~風に吹かれて~ by ポー(paw)

-人の中に 人の創り出した物の中に 動植物の中に 地球や宇宙の中に 魂の琴線にふれ 愛を感じながら 生き込みたい-

南アルプス・仙丈ケ岳3(2018.9.21~24)

2018-10-23 17:38:37 | ・旅・山

う~、投稿できずにほぼ一か月経っちゃいましたねー。公私バタバタ忙しく・・・^^;

2018.9.21~24 南アルプスの仙丈ケ岳へ登ってきました。

9.22 続きです。

18:44 外にあるトイレに行って撮影。

18:50 仙丈ケ岳藪沢カール おやすみなさい~

夜中、トイレに行きましたが星が奇麗でしたよ。

山小屋のお兄さんに聞いたら、これだけ天候が良さそうなのは今シーズン数えるほどしかないとのこと。ならば、
早起きしてご来光を拝まなければ!
23日 05:30 日の出タイムということで、
04:30ごろ出発。私的にはご来光よりも、陽が昇るだいぶ前の
オレンジ~濃ブルーのグラデーションマジックアワーが最も好きなのです。

手前はヘッデンの灯り(笑

甲斐駒&八ヶ岳

富士山・北岳・間ノ岳

ご来光を待っていたら、バサバサバサとライチョウが数羽飛んできました。個体識別の足環が付いていますね。
かなり暗く、動きも早くてブレブレです。動画には可愛い鳴き声も入っていますよ。

富士山・北岳・間ノ岳

登山中、あちこちで「富士山・北岳・間ノ岳」の声が。みなさん、コレが見たかったんですよねー。

日本の最高峰1.2.3ですが、3位の奥穂高岳と間ノ岳は同じ高さ3190mなのかな?

とても柔らかなご来光となりました。かつて観たご来光の中で、これだけ包み込むような柔らかなご来光は初めてでした。
強烈な光が飛び込んでくるご来光も素晴らしいですが、あの世とこの世の繋がりを感じさせるこんなご来光も染み入るものです。

06:00 仙丈ケ岳・仙丈小屋に戻って朝食。 つづく~


南アルプス・仙丈ケ岳2(2018.9.21~24)

2018-10-21 08:34:58 | ・旅・山

う~、投稿できずにほぼ一か月経っちゃいましたねー。公私バタバタ忙しく・・・^^;

2018.9.21~24 南アルプスの仙丈ケ岳へ登ってきました。

15:01 遂に山小屋裏の「仙丈ケ岳藪沢カール」が姿を現しました。つづきです。
山小屋から少し下がり水場へ。
 カールの全貌がもっと良く見えるポイントを探して。

う~ん・・・分かりません。。。

まだ雲が流れてきて見えなくなったりします。

カールの全貌を観るポイントは遠そうだったので戻りました。

少し仙丈ケ岳方向に登りました。

雲がすごい速さで流れて?飛んでいきます。

 

 

わずかに彩雲っぽく。

槍ヶ岳

八ヶ岳

甲斐駒ヶ岳と摩利支天

18:04

つづく~


南アルプス・仙丈ケ岳1(2018.9.21~24)

2018-10-19 10:24:43 | ・旅・山

う~、投稿できずにほぼ一か月経っちゃいましたねー。公私バタバタ忙しく・・・^^;

2018.9.21~24 南アルプスの仙丈ケ岳へ登ってきました。

一週間以上前から天気図とにらめっこ。21日に登る予定でしたが、天候が一日ズラした方が良さそうとの事で、
山小屋予約も何とかズラすことができ行ってきました。

21日(金)お昼頃、中央道伊那ICで下りて、「高遠温泉さくらの湯」へ。雨でしたよ。ここの温泉、ものすごくツルツル
でした。ツルツルの温泉、あちこちで入っているけど、一番ツルツル?ヌメヌメ?してたんじゃないかなあ。さすがに
平日の雨なんでガラガラ。ほぼ地元のおじーさん、おばーさんのみ。昼食もこちらで。お蕎麦が美味しくてビックリ
しちゃいました。伊那市長谷にある道の駅「南アルプスむら」の有名なクロワッサンも平日なので売っていましたよ。
このクロワッサン、予約しておいて帰りに頂いて帰りました。小ぶりでちょっと甘めかな。

温泉でサッパリして南アルプス林道バスのりばの仙流荘へ。ここから一般車両は規制がかかっています。ガラガラの駐車場へ
クルマを入れて林道バスで北沢峠へ。

仙流荘14:20~北沢峠15:15林道バスもガラガラ。相変わらず雨です。。。

乗車中、道端の「フジアザミ」がたくさん見られましたよ。 山の景色は全くNG。

北沢峠・こもれび山荘

未だ山に登っていないのに、今夜のお宿・こもれび山荘へ(笑

雑魚寝スペースは一人1人カーテンで区切られていて快適でした。料理も美味しかった^^
標高2036m 収容人員 110人 https://hyakkei.me/articles-704

9.22 06時頃、雨の中を出発!

長兵衛さんの作られた登山道を二合目まで登り・・・

五合目の大滝ノ頭(2510m)

幾つかの沢を渡り・・・

09:25 藪沢小屋(2550m) 相変わらず、亀の歩みのように登っています(笑

ナナカマド

う~ん・・・コバイケイソウの枯れ姿かなあ?

トリカブトですね。

最後の大きな沢を渡り・・・

馬の背ヒュッテ(2640m)到着~。

ず~っと雨でしたね。こちらの山小屋に上がらせてもらって、おでん注文して持ち込み合わせて昼食させてもらいました。

防鹿柵、ありましたよ。

枯れリンドウでしょうか?

12時頃、ハイマツ帯に入ってきました。天候悪いから、せめてライチョウでも現れないかなあと思いましたがNGでした。

水場を通り・・・・

13:17 仙丈小屋到着! 

ガスっています。ずっと雨の中だったので早めにチェックイン。おかげで長い雑魚寝脇の階段上の場所にしてもらえました。

ビール飲んで寛いでいると・・・

14:15 お~雲が切れてきた。

15:01 遂に山小屋裏の「仙丈ケ岳藪沢カール」が姿を現しました。つづく~


橘樹神社(千葉県茂原市)

2018-10-05 14:56:57 | ・神社・お寺

2018.9 千葉方面の神社を詣でました。 ラストは橘樹(たちばな)神社。上総国二宮です。

橘紋

拝殿には「橘木神社」と。

立派な本殿でした。

本殿には「橘神社」と。

ここから奥は「弟橘比売命御陵」

吾妻池

誰も参拝に訪れる方は居ませんでしたが、空気・空間の静かな溶け込んでしまいそうな場でした。

橘樹神社

・千葉県茂原市本納にある神社。式内社、上総国二宮で、旧社格は県社。
・神紋は「橘」。
・古くは「橘神社」・「橘木神社」とも記された。現在は「橘樹」の2字で「たちばな」と読む。

・主祭神:弟橘比売命 (おとたちばなひめのみこと)

・相殿神:日本武尊 (やまとたけるのみこと) - 弟橘比売命の夫。 忍山宿禰 (おしやまのすくね) - 弟橘比売命の父。

社伝では、日本武尊が東征した際、相模から上総へ渡ろうとした時に海上で暴風に遭った。弟橘媛が海に身を投じて
日本武尊の難を救ったことから、日本武尊が弟橘媛の御陵を作り、弟橘媛の櫛を納めて、橘の木を植えて祀ったのに始まると
伝える。

国史の初見は、『日本三代実録』元慶元年(877年)5月17日条、従五位勲五等の橘樹神に正五位下の神階を授けるという
記述である。元慶8年(884年)7月15日、正五位上の神階が授けられ、日本武尊・忍山宿禰が合祀された。『延喜式』
神名帳には上総国長柄郡に「橘神社」と記載され、式内社に列している。

本殿は、江戸時代の寛政12年(1800年)の造営。本殿の背後には、弟橘比売命御陵とされる古墳が残る。本殿が造営される
まで、拝殿から直接古墳を拝む形となっていたという。また、境内の吾妻池はこの墳墓を掘った跡の穴であると伝えられる。
by wikipedia

こちらは神奈川県横須賀市走水にある走水神社の弟橘媛(オトタチバナヒメ)のレリーフ

上総国へ船出した日本武尊は、海上で暴風雨に遭い、弟橘媛が海へ身を投じて暴風雨を鎮
めた。数日後、海岸に弟橘媛の櫛が流れつき、村人は旗山崎(御所ヶ崎)に社を建てて櫛
を納めた。この社が弟橘媛を祀る橘神社であったが、明治18年(1885年)に旗山崎が軍用
地になり走水神社境内へ移され、明治42年(1909年)に合祀された。走水神社by wikipedia

「橘樹神社」でググると、川崎市高津区の橘樹神社が上位にヒットします。この神社も、、日本武尊と
弟橘媛の男女2躯の神体を祀り、かつては立花社ともいわれていたようです。また近くの子母口富士見台の
高台にある「富士見台古墳」は、一説には弟橘媛の「御陵」であるとも伝えられているが、史料がなく
具体的なことは分かっていないとの事。川崎・橘樹神社by wikipedia


玉前神社(千葉県一宮町)

2018-10-04 16:51:04 | ・神社・お寺

2018.9 千葉方面の神社を詣でました。2016.12.31大晦日にも詣でています。

その時は残念ながら本殿・幣殿・拝殿は、建て替え工事中(平成29年3月竣工)でしたが、今回はばっちり^^

神社前の明治時代に建てられた古い土蔵を改装したかき氷店「赤七屋」。2017.5開業ってことは前に行ったときは
未だオープンしてなかったんだな。。。人気ですねー。

前回参った時には気が付かなかったのですが、鳥居脇に「御神水」。ちょっと錆っぽい鉄分の多い水でした。

黒い拝殿になっていました。

 

「はだしの道」くつを脱いではだしで、入口から時計回りに3周まわると願い事がかなう・・・玉砂利が痛そうです。

彼岸花が咲き始めていました。

立派な社務所でした。

前回は改修中でしたので境内の様子が良く分かりませんでした。黒塗りの拝殿・本殿は迫力がありましたね。
参拝者でけっこう賑わっていました。さすが一宮ですね。

玉前神社

式内社(名神大社)、上総国一宮。旧社格は国幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。

祭神は、玉依姫命 (たまよりひめのみこと)

社伝では、玉依姫命は海からこの地に上がり、豊玉姫命から託された鵜葺草葺不合命を養育した。のち鵜葺草葺不合命と結婚し、

神武天皇(初代天皇)らを産んだとされる。『延喜式』神名帳を始めとして文献上は祭神は1座とされているが、古社記には

鵜茅葺不合命の名が併記されている。そのほかに『大日本国一宮記』では前玉命とし、また天明玉命とする説もあった。

延長5年(927年)成立の『延喜式神名帳』では、上総国埴生郡に「玉前神社 名神大」と記載され、名神大社に列している。また、

上総国一宮として崇敬を受けたとされる。by wikipedia

●無形民族文化財「上総12社祭り」

平城天皇の御代・大同二年(807)創始と伝えられるこのお祭りはご祭神玉依姫命とその一族の神々が由縁の釣ヶ崎海岸で年に一度

再会されるという壮大な儀礼。


笠森観音・笠森熊野神社(千葉県長南町)

2018-10-03 15:56:39 | ・神社・お寺

 2018.9 千葉方面の神社を詣でました。

笠森熊野神社

この岩のくぼみは熊野神社の真裏にありました。

駐車場が満杯になるほど訪れている方が多かったです。

笠森観音の境内にあります。 「笠森寺」は、延歴三年(784))の開基と伝えられています。 坂東33観音霊場の第31
番札所として知られています。 岩山を背に、それぞれ高さの違う61本の柱で支えられた全国でも珍しい 「四方懸造」の観音堂
があり、国の重要文化財となっています。

神社は、お寺への参道の途中に鎮座。赤い鳥居が迎えてくれます。
御祭神:素盞鳴命
由緒:由緒は不詳であるが寛仁二年の創立といわれる。http://www.mikumano.net/ztiba/tyonan6.html様より。

五月雨にこの笠森をさしもぐさ  松尾芭蕉

笠森観音へは、2016.12にも訪れております。


高瀧神社(千葉県市原市)

2018-10-03 15:39:07 | ・神社・お寺

2018.9 千葉方面の神社へ詣でました。 

江戸尾立ての狛犬

境内にはたくさんの実が落ちていました。なんの実でしょう?

明治に建てられたようです。洋風な石碑ですね。調べましたが良く分かりませんでした。

底なし袋

高滝神社  祭神:瓊瓊杵尊 玉依姫命 別雷命

高滝湖を前に、松尾山を背に神社は鎮座しています。

良い空気・空間に鎮座する神社でした。高滝ダム(高滝湖)ができる前、養老川はしばしば氾濫して流域に被害を与えていた
ようです。川の氾濫を鎮める祈祷も当然ながら行われていたのでしょうね。
詣でたときは静まり返っているイメージでしたが、高瀧神社の秋季大祭は、喧嘩祭りとも呼ばれ、流鏑馬や神輿の渡御などが
行なわれます。花嫁まつりは、高滝神社の春季例大祭で行われる神事です。この1年間に結婚した花嫁が仲人に付き添われ
花嫁姿で参詣し子授祈願・家内安全を祈願します。これは氏子内に来た花嫁がご結婚の報告と感謝の心を捧げる行事です。
同時に稚児行列も行われます。
花嫁祭りとして知られているようです。
http://maruchiba.jp/sys/data/index/page/id/13424/より。

高滝神社の森は、房総半島のほぼ中央に位置しており、標高80mの丘陵の松尾山にある高滝神社の約1万6千平方メートルに
およぶ社域をおおっています。島状の独立した丘陵の上に発達した杜のため閉鎖的な森林生態を示し暖帯林の特徴をもつ自然林が
尾根伝いにまとまっています。北面には、樹高20mを超える巨木のほか、クリ、クヌギなど落葉広葉樹が繁茂し、アラカシ、
ヒイラギなど常緑広葉樹も混生しています。南面には、シダが多くタブノキ、アラカシなども混生し植生を示しています。
高滝神社(通称加茂大神宮)は日本実録に名を残す古社です。https://maruchiba.jp/sys/data/index/page/id/3394 より。

この神社の創建年代については不詳であるが、「日本三代実録」に記されている。平安時代末ごろ、上賀茂社、下鴨社から分霊を
勧請したという。そのことから、「賀茂明神」と称されていたが、1880年(明治11年)現社名に改められた。by wikipedia

高滝神社由緒
当社は三代実録に貞観十年(868)九月十七日上総国正六位上高滝神従五位下とあり白鳳二年八月鎮座された。古くより安産及び
稚児の安健生育を祈るに神験いちぢるしく底なし袋の信仰は当社独特のものとなった。天正十九年に徳川家康より十石の朱印地の
寄進があった。明治六年郷社に同十三年県社に列せられ現在二千二百余戸の氏神として信仰をあつめて居る。現存する社殿は
享保十二年(1727)再建されたものである。http://www.komainu.org/chiba/itiharasi/takataki/takataki.html より。