~風に吹かれて~ by ポー(paw)

-人の中に 人の創り出した物の中に 動植物の中に 地球や宇宙の中に 魂の琴線にふれ 愛を感じながら 生き込みたい-

上宮稲荷神社(清瀬市)

2018-08-30 08:56:07 | ・神社・お寺

時間があると相変わらず神社参拝に行っていますよ。

上宮稲荷神社(清瀬市)

清瀬市郷土博物館のhpによると、創建は1624年。昔、裏の土手にはキツネ穴があったそうですよ。
拝殿にはキンランの写真が飾られていました。境内はとても広いです。鎮座地が下宿の上なので上宮稲荷。村の鎮守様といった
風情の神社でした。


2018.8.11~13休暇村嬬恋鹿沢6(鹿沢周辺の植物たち2)

2018-08-25 16:04:57 | ・植物

2018.8.11~13休暇村嬬恋鹿沢6(鹿沢周辺の植物たち2)

休暇村嬬恋鹿沢へ行きました。kouchaに付き合って植物観察中心ですな。

8.11 18:03 休暇村嬬恋鹿沢の部屋から

8.12 05:49 休暇村嬬恋鹿沢の部屋から

8.13 01:54 休暇村嬬恋鹿沢の部屋から

8.13 06:46 休暇村嬬恋鹿沢の部屋から

というわけで部屋からもいろいろな景色が楽しめたのでした。

チェックアウト後、休暇村周辺を散策~

ツリガネニンジン

ハクサンシャジン、ソバナと似てますねー。

2年以上経った長い紡錘形から円柱形の根は沙参(しゃじん)とよばれ、生薬として利用される。秋に地上部が枯れたときに
根を掘り出し、細根を取り除いたものを天日乾燥させたものが使われ、少量を煎じたものを1日数回に分けて服用すると、
健胃、痰きり、鎮咳に効能があるとされ、強壮効果もあるといわれる。昔は朝鮮人参の偽物に用いたといわれるが、朝鮮人参
とは薬効は異なり代用にはならない。by wikipedia

ウツボグサ

オクモミジハグマ(奥紅葉白熊)

和名の「紅葉(もみじ)」は、葉の形がカエデ(もみじ)に似て、「奥」は、基本種のモミジハグマより北に分布するので
つけられた。また、「白熊(はぐま)」とは、ヤクの尾の毛でつくった槍や兜、僧侶の払子の飾りをいい、花冠の細長い裂片
のようすを白熊(はぐま)に見立てたもの。by wikipedia

ゲンノショウコ

ジンバイソウ
ラン科ツレサギソウ属の地生の多年草。別名、ミズモラン クモが写っていたとは・・・(笑
この手の花はホントにピントが合い難いですわ。。

ツルリンドウ

ハギの仲間

ヤマオダマキ

ヌスビトハギ(盗人萩)
マメ科ヌスビトハギ属の多年草。ひっつき虫のひとつである。近似種が多い。
和名は、果実が泥棒の足跡に似ると言う。奇妙に聞こえるが、牧野富太郎によると、古来の泥棒は足音を立てないように、
足裏の外側だけを地面に着けて歩いたとのことで、その時の足跡に似ている由。これは牧野富太郎による説で、フジカンゾウの
別名がヌスビトノアシであることからの類推とのこと。他方で、『ヌスビト』が気づかないうちにその種子が人に取り付く
性質を述べたとの説もある。by wikipedia

キツリフネ

シラヒゲソウ

シラヒゲソウ(白髭草)
ウメバチソウ科ウメバチソウ属に分類される多年草の1種。あちこちの都道府県でレッドリストの指定を受けています。
一つの茎に花は一つだけ。丸い葉は1枚づつ茎を巻くように付くのは確かにウメバチソウと同じですね。

その後、休暇村を離れ、途中で滝散策。

たまだれ(玉簾)の滝

湯の丸高原と鹿沢温泉の間に「たまだれ(玉簾)の滝」があります。桟敷山から染み出た水が、たまだれの滝になっています。
この水の源泉は、嬬恋村の水道にもなっている清浄な水です。小さな滝ですが、まさに玉だれという感じで繊細で風情があり
ましたよ。

8.13の新宿 おもしろい空でしたー。


2018.8.11~13休暇村嬬恋鹿沢5(池の平湿原の蝶々たち)

2018-08-24 18:21:28 | ・鳥・生物

2018.8.11~13休暇村嬬恋鹿沢5(池の平湿原周辺の蝶たち)

休暇村嬬恋鹿沢へ行きました。kouchaに付き合って植物観察中心ですな。8/12、池の平湿原散策。池の平湿原有料駐車場
(標高2050m、終日500円)に入れて、いざ植物観察開始。ヤナギラン、マツムシソウが至る所で咲いていました。

花が多ければ当然、昆虫たちも多いわけですが、蝶もたくさん舞っていましたよ。

そこで見かけた蝶を集めました。

雲上の丘広場、見晴岳の辺りで数個体発見。やっとやっと逢えました^^ 思わず撮りまくってしまいましたねー。

クジャクチョウ(孔雀蝶)
チョウ目(鱗翅目)タテハチョウ科タテハチョウ亜科に分類されるチョウの1種。
名の通り翅の表側にクジャクの飾り羽のような大きな目玉模様(眼状紋)を持つ。
この目玉模様は鳥類などの天敵から身を守る効果があると考えられている。by wikipedia

環境省:純絶滅危惧種ですが、ここでは数えくれないほど、たくさん生息していました。

ベニヒカゲ 
タテハチョウ科 ジャノメチョウ亜科
黒褐色で、前翅に橙赤色の帯があり、帯の中には黒い眼状紋が並ぶ。
本州では、中部地方以北に分布し、おもに標高1200m以上の亜高山帯に生息する。北海道では平地から山地まで分布域が
広い。林縁や沢沿い、稜線部などの明るい草原で見られ、ゆるやかに延々と飛び続ける。アザミ類、キオン、マルダケブキ、

ハクサンフウロなど、さまざまな花で吸蜜する。
幼虫の食草は、イネ科のヒメノガリヤス、イワノガリヤス、カヤツリグサ科のホンモンジスゲ、ショウジョウスゲなど。
昆虫エクスプローラ様より

なんか種類が違うような・・・ヒョウモン蝶の仲間たち

キアゲハでいいのかな? なかなか止まってくれませんでしたね。


2018.8.11~13休暇村嬬恋鹿沢4(池の平湿原の植物たち)

2018-08-22 18:01:03 | ・植物

2018.8.11~13休暇村嬬恋鹿沢4(池の平湿原の植物たち)

休暇村嬬恋鹿沢へ行きました。kouchaに付き合って植物観察中心ですな。8/12、池の平湿原散策。池の平湿原有料駐車場
(標高2050m、終日500円)に入れて、いざ植物観察開始。ヤナギラン、マツムシソウが至る所で咲いていました。

ヤナギラン 昆虫たちに囲まれて^^

マツムシソウ 蕾が色合いも良くて可愛いですね。

ハクサンフウロ 足に花粉がたくさん^^ 

シャジクソウ(車軸草) マメ科 シャジクソウ属

和名は放射状に出る小葉が車軸に似ているからだそうです。日本に分布する在来種はシャジクソウのみですが、
シロツメクサをはじめとする多くの種が牧草、園芸、緑肥などの目的で導入され、帰化植物となった種類も多いです。

ここではたくさん咲いていましたが、見るのは初めてでした。

オトギリソウ(弟切草)・・・オトギリソウ科オトギリソウ属の多年生植物。

この草を原料にした秘薬の秘密を漏らした弟を兄が切り殺したという平安時代の伝説によるものである。
この不吉な伝説のため、付けられた花言葉も「怨み」「秘密」と縁起が悪い。

オトギリソウ属のセイヨウオトギリ・・・現代医学において標準的なセント・ジョーンズ・ワートの抽出物はうつ病や
不安障害の一般的な処置として用いられている。by wikipedia

ハナイカリ リンドウ科 よ~く見るとリンドウっぽい形の花です。

コマクサ なんとコマクサに出逢えました。この一帯はホントに花の数も種も多いです。

イワインチン・・・キク科キク属の多年草。

同じコマクサが咲いているようなガレ場にたくさん蕾が見られました。日本固有種。こちらも初めて見ました。

ホオジロ

池の平湿原 雲上の丘付近にて。

高層湿原・・・標高の高いところの湿原かと思ったら、「周囲から流入する水が届かない高さまで泥炭表面が発達した湿原」
なんだそうですわ。

池の平湿原は標高2000m、数万年前の三方ヶ峰火山の火口原に広がる高層湿原です。

ゴマダラカミキリ 久しぶりに会えましたよ。カッコいい!!

ウメバチソウ(梅鉢草)・・・ウメバチソウ属の多年草。花が梅の花を思わせる。
根出葉は柄があってハート形。高さは10-40cmで、花茎には葉が1枚と花を1個つける。葉は、茎を抱いている。by wikipedia

鏡池

湿原木道周辺には特に変わった花は咲いていませんでした。が、ホントに花の種も量も多い湿原周辺です。

他にタカネナデシコ、タカネホツツジ、イブキジャコウソウ、グンバイズル、シシウド、ミヤマアキノキリンソウ、
ウスユキソウ、トモエシオガマ、ヤマハハコ、シモツケソウ、クガイソウ、ヤマオダマキ、ウツボグサなどなど・・・。


2018.8.11~13休暇村嬬恋鹿沢3(鹿沢周辺の植物たち1)

2018-08-21 09:08:00 | ・植物

2018.8.11~13休暇村嬬恋鹿沢3(鹿沢周辺の植物たち1)

休暇村嬬恋鹿沢へ行きました。kouchaに付き合って植物観察中心ですな。妙義山の石門巡りの後、「みょうぎ道の駅」
で昼食。その後、上信越道・松井田妙義IC~小諸ICを経て・・・・

浅間山は雲の中~。すごい入道雲でした。なつっ!!って感じ。東御(とうみ)市って読むんですね。
途中、「アトリエ・ド・フロマージュ」本店でチーズとヨーグルト味のソフトを食べました。どちらも品のある味でした
ねー^^

長野県道・群馬県道94号東御嬬恋線のこの辺りは標高900m位。ここから湯の丸スキー場・地蔵峠1732mまで一気に
上ります。東御市新張から、嬬恋村の鹿沢温泉間を行く道、約12キロメートルの区間を1町(109メートル)ごとに、
全100体の観音像が並んでいます。

江戸時代、観音信仰が盛んになり、この地でも1864(元治元)年に長野県東御市から群馬県嬬恋村の鹿沢温泉までの
『湯道』の安全を祈願して、1町(約109m)ごとの観音像建立が始まります。その後、
湯道から県道への移転作業が
行われました。

上っていると、どんどん社外気温が下がっていきます。100mで1℃くらい下がっているような気がしましたが、
おおよそ標高が100m高くなると、気温が0.6℃下がるみたいですね。

湯の丸レンゲツツジ群落周辺で撮ったショット↓

アザミ いや~虫たちが多かったですね~。

ワレモコウ

休暇村嬬恋鹿沢の野草園で撮ったショット↓

シラヒゲソウ また後で登場しますが、なかなか珍しい花ですよ。二度目。

フシグロセンノウ

割と大きな花で林下ではオレンジ色が目立ちますね。和名の由来は茎の節が黒褐色になるから。

ハンゴンソウ

サワギキョウ

花の形に特徴がありますね。綺麗な色合いの花ですが有毒だそうですよ。

ハナゴケの仲間(コアカミゴケ?ウロコアカミゴケ?)

苔なんですねー。綺麗な赤色でした。


2018.8.11~13休暇村嬬恋鹿沢2(妙義山・中之嶽神社)

2018-08-20 15:53:36 | ・神社・お寺

2018.8.11~13休暇村嬬恋鹿沢2(妙義山・中之嶽神社)

休暇村嬬恋鹿沢へ行きました。kouchaに付き合って植物観察中心ですな。鹿沢へ行く途中、妙義山へ。石門巡りの最後に
中之嶽神社へ降りてきたわけですが、神社の写真だけ切り離して時系列を逆転して投稿します。

何やら大きな黄色い物体が・・・。 

「日本一のだいこく様」だそうですよ。高さ20m、重さ8.5t

関東一円に広がる甲子構中・中之嶽大国神社氏子・崇敬者各位が協力して 平成17年日本一のだいこく様を制作し
奉納しました。だいこく様のお姿は 剣を持つめずらしい姿で、 病や厄、悪霊を祓い福を招く と言い伝えられています。

大黒の「だいこく」が大国に通じるため、古くから神道の神である大国主と混同され、習合して、当初は破壊と豊穣の神
として信仰される。後に豊穣の面が残り、七福神の一柱の大黒様として知られる食物・財福を司る神となった。室町時代
以降は「大国主命」の民族的信仰と習合されて、微笑の相が加えられ、さらに江戸時代になると米俵に乗るといった現在
よく知られる像容となった。現在においては一般には米俵に乗り福袋と打出の小槌を持った微笑の長者形で表される。
by wikipedia

むむ・・・?なんでしょ・・・?>>>「ヘビウリ」だそうですよ。原産地はインド~パキスタンらしいです。

ニホントカゲの幼体 キレイですね~。成体になると青い色は消えてしまうそうですよ。

境内に入ると正面に「中之嶽大国神社(甲子大黒神社)」右手の急な階段の参道を登ると「中之嶽神社」

中之嶽大国神社(甲子大黒神社)社殿(前宮)

大国主命(大黒天)を祭り、子の神様であるので甲子園にあやかりたい野球チームの参拝もあり、野球の神様として
お守りも置いてあります。

中之嶽神社 急な階段の参道

いや~、急ですわ^^;

何やらすごい岩です。

階段上から。

中之嶽神社は轟岩を御神体としていますので、拝殿・幣殿のみで本殿を持たない、珍しい様式となっています。
妙義山の南麓に鎮座する轟岩を神体とする巨岩信仰の神社。轟岩に隣接して拝殿が建立されており、本殿を持たない社殿形式
となっている。

拝殿 脇より。まるでめり込んでいるみたいですね。

拝殿左側には祠やこのような鳥居のような門がありました。詳細は調べてみましたが分からず。。。。。

中之嶽神社は元は「波胡曽神(はこそかみ)」を山の主と祀る神社であったが、倭建尊(日本武尊)が勅命に依り関東御巡行の
際に妙義山に登嶽したと伝えれている。
大和時代の第二十九代欽明天皇(在位539-571年)の御代に妙形氏が社殿を建立、平安末期、第八十二代後鳥羽天皇の寿永二年三月
(1183年)藤原祐胤卿が鍛冶の名工を得て神剣を奉斉いたしました。
江戸時代に入ると、第百八第後水尾天皇の元和二年丁巳月(1616年)、加藤長清(道士)が登厳し中興の開山主として神器を守り
奉斉し、諸大名が崇敬を寄せ、小幡藩主織田筑前守信久侯が社殿を改築、 中之嶽奉行を設け地所を寄進いたしました。
第百十四代中御門天皇の享保五年五月(1720年)、嵯峨御所より十六葉菊御紋付の幕、提灯を下賜せられ、小幡藩の鎮守社として
奉斉され、織田家の後に入封した松平家の崇敬も篤く親祭されました。http://www.nakanotake.com/yuraiより。

白雲衣権現 妙義神社(富岡市妙義町妙義)の地主神・波己曽社 国史現在社(波己曽神)。
社伝によると、宣化天皇二年[537]の創祀。 史料上の初見は『日本三代実録』(貞観元年[889]三月二十六日壬午)の「授上野国
正六位上波己曽神従五位下」。 白雲衣山(白雲山)は妙義山の主峰で、『上野国妙義山旧記』は「山頭天について白雲腰をめくる、
是則白衣観音の現相俯応衆生の効験なれは白雲衣山と号す」と説く。 また、同山の地主破古曽三社大明神について、「破胡曽大明神は
日本仁王四十九代光仁天皇御宇上野国十四郡内利根河西七郡中に群馬之郡地頭は群馬太夫満行と申、榛名山満行大権現と顕、本地地蔵
菩薩、同御前に神と顕被破胡曽大明神と成る、男子八人神と顕る内一人八郎大明神」と記す。 『辛科大明神縁起』によると、御前は
"はこそ(波己曽)大明神"と顕れ、本地は千手観音である。 また、末社が七社(七波己曽)ある。http://www.lares.dti.ne.jp/hisadome/shinto-shu/files/48.html様より。

今回、妙義神社へは寄れませんでしたが、是非、参拝したいと思います。

見晴台にあった祠 さほど古いものではなさそうです。

いや~なかなか修験道!!という感じの神社でございました。次回は妙義神社と巡りたいですね。


2018.8.11~13休暇村嬬恋鹿沢1(妙義山 石門巡り)

2018-08-15 15:11:04 | ・旅・山

2018.8.11~13休暇村嬬恋鹿沢1(妙義山 石門巡り)

休暇村嬬恋鹿沢へ行きました。kouchaに付き合って植物観察中心ですな。鹿沢へ行く途中、妙義山へ。

08:30前に妙義山登山口のある中之嶽神社前到着。

ホオジロ

う~ん・・・なんだっけ?

「ぐんまくん」(笑

第1石門

石門=アーチ状になっているんです。不思議な景色です。

第2石門

第2石門へ通ずる「かにの横ばい」のクサリ

次に「たてばり」鎖場

ツルビランジ(ナデシコ科)が見られたようですが写真撮れず。。。

第2石門直下。この「たてばり」なかなか登り難いですわ。

第2石門直下より反対側の下り。

第2石門の頭上

「つるべ下がり」短い距離なのですが少し雨も降っていて鎖も滑りやすく、なかなかスリルがありましたよ。

右側に何やら赤い物体が・・・

ツチアケビの実でしたー。
ツチアケビ
森林内に生育するラン科植物。ラン科植物として、また腐生植物(菌従属栄養植物)としては非常に草たけが高く
、大きな真っ赤な果実がつくので、大変人目を引く植物である。日本固有種。別名ヤマシャクジョウ(山錫杖)by wikipedia

第4石門

妙義らしい風景ですね。

なかなかスリル満点のコースでしたよ。


中川の箒杉・熊野神社(神奈川県山北町)

2018-08-10 19:22:04 | ・神社・お寺

2018.8.4 その後、9年ぶりに箒杉に会いに行きました。やっぱり大きいわ。 

中川の箒杉

・推定樹齢約2000年、幹周り約12m、根回り約18m、樹高約45m。
・全国名木百選、国の天然記念物、かながわ未来遺産100に指定されています。周辺からは湧水も出ています。

・箒杉という名前の由来ですが、姿が箒に似ているからとか、辺りが箒沢という地名だからという説があります。箒沢という
 地名は「宝木沢」に由来するともいわれ、江戸時代の頃にこの辺りには巨樹も含め、価値ある樹が多くあったそうです。
 そこで幕府が所有地として管理。スギ、ヒノキ、ケヤキ、モミ、ツガ、カヤの伐採を禁じます。近年になると道路整備や
 木材調達の目的で樹は伐採されていきますが、なぜか箒杉だけは残ります。その理由は定かでありませんが、ご神木として
 地域住民から崇められていたからだといわれています。
・1972年の集中豪雨による災害では、箒杉が土砂を食い止め箒沢集落を守ったと伝えられていて、住民は以前にもまして
 町のシンボルツリーとして親しみを持ちます。そのような歴史からか、現在は地元自治体が樹の管理をしています。
・樹の根元には小さな祠、樹の横には熊野神社があり、樹のある場所が集落のシンボルであることが窺えます。
・山側の幹には大枝が折れた痕跡がありますが、これは2003年夏の台風のよるもの。しかし枝が折れた後すぐに、樹木医、
 造園業者による治療が施され、修復されています。

http://tadao-factory.com/2011/08/30/%E4%B8%AD%E5%B7%9D%E3%81%AE%E7%AE%92%E6%9D%89/様より。

丹沢湖へそそぐ中川 清流がとても綺麗でした。ハグロトンボ?が止まっていましたよ。


寒田神社(神奈川県松田町)

2018-08-09 07:38:46 | ・神社・お寺

2018.8.4 丹沢方面へ詣でました。

久しぶりに茅の輪くぐりしましたよ。

youtubeより。
寒田神社の例大祭は7月31日。
遣弊使の参向があり、「豊栄の舞」が奉納され、神輿は、酒匂川で「禊(みそぎ)」を行ってから町内を渡御する。
祭礼の時の大名行列は、松田町の無形文化財に指定され、戦後箱根にも伝えれらている。

狛犬のお尻が可愛かったです。

「歯」の供養碑 何となく歯の形ですね^^

寒田神社(さむたじんじゃ)
・神奈川県足柄上郡松田町松田惣領に鎮座する神社。
・『延喜式神名帳』に小社と記載された相模国の延喜式内社十三社の内の一社とされる。また、境内は酒匂川に面している。
・主祭神 倭建命(日本武尊) 弟橘比売命 菅原道真公 誉田別命
・仁徳天皇の時代の創建。古風土記に記述がある。かつては相模田神社・佐武多神社・佐牟太神社などと称した。
・延喜式神名帳には「相模國足上郡 寒田神社 小」として記載されている。江戸時代には寒田神社神田大明神とも称した。
・社伝では倭建命東征の折、しばらくこの地に滞在されたとされる。
・この地で東征の幸先を祈願した際、酒匂川に酒を流し、東征後この地に戻ってきた際にまだ酒の香りが残っていたため
 酒匂川と名付けられたと伝えられる。このときの椀とされている木椀が神社に伝えられている。
・1626年(寛永3年)徳川家光より朱印地を寄進されるが、1656年(承応3年)酒匂川の氾濫により社殿等流出。1868年
 (慶応4年)に再建された。
・1874年(明治7年)に郷社、1941年(昭和16年)には県社に列せられる。その後、神奈川県神社庁による献幣使参向神社
 となっている他、1971年(昭和46年)には松田町より史跡として指定されている。by wikipedia

けっこう好きな横須賀の走水神社の主祭神も倭建命(日本武尊)と弟橘比売命でしたね。暑い日でしたが、境内は
涼しく、とても居心地の良い空気・空間でした。残念なことに酒匂川から反対側から参拝したので酒匂川を見ていないの
ですよねー。帰ってから気が付いたのでした^^;

 

烏森神社(東京都港区)

2018-08-07 09:00:49 | ・神社・お寺

2018.6 新橋へ飲みに行く前に近くの「烏森神社」へ詣でました。 

 

 

鳥居のデザインが斬新ですなあ。

烏森神社(からすもりじんじゃ)は、東京都港区新橋二丁目にある神社

・社伝によれば、天慶3年(940年)、平将門が乱を起こした時、鎮守府将軍藤原秀郷(俵藤太)が武蔵国のある稲荷神社に
 戦勝を祈願したところ、白狐が現れて白羽の矢を秀郷に与えた。その矢によって速やかに乱を鎮めることができたので、
 それに感謝してどこかに稲荷神社を創建しようと考えていた所、秀郷の夢に白狐が現れ、神鳥が群がる場所が霊地であると
 お告げした。秀郷が現在地である桜田村の森に来た所、お告げの通り烏が群がっていたので、そこに神社を創建したのが
 当社の始まりであるという。
・江戸時代の稲荷ブームの際には、初午の稲荷祭の賑わいは《江戸で一二を争うものであった》という(境内案内板における
 山田將夫宮司の説明、1971年)新橋には他に日比谷神社があり、大祭は日比谷神社と交互に隔年で行われる。当神社の
 大神輿は1930年に名人・山本正太郎(通称だし鉄)によって作られた巨大なもの。「だし鉄の最高傑作とも言われている」
 と境内案内チラシにある。境内に木遣塚あり。また「心願色みくじ」なるものが頒布されている。by wikipedia


2018.7.13~16 台湾旅行記7(迪化街 永康街)

2018-08-03 07:33:55 | ・2018.7 台湾旅行記

2018.7.13~16 台湾旅行記7(問屋街 地元町) 

2018.7.13~16 台湾・台北に会社の積立旅行で行きました。

2018.7.15 台北101見学、金品茶楼で小籠包昼食後、迪化街や永康街を散策。

金紙(冥銭)

台湾では、主に仏教系あるいは道教系の宗教的行事の際には必ず冥銭が使われる。
冥銭とは、一般的に日本では、死後の世界へ向かう時に三途の川を渡る際の渡し舟の船賃として、六文銭を懐に入れることが
よく知られている。簡単に言えば、現世のお金ではなく来世のお金という位置づけ。
日常的に冥銭を最もよく目にする場面は、旧暦の月初め(1日または2日)と中旬(15日または16日)に土地公と呼ばれる
各地域を守る神様が祀られているお寺のようなところで「拜拜」をする時には、必ず冥銭を燃やす。冥銭を燃やして、
先祖や神様に現世の御利益をお願いする。https://clubtaiwan.net/blog/2015/06/17/josspaper/様より。

平安茶・・・あま~い!! なつめとクコとお供え物の砂糖から作られたお茶。

台北霞海城隍廟

1856年創建、150年余りの歴史を持つ台北霞海城隍廟。かつて、大稲埕と呼ばれていた場所にあります。大稲埕の港は、
台北の産業発展の拠点として重要な役割を果たしてきました。霞海城隍爺は住民の無事息災と商売繁盛を見守っています。
現在は良縁と仕事運を求める若者も多く参拝に訪れるようになりました。
http://tpecitygod.org/jp-about-xia-hai01.htmlより。

右端の自転車はアイスクリーム屋さん。

踊ってました♪

永康街の賑いの中にあるかき氷のお店、芒果皇帝 (マンゴーキング)
「2015年台湾国慶日の総統府昼食会メニューに指定された」そうでっせ~

マンゴーかき氷、美味しゅうございました。こう暑いとまた食べたいなあ。。。2時間マッサージも気持ちようございました。

地元スーパー

スーパー前。皆さん、涼んでいます。寛いでいます。アクビしてます^^

宿泊ホテルの斜め前で湖南料理。何処も美味しかったですねー。

リージェントホテル台北で久しぶりのブラッディ・メアリー♪

パトカーとウォーター

2016.7.16 最終日。まー帰るだけなんですけどね。

中華民国総統府(バス窓より)

三泊お世話になったグロリア プリンス ホテル(台北華泰王子大飯店)

部屋窓より すぐ近くにファミマ2件、セブン1件。便利でした。

最終日にやっと食べました。ファミマの煮タマゴ。美味しかったですわ。

一方通行ですが、バスだけは専用レーンで逆行可です。こんな道路は日本にはありませんねー。

北投(ぺいとう)温泉には加賀屋がある。
ハイアットは、植民地時代の死刑場の跡地に建てられている?
檳榔(ビンラン、ビンロウ・・・種子は嗜好品として、噛みタバコに似た使われ方。

というわけで、13:30松山空港発~17:45羽田着で、無事に帰ってきました。台湾、料理も美味しくて良かったですねー。
高雄や台南、山にも行ってみたいし・・・あんまり暑くない時にまた訪れたいですね。感謝感謝^^ おわり~


2018.7.13~16 台湾旅行記6(行天宮・台北101)

2018-08-02 05:56:49 | ・2018.7 台湾旅行記

2018.7.13~16 台湾旅行記6(行天宮・台北101) 

2018.7.13~16 台湾・台北に会社の積立旅行で行きました。

2018.7.15 まずは「行天宮」へ。

う~む・・・何の花でしょうね。

う~む・・・ほどよい距離で座っているなあ。

行天宮(ぎょうてんぐう)
台湾の台北市中山区に位置する関帝廟。多いときで1日に2万人以上が訪れるとされる、台北地域でも人気の高い寺院・観光地の
ひとつ。

まず本殿を背にして空に神様に祈ります。

日曜日の朝ですが、ここでも皆さん、真剣に祈願されていますね。

近くにはこんな占い横丁がありました。 

台北101 地上101階建てでっせ~。

ブランド店がずらり。ディンタイフォンもありました。よい空間です^^

89階の屋内展望台より。

右下は建設凍結されている台北ドーム
http://nishoren.net/new-information/10292

ねじれたビルがありましたよ。日本、台湾、ヨーロッパ、米国の英知と技術を集結した超高層マンション「陶朱隠園」。

円山大飯店

中山空港

101のキャラクター「ダンパーベイビー」

台北101の世界最大を誇る制振ダンパー(ビルの揺れを抑える装置)

台北101の上層部に設置された黄色い球体TMD(チューンドマスダンパー)は、重量660トンで、巨大な振り子のように作動し、
風力による振動を最大40パーセント抑制できる風圧のための制振構造。660トンでっせ~。


2018.7.13~16 台湾旅行記5(九份)

2018-08-01 17:47:55 | ・2018.7 台湾旅行記

2018.7.13~16 台湾旅行記5(九份) 

2018.7.13~16 台湾・台北に会社の積立旅行で行きました。

2018.7.14 いよいよ十份から九份へ。いちばん来たかったところです。

九份 駐車場へ到着。

すごい人ですわ。

「阿妹茶酒館」

基隆山(標高588m)登ってみたいなー。眺めがよさそうですね。

九份基山街
九份は台湾の一寒村に過ぎなかったが、19世紀末に金の採掘が開始されたことに伴い徐々に町が発展しました。
『金山岩沿革』によると、大正6年(1917)住民の王永圃は神さまに感謝するため、基山老街と九份小学校の下にあるこみちの
岩壁に、観世音菩薩像と善才龍女像を彫りました。規模が大きくないが、地元の人と観光客によると、金山岩はとても霊験なので、
参詣客の波が絶えません。https://tour.ntpc.gov.tw/ja-jp/Food/Detail?wnd_id=115&id=112958より。

やっと提灯に明かりがともりました。やっぱり水が心配でブラブラと観光のみ。

「九戸茶語」で夕食。古い建物を改修してレストランにしたお店です。夕食中、FACE TIMEで大学の友人から電話あり。
遠く離れていてもテレビ電話が出来るんですなあ。驚きでした。(wifiルータは羽田空港で借りていました。旅行中、ほとんど
問題なく使えていましたね。line電話も)

夕食後・・・お~良い感じ~

帰りの駐車場付近。土曜日の夜で、すごい観光バスの数でした。これから来ると、すごい混みでしょうねー。
すれ違い渋滞?で来た道へは戻れず海側へ降りて台北に戻りました。けっこう狭い道でいたよ。

・九份(きゅうふん、ジォウフェン)は、台湾北部の港町基隆市の近郊、新北市瑞芳区に位置する山あいの町である。
・九份という地名の由来はいくつかある。台湾語では一般的に「九份」とは「開墾した土地の持分を9人で分けたもの」の意。
 清朝初期に9世帯しかなく物を買うときにいつも「9つ分」と言っていたことから、ともいう。
・その昔、九份は台湾の一寒村に過ぎなかったが、19世紀末に金の採掘が開始されたことに伴い徐々に町が発展し、日本統治時代
 に藤田組によりその最盛期を迎えた。九份の街並みは、日本統治時代の面影を色濃くとどめており、路地や石段は当時に造られ
 たものであり、酒家(料理店)などの建物が多数残されている。
・しかし、第二次世界大戦後に金の採掘量が減り、1971年に金鉱が閉山されてから町は急速に衰退し、一時人々から忘れ去られた
 存在となっていた。
・1989年、それまでタブー視されてきた二・二八事件を正面から取り上げ、台湾で空前のヒットとなった映画『悲情城市)』の
 ロケ地となったことにより、九份は再び脚光を浴びるようになる。映画を通じて、時間が止まったようなノスタルジックな風景に
 魅せられた若者を中心に多くの人々が九份を訪れ、メディアにも取り上げられるなど、台湾では1990年代初頭に九份ブームが
 起こった。
・ブームを受け、町おこしとして観光化に取り組んだ結果、現在では街路(基山街など)に「悲情城市」の名前を付けたレトロ調
 で洒落た喫茶店や茶藝館(ちゃげいかん)、みやげ物屋などが建ち並び、週末には台北などから訪れる多くの人々で賑わっている。
・世界の旅行ガイドブック(台北付近)にも多数紹介されており、今では台湾を代表する観光地のひとつとして定着している。
宮崎駿のアニメ『千と千尋の神隠し』のモデルになったという噂もあり、日本の観光客への知名度が高まったほか台湾でも知られ
 「神隠少女 湯婆婆的湯屋」の看板がモデルとされる茶屋のそばに掲げられている。by wikipedia

夜市でも九份でもトトロやカオナシのフィギュアなどが売られていましたねー。

↓駐車場、基山街、九戸茶語から撮った海側のフォト。時系列にて。海側もとてもキレイでしたよ。

16:50

17:31

 

18:41 灯りはイカ釣り船

19:22 イカ釣り船の灯りがとても綺麗でした。