個別指導塾 ONE-S(ワンズ)のブログ

堺市上野芝にある個別指導塾です。進学から補習、不登校の子どもの学習サポートなど、さまざまな子どものニーズにこたえます

経験してこなかったことを悔やむのではなく②

2020-06-25 12:27:47 | 不登校
こんにちは。堺市西区の上野芝にある個別指導の学習塾ONE-S(ワンズ)の塾長の松下です。

前回の続きになります。うまくまとめることができず、長くなってしまい申し訳ございません。

ブランクの話です。

小学校や中学校、あるいは高校と不登校になっている子どもで、それもその期間が長い子どもは勉強の遅れはもちろんですが、コミュニケーション不足というものが大きな壁となります。学校で友達と一緒に遊んだり、クラブ活動をしたり、学校行事をしたりする中で、いろんな経験をします。楽しいことばかりではありません。ときにはケンカをすることもあるでしょうし、友だち関係で悩むこともあるでしょう。ですがその1つ1つが大きな経験なのです。こういった経験を通じて、人との距離感であったり、言っていいことといけないことの判断であったりが自然と身につくのです。傷つけられることもあるし、反対に自分の言動によって傷つけてしまうこともあるかもしれません。でもそこから学べるのです。

ですからこの時期に不登校になり、同年代と接していない子の多くは圧倒的にこの部分を不得意とします。勉強というのは、もちろん簡単なことではありませんが、1人でもすることはできます。極端に言えば、ずっと家にひきこもっていたとしても、いわゆる一流大学に合格することは可能です。しかし、コミュニケーション能力についてはそういうわけにはいきません。よく言われることですが、ネットの社会と現実の社会の人間関係はまったく別物ですから。

不登校・ひきこもりから脱出して、学校に通い始めたり、働き始めたりできても、周りとの人間関係がうまく構築できずに元に戻ってしまうこともあります。

不登校というと勉強の遅ればかりが問題視されますが、そうではないんです。「不登校の子どものためにオンライン授業の充実を!」ではダメなんです。いえ、オンライン授業を充実させることは大切だと思います。私も行っています。ですが、それだけで満足していては行政も学校現場もダメなんです。人との会話、コミュニケーションの場が必要なんです。

オンライン授業でも、私が行っているのは、ただ黒板授業を見てもらうというものではなく、1対1で会話をしながら行っています。勉強を理解してもらうと同時に、会話することの必要性を感じているからです。家族との会話はもちろんですが、家族以外との会話も大切です。そういう意味ではカウンセリングを受けに行くこともいいかと思います。カウンセラーの方と話をするというのは、問題の解決だけでなくコミュニケーションの練習という面でも有効です。

ですが、塾であってもカウンセリングであっても、やはり子どもたちにとっては話す相手は大人・先生なんですよね。相手が大人だから話しやすいということもあるでしょうし、大人だから優しく接してもらえるので、いい練習にはなりますが、あくまでそれは練習の場であって、本番の試合ではありません。学校に行くことができなくても、同年代の子たちと接することができる場所、なんでもいいと思います。もちろん学習塾でもいいですし、他の習い事でも。本当はフリースクールがあれば一番いいとは思いますが。そういった場所にできるだけ行くことができればと思います。

また、不登校・ひきこもりから脱出して、現実社会の厳しさにぶち当たり、心が折れそうになるときもあるでしょう。そのときに、「ああ、自分が不登校になっていたのが原因で社会に溶け込めないんだ。不登校になっていた自分が情けない」などと思わないことです。厳しい言い方ですが、いくら後悔しても不登校・ひきこもりであったという事実は変わりません。そしてなにより後悔なんてする必要はありません(私も自分が「ひきこもり」であったことを後悔していません)。確かに失ったものは大きいと感じているかもしれませんが、絶対にそれを経験したからこそ得たものってあるはずなんです。初めは苦労するかもしれません。ですが、いつかきっとその経験が生きてくるときがやってきます。ただし、それがやってくるのは、いつまでも後悔ばかりしている人間ではなく、前を向いて歩いている人間にだけです。後ろを見ていてはそれに気づけないんです。口で言うのは簡単ですが、かなり勇気が必要なことかもしれません。ですから1人で背負わすのではなく、家族や周りの人たちが応援してあげ、彼らに勇気を与えてあげることが大切なんだと思います。私も1人でも多くの子どもたちに、ほんの少しでもそういう勇気を与えることができればと思っています。

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経験してこなかったことを悔やむのではなく①

2020-06-24 16:00:26 | 不登校
こんにちは。堺市西区の上野芝にある個別指導の学習塾ONE-S(ワンズ)の塾長の松下です。

コロナウイルスの影響で中止になっていたスポーツも無観客ながら開幕し、私の好きなスペインのサッカーも再開され楽しみが一気に増えました。やっぱりプロの選手はすごいなと感心します。試合ができないだけでなく、練習も十分にはできなかったはずです。いつ始まるのかもわからない中で、モチベーションを維持するのも大変だったでしょう。にもかかわらず、再開されたと同時に高いパフォーマンスを披露してくれ、私たちファンを楽しませてくれます。

ブランクがあるというのは大変しんどいことだと私は自分の経験上よくわかっています。

高校時代。高校入学と同時に勉強することをやめた私は約2年半高校3年生の夏休み明けまで、まともな勉強をしませんでした。夏前の実力テストでは学年で最下位、数学はほぼ毎回完全な白紙答案で、テスト中あまりに暇すぎて、それを見かねた先生によって途中で退席させられるというような状態でした。そこから大学受験をしよう!と勉強を始めましたが、簡単に取り返すことができるほど甘くはなく、結局2浪することになりました。

これはまだマシな例で、きつかったのは私の場合はやはり「ひきこもり」の期間でした。大学卒業後約3年間私はひきこもりました(詳しいことはブログ内の「ひきこもり」の項目か、3ヵ月ほど前に出版された「あたりまえからズレても」という本を読んでください と自然に本の宣伝をしておきます(笑))。ひきこもっていた3年間は外出をしないことはもちろん、家族以外の会話はほとんどなく、完全に社会から隔離された場所で過ごしていました。そんな生活が3年も続くと、他人とどうやって会話すればよいのか、どんな口調や言葉遣いで話せばよいのか、あるいはどんな表情で人と接すればいいのかなど、普通のときには考えもしなかったことで悩むようになります。

そして「ひきこもり」から脱出して塾を始めたとき、この「他人とのコミュニケーション」には本当に困りました。なんでわざわざコミュニケーションが重要なこの仕事をしたんだ?と思われるかもしれませんが、当時の私にはこの道しか選択肢が見えなく、これがダメだったらまたひこもろうという背水の陣で始めたのです。生徒たちに勉強を教えることに慣れるのに約3年、保護者の方々と話をすることに慣れるのに10年(今でも緊張しますが)、自分が考えていた以上にブランクの影響は大きかったです。

最近でも、私は約4年前にこのONE-Sという塾を立ち上げました。それまでは別の場所で塾を経営していました。17年間そこで頑張っていたのですが、建物の老朽化のため、立ち退きを命じられ、場所探しも含めて一から塾を作らなければなりませんでした。それまで無我夢中で塾を経営してきたけれども、この17年間で自分の「理想の塾」というものがぼんやりと出来上がりつつあったので、それを目指そうと思い切ってこのONE-Sという塾を開校しました。開校するまで準備期間として約1年間ありましたが、その間は生徒に勉強を教えることもできませんでしたし、自分で勉強することもありませんでした。開校して有難いことにすぐに何人かの生徒さんが来てくれましたが、驚いたことに何か感覚が違うんです。うまく教えられないのです。もちろん新しい場所での出発となりましたので「頑張らなきゃ!」という気負いはあったでしょうが、それだけでなく「勉強を教える」という感覚が鈍っていたのです。17年間も勉強を教え続けてきたのに、たった1年でこんなに衰えてしまうとは…。今ではようやく元の状態に戻っているとは思いますが(元に戻ってこの程度っていうツッコミは置いといて(笑))、ブランクの怖さを思い知りました。

次回に続きます。

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静止しているように見えるかもしれないけれども

2020-06-18 18:16:08 | 不登校
こんばんは。堺市西区の上野芝にある個別指導の学習塾ONE-S(ワンズ)の塾長の松下です。

先日高校時代の友人に半年ぶりに会ったのですが、「痩せたなー」と言われました。自分では気づいていませんでしたが、帰って体重を量ってみると半年前と比べて5㎏ほど減っていました。確かにウオーキングをまったくしなくなったけれども、コロナの自粛期間中は自宅でスクワットしたり普段より運動してたかもしれません。自粛期間の方が運動量が多いって(笑)

ですが、毎日顔を合わせている家族には「痩せた」なんて声は一言もなかったです。「5kg痩せてん」とこちらから言ったら「そういえば、そんな感じもするなあ」といった具合です。よほど家族は私に関心がないんでしょうか(笑)

まあそんなことはないと思いますが、毎日のように会っているとその変化に気づきにくいというのはあるでしょうね。成長期ということもありますが、卒業した生徒が久しぶりに遊びに来てくれたときなどは、ずいぶんとその変化・成長ぶりに驚きますもんね。

そういう意味では親というのは子どもの成長には気づきにくいのも納得です。親子ってそういうものかもしれず、ふと横に立ったときに「あれっ、いつのまにこんなに背が伸びていたんだろ」とか、普段の会話の中で「こんな難しい言葉使えるようになったんや」「こんな深いことを考えられるようになったんや」などと気づき、子どもの成長を嬉しく感じるものなのでしょうね。

ですが、その子どもの成長や変化に気づかず、しんどくなるケースもあります。不登校の子どもの親御さんはそうなることが多いように思います。その原因の1つは、子どもの不登校という状況がいつまで続くのか不安だ、早く学校に復帰してほしい、あるいは早く目標を見つけて動き出してほしいなどの「もっと変わってほしい!」という思いが強すぎることです。そういう目で毎日子どもを見続けているため、子どもの微妙な変化に気づかないのです。

小学校5年生から4年間不登校で、ひきこもっていた子がいるとします。親としては、子どもの将来が不安になるでしょう。「このまま高校にも進学しなかったらどうなってしまうのだろう」「いったいいつまでこの状態が続くのか」もちろんそのような不安な気持ちが大きくなるのは自然なことですし、子どもに対する愛情が大きいからこそ心配なんですよね。

しかし心配するだけでなく子どもの微妙な変化に気づいてあげ、そして喜んであげることが大切です。上記のように4年間不登校でひきこもっていた子どもが動き出すには相当なエネルギーが必要です。人間の思考の約8割はネガティブなものだという学者もいます。多いですよね。ただ私たちのように毎日仕事をしたり、あるいは学校に行ったりしている人は、仕事のことや勉強や部活、友だち関係や趣味のことなど考えることがありすぎ、日々の生活に追われ、ゆっくりと自分自身のことや自分の将来のことについて考える時間もありません。しかし、ひきこもっている子どもに関しては真逆で、時間がありすぎるのです。この時間がありあまっていることが大きな問題なのですが、彼らは何度も何度も自分の置かれている状況や将来のことを考えます。そのほとんどがネガティブなものになり、ますます不安になり、考えることが怖くなり現実逃避のためにゲームやネットの世界にはまっていくのです。

このようにネガティブな感情で満たされてしまった子どもたちが動き始めるのは大きなエネルギーが必要となるのです。そして大きなエネルギーを使ったとしてもその動いた距離はごくわずかかもしれません。ですがそのごくわずかな動いた距離が大きな1歩となるのです。

「ほとんど会話らしい会話がなかったのに、話しかけてくるようになった」「家から出なかったのに、近くのコンビニに行くようになった」これらは大きな変化です。

「受験しようと思うからちょっと勉強しようかな」「カウンセリング受けてみたいねんけど」もう動き出しました。大丈夫です。もちろんここで喜んで応援してあげるべきなのですが、過度の期待をしてはいけないと思います。私たちも、病気で何日か寝込んでいた場合、急に全力で動き出すとしんどくなりますよね。彼らの場合も同じです。多くの場合、その反動がやってきます。

「勉強したい」と言ったから塾に通い始めたけれども、最近休んでばかりいる。そんなこともありますよ。気持ちは「勉強しよう!」「高校(大学)に進学しよう!」と思っていても、急に動き始めたから体がついてこなかったり、疲れが出てしまうんです。しばらく慣れるまではゆっくり待ってあげましょう。

そして順調に歩き出したら「〇〇大学、△△高校を受験してほしい」という親の願望は、もしあったとしてもいったん捨てるべきだと思います。どうしても子どもが動き始めると、「次はこうしてほしい」という願望がわいてきます。それは当然のことでしょう。ですがこうして歩き出すのにどれくらいのエネルギーが必要だったかを考えると、まずは元気に歩き出してくれていることに満足して、喜んであげましょう。そのうちきっと本人が、「この道に進みたい!」というものを見つけます。もちろん見つけやすいように情報を与えてあげたり、話を聞いてあげたり、実際に学校を見に行ったりするようなサポートは必要だと思いますが。

ひきこもっていた間、ネガティブな感情に押しつぶされ、自分の未来に希望を持てなかった子たちが、勇気とエネルギーを振り絞って再び歩き始めるんです。少しかもしれませんが、ようやく幸せを感じながら自分の人生を歩み始めているんです。それで十分ではないでしょうか。その途中で自らの目標や夢を見つけ、「この学校に進学したい!」と思うことができればさらに嬉しいことですよね。1歩進んで3歩下がっているように見える子もいます。でもそれでも確実に動いているのです。そのうち必ず前に進みます。私が導くのではなく、共に考え悩みながら彼らは自分の力で歩き始めます。彼らの表情がだんだんと明るくなっていき、確実に前に進んでいると実感できたとき最高に嬉しいですね。1人でも多くの子どもたちのこういった表情が見られるように私も彼らと向き合っていきたいと思います。

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チッ!お前は二面性があるよな!

2020-06-04 19:51:58 | 教室から
こんばんは。堺市西区の上野芝にある個別指導の学習塾ONE-S(ワンズ)の塾長の松下です。

コロナウイルスの影響で仕事以外の外出はできるだけ控えて特にすることもなかったので、これまでのブログを読み返すことにしました。初めの方は文字数も短く、どこか自信なさげに書いているように感じます。約3年前ですので、今とは少し考えも異なっているのもあったり、まったく成長していない部分もあったりで、それなりに勉強になりました。それにしても学校に対する文句が多いですねー。2割ぐらいか、いやもっとあるか(笑)

といいながら、今回もその中学時代の話です。タイトルでもお気づきのようにまた文句ですね(笑)

中学校のときには今でもありますが三者懇談が定期的に行われます。実は私はこの三者面談で褒められたことがないのです。テストはほぼ毎回トップでしたし、授業中も妨害などするわけなどなく黙って受けていました。服装や頭髪も校則通りきちんとしていたのですが、三者懇談でいつも担任からぐちぐち言われました。母もどうしてこの子がそんなこと言われるのかと不思議でならなかったそうです。というのも私には1つ上に兄がいまして、兄は口から生まれてきたのかというほどよくしゃべり、小学校のときから目立っていましたが、私の方はどちらかといえば、もともと話すのが得意ではなかったのもあり、おとなしかったからです。

いろいろと言われましたが、一番印象に残っているのは先生が母に「松下君は二面性がありますよね。先生によって態度を変えるし」という言葉です。いやー、よくこんなことが言えましたね。もしそうだったとしても、もっと他に言い方はなかったんでしょうか?これには私も母も傷つきましたね。

ですが、確かにその先生の言うとおり、そういう面は私にはありました。五教科の授業のときは真面目に聞いていたけれども、副教科は手を抜いていましたから。それはテストの点数にも如実に表れていました。私の時代は、受験に必要な内申点は3年生のときの成績でしか判断されません。極端な話、1、2年生はずっと0点であっても、3年生で100点をとれば最高の内申点をもらえることができる制度だったのです。五教科は受験にも必要だからきちんと授業も受けようという意識がありましたが、副教科に関しては好きでもないし、苦手だし受験にも必要ないしで適当に流していました。テストの点数も五教科は90点以上で安定していましたが、一方の副教科は50点を下回ることは当たり前で、もっと悪い点数をとることもありました。副教科の先生にしてみれば、私のそういったところが気にくわなかったのでしょう。この発言をした先生も技術家庭科の先生でした。

だからといって五教科の先生には好かれていたわけでもなく、基本的にどの先生にも良い印象を持たれていませんでした。その理由はわかるんです。私が先生たちのことを嫌っていたからです。ほぼ全員の先生が嫌いでした。

なぜそこまで嫌いだったかと言えば、その理由は1つなのです。先生たちに、二面性があったからです。私の中学校は荒れていました。たくさんのヤンキーがいて、頻繁に暴力事件が起き、そのたびに全校集会が開かれます。その暴力事件を起こした当事者のヤンキーがその場にいないくて、なにも関係ない私のような普通の生徒が集められ説教されるんです。何の集会で、何のために自分はこんな場所にいて、何で怒られなければならないのか?いつも疑問でした。それでも、これはほんの30分ほど我慢すれば解放されますから我慢できましたが、許せなかったのは先生たちが、私のような普通の生徒に対する態度と、ヤンキーたちに対する態度がまったく違っていたことなのです。

まあそれも、校則をまったく守らず、授業を妨害し、暴力をふるってるヤンキーたちに厳しく、私たちには優しいのであれば学校の秩序を守り、みんなが勉強しやすい場所にするという点で良いことだと思いますが、まったくそれは逆でした。私のような普通の生徒に対しては、先生は高圧的な態度をとることはよくありましたし、体罰も何度もありました。しかし一方ヤンキーに対しては、暴言を吐かれようが、授業を邪魔されようが、いつもヘラヘラしてきちんと怒ることさえしません。「お前らの方が二面性があるやないかー!」ずっとそう思って、軽蔑すらしていました。嫌いでした。そういう私の気持ちがおそらく態度や雰囲気に表れていたのでしょうね。

私が正しかったとは言いませんが、やはり先生というのは少なくとも学校では、生徒の前では先生らしく堂々としていてほしいのです。先生らしく正しく公平でいてほしいのです。子どもは大人より敏感です。ちょっとしたことにでも気づきます。そして一度信頼を失うと取り戻すことはできません。それは簡単なことではなくかなり難しいということはよくわかります。それでもしないといけない場所が学校だと思うのです。難しいのであれば、実現できるように様々な面での改革が必要でしょう。そうしないと、今の私のように何十年経っても文句を言われてしまいますよ(笑)

私は生徒たちには尊敬なんてされなくてもいいと思っています。まあそもそも尊敬されるような人間性でもないですからね(笑)
ただ、生徒たちに信頼される先生になりたいと、これだけはずっと思っていますし、私の永遠のテーマでもあります。生徒たちに「先生、もっときれいに掃除しないと!」「先生、ご飯ぐらい自分で作らないと!」「先生、競馬ばっかりやってたらあかんで!」などと注意されることはあっても、「この先生は信用できる」とすべての生徒に思ってもらえるように努力を続けていこうと思っています。

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