虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

子どものけんかを見守る 4

2011-06-02 12:51:59 | 幼児教育の基本
けんかの話から少しそれますが……。


お互いの二ーズを明らかにするというのは、どのようなことでしょう?
『ナチュラルな子ども時代』という著書にあった例を紹介します。

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子どもに食事を作ったのに、子どもが「これまずい、食べない」といった場合。

親の二ーズは、「作った食事を子どもが食べて、苦労が報われること」
子のニーズは、「好きな食事が食べられること」

どちらのニーズも満たされていませんが、
どちらのニーズを優先させるかというと、この場合は子どもです。

子どもにしてあげた他のことで喜んでくれたことを探して満足し、
子どもには時間をかけていろいろな食べ物の味を経験するように促します。


仕事から帰ったばかりで、しばらくリラックスしたいのに、子どもがうるさく遊ぼうとする場合。

ニーズが満たされていないのは親だけ。子どもは遊ぶというニーズが満たされている。

どちらのニーズを優先させるかというと、親。

くつろげる静かな場所に行くのがひとつの手で、子どもはそのまま遊んでいる
はずです。

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子や親のニーズって、上で紹介したような単純なものです。

けれども、
子どもが小学生ともなると、
それとは別に精神的な面での
「親が子どもを心の底で子どもにしている評価」とか

「子どもが無意識に親のニーズに応えすぎている」とか、

「子どもが自分の心の核となるものを作ることができていない」といった理由で、

隠れたニーズが満たされていないために、

親子の間で、慢性的な冷やかなぶつかりあいや、
ぼんやりとした不安感が続いているケースを目にします。


私はたびたび、

子どもの性格タイプによって、
「子どもが親に求めている基本的なニーズ」が満たされたり、
満たされなかったりするのを
感じます。

基本的なニーズが満たされないままだと、
子どもが、ちょっとしたフラストレーションに弱くなって、
すぐ楽な方に流れたり、急に感情を爆発させたりしやすくなります。


たとえば、同じ感覚が優れている子にしても、その子が思考寄りか、感情寄りかで、

親の気持ちの持ち方や対応に

すいぶんちがいが生まれる印象があります。




内向的感覚の思考寄りと思われる小4生の★くんと、
強力粉からグルテンを取りだす実験をしているところです。
こねる時間が30分もかかるため、
他の子たちが尻込みしてやろうとしなかった実験です。
でも★くんは、進んでこの実験をやりたがり、すすぎ時間もいれると40分間、粉と格闘し続けて
実験を終えました。
毎度ながら、私は★くんのねばり強さに感動してい
ました。
それは私にとって劣等機関である感覚が優れているってことのすばらしさを目のあたりにしているからでも
あります。
お迎えにきた親御さんも、そうした★くんの集中力や根気を誇りに思っているようでした。

★くんは、好きな作業に対してこうした根気を見せる一方で、
そうして取り組んだ作業が、すぐに知的な好奇心に結び付く子でもあります。
宇宙に熱中していたかと思うと、最近では建築に強い関心を示すようになっています。
先日も『巨大高層建築の謎』という大人向けの建築技術の本を30分近く熟読していました。
★くんとお母さんの関係はいつも良好です。



同じように、感覚が優れていると思われる子も感情寄りの子だと、
物作りにかける情熱も根気もすばらしかったりするのに、
それがすぐには知的好奇心に結びつかず、
人にそれを披露したり、それで友だちと遊んだりすることに向かいがちです。

もちろん、思考寄りの子、感情寄りの子は優劣つけがたく、
どちらもそれぞれが相手にはない良さをたくさん持っているのです。

感情寄りの子の作りだすものや熱中するものは、
人を「アッ」
と驚かせたり感動させるものだったり、
色合いが美しくデザインそのものとして完成度が高かったりします。

ただ、それらがすぐに知的なものに結びつかない場合がよくあるのです。

学習するときに根気がなかったり、嫌がったりするときに、
その子が素質として持っている集中力や熱心さや美的センスなどが
正当に認められていないのをよく見かけます。

「フワフワしがちな困ったちゃん」というイメージを周囲の大人たちから
かぶせられているときがあるのです。

そのように、「その子らしさ」のすばらしい面がしょっちゅう忘れられて、
「親からあるがままの姿で認められたい」というニーズが満たされていないと、
子どもの問題がさまざまな場面で浮上してきて、
親子のぶつかりあいにつながりやすいです。

子どもはどの子も、自分は「こういう かけがえのないすばらしさを持っている」という
肯定的な自己イメージと
いつでもつながっていたいというニーズを持っていると感じています。

そのために、失敗させないようにするのはいい方法ではありません。
失敗のさなかも、そうしたイメージとつながっていれば、
強い気持ちで乗り切れます。
それは、親のまなざしに映っている自分の影響を受けながら
作っていくイメージだと思います。


親の心の中には、「理想の子ども像」が居座っていることがあります。
それが親側の隠れた二ーズとしてあるために、
まったく別のことでの親子のいざこざが絶えないことはよくあります。

その場合、
まずニーズをはっきり認識して、
「断念」しなくてはならないもの(子どもに「別の性格タイプの子のようであってほしい」と望むなど)を、
思いきって手放してみると、
それまで連鎖的にトラブルを生んでいた状況が
「子どもにひとこと注意すれば解決する」レベルのスッキリした問題に
変化するかもしれません。

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