『風立ちぬ(The Wind Rises)』(2013年/宮崎駿監督)を見た。
物語は、「大正時代の日本。堀越二郎(庵野秀明/声)は、兄の英和辞書を使って、教師から借りた英文の飛行機雑誌を翻訳しながら読もうとするほどの飛行機好きだが、目が悪いことがコンプレックスだった。ある夜、夢に現れた飛行機の設計家ジャンニ・カプローニ伯爵(野村萬斎/声)に励まされ、操縦士ではなく設計家になることを決心。数年後には東京帝大で飛行機の設計を学ぶようになっていた。関東大震災の日、列車で偶然に知り合った里見菜穂子(瀧本美織/声)と女中・お絹を助けるが、名も告げずに立ち去る。二郎は2人を気にかけてはいたものの、それきり彼女達とは会うこともなく大学を卒業し、名古屋の飛行機開発会社に就職したのだが・・・」という内容。
これは、日本海軍の零式艦上戦闘機(ゼロ戦)を設計した実在の航空技術者・堀越二郎(1903~1982年)氏をモデルにし、かつ、作家・堀辰雄(1904~1953年)氏の代表作の一つに数えられる作品『風立ちぬ』(1938年刊)からの着想を織り込んだ創作。
あくまでもフィクションである。
主人公らが関東大震災に遭遇する場面は、現実ではありえないような描写だけれども、まるで海面に広がる波紋のように大地震の波がどんどんと広がっていき、地面が上下に大きく揺れる表現が、これぞアニメーションという感じで素晴らしいと思った。
単に実写フィルムをトレースしたかのように現実を模して描くより、アニメならではのデフォルメやスピード感はやはり重要なことだろう。
再会した二郎と菜穂子のその後のエピソードは、まだ克服できていない"不治の病"が2人の人生に大きな影響を与えるという展開になっているので、少し悲しい。
物語は、二郎が少年時代に思い描いた「飛行機を作りたい。空に飛ばしたい」という夢を叶えようとひたすら頑張るとても前向きな内容なのだが、暗くて重い雰囲気が時代背景にあることから、何だか切ない思いが後に残ってしまった作品だった。
さて、この時代の日本で"国民病"とまで言われた"結核"という感染症も、第2次世界大戦後の昭和30年前後になって抗生物質での治療が普及し、必ずしも死を覚悟する病気ではなくなったようだ。
江戸時代や明治・大正時代なら諦めもつくだろうが、昭和の時代に結核で亡くなってしまった人達は、ほんの14~15年後だったなら死ななくて済んだのかもしれない人が多くいただろうから残念だ。
(もちろん会ったことはないのだが)仁左衛門伯母は1941(昭和16)年に18歳で結核によって亡くなっているらしく、その伯母の友人の方から「慶○ちゃんが最後の挨拶にうちに来た時、結核なんだから直接会うのは駄目だと父に言われて、玄関のガラス越しにさよならを言ったんだよ」というエピソードを以前に聞いたことがあって、この『風立ちぬ』を見ている時に突然その話を思い出したりもしたものだから、途中、随分と涙が出てきてしまった。
物語は、「大正時代の日本。堀越二郎(庵野秀明/声)は、兄の英和辞書を使って、教師から借りた英文の飛行機雑誌を翻訳しながら読もうとするほどの飛行機好きだが、目が悪いことがコンプレックスだった。ある夜、夢に現れた飛行機の設計家ジャンニ・カプローニ伯爵(野村萬斎/声)に励まされ、操縦士ではなく設計家になることを決心。数年後には東京帝大で飛行機の設計を学ぶようになっていた。関東大震災の日、列車で偶然に知り合った里見菜穂子(瀧本美織/声)と女中・お絹を助けるが、名も告げずに立ち去る。二郎は2人を気にかけてはいたものの、それきり彼女達とは会うこともなく大学を卒業し、名古屋の飛行機開発会社に就職したのだが・・・」という内容。
これは、日本海軍の零式艦上戦闘機(ゼロ戦)を設計した実在の航空技術者・堀越二郎(1903~1982年)氏をモデルにし、かつ、作家・堀辰雄(1904~1953年)氏の代表作の一つに数えられる作品『風立ちぬ』(1938年刊)からの着想を織り込んだ創作。
あくまでもフィクションである。
主人公らが関東大震災に遭遇する場面は、現実ではありえないような描写だけれども、まるで海面に広がる波紋のように大地震の波がどんどんと広がっていき、地面が上下に大きく揺れる表現が、これぞアニメーションという感じで素晴らしいと思った。
単に実写フィルムをトレースしたかのように現実を模して描くより、アニメならではのデフォルメやスピード感はやはり重要なことだろう。
再会した二郎と菜穂子のその後のエピソードは、まだ克服できていない"不治の病"が2人の人生に大きな影響を与えるという展開になっているので、少し悲しい。
物語は、二郎が少年時代に思い描いた「飛行機を作りたい。空に飛ばしたい」という夢を叶えようとひたすら頑張るとても前向きな内容なのだが、暗くて重い雰囲気が時代背景にあることから、何だか切ない思いが後に残ってしまった作品だった。
さて、この時代の日本で"国民病"とまで言われた"結核"という感染症も、第2次世界大戦後の昭和30年前後になって抗生物質での治療が普及し、必ずしも死を覚悟する病気ではなくなったようだ。
江戸時代や明治・大正時代なら諦めもつくだろうが、昭和の時代に結核で亡くなってしまった人達は、ほんの14~15年後だったなら死ななくて済んだのかもしれない人が多くいただろうから残念だ。
(もちろん会ったことはないのだが)仁左衛門伯母は1941(昭和16)年に18歳で結核によって亡くなっているらしく、その伯母の友人の方から「慶○ちゃんが最後の挨拶にうちに来た時、結核なんだから直接会うのは駄目だと父に言われて、玄関のガラス越しにさよならを言ったんだよ」というエピソードを以前に聞いたことがあって、この『風立ちぬ』を見ている時に突然その話を思い出したりもしたものだから、途中、随分と涙が出てきてしまった。