虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

子どもの近くにいる大人の隙ってどんなもの?

2013-03-14 14:54:27 | 幼児教育の基本

子どもの性格タイプについて考えることで どんないいことがあるの? 8
という記事で、子どもの発達を促すために、
ちょっと手を抜いて、あえて隙だらけで接する面も作って、
子どもが自分で自分を作り上げていくのを見守ることも大切といったことを書かせていただきました。

でも、それだけでは言葉足らずで、
どういう意味なのかピンとこなかった方もたくさんおられたことと思います。

そこで、もう少しくわしく説明させていただくことにしました。

ずいぶん前に、「よく見ることは、あまり見ないということ…?」という記事を書いたことがあります。
この記事の「あまり見ない」という姿勢が、今回、書こうと思っている隙を作るということと
近いかもしれません。


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このブログでは、何度も、
子どもを「よく見る」とか、「よく観察する」ということを
書いているのですが、
この「よく見る」ということほど誤解されやすいことは
ないような気がします。

「よく見る」というのは、ただ目の前の子どもの行動を
より細かいところまでチェックするという意味ではないのです。

むしろ普段、それまでの自分の思い込みや先入観という色眼鏡を通して、
近すぎる位置から子どもを眺めていたのを、
かなり後ろまでさがって、
ぼんやりした視界の中で見直してみる。

理性で見ていたものを、
感情や直感を通して眺めてみる。

自分が子どもにとって全てを知っている神様みたいな位置で見ていたものを
意識して「見ない」部分を設けて見る。

そんなさまざまな「見る」の形は、
極端に言うと、「よく見る」って、「あまり見ないこと」なんだ~
とも言えたりするのです。

どうしてこんなことをするかと言うと、

子どもって
いずれ変化して成長していく存在なので、
今、現在の様子を数値化するような形で観察してしまうと、
とんでもない間違いをおかしてしまうからです。

例えば、パンダの赤ちゃんってすごーく小さいのはご存知ですよね。
そのサイズとか、能力とかを
細かく観察して、あひるのヒナと比べるとします。
すると、いずれこうなるに違いない…
と思う予測が、巨大なアヒルと手乗りパンダ…みたいに、
ケタ外れにおかしなことになってしまうんです。

ですから、よく観察するというのは、

自分の見方の偏りを修正して、
大きな視野で心で見る

ということでもあるんですね。
つい子どもの行動にうんざりしたり、叱ったりすることが多くなっている時は、
それが必要だと思います。

それと大事なのは、
「あえて見ない」
と言う事です。

過干渉の害は分かっていても、
子どもを見るという事に関しては、ついつい行き過ぎが起こりがちなのが
今の時代です。
でも私達の子ども時代も、
自分の失敗やら、欠点やら、発達途中の多くの事柄を、
隅から隅まで親に把握されていたとしたら、
きっときちんとした大人になれなかっただろうし、
生きることにうんざりしてしまったように思うのです。

私たち大人が、今を元気よく生きれているのは、
大人の目が、「ふし穴」だったからでもあるんですね。

現在は、軽度発達障害児の問題行動なんかも、
つぶさに大人に観察されています。
特別な配慮が必要なので、
それも大切だったりはするのです。
でも、それが、かえって子どもの成長の足を
引っ張っていないのでしょうか?

昔は、子ども時代、大人の見えないところで
たくさん悪さをしながら過していた人も、
大人になるとしっかり生活している方がたくさんいたように思います。

今は、見ることによって、
大人たちから投げかけられる醜い未来像のせいで、
そのイメージどおりの悪い未来を歩んでいる人が多い気がします。

見るとき、理性で見ることと、
感情や直感で見ることのちがいを例にあげると、
こんなことがあります。

刑務所に入っている人に対して、
感情や直感を通して見る時には、
その人が、きちんと人生を建て直し、
心を愛情で満たして人間らしく生活する姿が見えると思います。
しかし、理性で数値化しながら見るならば、
今現在の問題点ばかりが目に付いて、
一生そのまま犯罪にまみれて生きる姿しか見えないと思います。
そしてそういう見方が、その人の人生を決定付けてしまうように感じます。

それは極端な例ですが、
子どもに対しても、
近視眼的に見すぎることは、
未来に悪い影響を及ぼすこともあることを
わかっていただけたのではないでしょうか?

知人の陶芸の先生の息子さんのことでこんな話を聞きました。
その子の偏差値が30台だった時、
その子が医学部に行きたいといったので、
周囲の人はバカにして笑ったそうです。
でも、お母さん(陶芸の先生)だけは、
その子を正しく見ていて、
「きっとあなたなら行ける」と応援していたそうです。
その息子さんは、最終的に京大に進まれました。

よく見るということは、こういうことだなぁと思っています。

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子どもを成長させる大人の側の「隙」って、どんなものかというと、
具体的に言うと、たとえば次のような場合そうじゃないかと感じています。

6月のユースホステルに参加してくれていた2歳の■くん。

語彙の量が多くて、知恵がしっかり育っていました。
内向的で考えることが好きな性質だけど、外の世界に積極的に関わっていくところもあり、
甘えるときはたっぷり甘えて、
日々、健やかに成長しているのがわかりました。

■くんのお母さんの話では、ご近所中のお年寄りが
総出で、■くんを可愛がっているそうです。

それと「隙」にどんな関係があるのかというと……

今の時代、赤の他人のご近所さんから、
「可愛いね」「可愛いね」と幼いわが子の相手をしてもらうことって、
なかなかできないと思うのですよ。

ご近所付き合いに対して何となくわずらわしさもあるだろうし、
1、2歳児も習い事やら、サークルやら、公園通いで忙しいですから。


近所のおじいちゃんおばあちゃんが
暇にまかせて子どもを構って 可愛がる姿を、
リラックスして楽しみながら眺めようと思うと、

「意識できる範囲での理想的な子育て」から、

ちょっとはみ出している部分も
大らかに受け入れていく感性が必要になってくると思うのです。

でも、そうしていろんな人から大事にされることは、
同年代の友達とたくさん遊ばせる以上に、
いろいろな習い事に連れていくよりもっと、子どもの言葉や知恵を育て、
人への信頼感や社会性を育むための助けになる場合も多々あるのです。
おまけにタダ。
「助かるわ~」とリラックスして、親御さんが
そうした親切に甘えることができるとしたら……。

子どもにとって良いものとか、子どもを成長させるものって、
世間一般で「子どもにとって○○がいいらしい」と捉えられているものの
枠外にあることの方が多いように思うのです。

たとえば、子どもを本好きにしようとして、本の読み聞かせをするよりも、
親が本好きで、子育てから解放される時間に、自分のための読書を楽しんでいる姿を見ていた方が、
子どもが本好きに育つ場合もよくあります。

大人の視線が子どもだけに注がれているのでなくて、
大人自身の知的な好奇心で外の世界に向かって広がっているなら、
子どもは自然とその視線の先に自分の興味を広げていくものですよね。

子育てをするとき、もしていねいに愛情を込めて育てているとすれば、
後はそうした良い育児に、時折、小さなほころびとか、小さな隙のようなものがあれば、
いいんじゃないかなと私は思っているんです。

たとえば、この間のユースホステルでこんなことがありました。
年長さんの●くんがカブトムシを2匹描いて、それを木に登る仕掛けを作って
動くようにしてほしいと頼んできました。

そこで、私は大雑把に2匹のカブトムシを切り抜いて、
1匹に糸を貼り、糸の一方を曲がるストローに貼りました。
曲がるストローを茶色い色画用紙の上部に付けて、
くるくる巻きあがる仕掛けを作ってあげました。

すると、●くんは大喜びで、「もう1匹は?」とそちらにも仕掛けをつけてもらいたそうでした。

が、他の子の頼みごとを聞くうちに、
●くんの「もう一匹のもして!」という願いは、そのまんまになっていました。
●くんは、もう一匹のカブトムシを手にして繰り返し、
「これは、これはどうなるの?」と言っていました。

「ちょっと待っていてね。次には、それにも仕掛けをつけてあげようね」と答えた時、
●くんは、「あっ、そうだ!」とひらめいて、「これにテープで付けるといいよね」と言うと、
1匹目のカブトムシのお尻に2匹目のカブトムシの頭を貼りつけました。

すると、巻き上げ機を回すと、2匹同時に上に登っていきました。

そこにいた一同、大感激!
自分のアイデアで、うまく問題を解決した●くんは、とにかくうれしくってうれしくって
飛び上がらんばかりの喜びようでした。

すると、その傍らで、年中さんの○くんが、自分の描いたカブトムシを切り抜いていました。
細い足も角の部分も、それはていねいに細かいところまで
切り抜いています。
私の大雑把な切り方と大違い。

●くんと○くんの姿を見て、私は自分の持っている「隙」に感謝しました。
自分の側に、どこか不格好なちょっと足りない部分を残しておけば、
子どもに花を持たしてあげることができるなぁっと。
(そういうこととは別に、物忘れと家事の怠け癖はビシッと直したいところですが……)

子どもにすれば、大人から「自分で考えなさい」なんて指示ない時に、
「そうだ、自分で考えればいいんだ!」ってところから 自分で思いついたら、
とってもうれしいですよね。

それに、「先生より上手に切っちゃうぞ」というのも、
やりがいのある仕事でしょう。

そんな風に、「そう出たか!」と大人の方が虚を突かれるような
子どものアイデアや考えが生かせる場面というのは、大人が気付いていない
大人のコントロール下にない「隙」にあるものですね。


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1 コメント

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Unknown (Unknown)
2013-03-15 01:26:13
以前、コメントにと質問をさせて頂いたアンドウです。
すぐに、記事にしていただきほんとにありがとうございます
お礼が遅くなり申し訳ありません。
まだまだ、子供のほんとに好きなものは何なのか模索中ですが、先に先にと口出しするのをやめてとりあえず子供のすることをあまり見ないようにしようとするといろいろなところで子どもが考えてるなと思うところが増えてきたように思います。
ブロックもあまり好きではないのかなと思っていたのですが、教室に行って以来すごく遊ぶようになり突然、またあの教室に行きたいと言ったときはびっくりしました。
また、時間がありましたらぜひブロック教室をしていただきたいです。
普段の教室も空きがございましたら教えて頂きたいです。


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