
教室でひとり答案用紙に向かう優、
それを監督するのはなぜか森本レオ。
手持ち無沙汰に教室内をぶらぶらするレオ先生、
ふと優の答案を覗き込むと、
「君ぃ、ぜんぜん解けてないじゃないか。そんなことじゃ復学できないよぉ」
すると落ち着いた様子で、
「大丈夫。あたし、片岡先生と新庄監督の秘密握ってるんだ♪」
そう言って優ちゃん、ニヤリ……
まったく、ヘンな夢見たもんですなあ。
ブヒッ、ブヒッ!

Q3.最初に出会った『ファイト』は?

これは2005年3月28日の第1回ですね。
でも最初に知ったのはと言うと、
その前年の9月の製作発表でしょうか。
ちょうど「スウィングガールズ」公開直後で、
へえ、あの子がヒロインかあ、とか思いましたっけ。
でも、だからってとくに大きな期待を抱いてたわけではなく、
競馬が絡まなければひょっとしたら見てなかったかもしれない……
そう考えると、第1回をキチンと見ておいたのがとてもすごいことに思えてきますわ。

Q4.特別な思い入れのある『ファイト』は?

これはしかし「ファイト」自体に特別な思い入れがあるわけですけど、
その中でも強い思い入れと言うと……
とにかく名場面、心に残る素晴らしい場面の多い「ファイト」でしたけど、
いま振り返ってとても印象的なのは第9週「はたらく」でしょうか。
学校に行けなくなって四万にきた優、
まるで抜け殻のようになって無為の日々を過ごしてた彼女が、
しかし間もなく身体を動かし、働くことの喜びに目覚め……
あの食パンを頬張る姿のなんと素敵なこと!
さらには旅館の掃除を手伝ったりするだけではいられず、
仲居の仕事を探そうと、コートを着こんでパンフレット片手に歩き回る、
断られても断られても旅館を訪ね回る、
疲れたら湧き水を飲んで、また立ち上がって歩き出す……
友達が信じられなくなり、学校にも居場所を失った少女が、
目の前になんの希望も見失った状態で、
いわば逃げ出すようにして移り住んだ優が、
この先どうしたらいいのか、いったいどうなるのか、
何もわからないところから、将来に向けての大きなステップを踏み出す、
そんな過程を1週間かけてじっくりと描きこんだ、この第9週。
なんて丁寧に作りこんだ上質のドラマなんでしょう。
もっと言えば、第8週「しんじる」のラスト、
啓太さんの運転で四万へと向かう優の、
悲しみも浮かんでるようでしかし、きっとした表情で幕を閉じた、
その直後の次週予告で、先に書いたような光景がダイジェストで映し出される……
そのバックにはもちろん、あの壮大なテーマ曲……
あの感動はいったいどう言い表したらいいものやら……
そして第18週「かえろう」。
四万を離れることにした木戸家の4人が高崎に戻ってくるまでの、
この週もまたじっくりじっくりと描かれて、
いま思い返してもとても感慨深いものがあり……
とくに、バネを巻く練習をする啓太さん、
それを見守る優や檀君、
そしてある早朝、遂に、完璧に巻けたバネが……
あの回はもう、本当にたまりませんでしたねえ。
なんてすごいんでしょう。
もうすごいと言うほかない、とてもすごい、本当にすごい……
そう、この「ファイト」にとって四万でのエピソードがどれだけ大きな意義をもっていたことか、
その最初と最後のところの充実振りがそれを表してると言ってもいいでしょう。
……ああ、思わず長くなってしまいまして、
って言うか、こういうことを今書いてしまうと、
今度の総集編を見たときに書くことがなくなってしまいそうで、この辺にしておきます。
とにかく「ファイト」はすごいドラマだった、ということで。
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村八ブログ

2006-02-20 23:31:11 | Weblog
先日、衝撃的な映画を見ました。
タイトルからして衝撃的な、その名も「村八分」。
今回がTV初放映だそうですが、やはりいろいろネックになってたんでしょうかねえ。
お話はと言うと、舞台は戦後間もない静岡の田舎の村。
そこで選挙の不正投票がまかり通ってることに怒りを感じた少女が、
新聞社に投書します。
すると、その村の近くの駐在員が取材に来て、
やがてそのことを記事にし、
選挙違反にかかわった者たちは罰金を課せられることに。
と、村中の者がその少女の家庭を八分することに……

しかしねえ、僕がいちばんビックリしたのは何かと言うと、
この新聞社の駐在員ですよ。
本社から連絡を受けたこの駐在員、
まずその村の役場に電話して、
「そちらの村に、○○高校に通ってる××という少女はいますか?」
なんて尋ねるんですよ。
そうやって確認してから、自転車をえっちらおっちらこいでその村まで出かけて、
学校にその少女を堂々と訪ねたり、あちこちで訊きまくったり……
おいおい、情報提供者の秘匿って概念はないんかいな!?
ちゃんとメールの文面を黒塗りしたりしなさいよ!
まあ戦後間もないこのころなら仕方ないのかも知れんけど、
そんな彼の取材した記事のせいで村八分が起きるわけですからねえ、
まるで「ファイト」のあの記者やがな。
しかし山村聡演ずるこの駐在員、
その村八分が起きてることも記事にして、
法務局やらが調査に入ったりして……と、そこまで一応フォローはしてるから、
「ファイト」のあの記者よりはマシですけどね。
ホンマ、「ファイト」のあいつはなんやったんやろ……
いやしかし、この村八分の状況は、
まさに「ファイト」でバネの注文がなくなるのと同じですからねえ。
こういうのは今もなお根強く我々の社会の中にあるわけで……
そう考えると、ゾーッとしてしまいますわ。
いまや21世紀と言うのにねえ……

本作は静岡が舞台ということで、画面の端々に富士山が映ってるんですけどね、
最初の方は、そんな綺麗な富士山を背景に、
どす黒い大人たちの醜い姿が描かれるのが、
なんとも対照的と言うか、皮肉やったりしたんですけど、
終盤、少女の学校で生徒会が開かれ、
最初は少女に批判的な意見も見られたけど、
やがて一致団結して、少女の正しい行いを評価するんですね。
そしてラスト、少女の家庭では村八分にされたせいで、
畑を耕すための馬も貸してもらえず、手作業でコツコツと耕してるところへ、
生徒たちが大勢押しかけてきて、皆で作業を手伝う、
そのバックにそびえ立つ富士山はまさに堂々たる姿、
日本の明るい未来を象徴するかのような美しさで……
そう、戦後のこのころってのは、
将来にいちばん希望が持てた時代でもあったんでしょうねえ。
それなのにそれなのに、いまや21世紀と言うのに……。

日本の象徴が富士山なら、
国民の象徴は……と、強引に話題を振りますけど、
あれがまた、わけのわからんことになってますねえ。
秋篠宮に第3子ができるから皇室典範の改正は先送りって、
いったいどういうことなんですか?
その第3子が男なら改正の必要はないってこと?
あのねえ、例え第3子が男だからって、
じゃあ他の愛子やらの女子が、将来みんな皇籍を離脱して、
その第3子の系統だけになったとき、
そこに将来延々と男子が産まれ続けると考えてるんでしょうか?
結局、嫌なことは先延ばしにしたい心理なんでしょうかねえ?
その嫌なことというのは、女性が皇位を継ぐということ。
後継ぎは男性でなければならないと言う考えの表れ。
いまや21世紀と言うのに……
「村八分」のなかでも、選挙違反の首謀者が、
「村を愛するからこそやってるんだ」と言ってのけたりしてたけど、
ホンマ、愛国者とやらの考えてることも理解に苦しむわけでして。
そういう性質の悪い自尊心から来る様々な弊害の、
その根っこをたどって行くと、やはり国民の象徴に行きつくわけですからねえ。
最近も、右翼団体が全国の自治体にビデオを送りつけて金銭を要求するという事件があったけど、
その恐喝に応じて支払った自治体が700もあったそうですやん。
こういう輩を根絶するためにも、早く天皇制は廃止すべきやと思うけど……。
まあ典範の改正については、今後もいろいろ議論はあるんでしょうけど、
議論するならその前提として、
「2600年余り万世一系で男系である……」などといった、
神話と歴史の区別もつかんアホは除外してやってもらいたいもんですわ。
まあ僕としては、女性には認めないままで行ってくれて、
早く皇位継承者が絶えてくれればいいんですけどねえ。
それと、男性に限ることのメリットとしては、
愛子はあの顔やから、将来は黒田清子みたいなブスになるのは必至で、
それよりも秋篠宮の第3子のほうが、多分マシなルックスになるやろから、
まあ仮にも天皇を名乗るなら見た目のいいほうが……って、
こんなこと書いてたらホンマに村八分にされそうやわ。
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明るい飛行計画

2006-02-15 00:16:55 | Weblog
というわけで「フライトプラン」を見てきました。
飛行機のなかで起きる事件と言うと、アガサ・クリスティの小説で、
パリからロンドンへと向かう旅客機のなかで殺人が起きるというのがありまして。
「大空の死」とか「雲をつかむ死」というタイトルで邦訳が出てるんですけど、
これ、ロンドンに着くまでの限られた時間でポアロが事件を解決するんやろなあって、
てっきりそう思い込んでたんですよねえ。
それで興味があって、一度読みたいなあって思ってたところ、
昨年でしたか、NHKでアニメ化されたのが放送されたので、
大いに期待して見てみたところ……
なーんや、確かに事件は飛行機のなかで起きるけど、
解決するのはロンドンへ着いてから、被害者の人間関係やらなんやらを、
何日もかけてえっちらおっちら調べた上でのことでして……
僕の求めてたサスペンス感のようなものは皆無でしたわ。
まあそれはこっちの勝手な期待が外れただけのことですけどね。
しかしこの「フライトプラン」、
飛行機のなかで娘が行方不明になるわけですからね、
これはもう悠長なことはやっとられませんよ、
目的地に着くまでになんとか無事に見つけ、助け出さないと……

んーと、しかしこれはちょっと、
あまり細かくネタバレしてしまうのはやっぱ、なんですからねえ。
この後はちょっとぼかして書きましょうか。
僕の好みとしては、飛んでる間にすべて解決してもらいたかったんですけどねえ。
つまり飛んでる最中の飛行機のなかで、
クライマックスの見せ場が繰り広げられた方が、
もうハラハラドキドキでよかったんではないかと。
でも不時着して……ってのも、それはそれで緊迫感はあったりして、
まあ悪くはなかったですかねえ。
一応「目的地に着くまで」に解決したわけですし。
しかしねえ、あのラスト、
もう少し爽快感があれば……と思うんですけども。

動く乗り物から乗客が消える、というお話では、
その昔のヒッチコックの「バルカン超特急」が思い出されまして。
あの映画では列車から、乗客の老婦人が忽然と姿を消すんですけど、
それを探すのは、たまたま車内で知り合った若い女性=ヒロイン。
彼女は、決して老婦人のことを心から心配していたわけではなく、
いたはずの老婦人を誰も知らないと言う、見ていないと言う、
そのことに対して、いわば意地になって、
プライドを賭けて謎を解こうとするわけでして。
そんな勝気なヒロインがとても威勢がよくてカッコよく、
カラッと楽しめる仕上がりになってました。
それに対して「フライトプラン」では……
冒頭からジョディ・フォスター演ずるヒロインを、そして観客を、
心理的にとても不安定にさせようという描写の連続で、
まあそういう面白さもありかなあとは思うけど、
でもね、ただでさえ不安をたっぷり抱えてるヒロインが、
その上に娘が行方不明になる、
しかもその存在を誰もが否定する、
そんな状況に置かれたらこれはもう、
心配で心配でたまらなくって必死になるのは当たり前なわけで、
そういうところに頼ってお話を作るのは、やっぱりちょっと……
それよりも、まったく無関係の老婦人のために走り回る、
「バルカン超特急」のヒロインのほうが……
いやまあ、比べてどうこうってもんでもないでしょうけども、
でも窓の曇りに指で……という辺りが共通してますし。
それとねえ、本作の真犯人の計画。
これがねえ……
よくもまあ、そんな不確定要素の高い計画立てたもんやなあって感じでして。
目的を達するためなら、もっと楽な方法いくらでもあるやろに……
なんか無理が感じられるんですよねえ、この非行計画。
そういうのもあって、やっぱりラストの爽快感が乏しくなってしまったのは、
ちょっと残念やなあ……と。

ただまあ、一連のヒッチコック作品だと、
若い女性が主人公で、彼女が事件に巻き込まれたりしても、
必ず助けてくれる男性キャラクターがいるわけでして、
手に手を取り合って事件を解決する、
そしてちょっとロマンチックな味付けもあったりして……と、
それが魅力であったわけですけど、
本作ではジョディ・フォスターはまさに孤軍奮闘、
助けてくれる者は誰もいないなかで、ひとりで解決するんですからね。
もうカッコいいことこの上なし、
だからこそもっと爽快感が感じられれば……って、
それはもういいか。
まあ、それなりに楽しめる作品ではありました。
しかし……機械室とか貨物室とかって、
気圧が低いもんやないんですかねえ?
新型機やから大丈夫な設計になってるんでしょうか?
あれでは密航計画も立て放題とちゃいますか……?
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電話のベルは白血病の症状でしたか……

2006-02-13 00:32:48 | Weblog
というわけで「世界の中心で、愛をさけぶ」最終話まで見ました。
いやしかし、こういうお話はやっぱり辛いですねえ。
辛いけどでも、ええ話やったなあって思えるようにもなってましたねえ。
それは、なんと言うか、
これでもう悔いがない、みたいなところがあるからでしょうかねえ。
愛する人の最期をああいう形にしてしまったら、
そりゃ17年も引きずってしまっても仕方ないかも知れんけど、
でも、17年もくよくよとしただけのことはあった、
そのおかげで手に入れられたものもある……みたいなねえ。
現在と過去を対照させて描いたのが、巧く功を奏したってところでしょうか。
ただ、過去の亜紀と現在の明希が倒れる、事故にあうところがシンクロして描かれるのは、
さすがにちょっと、そりゃやりすぎやろ、とか思いましたけども。
しかし桜井幸子演ずるところの明希の存在はやっぱり大きかったですねえ。
彼女がいることによって、朔太郎のこの17年が、
それなりに充実した生活をおくってたことが明らかになって、
そして、それでも彼の心の中はやはりぽっかりと、
満たされないものがあったんやろなあってこともひしひしと感じられて、
その辺がやっぱり深みを持たせてくれててよかったですねえ。
しかし彼女に限らず、脇役の存在が大きいドラマでもありましたねえ。
三浦友和も、最初は頑固なだけのいけ好かん父親やったけど、
考えを改め、娘やその恋人に理解を示しながらも、
頑固さだけは捨てられない……いい味出してましたねえ。
あと、高橋克実も、最終話で朔太郎に厳しい言葉をかけるところとか、
印象に残りましたわ。
しかし彼は、夕べの土曜ワイド劇場で、
緒形直人をえらいヒドイ目に合わしてましたけどねえ。
と、脇役の存在は大きいけど、
優ちゃん……出番、ホンマに少なかったなあ。


さて、「Ns’あおい」についても。
ペースメーカーをつけてMRI検査を受けるのはとても危険やなんて、
そりゃ言われてみれば当たり前のことやろうけど、
普段の生活のなかでまったく意識することもないようなことを扱って、
見応えのあるエピソードに仕立て上げる腕前は大したもんやと思います。
しかし……
先週までずーっと興味を惹きつけてきた、冬ちゃんの過去、
あれが一段落ついてしまうと、後は単純な1話完結のドラマの趣きが強くなってしまって、
やっぱり、ちょっと物足りないですねえ。
それでも、ラストには将来の改変……
この病院の現状も、将来は改善されるかもしれない、
ひとりひとりの意識から変えていくことで、将来は大きく改革されるかもしれない、
そういった期待を抱かせてくれるところが、
何か、もっと広いところでの希望が感じられるようで、いいですねえ。
いや、正直なところ、
第2話のラストで、あおいの存在によってこの病院も変わるかもしれない……と、
登場人物たちが意識する辺り、
あれはちょっと、まだ早いと言うか、
そんな形でこのドラマの核となるテーマを説明しなくても……と思ったんですけど、
今回のような描写が続くのなら、やっぱり今後も楽しめるドラマになりそうです。
しかし、それにしても……冬ちゃん、ケツでかいなあ。
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オイラーはドラマーチック

2006-02-12 01:04:19 | Weblog
僕はこう見えて昔は数学が得意でした。
自分では国語や英語が好きな文系人間やと思ってたけど、
成績は数学がいい理系人間……いや、
理科は全般に成績が悪かったので、理数系でもなく、
単なる数系人間やったんでしょうか。
とにかく数学は得意でした……高1までは。
高2になって微分積分だの代数幾何だのが出てくると、
ガクンと成績が下がりましたけどね。まったくついていけなくなって。
そんなわけでこの「博士の愛した数式」、
劇中で、計算してご覧、わかるかな?とか言われると、
久し振りに数系人間の本領発揮、
5の階乗もすらすら暗算し次は6の階乗……と思ってたら、7に飛ぶんかいな。
そんなん答えられへんがな。
と、そんなことを頭の中で考えてるぐらいならいいけど、
数系人間としては物事を理詰めで考えがちになってしまって、
映画を見てても、その最中にあら探しと言うか、
引っかかる点があるとそこが気になってしまうんですよねえ。

さて、5から7へと飛ぶ意地悪な吉岡秀隆演ずる数学教師の回想で語られる物語。
まず登場する、深津絵里演ずる家政婦。
ダウンコートを着こんで自転車をこぐ、その姿がいいですねえ。
のどかな山あいの、自然に囲まれたなかでひたすら前を見て進む彼女、
ほんわかした味わいがありながら、その奥にどこか意志の強さも感じさせる表情。
この光景がとにかくいいです。
やがて雇い主の浅丘ルリ子から事情を聞かされ、
彼の義弟、寺尾聰演ずる博士の世話をすることに。
……で、こちらとしてはだいたいの設定は前もって聞いてるので、
それがどのような物語になって、それがどのように描かれるのかが楽しみなわけですけど、
その点はわりと淡々と進んでいくんですね。
こちらとしては、博士の症状の80分の境目とでも言うのか、
例えば会話の最中とか、野球の練習に参加したりとかしてるときに、
80分の境目が来て、
あれ、俺は何を話してるんだろう……俺はなんでグラウンドにいるんだろう……
そんな描写で観客を惹きつけて、ドラマとして盛り上げて展開していく、
そういったものを予想してました。
でも、そんなものを描く作品ではないんですね、これは。

ま、毎日のように同じ会話が繰り返されるという描写は、
さすがに早いうちから見られて、
靴のサイズから始まるお決まりのやりとり……
家政婦が自分から「24です。4の階乗です」と答えるようになる辺り、
落語の「住吉駕籠」のやりとりを思い出させてくれてニヤリとしてしまったりして。
しかし思索中の博士に話し掛けると厳しい言葉が返ってきたりして、
気難しい面も描かれて……
やがて、家政婦の料理する姿に興味を抱く博士。
その光景が繰り返し描かれるけど、
これは何日にも渡ってるんですよねえ。
と言うことは、彼のこの興味は持続してるんでしょうか?
80分を超えて……
いや、設定に忠実に考えれば、
毎日毎日、彼が調理の過程に関心を寄せる、
そのきっかけのところからが繰り返されてるんでしょう。
そう考えれば何の疑問もないけど、
しかし、そんな場面がずーっと描かれた後、
江夏が今では現役を退いてると知らされる博士。
頭を抱えてうずくまり……
そして翌日には、家政婦への態度は素っ気ないものとなっており……
これではやはり、彼の記憶は80分以上もってるとしか思えませんよねえ。
観客がそう感じるように、意図的に組み立てられた展開ですよねえ。
その意図はどこにあるんでしょう?
ひょっとして……
記憶は80分しかもてなくても、
心は保ててるんでしょうか?

ところで家政婦の息子、
後に博士によってルートと名づけられ、本作の語り手となる彼の少年時代、
その初登場の場面も、川沿いに歩く姿、
その絵がまた美しくってよかったですねえ。
で、幼い彼にとても温かく接する博士。
そんな様子を見てると、とても人付き合いが苦手とは思えない……
数字を通してしか人とコミュニケーションがとれないとか、
友達もいないとか、そんな風に語られてるけど、
それは気難しい数学者としては定番のキャラクターだろうけど、
しかし子供とあのように接することができるとは、
とてもそんなお決まりの人物とは思えなくて……
やはり、あの家政婦とその息子だから、
博士もあれだけ心が開けたんでしょうか……

もう見てる間じゅう、いろいろなことが気になって、
いろいろなことを考えてたけど、
こうなってくるともう、それは映画のあら探しなどではなくって、
博士への興味、
彼の内面をもっともっと覗きたい、
彼の心の奥深くを知りたい……

彼の心の奥にずーっとあったのは、一途な想い。
そして義姉もまた、同じ想いを秘めていた……。
それを解き明かすのは、現在のルートの講義……で、
そこで描写としては充分なわけですよね。
それに加えて興福寺の薪能の回想やら、
誕生パーティの夜の、義姉の家政婦への語りやら、
そういった辺りはむしろ蛇足なのではないか……とも思えたんですよねえ。
数学教師ルートの講義を聴く生徒たちの顔がほとんど映されなかったり、
少年ルートと家政婦が仲直りの握手をする、
その握り合った手がバッグで隠れて見えなかったり、
そういったちょっと奥床しめの描写に比べて、あれは……
いや、ここはまあ、せっかく浅丘ルリ子を起用したんやから、
彼女の見せ場を作っときましょうか、ってところでしょうかねえ。
しかし彼女が、母屋と離れの間の仕切りをいつも開けておきますと言う場面。
冒頭では、身内に病人……それもかなり特異なのがいることを、
周囲に対して恥じているような、隠しておきたいと思ってるような、
そんな旧弊なキャラクターかと思ってたら、
とんでもない、実は……ということがくっきりと、
念を押すように表されたあの場面。
そして夜空を見上げる家政婦。
その目には涙が浮かび、
観客が目にするのは、池に写った満月……
もうたまらんですねえ。

しかししかし、それでもやはり引っかかるところがありまして。
少年ルートが病院で診察を受け、頭に異状がないと知らされたあと、
呑気な言葉を吐いた監督に、
博士に子供を任せたあなたに責任が……とかなんとか、
そんなことを言う家政婦。
でも、さっき博士に、心配する気持ちを落ち着かせてもらった、
とても素敵な言葉をかけてもらった、
その直後にあんなこと言えますかねえ……と、
そこだけは見終わったあとも引っかかって、
あれこれ考えてるんですけど……
ひとことで言えば、世の中はそんなに甘くないよ、ってところなんでしょうか?
博士と家政婦との関係を、単純な美談に仕立てたくはなかったからからでしょうか?
やっぱり世間はいろいろと厳しいもんでして……
全編、山あいの穏やかな自然に囲まれたなかで展開するお話が、
ラストで突如、波が激しく寄せる海岸へと移るのも、
あるいはその象徴なんでしょうか?
しかしそれはまた、博士が世間へとさらに一歩を踏み出すことをも表していて……
病を抱えながらも、支えになってくれる人たちに囲まれて、
笑顔でキャッチボールする博士なら、世間が多少厳しくても渡っていけるだろう、
あの荒々しい波はまた、そんな博士の内面の力強さをも表してるんでしょうか……
ん~と、なんかこういうことを書き並べてると、
どこかに矛盾したことが出てしまったりしがちで、
脆弱なオツムであまり無理するもんやないけど、
えー、おかしなことは書いてないですかねえ?
ちょっと読み返して点検点検……
あーもう、今は話し掛けないでください。
僕は映画と愛を交わしてるんですから。
でもニンジンは残さず食べるよ。
コメント (2)
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姫君の日記の中身は秘め気味

2006-02-06 00:41:56 | Weblog
どうも最近、優ちゃんだの冬ちゃんだの春ちゃんだの、
そんなことばかり書いてて我ながらイタイなあって思えてくるけど、
もともと映画の感想を書くために始めたブログですからね。
今日は最近見たちょっと昔の邦画について。

まずはなんと言っても「花つみ日記」。
高峰秀子主演の1939年作品。
舞台は大阪、毎日元気に女学校に通うデコちゃん、
ある日、東京から転校生がやってきて、
やはり東京に住んでたことのあるデコちゃんから声をかけて、すぐに仲良しに。
毎日べったりの2人に周りは焼きもち混じりの反感まで抱いたりするけど、
そんなことも意に介さない仲良しの2人。
ところがやがて、ほんの些細なことから仲違いしてしまうんですね。
これがもうホンマに些細な、
まさに少女文学とでも言いたくなるようなアホらしい理由なんですけど、
それが基でデコちゃんは学校を辞めて、
家が置屋を営んでるので、舞妓さんになり……
やがて月日は流れ、転校生は家族で信貴山にハイキングに出かけます。
山道を登りながら彼女が歌うのは、
かつてデコちゃんと一緒に歌った歌。
と、奇しくもデコちゃんもその日、
舞妓の仲間たちとケーブルカーで信貴山に。
その車内で仲間たちから離れ、
ひとり物思いに耽るデコちゃんが歌うのも、やはりあの歌……
この2人の姿をカットバックで繋いで見せる場面、
もう思わず目頭が熱くなりますよ。
そして偶然出くわす2人、
しかし駆け出して逃げてしまうデコちゃん……
まあ最後には仲直りするんですけどね、
でも、いかにも少女向けといった他愛のないお話を、
歌も交えて華やかに描いてくれて、
とっても楽しい作品でした。
そしてやはり少女時代のデコちゃんがもう、
たまらない可愛さですねえ。
セーラー服姿に舞妓さんの衣装、
そして病気で寝込んでパジャマ姿まで見せてくれて、
もうファンにとってはたまらないったらありゃしない……

えー、オホン、
いやいや、今日は真面目に邦画について書いておりますが、
続きましては「姫君と浪人」。
こちらは1953年の時代劇。
堀雄二演ずる浪人がある春の日、
たまたま見かけた姫君に一目惚れ。
すっかり夢中になった彼は策を弄して姫君に近づきます。
すると、最初は「なんて失礼な…」なんて思ってた姫君も、
次第に彼に惹かれていき……って、
そんなアホな!ってな展開ですけど、
この姫君を演じるのが香川京子。
彼女のちょっと庶民的な顔立ち……
目はくりくりっとして可愛らしいけどちょっと垂れ気味で、
お鼻は丸くてお団子状で……
なんか、針すなおの描く似顔絵みたいなお顔立ちなんですけど、
なんとも愛嬌があって、ほんわかとした愛らしさがもうたまらなくって、
そりゃ浪人が惚れるのも無理はない……あ、そうじゃなくて、
そんな可愛らしい彼女だからこそ、
純情な浪人に惚れるのも納得してしまいますわ。
で、遂に駆け落ちする2人。
浪人の馴染みのおばさんが営む飯屋の2階に匿ってもらうんですけど、
なんせ姫君、育ちが育ちですからね。
この浪人のことを呼び捨てするんですよ。
しかも浪人の名前が「三平」ときたもんだ。
「三平、三平」って毎日のように呼びつけられて、
飯屋のおばさんも「あんた、あれはやめさせないと…」とか言ったりして。
そう、そんな風にユーモアたっぷりに描かれていくんですね。
姫君を探すお城の連中は、
三平の知り合いたちに協力を求めるけど、
最初は渋る彼らも、お金を積まれると態度が変わったりして、
そんな様がコミカルに描かれてて、とっても楽しいんですね。
しかし、やがて追い詰められる浪人と姫君、
そうなると、さっきは金になびいていた知り合いたちも2人に協力し……と、
クライマックスには結構シリアスなチャンバラまで繰り広げられたりして、
もう面白さがぎっしり詰まった時代劇と申しましょうか。
とっても印象に残る作品でした。
いやしかし、やっぱり一番印象に残るのは香川京子ちゃんの可愛らしさで……

えー、オホン、
続いては成瀬巳喜男監督の1966年作品「女の中にいる他人」で、
新珠三千代のブラのラインがくっきり透けて見えていた件について……
え? もういいって?
コメント
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清天の病院で、あおいがブイブイ

2006-02-05 00:30:24 | Weblog
さて、今週の「Ns’あおい」第4話。
いよいよ冬ちゃんの過去が明らかになったわけですけど、
これはまた難しい問題ですねえ。
転院のため民間救急車で移動中、容態が急変した患者。
付き添いしていた救命士の冬ちゃん、
医師の指示を無視し、禁止されている医療行為を……ですか。
こういうのは時々ニュースでも見かけますけど、
一般市民と救命士の場合では立場がかなり違ったりして、
これは僕なんかがあれこれ想像をめぐらしてみても、
なかなか結論は出せないと言うか……

で、ドラマにとって必要なことは、
決して結論を出すことではないんですよね。

冬ちゃんの告白を聞いた同僚の看護士たちは、
感心する者がひとり、
あからさまに嫌悪感を示すものが数名……ってところで、
いずれにしてもその場の空気はギスギスしたものになってしまいます。
しかし、ほとんどの者が彼女から何らかの影響を受けていることが、やがて示されます。
自分の実際の職務と、あるべき理想の姿との間で動揺する看護士たち……。
結論めいたものは出せなくても、
それを自分の身に置き換えてみると、日々の行動に何らかの変化が生じるかもしれない、
視聴者にまでそんな影響を与えかねない、
いやいやこれはすごいドラマかもしれませんよ。

そして大事なのは、いくら正しいことではあっても、
いくらそのおかげで患者が助かったといっても、
冬ちゃんにはそれなりの処分が下されること。
そのケジメ。
これが肝心なんですよねえ。
今回もまた、新たなミスを仕出かして謹慎処分を受ける冬ちゃん。
その解決はまあ、いくらドラマとは言え甘いかなあって気もしないではないけど、
そういうケジメを欠いた物語も案外多いもんですよ。
それに比べるとこの真摯な作りはとても好感が持てますわ。
うん、とっても面白いですわ、これ。

ただ心配なのは、
第1話の冒頭からずーっと引っ張ってきた冬ちゃんの過去がここで明らかになって、
さあ今後はどうなるんでしょう?
やはり物語の柱となるのは、冬ちゃんがみんなの意識を変えていく辺りにあると思うけど、
簡単にその方向には進んでいきそうもない予感はして……
かといって、ムリヤリに障害物を持ってこられても困るような。
今後はどのように我々を惹きつけてくれるんでしょうか……って、
もう既に惹きつけられてたりして。


さてもうひとつ、再放送を視聴中の「世界の中心で、愛をさけぶ」。
今週、第3話から第7話までを見ましたけど、
う~んと、
5話分もまとめて書くのはしんどいなあ。
でも肝心の優ちゃんについて。
脇役である彼女にとって、見せ場らしい見せ場というのは、
ひょっとして第4話の、想いを寄せていた幼なじみを追いかけていく、
あれぐらいしかないんでしょうかねえ?
しかしもう少しその前の段階を見せて欲しかったですねえ。
コロッケパンだけじゃなくて。
それと演技もまだ硬いと言うか……
まあ脇役やから仕方ないか。
久し振りに、泣く前の鼻腔ヒクヒクが見られたので良しとしましょう(?)。
それよりも肝心のドラマの作り。
えーっと、5話分がごっちゃになってるんで詳しくは書けないけど、
例えば朔太郎と亜紀が砂浜で寝そべる光景。
最初はフラッシュバックで描かれ、
2人でどこかへ出かけたのかなあ、と視聴者に想像させておき、
ところがその光景を写した写真が。
ん? 誰が撮ったんや……?
そしてやがて謎は解けるという、
こういう惹きつけ方がなんか、いいですねえ。
まあツッコミどころと言うか、ちょっとわからないのは、
その島で夜、電話のベルのような音が聴こえて、
亜紀が朔太郎を起こすけど、彼には聴こえない。
で、外に行ってみると蛍の群が……という場面。
結局あの音はなんやったん?
蛍の鳴き声? んなアホな。
そうそう、でもこの朔太郎少年がねえ、
わりとクールな風に見えたりするけど、
頭の中は年相応にスケベなことがいっぱい詰まっとって、
しかもそっちの方では完全に亜紀に手玉に取られてるというか、
なんかその辺がいいですねえ、微笑ましくって。
それに比べると現在の朔太郎は……
まだ桜井幸子とその息子と一緒にいるときは、
なんとかいいところも見せてるけど、
彼女たちが去ってひとりになったら、無精髭まで生やして、
いつまでも昔のことを……って言いたくなるんですよねえ。
そりゃまあ、あんな多感な時期に恋人が入院して、
そして……ってなったら、辛いやろけどねえ。
しかし残り4話、どう展開していくんでしょう?
なんか、この先は普通の難病物になりそうな感じもしないでもなかったりして。
どうなんでしょうねえ?
あ、そうそう、
文化祭の前日に亜紀の病室で演劇を披露するエピソード。
朔太郎は演出やから来られないって言ってたけど、
主演の2人がそこに来てるやん。
なんや辻褄の合わんウソやなあ。
まあ些細なことですけどね。
でも演劇といえば、僕も学園祭の出し物の脚本を書いたことありますよ。
布教のために世界を回るフランシスコ・ザビエルが小人の国にたどり着くという、
題して「ザビエル旅行記」。
んーと、なんでしたっけ、
「どすこいロミオとジュリエット」?
あれよりは面白いんやないかと思うけど……。
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