つれづれ

思いつくままに

千羽鶴

2008-06-27 11:59:01 | Weblog
またも、と お思いでしょうが、またもですが、梨木香歩のエッッセイから 引用します。
・・・(広島平和記念公園の十四万羽の千羽鶴が 観光旅行中の心ない学生によって燃やされる という事件に関連して)鶴を折ることは間々あったが、千羽鶴、というものを、私は今まで折ったことがなかった。独りよがりの押し付けがましさ、のようなにおいが感じられ、何か望みがあるのだったら、もっと具体的な行動をとった方が現実的だと思っていた。・・・
わたしも、そう 思っていました。
でも、神社や病院に千羽鶴が吊るされているのを見るとき、それに込められた「人の念」みたいなものは、ひしひしと感じていました。

ベルリンにまだ壁があった頃、梨木香歩は 東欧を旅しています。
彼女は、人と人との間に共感の輪が広がっていくための手だてとして、言葉ではなく、草むしりや料理や折り鶴のような手作業に希望を見いだそうとしており、外国を旅するときは 必ず折り紙を持っていくようです。
東欧の旅の途中、彼女は 列車の中で、ポーランドからの難民らしき 怯えたような ひどく切羽詰った様子の母子と同席します。
・・・言葉の通じない私にはその不幸を知る術もなかった。何とか力になれないものだろうか。でもそんな幻想を不遜だと、すぐさま否定せざるを得ないほど、人間存在としての彼女らの絶望に近い不安は、そそり立つ岩のように圧倒的だった。列車の振動音だけが空しく続く。窓の外は雪に覆われた東欧の大地。私はバッグから折り紙の束を取りだした。そしてゆっくりツルを折る。最初は何事か、とちらちら見ていた子どもたちも、できあがったツルを手渡されると、目を輝かせる。母親の顔にも疲れた笑顔が浮かぶ。それから、目的地に着くまで、私はただ黙って延々折り紙を折り続けた。色とりどりのそれは、百に近かったと思う。・・・

いままで 女々しいと避けていた折り紙から、このところ毎晩、1,2羽の鶴を折っています。
どんなに思案しても、どんなに言葉を尽くしても、解きほぐせないものがあります。達しないときがあります。
そんなとき、鶴を折るのです。
祈りと言ってしまえば、ちょっと違う。でも それに近い。
どうしようもない 何もしてあげられない どうしていいかわからない、そんなことばかりです。
千羽鶴を折りあげるには、毎日 1羽ずつとしても、3年はかかります。
千羽鶴を折り上げたからといって、どうなるものでもありません。
でも、何もしないよりは、いい。何かしていなければ、気が狂いそうなら、そうすればいい。
少しずつ、ゆっくりと。

5センチ角の折り紙から 小さな鶴が折りあげられるとき、ささやかな ほんとにささやかな喜びがあります。何かが繋がるのです。
それぞれの折り鶴は、ちょっとずつ違います。どれも同じものは ありません。
首をちょっと曲げすぎると、さびしそうな鶴になります。
首根と尾根を少し開きすぎると、ちょっと横柄な鶴になります。
小さな鶴が 一羽また一羽と増えていくと、何かしら 穏やかな何かが 届くような気がしてきます。

・・・それは、単に可哀想とか気の毒に、というレベルのものでなく、何か全体の変容、別の次元への移行、彼らのために、そして彼らを含む、何かもっと大きい全体性のようなものへ開かれていくような感覚だった。(「ぐるりのこと」より)・・・

この 18色の千羽鶴用折り紙は、11年前 京大病院へ入院していたとき 地下の売店で買ったものです。たぶん、あの時も 鶴を折ってみようと思ったのでしょう。
この折り紙の束を、これからは いつも持ち歩くカバンのなかに 入れておきます。
もし、そういう状況に出くわしたなら、わたしも 梨木香歩がやってあげたと同じように、誰かにツルを折ってあげたいと思います。







群れと対峙して

2008-06-21 11:16:33 | Weblog
映画「ぐるりのこと。」を観た。

木村多江演じる翔子が、尼寺の庵の天井に 花の絵を描くシーンがある。
心を病んだ翔子が、立ち直りのきっかけとなる場面だ。
庵主さまが 翔子に語りかける言葉が、印象に残る。
『絵を描くのも技だけれど、生きることも一つの技ですよ。』

この映画を語りだすと、話が長くなる。
いま書こうとしている主題「群れ」から 逸れてしまいそうだ。
ただ、「群れ」のことを考えるとき、この映画の もうひとりの主人公、カナオ役のリリー・フランキーが 浮かび上がってくる。
風采の上がらないスケベ男のリリー・フランキーに、どうしてこんなに惹きつけられるのだろう。
自然体の魅力なのか。ほんとは根っからやさしい奴なんだ という親近感からか。
わたしが カナオ役のリリー・フランキーに惹かれるのは、そういう 飄飄としたキャラ以上に、頼りなさそうに見える彼が 経済的にしっかり自立しているところ。
映画では それを“法廷画家”という職業で表現しているが、画家という能力を 生きるための手段としている という点。
技を身につけているものは、得てして その技に変にこだわりがちなものだ。
生活を犠牲にしてまでも その技に溺れてしまったり、後世に名を残そうなどと もがいてみたり。
カナオは、腹の中では悔しい思いをしているに違いないのだが、「金になる」使い捨ての“法廷画”を 黙々と描き続ける。
天与の技を 生きるための技として活かしながら、人の輪のなかで 群れることもなく 孤高の人となることもなく 生きてゆく生活者・カナオに、共感と安らぎを抱くのだ。

話を 元に戻します。

「群れ」について書きたいと思ったのは、実は 梨木香歩著『ぐるりのこと』の中の「群れの境界から」という章に 触発されたからである。
映画「ぐるりのこと。」とは、関係ない。いや、身近かなことなど(すなわち、ぐるりのこと)をたいせつに思う心は、同じかもしれない。

ところで、「群れ」にまつわる晴れない気持は 少年期からずっと引きずっており、この歳になっても わたしは いまだに 超然とした境地にはなれていない。
群れることに嫌悪感を抱きつつも、群れから見放されたくない自分。
これを、梨木香歩は「群れへの回帰性と個への志向性」と表現している。
ただ、歳を経ることによって 見えてくるものもある。
そういう相反するような性質のものが 実はそうではないこと、一人の人間の中に そういうものが葛藤も見せずに存在しうるものであること、ともかく、人間とは どうやらそういうものであるらしいこと、を、自分には実現しそうにないにしても、幾人かの惹かれる他人のふるまいの中に 発見してきた。
映画「ぐるりのこと。」のリリー・フランキーも、そのひとりである。

悩みの根源は、極端に言ってしまえば、これまでの人生 群れとの対峙にあった。
友達の輪の中に入っていきたいくせに 遠くでその輪をながめていた少年期の自分、ベトナム戦争に心底怒っているのに べ平連には溶け込めなかった学生時代の自分、付き合いが大切と頭ではわかっているのに ツルむことを避けたサラリーマン時代の自分・・・
ひとりひとり人間のような顔をしているくせに、ほんとうは個人を生きていない、と、嘯いていた。

6人きょうだいの上から3番目だった わたしの母は、12歳の時 養女に出された。
なんで自分だけが と思ったことだろう。
母が 肝炎の手術の際に体内に入った他人の血(あの頃はまだ どんな血が輸血されるか わかったものではなかった)で引き起こされた(と私は疑っている)強迫神経症と末期性肝臓病で 寝たきりになっていたとき、母のすぐ上の 80を越した伯母が 母のベッドの脇でこんな話をした。
おとくさん(母の幼名は『とく』であったが 義理の母が同じ『とく』だったので 『一恵』と改名した)が15の頃やったやろか、実家の門口に おとくさんが突っ立っておいでやった。どうしたん と声掛けたら、すーっといんようになってしもうた。どないして あんな遠いとこへ ひとりで来れたんやろな。うちが恋しかったんやろかな。かわいそうやったなあ。
母が弱音を吐くところを、わたしは見たことがない。
叱られて謝っても、許すと言ってもらったことがない。
女らしい端正な顔立ちをしているのに、これっぽちも“女性”をのぞかせたためしがない。
群れることなど、ありえない。
わたしは、そうならないように と努めているのに いつのまにか 母とそっくりの自分に、はっとしてしまう。

エッセイ「ぐるりのこと」は、こう 指摘する。
・・・ヒトという、この本来、なぜ自分がここにいるのかすら甚だ心もとない、不安定きわまりない動物が、常に欲し、根元的に求めているのが、この、「安定」しているという感覚だとしたら、受け入れられてあること、(できることなら)愛されてあること、一体感、帰属感、そしてその個を統合する全体性への強い憧れを禁じ得ないものだとしたら、そのための「群れ」だとしたら、しかしもはやその「群れ」に、人を健やかに安定させる力が失せているとしたら、もう、「群れ」る必要はない。
その組織性が暴走し、本来その組織性が保証するはずだった精神的・社会的安定を個から奪い、更に個の生命すら道具に使うようになったら、それは「必要悪」の次元を遙かに超えている。そうなった「群れ」にはもう忠誠を尽す必要はないのだ。
そうなったら、「群れ」もトップも、個には必要ではないのだ。・・・

今週の月曜日、沖縄は63回目の「慰霊の日」を迎えた。
15年前、わたしは 仕事で初めて沖縄を訪れたとき、ひめゆり平和祈念資料館で 写真記録「これが沖縄戦だ」を買い求めた。
その表紙に使われていた「うつろな目の少女」(実は少年)の本人、大城盛俊さんは、戦争の語り部として 沖縄戦を語り続けてきたが、高齢と病のため 語り部を引退せざるを得なくなった。
味方であるはずの日本兵に殴られて右目を失明し 実母もスパイと疑われて日本兵に殺された彼は、こう話す。
・・・でも私が本当に訴えたいのは日本軍の残酷さではない。彼らにそうさせた戦争が、残酷なんです。ベトナムもイラクもそうです。・・・
あの戦争は、「群れ」が個から精神的・社会的安定を奪ったばかりか 個の生命を道具として使った最悪の結果ではなかったか。
それなのに、あの戦争で徹底して懲りたはずなのに、繰り返し繰り返し、「悪しき共同体意識の暴走」が湧いてくる。

反戦を叫ぶとき、いつも、X氏と繰り返される 不毛な問答がある。
・・・もし お前の家族が目の前で敵に蹂躙されようとしていたら、それでもお前は その敵に銃を向けようとはしないのか。
当然だろう。わたしは、どのような手段を講じても 家族を守る。
だったら、北朝鮮が ノドンを日本に向けているのに、お前はそれでも 反戦を叫ぶのか。
当然だろう。わたしは、どのような場合でも 反戦を叫ぶ。
お前は、単なる夢想的理想主義者だ。現実がわかっていない。・・・
X氏のいう 現実とは、いったい何なのだろう。
いま書籍界は ちょっとした「武士道」ブームだが、X氏と話していると この武士道をご都合主義的に解釈した 歪んだ同朋意識、ひいては 殉国の精神がちらちらしてくる。
X氏を見ていると、9.11直後の硬直したアメリカを 想起してしまう。
放っておけば、知らぬ間に増幅していく敵意と憎悪。
なんとかせねば、修復の道を探さねば、・・・

またしても、群れとの対峙だ。
この世で生きるということは、この群れとの対峙を うまく取り繕っていくことなのだろう。
映画「ぐるりのこと。」の最後のシーンが蘇る。
リリー・フランキー演ずるカナオは、廊下で 法廷画に手を加えている。
ふと 窓から見下ろす 人の群れ。 ヒト、ヒト、ヒト・・・
彼は、独り言のように つぶやく。「ヒト、ヒト、ヒト・・・」
結局のところ、「わたしは人間だ。およそ人間に関わることで、わたしに無縁なことは一つもない」のであって、群れの境界に足を引っかけて、どっちつかずの気持ちのまま、群れと折り合いをつけて 生きていかなければならないのだろう。
願わくば、リリー・フランキーのように 飄飄と。
「群れ化」と「共生」の微妙な差異に、敏感であり続けながら。






或る少女の投稿から

2008-06-20 14:08:42 | Weblog
6月20日付け朝日新聞朝刊の投書欄に、10歳の少女が 「まじめな父は頑張る公務員」と題して こんな投稿をしている。

『15日の声欄・若い世代で、「居酒屋タクシー」についての小学生の投稿を読みました。「公む員の人たちだけにタクシー券をあげるのは不公平」という意見でした。私の父は公務員です。たずねてみました。
父はタクシー券をもらっていましたが、終電までに終わらないたくさんの仕事がある時のためだそうです。夜になってもたくさんの仕事が入ることがあるようです。父も頑張っていますが、山ほど仕事があるそうです。
たしかに不公平だ、公務員だけずるい、と思う方もいると思います。でも、私の父は会社員と同じようにまじめに働いていて、みんなの税金を湯水のようにつかっていません。
公務員の中にはみなさんが思われるような悪い人もいると思いますが、みんながみんなそうではないということを理解して欲しいのです。』

私は、この投稿を読んだとき、この少女の 父に対する愛情と誇りに圧倒された。そして、この少女の父が いま騒がれているような公務員でないことを 直感できた。5日遅れではあるが、こんなにすばらしい「父の日のプレゼント」があるだろうか。

いま 世の中は、官僚ということばを正確に理解もせずに 国家公務員も地方公務員も 学校の先生すら ごちゃまぜにして「お役人」という漠然とした範疇にひっくるめて、「悪代官」の汚名を着せようとしている。

これは、日本人の持つ婉曲な物言いの ひとつのたちの悪い弊害であろう。ほんとうに叩かねばならない「悪代官」を 直接名指しで言うのではなく、「どいつもこいつも」式の 間違った敷衍化なのだ。

まじめに公務に励んでいる公務員が大勢いることを、そして そういうまじめな公務員に どれほどお世話になっているかを、どうして理解しようとしないのか。税金で働いているのだから 公務員が国民に尽くすのは 当たり前 というのは、あまりにも「庶民の驕り」に過ぎるように 私は思う。
庶民と「役人」が こんなとげとげしい関係で、日本の国が 良くなるはずがない。

投稿の少女のような娘を持つ 公務員のお父さんは、そばにこんな良き理解者がいてくれて 幸せである。いまはつらいだろうが、彼女の投稿に 大きくうなずく“庶民”もいることを 知らせてあげたい。元気づけてあげたい。

きっと、いい父親なのだろうな。

高齢者事故死は自殺?

2008-06-10 09:21:16 | Weblog
年間の自殺者数が、3万人を超えたという。
それも、働き盛りの 若い世代が増えたらしい。
いかに 心に傷を負った日本人が多いか、を示している。
自殺者は、そのほんの一例、その極端な例。
明日の食うに困った時代、心の傷を 膨らます余裕などなかった時代、死にたいと思った人は いまより遥かに少なかったのではなかろうか。
「貧しきもの 幸いである」は、ほんとうなんだ。

ところで、交通事故の死者数が減った。
喜ばしいことだが、高齢者の事故死は 依然 高水準にあるそうだ。
運動神経の弱さ、交通ルールを守らない年寄りの厚かましさ・・・理由は いろいろあろうが、中には 自殺願望が実現したというケースも 多いのではないだろうか。
若い人のように 積極的な自殺をする体力も気力もないけれど、危ない瞬間 避けようと思えば避けられたのに、そのままふらふらっと車にぶつかってしまう、ということが。
そんな年代にさしかかったわたしは、ふっとそんなことを妄想する。