発達障がい(or疑い)のある子は、
一般的な子と比べると、
他人の説明で理解することが極端に苦手な場合がよくあります。
先生に習っていても、そちらに注意を向けること自体が難しい子も多いです。
わたしは、そうした特性を持っている子たちには、
自分で学んだり、自分で分からないものを調べたり、自分で問題を解決したりする方法を
しっかり身につけさせてあげる必要があると感じています。
ワーキングメモリーを超える問題は、
線分図や図形を描いて整理しながら解いていくことや、
解答の解説が自分にとってわかりやすい問題集を選んで
わからない問題にぶつかった時は解説を読みながら自分で納得するといったことです。
IQが高い子の場合、自分が「できる」と判断するものは、
他人から教わらなくても自然にできてしまいます。
でも、いずれパッと直感的に解ける問題より難しいものにぶつかる日はきます。
少しでも頭を使って考えなければならないものを避けてきた子は、
たとえどんなに知能が高くても
お手上げ状態に陥ってしまうはずです。そこで他人が無理やり教えようとすると、
問題の理解が難しいのではなくて、
他人から教わることに頭がついていけなくて、「できない、もうしない」と
勉強を放棄してしまうことにもつながりがちです。
といっても、もともと他人から教わったり、
他人の指示に従って何かすることが苦手な発達障がい(or疑い)のある子に
線分図や絵図を描いていくことを教えることや
自学自習する手段を教えていくことは至難の業です。
頭は非常に良い子で工作などでは緻密な作品を作り上げるにも関わらず、
ちょっとしたイメージを四角や線で表したり
立方体を描いたりしようとすると、全く描けなかったり、線が極端に歪んだり重なりあったり
する子がいるのです。
また、図形等を描くことを教えていると、
角度と線と平面の違いをあいまいに捉えていて、
説明してもいつまでもピンとこないこともよくあります。
そんな風に、簡単なことではありませんから
あまり躍起にならずに
それでも今はどの問題もパッと見で解けているような時期から、
「いずれ自分の手に負えない問題にぶつかった時も
自分で解決する術を持っている」というビジョンを抱いて
サポートしてあげる必要があるかもしれません。
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発達障がいがあるけれど学校の成績は良く、
友だちとの関わりもそこそこうまくいっている子の場合、
そもそも発達障がいなのかどうか、そう呼ぶべきかどうか、親御さんも迷うことと思います。
でも、幼児期に発達障がいの診断を受けていたり、発達障がいのチェックリストにたくさん引っかかることがある場合、
今現在困っていることがあまりなくても、「うちの子はそうではなかった」「うちの子は個性の範囲」と、
発達障がいに関する情報を全て遮断してしまうことはしない方がいいように感じています。
私がそうすることが大切と感じる理由は、
『決定権を誤解する子
理由を言えない子』 湯汲英史 小倉尚子 かもがわ出版
という著書の中で集約されています。
「集団への適応」という点で、ほとんど問題がないように見える発達障がい(or疑い)の子の多くが、
非常に表面的な適応で綱を渡るように生活していて、
さまざまな物事に誤解を抱いたまま成長してしまうことはよくあるのです。
この本の中に、Dくんという広汎性発達障がいの男の子の話が載っています。
発達障がいのあるDくんは、「学校で何をして遊ぶのが好き?」と聞くと、
「わかんない」と答えます。
コミュニケーション能力に問題があるのか、
自信がないのかと思っていると、こんな別の理由がありました。
「サッカー」と言えば、そのあとに「どうしてなの?」と聞かれる
可能性があるからです。
この子は、「どうして~ですか?」と聞くと、
その答えは的外れなことが多く、ほかの人には、
理解できない理由でした。
答えのピントのズレを周りの子たちからからかわれていたためか防衛的に
「わかんない」と言うようにしていたそうなのです。
この男の子のような「わかんない」……
発達障がいなのかどうなのかわからないレベルのグレーゾーンの子たちも
よく口にするのを耳にするのです。
私が思うに先の著書の中心的な内容の
「相手に通じる理由が言えない」困難を抱えている子は、
そうした子のなかにかなりたくさんいます。授業中うろうろするか……
勉強についていけているか……だけが大人の注目を集めがちで、
そうした目だったところのない子は発達障がいがあってもそう捉えることすら無意味だと考えられたりします。
そうした困難があることすら気づかれずに、本人にすれば生きづらさを抱え、
大切な生活技術を教えてもらえないまま成長していきます。
先の著書に次のような実例が載っています。
中1のSくんは、ADHDと診断されています。知的能力は非常に高く、学校の成績はトップクラスです。
そのSくんが、友だちのキーホルダーを黙って持ってかえってきました。
ショックを受けたお母さんが「他人のものを盗ったら友だちにどう思われるか」や「盗みをすると警察につかまること」など、盗みがいけない理由をこんこんと諭しました。
しかし一ヶ月も経たないうちに、今度は友だちのゲームソフトを盗んでしまいました。
学校の先生は深い理由があるのでは?何かのしかえしなのでは?と考えて、理由をたずねました。
Sくんの答えは「欲しかったから」でした。
Sくんのように言葉の能力が発達している子は、
「理由を説明すればわかるはず」と誤解されやすいのですが、幼い頃、多動が激しく、
次々興味が移っていたSくんは、幼児期に理由の意味や役割が学べていなかったようなのです。
知能が高くても、理由をもとに行動することが苦手な発達障がいの子には、
周囲の大人が、幼児期学べなかった課題も根気よく教えていってあげる義務が
あります。
何を教えてあげればよいのか……その指針となるのが、
これまで蓄積されてきた『発達障がい』についての情報です。
ひとことで発達障がいの情報といっても
情報の渦に飲み込まれてわけがわからなくなるかもしれません。
この記事で取り上げたような
「発達障がいかどうなのか」を迷うような子たちには、
『決定権を誤解する子
理由を言えない子』 湯汲英史 小倉尚子 かもがわ出版
が良い指針になるんじゃないかな、と思っています。
発達検査をすればIQはよいのですが、友達とのかかわりをみていると、一方的に相手の指図に従うだけだったり、楽しそうだけど、実は大きな声で友達の言うことを復唱しているだけだったり。
この記事に紹介されてる『決定権を誤解する子 理由を言えない子』は、以前に先生のブログで紹介されてた時に購入して読んだものの、活かしきれていません。
来年から小学生になるので自学自習の手段をどう身につけさせていったらいいのか、また読み返してみようと思いました。またこういった子どもへのかかわりの記事をアップしていただけると嬉しいです。
今回の記事、本当に参考になりました!
我が家の小1の娘が、小さい時に発達障害の特徴を示しながらも、集団適応がよく、お勉強もよくできる子で・・・。医療機関にもかかりましたが、発達検査でもとくに目立って気になるところがないとのことで、確定診断されないまま現在に至っております。
親としては、日常生活で問題を起こさないからと言って、何の問題もない子として育てていくことに不安を感じていました。ですが、何をどうしていいやら、見当がつきませんでした。
記事をよんで、「なるほど~わたしはこういうところに悩んでいたんだ!」「娘はこんなところに困り感をかかえているのかもしれない!」と気づけたように思います。
4歳になる下の娘の方がよっぽど頭を使って悪さばかりしています(苦笑)
私は自分自身が共依存で、常に周りの人に振り回されて疲れ果てているので、今まで奈緒美先生がためになる記事を書いてくださっていても、それに振り回されて何とかしなくちゃ!と躍起になって…
思考が悪い方に食いついてしまって、かえってマイナスになっていたかもしれません。
先生の「あまり躍起にならずに、自分で解決する術を持っているというビジョンを抱いて」という言葉にハッとしました。
私の場合は“躍起にならずにプラスのビジョンを抱く”ということがとても重要なのではないかと感じています。
さっそく先生のご紹介してくださった本を読んでみようと思います。
ご紹介の本,読んでみたいと思います.
幼い頃よりも困りごとが少なくなってきたので,わたし自身もうやむやにしてしまうところでした.
発達障害のお子さんに関わる仕事をしている者です。いつも他ではなかなか手には入らない話を書いてくださるので、楽しみに読んでいます。
難しい課題を避けたり、うまくいかないと怒って物にあたったり、すねたりして表現してくる子、特に高機能の子たちを見て、一人でがんばって考えて、でもうまくできないときは、おしえて、と言ったり助けを求める力をつけさせていく必要があると思ってきたのですが、
今回の記事を読んで、教わることが苦手な子に助けを求める力をつけて、教わる状況を作っても、あまり意味はないのか?もしくはそれはこちらの勝手なのか?と思ってきました…。
先生のご意見、聞かせていただけるとうれしいです。