12月22日の日曜日が、受け持っている気功太極拳教室の 最後のレッスン日となった。
私から願って、教室をクローズしてもらった。
最後の教室を終えて 生徒さんたちが、お別れ会を催してくれた。
彼らに支えられて、無難に けっこう楽しく ちょっとしんどい、12年間だった。
先生のおかげで これまで健康維持できました、との生徒さんのひと言で、12年間が輝いて感じられた。
夕方、孫たち家族が夕食を一緒にしようと わが家に来てくれた。
一家を代表して 下の孫娘から、花束をもらった。
12年間ごくろうさま、という言葉を添えて。
経験のない「定年退職」のような ほろ苦さを、孫からの花束に嗅いだ。
びんずるさんにお願いする体の部位が、ことし三つ増えた。
けさも、六角堂の右脇に祀られている びんずるさんのあちこちを撫でてきた。
右顎関節と喘息の胸は 去年からの続き、右肩と右ひざとバネ指の左手が ことしから。
ことし増えたのは、みな家内の分だ。
お願いする箇所が多すぎて、お聞き届けいただけないかもと 思案しながら…
びんずるさん、あちこちの寺に祀られている賓頭盧尊者の撫で仏。
たくさんの願いを一身に受けて、あちこち撫でられて、テカテカに光っていて、鼻など出っ張ったところは摩滅して…
迷信と不潔という理由で びんずるさんを避けていた頃、賓頭盧尊者像は恐ろし気だった。
痛いところと一生つき合わねばと思える年齢に達したいまは、愚痴を聞いてくれるお年寄りのような親しみを、この像に感じる。
びんずるさんの体を撫でながら、歳をとるのも ちょっといいもんだなぁ、と。
父が亡くなった年の暮れ、中島みゆきのニューアルバムを買った。
28年前のことだ。
そのアルバムの中で歌われている歌詞に、いつまでも気になるフレーズがあった。
「100年前も 100年後も 私がいないことでは同じ」
そのころ、このフレーズから安易に導かれる言葉をよく口にしていた。
「人間、死んだら、おしまいや」
その裏返しの言葉も多用していたように思う。
「この世は、生きてるもんのもんやさかい」
最近、とある事がきっかけで、そのアルバムを新たに買い求めて聴くようになった。
あの、気になっていたフレーズは、『永久欠番』に入っていた。
なんどもなんども聴いている。
28年前とは真逆の気持ちで聴いている。
この歌の最後は「人は、永久欠番」。
そう、人はみな、永久欠番なのだ。
ごちゃごちゃ御託を並べなくていい。
たたひと言、「私も、永久欠番」。
最上川下流域、それが庄内地方のイメージだった。
実際に庄内地方を訪ねて このイメージは、地図上のものでしかないことがわかった。
川は少し離れると見えなくなるが、山は大きく移動しても眺めることができる。
北に鳥海山 南に月山を遠望できる 日本海に面した大きな平野、これが実感の庄内地方だ。
庄内地方を旅してみたい、ずーっと抱いていた願望だった。
11月の末に念願かなって、岸壁を走る鼠ヶ関あたりの羽越本線の車窓から 荒れた日本海の時化波に胸を躍らせながら、北の庄内地方に向かった。
この旅の大きな目的は三つ、酒田の土門拳記念館、鶴岡の藤沢周平記念館、そして羽黒山国宝五重塔。
今年一番の荒れ吹雪の旅となった。
庄内地方は、古くから畿内とのつながりが強い。
北前船による上方との交易が生活文化にも浸透し、酒田も鶴岡も、関西人にはなんとなく懐かしい雰囲気を醸している。
酒田は大阪、鶴岡は京都に擬すことができそうだ。
言葉も、京ことばに似たところがある。
庄内は、たべものが旨い。
まず米、庄内藩の治水・防砂政策で この地を日本有数の米どころに押し上げた。
水も良いから 酒も絶品、それに海の幸、そして野菜、柿、リンゴ、豚、牛… ラーメンもいい。
この旅は 天候には恵まれなかったが、土門拳記念館では目当ての「生誕110年 古寺巡礼名作セレクション」を堪能し、藤沢周平記念館では「藤沢周平と米沢 特別企画展」に遭遇でき、羽黒山五重塔では内部特別拝観が許されるという、幸運の連続であった。
酒田も鶴岡も、京都からずいぶん遠い地ではあるが、私にはとても居心地のいいまち、魅力的なまちである。
もう一度 訪ねる機会が、あるだろうか。