テレビで『知るを楽しむ/人生の歩き方…死こそわが友/作家なかにし礼」という番組を見たのだが、この人はなかなか壮絶な人生を歩んできた人のようだった。
父が満州で酒造会社を経営していたことから何不自由の無い裕福な暮らしをしていたものの、対ソ連戦が始まったこと(1945年)を契機に人生が一変。
1年余りの逃避行を経て小樽の父の実家で過ごしたが、兄が増毛でのニシン漁(投機)に失敗してその地も追われ・・・というような話だった。
各地を転々として、その後に過ごした青森ではいじめにあっていたそうで、もしかしたら自分に落ち度があるのかもしれないと真剣に考えたが、そこまで思いつめてもなぜ自分がいじめられなければならなかったのか一切理由が解らなかったという。
これは4回シリーズだったが、一番面白かったのは、そういった話が出た第2回と第3回だったか。
東京でシャンソンと出会って訳詞を始めた話、石原裕次郎との出会いの話。
何より、この人は真面目な人なのだろうということが推測できて、そこが一番興味深かった。
また、なかにし氏が作詞した歌謡曲『石狩挽歌』は、家族の増毛での体験を元にした歌だそうで、そのキッカケというのがまた面白い。
直木賞作家で有名人だから番組で取り上げられ、それをたまたま目にし耳にできた話であって、他にも大勢こういった悲惨な体験をした人はいるのかもしれない。
しかし、人生の中の僅かなチャンスを逃すことなく大成した人の話というのは、それなりに学ぶところがあるものだ。
面白いシリーズだった。
父が満州で酒造会社を経営していたことから何不自由の無い裕福な暮らしをしていたものの、対ソ連戦が始まったこと(1945年)を契機に人生が一変。
1年余りの逃避行を経て小樽の父の実家で過ごしたが、兄が増毛でのニシン漁(投機)に失敗してその地も追われ・・・というような話だった。
各地を転々として、その後に過ごした青森ではいじめにあっていたそうで、もしかしたら自分に落ち度があるのかもしれないと真剣に考えたが、そこまで思いつめてもなぜ自分がいじめられなければならなかったのか一切理由が解らなかったという。
これは4回シリーズだったが、一番面白かったのは、そういった話が出た第2回と第3回だったか。
東京でシャンソンと出会って訳詞を始めた話、石原裕次郎との出会いの話。
何より、この人は真面目な人なのだろうということが推測できて、そこが一番興味深かった。
また、なかにし氏が作詞した歌謡曲『石狩挽歌』は、家族の増毛での体験を元にした歌だそうで、そのキッカケというのがまた面白い。
直木賞作家で有名人だから番組で取り上げられ、それをたまたま目にし耳にできた話であって、他にも大勢こういった悲惨な体験をした人はいるのかもしれない。
しかし、人生の中の僅かなチャンスを逃すことなく大成した人の話というのは、それなりに学ぶところがあるものだ。
面白いシリーズだった。