那田尚史の部屋ver.3(集団ストーカーを解決します)

「ロータス人づくり企画」コーディネーター。元早大講師、微笑禅の会代表、探偵業のいと可笑しきオールジャンルのコラム。
 

やっと見つかった「狂った一頁」の批評

2013年08月25日 | 書評、映像批評

今日は「微笑禅の会」のネット会報の続きを出す予定でしたが、探し続けていた文章が見つかったので予定を変更します。

先ずは「主権回復を目指す会」のメルマガの紹介です。

*魔法使いの弟子と東京電力(福島第一汚染水)
http://nipponism.net/wordpress/?p=23650

<東京電力とは魔法使いの弟子 もう誰も止められない放射能汚染水 >
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次いで、八王子民主商工会より。

会員特権です。お店の宣伝チラシを作って用紙を300枚用意して事務所に持参すると1枚一円で印刷が出来て、「全国商工会新聞」(毎週発行)と共に宣伝してもらえます。詳しくは電話番号:042ー624ー3144までお尋ね下さい。また民主商工会の活動についてはブックマークをご覧下さい。小さな店の大きな味方です。

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さて、昔作っていたHPに書いた「超絶全面批評」や「映像批評、書評」などがUSBメモリに全て残っていました。当時はマメにパソコンがバグった時のために保存していたのでしょう。NTTのリモートサポーターと今使っているパソコンのバックアップを行っていたときに偶然あるフォルダを開いて発見したわけです。サポーターさん、夜の9時半までお手伝いありがとうございました。

この『狂った一頁』の批評は、定説を覆しているので学術的に重要なものだったのですが、捜し求めても見つからず諦めていました。この作品は世界で最初のシュルレアリスム映画『アンダルシアの犬』より2年早く作られた例外的なアヴァンギャルド映画であるとともに、製作方法も含め様々な意味で日本の実験映画の元祖と言えるものです。作品を見てない方でも分かるように書いています。ぜひ御一読下さい。

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注:以下の文章は昔のHPに2006年2月7日に映像批評として残したものです。

『狂った一頁』(衣笠貞之助、1926年、白黒、サイレント)

{あらすじ}

精神病院の中。狂った人々が幻想にとらわれている。踊り続ける女性。
小間使いの男(井上正夫)は、船乗り時代に自分のせいで妻を追い詰めて狂人にしてしまった責任をとり、妻の入院する精神病院の小間使いとなったのだった。
 そこに娘がやってくる。娘は結婚して玉の輿に乗ろうとしているのだが、母親が狂人であるために、それがネックとなって結婚できない。小間使いは妻を精神病院から逃がそうとするが失敗する。
 小間使いは宝籤で一等賞に当たったことを空想する。そして娘の結婚式を空想する。そして、最後に患者達にオタフクのお面をつけることを空想する。


{批評}

上記のように粗筋を書いたが、この作品は会話場面も空想場面も多い反面、無字幕であるために、よほど映画を見慣れている人でも、粗筋を読み解くことさえ困難である。
 この作品は、衣笠が、横光利一、川端康成などと「新感覚派映画連盟」を結成して作った前衛映画である。
 そして、何処が前衛なのかといえば、空想、幻想、回想などの主観ショットの実験、という点で前衛なのだ。
 主観ショットに関しては古典的システムでは、「人物の姿→ディゾルブ→主観ショット→人物の姿」と言ったふうに、観客が主観的事実と客観的事実を混乱しないように規則が定められている。
 この作品でも7割がたはこの規則どおりに主観ショットが使われるが、残りの3割は、この規則を意図的に破っている。具体的に以下に記す。
1、冒頭の狂った踊り子のダンスシーン。突如として豪雨や雷、太鼓を打つ短いカットが挿入される。この場面は、踊り子の幻想とも理解できるし、エイゼンシュテインの「連想のモンタージュ」であるとも理解できる。
2、宝籤に当たる空想場面。これも井上正夫の顔を写すことなく突然、宝籤に当たったシーンが始まる。客観シーンかと思ってみていると、最後に井上の姿が映し出され、空想場面だったことがわかる(といっても、弁士の解説抜きではそれさえ分からないだろう)
3、娘の結婚式の場面。これも突如として主観シーンになり、あとで空想だったと分かる。
4、狂人達にお面をつける場面。これも後から井上正夫の空想だったと分かる仕掛けになっている。

こういうふうに主観シーンと客観シーンが意図的に曖昧になっていて、弁士の解説抜きにはその区別が不可能なのである。
 そもそもこの作品は最初は字幕がついていた。試写会のときに横光利一が無字幕でやろうと提案して無字幕になった、といういきさつがある。しかし、こんなに会話と空想場面の多い作品を無字幕でやる、というのは、その背後に「説明は弁士に任せる」という意図があってのことである。前衛芸術家が、弁士排除ではなく、弁士の腕を信頼して彼らの技量に任せたことは疑いの無いところであり、精密な「弁士用台本」が用意されたことは間違いない。(小松弘氏に伺ったところでは名古屋で出版されていた映画雑誌「逆光線」に弁士用台本の一部があるとのこと)

しばしば日本映画史はこの作品をF・W ムルナウの『最後の人』(1924)と関係付けて述べている。しかし、私が『最後の人』を見たところでは、7つの主観ショットがあるが、お手本どおりとは言わなくても、マスキングや二重露光により、全ての主観ショットが古典的システムの中に入っていて、観客には「これは主観ショットだ」と分かるように出来ている。従って、『最後の人』が『狂った一頁』に与えた影響はほとんど見られないと言ってよい。
 主観ショット以外にも、例えば『最後の人』は主人公(エミール・ヤニングス)の悲劇をプロットが単線的に追っていくのに対して、『狂った一頁』の前半部分では、井上正夫と狂人達の生態とが複眼的に描かれ、登場人物の全てに平等にカメラが注がれる、という意味でエイゼンシュテインの作品のような趣がある。

では、この『狂った一頁』は狂い咲きのように日本映画史に登場した奇跡的作品なのだろうか?確かに主観ショットの実験という点では私はこの時代にこれに類似した作品を知らない。この主観と客観との混乱、という点では「アンダルシアの犬」や「 2/1」を先取りしていると言える。
 なぜこのような先駆的な実験が可能になったのかを想像すると、第一には文学における新感覚派の影響を考えるべきだろう。
 例えばこの映画のシナリオを協力した川端康成の「雪国」では、冒頭に「夜の底が白くなった」という有名な一説がある。これは普通は「夜の底が白くなった、と私は思った」と書く。そう書くことで、夜の底が白い、という主観的な言い回しを、客観的に叙述することが出来るからだ。しかし、新感覚派はあえて主観的な言い回しで止める。散文のなかに詩的言語が混在する。そもそも新感覚派の文学理論には、文学への映画の影響があると言われるが、客観的な事実と空想とをあえて混乱させる『狂った一頁』のテクニックは、新感覚派の文学理論からの影響であり、文学における映画的手法の先祖がえりであったと言えよう。「はい、ここからが空想ですよ」と説明せず、空想場面を混乱状態で見続けたあとに、ああ、あれは空想だったのか、と気づく「混乱の面白さ」。それを分かっていたから横光利一はこの作品を無字幕で上映することを提案したのだろう。
 なお、小松弘氏の指摘では、衣笠が育った日活向島撮影所には独特の空気があり、小道具係が休み時間にショウペンハウエルを読むような、西洋思考があり、進取の気性に溢れていたために、衣笠も多分にその撮影所の気風に影響を受けていたに違いないとの事である。

なお、この作品は岩崎昶のような前衛オタクを除いては封切り後には評判が悪かった。分かりにくかったからではない。この作品の弁士を務めたのは徳川無声だったので、見事にその主観ショットも説明過多にならない範囲で、観客に想像の余地を残しながら解説したと記録に残っている。要するにこの映画が不評だったのは、物語がつまらなかったのである。粗筋を見れば分かるように、いいわけ程度の筋書きで、盛り上がりに足りない。(衣笠はこの反省から傑作『十字路』を作ったのだろう)

 いずれにせよこの映画は日本で最初のアヴァンギャルド映画であり、世界史的にみても非常にユニークな価値を持つ問題作である。機会を得て、この作品の成り立ちを論文の形で発表したいと私は思っている。




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