Pink * Satin * Pointe * Shoes

なんとなく、すきなこと

好きこそものの

2018-10-08 11:05:23 | Francais
「ロシュフォールの恋人たち」にどハマり中の私、ただでさえガリガリ勉強してるわけじゃなかったのに、空いた時間はこの映画を観たり聴いたりで、サントラ聴きながら仏検の本をやることはあっても、フランス語の音声教材は久しく聴いてません。

でも、1つの映画に親しむメリットを実感中。

ほんとはシナリオが欲しいんだけど、昔はできたらしいロシュフォールのサイトでの無料ダウンロードも見あたらず、書籍化されたものを買おうとしたけどフランスのAmazonでもfnacでも何故か「あなたのお住いのエリアではこの商品は購入できません」なメッセージ。
紙の本はもちろん電子書籍もダメっぽくてガッカリ。

メロディの無いセリフのスクリプトは諦めたけど、主要な曲の歌詞は便利なものでchanson de delphine rochefort parolesとかって検索するとあちらの歌詞サイトが出てくるので、メモアプリに保存して、紙に書き写して単語の意味を調べたり、目で追いながらサントラを聴いたり。

ギャラリーでのマクサンスの歌の冒頭「じゅれしぇるしぇぱるとぅー、とぅっとぅとぅーどぅらてー」て日本人的には面白い音の並びに反応し、「とぅっとぅっとぅとぅーて何?」と歌詞をググって確認したらpartout, tout autourでした。
tout autourでぐるっと一回りみたいな熟語。
「世界中のあちこちをぐるーっとぜんぶ探したよ」って意味なのね。滑らかに言えるように練習して、何かを「ちゃんと探したの?」って聞かれた時にこのフレーズ言ったら面白いかも!とニヤニヤしたりもモチベーションになってると思う。

あと、双子の歌のほくろのくだりとか、限られた文字数の字幕では翻訳者によって全く別物になっていたりするので「ほんとはなんて言ってるの?」って調べてみたり、普通の会話部分も何度も聴くうちに「あ、今のセリフはフランス語で理解できたぞ」って、ほんのちょびっとずつでも理解できない外国語が理解できる外国語に進化してくるのが楽しくて。

歌とセリフの配分が程よいミュージカルだからこそ飽きずに楽しめて、結果とっても良い教材。
繰り返し何度も見がいのある映像に、ミッシェル・ルグランの音楽!

「シェルブールの雨傘」も良いけれど、色んな意味でヘヴィロテにはこっち。

いつの日か、字幕なしで問題なく意味が入ってくるようになるといいなぁ。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ロシュフォールの恋人たち」への愛が止まらない

2018-10-06 01:04:16 | エンターテインメント
「シェルブールの雨傘」にハマったものの、iTunes Storeで買ってiPhoneにDLした映像でしか見たことがなかった私、劇場とはいかなくても、せめてテレビで観たいなぁ。Blu-ray買うかなぁと思っていたある日、BSプレミアムのフランス映画特集で放送するらしい噂を聞きつけました。
で、シェルブールの翌日に「ロシュフォールの恋人たち」も放送するっていうんで「これも評判良いみたいだから一応見とくか」って録画して、ほぼついでな感じで、しかも片手間に一度目を見たのがたしか3週間ぐらい前かな。

最初は「おお、ジョージ・チャキリス達がいきなり踊り出してるこれがLa La Landがオマージュしたというシーンかっ!」でも「このボブのお姉さん綺麗だけど爪先が伸びてなくてなんだかなー」と少々ガッカリし、有名な「キャラバンの到着」に乗ってダンサー達が舞い踊るシーンも「お姉さん達は綺麗どころ集めてるけど、群舞のお兄さん達がちょいモッサいし、踊りがあんまり揃ってないよね」とダメ出しし、有名なカトリーヌ・ドヌーブと実のお姉さんであるフランソワーズ ・ドルレアックの双子の歌が始まると「化粧濃すぎてオバサンぽいなぁ。声もなんだか可愛くないし」と重箱の隅をつつき、マクサンスが歌うシーンでも「この金髪の兄さん、ネットでは美男子との誉れ高かったけど、姿勢悪いし、少なくとも私の好みではない」とバッサリ。
二十代の頃大好きだったジーン・ケリーの登場シーンでは、当時既に50オーバーなのは知ってたから「トシの割に若々しいじゃん」と好感触だったのも束の間、吹き替えの声に違和感かんじてモヤモヤ。

途中まではそんな調子で、一回見たらリピートは無いかもと思ったりしてたような気がするけど、さすがにやっぱりミッシェル・ルグランのサウンドは掛け値無しに素晴らしく、フランス語学習の助けにもなるだろうしと二度目三度目と流し見したり好きなシーンを選んで視聴したりしているうちに、あら不思議、気がつけばこの作品全体の虜に。

「好みじゃない!」とバッサリ切り捨てていたジャック・ペランにもいつのまにか愛着が湧き、可愛くさえ思えてくる今日この頃。なんか異質に思えていた、主に広場のシーンで踊っているカラフルなレオタードにヒラヒラした布をなびかせる帽子のご婦人方も気にならなくなってきた。
ジーン・ケリーが歌うシーンも「アンディが歌ってる」と思うだけで、実はカナダ人のドナルド・バークさんが歌ってることなんて知識として脳みそに記録されてるだけな今です。
サントラ聴きすぎて飽きるどころか禁断症状出そうだし。
メインキャラは言わずもがな、バラバラ殺人事件の現場のお巡りさんや野次馬含めてすべての登場人物、すべてのシーンが愛おしい。

あらすじを読んだだけではなんてことない物語。
ハリウッド的な緻密&豪勢マンセーだったり、この世界観が合わない人にしてみたら極めてつまらないお話なのかも。
バラバラ殺人という意味不明なエピソードも出てくるしね。

でも、ドゥミ監督のコダワリの数々がツボにはまる人にとっては、ダンスや歌唱のユルさ含めて愛すべきスルメなのです。
ソランジュのコンチェルトを聴いたダム氏が翌日にアンディのピアノを聴きながら「どこかで聴いた気がするけど、はて、どこで?」ってシーンも、才能はなかったかもだけど音楽の素養は人並み以上にあるだろう彼が敢えてボケるという「笑うとこ」なのだ。
そう、そもそもラブコメなのです。
「下着が出ていますよ」をあのシーンに盛り込む絶妙なセンス。
バラバラ殺人の犯人が知人だと判明しても「あらまあ」で済ます大らかさ(?)や、いくらなんでも子供も産まれるというのに苗字が嫌で相思相愛の恋人を捨てるイボンヌとか、アンディとシモンの年齢設定って?とかトラックの乗車人員の謎とかツッコミ処や疑問点はたくさんあるけど、どんな脇の甘さも納得できる独特の世界。
音楽漬けの人生を過ごしてきて初めて恋する喜びに浮かれるアンディがオッサンだって良いんです、だってジーン・ケリーなんだもの。
「シネマアンシャンテ」で読んだけど、ドゥミ監督とミッシェル・ルグランは観た人が幸福感に浸れる作品を作りたかったとか。
彼がこの映画に存在するだけで多幸感3割増し。
なぜなら生きる喜びを体全体で表現するのは、彼の得意中の得意技です。
多少枯れててもいいの。
そりゃこれが35歳ぐらいの彼なら言うことないけど、致し方なし。

そして愛すべき群像劇と綿密なシナリオ。
「金曜日の朝」から始まる登場人物すべてのキャラ立ち加減とそれぞれの関わり具合と出会うべき男女のすれ違いにニヤニヤさせられ、どうなることかと思っていると「月曜日の朝」にそれまでに広げた風呂敷を心地良いまでに見事に畳んでくれる手腕!
何度観ても胸が高鳴り、涙が出てきます。

この映画で初めてフランソワーズ・ドルレアックを知り、彼女の魅力にゾッコンな上にジーン・ケリーファンだった背景がある私、アンディとの出会いのシーンと再会のシーンがもう、とりわけ大好きで。





「あなたがあの外国人だったのね」
「あの外国人?」
「あなたがアンディなのね」
「そう、僕だよ」
「その譜面をどこで見つけたの?」
「道で」
「あちこち探してたのよ」
「僕も君をあちこち探してた」

ダム氏のお店のピアノでソランジュのコンチェルトを弾いていたアンディのもとに、あの時互いに一目惚れした彼がアンディその人だったとは知らずに会いにやってきたソランジュと交わす会話が胸熱で、それに続くダンスシーンの美しいこと!
ジーン・ケリー=タップなイメージだから、バレエ要素の高いダンスを見ると改めて彼のダンサー力がわかります。
フランソワーズ のダンスもターンが綺麗だし、良い意味でお人形さんみたいで、百戦錬磨のジーンに身を委ねてる安心感がとても良いです。
そして完成形となったピアノコンチェルトがもう、素晴らしすぎて。

ドゥミ監督とミッシェルがこの作品はジーン・ケリーありきだとオファーして、彼の体が空くまでの2年間を諦めなかった事に心から感謝だし、その判断がなかったらここまでの名作にはなっていなかったと思うのです。



アンディとソランジュの再開シーンの直前にデルフィーヌとマクサンスのニアミスシーン、そしてこの直後のシーンがイボンヌとシモンの再開シーンという怒涛の展開に何度見ても心臓が高鳴ります。
ドゥミ&ルグラン最高のお仕事。

ああ、今晩もまた観ちゃうな。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする