濃さ日記

娘もすなる日記(ブログ)といふものを父もしてみんとて・・・

物思いはポケモンGO!

2016-07-18 00:17:26 | Weblog
 風に吹かれりや
 きえるかと
 野に出て見たが
 きえもせず
 うつり香ほどの
 ものおもひ。


竹久夢二の「ものおもひ」という詩で、瀟洒でほのかな恋心を連想させるが、「もの思いにふける」というと、一般にはプラス効果をもたらさないムダな思い悩みという方向に解されることが多いのではないか。

──あれは小学校一年の冬だった。腎臓病に罹り、入院までには至らなかったが、長期欠席をしなければならなくなった時、降りしきる雪を眺め、子供心ながら物思いにふけったことを鮮明に覚えている。
覇気のない子供だと親に言われつつ、つまらぬことを考えながらも、悔しさ、悲しさに耐え、孤独の中で病気に親しむ術を身につけていったと思う。
とすれば、物思いとは心的成長のための溜め、伸びしろであり、その後のステップボードという役割をもっているのではないか。
ただし、こうしたボーッともの思いにふける濃密な時間を現代人は持っているのか、いささか心配にもなる。

こうした問題を、今日のスマホの普及という観点から取り上げているのが、立木康介『露出せよ、と現代文明は言う』である。
著者は、イギリスの心理学者ビオンの考え方に即して、幼児を授乳しているときの母親の物思い、夢想の重要性を紹介している。
幼児の授乳の際には、他の仕事に着手するわけにもいかず、今晩の食事の献立のことから幼児の行く末のことまで、母親はさまざまな物思いにひたりながら、幼児が満足するまで付き添うことになる。
幼児がむずがるようであれば、抱きかかえ、あやして、もっと親身になるだろう。
やがて、幼児は母に抱かれて穏やかにまどろむようになる。
こうした過程には、母子の間でどのような劇が隠されているのか、筆者は次のように語る

空腹時に子供が経験していた原初的な情動は、まだ夢に見ることすらできないなにものかであり、ビオンはこれを「β元素」と名づけた。
β元素は、子供に愛情を抱く母親によって手を加えられ、母親から子供のもとに返されてはじめて、夢を構成する(だから子供が安らかに眠ることを可能にする)素材、すなわち「α元素」になる。
この母親の機能――β元素をα元素に変換する機能――は、ビオンによって「α機能」と命名された。
母親の夢想する能力とは、子供を押し潰す原初的な不安から子供を守る能力であり、子供に夢を見させる能力であり、子供の思考を育み、ゆくゆくは子供自身がα機能を内在化して母親と同じ力をもてるように導いてやる能力なのである。


だとすれば、片時も体から離さないスマホの出現は、母親から物思いの時間を奪い、α機能の力を失わせ、したがって子供の成長も阻んでしまうのではないかというのが、著者の主張である。
高度情報化社会への過剰な拒否反応なのかもしれないが、現代っ子のいかにもあっさりした、溜めのない態度はこのあたりに由来するようにも思われてくる。
ちなみにアメリカなどではいま、ポケモンGOというARゲームが一大ブームとなり、スマホにかじりついた若者達が街をさまよっているようだ。
彼らは「β元素」的な不安にあふれる社会から逃れ、ポケモンという「α元素」に出会うことを求めているのではないか。
スマホは、彼らにとって「α機能」を備えた大切なツールにも思われてくる。
ポケモンGOは現代的な「物思い」の姿なのかもしれない。