WARPのヒデキが随分と逞しくなって嬉しい限り。
ASIAのパンチも負けては居られまい。

私は自分から動く人が好きだ。言わなくてもやる男が好きだ。
クリエイターを名乗りながら、簡単に現実の枠にとらわれて理想を諦める者も少なくないが、再三繰り返すが「空気は読む」ものではなく、「かえる」ものだ少なくともクリエイターを自称する者にとっては。

創造的行為によって此の世のクリエイションに微力ながらも携わろうという気概はこれすなわち、何もない*ところから何かを生み出す「生みの苦しみ」を避けては通れぬのに、インスタントな感性に仕上がってるバビロニアンたちはこれを避けてしかしなおかつ何か充足はしたいという矛盾した欲望を抱えて苦しむことになる。(*)厳密には「なにもない」のではなく、この宇宙に充填するエネルギーを自分の形に変換させることなのだが)

ダビンチだかミケランジェロだか、中世ヨーロッパの絵画には詳しくないのだが、それ系の偉大なる画家の絵を観てぶっ飛ばされたことがある。
真っ白いキャンバスを前にした高名なる画家本人の自画像。
その周りを、悪魔や天使、地獄や天國、化け物や神がゴチャマンと取り囲んで彼に迫っている。
真っ白なキャンバスに「始めの一筆」を入れるまでの壮大な葛藤と勇気を描いた其の絵に、とても力をもらったことがある。


本日のように茹だるような暑さの中では、無気力との闘いがまず最初にやってくるのです。イチローですらせいぜい10回に4回なのです。だから、毎度表現行為が成就するわけではないけれど、ゴン中山は「俺は下手で一回で決められないから、チャンスにでくわす回数をひたすら増やせばゴールは増えると思っている」と言うているのです。ジョーストラマーが「ひらめき?フザケルナ。毎回毎回必死にひねり出すんだよ!」と吐いて捨てたのが、芸術行為なのです。

自分で書いててやる気出てきた。



これからの徹頭徹尾は吉祥と渋谷の二頭時代到来。

発祥の吉祥寺と、発展の渋谷でそれぞれに意義ある夜を作り上げていくことになる。

「吉祥徹頭徹尾」今夜開催。
「渋谷徹頭徹尾」12月1日から偶数月第一土曜日開催(原則)。
「大徹頭徹尾」12月30日開催。


昨夜のnbsaルームはkeycoとそのバンドのKOKYOが素晴らしいセットを披露。
DJたちも獅子奮迅で、韓国いってるクロマニの不在を皆で埋めた。

お客さんもきた。DJも最後まで皆を楽しませた。

だがしかし。nbsaROOMは偶数月第二金曜と相場がきまっております。
昨日会えなかったあいつやこいつ、お前にお前。
主役級がもっと顔そろえたら、弾けると思うな。

というわけで、初のセッション中止という負のニュースは、伝えさせてもらいましょう。ナントナク、では何も生まれないのです。そういう緩んだ気概から、消えていくのが文化の落ちです。警鐘ー カーーん。



会う人会う人「洋平・元気?」と私にきいてくれる。

「元気?」
なんて難しい質問だと思った。

今日も包み隠さず、カラ元気も本元気も、哀しみもはにかみもブルーズもファンクも怒りも憎しみも、レベルもレゲエも、ごった煮にしてステージに上ろうと思います。ひとりの、いやよにんの、迷える犬人たちの暗夜航路を音という軌跡にして、しかし何故か最終的には肉体言語として踊り明かすグルーブで。最後に残った「湯の花」みたいな糟を、持って帰って庭木にまいてください。来年、桜が咲きます。


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