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心筋梗塞で倒れて無事に六年がたったことを、我が命の恩人である教え子のONさんに報告したところ、
先生は相変わらずアルカイック・スマイルで佇んでいるのではないかなぁと勝手に想像しております。
という返事が戻ってきた。
自分ではそうした微笑を浮かべていることなど、まったく自覚していなかっただけに、なにやら古式ゆかしい面影を自分が漂わせていたことを思うと、急にうれしくなってきた。
アルカイック・スマイルとは、ウィキペディアによれば
「古代ギリシア美術の彫像に見られる表情で、生命感と幸福感を演出するためのもの。
古代日本の飛鳥時代の仏像、例えば弥勒菩薩半跏思惟像の表情もそうである云々」とある。
そこで、早速、弥勒菩薩像の掲載されている三木成夫『ヒトのからだ』をひもとくと、その写真のキャプションには、
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動物性器官(=感覚・運動器官)を代表する目は静かに閉ざされているが、植物性器官(=吸収・排出・循環器官)の入り口を象徴する口元には豊かな表情がただよう。
古代の微笑とは植物へのノスタルジアをあらわしたものか……
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とあり、大いに納得させられた。
三木によれば、人々は動物性器官の極点である脳、つまり「精神」を酷使することによって、「いかなる動物よりも動物臭くなった」(ゲーテ)という。
今日の情報化社会やグローバルな資本主義の隆盛もその延長にあるのだろう。
だが、その結果、心臓をはじめとする植物性器官の働きによる「心」との調和がうまく取れなくなってしまった。
そうした動物的な生に絶望し、もう一度、植物的な生に戻り、安定した状態をつくりだそうとしたのが、仏教をはじめとする宗教だと考えられなくもない。だから弥勒菩薩も
脂ぎったいやしい獣の目であたりをうかがい、うろつくのをやめて、
草や木のように、じっと陽に照らされ、風に吹かれ、雨に打たれるがままでいるがよい。
根源から幸せに満たされ、浄土に近づいたようにも感じられてくるではないか。
と、煩悩多き我々人間を諭しているかのような表情である。
ちょうど、自分自身、思い屈した気分でいたためか、六年経っての感想としては貧弱かもしれないが、深く感じ入った次第である。
これも無事を祝う贈り物として、私事ながら、ここに記すことにした。
あわせて、菩薩のような心で暖かく見守ってくれた多くの人々に感謝したい。
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