個別指導塾 ONE-S(ワンズ)のブログ

堺市上野芝にある個別指導塾です。進学から補習、不登校の子どもの学習サポートなど、さまざまな子どものニーズにこたえます

試験中に何を考えてますか?

2019-02-26 10:45:52 | 不登校
こんにちは。堺市西区の上野芝にある個別指導の学習塾ONE-S(ワンズ)の塾長の松下です。

私立高校受験も終わり、1、2年生は学年末テスト対策、3年生はいよいよ公立高校の受験の対策で、どの生徒もみんな頑張っています。私もみんなのパワーに圧倒されないように、ますます気合を入れて頑張っていこうと思っています。

私は2浪していますから、センター試験は3回受験しています。得点の高い順に並べると、1浪⇒2浪⇒現役という順番で、数学だけなら1浪⇒現役⇒2浪という順番になります。いちおう私は理系の大学に進学していますから、本来ならば数学で点を稼がなければなりません。ましてや、現役の時なんて、受験勉強とよべるような勉強をしていなかったので、それを下回るというのは相当悲惨だったわけです。当時通っていた予備校のクラスでも、数学の得点はダントツでビリでした。

数学の試験中は、「なぜ解けなんだ?なぜ何にも思いつかないんだ?」と時間だけが過ぎていき、「こんなはずじゃない!2浪して頑張ったのはこんな結果になるためなんかじゃない!」という焦りの気持ちでいっぱいになりました。今思い出しても、変な汗がでてきます。数学のテストの後、タバコを吸いながら「ああ、俺の2浪した頑張りも、これで終わってしまったな。はあ、3浪かあ」と落ち込んだのを覚えています。

センター試験ほどではないですが、公立高校の受験でも同じようなことを経験しました。30年以上も前のことですが、鮮明に覚えています。理科のテストでメダカの問題が出題されました。血液の流れの向きを答える問題でしたが、「あれ?どっちだったっけ?」と一瞬迷い、少し焦った途端に頭が真っ白になり、それ以降の問題がまったく解けなくなりました。理科で大きくコケてしまったのですが、私は内申点が良かったおかげでなんとか合格することができましたが、人生の中で高校受験時が一番勉強したと言えるほど自信を持って試験に臨んだにもかかわらず、こんなことになったのはとてもショックでした。これがトラウマになり、私は今でもメダカの問題が苦手で、得意の理科の中では唯一きちんと教えられない分野となってしまっています。何度やっても覚えられなくなっており正直見るのも嫌な問題です。生徒からの質問でメダカの質問されないかいつもヒヤヒヤしています(笑)

おそらく私は今でもそうですが、当時はもっとさらにメンタルが弱く、本番で力が発揮できないタイプだったのでしょう。こんな私ですから生徒たちに緊張しないコツや力を発揮する方法を教えてあげることができません。受験前にはえらそうに「高校受験なんて何回もできるものじゃないねんから、目一杯楽しんでこいよ〜!」などと言ってますが(笑)

私の生徒でこんな子がいました。この子は中学は不登校で私の塾に来てくれたのは3年生からでした。もともとの能力は高く、自主学習もしていたこともあり、十分に高校受験できる力はすでにありました。ただやはり、学校に行かずに、塾と家だけで勉強することは簡単なことではありません。ストレスを発散する場もそれほどなく、体を動かすことも多くはありませんので運動不足からの体調不良や、地元の知り合いに会わないかという不安とも戦いながら頑張って塾に来てくれていました。

順調に学力は伸びていきましたが、模擬テストを受験しに行くときには、「知り合いに会うのではないか」という不安に包まれ、なかなか試験にも集中できず、結果を出すことはできませんでした。学校のテストを受けていませんので、模擬テストだけが唯一、自分の学力を知る手がかりになるのですが、その模擬テストで良い結果がでないため自信を失うこともありました。

受験が近づいても、普段の塾での勉強では良くできるようになったのですが、模試では相変わらず良い結果が出ないままでした。何度も志望校を変更した方がいいのでは?という話が本人の口から出ましたが、私はこの子の本当の力がわかっていたので、「このままでいこう!」という判断でした。

持ってる力の7割でも出せれば必ず合格できるはず、なんとか当日その力を出させてあげたい、どうしたら力をださせてあげることができるのだろうか? 毎日そのことばかり考えましたが、いい方法が思いつかず、とにかくリラックスだけはさせることだけを意識して授業を進めていきました。

そして、いよいよ試験当日。私にはもう祈ることしかできませんでした。試験が終わってから初めての授業のとき、落ち込んだ顔で部屋に入ってきたらなんて声をかけようか? そんな心配をしていましたが、それは杞憂に終わりました。

「試験中、感動しててん!」思いもよらなかった言葉が、この子の口から出ました。

塾に入る前は、あんなにできなかった問題が、今はこんなにもスラスラ解けるようになぅてることに感動してん!問題解きながら、それが嬉しくてしかたなかった!

試験中にこんなことを考えることができるなんてすごいな!と思ったのと同時に、その言葉を聞いて本当に嬉しかったです。ちょっと泣きそうになりました。もちろん結果は合格でした。

生徒と一緒に勉強すること、生徒1人1人と真剣に向き合っていくこと、それは私にとっても、とても貴重な経験であり、大切な時間なのです。心から喜べることがたくさんありますし、生徒たちから逆に教えてもらえることが山のようにあります。

受験生のみんな! 公立受験までもう少し!ここが勝負だから、もう一踏ん張りして頑張っていこうぜ!

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捨てるのではなく選ぶんだ

2019-02-12 10:38:36 | 教室から
こんにちは。堺市西区の上野芝にある個別指導の学習塾ONE-S(ワンズ)の塾長の松下です。

先日、受験生が受験で作文が出題されるのでその練習をしていました。「思い出の場所」という題でしたが、彼は小学校をその場所に選んで書いていました。「うーん、なるほどな。中学生にとっては、思い出の場所といってもそれほどたくさんあるはずもないだろうし、小学校を選ぶ子は多いだろうなあ」

私自身にとっても、今でも小学校は「いい思い出の場所」であり(中学校は黒歴史でしたが)、いつまでも大切にしたい思い出の1つです。そんな小学校が、数年前に少子化の影響で廃校になる危機がありました。私のところにも、「小学校を存続させるための署名」の用紙が届きました。一瞬迷いましたが、私は署名しませんでした。理由は簡単で、小学校を残す意味を私には見いだせなかったからです。

自分が通っていた思い出の詰まった小学校がなくなってしまうのは寂しい、それは私にだってある感情です。ですがだからといて、その建物を残すことに何の意味があるのだろうか?他の小学校と合併した方が通う子どもたちのメリットも多いだろうし、なによりもっと有効にその場所を使うことができるはずです。学校を壊して地域の人々の役に立つ施設を建てたほうがどれほど効果的か。

私は競馬が大好きですが、競走馬もアスリートと同じように練習をするんですよ。実際の競馬場にあわせたコースを走るのですが、それによって心肺機能や筋肉が鍛えられ、より強く速い馬になるのです。その競走馬の訓練の1つに坂路調教というものがあります。昔は芝やダート(砂)の平地コースしかなかったのですが、傾斜がついたコースを走らせる坂路調教というものが30年ほど前に日本に導入されました。導入当初は「馬が故障しやすくなる」「効果なんてない」といった否定的な意見が多く、関東のトレーニングセンターでは導入されず、坂路調教が行えるのは関西のトレーニングセンターだけでした。

しかしそのわずか8年後に関東のトレーニングセンターでも坂路が導入されたのです。なぜなら、坂路調教を実施した関西の馬がレースでは圧倒的に強くなり、関西馬が勝ちまくったからです。坂路調教の効果の絶大さをみんな認めたのです。もちろん坂路調教にもデメリットがあり、確かに馬に負担がかかりやすかったりもしますが、それはそこからまた学び修正を加えていくのです。

なんだか競馬の講座のようになってきましたが(笑)、新しいものを取り入れるときに、ネガティブな感情にとらわれすぎてはいけないということ言いたいのです。そして別にすべてを捨てなければ前に進めないということでもありません。競走馬の例でも、それまでの平地調教はもちろん現在でも使われています。平地調教・坂路調教のそれぞれ良いところを、その馬の個性に合わせて選んでいくのです。そして本当に必要がないというものだけを捨てていけばいいんです。

私たち人間もこれまでこうして生きてきたのです。時代にあわなくなったものを捨て、新しいものを取り入れることによって文明が発達し快適な暮らしを手に入れました。慣れ親しんだものを手放したり、それがなくなったり、変化したりすることは寂しくもあり、少し怖くなったりもしますが、そこで根拠なく否定していても何も始まりません。勇気を持ってそれと向き合うからこそ私たちは進んでいけるのです。

明治時代になり、欧米の文化を取り入れたことにより、日本独自の文化の多くは表舞台から消えていきました。服装や食事だけでなく、生活様式が大きく変化、いわゆる文明開化といわれるものです。良いことだったかどうかはわかりませんが、技術・学問・思想など欧米に追いついていったのは事実です。その後も私たちはいくつもの古いものを捨ててきました。ですがこれは、ただ単に捨てているのではなく、私たち自身がよりよいものだと判断し新しいものを選んだのです。新しいものを取り入れたときには、必ずいくつもの問題が起こるでしょう。新しいものなんですから当たり前です。大切なことは、新しいものを否定することではなく、その発生した問題を私たちが解決する方法を考えることです。

教育の分野でも、「俺たちがやってきたことなんだから正しいはずだ」と古い考えを押し付けるのではなく、時代にあわなくなったものは捨て去り、大事なものは残すという判断をし、怖がらずに新しいものを取り入れようとしなければなりません。なぜなら時代の急激な変化に最も追いついていないと思われる分野が教育だからです。本来ならば、国民の基礎能力を育てる教育こそが時代の先取りをしなければいけないのに、日本の教育はもはや時代遅れになってしまっています。

ですから私は教育改革は大賛成です。このブログでもいろいろ文句は言っていますが(笑)、変えようという方向性は支持しています。もちろんまだまだ十分ではなかったり、今はそれじゃないだろうなど、言いたいことは山ほどありますが、まずは踏み出すことが大切かと思います。改革が始まってから、今以上にもっともっと議論が深まり、私たちが本当に何が必要で、何を選んでいくのか、それらをみんなで考えていける日が来ることを願っています。


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