つれづれ

思いつくままに

日々新た

2020-12-26 23:45:08 | 

けさ開けたカーテンを、閉める。
午後6時、もう 外は暗い。
無為に過ぎたのでは と、メリハリのない一日を コロナ禍のせいにしている。
10年足らず前に テレビ画面に映し出された あの大津波の惨禍を目の当たりにして、とるにたらない日常生活を あれほど有難いと感じ入っていたのに、である。

翌日 晴天を朝日で知って、カーテンを洗った。
年末の大掃除のつもり、である。
ついでにガラスも きれいに拭いた。
ガラスを拭いたところから順次、洗ったカーテンを吊るし干しする。
レノアのいい香りが、 部屋を満たした。
夕べの憂鬱は、どっかに消えた。

年越しという けじめ。
一日一日が間断なく流れていく中にあって 人は、年越しという節を設けた。
先人の 大いなる知恵。

年が明けて どんな世界が開けるのか。
コロッと変わるわけないが、けさ開けたカーテンを閉める 短い一日でも、年を越せば なにかが変わる、と思いたい。
来年が 希望の見える年でありますように。 

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御射鹿池

2020-12-23 00:37:58 | 

蓼科高原の御射鹿池(みしゃかいけ)は、水面を鏡にして 静寂を映していた。

蓼科が雪に閉ざされる直前、意を決して 茅野へ向かった。
いまは移動を自粛すべきとき と、重々承知している。
しかし いま動かなかったら、一生 御射鹿池をこの目にとどめることはできないような気がしたのだ。
それに、雪を抱いた八ケ岳連峰を 蓼科側から 一度は眺めてみたかった。
八ケ岳へは 壮年期に五度挑戦しているが、いずれも 清里側からの夏登山であった。

茅野駅からメルヘン街道(国道299号線)を通うバスは 日に三便だけで、それも御射鹿池には寄らない。
駅前で待つタクシーに すがるしかない。
午後の太陽が、だいぶ西に傾いている。

いいときにおいでなさった と、タクシーの運転手さんが言った。
空は澄んで 風はなく、寒さも その日はだいぶ緩んでいた。
最近は御射鹿池が人気で、紅葉シーズンには 御射鹿池へ至る「湯みち街道」(県道191号線)は ひどい渋滞だということだが、道はスイスイと走れた。
御射鹿池には、茅野駅から半時間ほどで着いた。

たしかに、東山魁夷の『緑響く』に描かれた御射鹿池のように 対岸に白馬が歩む幻想を抱かせるには、目の前にある御射鹿池は だいぶ人間の手が入った印象は受ける。
それでも わたしの目には、この池は、原田マハの『生きるぼくら』に登場する 麻生人生のおばあちゃんが大好きな場所にふさわしい、と思う。
鏡のような水面は、対岸の枯れ枝の樹木たちや 透き通るように青い空や 低い角度から射す太陽の光を、あますことなく 映しだしている。
美しい。
あぁ やっと、御射鹿池を 見ることができた。

帰路に眺める八ケ岳連峰は、深く傾いた西日を浴びて 白く輝いていた。

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夏美のホタル

2020-12-13 00:02:44 | 

季節外れの題で、自分でも戸惑っている。
森沢明夫著『夏美のホタル』(角川文庫)を読んで、どうしても伝えたくなって、これを投稿した。

優しさについて である。
世代を超えた人と人との間に通う優しさを ホタルに託して、作者は こんな題名をつけたのではないか、そんな気がする。
わたしにいちばん欠けている優しさを、息子のような年齢の作者が この物語を通して、わたしに判りやすく語ってくれた。

この物語の主人公は、芸術大学の写真学科に在籍する“写真家の卵”の慎吾と 幼稚園教諭の夏美のカップル。
慎吾の卒業制作のロケハンがてら バイクで訪れた 千葉・房総の山奥で、彼らは 運命的な出会いを果たす。
トイレを借りるために飛び込んだ 古びた雑貨店「たけ屋」で、84歳のヤスばあちゃんと 彼女の息子で体が不自由な62歳の恵三(愛称「地蔵さん」)と知り合ったのだ。

この物語に登場する人物は みんな優しいのだが、「地蔵さん」と呼ばれている恵三は 優しさの象徴だ。
父を知らずに育ち、ある悲しい出来事が原因で半身不随になり、それがもとで妻とひとり息子と離れ離れになってしまった恵三は、地蔵さんのように いつもニコニコ顔で、周りの人たちに訥々とながら優しい言葉をかける。
和顔愛語が 身に沁みついている。
弱さと不幸せの代名詞のような存在の恵三が、どうしてこんなに優しいのだろうか。

ほんとうの優しさは、伝播する。
まわりの人たちを優しくする。
この物語を読んで、そう確信した。

伝播する優しさの発信元には、わたしは 到底なれない。
優しい気持ちになるために、ほんとうの優しさにめぐりあいたい。
いや、とっくの昔に 有り余るほど めぐりあっていたのに、気づかなかっただけなのだ。

作者の森沢明夫氏が、自身のあとがきの最後に、こう述べている。
  人生は、ひたすら出会いと別れの連続です。
  どうせなら、別れがとことん淋しくなるように、
  出会った人とは親しく付き合っていきたいですし、
  そのためにも、
  いつか必ず訪れる別れのときを想いながら、
  自分の目の前に現れてくれた人との「一瞬のいま」を
  慈しみたいと思います。

小説『夏美のホタル』は、その「一瞬のいま」を わたしに気づかせてくれた。

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