~風に吹かれて~ by ポー(paw)

-人の中に 人の創り出した物の中に 動植物の中に 地球や宇宙の中に 魂の琴線にふれ 愛を感じながら 生き込みたい-

能気神社(埼玉県東秩父村安戸)

2017-04-26 17:44:03 | ・神社・お寺

2017.4 埼玉県東秩父村安戸の能気神社へ参拝しました。

ググってもあまり情報の無い神社です。読み方も「のうき」「のげ」と複数ありますね。

参道は、けっこうな急坂です。

拝殿

もともとは個人の氏神様が祀られ、地域にふくらみ、明治になってからは誉田別命を祀るようになったようです。

拝殿・本殿脇には榛名神社、大黒天、三社合殿

拝殿・本殿の奥に三笠山 御嶽山 八海山

「御嶽山座王権現」(御嶽大神)は木曽御嶽信仰における信仰の対象となる神

「八海山大頭羅神王」は越後八海山の神

「三笠山刀利天」は上野(群馬)の三笠山の神

とても静かな山里の神社でした。


ノスリ・キセキレイなどなど。。。

2017-04-26 17:15:51 | ・鳥・生物

2017.4 埼玉・小川町付近

ノスリ で良いのでは?

・尾が扇状(トビはバチ状)

・初列風切の外側の羽の数が5枚(6枚はトビ)

クルマで走っていたら電線に止まりました。撮ろうとしたら高木の中へ入り込んで、更にクルマから下りて近づいたら
飛び立っちゃいました。写真は上空を旋回中のもの。ブレててすんません。。。 

タチツボスミレ

サヤエンドウの花

神社の近くの畑でした。大きな花です。

ベニシジミとヘビイチゴ

モズ

キセキレイ

聞き慣れない鳴き声チ~チ~チ~チ~・・・何だろうと思ったら、キセキレイでした。急に暖かくなって繁殖期モード
の鳴き声なんでしょうね。 


吉野神社(埼玉県小川町木呂子(きろこ))

2017-04-24 17:50:03 | ・神社・お寺

2017.4

間違えて山道に入ったら神社があったので立ち寄りました。

 

額には「光被六合」と。

ググってみたら、「ひかりあふれる国、六芒星、お地蔵様」の意味と書かれているページがありました。

 

社殿の裏には、ひっそりとスミレが咲き、ウグイスの鳴き声がすぐ近くで^^ 二拍手の音が山谷に響きました。


八宮(やみや)神社(埼玉県小川町)

2017-04-21 07:17:30 | ・神社・お寺

2017.4

埼玉県小川町にある八宮神社へ参拝に行きました。

近くでキジがケ~ンケ~ンと鳴き、境内では終わりかけのサクラの花びらが舞っていました。

拝殿

全体的に白っぽいのです。不思議な感覚が沸いてきました。

彫刻がスゴイです。

うお~、本殿が更にスゴイ彫刻!

ヒンドゥー教の神様、ガネーシャも彫られていますね。

本殿は、天保四年(一八三三)四月に再建。
本殿三面と破風には龍・唐獅子などを配した中国風俗の彫刻が施されている。作者は上州花輪村(群馬県)の石原常八。

境内奥

彫刻もそうですが、改修にしても、とても人のエネルギーが注がれて、愛されている神社だなあと思いましたね。

大黒天

大黒天・・・ヒンドゥー教のシヴァ神の化身であるマハーカーラ

健脚の御祈願の絵馬が下駄の形です。

青麻(あおそ)大神社(青麻三光宮)

二拍手の音が美しかった。

青麻大神社の内部の本殿

こちらもスゴイ彫刻です。

八宮神社境内に末社として建つ青麻三光宮本殿は、棟札によると天保十三年(1842)に八宮神社本殿と同じく林兵庫正尊を
棟梁として建てられました。八宮神社に比べ規模は小さいですが、本殿全体に施された彫刻は見劣りしません。案内板より

天之御中主神・天照大御神・月読神を主祭神とし、常陸坊海尊を併祀。常陸坊海尊の霊験により中風封じのご利益あり。

左は「御嶽神社」

諏訪神社

八宮神社 所在地 比企郡小川町大字小川
旧小川村の総鎮守で、天忍日命ほか七柱を祭神としていることからこの名前がある。創建は不明だが、新編武蔵風土記稿に
「元和三年(一六一七)再建の棟札あり」とあることから、それ以前と思われる。かつては小川赤十字病院のある日向山
あたりにあったが、享保二年(一七一七)この地に移転したと伝えられている。

現在の本殿は妻切葺屋根の重厚な作りで、熊谷市妻沼聖天院の棟梁の系譜を引く林兵庫正尊を棟梁として天保四年(一八三三)
四月に再建された。本殿三面と破風には龍・唐獅子などを配した中国風俗の彫刻が施され、作者は上州花輪(群馬県)の石原常八
である。現在本殿は、町の文化財に指定されている。また境内には、青麻大神社や諏訪神社などの末社がある。
小川町  案内板より

以前から、この「小川町」に惹かれます。なぜでしょう?古い街の痕跡が今でも残っているからでしょうね。

小川町

・比企地方及び県南西部の最も北西に位置し、秩父地方のすぐ外側に位置する。

・江戸から川越を抜けて秩父に向かう往還が町を東西に抜けており、古くはその地理的な優位性から六斎市が立つなど地域の
 商業中心であった。

・外秩父の山に囲まれた小川盆地に市街地があり、その地勢から「武蔵の小京都」の異名を持ち、伝統工芸の和紙で知られる。

・秩父山系を源とする良質の水と造り酒屋に適した気候のため、古くから関東灘の異名を持った名醸地で、現在も3軒の造り
 酒屋があります。

・「石州半紙(せきしゅうばんし)」(島根県浜田市)と「本美濃紙(ほんみのし)」(岐阜県美濃市)、「細川紙(ほそかわし)」
 (埼玉県小川町、東秩父村)の3つの和紙が、平成26年11月27日にユネスコ重要無形文化遺産に登録されました。


三光稲荷神社(中央区日本橋堀留町)

2017-04-20 15:17:28 | ・神社・お寺

2017.4.14

健康診断の帰りに、近くにあった三光稲荷神社へ立ち寄りました。江戸らしい歴史がありましたよ。

ビルとビルの細い路地を入ります。

路地は参道なのでしたー。
猫ちゃんが無事に戻ったお礼に建立された石碑。 

 

境内掲示より
中村座に出演していた大阪の歌舞伎役者関三十郎が伏見より勧請したと伝わる当神社は、「江戸惣鹿子」元禄2年(1689)
には記載があることからそれ以前と推測される。

近隣には吉原や歌舞伎小屋の中村座、市村座、更には操り人形や人形浄瑠璃の小屋等があり、それを背景とした江戸落語に
「三光新道」や「三光神社」が登場するところとなった。

古くから娘、子供、芸妓等の参詣するものが多く、ことに猫を見失ったとき立願すれば霊験ありと云う。「三光稲荷神社参道」
と銘ある石碑や境内にある猫の置物は猫が無事に帰ったお礼に建立、奉納された。


田島ヶ原5(サクラソウ満開)

2017-04-19 13:50:47 | ・植物

2017.4.13 再び、田島ヶ原へ立ち寄りました。

4/16はサクラ草まつり。 前回(4/2)から11日経っていますが、サクラソウはより多く開花していました。アマナは、
すでに終わってしまったようで全く見られませんでした。ノウルシもだいぶ数が減っていましたね。 

 

 

薄ピンクから濃ピンクまで、バリエーションがたくさんありましたよ。

アマドコロ

前回は、一つ蕾がありました。

ジロボウエンゴサク

こちらも前回よりたくさん咲いていました。

タチツボスミレで良いですか?

アリアケスミレ

ノウルシ

だいぶ少なくなっていましたね。

ヒキノカサ

前回よりもたくさん咲いていました。

10日程でずいぶん変わりますね。


上野東照宮

2017-04-17 08:04:54 | ・神社・お寺

2017.4.7

仕事がらみで上野へ行ったので参拝してきました。

上野公園は、ちょうど桜が満開でたくさんの人で賑わっていましたよ。

大石鳥居

1633年(寛永10年)酒井忠世奉納。国指定重要文化財。石材には備前の御影石が使用されています。
関東大震災の折にも少しも傾かなかったほど工事が頑丈だったことは当時大変驚かれました。

唐門と拝殿

上野東照宮

東京都台東区上野恩賜公園内にある神社。旧社格は府社。正式名称は東照宮であるが、他の東照宮との区別のために鎮座地名を
つけて上野東照宮と呼ばれる。徳川家康(東照大権現)・徳川吉宗・徳川慶喜を祀る。
寛永4年(1627年)、藤堂高虎が上野の高虎の敷地内に創建した。社伝によれば、元和2年(1616年)、危篤の家康から自分の魂が
末永く鎮まる所を作ってほしいと高虎と天海に遺言されたという。
現在の社殿は慶安4年(1651年)に家康の孫である徳川家光が改築したもので、関東大震災や第二次世界大戦でも消失を免れている。
by wikipedia


石灯籠

200基以上あり、ほとんどが現在の社殿の建築の年1651年(慶安4年)に諸大名より奉納されたもの。

平日の金曜日でしたが、相変わらず海外からの観光客も多いですねー。

上野恩賜公園

通称上野公園。「上野の森」とも呼ばれ、武蔵野台地末端の舌状台地「上野台」に公園が位置することから、「上野の山」とも
呼ばれる。
三代将軍・徳川家光が江戸城の丑寅(北東)の方角、すなわち鬼門を封じるためにこの地に東叡山寛永寺を建てた。以来、
寛永寺は芝の増上寺と並ぶ将軍家の墓所として権勢を誇ったが、戊辰戦争(上野戦争)で伽藍は焼失し、一帯は焼け野原と化した。
1870年、医学校と病院予定地として上野の山を視察した蘭医アントニウス・ボードウィンが、公園として残すよう日本政府に
働きかけ、その結果1873年に日本初の公園に指定された。by wikipedia

不忍池

縄文時代の頃にはこの辺り一帯は東京湾の入り江であった。その後海岸線の後退とともに取り残されて、紀元数世紀頃に池
なったと考えられる。
1625年、江戸幕府は、西の比叡山延暦寺に対応させ、この地に寛永寺を建立した。開祖である慈眼大師・天海は、不忍池を
琵琶湖に見立て、竹生島になぞらえ弁天島(中之島)を築かせ、そこに弁天堂を作った。by wikipedia

こちらは、2017.4.4 川越郊外

今年は、あまりソメイヨシノは撮りませんでした。でも、「目」でかなり楽しませてもらいましたよ。


コシノコバイモ(越の小貝母 ユリ科 バイモ属)

2017-04-16 10:27:33 | ・植物

コシノコバイモ(越の小貝母 ユリ科 バイモ属)

山梨県内でこの子を探索しました(2017.4.9)。

コシノコバイモは北陸〜新潟地方に多く、ミノコバイモは美濃地方に、トサコバイモは土佐地方に、アワコバイモは、
阿波地域に分布し、ホソバナコバイモは瀬戸内や山陽地域に、最近徳島県に新種のトクシマコバイモが生育している
ことが発表された。四国に分布するトサ、アワ、トクシマコバイモ共に生育地は隔離分布となっている。この他バイモ属
にはクロユリ、ミヤマクロユリなどが有る。園芸種で栽培されているバイモは薬用として中国から江戸時代頃に渡来した
中国原産の帰化植物。

山梨では、山梨県南部や滝戸山及周辺の一部に隔離分布する。

コシノコバイモは花被片の周囲に鋸歯があり釣鐘型の花形が特徴で、カタクリの開花よりも、やや早く咲き始める。広葉
樹林が葉で覆われる5月下旬頃には地上部は枯れて、長い夏期休眠に入る。コシノコバイモの主分布地は北陸〜信越地域
ですが山梨県や東海地域の一部に分布していることは、どんな意味が有るのでしょう?。地史的な要素を考えてみると、
その理由が解けてくる。

多くの植物たちは先祖帰りと呼ばれる緑花や色素を欠いたアルビノと言われる白花を付ける事が稀にある。

通常多雪地域や暖地では緑色で発芽するが山梨の寒冷地の個体は紫褐色から徐々に緑色に変化する。

以上、富士山自然学校 http://fujikirara.jp/event/info.php?no=159 より。


下記のhiroken様のページには、更に詳しく紹介されています。

https://www.hanasanpo.org/野山の花アルバム2/ユリ科/コシノコバイモ/

こちらもカイコバイモ同様に地味です。なかなか見つけられませんでしたが、三人、6個の眼で探しましたよ。

 

まず、葉の形態が目に入って、それから花が見えてきます(笑

カイコバイモはユリっぽい形をしていますが、コシノコバイモは釣鐘型ですね。

この個体は、横向きに咲いていたので花の中まで良く分かりました。

内花被の縁の鋸歯状の小突起がよく見えています。外花被の縁にはギザギザはありません。 花被の内側に細長く
黄色っぽく見える部分は、蜜が詰まった腺体です。

コシノコバイモの単葉

単葉の個体は発芽後3〜4年目の幼体、実生発芽から4〜5年で成体となって開花するそうです。

 

いや~、葉っぱは紫褐色で落ち葉と同化していますし、花も茶系で地味なので、なかなか探せませんでした。
こんな何も咲いてなさそうな場所に、静かにそっと咲いています。可憐ですね^^


カイコバイモ(甲斐小貝母 ユリ科 バイモ属)

2017-04-15 11:43:23 | ・植物

カイコバイモ(甲斐小貝母 ユリ科 バイモ属)

山梨県内で、この子を探索しました(2017.4.9)。

どうして和名で貝母(ばいも)というのかなと思って調べたら下記の二説がありました。

和名は球根(鱗茎)を乾燥させた形が二枚貝の殻に似ていることから漢名の音読みで、「バイモ(貝母)」。
鱗茎が漢方薬の貝母で、和名はこれを音読したもの。

環境省の絶滅危惧IB類(EN)に選定。本州の関東地方と富士山周辺に分布する。

花被片は他のコバイモと違ってツリガネ型にならず、やや開いた杯形になる。茎頂に3枚の葉と下向きに咲く花をつけ
その下に2枚の葉を対生する。コバイモは雪の少ない地域では葉は紫褐色で発芽し、次第に緑色に変化する。多雪地域や
温暖な地域では緑色の個体で発芽します。カタクリなどよりやや早く開花する。春先植物であるため、受粉を媒介する
昆虫も少なく交雑が生じにくく、各地に種ごとに隔離分布している。自然分布は山梨県思親山と周辺の静岡の一部に生育する。

発芽〜開花期には全草が紫褐色、次第に緑色に変化する。やや緑色に見える単葉の個体は発芽後3〜4年目の幼体、
実生発芽から4〜5年で成体となって開花する。

山梨県の南部地域は積雪も少なく冬期は寒冷であるため発芽直後は全草、紫褐色で発芽し、徐々に緑色に変化する。

http://www.fujikirara.jp/event/info.php?no=203  より。

写真中央に咲いています。解りますか?

この斜面にも一輪咲いていました。

 

いや~、葉っぱは紫褐色で落ち葉と同化していますし、花も茶系で地味なので、なかなか探せませんでした。

こんな何も咲いてなさそうな場所に、静かにそっと咲いています。可憐ですね^^


山梨の山の花々

2017-04-14 17:17:59 | ・植物

2017.4.9 山梨県内の花々です。

カタクリのツボミ

タチツボスミレ

ダンコウバイ

ダンコウバイの花には「花柄」がないのが特徴。つまりボンボンみたいな花が枝に直に付いている。
これに対してアブラチャンは花柄があるので区別が付く。

ヒョウタンボクの仲間

可憐です^^ 瓢箪のような実を付けますが毒のようですよ。

キクザキイチゲ

落ち葉の中で、二輪、光り輝いていました。

ニッコウネコノメソウ

たくさん咲いていましたよ。

ヤマエンゴサク

小さな楕円形の3枚葉も可愛いかったですよ。

ヒナスミレ

雨に濡れて・・可憐に。。。

ヒメニラ(姫韮)ユリ科の多年草。

日本北部の原野に生える。地下に卵形の小さな球根(鱗茎)がある。 葉は長さ5~10センチメートルの広線形で2枚あり、
基部は鞘に包まれる。 春にこの葉の間から花茎を伸ばし、紫色を帯びた白色、鐘形の六弁花を1個上向きに付ける。

白地に紫の線が入ったとっても小さな花です。
開かずにチューリップ状のままのようです。ネギのような臭いがするようですが雨でよく解りませんでした。

ウスバサイシン?カンアオイ属ですね。

未だツボミです。

シロバナエンレイソウ(ミヤマエンレイソウ)

2015.5.4 三頭山で出逢って以来かな。

トリカブトの葉

ニリンソウの葉によく似ています。

あなたはニリンソウとトリカブトを判別できますか?

ヒトリシズカ

咲き始めですね。可愛いです。


山梨県南部町~桃源郷

2017-04-12 16:30:58 | ・神社・お寺

2017.4.9 山の早春の花々を探しに山梨県内を一回りしてきました。

新東名・新清水IC~南部町内船(うつぶな)・思親山(ししんさん)~甲府市・右左口町(うばぐちちょう)~
中央道・釈迦堂PA

佐野峠

ここまでクルマで行けます。目の前にドカ~ンと富士山が見えるはずが・・・・雨模様の為NG。。。

 

思親山(ししんさん)

山梨県南巨摩郡南部町にある標高1,030.9mの山。山梨百名山の1つ。

日蓮聖人が身延山で修行した折、この峰越しに故郷房州の父母を偲んだという伝説から、思親山の呼び名が付いたと
いわれている。by wikipedia

変わった鳥居。内船(うつぶな)公園の入口のようなのですが・・・
すぐ近くに宝生山八津御嶽神社がありますが、関連はあるのか?

その後、甲府市・右左口町へ。

中道往還(なかみちおうかん)は、甲斐国(山梨県)と駿河国(静岡県)を結ぶ街道のひとつ。

その後、釈迦堂PAへ。

富士川・身延辺りだったかな?桜並木が点々とあって、走っていてとても綺麗でしたよ。

ほぼ満開のソメイヨシノ。こんな風にゴロリとして過ごすのもいいなあ。

桃が咲き始め、甲府盆地は、うっすらピンク色に染まっていましたよ。

すこ~し早かったですが、とても綺麗でしたよ。


東山神社(埼玉県越生町)

2017-04-12 16:00:03 | ・神社・お寺

2017.4 越生の東山神社を参拝しました。

鳥のさえずり、隣接民家の布団をたたく音(笑)・・・長閑な空気が流れていましたよ。

石の灯篭の間は木製。

上野東山神社の由来

当地は秩父山地東麓の越辺川(オッペガワ)右岸、支流柳田川流域に位置する。当神社創立年代は不詳であるが、
人皇97代後村上天皇御宇正平五寅年7月27日信濃国諏訪郡中州神宮寺鎮座諏訪神社に座す建御名方大神・八坂刀賣命
の御神霊を奉斎した由、口碑に伝えられている。

上野村小字諏訪の地(現越生町上野一区福寿山多門寺境内)に産土神として鎮座す。後東山天皇の御宇貞享五戊辰年七月社殿
を再修し、西方に西山と称する山地があり、これに対して神域一帯の丘陵を東山と称したことにより、神社名の起こりとされ、
明治45年(1911)3月東山神社と改めて多門寺境内より移築修営遷座せり。 近郷の信仰いよいよ厚くなり氏子の敬神により
神域は整備された。境内社は、天満宮、熊野社、稲荷社、東山大黒天の4社である。

越生の獅子舞

獅子舞は日本の代表的な民俗芸能で、霊獣である獅子の力によって疫病や悪魔を祓い、安全息災を願う信仰から起ったと
考えられます。埼玉県には多くの獅子舞が伝承されており、越生町では、上野の東山神社、津久根の八幡神社、小杉の梅園神社、
麦原の住吉神社の4社に伝えられ、いずれも秋祭りに奉納されています。


大宮神社(埼玉県越生町)

2017-04-12 15:59:28 | ・神社・お寺

2017.4

越生町の大宮神社へ参拝に行きました。

参道脇の花々が春を告げています。

拝殿

本殿

いや~立派な彫刻の本殿で驚きました。

参道から想像すると村の鎮守様が降りられる小さく素朴な神社かと思ったのですが、境内はとても綺麗にされており、

本殿の彫刻も、とても立派で驚きました。

祭神はサルタヒコとアメノウズメ、仲良く祀られています。御神体は双身歓喜天像との事ですから、夫婦和合・安産・

子宝の神様として信仰されていたのでしょうね。


堀兼神社(埼玉県狭山市)

2017-04-11 08:35:14 | ・神社・お寺

2017.4 狭山市の「堀兼神社」へ参拝に寄りました。

この神社の前は、仕事で数え切れないほど通っていましたが、一度も寄ったことがなかったのでした。

なんと「浅間神社」だったのでした。

立派な構えです。

随身門

江戸時代後期のものと推定され狭山市の市指定文化財

二神像

江戸時代後期のものと推定され狭山市の市指定文化財

拝殿

階段を上ると拝殿・本殿がとても静かに佇んでいました。

社伝によれば、日本武尊が東国平定の際、当地において水がなく、苦しむ住民を見て、水を得ようと富獄(富士山のこと)を
遥拝ようはいし、井戸を掘らせ、水を得ることができたため、浅間社を祭った、と創祀を伝えています。

主祭神は富士浅間大社から勧請した木花咲耶姫命。

当神社は江戸時代まで「浅間宮」と呼ばれていましたが、神仏分離令の関係で神社であることを強調するため、明治4年(1871)に「浅間神社」と改名され、近郷の鎮守として郷社となり、翌年村社に改められました。
その後、明治39年(1906)の勅令による神社合祀令によって、近郷の小さな神社が次々と合祀され、明治42年(1909)
に「堀兼神社」と再度改められ現在に至っています。http://tamtom.blog44.fc2.com/blog-entry-1841.html より

随身門の屋根がとても立派です。

神楽殿と境内社

「下浅間神社の石碑」と「一合目の合目石」があり、紛らわしいけれど、この境内社の社殿は「日枝神社」です。

日枝神社社殿の中の本殿。明治40年に大字芳野から合祀。
いや~、立派な彫刻の本殿です。 

五合目の小御嶽神社。

堀兼神社の拝殿・本殿は富士塚の上に建っています。

堀兼の井戸

堀兼の井戸は堀兼神社の北側にあり、周りは石柱で囲まれています。このような形態の井戸を「まいまいず井戸」といい、
古い時代のこの辺りの井戸は、ほとんどこのような形態であったようです。

境内には御神木の立派なケヤキが二本あります。

しょっちゅう、前を通過して立派な御神木は拝見していましたが、想定よりも境内が大きくて驚きました。


田島ヶ原5(春いろいろ)

2017-04-10 06:30:52 | ・植物

2017.4.2 田島ヶ原へ行ってきました。

その他の花をいろいろと。。。

カキドオシ(垣通し)(シソ科)

日本全土の道端などに自生する多年草。茎は長く横に這い、所々から根を下ろす。
隣接地から垣根を通して進入してくることがカキドオシの名前の由来。
マウスやラットによる動物実験で発毛効果、血糖上昇抑制、血圧上昇抑制などの効果があることが報告されている。
by wikipedia

おなじみ~ヒメオドリコソウ(シソ科)
ヨーロッパ原産地。

おなじみ~ホトケノザ(シソ科)

ムラサキケマン(ケシ科)

ケシ科だったんだ・・・・全草にプロトピンを含み有毒。

ジロボウエンゴサク(次郎坊延胡索)

こちらもケシ科。全草に有毒成分を含みます。

延胡索はこの類の漢名である。次郎坊というのは、伊勢地方でスミレを太郎坊とよび、これを次郎坊と名付け、
子供がお たがいに花の距を絡ませて引っぱり合い勝負することから来た。(新牧野日本植物図鑑)

田島ヶ原の春~3点セット(笑

綿毛に寄り添うシロバナタンポポ

こちらも寄り添って・・仲良く^^

ノジスミレ

毛深い葉が特徴。花弁が幅広く、縁が波打っている。なんかとても原始的というか・・そこが良いなと^^

キタテハ

ちょっと羽根が可哀想でした。成虫は早春から晩秋まで見られる。冬は成虫で越冬し、物かげでじっとしている。

いろいろは花が見れて楽しかったですね。

年間で、ノウルシ、チョウジソウ、オギなど約250種の野草が見られるようですよ。