つれづれ

思いつくままに

文房清玩

2012-03-16 17:10:26 | Weblog
文房清玩。

この言葉を最初に知ったのは、開高健の遺作『珠玉』でした。
その「第一話」に、著者がむかし 酒場通いの折りに、ふと出会った「初老に近い人物」の話として、紹介されています。

アクアマリンの石を 文房清玩の対象としていた この老軍医は、こんな風に語ります。
   ・・・昔の中国の文人は硯や、筆や、紙に凝ってひとりで書斎でたのしんでました。
   ブンボウは文のボウ、ボウは房ですね。
   セイガンのセイは清らか。
   ガンはもてあそぶの玩。
   文房清玩です。・・・
   
文房清玩。
いい言葉だなぁ。

蛇足ながら、同じく開高健の著作『生物(いきもの)としての静物』のなかの「この一本の夜々、モンブラン」にも、この言葉がキーワードのように出てきます。
この「この一本の夜々、モンブラン」は、何度読んでも汲み尽くせない魅力を持つエッセイです。


さて、わたしの文房清玩の対象は、モンブランなどの魅惑的な文房具類の誘い力にも弱いのですが、仕事がら やはり工具類ということになります。

神戸を尋ねると その多くの時間を、生田神社横の東急ハンズで過ごしていました。
東急ハンズの工具売り場におれば、何時間でも待たされたって平気です。




これは、一見 変哲もない板金ハンマーです。
先輩から譲り受けました。
手あかで汚れ、柄から何度も抜けたのを直し、一度は角穴のところで割れが入ったのを溶接で修復し・・・
ずーっと工具箱にありました。

実をいうと、実際に使ったのは 数えるほどです。
間があると、手にとって握り具合を確かめたり、振ってみたり、してました。

握り具合といい、重心の振り心地といい、これでなら なんでも出来そうな、いとおしい しろもの。
こういう ピタッとくるしろものには、なかなか出合えないものです。

もう物欲が萎えても、この板金ハンマーは手放したくはありませんでした。
でも、工具は使ってもらって その価値が発揮できるのです。
現役を半分退いた時点で、その良さを解ってくれる後輩に譲りました。
わたしが先輩から譲り受けたと同じように。


文房清玩という言葉と この板金ハンマーは、わたしの感覚の中で 同一のものです。
コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「東北地方太平洋沖地震につ... | トップ | 含羞 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事