僧は海岸の岩の上に着座したままで(この曲では場面設定が終始 鳴門の海岸なので、ワキは能の冒頭で着座すると最後までそのまま着座し続けます)、読経の体で「待謡」を謡います。
ワキ/ワキツレ「この八軸の誓ひにて。この八軸の誓ひにて。一人も洩らさじの。方便品を読誦する。
ワキ「如我昔所願。
この「待謡」の終わりに太鼓が打ち出して「出端」と呼ばれる登場音楽が奏されます。
源平の武将をシテとする「修羅能」の中で太鼓が登場するのはこの『通盛』のほかには『実盛』『朝長』がありますが、『通盛』以外の2曲はいずれも後シテが重厚な登場をする曲で、『通盛』の後シテに「出端」が奏されるのは、それとはちょっと違った意味合いであろうと思います。
やがて後シテ・平通盛が若々しい武者の姿で現れ、それと同時に後見座に後ろ向きに着座していたツレも立ち上がり、舞台に入ると大小前(大鼓と小鼓の前。。舞台奥の中央部分)に立ちます。
ツレは前場のままの姿で扮装を替えないわけですが、もちろん前場では前シテの連れ合いのような登場ですので、違和感はあるものの「漁師の女」、というような役回りで、これは化身としての姿。ここで登場したのは、小宰相の在りし日の姿、という意味になり、また通盛と小宰相はともに連れ立って一緒に登場した、という意味です。
このへん、それならば前場の終わりでツレもシテと一緒に中入して、扮装を替えた方が化身から小宰相の本来の姿への変身が より強く印象づけられる、とは思います。
また一方、前場の本文中に「竜女変成と聞く時は。姥も頼もしや祖父は言ふに及ばす」という文句があるので、古い時代の本来の演出では前ツレは若い女ではなく姥(老婆)だっったのではないか? という意見も提出されています。同じような例は『通小町』にもあって、『通盛』も『通小町』も、前ツレを姥の姿で舞台に登場させる実験的な試みも行われているようです。
なぜ前ツレが若い女で、シテのように後場で扮装を改めないのでしょうか?
能楽師としては、単純に考えればシテとツレのヒエラルキーの差が理由かな? とも考えられなくもないのですが。。つまりツレという助演者の分際では主役たるシテと同じように扮装を替える地位を与えず、それによってシテの変身に観客の注目を集める目的がある、とかです。また楽屋内でも二人の装束を替えるのは大変なので、助演者は最初から若い女で登場させておいて、中入でもツレは舞台に残しておくことで後見の仕事を軽減する、という意味も考えられなくはないです。
が、ぬえはそれとは少し違う考えを持っています。
いわく、作者が能『通盛』を作った当初から、現在の通りツレは若い女のままの扮装であって、それにはちゃんと意味があるのではないかと。
まずは前ツレですが、若い女の姿で登場させていますが、これが最初から「姥」なのである、という設定なのではないか、と ぬえは考えています。
釣舟に乗って登場するのが年老いた漁師と若い女、というカップルはかなり不自然ですね。夫婦。。ではなさそうだし、そうであれば父と娘? それでも夜釣りの労働に娘を従事させている父、というのも不自然です。が、この「不自然さ」にこそ意味があるのではないかと ぬえは思うのです。
これ、実際にはやはり前場に登場するのは「老人」と「老婆」の夫婦なのではないでしょうか。
前掲の「竜女変成と聞く時は。姥も頼もしや祖父は言ふに及ばす」という文言がまさにそれを表しているわけで、それはそのまま、この二人が後場で通盛と小宰相という「夫婦」の姿で登場する伏線でもあります。
が、実際には前場に登場しているのは姥ではなく若い女であるわけですが、ぬえには、古来このツレの役は老婆の扮装ではなく「若い女」だったのだと思います。この能は、その若い姿のままで「姥」と見立てているのではないかと思うのです。能には見立てはつきものですが、こうなるとかなり高級というか難解です。
しかし、こうした「不自然さ」が作者の意図なのではないかと ぬえは考えます。その「不自然さ」は、シテがツレに向かって「や。もろともに御物語り候へ」と小宰相の最期の有様を語るよう促し、ツレがその当人の小宰相であるかのように語るあたりから、混迷の度合いを深めてゆきます。観客は前シテとツレが登場した場面ですぐに、この二人の関係はどうなっているのだろうか? という疑問を感じるはずです。そうして地謡は躊躇なく「姥も頼もしや」とツレは老婆なのだ、と断言しています。それなのにツレは「若い」小宰相の事を自分の事のように語り出す。。
しかし、前ツレが舟から下りて小宰相の入水の有様を表すところで、このツレは小宰相の化身であり、漁翁は通盛の化身であることは疑いがなくなります。言うなれば、最初「姥」として登場したツレが、舞台の進行につれて次第に若やいでゆき、いつの間にか若い小宰相その人の姿と重なってゆく、という仕掛けなのではないかと思うのです。
実際のところ、前ツレの小宰相の語りの場面から入水の場面では、これが老婆の扮装では 小宰相の化身である、という現実味が沸いてきませんね。シテとツレの年齢差という不自然な前場の印象も、中入の場面で二人が通盛と小宰相の化身だと明らかになったとたんに整合が取れるのだと思います。
私たちは初演から数百年を経た能を見て、こういう「不自然さ」に行き当たったとき、長い上演の歴史の中での改変なのではないか? と考えがちですが、室町時代の観客は自分たちに提示されたそのままに舞台を鑑賞していたはずで、現代人である私たちはこういう「不自然さ」をそのままに受け止めて意味を探る事も必要ではないかと思います。
ぬえも最初は「姥」という文言に、古典文学の用法として「老婆」という以外にほかの意味があるのではないか? などとも考えたりしましたが、「姥」という字が「女偏」に「老」である以上、若い女の意味もあるのではないか? などという期待は あまりに無謀でした(笑)。そこから視覚的には若い女を舞台に登場させ、聴覚的には「姥」という文言で表されるこのツレの役に、作者の特別な意味が隠されているのではないか? という発想に繋げることができました。
ワキ/ワキツレ「この八軸の誓ひにて。この八軸の誓ひにて。一人も洩らさじの。方便品を読誦する。
ワキ「如我昔所願。
この「待謡」の終わりに太鼓が打ち出して「出端」と呼ばれる登場音楽が奏されます。
源平の武将をシテとする「修羅能」の中で太鼓が登場するのはこの『通盛』のほかには『実盛』『朝長』がありますが、『通盛』以外の2曲はいずれも後シテが重厚な登場をする曲で、『通盛』の後シテに「出端」が奏されるのは、それとはちょっと違った意味合いであろうと思います。
やがて後シテ・平通盛が若々しい武者の姿で現れ、それと同時に後見座に後ろ向きに着座していたツレも立ち上がり、舞台に入ると大小前(大鼓と小鼓の前。。舞台奥の中央部分)に立ちます。
ツレは前場のままの姿で扮装を替えないわけですが、もちろん前場では前シテの連れ合いのような登場ですので、違和感はあるものの「漁師の女」、というような役回りで、これは化身としての姿。ここで登場したのは、小宰相の在りし日の姿、という意味になり、また通盛と小宰相はともに連れ立って一緒に登場した、という意味です。
このへん、それならば前場の終わりでツレもシテと一緒に中入して、扮装を替えた方が化身から小宰相の本来の姿への変身が より強く印象づけられる、とは思います。
また一方、前場の本文中に「竜女変成と聞く時は。姥も頼もしや祖父は言ふに及ばす」という文句があるので、古い時代の本来の演出では前ツレは若い女ではなく姥(老婆)だっったのではないか? という意見も提出されています。同じような例は『通小町』にもあって、『通盛』も『通小町』も、前ツレを姥の姿で舞台に登場させる実験的な試みも行われているようです。
なぜ前ツレが若い女で、シテのように後場で扮装を改めないのでしょうか?
能楽師としては、単純に考えればシテとツレのヒエラルキーの差が理由かな? とも考えられなくもないのですが。。つまりツレという助演者の分際では主役たるシテと同じように扮装を替える地位を与えず、それによってシテの変身に観客の注目を集める目的がある、とかです。また楽屋内でも二人の装束を替えるのは大変なので、助演者は最初から若い女で登場させておいて、中入でもツレは舞台に残しておくことで後見の仕事を軽減する、という意味も考えられなくはないです。
が、ぬえはそれとは少し違う考えを持っています。
いわく、作者が能『通盛』を作った当初から、現在の通りツレは若い女のままの扮装であって、それにはちゃんと意味があるのではないかと。
まずは前ツレですが、若い女の姿で登場させていますが、これが最初から「姥」なのである、という設定なのではないか、と ぬえは考えています。
釣舟に乗って登場するのが年老いた漁師と若い女、というカップルはかなり不自然ですね。夫婦。。ではなさそうだし、そうであれば父と娘? それでも夜釣りの労働に娘を従事させている父、というのも不自然です。が、この「不自然さ」にこそ意味があるのではないかと ぬえは思うのです。
これ、実際にはやはり前場に登場するのは「老人」と「老婆」の夫婦なのではないでしょうか。
前掲の「竜女変成と聞く時は。姥も頼もしや祖父は言ふに及ばす」という文言がまさにそれを表しているわけで、それはそのまま、この二人が後場で通盛と小宰相という「夫婦」の姿で登場する伏線でもあります。
が、実際には前場に登場しているのは姥ではなく若い女であるわけですが、ぬえには、古来このツレの役は老婆の扮装ではなく「若い女」だったのだと思います。この能は、その若い姿のままで「姥」と見立てているのではないかと思うのです。能には見立てはつきものですが、こうなるとかなり高級というか難解です。
しかし、こうした「不自然さ」が作者の意図なのではないかと ぬえは考えます。その「不自然さ」は、シテがツレに向かって「や。もろともに御物語り候へ」と小宰相の最期の有様を語るよう促し、ツレがその当人の小宰相であるかのように語るあたりから、混迷の度合いを深めてゆきます。観客は前シテとツレが登場した場面ですぐに、この二人の関係はどうなっているのだろうか? という疑問を感じるはずです。そうして地謡は躊躇なく「姥も頼もしや」とツレは老婆なのだ、と断言しています。それなのにツレは「若い」小宰相の事を自分の事のように語り出す。。
しかし、前ツレが舟から下りて小宰相の入水の有様を表すところで、このツレは小宰相の化身であり、漁翁は通盛の化身であることは疑いがなくなります。言うなれば、最初「姥」として登場したツレが、舞台の進行につれて次第に若やいでゆき、いつの間にか若い小宰相その人の姿と重なってゆく、という仕掛けなのではないかと思うのです。
実際のところ、前ツレの小宰相の語りの場面から入水の場面では、これが老婆の扮装では 小宰相の化身である、という現実味が沸いてきませんね。シテとツレの年齢差という不自然な前場の印象も、中入の場面で二人が通盛と小宰相の化身だと明らかになったとたんに整合が取れるのだと思います。
私たちは初演から数百年を経た能を見て、こういう「不自然さ」に行き当たったとき、長い上演の歴史の中での改変なのではないか? と考えがちですが、室町時代の観客は自分たちに提示されたそのままに舞台を鑑賞していたはずで、現代人である私たちはこういう「不自然さ」をそのままに受け止めて意味を探る事も必要ではないかと思います。
ぬえも最初は「姥」という文言に、古典文学の用法として「老婆」という以外にほかの意味があるのではないか? などとも考えたりしましたが、「姥」という字が「女偏」に「老」である以上、若い女の意味もあるのではないか? などという期待は あまりに無謀でした(笑)。そこから視覚的には若い女を舞台に登場させ、聴覚的には「姥」という文言で表されるこのツレの役に、作者の特別な意味が隠されているのではないか? という発想に繋げることができました。
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