つれづれ

思いつくままに

城南宮のしだれ梅

2022-03-13 11:30:46 | 

3月12日の土曜日、やっと春が来た気分の陽気につられて、城南宮のしだれ梅を 見に行ってきました。

地下鉄烏丸線終点竹田駅から さほど遠くないところに、城南宮はあります。
城南宮へは、工場の改築や大きな工作機械を据え付けたときなど お祓いの砂をいただきに、名神高速南インター南行出口を出たすぐの 国道一号線沿いから 車で乗り付けて、なんどか尋ねたことがありましたが、東鳥居から入ったのは 初めてです。

城南宮のしだれ梅、正直なところ あまり期待していませんでした。
しだれ梅がどんなものかさえ、知りませんでした。
城南宮のしだれ梅は、「すじしだれ」に分類される品種だそうです。
品種名の通り、形の良い多数の筋状の垂れ枝に 縋りつくように咲き誇る、薄紅色と白色の梅、梅、梅・・・。
例年だと「惜梅(せきばい)」時期なのだそうですが、今年は冬が寒かったせいか、いま盛りの「観梅(かんばい)」時期。
うれしい予想ハズレ、こんな美しい光景をこの目で見られるとは 想像もしていませんでした。

言葉では伝えにくいので、二枚のスナップ写真を添付します。
二枚とも、城南宮発行のチラシが推奨する「カメラスポット」で、大勢のカメラマンに揉まれながら撮ったものです。

大きな “賜りもの” をもらった気分に浸りながら 本殿にお辞儀して、再び東鳥居をくぐりました。


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オアシス

2022-03-09 23:36:36 | 

『星の王子さま』の著者、サン・テグジュベリの作品に、『人間の大地』がある。
彼の職業飛行家としての15年間の体験を、思い出語り調に綴った 八編のエピソードからなる 短編集である。
この第五番目に「オアシス」という編があり、この編に引き込まれたわたしは、作者と一緒に とある不思議な家を訪ねることになった。

玄関先に現れたふたりの娘、彼女たちは まるで “禁断の王国の入口に立つ二人の裁判官” のように、厳格な目つきで <ぼくら>を見据えた。
やがて紹介が終わると、二人は妙に挑戦的な態度で、黙りこくって<ぼくら>に握手の手を差し出し、そのまま姿を消してしまった。

この編は、この二人の娘が醸し出す 異次元で異空間な空気、それでいて 静かなその顔のうしろに隠された、その慧敏さとにこやかさ、彼女たちに備わるその立派さが核心なのだが、わたしがこの編に惹かれたのは、彼女たちのホーム、棲み家の魅力である。
 
サン・テグジュベリは、この “棲み家” の魅力を、こう表現している。
   ーーーなぜかというに、ここではすべてが退廃していたから、それもじつにすばらしく、十も重なる世代の昔から、恋人たちが腰か
   けに行くベンチとでもいったふうに、床板は減り、扉はむしばまれ、椅子は脚が曲がっていた。 ただ、ここでは、まるで修繕はし
   ないかわりに、掃除は行きとどいていた。 すべて清潔に艶拭きされて光っていた。
   ーーー中でも特にぼくは床板に感心した。 それは、ここに穴があき、そこは船のタラップのようにぐらついているのだが、それで
   も、ちゃんとみがいて艶出しして、てらてらに光っていた。 不思議な家ではあった。 それはなげやりだとも無精だとも全然感じ
   させず、ただ異常な尊敬の念をおこさせた。 たぶん、年々が新たな何ものかを、この家の趣に、その表情の複雑性に、その友誼的
   な空気の熱意に、また客間から食堂へ通う途中の危険に、加えつつあるのに相違なかった。 
   ーーーこの穴、これはだれの責任でもなかった、これは時間がやった仕事だ。 この穴には王者のような風格が、あらゆる言いわけ
   を頭から軽蔑する気風がそなわっていた。
   ーーー思ってもごらんなさい、左官と大工と指物師と漆喰屋さんの一隊が、てんでに冒涜の道具を携えて、このような過去の中へ乗
   りこみ、一週間もたたないうちにきみが見も知らない家、きみがよその家へ訪問に来ているとしか思えないような家に改造してしま
   ったら、いったいどうだろう? それは、神秘性も奥ゆかしさも、足の下の罠も、床下の落し穴もまるでない、一種市役所の応接間
   みたいなものになってしまうのではなかろうか?

わたしは、こういう “趣のある家” を知っている。
京都には、こういう家が多くある。
同時に わたしは、スクラップ・アンド・ビルドよろしく、価値ある古い家を壊して 安普請なホテルやマンションに変わっていく街並みを、目撃している。
悲しい光景である、が、そんな悲しみどころではない悲しみが、現在進行している。

連日、ロシアによる無謀なウクライナ攻撃のニュースが流れている。
戦争前のウクライナを、わたしは よく知らない。
京都の姉妹都市であるキエフの、歴史ある美しい街並みも知らない。
でも、訪ねたい国、訪ねたい街であったことには違いない。
その街並みが、無残にも いま壊されている。
難民となったウクライナの人々の かけがえのない家々が、壊されている。
オアシスだったであろう家々が、ひとりの独裁者のわがままで、壊されている。

棲み家はオアシスであり、故郷そのものである。
それを壊すことは、そこに住んでいた人たちの人生を奪うことに他ならない。
決して許されることではない。

『人間の土地』の「オアシス」編を読んでいて、このことを強く思った。


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聖林寺十一面観音との再会

2022-03-01 16:53:07 | 

11年前の6月22日、これが最後とのおもいで、奈良・桜井市の南にある聖林寺を訪ねた。
十一面観音立像に会うためであった。
車でないと とても、この「下(しも)」という山里まで来ることはできまい、免許証返納をまじかにして そう思ったのだ。

このときの記録に、こう ある。
   たぶん もう拝顔できるのは、これが最後だろう。
   しっかり この眼に焼き付けておこう、死を宣告された人間の言うことのように つぶやいていた。
   長い間、いや 長い間とも意識せずに、立像の前に突っ立っていた。

振り返って思うに、このときの拝顔は、ちょっと がっかりしていたような気がする。
学生時代 この観音像に惹かれて、和辻哲郎の『古寺巡礼』を携えながら 幾度となく訪れた、聖林寺。
あの頃の 胸がざわざわする感動が、11年前の「これが最後」とのおもいで 向き合ったお姿に、正直 感じきれなかったからだ。


いま 奈良国立博物館で、「三輪山信仰のみほとけ」と題して 聖林寺十一面観音が 24年ぶりに公開されている。
コロナ禍のさなかに との躊躇はあったが、三回目のワクチン接種も済ませたのだから と、2月26日 寒さの和らいだ土曜日、奈良へ出かけた。
目的は もちろん、聖林寺十一面観音像との再会である。
奈良博へなら、地下鉄烏丸線の延長上 乗り換えなしの近鉄急行で、容易に訪ねることができる。

「仏像拝観はお堂で」との頑なな“主義”は、十分な「足」を持たない者には 絵空事であると、気付き出している。
それに 奈良博に安置された この立像は、囲いもなく 360度どの方向からも 拝することができる。
このたび このみほとけを 向かって左側面から拝して、学生時代に感じた美術品としての感動を飛び越して 不思議にも、信仰の心が 湧きあがった。
ゆっくり一周して 再び正面に立って、写真写りが悪いと思い込んでいたお顔を 正面から拝して、「慈悲」という言葉の真意を見た。
なんと慈しみ深いお顔であることか。
この歳になって はじめて、信仰の対象としての仏像を認識できた気がする。

もう一体、心惹かれる仏像に会った。
この催しに 同時出展された、法隆寺の地蔵菩薩立像である。
はじめての出会いである。
法隆寺の大宝蔵院には 10年前 百済観音に会いに行っているはずだが、ここに常時安置されているという この地蔵菩薩に気付かなかった、ということか。
聖林寺十一面観音の脇侍として 大神神社(おおみわじんじゃ)の神宮寺「大御輪寺(だいごりんじ)」に安置されていたという この地蔵菩薩立像は、平安時代初期作の 榧(かや)の一木造りである。
等身大の肉厚な躯に載る お顔の、なんともいえぬ 穏やかさ、思わず 手を合わせたくなった。
大きな得をした気分である。


このたびの 聖林寺十一面観音との再会は、わたしにとって 大きな収穫であった。
わたしの心の中でずっと もっとも美しい仏像としてきた この像が、正しい認識であったことが はっきり判ったこと。
それに加えて、いままで美術品として拝してきた仏像が、聖林寺十一面観音を通して、そして 併設の法隆寺・地蔵菩薩立像をも通じて、やっと 信仰の対象にすることができたこと。
ありがたいことである。

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