~風に吹かれて~ by ポー(paw)

-人の中に 人の創り出した物の中に 動植物の中に 地球や宇宙の中に 魂の琴線にふれ 愛を感じながら 生き込みたい-

放光寺&小屋敷堰&旧武藤酒造米蔵(山梨県甲州市)~美しき水路

2022-04-26 09:03:06 | ・神社・お寺

2022.4.16~18 山梨県へ出かけました。その時に参った神社仏閣を投稿します。

大石神社を参拝後、甲州市の真言宗智山派・高橋山・放光寺周辺へ。

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参道市を行っていましたよ。小雨が降り始めました。

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仁王門

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本堂

放光寺(ほうこうじ)は元暦元年(1184)源平合戦で功績をたてた安田義定が一ノ谷の戦いの戦勝を記念して創立しています。

武田氏滅亡のおり、隣の恵林寺と前後して織田勢の兵火を受けすべて焼失したのです。現在の建物はその後のもので、仁王門、愛染堂は天正年間(1573~1592)に再建、庫裡は慶長年間(1596~1615)、本堂は柳澤吉保の援助を受け保田若狭守宗雪が寛文年間(1661~1673)に再建しております。下記サイトより引用。

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藍染堂

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愛染明王は真言宗の奥儀である「煩脳即菩提」を示す仏様。
愛欲をはじめすべての欲望にとらわれ染まる衆生を浄化解脱させる明王。

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南側には、戦国時代、武田信玄により再興された甲斐武田氏の菩提寺(臨済宗妙心寺派に属する寺院・恵林寺)があります。

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道祖神丸い石が祀られていました。この丸い石については以前紹介しましたが、

丸石神

・山梨県一帯に数百か所も祀られている。
・他地域ではほとんど全く見ることができない。その出自に関する伝承もない。
・自然の産物なのか、人の手が加わったものなのかも分からない。
・多くは道祖神のように道路の辻や人の集まる公共の施設の近くにあるが、神社の境内にあったり、屋敷神よろしく家の敷地内にあることもある(下記サイト様より抜粋)。
 

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前日にこの辺りで道に迷ったのですが、すごく良い場所で惹かれたので再度、訪れてゆっくり時間を過ごしたのでした。

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水の流れが美しいです^^

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宝永5年(1708年)小屋敷村古区図面の一部(小屋敷田遵家所蔵)(村内に用水[堰]が張り巡らされている)

小屋敷堰

ここに流れる用水(堰(セギ〕)は小屋敷堰と呼ばれる。ここ松里地区等を潤すための笛吹川から取水する堰は、上流から各々藤木堰·小屋敷堰·井尻堰の三つの堰であり、この地域の社会基盤となっている。
小屋敷堰は江戸明治時代以前にはこれより北に約3kmの下柚木目窪地(下柚木橋より上流約500m)において笛吹川から取水、ここから下流で藤木堰が合流し、小屋敷·三日市場ばかりでなく千野·塩後·於曾·熊野·西広門田の旧塩山地区にも水を供給し、取水方法は変わっても現在に引き継がれている。この堰はこれらの地域すべての田畑を潤すばかりでなく生活用水としても必須の堰である。
平成二十九年、古来からの堰の取り入れ口近傍の下柚木目窪地において、甲州市文化財課の指導のもと堰跡が発見された。宝永二年(1705年)の古文書によるとこの堰は樋(長さ2間幅1間4尺)により水を渡していたとの記述もあり、またこの堰を利用している広範な地区住民が集まり堰普請を行うことが必須であったとも記されている。
この堰はこの古文書において、三日市場天王宿の徳美屋敷を治所とする徳美藩(1633年~1698年)が小屋敷堰と藤木堰の間に胡桃を植えさせたという記録もあり1600年代には堰が存在していたことが明確に記載されている。
また恵林寺創建元徳二年(1330年)、開山夢窓疎石はここにこの用水を用いた庭園を造っており、鎌倉時代にはすでに小屋敷堰があったと推定される。
また、甲州市文化財課によるとごの堰は「条里制」に沿ったもので律令時代(七世紀後半)には存在していた可能性は高いとの見解もあり、更なる歴史探求が望まれるが、長い歴史を有するこの堰は松里地区ばかりでなく甲州市の大事な社会インフラとなっている。平成三十年三月 松里史跡調査会 看板より。

すごいですね!7世紀後半には作られていた可能性ありだって^^

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ハナミズキもキレイでした。

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交差する用水路の辺りに、すごい家屋が建っていました。

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旧武藤酒造米蔵

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見学できないのかな?

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惹かれますね~^^


山梨県 キャンプと温泉と桃源郷と(107.とらべるショット)

2022-04-22 07:50:58 | ・旅・山

2022.4.16~18 山梨県へ出かけました。

16日 土曜日 7時過ぎに家を出ましたが20KM近く事故渋滞との事で稲城ICで降りて、ちんたら下道を西へ。 

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大月市・桂川の新緑 キレイでした~^^

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山梨県甲州市 道の駅・甲斐大和

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道の駅の手打ちそば処『そばの実』ちょうど11時から開店って事で早めにお昼を^^

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昨年もそうでしたが、コロナ禍で山梨県は何処もお店の入店管理がしっかりされています。

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天目そば

ここは「そば切りの発祥の地」との事ですが、二説あるようですよ。

『山梨のそば』(山梨日日新聞社出版局 1996)には、「そば切りの発祥の地には…長野県・信州本山宿(木曽の楢川村)と山梨県・甲州天目山(大和村棲雲寺)の二説がある」とある。「そば切り」は、現在のような細く切ってゆでる「そば」のことで、江戸時代の初めごろに生まれた。それ以前は、焼き餅のようにしたり、雑炊やすいとんのような形で食べられていた。
元禄年間から享保に至る30年余りの間に尾張藩士の天野信景が書いた随想録『塩尻』に、「蕎麦切は甲州よりはじまる、初め天目山へ参詣多かりし時、所民参詣の諸人に食を売に米麦の少かりし故、そばをねりてはたことせし、其後うとむを学びて今のそば切とはなりしと信濃人のかたりし。」と記されており、大和村(現甲州市)の天目山棲雲寺(栖雲寺)が発祥の地とされています。

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勝沼町に入ると南アルプスが拝めました^^

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三光寺(勝沼町)の大スギ

存在感のある大杉で通り過ぎてから後ろ髪を引かれ、戻って撮影。このスギは三光寺(勝沼町)が宮宕山から、この地に移された康永元年(1342年)頃この場所に植えられたものと推定されています。そうすると樹齢700年近いわけですね。ですが、2018年の台風24号で大枝がねじれるように倒れて幹の3分の1を剥ぎ取ってしまってそうです。十分に風格はあるのですが、ちょっと痛々しい姿でした。

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山梨市牧丘町 タンポポの黄色と桃の花のピンクが良い感じ^^

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いつもの牧丘町のキャンプ場のお手伝い^^

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キャンプ場の斜面に階段を作りましたよ。
いや~楽しかったです。いつもなら「乾杯するよ~」「ピザ焼けたよ~」の声に即反応するのですが、あまりに階段作りに没頭しちゃって・・・。飲んだら、まず動けなくなるからということで、ほぼ形になるまで、みんな、夢中で取り組みました(笑)。童心になっちゃいましたね~。子どもの頃って、こうやって夢中で遊んでいたんだろうなあ。

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タケノコの丸焼き 豪快です。美味しかったです^^

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肉眼より星がよく見えて写っています。スマホ HUAWEI P30 Proにて。まだまだ使えますね^^ 久々にカラオケ(マイク無し(笑))やったり楽しい夜でした。

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タラの芽 これは・・・1番芽なのかなあ。大きいなあ。

タラノメは、はじめに1番芽が出てきます。その後、その両脇から2番芽と3番芽が出てくるのですが、摘んで良いのは1番芽だけです。全ての芽を摘んでしまうと、その木は枯れてしまいます。https://www.yamareco.com/modules/diary/269024-detail-162750様より。

4.17(日) キャンプ場を離れ、塩山市へ。

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塩ノ山

「塩山」は市域南西部に位置する「塩の山(しおのやま)」に由来し、古代から「さしでの磯」(山梨市)とともに歌枕として知られています。この塩の山、上の写真のようにポンと盛り上がっています。

塩山温泉 源泉の地の脇からこの塩の山を少し歩きました。塩の山については下記のようなピラミッド、UFOなどの7不思議があるようですよ。

 

『志ほの山 さしでの磯に すむ千鳥 君が御代をば 八千代とぞなく』

「古今和歌集」の「詠み人知らず」の句です。「塩の山に近い差出の磯に棲息するちどりが、天皇の治めるこの時代が八千年も長く長く続くように鳴いている」の一首です。があるが、天下の名勝・差出の磯は奈良・平安時代の昔から文人墨客が訪れ、その感懐を詩歌や絵画に残しています。

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差出の磯は、ちょうどこの辺り。山梨市駅の北の笛吹川兄川・弟川が流れ込む辺りですね。この写真は差出磯大嶽山神社より撮影。

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塩の山の西の向嶽寺

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向嶽寺ひょうたん池

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向嶽寺中門(重要文化財)

向嶽寺・・・禅寺で臨済宗向嶽寺派の大本山。向嶽寺の開山は抜隊得勝(ばっすいとくしょう)禅師〔慧光大円禅師〕です。塩山温泉は、約650年ほど前に向嶽寺の開祖である抜隊禅師が発見したと云われています。

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サクランボ狩りの窪田農園

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大切に囲われたハウスの中ではサクランボ用のサクラが満開でしたよ。

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4.17(日)夜は塩山温泉の宏池荘(こうちそう)にお世話になりました。

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おお!いろいろな方が来られてますね~。

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部屋窓より。

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部屋 昭和っぽいです。落ち着きます^^

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源泉のpH値:10.1アルカリ性 源泉の温度:23.8度

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思わず笑っちゃう十訓でした^^

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貸し切り露天風呂

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奥に大浴場 500円で日帰り入浴できます。

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夕食 おなかパンパンになりました^^

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朝食 

8時の朝食後、支度をして出発~ とりあえず桃源郷が見たいなと・・・

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笛吹市の桃源郷菜の花畑

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もう花摘みされていますね。

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25万本のモモの花、一斉に開花 山梨・笛吹市(2022年4月9日) 例年より5日早かったそうです。

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花摘み前だと、盆地の方ももっとピンク色で綺麗だったでしょうねー。

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観光用で花摘みされてないのかな?別種かな?キレイでした^^

その後、県内の幾つかの神社を参拝していたら、韮崎で以前来たことがあるような大きなサクラが・・・・・。

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韮崎の「わに塚のサクラ」 樹齢約300年、幹周り3.6m、樹高17mの一本桜で、市の天然記念物 もう葉桜になっていますが、過去のブログをひっくり返したら出てきました。

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2010.4.11撮影。この時、桃源郷ももっとピンク色っぽかったので桜開花辺りに桃も開花なんでしょうね。

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ハナミズキの街路樹もあちこちでキレイでした^^

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山梨県内で参った神社は、それぞれ下記神社ブログに投稿していきます。写真は穂見神社。

神社たち by matol

神社たち by matol

わたし(matol)の神社参拝記録です(お寺も含めます)。

神社たち by matol

 

筑波連山・加波山 参拝ハイキング(106.とらべるショット)

2022-04-19 19:15:00 | ・旅・山

2022.4.12 加波山(かばさん)に登ってきました。

 

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土浦北ICを降り、しばらく北西に走ると筑波山地が見えてきます。 

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ところどころヤマザクラ?が咲いてますね。新緑が良い感じ^^

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途中に鎮座していた茨城県石岡市小幡の「白鳥神社」。桜に誘われて車を停めて参拝。

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筑波山

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加波山三枝祇神社 本宮&親宮 遥拝殿・里宮 天狗さん^^

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加波山神社 真壁拝殿(里宮) 天狗さんの目が光っていました^^

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加波山

この真壁拝殿前の駐車場に車を停めて登る??と思ったけど、ちょっと遠そうなんでしばらく車を走らせると・・・

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加波山・二合目 の寝不動尊 ここでトイレをお借りして更に上ると・・

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なんか凄い建物が・・・・。この対面が駐車場になっていて、そこに車を停めました。

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道路沿いを上るルートと

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鳥居のある加波山本宮参道があって、参道を上りましたよ。

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しばらく上ると、大きな石が出てきました。

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ミヤマキシミがキレイに咲いていました。

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更に上ると・・どんどん、デッカイ石が増えてきます。

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割れてます^^;

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修験系の香りが漂っています。

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山頂手前。〇〇先生の石碑などがひしめいています。 

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山頂付近は大石、大岩でひしめきあっています。山頂は何処だったのかな(笑)

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力強さを感じますね。

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加波山三枝祇神社本宮本殿と板状の大岩

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この加波山三枝祇神社本宮本殿の板状の大岩は凄い存在感です。

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三尊石 少し下るとこんな岩も。

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加波山は標高709m

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こちらは加波山神社中宮本殿(加波山天中宮)

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春霞?でボワッとしていました。

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山を下り始めると・・・おお!カタクリが咲いていました^^ 

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更に、下を見ると、おお!枝垂桜がこれでもか!という感じで満開^^

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加波山神社・拝殿  加波山三枝祇神社・親宮・拝殿

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加波山三枝祇神社親宮拝殿前でもカタクリが^^

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枝垂桜、上から観た方がインパクトありましたね。

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「山を守る 鳥を守れ」林野庁 けっこう年代物ですね~

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山を下ると、ニリンソウが群生して咲いていました。

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ヤマブキもこんなに咲いていました。

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採石場 花崗岩(真壁石)

古来から、加波山は良質な真壁御影石(=花崗岩)を産出してきました。

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ネコちゃんが運転してました(笑)

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筑波山が見えていました。

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気温上昇で水戸で26.4℃!いや~、今シーズン初登山でしたが登りがキツくてヨレヨレになりましたわ。帰宅後、さほど筋肉痛が出なかったということは、やはり暑さにやられたみたいです。鍛えなきゃ^^


民芸・陶芸の栃木県益子町 濱田庄司記念益子参考館

2022-04-08 15:28:00 | ・旅・山

 

2022.4.5 神社参拝を兼ねて陶芸の町・栃木県益子町へ。まずは腹ごしらえ(笑)

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益子町の南外れにある「呑珠庵 (ドンジュアン) 」
十割そば、美味しかったです^^ お塩はうま味を引き出しますねー。

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白い鳥居と桜 良い風景です^^

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益子町の北にある小宅古墳群((前方後円墳6基、円墳29基、総数35基からなる古墳群)・・・ 小貝川の支流である小宅川の右岸丘陵上の平坦面及び南向きの緩斜面に立地しています。菜の花の黄色がキレイでしたよ。桜はいろんな種類があって次々に咲きそうです。隣接する亀岡八幡宮は後ほど投稿します。

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益子陶芸美術館/陶芸メッセ・益子

残念ながら展示替えのため休館でしたが散策はできました。

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旧濱田庄司邸
実際に濱田庄司が住んでいた茅葺の邸宅を移築。

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薪窯

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登り窯

濱田庄司が生前に愛用していた登り窯を移築復元。

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その後、すぐ近くにある、濱田庄司記念益子参考館へ。3月の「新美の巨人たち」の放送を観て一度来てみたかったのでした。

 

公益財団法人濱田庄司記念益子参考館

公益財団法人濱田庄司記念益子参考館

Shoji Hamada Memorial Mashiko Sankokan Museum

公益財団法人濱田庄司記念益子参考館

 
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大谷石の石蔵を利用した展示室です。2号館では主に西洋やオリエントの蒐集品を、3号館では日本や中国、朝鮮、台湾などアジアの蒐集品を展示しています。

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栃木県産の大谷石の石蔵は、県内の特徴的な建築の一つ。益子参考館の石蔵は、隣町の真岡市から移築されたものです。

いや~、美しいです。大谷石、いいなあ。渋いなあ。

公益財団法人 濱田庄司記念益子参考館は、陶芸家濱田庄司が長い時間をかけて蒐集した陶磁器、漆器、木工、金工、家具、染織、その他工芸品を展示・公開するために、濱田庄司の自邸の一部を活用する形で1977年4月に開館しました。

 濱田の蒐集は、日本国内にとどまらず、中国、朝鮮、台湾、太平洋諸国、中近東、ヨーロッパ、中米などの各地に広がり、時代的にも古代から近現代まで多岐にわたります。

 その蒐集品は、自分の作品が負けたと感じたときの記念として、購入し蒐集した諸品でもありました。これらは、濱田の眼を楽しませ、刺激し、制作の糧となったもので、身辺に間近くおいて親しんだものでした。

 濱田庄司記念益子参考館は、濱田がそれらの品々から享受した喜びと思慮を、広く工芸家および一般の愛好者と共にしたい、また自身が制作の際に参考としたものを、一般の人たちにも「参考」としてほしい、との願いをもって設立されました。

 現在では、それらの蒐集品に加え、濱田庄司自身の作品および、バーナード・リーチや河井寛次郎ら、濱田が交流を持った作家たちの作品も合わせて展示・公開しています。https://mashiko-sankokan.net/top/about/より引用。

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濱田庄司が使用していた工房(細工場)

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登り窯

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登り窯の内部

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赤絵窯

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登り窯(塩釉窯)

顔みたいですね^^ 登り窯はイモムシのようです^^

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長屋門 
濱田庄司は長屋門がお好きだったようですね。「門」から入ったり出たりする行為は、「域」をまたぐわけで、人の精神の切り替えも行われるように思いますね。

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4号館は、「上ん台(うえんだい)」と呼ばれた濱田庄司の別邸を展示棟として公開・活用しています。家具や食器類などの蒐集品を展示しています。イギリスのウィンザー・チェアーや濱田デザインのテーブルセットなどで、ご休憩いただくこともできます。

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美しいです。

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建物の外から・・・美しい・・・

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建物内部

1942年に隣町から移築した大きな母屋で、濱田庄司のもっともお気に入りの建物でした。豪壮な庄屋建築ですが、土間部分を板張り・石敷きにするなど、移築時に濱田が様々な手を加えており、独特の雰囲気を持つ建築となっています。
 イギリスや日本の家具、木喰仏など様々なコレクションを陳列しています。

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囲炉裏(いろり)には薪がくべられていました。室内には薄っすらと煙が・・・。懐かしい匂いがしていましたよ。照明も素敵だなあ。

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階段箪笥(たんす)も良いですね。

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ウィンザー・チェアー、座り心地良かったですよ。抹茶をいただきました。

いや~、民芸・・・落ち着きますね~。歳かな(笑)

民芸運動民藝運動、みんげいうんどう)とは、1926年大正15年)、「日本民藝美術館設立趣意書」の発刊により開始された、日常的な暮らしの中で使われてきた手仕事日用品の中に「用の美」を見出し、活用する日本独自の運動。21世紀の現在でも活動が続けられている。「民藝」とは、民衆的工芸の意[1]

日本民藝館の創設者であり民藝運動の中心人物でもある柳宗悦は、日本各地の焼き物染織漆器、木竹工など、無名の工人の作になる日用雑器、朝鮮王朝時代の美術工芸品、江戸時代の遊行僧・木喰(もくじき)の仏像など、それまでの美術史が正当に評価してこなかった、西洋的な意味でのファインアートでもなく高価な古美術品でもない、無名の職人による民衆的美術工芸の美を発掘し、世に紹介することに努めた(柳が収集活動を行っていた時代の日本では「李朝」という用語が一般的で、柳自身ももっぱら「李朝」を用いているが、本項では「朝鮮王朝時代」の表記を用いる)。

雑誌『白樺』の同人であり西洋近代美術の紹介者でもあった柳は、1914年(大正3年)、朝鮮陶磁研究家の浅川伯教との出会いを通じて朝鮮の美術に関心をもつようになり朝鮮王朝時代の白磁、朝鮮民画、家具などの素朴な美を世に紹介することに努めた。

1923年関東大震災の大被害を契機として京都に居を移した柳は、濱田庄司河井寛次郎らとともに、いわゆる「民藝運動」を展開した。柳、濱田、河井らは、当時の美術界ではほとんど無視されていた日本各地の日常雑器、日用品など、無名の工人による民衆的工芸品の中に真の美を見出し、これを世に広く紹介する活動に尽力した。運動の中心であった柳は、当時ほとんど研究が進んでおらず、美術品としての評価も定まっていなかった日本各地の民衆的工芸品の調査・収集のため、日本全国を精力的に旅した。
民芸運動 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』最終更新 2022年1月17日 (月) 16:27 

白樺』(しらかば)は、1910年4月に創刊され、1923年8月に廃刊された文芸雑誌・美術雑誌。本誌は武者小路実篤志賀直哉木下利玄正親町公和細川護立ら上流階級の青年たちによって創刊された。有島武郎学習院の関係者が多く集い、岸田劉生も表紙装丁を担当したり、文章を掲載したりした。その他のメンバーに、有島生馬里見弴長與善郎柳宗悦園池公致児島喜久雄郡虎彦[1][2]

白樺派の活動の中心として第一次世界大戦期の日本文学で大きな役割を果たした。個性主義・自由主義を基調とした。1923年8月まで続き、全160号が発刊された。161号も刊行予定だったが、関東大震災の影響により廃刊となった。

創刊号の表紙には白樺の若木が描かれた。武者小路実篤による夏目漱石それから』の評論や、志賀直哉の『網走まで』が掲載された。

白樺 (雑誌)出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』最終更新 2021年8月23日 (月) 09:08 
 

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http://www.pejite-mashiko.com/top/

 


ウミウシ~大瀬崎ダイビング~ウミウシ探索日記

2022-04-06 10:23:35 | ・ウミウシ関連(ダイビング含)

 

美しいウミウシ(日常会話) - LINE スタンプ | LINE STORE

美しいウミウシ(日常会話) - LINE スタンプ | LINE STORE

今まで出会ったウミウシたちです。愛情込めて撮った子たちの写真を加工して制作しました(日常会話入り)。

LINE STORE

 

現在、ウミウシのLINEスタンプを「動くスタンプ」「カスタムスタンプ」「英語バージョン」など、13種作成・販売しています。宜しくお願いします。

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20022.4.1++ウミウシ探索隊++静岡県沼津市大瀬崎ダイビング(記録抜粋)

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前日は良い天気で暖かでしたが、この日は北風で寒かったですね~。

久しぶりに大瀬崎でダイビングしてきました。なんと、ほぼ10年ぶりのダイビング(笑)なかなか難儀しましたが、ガイドさんのおかげでウミウシ探しは存分に楽しめましたよ。

この数年、温暖化の影響(気温、水温、潮など)?で、ウミウシは少なくなっているようです。温暖化→気温、水温上昇→植物プランクトン、海藻場減少→それを食べる動物プランクトン減少→ウミウシも減少・・・こんなイメージでしょうか。濁りも減ってサンゴの海のようになってくるのでしょうか?そんなウミウシ減少の中、ガイドさんのおかげで沢山の種を見ることができました。

今回、大瀬崎・湾内3本のダイビングで出会ったウミウシは、

1.カラスキセワタ
2.ゴシキミノウミウシ
3.フジタウミウシ属の一種
4.サミドリモウミウシ?
5.イボヤギミノウミウシ(初)
6.ベッコウヒカリウミウシ
7.ミツイラメリウミウシ
8.ホシアカリミノウミウシx2(初)
9.サラサウミウシ
10.イソウミウシの仲間①
11.イソウミウシの仲間②
12.ビワガタナメクジ
13.ミノウミウシの仲間
14.マンリョウウミウシ
15.アメフラシの仲間
16.イナバミノウミウシ
17.コマユミノウミウシ
18.スナチゴミノウミウシ(初)
19.ケイウミノウミウシ(初)
20.ウデフリツノザヤウミウシ
21.ハナオトメウミウシ(初)
22.ツノザヤウミウシ(初)
23.コシイノミガイ(初)

でした。

海の案内人ちびすけ

海の案内人ちびすけ・川原さん、ありがとうございました 感謝感謝^^

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1.カラスキセワタ
でかかったです。60mmくらい。こんなに大きくなるんですねー。
2007年5月・横須賀市長井5丁目の磯で黒い20mm位の個体を見て以来でした。

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5.イボヤギミノウミウシ 20mm位(初)
イボヤギのポリプに擬態し、接触する(本ウより)。まさにイボヤギに乗ってますね。これで2個体なのかな?

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6.ベッコウヒカリウミウシ 25mm位
このウミウシとは過去に3回、いずれも8~9月に葉山町の磯場で観察しています。
 

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14.マンリョウウミウシ 80mm位
あまりのデカさに仰天しました(笑) 三浦の磯ではたまに見かけます。
 

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18.スナチゴミノウミウシ 15mm位(初)
丸い球の左上に乗っています。こいつは驚きました。丸いゴカイ?のブヨブヨした半透明の卵塊に居ました。この卵を食べるようですね。いや~、やっぱりウミウシは面白いですわ^^

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19.ケイウミノウミウシ 20mm位(初)
よいしょ、よいしょ・・・キレイなデザインですねー。出会えて嬉しかったです^^

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20.ウデフリツノザヤウミウシ 25mm位
通称「ピカチュウ」にも会えました。磯には居ません。

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22.ツノザヤウミウシ 25mm位(初)
やっと出会えましたね(笑) ツノザヤ系は磯では見られません。

~おまけ~

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サツマカサゴ 白くてデカかったです。

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ウミテング やっぱり面白いカタチだなあ。  

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COCOMO OSEZAKI | COCOMO OSEZAKIは伊豆大瀬崎にある、ダイビングスクール&ダイビングサービスです。

午後から晴れてきました。静岡県沼津市・大瀬崎

10年ぶりのダイビングでメタメタでしたが、一日中ウミウシを探しまくった楽しい時間帯でした^^


2022.4 春風景 ソメイヨシノetc(118. HUAWEI P30 Pro)

2022-04-04 16:04:11 | ・matol HUAWEI P30 Pro

強烈な三寒四温で身体が悲鳴を上げています(笑)。

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ハナミズキのツボミ 色合いとカタチが良いですね^^

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枝垂れ桜 八重だったのかな、華やかで枝垂れ桜っぽくないですね。

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あっという間に散り始めましたね。

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ソメイヨシノもキレイですが、見上げたり写真を撮っている人の表情や様子が良いですよね。ひとりひとり、それぞれの思いのフィルターで見つめているんだろうなあ。

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杉並区立蚕糸の森公園 キレイでしたよ。

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ソメイヨシノの花びら・・・米粒みたいです(笑)

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阿佐ヶ谷神明宮にて

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京王井の頭線・永福町付近。踏切の下に・・・

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土筆(つくし)が^^