つれづれ

思いつくままに

安乗岬灯台

2023-08-27 22:09:11 | 

僕たちの通っていた小学校・中学校は 今でいう「小中一貫校」で、ときどき 講堂の暗幕カーテンを閉め切って映画を上映して 生徒たちに見せてくれていた。
高峰秀子・佐田啓二主演の映画『喜びも悲しみも幾年月』も、そのひとつだったように記憶する。

日本各地の辺地に点在する灯台を転々とする灯台守夫婦の物語なのだが、その舞台となる灯台のひとつに 安乗岬灯台が登場する。
この映画をみてから中学を卒業するまでの間に 僕たちは、安乗岬灯台を10回近く訪ねた。
岬の埼にすっくと立つ四角形の白い安乗岬灯台は 文句なく美しいと感じたし、映画に登場する灯台のなかで日帰りで行けるのは 安乗岬灯台しかなかったから。
安乗岬灯台は 正しくは「安乗埼灯台」なのだが、僕たちは「安乗岬灯台」で通していた。

ここで<僕たち>とは、わたしと わたしの幼友達の“まっつん”のことである。
灯台に魅了されたのは わたしであって、まっつんは わたしの熱意に しかたなくついて来てくれたのかもしれない。

3000を超える日本の灯台に 灯台守はもういない、すべて無人化された。
そして 霧信号所もなくなり、霧笛を聞くこともなくなった。

映画『喜びも悲しみも幾年月』のラストシーン。
御前埼灯台の踊り場手摺から身を乗り出すようにして 双眼鏡で夜の駿河沖を航行する外国航路客船を探す灯台守夫婦、その船にはエジプトのカイロへ向かう娘と新婚の夫が乗っている、船を見つけて眼下の霧信号所へ白いハンカチを必死に振って霧笛を鳴らすよう合図する灯台守、船のデッキに立つ新婚夫婦は霧笛を聞き 夫は汽笛で答えるよう 船長に頼みに走る。
霧笛と汽笛は、黒い海原を飛び交って 互いの想いを交す。
映画のこのシーンは、灯台守も霧笛も存在しない今、完全に幻となってしまった。

わたしの中の「安乗岬灯台」は 今も、幻ではなく しっかりした思い出として 生き続けている。

コメント (3)
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寺田寅彦の「団栗」

2023-08-15 14:08:41 | 

寺田寅彦の随筆集に、『団栗』(どんぐり)という小文が収められている。

岡潔の『春宵十話』を読んでいたら、次のような一文が眼に留まった。
「文学の世界でも、寺田先生の『藪柑子集』特にその中の「団栗」ほどの緻密な文章はもういまではほとんど見られないのではなかろうか。」
押入れの奥深くに眠っていると目星をつけて、中学時代に親にねだって買ってもらった『寺田寅彦随筆集』(岩波文庫)を漁り出し、その『団栗』を読む。
寅彦が20才のときに学生結婚した 5才年下の夏子は、結婚生活5年後に 忘れ形身の男の子を残して夭逝する。
この最初の妻・夏子との思い出を  5000字足らずの文章に書き留めたのが、この『団栗』である。

まだ十台の病弱な若妻の 初々しいわがままを(たぶん喜ばしく思いながら)あしらいつつ、気分転換にと 身重の彼女を植物園へつれ出す。
そこで見つけた団栗を 彼女は、自分のハンカチいっぱいになるまで 夢中になって拾い集める。
寅彦のハンカチまでねだって、それにも団栗を満たす。
飽きたのか、「もう止してよ、帰りましょう」と言う。

忘れ形身のみつ坊をつれて、寅彦は あの植物園へ遊びに来て、昔ながらの団栗を拾わせた。
「こんな些細な事にまで、遺伝と云うようなものがあるものだが、みつ坊は非常に面白がった。」
「亡き妻のあらゆる短所と長所、団栗のすきな事も折鶴の上手な事も、なんにも遺伝して差支えないが、始めと終りの悲惨であった母の運命だけは、この児に繰返させたくないものだと、しみじみそう思ったのである。」

中学生だったわたしは、将来なりたい人物像に 寺田寅彦を描いていた。
物理学者であり、優れた随筆家であり、夏目漱石のいちばんの俳句弟子であり、バイオリンもチェロもピアノも上手に弾け、絵もうまい。
線香花火の火花の形の研究など、日常身辺に起こる現象をわかりやすく説く“寺田物理学”が好きだった。
こんな寅彦に憧れた。

当然のことながら 何一つ 寺田寅彦に敵うものなど持てなかったが、ひとつだけ 寅彦よりちょっと幸せそうなものを、わたしは持っている。
57才で没した寅彦は 二回も妻を亡くし、結婚を三回している。
わたしは、53年も ひとりの妻と一緒に過ごしてきて、78才になった今も ふたりとも辛うじて元気に生きている。
家内は、「若い奥さんを三度ももらえた寅彦さんのほうがいいんじゃないの」と、茶化して言うのだが・・・

コメント (2)
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