Pink * Satin * Pointe * Shoes

なんとなく、すきなこと

南アフリカ

2019-10-20 21:30:53 | 旅のこと
本日10月20日(日)、南アフリカ戦をリアルタイムでテレビ観戦していました。
残念ながら格上過ぎて負けちゃったけど、南アフリカもジャパンをかなり研究し、必死に戦っていたのもよくわかった良い試合でした。
SHデクラークのとんでもなさも痛感。

で、ふと思い出した。
1999年、新婚旅行も兼ねて、兄貴一家が住んでいた南アフリカに旅行したことを。

両親と母の友人夫婦と旦那との6人で10月24日に日本を出て、香港経由でヨハネスブルクに降り立ち、両親たちは兄貴たちが出迎えるケープタウン行きの飛行機に乗り、旦那と私はクルーガー国立公園のサファリツアーに参加しました。
参加者はいわゆる欧米人ばかり。
オーストラリアからの一人旅のおねえちゃんやイギリスから来た老夫婦はよく覚えてるな。
その奥さんのほうはドイツ人で、ちょこっとドイツ語で会話したり、うろ覚えのマーラーの歌曲を歌ったらすごく喜んでくれたっけ。
宿泊したコテージは、朝、目が覚めて外を見たらキリンが遊びに来ているような環境でした。

ツアーから戻ったら、今度は小型旅客機に乗って隣国のジンバブエへ。ビクトリアの滝をヘリで眺めたり、アフリカ像に乗ってサファリをお散歩したあと、満点の星空の下でディナーという夢のようなツアーに参加したり、ワニ園を楽しんだりして再び南アフリカへ。

ケープタウンでは両親たちと合流して、現地ツアーガイドのご夫婦に連れられて希望峰とかテーブルマウンテンとかロベン島とかケープペンギンの居る浜辺を散策したり。

最後に兄貴一家の住むシュテレンボッシュを訪れ、旦那と私は一足早く帰途につくべくみんなと別れ、チュニジアに寄って11月7日に帰国。

そう、その間、1999年のW杯がウェールズでまさに絶賛開催中だったのでした。

当時ラグビーには全く興味が無かったので殆ど記憶に残っていない中、ヨハネスブルクやケープタウンの空港に設置されたテレビで、あのユニフォームを着た選手たちがプレイしてる映像とスプリングボクスというチーム名だということ、彼らが国民のヒーローだということを聞いたことだけは覚えていました。
最近まで忘れてたけど。
4年前のブライトンの奇跡を報じられたときですら忘れてたけど。

ラグビーファンになり、色んなところであのユニフォームを目にするうちに思い出しました。
まさに丁度20年前のことだったんだよなぁ。



年取るわけだ。(´∀`)
コメント
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笑えない笑える話

2019-10-16 21:14:59 | 日記?
TBSのドラマ「ノーサイド・ゲーム」がキッカケでラグビーに興味が湧き、たまたま見れる環境だったJSPORTSで見た2003年のW杯のイングランド対ワラビーズ戦のジョニー・ウィルキンソンに度肝抜かれ、JSPORTSでひたすら放送されまくる伝説のマッチを見ているうちにすっかりラグビーファンになって早・・・いや、まだ3ヶ月しか経ってないのか。
んもう、ノーサイドゲームからバトンをつなぐタイミングでW杯始まっちゃったから、濃いったらない。
そして色んなチームを見てる中、やっぱり群を抜いてかっこいいのがオールブラックス!

もちろんJAPAN凄いよ。
他の競技でもあんまり「がんばれニッポン」てなりにくい私なので、あのレプリカを着ようという気にまではなれないけれど、今回の活躍は凄いとしか言いようがない。
日本代表だからというよりも、チームとして凄いと思う。
あのオフロードパスとか見せられたら負けるとは思えなくなってきてるし、平尾さんの為にもスプリングボクスには勝ってほしい!
いつも割と「どっちもがんばれー」だけど、20日は迷わずJAPANを応援するよ!

でもやっぱりカッコいいのはオールブラックス。(´∀`)

というわけで、台風明けの日曜日のお昼頃、渋谷のADIDASショップで黒字に黒のALL BLACKSの文字が入ったキャップをゲット、その場でタグを切ってもらってウキウキで被って電車に乗りました。
向かうは小一時間かかる矢切。
熊本から上京中の母を、滞在していた叔母のところに迎えに行ったんですが、渋谷からずっと座ってのんびりできていたのに、なんだかヘン。
鼻の横が気になる。
何故か左側。
頬骨の所もヘン。
やっぱり左側。
目の奥もヘン。
これも左側。
コメカミもちょっとヘン。
いつも偏頭痛が出るのは左だから、ああまた気圧のせいかな。
でも、なんで鼻の横とか頬骨のとことかがこんな不快になるんだろう。
気圧が下がる時だけじゃなく、上がる時も体調崩しやすいからって、丁度整骨院の先生に言われたばっかりだったから、ああ、台風一過でまた不調かしらとは思ったけど、それにしても辛い。

矢切に着いて、待ち合わせのファミレスへ。
みんな昼食を終えていて、じゃあ私も朝からパンを食べただけだし、お肉が美味しいって言ってたからカットステーキ御膳でも行っちゃうか!と注文したものの、なんか喉乾くから先にドリンクバー!って、珍しくコーラをグビグビ。

しばらくすると体調が更に悪化。

水の方がいいやって水をグビグビ。
と、なんかだんだん気持ち悪くなってきた。
お湯の方がいいかもってお湯をグビグビ。

すると良くなるどころかムカムカ具合が増す増す。

料理がなかなか出てこなかったのをさいわいと、注文をキャンセルすることに。
食べてたらヤバかったけど、たぶん一口も食べられなかったはず。
そのぐらいキツくなってた。

で、その時点でもう2時はまわってたから、そろそろ出ましょってことになった時にはムカムカはマックス。

もしかしてこれは?と、トイレで便器を睨んでみたら、案の定オエ〜。
何も出なかったけど、もう、かなりヤバイ状態なのは明らかで。

オエ〜のお陰か、お店からほど近い叔母の家に立ち寄った頃にはかなり楽になっていたので「なんだったんでしょうね〜、電車に地縛霊でもいたのかも」なんて叔母ファミリーに笑顔で手を振って母とともに東京へ戻ったんですが、乗換の浅草駅に着いた頃には脂汗が出てきて、まさかの救急車か?って青ざめかけたそのとき、

台風直撃以外でいつもと違うことと言ったら、コレ?

と、ちょっと帽子を脱いでみた。



みるみる体調回復。



原因はオールブラックスのキャップでした。
孫悟空の頭についてる輪っかの原理と同じなんだなと冷静に考えたら合点が行くんだけど、まさかあんなに急速に弱ってくものなのかと、かなりビックリ。

すっかり体調回復してからも、もしかしてこの帽子はもう被れないのかしら、あんなにウキウキだったのにと悲しくなっていたんだけど、翌日、1センチ以上緩めて恐る恐る被ってみたら、大丈夫そう!

ふだん滅多に帽子なんて被らないから、調整の仕方が実はよく分かっていなかったのでした。
帽子をかぶるというごくごく普通の行動でもひとつ間違えると笑えない事態になるという、ありがたい経験をさせてもらった、JAPANがスコットランドを下した日の昼下がりの出来事でした。

(´∀`)



コメント
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