~風に吹かれて~ by ポー(paw)

-人の中に 人の創り出した物の中に 動植物の中に 地球や宇宙の中に 魂の琴線にふれ 愛を感じながら 生き込みたい-

15の夏(2)

2011-06-03 11:58:34 | ・昔の写真シリーズ

北海道・岩見沢


すんません。何処の海か解りません。mok?


幸福駅ですねー。

『愛国から幸福行き』の切符は、国鉄時代最も人気のあった一枚でした。
この駅は一部の旅人に注目されていたが、1973年3月、NHKの紀行番組『新日本紀行』において『幸福への旅 ~帯広~』
として紹介されたことから知名度が上昇した。
周りの駅は相次いで幸福駅までの乗車券を増刷し、幸福駅付近の商店も入場券の販売をするようになる。特に幸福駅より
二つ帯広駅寄りの愛国駅と併せて、「愛国から幸福ゆき」という切符が一大ブームとなる。1974年にはこれを元にした歌
「愛の国から幸福へ」(歌:芹洋子)も登場した。前年には7枚しか売れなかった愛国-幸福間の切符が、この年は300万枚、
4年間で1000万枚も売れた。
しかしこのブームも広尾線全体の営業改善にはあまり結びつかなかった。同線は1984年に第2次廃止対象特定地方交通線に
指定され、1987年2月2日をもって幸福駅は広尾線とともに廃止となった。by wiki


塩狩峠ですねー。

塩狩峠とは、北海道比布町と和寒町の間にある峠である。
1909年(明治42年)2月28日、ここ塩狩峠の区間に差し掛かった旅客列車の客車最後尾の連結器が外れて客車が暴走しかける
事故がおこった。その車両に乗り合わせていた鉄道院(国鉄の前身)職員の長野政雄が、暴走する客車の前に身を挺して
暴走を食い止めた。下敷きとなった長野は殉職したが、これにより乗客の命が救われた。
この鉄道事故の実話を元に、三浦綾子が小説『塩狩峠 』を著し、1966年(昭和41年)4月から約2年半にかけて日本基督教団
出版局の月刊雑誌『信徒の友』に掲載された。by wiki

小説「塩狩峠」を読んだのは、たぶん大学生の頃。あらためて感動した余韻を今でも覚えています。その後、三浦綾子さん
の本は数冊読みましたね。

機関車・・・三浦綾子さん・・・クリスチャン・・と連想を辿ると、その後、こんな楽曲を知るに至ります。
あまりにも詩が強烈で、ドンと胸の奥深くへ入り込んできました。この感情は言葉では表現できません。


機関車 作詞・作曲:小坂忠

忘れ物は もうありませんねと
機関車は 走るのです
君はいつでも ぼくの影をふみながら
先へ先へと はしるのです

目がつぶれ 耳も聞こえなくなって
それに手まで しばられても
目がつぶれ 耳も聞こえなくなって
それに手まで しばられても

乗りおくれまいと 急ぎすぎたぼくは
もうとまらない レールの上
あい色した うそのけむりをはきながら
ぼくは君を 愛しているんだ

目がつぶれ 耳も聞こえなくなって
それに手まで しばられても
目がつぶれ 耳も聞こえなくなって
それに手まで しばられても

初めて聞いたのは、角松敏生 1989ライブ盤でした。その後、10年ほど前にゴスペルのライブを見に恵比寿に
行ったのですが、そのときはじめて、この楽曲を小坂忠が作ったのだと知りました。(彼自身が歌っていた)
こんな出会いがあるのですね。

この詩から、何を受け取るかは個人個人違うと思います。サビの詩の表現により放送禁止になっているよう
です。

小坂忠は、細野晴臣、松本隆、また林立夫、松任谷正隆、後藤次利らと活動後、1976年にクリスチャンとなり、
ゴスペルシンガーとなり、その後、牧師さんになりました。

YUTUBEには、小坂忠の機関車が多数アップされていますが、ここには、私の初めて聴いた角松敏生の機関車を
貼り付けておきます。長い楽曲ですけど、感動すると思いますよ。是非お聴きくださいね^^



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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (levin)
2011-06-03 21:15:51
幸福行きの切符を持っていたんだけど、
何処へやったかなぁ(笑)
Unknown (levinさんへ)
2011-06-04 17:01:05
おお!levinさんも持っていましたね^^
流行りましたからねー。
わたしも、何処へいったか分かりません^^;;

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