個別指導塾 ONE-S(ワンズ)のブログ

堺市上野芝にある個別指導塾です。進学から補習、不登校の子どもの学習サポートなど、さまざまな子どものニーズにこたえます

成果がすぐに出るのに、それをスルーしてしまうのはもったいない

2018-06-30 10:31:33 | 教室から
こんにちは。堺市西区の上野芝にある個別指導の学習塾ONE-S(ワンズ)の塾長の松下です。

ワールドカップを盛り上がってきて、私の応援しているスペインとアルゼンチンもなんとか決勝トーナメント進出できてホッとしています。その応援に力が入りすぎたのではないですが今週の月曜日の朝に声が出なくなりました。原因は先週の土日に期末テスト対策授業をおこない、はりきって声を出しすぎたせいでした。すぐに耳鼻咽喉科に行き、「先生、今週は仕事がとても大切なんで、とりあえず声がでるようにしてください」とお願いしたところ、さすがはプロですね。あれこれ治療してもらい、薬をもらって帰り、2時間ほど寝るとなんとか声がでるようになっていました。生徒からは「先生、声どないしたん?」と言われるほどガラガラ声でしたが、一昨日あたりからスムーズに声がでるようになり楽になり、無事に期末テストの勉強をすることができました。

これからは、もう少し声のトーンをおとして話さなければと思いながら、生徒たちの期末テスト対策をしていたのですが、どの生徒も一生懸命勉強に取り組んでいましたので、ついついこちらも熱が入りました。

中学3年生は高校受験が少しずつ見えてきたこともあり、それがいいモチベーションになり勉強時間も増えてきていますが、1、2年生に関しては高校受験と言われてもまだピンとこない状態ですので、何も目標に勉強するのか、それが大切になってきます。

「悪い点数をとってしまうと親に怒られるから」と勉強する子もしますが、どちらかといえばこういう例は少数派で、やはり「少しでも良い点数をとりたい」と自分自身の意志で勉強している生徒の方が多いです。テストが終わりテストが返却されたときに、良い点数だとだれでも嬉しいですよね。口では「別に勉強なんてどうでもいいねん。」と言っている子も実は点数のことはとても気にしているのです。

スポーツでもそうですが、努力したことが結果につながるときって本当に嬉しいですよね。「よし、もっと頑張ろう」という強い気持ちが自然とわいてきます。勉強もまったく同じです。試験勉強を頑張って、目標の点数をクリアしたりすることでますます意欲がわいてきて、勉強時間も増えるという好循環に入ります。

ですがテストの点数だけを見ているだけではもったいないです。テストの点数は難易度によっても変わりますし、たまたまミスをしてしまったり、ど忘れしてしまったりで、点数がよくないときもあります。そのとき、その結果だけで評価されてしまうと、「せっかく頑張ったのに。点数も悪いし、怒られるし。最悪や。もうヤル気なくした」となってしまうことは少なくありません。

勉強というのは他のスポーツなどに比べても、その成果は比較的早く出ます。わからなかったものがわかるようになる、解けなかった問題が解けるようになる、これはどの子にとっても嬉しいものなんです。

「学校の授業では何言ってる全然わからなかったけど、塾で一緒に勉強すればわかった」「塾で予習をしていたおかげで学校の授業がわかりやすくなった」「テストで初めて自信を持って答えを書くことができた」など、こういった声は毎年生徒たちから出てきます。

そうなんです。頑張って勉強していれば、必ずすぐにどこかで成果が出ます。それを見逃してはもったいないのです。成果が出たときは、子どもたちは心の中で喜んでいるはずです。ですがそれに気づいてあげられず、テストの結果だけで子どもの頑張りを評価していては、子どものモチベーションを維持させるのは難しいでしょう。

結果がすべてだという人もいるかもしれませんが、私はそうは思いません。仮に結果がすべてだとしても、そもそも定期テストというのは、本番の入試ではないわけですから、定期テストに結果だけを求めるのは間違っています。本番でいかに良い結果を出せるか、そのためには入試まで、いかにいい精神状態を保てるのか、モチベーションを維持できるのかそれらが大切になってきます。当然ですが定期テストの結果が良かったときには、大げさなくらいほめてあげましょう。

私は直接生徒の勉強を指導していますから、もちろん細かい生徒の頑張った成果に気づいてあげることができますが、なかなかご家庭でそれに気づくことは難しいでしょうから、どうしてもテストの点数だけで判断してしまうのは理解できます。ただ、子どもたちが「授業で出された問題ができた!」「提出物がいつもより早く終わった!」というようなことを言たとき「それよりもテスト頑張りなさい」というような言い方をするのではなく、そこはせっかくのチャンスなのですから、それを見逃さずきちんとほめてあげましょう。そうすることが結果的にテストの点数を上げることにも必ずつながってくるのです。

みんな、期末テストお疲れさん。また暑い夏がやってくるけど一緒に頑張っていこうぜー。


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教科書を読めと言われるけれども

2018-06-22 10:48:13 | 教室から
こんにちは。堺市西区の上野芝にある個別指導の学習塾ONE-S(ワンズ)の塾長の松下です。

中間テストが終わったと思ったら、もう来週には期末テストが始まります。中学生もゆっくり休む間もなく、テスト勉強をしなければならず大変ですね。私もテスト用のプリント作成に追われる日々で、もう少しテストの間隔を広げてくれたらなーとぼやいています。

市によって使用する教科書が異なりますし、学校が違えば先生の教え方も異なりますので、生徒たちに授業で使用するノートを持ってきてもらい、教科書とノートを見ながら生徒の学力に合わせてテスト対策のプリントを作っていきます。

基本的にどの科目も作成しますが、どちらかといえば暗記用のプリントと数学の計算問題のプリントが多いですね。社会の暗記なんて教科書何回も読めばいいと思われるかもしれませんが、これがなかなか難しいんです。

どの中学校でも定期テストが終われば成績表が配られます。自分の得点のほかに、学年の平均点や、点数の分布のグラフもあります。以前学力の二極化の話のときにも書いたように、最近は20点未満の生徒の数がぐんと増えています。1ケタの点数の生徒の人数が1割を超えている学校もあります。

特に注目すべきは社会や国語で20点未満の子どもが増えているということです。多くの人は「国語なんて特に勉強しなくてもなんとなく書けるので、そこそこ点数はとれるよな。社会なんて前日にでも一夜漬けで頑張ればなんとかなるよな」と思われるでしょう。確かにその通りなんです。数学がわからない、理科の計算分野がわからないというのは、以前も今も変わらずたくさんいます。ですが、国語と社会ができない子は明らかに増えてきました。

原因の1つは、中学3年生で教科書に書いてある内容を理解できない子が2~3割いるというニュースは以前ここでも紹介しましたよね。まったくわからないという子もいれば、なんとなくわかるけれども主語と述語がわからないので、ぼんやりとしか理解できないという子も多く含みます。こういった子たちは、国語の文章はなんとなく理解できても設問の意味を正確に理解できません。たとえば、「~は何だと筆者は考えていますか。それがわかる1文の初めの五字を書き抜きなさい」という設問に対して、筆者の考えが書かれている文を探すのではなく、5字のまとまった言葉を一生懸命探しています。あるいは、筆者の考えが書かれている文が見つかったとしても、その文の初めの5字という意味がよくわかっていないため、文の途中から書いてしまったりします。

問題を解くという以前に、そもそも文を読み取る力がなく語彙力も少なすぎます。それが国語だけでなく、社会にも影響を及ぼします。社会なんて丸暗記ですが、それは教科書を読んで意味がわかるから覚えることができるのであって、内容がわからないまま教科書を読んだところで語句を覚えることができるはずがありません。

たとえば地理の教科書の一部を書きます。「持続可能な社会を実現するには、限りある資源と環境を将来にわたって利用できるようにすることが大切です。資源が少ない日本では、再生可能エネルギーの活用とともに、資源の消費の見直しや、環境に配慮した省エネルギーの技術を生かした取り組みが行われています。」

ここでは持続可能な社会という部分が太文字で書かれています。この部分を読んで、読解力があまりない子どもが理解できるでしょうか?おそらく何もわからないと思います。まず持続可能って何? 再生可能エネルギー? 消費の見直しや環境に配慮するって?となるでしょう。もちろん理解できる子は教科書を読んで覚えていけばいいのですが、私が言いたいのは教科書を読んで覚えるという方法がだれにでもあてはまるという考え方は間違っているということです。読んでも意味がわからない子にとっては、この時間は無駄でありストレスをためる時間になってしまいます。

だからこそ、教科書を読んで覚えさせるのではなく、オリジナルの問題を作成する必要があるのです。もっとかみ砕いた表現を使い、遠回しな言い方ではなく、もっとダイレクトな表現で問題を作ります。それでも理解できない子もいますが、その場合はそこを詳しく説明します。そうすることによって、「なるほど!これはこういう意味やったんやな。やっとわかったわ」となり、スムーズに暗記ができるようになります。

また、確かに子どもの国語力の低下は大きな問題で、もっと真剣に国全体で解決していかなければならないのですが、それ以外に国に要求したいのは、「教科書をもう少しおもしろくしてください」ということですね。私も問題を作成するとき、教科書を隅から隅まで読みますが、これがまた本当におもしろくない!(笑) おもしろくしようと工夫して写真やグラフなども以前よりかなり多く入れていますが、肝心の中身がつまらなさすぎます。これでは子どもが興味を持つのは厳しいでしょうね。こんなつまらない教科書を何回も読むのは、もはや拷問です。おそらく大人が読んでもおもしろくないでしょうね。社会に関しては教科書というよりも、漫画や映像で授業した方がずいぶんと効果的なような気がします。長くなりましたので、これについてはまた別の機会にしますね。

それではみんな。この期末テストもきちんと乗り切って、気持ちよく夏休みに入りましょう!

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原因を調べ対策するとういのが基本です

2018-06-19 10:41:28 | 教室から
こんにちは。堺市西区の上野芝にある個別指導の学習塾ONE-S(ワンズ)の塾長の松下です。

昨日の早朝、大阪で大きな地震がありました。一瞬で目が覚め、頭をよぎったのは阪神淡路大震災のことでした。あのとき私は大学生で、大学の同級生や後輩、そして先生があの地震で亡くなりました。神戸に住んでいた友人が何人かいたので、原チャリを走らせて仲間と水などを届けに行ったのを覚えています。

そして阪神淡路大震災からも東日本大震災や熊本地震など日本列島は何度も大きな災害に襲われ、多くの命が奪われています。ですが具体的に大きな地震があったときに、私たちはどのように行動し身を守ればいいのかを知っている人はどれだけいるでしょうか。阪神淡路大震災からもう20年以上も経過しているのに、適切な対策をしているとは言い難いのが現状です。

テレビをつけても、「落ち着いて行動してください。火の使用はやめてください」と別に言われなくてもわかりきったことを伝えているだけです。そもそもみなさんは、地震がで家が倒壊したときや津波がきたときに、どこに避難すればいいのかご存知ですか?

南海トラフで大地震が発生するというのはこれまで何度も聞いています。どれくらいの被害が出るのかの発表も何回もされています。そのたびに怖くなります。その恐怖心を安心に変えてくれるのが国や行政の仕事なのではないでしょうか? 自然災害の発生をなくすことはできないでしょう。それならば発生したときに被害を最小限に食い止めるためにどうすればよいのか、私たち国民はどう行動すればよいのか、それをもっと議論して伝えてくれないと、恐怖心だけ煽られて不安になる一方です。本当に地震のメカニズムなどを解明するために、研究費をたくさん使っているのでしょうか。国会でも地方議会でも、そういった災害に関する議論をあまり聞いたことがありませんし、その問題を訴えている政治家もあまりいないように感じます。

何か大きな事故や事件が起きても「二度とこんなことがないように」という言葉はよく聞きますが、きちんと原因を調べその対策をしていないから、同じようなことが何度も起きてしまっているのです。


先日40年以上小児科の先生をしておられる方の講演会を聞きに行きました。食べ物と子どものアレルギーの関係、環境汚染とアレルギーの関係、親と子の接し方による発達の違いなどを、とてもわかりやすく教えてくれ、私にとってもすごく勉強になりました。印象的な話は、たとえばアメリカでも自閉症や学習障害の子どもが増加しているそうです。そしてその原因の1つは環境汚染ではないかと説を発表した人がいると、そういう議論が深まっていきます。何か症状がでるということは、原因があるはずですから、まずはその原因を突き止めようとするのです。一方日本では、そういった議論にはならずに、薬をどう使用するのか、適量はどれくらいかなどの話をしますが、原因は何かについての議論にはならないそうです。

ある有名な学者が発表した説を、実験や検証もせずにそのまま信じている。日本ではそんなことが多いですよね。学習障害にしても、初めは「親の育て方が悪いことが原因だ」というのが一般的だったときもあり、親を追い詰めてしまっていました。まだまだわからないことが多いのは確かですが、原因はそれだけではなく、現在ではほかにもたくさんの原因が考えられるようになりました。

子どもの勉強でも成績が悪いと、とにかく勉強時間を増やさせることだけを考える人がいます。スマホやゲームを取り上げ、勉強時間を増やせば成績が上がると信じてしまっています。そうじゃないんです、成績が悪いことには必ず何か原因があるはずです。それが何なのかを調べることがまず第一です。「先生、成績上げるためにはどうしたらいい?」「教科書何回も読んで丸暗記してこい!」なんてことを言う教師の言葉なんて信用してはいけません。どうせその子のことを深く考えもせず適当に言ってるだけですから。

勉強しなかったら、将来こんな不利なことになるよとばかり伝えても、これは脅しにしかならず、地震の問題と同じく恐怖心を煽っているだけなんです。そうではなく、なぜ点数が悪いのかの原因を一緒に考えてあげて、適切な対策をとらなければ意味がないどころか逆効果になってしまいます。ちゃんとした対策をすることによって、その効果もはっきり現れますから、本人もずいぶんと安心できるようになります。ただ単にサボっているだけかもしれませんが、もしかしたら、言語能力や計算能力などが十分に発達していないことがあるかもしれません、目や耳の感覚器官に問題があるかもしれません、何か大きな悩みを抱えているのかもしれません。

テストの点数が良くないという同じ結果にしても、原因はそれぞれ異なってきます。まずは親と塾でその原因を見つけることが一番大切なことではないでしょうか。


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私の心の支えとなった言葉

2018-06-15 10:40:33 | 不登校
こんにちは。堺市西区の上野芝にある個別指導の学習塾ONE-S(ワンズ)の塾長の松下です。

もう20年ほど前になるでしょうか。私はある詩と出会いました。原文は英語ですので、少しニュアンスは異なるかもしれませんが書きますね。

「選ばれざる道」
黄色い森の中で道が二つに分かれていた。残念だが両方の道を進むわけにはいかなかった。一人で旅をする私は、そこに長いことたたずみ、一方の道の先を見透かそうとした。その先は折れ、草むらの中に消えている。

それから、もう一方の道を歩み始めた。一見同じようだがこちらの方が良さそうだ。なぜならこちらは草が生い茂っていて、誰かが通るのを待っていたから。本当は二つとも同じようなものだったけれど。

あの朝、二つの道は同じように見えた。枯葉の上には足跡一つ見えなかった。あっちの道はまたの機会にしよう。でも、道が先へ先へとつながることを知る私は、再び同じ道に戻ってくることはないだろうと思っていた。

いま溜息とともにこれを伝えよう。ずっとずっと昔、森の中で道が二つに分かれていた。そして私は……私は人があまり通っていない道を選んだ。そのためにどんなに大きな違いができたことか
                                   byロバート・フロスト

この詩は、ロビン・ウィリアムズ主演の「いまを生きる」という映画の中でも出てきます。私の好きな映画の1つです。

いろいろな解釈のしかたがあるでしょうが、当時の私にはとても衝撃的な言葉でした。今もこの詩に力をもらっているように感じます。

大学卒業後にひきこもっていた私は就職戦線からも完全に離脱し、社会からどんどんと離れた場所で生きるようになっていました。「あのとき仕事を辞めていなかったら」「大学受験でこの大学を選んでいなかったら」「勉強じゃなく、もっとスポーツや音楽などいろんなことをしていたら」そんなネガティブな気持ちでいっぱいでした。

まわりの友人がみんな働き出して、社会人として頑張っているのに、どうして自分は。でも、そんなときにこの詩に出会いました。大学卒業して就職できたのに、2週間で辞めて「ひきこもり」という選択をしたのは私自身です。他のだれかに命令されたわけでもなく、社会でもなく、もちろん家族でもなく、私自身が選択した道なんです。でもこの道は、決して大多数が通っている道ではありません。これからどうなるのか想像もできないし、不安でいっぱいでした。

そんなときに、この詩が教えてくれたのは、おそらく私はそれまでにも数えきれないほど多くの選択をしてここにたどり着き、何か意味があってここに導かれたはずなんだということです。

「ひきこもり」という足跡が見えないような道を今こうして私自身が歩いていることにもきっと意味があり、何か大きなものを得ることができるはずだ、そんな気持ちになってきました。そして私は「ひきこもり」をやめ、学習塾を立ち上げようと決意したのです。

社会経験もなく、資金もない私にそんなことできるはずがない。それに自営業なんて不安定なんだから、贅沢言わずに探したらどこか就職先もあるだろうから、絶対そっちの方がいいよ、と忠告してくれた人もたくさんいました。ですが私にはそっちの道よりも、学習塾を経営するという道の方がとても魅力的に見え、とても楽しいように思えましたので、迷わず立ち上げの準備をしました。

こうして始めた学習塾の経営が、もう約20年続いています。今振り返って見ると、とても長い道のりで、ひきこもり時代に立っていた場所はもう完全に見えなくなっています。あのとき別の道を選んでいたら?などと考えることはまったくありません。私が選んだこの道は私にとっては最高の道だと自信を持って言えます。

不登校の子どもたちも「学校には行かない」というあまり人が通っていない道を選択しています。でもきっとその選択には意味があるし、その選択をした人間しか得ることのできないものがたくさんあるはずです。引き返すことなんてしなくていいんだ!今歩いているその暗くて細い道は決して行き止まりなんかじゃない!いつかもっと歩きやすくてワクワクするような道につながっているんだ。そしてそこから歩いてきた道を振り返ったとき、きっと「なかなか険しい道だったけれども、だからこそ楽しかったな。これからは自信を持って自分の道を選んでいけるわ」と思えるはずです。

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難しいのはわかるけど、一律ではなく個別に判断するべき

2018-06-12 10:36:01 | 教育問題
こんにちは。堺市西区上野芝にある個別指導の学習塾ONE-S(ワンズ)の塾長の松下です。

学級崩壊の定義はいろいろありますが、私は授業を受けたい生徒がきちんと受けることができない状態だと考えています。私語だらけで騒がしかったり、先生が怒って授業が中断したり、勉強しようと思っている生徒が何をしに来ているのかわからなくなってしまってるのですから。

こういう状態を学級崩壊と考えるならば、それがない学校を見つけるのが難しいかもしれませんね。

小学校でも周りの友達としゃべっている子もいれば、立ち歩いている子もいるようなクラスもあります。中学生になるともっとタチが悪く、怖くて強そうな先生の授業は静かですが、女性の先生やおとなしい先生の授業では騒ぎまくりで、ときには先生に向かって暴言を吐くことさえあります。先生に向かって「お前!」と言うこともあり、そんな話をきくたびに「いつから学校がこんなふうになってしまったのだろう」と悲しくなります。

義務教育でこのようなことが許されているので、彼らの中には高校生や大学生になっても考え方や態度が変わらない子たちもいます。高校でも授業中にずっとスマホで遊んでいたり、騒いだり、教師に暴力をふるったり。先日、関東のある大学でも授業中に学生が床に寝そべって、スマホを触りながらワイワイしゃべっていたので、教授が注意したのですがまったく言うことをきかなかったため、教授があきれて授業を途中でやめて出ていったというニュースがありました。この大学は偏差値もある程度高く知名度もある有名私大です。

こんな子たちの授業料をどうして国民が負担しなければいけないのでしょうか!

私はいつもこのようなニュースを見るたびに、「真面目にしている子がかわいそう」と思います。小学校でも中学校でも学校の授業をちゃんと聞きたいという子どもは必ずいます。ですが学級崩壊しているクラスではまともに授業を受けることができません。それを野放しにしておくということは、この子たちから教育を受ける権利を奪ってるんですよ。

せめてそんな子どもたちがきちんと授業を受けることができる環境を整えてあげてください。今の学校制度ではそれができないのであれば、勉強は塾に任せてください。子どもたちに学校で勉強するか塾で勉強するのかを選ばせてあげてください。授業を妨害している子たちばかりの権利を守ろうとするせいで、真面目な子がいつも損をしています。

そして、高校や大学がこのような有様にもかかわらず、高等教育無償化が始まろうとしています。おそらく家庭の年収によって補助の大小が決まるでしょう。ですが私はこの方向には基本的に反対です。

年収が低い家庭の子どもはどうして無条件に無償化にするのでしょう。上で書いたように、高校でも大学でも勉強する意欲がないだけでなく、他の生徒の授業を邪魔するような、こんな子が家庭の年収が低いからといって完全無償化されるなんて間違っていると思います。逆に年収が高くても、一生懸命頑張っている子に対しては無償にしてあげればいいのではないでしょうか。年収が高くても兄弟が多かったり、借金があったりする家庭もあるわけですから、収入で線引きするというのはやっぱりおかしいです。

「収入が低い家庭の子でも安心して大学に進学できるように」その意図はわかりますが、安易に実施するべきではなく、もっと議論を重ねるべきですね。教育というのはその国の柱だと思っています。ですから、しっかりとした教育を子どもたちに受けさせるというのはとても大切なことで、教育が崩壊してしまうと国の存亡にかかわります。そういう意味では教育に国がお金を使うというのは正しいことです。

ただし、その教育が価値のあるものである必要があります。ただの時間つぶしのため、やる気もなくただ遊びに行くため、大卒という肩書が欲しいだけで何も学ぶ姿勢がない大学生に1円たりとも投資する必要はありません。

なにも偏差値の高い大学に入らないと無償化にするなと言ってるわけではありません。上記のように、偏差値の高い大学であっても、なにをしに大学に来ているのかわからない学生はたくさんいます。肝心なのは学ぶ姿勢・意欲があるかどうかだと思います。そのハードルは低く設定しない方が絶対にいいです。大学の1回生は無償でも、2回生で授業をサボってばかりいたり、授業の態度が悪かったりすると無償制度を打ち切るべきです。

そうすることによって、中途半端な気持ちで大学に進学しようという生徒は減るでしょうし、大学が本当に価値のあるところになっていくはずです。そしてまた、これまでなんとなく目的のないままとりあえず大学に行っとこかという気持ちでダラダラと4年間無駄な時間を過ごしていた学生が中学卒業や高校卒業したらどうしようかと真剣に自分の将来を考えるようになるでしょう。

真面目に学びたい子にしっかりとした支援ができる国にならなければなりません。現状のように、小・中・高・大学がすべて安心して、学ぶことができるような環境になっていないことをもっと危機感を持って受け止め、今こそ変えていかなければならないときだと思います。

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