モヴィエ日記

映画の感想とか、いろいろです。

「?」

2013-01-23 23:54:47 | Weblog
しかし外国映画の字幕を見てていつも思うんですけど、
たとえば電話の相手とか、画面に写ってない人物のセリフを斜体で表記しますよね。
ああいうのって各社で申し合わせて決めたものでもなかろうに、
誰かが工夫したのを、こりゃ便利やと皆で使うようになっていつの間にか定着したんでしょうねえ、おそらく。
いったい誰が最初にこの斜体を用いたんでしょうか?
その人はひょっとして映画の字幕を見るたびに、
「あれは最初に俺が使ってんで、エライやろ~」
って心のなかで思ってるんでしょうかねえ。
まあそれはいいんですけど、ただよくわからないのは、
歌詞の字幕にも斜体を用いること。
あれは何でなんでしょうねえ?
どうして歌と普通のセリフを区別する必要があるのか、よくわからんのですわ。
ミュージカル映画の場合、地のセリフからだんだんと歌に移っていく場面なんかもあって、
そんなの厳密にここからが歌ですよって区別できないやろに、
それでも律儀に斜体を用いたりしてるの、よくわからんのですよねえ。
という話題をネタ振りとして、さて本題は「レ・ミゼラブル」。
この映画って、ほとんどのセリフが歌なんですよねえ。
別にストップウォッチで計測したわけやないけど、たぶん9割以上が歌やないでしょうか。
それやのに本作の字幕には斜体がまったく使われてないんですよねえ。
もし定石どおりにすると、ほとんどが斜体になってしまってわずらわしいからってんでしょうか、
まあそれでなんの差し支えもないと思いますけども、
しかし本作の冒頭、重労働を科せられてる囚人がいきなり歌いだしたのには、
ちょっと驚いてしまったんですよねえ。
僕はこのミュージカルの舞台版も見てて、歌ばっかりやでって知ってたはずやのに、
それでも驚いてしまった自分に驚くと言うか、
いや、舞台を見たと言っても学生のころやからもう20年以上前のことで、
ダブルキャストの誰が出てたのとか、まったく覚えてないんですわ。
覚えてることと言えば、そのときはある女性と一緒に行ったんですけど、
まだそんなに親しい仲ではなかったのに、中華料理屋さんに行って、
彼女が残した点心をもらったことぐらいで、
ちょっとみっともなかったかなあ……って、そんなことはどうでもよくって、
だから舞台版と映画版の比較とかも出来ないし、
原作も読んでないので大したことは言えないんですけど、
それでもね、これは声を大にして言いたいですわ。
ものすごく面白かった!
でも原作の小説も、それを基にしたミュージカルもともに高い評価を得てて、
それを映画化するっつったらよく出来て当たり前、
もしも何か拙いところでもあったらぼろっかすに叩かれるもんで、
興行的なことは抜きにして作り手にとってはリスクが大きいと言うか、
いや逆にチャレンジングな題材ってところでしょうか、
それに果敢に挑んだのはトム・フーパー。
先に触れた冒頭の場面、囚人の歌に驚いたと書いたけど、
もっと細かく言うと違和感を感じたってところでしょうか。
カメラが高いところからぐぅ~~~っと降りてきて、
囚人のアップになって、そして歌いだす、という手法。
舞台版で出来ないことをやろうという魂胆が見え見えすぎると言うか、
そのCGまるわかりのカメラワークがこの題材に適してると言えるのか……と、
そんな違和感が漂ってたかのような冒頭でして、
で、この囚人がご存知ジャン・バルジャンで、
やがて彼が改心を誓う場面、
ここも彼の歌とともにド派手なカメラワークが見られたりして、
でもまあこのころにはそれなりにドラマに惹き込まれてたんで、そんなに違和感は覚えることもなく、
面白く見ていくとやがて……
先に書いたようにセリフの大半が歌で、
だからほぼ全編なにかしらの音楽が鳴ってるんですよね。
ところがある場面、ふっとそれが途切れるんですよ。
しばらくの無音状態。
その静寂からやがて歌いだすアン・ハサウェイ。
彼女のソロ・パートを捉えるカメラは顔の超アップ。
スクリーンに大写しになる彼女の表情。
大きな目をいっぱいに見開き、
大きな口を裂けん限りに広げて歌い上げるアン・ハサウェイ……
もうここで完全に心を鷲づかみにされてしまいましたよ。
だいたい顔のアップの多用というのはテレビ的とか揶揄されることが多くて、
とくに評論家からは馬鹿にされがちなんですよね。
逆にロングショットの長回しなんかをありがたがる傾向があったりして、
その点、本作は適度なカット割りを用いて、
さほど凝った演出を施してるわけではないけど、
ただソロ・パートになるとこれが一転、
歌い上げる役者の姿を出来るだけ長回しで、出来るだけアップで写し出すんですよね。
そもそも舞台と映画のいちばんの違いは臨場感でしょう、
映画がどれだけがんばっても、目の前でナマの役者が演技してる臨場感には敵うわけがない、
しかしこうやって役者に迫ることで、
歌い上げる役者の力強さを目いっぱいに見せることで、
ナマの舞台に負けずとも劣らない迫力を伝えてくれているんですよね。
役者の力、歌の力。
それはもうひとつ、この物語の歴史的背景にも言えることで、
だいたいこのフランス革命以降の政治体制ってころころ変わりおるんですよね、
王政復古とか第三帝政とか。
現在は確か第五共和制って呼ぶんでしたっけ、
で、本作も長い年月にわたるお話やからその辺の変化もドラマの背景にあって、
原作ではたぶんその辺がみっちりと書き込まれてるんでしょう。
聞いた話では、下水道を通って逃げる場面では、
フランスの下水道の歴史が延々と書き連ねられてるとか。
それであんな大長編になったんかいなって感じですけど、
とにかく大きな要素であるはずの政治体制が、
ところが本作を見ててもまったくわかりませんよねえ。
なんか知らんけど叛乱してるわ、ぐらいのことしかわかりませんよねえ。
いや、これはお恥ずかしい話なんでしょうけど、
でもそんなことわからなくてもものすごく楽しめるんですよね。
それはやっぱり歌の力が大きいからでしょう、
彼らが集って歌い上げるあの力強さがたっぷりと伝わるから、
なんか知らんけど応援せずにはいられなくなってしまうし、
そしてこの終盤で用いられるド派手なカメラワークも効果的に感じられたりするんですよねえ。
おそらくは原作は多彩な登場人物たちを通してフランスの歴史を描いたものなんでしょうけど、
本作はそれとは逆に登場人物たち、そのドラマに的を絞って、
キャラクターの魅力、演じる役者の魅力、そして歌の魅力を描き尽くし、
スケールの大きさを充分に味あわせてくれる堂々たる大作、
豪華絢爛という言葉が本当に相応しい……それもそのはず、
ヒュー・ジャックマンもラッセル・クロウもオーストラリア出身やから
「豪」華なのは当たり前、
いやもうとにかくたっぷり満足させてくれる、
文句なしの「!」な作品でした。
コメント (2)
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人はアベノミクスに生きるにあらず

2013-01-20 19:22:47 | Weblog
それで前回の記事の最後に「アベノミクス様々」なんて書いたけど、
これはもちろん、話のオチをつけるためのもので、
僕が安倍ごときにこれっぽっちも感謝なんぞしてないことはわざわざ断るまでもないことでしょう、
だいたい去年の夏ごろから「下半期には円安に転じる」って予想してた人もいたし、
そもそも為替にしろ株にしろ、所詮は投機ですからね、僕も含めてやけど。
そんなもんがちょっと動いたからってアベノミクスが正しいってことにはならないのは当たり前、
円安のおかげで輸出産業には利益をもたらすだろうけど、
しかし原油の輸入額の高騰はそれらの企業にもマイナスとなるだろうし、
そこへ来てアルジェリアのイナメナスの事件のせいで天然ガスの輸入にも影響があるとかないとかいう話で、
それで人質事件なんですけどね。
この年末にテレビで安倍が憲法についてしゃべっとったんですわ。
それは昨年の5月の憲法週間に放送された番組の再放送で、
だからそのときの安倍は首相でも総裁でもなんでもない一兵卒やったわけですけど、
とにかくそこでの安倍は日本赤軍のダッカ事件での超法規的措置を批判し、
それは憲法のせいだ、憲法改正してればあんなことにはならなかった、
ドイツは憲法改正してるから日本のようなことはない……と、
まあ3週間も前のことやし、部屋の掃除しながら見てたのでキチンと覚えてはいないけど、
そんな感じのことを言うとったんですわ。
また馬鹿なこと言うとるわこの馬鹿めが……と思ってたところへ今回の事件。
いや、別に今回の件の対応で安倍のことを批判しようとは思いませんよ。
思いませんけど、もし憲法改正してれば日本政府の対応は何か違ってたんでしょうかねえ。
日本人や日系企業が主な標的となったわけでもないし、
他国で起きた事件なんやから日本政府がしゃしゃり出て何か出来るもんでもないし、
だからアルジェリア政府に働きかけるぐらいしかすることはないのは仕方ないところやと思うけど、
そこで要請してたのは人命最優先だそうで、
でも最優先を文字通りに解釈するならダッカ事件の超法規的措置もそこに含まれるんやないでしょうか?
もし今回、日本政府に要求が突きつけられたとしたら、
超法規的措置を拒んで人命を犠牲にするのを厭わずに行動してたんでしょうか?
いや、アルジェリア政府に慎重な対応を要求してたのは、
軍事行動はアメリカに任せとけ、それまでお前らは何もすんなってことなんでしょうかねえ。
この事件のきっかけはマリにフランスが軍事介入したことらしいけど、
その解決にまた同じような手段を用いろってことなんでしょうかねえ。
で、憲法改正してれば米軍の尻について国防軍の精鋭が人質解放に尽力できたとか、
そんなことでも言い出すつもりなんでしょうかねえ。
何でもかんでも憲法のせいにするのもいい加減にしろって感じですよねえ。
ドイツを見習いたいのなら、それは憲法を改正してるところじゃなくって、
第二次大戦の加害責任を認め、繰り返し謝罪を続けてるところでしょうが。
いやしかし、安倍のような頭の悪い国粋主義者は、
戦後、憲法や民主主義や教育基本法のせいでダメな国になったとかなんとか、
自虐的なことを公言してはばからないけど、
戦前の日本人がどれだけ大勢の人間を殺したかという、
その点だけをとっても戦後のほうがはるかに立派な国やと思うけど、
それでもまあ、一部には倫理的に見て悪くなってる部分もあるかとは思うけど、
その原因は経済成長、と言うより成長を最優先に掲げる精神の卑しさにあるんやないでしょうか。
物質的な豊かさのみを追求し続けた結果の精神の荒廃が原因やないでしょうか。
つまり「成長による富の創出」などという虚ろなフレーズを掲げるアベノミクスによって戦後の最悪の部分を、
そして憲法改悪や国防軍創設によって戦前の最悪の部分を復活させようとしているのが、
安倍という愚か者の最悪の政策である……と僕は思うわけですが、
しかしこうやってユーモアも何もない文章をだらだらと書いててもあまり面白くないんですよねえ。
いやまあ、タイムリーなダジャレは思い浮かばないわけではないんですけど、
ここでそれを書くのは不謹慎すぎて、
ちょっとためらいが有るじぇりあなのは否めなす。
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調査は必要さ

2013-01-13 14:00:21 | Weblog
それにしても酷い事件ですよねえ、
大阪の市立高校の部活動の暴行による自殺。
もちろん暴行犯である教師にもっとも責任があるわけですけど、
暴行の情報が寄せられていながらロクな調査もせずに暴行はなかったと結論付けた学校や、
この期に及んで暴行と自殺の因果関係はわからないとかぬかしとる教育委員会などの対応、
これらも本当に酷い話ですよねえ。
この事態には、これまで体罰という名目の暴行を肯定してきた大阪市のファシスト市長も、
自分の認識は甘すぎた、不充分だったと己の不明を猛省してる様子で、
まあそれはそれでご立派な態度といえるとは思うけども、
そこから先に考えが及ばないであろうところがこいつの愚かたる所以であって、
何のことかというと、こいつは去年、
日本軍による従軍慰安婦の強制連行の証拠はない、などとぬかしとったけど、
じゃあこの件についてどれだけの調査が行われたというんでしょうか?
教師による暴行を認めれば体面にかかわるなどという卑小な理由でもみ消した学校の対応と同じやないですか。
ファシスト市長は大阪市立の学校での暴行調査に100人体制で乗り出すと明言しとるけど、
慰安婦問題の調査はいったい何人体制で行われたんでしょうかねえ。
どれだけの規模で聞き取り調査が行われたんでしょうかねえ。
都合の悪いことはなかったことにしたいからと、調査の名に値するような聞き取りなんぞ行われなかったんでしょうに、
そんな体たらくで強制連行はなかった、慰安婦の証言は信じられないなどとどの口で言えるんでしょうかねえ。
でもってそんな愚かなファシスト市長と、村山談話や河野談話を取り消したがってる愚かな安倍とが、
先日、会談したそうで、
その日の新聞のテレビ欄の関西ローカル番組の項目が、

MBS「安倍首相来阪で橋下市長と会談の狙いは」
ABC「狙いは何だ?安倍・橋下会談」
関テレ「狙いは?安倍首相が維新と会談」

となってて、これでよみうりも「狙いは」と記してたら、
主要民放4局がキレイに揃ったのになあって惜しいところやったけど、
それはともかく、ほいほいと大阪まで会いにやって来たりして、
狙いが見透かされすぎてる安倍のもっとも愚かな面がこの年末年始に露呈されておりまして、

朝日新聞デジタル:原子力規制委の人事、見直さない方針 自民・安倍氏

>東京電力福島第一原発事故については
>「女川原発、福島第二原発は大丈夫だった。
>なぜ福島第一がダメだったのかを検証し、その上で再稼働も含めて考えていきたい」と語り、
>政権発足後に事故原因を再検証する考えも明らかにした。

昨年12月23日の時点では事故原因の再検証にはまだ着手しておらず、
したがって「なぜ福島第一がダメだったのか」、その原因については明確に出来ない状態であったんですね。
ところが、

朝日新聞デジタル:安倍首相、原発新設に含み 「福島と全然違うもの」

>「新たにつくっていく原発は事故を起こした(東京電力福島)第一原発のものとは全然違う。
>国民的な理解を得ながら新規につくっていくことになるだろうと思う」と新設に含みを持たせた。

12月30日には、福島第一と全然違うものなら新規につくっても安全だとの主張。
事故原因は原発のタイプの違いと断定してるご様子で、
たった1週間の間にどれだけの「再検証」を行ってこの結論に至ったんでしょうかねえ。

安倍首相「内容を大胆に重点化」予算方針を大幅転換…年頭記者会見:社会:スポーツ報知

>原発新規建設については
>「直ちに判断できる問題ではない。ある程度、時間をかけて検討する」と述べ、
>新規の原発建設を容認する姿勢を示した先月末の発言から後退させた。
>同時に、東京電力福島第1原発事故を踏まえ、できる限り原発依存度を低減させる意向を明らかにした。

そして今月4日、
やはり「再検証」に基づかないデタラメな発言は後退させなければならなかったようで、
しかし「ある程度、時間をかけて」というのは、
時間が経てば原発事故の惨事の記憶も薄れて抵抗がなくなるだろうとの狙いがあることは見透かされすぎてる安倍の愚かさ、
そもそも建設時に活断層の調査をないがしろにしておいて、
いまその危険性がようやく白日の下にさらされても「受け入れられない」などとぬかすムラの住人の悪足掻き、
己にとって都合の悪いものはなかったことにする、
存在を否定して表面だけ美しく取り繕う、
そんな現実を直視できない臆病者がすがりつく美辞麗句、
「スポーツの強豪校」
「品行方正な日本兵」
「安全の確認された原発で安価で安定した電力供給」
これらの実態がどれほど醜いものか、
そんなことも気付かずに平気なゴミより劣る連中を撲滅することこそ、
経済対策なんかよりよっぽど重要な問題なんですけどねえ……と言いつつ、
円安になったおかげで外貨預金で儲けさせてもらって、
アベノミクス様々なこの正月でしたけども。
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