虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

子どものけんかを見守る 3

2011-06-02 09:35:36 | 幼児教育の基本


子どものけんかを見守る 1子どものけんかを見守る 2

に次のような感想をいただきました。
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こういう感情の扱い方というか、理想論みたいな対処法はたくさん見聞きしても
やっぱり根本的にその時、その子にはどんな学びが必要なのかを知らないと
…どう受け止めてどんな手助けをしてあげればよいか、むずかしいです。

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子育ての方法は、「参考にするためのひとつの基準」でしかありません。

ですから、個性も違えば、発達の段階も、環境も、そのときの状況も異なる
リアルな子どもの問題に向き合うときには、

親はいつも「これで正しいの?」という迷いや罪悪感が伴いがちだと思います。

特に子どもがネガティブな感情を吐き出したり、ネガティブな態度を示しているときには、
親は、
荒れている海の上で、小舟をどっちに進めたらいいのかわからなくなっている……

ような気分になるかもしれません。

現実には、親が個々に直面している問題は、
相手にしている子どもの個性も違えば、発達の段階も、環境も、そのときの状況も異なるわけですから、
最初から「正解」なんてあるわけがありません。

でも、より悪い状態に固定しないためのヒントや、

ネガティブなものからも学びを得るヒント、

子どもを成長させる方向に働きかけるためのヒントならあります。


けんかにしても、子どもがごねて親とぶつかりあうのにしても、
そこには、「2つの異なるニーズ」が存在します。
一方のニーズともう一方のニーズがかみあわなくて、
トラブルが起きているのです。

友だち同士のけんかの際にどれくらいどのように介入するかといった話の前に、

親と子のぶつかりあいの際に、
親子それぞれの「ニーズ」をきちんと確認することや、
子どもの表面的な行動の奥に隠れているニーズに気づく必要性について書かせていただきますね。


感情を専門とするセラピストであるイザベル・フィリオザの息子さんが、
1歳半だったときに、それまで見たことがないほど怒りを示した出来事があったそうです。
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時間は午後2時。
息子のアンドリアンくんは駅に向かうタクシーの中で寝ていました。

30分ほどで駅に着くと、彼の昼寝は中断されました。
車を降りて、まわりの様子に心を奪われたアンドリアンくんは、その時は不満をあらわさず、
あちこち眺めていました。
駅の構内で雑誌を買うために売店に入ると、アンドリアンくんはキャンディーが入った
袋に目をつけました。
でも、そのキャンディーは母親の目からすると、添加物が入りすぎているようい思われました。
それを買ってやるのがためらわれたので、アンドリアンくんと交渉することにしました。
おもちゃの車でもバイクでも、何でも買ってあげようと言いました。
が、彼は承知せず、泣き叫んで、床を転げ回りました。
イザベル・フィリオザが触れようとすると、めちゃくちゃに暴れました。

いったいどうすればいいのでしょう?

キャンディーを買ってあげるのも選択肢のひとつです。
でもキャンディーが体によくない上、
アンドリアンくんの怒りが尋常ではないので、おそらく原因はキャンディーではないだろうと
思われたため、それはしませんでした。
というのも、キャンディーを買い与えれば、本当の原因から目をそらせることに
なるだろうと思われたからです。

キャンディーをほしがって泣いているけれど、実際には寝足りなかったために、
ちょっとしたフラストレーションにも耐えられなくなっているのだろう、と考えました。

子どもはひどく疲れているときには、癇癪を起すものです。
そんな時、子どもは漠然とした不快感を感じており、その原因を早くつきとめたいと感じています。
ですから、最初に出会ったフラストレーションが何であれ、それが原因だと見安してしまうのです。不快感をある対象に向けて、それを発散させる必要があるからです。
神経がもうそれ以上の負荷に耐えられなくなっているのですから、
いくら叱ったところで無駄なのです。「疲れているんだね」などと言おうものなら
バカにされたと感じて、いっそう怒り狂うでしょう。

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この後、イザベル・フィリオザはどのように判断し、どのように問題を解決したのかというと……

「本当の理由を読み解き、それを満たしてやる以外方法はない」と判断しました。
振り回す手を避けながら、腕の中にアンドリアンくんを抱きとめて、
こう話かけました。
「ごめんね。お昼寝の時間に移動したのがいけなかったんだよね。寝ていたところを
起されたので、気分が悪かったんでしょう?怒っても当然だよね」
姉のマルゴちゃんはすでにおもちゃを選んでいましたが、アンドリアンくんは選べる状態ではなかったため、
両親がバイクのおもちゃを買いました。

その後、電車で眠りなおしたアンドリアンくんは、目を覚ましてから
機嫌よくバイクのおもちゃで遊んだそうです。

この話は子どもが激しく怒っているときは、子どもが口に出して「ほしい」といったものを
与えてはいけないという例ではありません。

子どもの怒り方を見て、子どものニーズの大きさを理解し、
親が自分の行動を見直して反省し、最初子どもに提供しなかったことを与えると解決するという話です。

イザベル・フィリオザによると、子どもは常に一貫していて、<気まぐれ>があるのは
むしろ大人の方なのだそうです。

この例は、まだ2歳にならない幼い子の話なので、
「もう少し大きな子だとどう接したらいいの?」と疑問が湧きあがってきたことと
思います。

でも、私が虹色教室でさまざまな年代の子と接していて感じるのは、
どの子の問題も、扱う内容こそちがうけれど、
アンドレアンくんの大騒動と同じで、隠れた小さなニーズが満たされずに放置されていたため、それが膨らんだ結果、
どうでもいいものを前にしてフラストレーションが爆発している
(だらだらしたやる気のない態度なども……)場合が多いのです。

その場面だけ見て、「これは○」「これは×」と裁くだけでは
いっこうに解決せずに、悪化するケースがほとんどなのです。


そこで、静かに大人の側が自分の内面や過去から今にかけての出来事に目を向けると、
「その年齢の子が当然受けるべきニーズが満たされていない」
「その子が本当に必要としているニーズが満たされていない」
「いつも、表面的なごまかしで解決されている」
という事実が見えてくるのです。

そこで、根本的なとてもささいな問題に光を当てると、
急速に子どもの態度は前向きで建設的なものに変化していくことが
よくあります。


次回に続きます。









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