濃さ日記

娘もすなる日記(ブログ)といふものを父もしてみんとて・・・

耳のかたち

2017-03-21 15:22:29 | Weblog
前回のブログでも少し取り上げたが、このたび、めでたく花婿となった甥のJ也の話をしてみることにする。
私の姪(兄の娘)のR香は、叔父の口から言うのもはばかられるが、子どもの頃から早熟で利発、おまけに美貌にも恵まれていた。
惜しむらくは、その生育環境が彼女の才能を守ることをしなかったことで、両親の離婚という事情も手伝って、感受性の赴くまま、奔放な生活に浸り、すでに十代にして男性と同棲生活を始めた。
男性は恋人の妊娠を知ると雲隠れして、R香の元に戻ることはなかった。
やがて、R香は一人の子を産んだ。それがJ也である。
R香親子は兄夫婦の元でしばらく暮らしていたらしいが、母が継母であるため、やはり居心地が悪かったのだろう。
余裕が出てきたなら、引き取ろうとしたのか、二歳にも満たぬJ也を置いて、離れて暮らすようになった。
(もっとも、このあたりは、兄夫婦も多くを語らぬタブーの領域で、推測の域を出ない)
そのうち、R香はK氏と結婚するが、幸せな日々は長く続かなかった。
若くして乳がんに冒され、入退院を繰り返しはじめる。
一方、そうしたR香の苦境を知り、兄夫婦はJ也を養子として引き取ることにした。
J也が成長し、野球少年として活躍し始めた頃である。

さて、ここからはJ也夫婦の披露宴当日、控え室にて初対面のK氏から聞いた話である。
ーーある日、J也の所属するリトルリーグの大会があり、テレビ中継されることになった。
闘病中のR香はそれを知り、病院のベッドで観戦していたが、そのとき、テレビに映し出された一人の少年が、その耳のかたちから、自分の産んだ子に間違いないと言い出したのだという。
ーーはてさて、それがはたして本当にJ也であったかどうか、R香の亡くなった今となっては確認のしようがない。
普通であれば顔つき、目つきや所作などで判断するのだろうが、目鼻立ちのまだ整わぬ乳児であれば、いつも添い寝しているときに見える小さな耳が、R香にとっては最もいとおしく、最も深く脳裏に刻まれた部分だったのかもしれない。
最近の政治の世界に目を向ければ、耳を疑うような半信半疑の発言が取りざたされ、そのたびに裏付けや物的証拠が求められるが、この話を聞いた私は、何の迷いもなく、いかにもそうだったのだろうと納得し、母と子の結びつきの強さに改めて感動し、それを信じた。
こればかりは「真」がそのまま「信」となったわけである。
それとともに、決して褒めることなどできない波乱万丈の短い人生を終えたR香にも、最愛の息子とのひと時の憩いがあったことに、わずかばかりの慰安を見出した。
天国にいるR香よ! 心配することはない。 J也は私などよりもよほどしっかり生きていくだろうから。

2017年の不幸という形

2017-03-11 19:14:08 | Weblog
すっかり更新が滞ってしまった。
年度替わりの安堵感が気管支炎を連れてやってきて、おまけに甥の結婚式、何かと落ち着かぬ日々を過ごしてきて、やっと一段落といったところである。
そんな折しも、3・11を迎え、改めて風化への傾きを自ら認めつつも、六年の歳月の重みを思いやった。

それにしても、多くの不幸な形があるものだ。
3・11という日付を刻んだ指標があるものの、そこには、これまで生きて来た人々のさまざまな暮らしの姿というものがあって、その姿も不幸と一体となっているから、不幸の形もさまざまになる。
そういう意味では、ことさら震災にとらわれなくても、人々のなりあいというものは、誰でも、いつの時代でも、それなりに不幸な影をひきづっているといえようか。

たとえば、先に紹介した花婿である甥は生みの母と父を知らずに育ったから、不幸が逆に自分の存在証明ともなっている。
我が娘は祖父母の介護に追われ、ケアマネージャーや後見人、また花婿候補の協力を得ながら、看取りや葬儀での喪主の準備を真剣に始めている。不幸が成長の促進剤になっている。
あるいは、姉は、すでに壮年期を迎えていた息子を失い、その死をいまだ受け入れきれずに心の病に苦しんでいて、不幸は深く浸透している様子だ。
誰がどれほど不幸なのか。

さて、ここに一人の女性がそうした不幸なる者の仲間として、新たに登場してきた。
兄を病気で失い、その三か月後に、今度は父を老衰で失ったという。
「順序が逆ではないか」とは彼女の弁であるが、老いた母親を抱えつつ、今は亡き二人の残務処理に追われている。そんな健気な姿を見ると

ーー私の対象として選ぶべき女は、日々の孤独のために心の弱まるようなこちらを引き立ててずんずん向こうの気持ちに引き摺り込んでくれるような、強い心の持ち主でなければならなかった。……
「あるかなきかの心地するかげろふの日記といふべし」とみづから記するときのひそやかな溜息すら、一種の浪漫的反語めいてわれわれに感ぜられぬにはいられないほど、不幸になればなるほど、ますます心の丈高くなる、「かげろふの日記」を書いたような女でなければそれはどうしてもならなかった。(堀 辰雄)


といった言葉が思い浮かんでくるのだが、本人は、案外

これまでぼんやり夢のように生きてきたので、突然現実に起こされたような気がいたしますが、起きてもなんだかふらふらしているだけのような気もいたします。

というように、不幸が人生の真実を知らしめたことに戸惑いを覚えているようだ。

ところで、これまでの人間は、処世訓として
「禍福はあざなえる縄のごとし」
というように、どこかで不幸が幸福に反転するのをかすかに期待してきたきらいがある。
あるいは、不幸は幸福の予感を孕んでいるとも言い換えられるだろうか。
しかし、フクシマの原発によって、そうした素朴な人生観、運命観が大きく揺らいでしまったのは確かだ。
とすれば、不幸が恒久的に不幸としてしか享受できないこと、あるいは幸福に転化するのに想像を絶するほどの長い時間がかかること、これが現代の最も大きな不幸だと言えることにもなるだろう。

閑話休題
甥の結婚式のついでに、札幌近郊の友人宅に立ち寄り、しばし充電 。
今年の春は少し遅いようだが、鳥寄せのヒマワリのタネをついばみに小鳥たちがベランダにやって来る。
やがて、木々が緑に色づけば、鳥たちは見向きもしなくなるという。